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日本は、ここ数日すごく暑いみたいですね。東京の友人から、昨晩電話がありまして、暑くて食欲もない上に、体がだるくて、何もする気が起きないと・・・・。というわけで、睡眠で体のダルさを紛らわせようと思ったら、今度は、部屋にクーラーがついていないがために、あまりの暑さで、眠ることも出来ないと嘆いておりました(笑)僕のこの友人、果たして、夏を無事に乗り越えることが出来るのでしょうか?一方、こちらバークレーはと言いますと、昼間はさすがに日差しが強く暑いのですが、日本とは違って、湿気がほとんどない分、カラッとした暑さで、とても気持ちが良い毎日です。木陰に入るだけで、ヒンヤリした風が吹き抜けて、夏の暑さを忘れさせてくれます。この季節になると、木陰に入って、ウトウトしながら本を読むのが、僕の楽しみの一つでもあります。慣れれば、芝生の上も、なかなか寝心地がいいもんです。はい(笑)あと、朝晩は寒いぐらいに気温が下がるので、寝苦しいなんてことはまずありません。こっちに来てから、ほとんどクーラーを使った記憶もないですしねえ。というわけで、この季節は、絶対、カリフォルニアをお勧めします!!!ぜひぜひ、皆さんも一度は遊びに来て下さいね。さて、前回の続きです。前回は、”幸せなオトナと不幸せなオトナの違い”を中高生に説明するとしたら、どのように説明しますか?という問いで終わっていたと思います。そして、僕自身の回答としては、「自分の仕事から充実感を得る事が出来る人は 幸せなオトナで、 仕事からは充実感を得ることは出来ないが、 それ以外の事から充実感を得ている人は、 不幸せなオトナである」という少し強引過ぎる定義で終わっていたと思います。まあこれは、ある意味正しくて、ある意味、少し無理がある答えなわけですが、今日は、前回、話すことが出来なかった事も含めて、「幸せなオトナ」について、少し議論を深めていきたいと思っています。まず僕は、「幸せなオトナ」を考える上で、大きく分けて2つのポイントがあると思っています。そして、その2つは、当たり前過ぎるんですが、以下に挙げるものです。(1)自分の仕事から充実感を得ることが出来ている(2)仕事以外の事から充実感を得ることが出来ている (家庭やプライベートetc)前回のブログの最後では、あえて(1)を強調して、(2)を無視したかのような答えにしておきましたが、(あえてそう言った意味は、 今日の後半の内容でお分かりいただけるはずです)実際は、正しくないと思っています。世の中には、言うまでもなく、色々な価値観を持った人がいるわけで、ある人は、(1)をより重視するでしょうし、またある人は、(2)をより重視するでしょう。そして、一人の人間を例にとっても、(1)と(2)のバランスは、その人の人生の中でも、どんどん変わっていくはずなんです。ある人は、40代までは(1)を重視した人生で、それ以降は、(2)を重視した人生にシフトするだろうし、定年を迎えるまでは、(1)中心の人生で、それ以降は、自分の趣味の世界の(2)の方へとシフトする人もいる事でしょう。以上のことから、これまた当たり前の事なんですが、いかに中高生にわかりやすく説明しなければならないとは言え、これが、中高生のみんなが目指すべき「幸せなオトナ」のモデルですなんて、簡単に提示する事は出来ないということなんです。なぜなら、世の中には、自分に適した様々な(1)と(2)のバランスを持った幸せなオトナが存在するわけですし、「幸せなオトナ」になるためには、ひとりひとりの