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大晦日。今年最後の写真は、ちょっと南国風の富士山と夕日です。皆さま、良いお年をお過ごしください。
2019.12.31
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縁起のいい夢のトップランキング二位。トンビです。タカ目タカ科の鳥ですね。そして第一位はこちら。富士山。でも、太陽の輝きにはかないません。土星の環を付けたような夕陽でした。
2019.12.30
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今年も暮れてきましたね。あっという間の一年間という感じがします。10月上旬に脱稿した原稿は、ゲラ校正第一稿は年を越すことになりました。先日(27日)仕上げた原稿も、年明け後、しばらくして校正作業に入る予定です。どちらもめどが立ちましたら、ご案内します。
2019.12.29
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陰影のある雲。巨大なキノコのような雲が何本も立っています。その中から覗く光。非常に迫力のある光景でした。6月28日の撮影です。
2019.12.28
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昨日紹介した石室神社をもっと近くで見てみましょう。本当に岩に食い込んでいることがよくわかります。で、神社の左側に見える階段のほうから降りてきて参拝するのですが、この写真を撮ったのはこちらからです。先のほうに突き出た岬があるんですね。この岬には、もう一つの奥宮のような神社があります。こちらがその奥宮の熊野神社。熊野神社と言えば、実は出雲系なんですね。事代主は出雲系ですから、別に構わないのですが、なぜ神武が熊野から迂回して大和に入らなければならなかったかのヒントもここにあります。出雲と日向のハーフ系の神である八咫烏ことアジスキタカヒコネ(タケツノミ)や、出雲系の神である高倉下こと天香山を味方に付けないと、とてもではないけど、日ノ本将軍ことナガスネヒコに太刀打ちできなかったからです。神武は、熊野で出雲系の神々の助けを受けて、大和へ進軍。八咫烏の援軍により和睦となって、神武がニギハヤヒが作った統一王朝を継承することが決まりました。ナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメは既にニギハヤヒの王妃になっていましたから、その息子ウマジマジは「食料大臣」の要職に就いて神武政権を支えることになりました。娘ウマシホヤ姫は天香山と結婚します。後にウマジマジの子孫が孝元や開化天皇の后になるのは、こうした和睦があったからなんですね。開化天皇の息子である崇神にも、ミカシキヤヒメの血が流れていることになります。そうしないと、崇神による再統一は難しかったと解釈することもできますね。
2019.12.27
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今日の写真はこちら。岸壁に食い込むように建っている建造物がありますね。これが伊豆半島の先端・石廊崎にある石室神社(いろうじんじゃ、いしむろじんじゃ)です。南米マチュピチュ遺跡のコンドルの岩山のようにも見えます。ご祭神は、伊波例命(いわれのみこと)と物忌奈命(ものいみなのみこと)とされています。前者が海上安全の神様で、後者が学問・産業の神様。役行者が前者を、秦氏が後者を祀ったとの説もあります。社務所の人に聞いたら、事代主の八王子の一人という説もあるそうです。秦氏が絡むと系図が複雑になりますね。この辺りは賀茂郡ですから、賀茂氏が関西から大移動してきたことがわかります。
2019.12.26
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凄い雲ですね。存在感があります。巨大な手のようにも見えます。雲の切れ間からは何かが出てきそうな感じすらしますね。7月28日に撮影しました。
2019.12.25
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また、いくつか撮りためていた写真をご紹介しましょう。いつものように夕陽と富士山です。8月5日午後6時28分に撮影しました。
2019.12.24
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翌9月7日は移動日。訓子府から一気に札幌まで向かいます。途中、深川の道の駅で食べた釜飯は美味しかったです。さすが農業大国の北海道です。翌9月8日。札幌郊外でのんびりします。快晴ですね。それには、オバQのような雲が浮かんでおりました。こちらはコスモス。そして赤くなり始めた木々の葉。あと一週間くらいすると、紅葉の見ごろになりそうな感じですね。そして、最後はタケちゃん。「旅の仲間」を務めてもらいました。元気でね、武ちゃん(日本武尊の「タケ」から取ったそうです)。
2019.12.23
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屈斜路湖から時計の反対回りに進み、摩周湖、硫黄山、そして藻琴山展望公園にやって来て、再び屈斜路湖に戻ってきました。遠くに見えるのは、おなじみになった斜里岳ですね。ここの展望公園から見える屈斜路湖。先ほどまでいた硫黄山。そして、南西の方角を見ると・・・阿寒雄岳が屈斜路湖越しに見えていますね。もう日が暮れてきました。時計の針は16時14分を指しておりました。
2019.12.22
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硫黄山の風景です。硫黄山と、お隣のマクワンチサップ。再び硫黄山。あちらこちらに硫黄の山が噴出しています。今にも間欠泉のように噴出しそうな趣がありますね。硫黄山から見た斜里岳。硫黄の匂いに酔いしれました。ちょっとした温泉気分に浸った感じでした。
2019.12.22
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摩周湖の展望台から屈斜路湖の方角を見ると、目立つ山が二つ見えます。二本の木の間に見える山です。左が硫黄山ことアトサヌプリ、右がマクワンチサップです。奥に見えるのが屈斜路湖。この二つの山は、ちょうど屈斜路湖と摩周湖の中間地点にあります。その硫黄山に到着。強い硫黄の匂いが立ち込めていました。
2019.12.20
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前回までの写真は、摩周湖の第一展望台で撮影したものでしたが、そのさらに先に車で進むと、摩周湖の第二展望台があります。こちらが第二展望台への道。尾根伝いに歩いていきます。途中、まだら模様のチョウチョに遭遇。ヒョウモンチョウでしょうか。家にもよく来るチョウチョです。展望台に到着。湖面を見ると、さざ波が・・・摩周湖に出現する「マッシ―」に違いありませんね(笑)。このような急峻な尾根が続いておりました。
2019.12.19
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最期にもう一度摩周湖を見渡します。この展望台から、湖とは反対の南西の方角を見渡します。遠くにポツンと目立つ山が見えますね。これが雄阿寒岳です。今回は行きませんでしたが、阿寒湖のそばにそびえる火山です。そろそろ摩周湖を後にします。緑が綺麗な湖でした。このころ(午後二時ごろ)になると、空には筋状の雲が現れてきました。
2019.12.18
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次に訪れたのは、摩周湖です。霧の摩周湖などと呼ばれますが、この日はよく晴れ渡っておりました。一度前触れで、ここをご紹介しましたね。彼方には斜里岳が見えますね。火山の中央部が陥没して、底に水がたまってできたカルデラ湖。世界屈指の透明度を誇っているそうです。緑が青がきれいです。
2019.12.17
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続いて釧路川の源流を見に行きます。釧路川の源流は屈斜路湖にあるんですね。遠くにピラミッドのような山があったので撮影します。で、こちらが釧路川の源流部。その源流をじっと見つめる武ちゃん。今度は橋の受けから釧路川を撮影。この流れが釧路湿原を通って、154キロ離れた太平洋まで流れ込んで行きます。長い道のりですね。
2019.12.16
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和琴半島に着いたころから、空には変わった形の雲が出始めました。竜巻の形をした雲のようです。その右隣には巨大な雲の塊が浮かんでおりました。こちらは・・・青い気流の筋のようなものが写っています。その下には、馬のような動物の形の雲が見えます。緑と青い空。緑と空が美しい季節でした。
2019.12.15
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旅の仲間のタケちゃんと屈斜路湖。で、こちらは何かというと・・・単なる水たまりに見えますが、実は小魚がいます。拡大すると・・・魚の影が岩に映っていますから、いることがわかりますね。再び和琴半島の先端と屈斜路湖。半島の反対側(南側)の風景。こちら側の風景も綺麗です。
2019.12.13
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美幌峠から車を走らせて、和琴半島に向かいました。こちらが屈斜路湖に突き出た和琴半島です。静かで水の綺麗な湖です。緑が湖面に映っています。緑と青が鮮やかですね。本当に美しい風景でした。
2019.12.12
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美幌峠の案内板。峠の一番高いところまで歩きます。その最高所からの屈斜路湖の風景。そして、こちらは釧路方面。クマザサが風になびいておりました。
2019.12.11
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9月6日。この日は阿寒摩周国立公園に足を延ばしました。雲は出ておりますが、まずまずの晴天です。美幌峠に到着。素晴らしい風景が広がっていました。眼下の湖は屈斜路湖で、左奥に前日見た斜里岳。ほぼ中央の奥には標津岳が見えています。湖の中にある大きな島は中島です。その中島の向こうにちょこっと突き出た山が摩周岳。右手には湖に突き出た和琴半島が見えています。本当に美しい風景でした。
2019.12.10
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斜里岳です。存在感がありますね。竜のような雲が上空を通っていきます。斜里岳は段々、遠ざかってゆきますが、最後に一枚、トウフツ湖から撮影。トウフツ湖は静かな湖です。もう日が沈みかかっています。こうして9月5日も暮れて行きました。
2019.12.09
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A号のお隣にある朱里周堤墓群のB号を見に行きます。こちらがA号。そして、こちらがB号。近づいていくと・・・やはりヘンジ(土盛)と石組のセットです。ただし石組は、ヘンジの中央に一つだけありました。で、木に覆われていて、はっきりとはわかりませんでしたが、大湯の二基のストーンサークルと同様に、夏至や冬至といった特別の日に合わせてA号とB号が配置されているように思われました。そして、その際の決め手となるのは、こちらの山ですね。朱里岳です。この地方の霊山であることがよくわかります。
2019.12.08
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斜里町の朱円周堤墓群です。大きな環状土盛(ヘンジ)が二基あるようです。周堤墓といって、周囲を環状の堤で囲まれた墓であると考えられています。まずはA号の周堤墓を見に行きましょう。特殊な石組が円の中に点在していますね。おそらく、この一つ一つがお墓です。組石を見ると、大湯ストーンサークルの組石に似ていますが、日時計となる柱石がありませんね。いろいろな形の組石があります。ざっと見たところ、14~15基の組石がありました。
2019.12.08
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今回の旅の主要目的の一つは、北海道東部のストーンサークルを見に行くことでした。北海道には小樽のそばの忍路とか地鎮山、あるいは深川市の音羽や旭川のそばの神居古潭に、ストーンサークルがあることは知られています。ですが、東部のストーンサークルはあまり知られていません。で、それがどのようなものだったかを示す写真が、斜里町の博物館に展示されておりました。それがこちらです。斜里町オクシベツ川遺跡の発掘風景ですね。そしてこちらがそのストーンサークル。小さい石ですが、サークル上に並べられています。で、こちらはそこから出土した縄文土器。北海道にも多彩な縄文文化があったことがわかりますね。
2019.12.06
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訓子府の風景。本当に畑以外に何もないところです。で、なぜこの写真を撮ったかというと、遠くに三角形の目立つ山があったからです。こちらがその山。綺麗な円錐形の山です。遠く離れた北見市街そばのバイパスからも見えましたから、測量に使われた山に違いありませんね。調べたら北見富士という名前の山でした。信仰の山でもあるようです。この日訪れたのは、北見市内にある薄荷資料館。ここでは、ハッカを作る工程が見学できるようになっていました。
2019.12.05
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翌9月5日。この日は朝早く起きて、訓子府のリクリエーション公園に行きました。丘を登って、見晴らし台のほうへ歩いていきます。視界が開けてきました。左の奥には訓子府の町が見えます。今日も快晴です。こちらは旅の仲間のタケちゃん。以前紹介しましたね。
2019.12.04
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網走の博物館では、興味深い展示物を見ました。まずはこちらをご覧ください。何が書いてあるかというと、今から1億4500万年前の白亜紀。北海道は現在のような形ではなく、中央から西側半分と、網走のある東半分は分かれていたと言うんですね。西半分は大陸とつながっており、東半分は太平洋上の海底火山島であったとそうです。上の地図で言うと、黄土色に描かれた小さな部分が東半分に相当する火山島です。。その後、東半分はプレートの移動に伴い太平洋を北上、約3390万年前に大陸に衝突します。一部の地層は大陸にはぎとられる形でくっつきました。それが現在の北海道であると書かれています。つまりイトマキエイの頭の部分のような形をしている東半分は、伊豆半島と同様に後から日本列島にくっついた火山島であったということになります。これは貝殻で文様をつけれらた縄文時代初期(8000年前)の土器。「貝殻条痕文系土器」と名付けられた縄文式土器で、網走市の桂ヶ岡から出土しました。
2019.12.03
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網走のオホーツク流氷館の屋上展望台からは360度が見渡せます。知床半島の先端の方を見ると・・・右から順に、遠音別岳(おんねべつだけ:1331メートル)、羅臼岳(1660メートル)、硫黄山(1562メートル)、知床岳(1254メートル)が見えています。そして、こちらは・・・右から藻琴山(1000メートル)、そして摩周湖のそばの摩周岳(857メートル)です。こちらの湖は・・・左から網走湖とその右奥に能取湖(のとろこ)。9月4日。ちょうど紅葉が始まったころですね。北海道の紅葉は9月に始まります。午後4時を過ぎたところです。
2019.12.02
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オホーツク流氷館の屋上展望台(天都山展望台)からの風景です。手前が網走市内。その向こうに見える海がオホーツク海。その先に知床半島が延びていますが、右が斜里岳(1547メートル)、左が海別岳(1419メートル)です。学生時代の1977年にも、網走市が一望できる丘(多分、天都山)に来た記憶がありますが、このような立派な施設はありませんでした。
2019.12.01
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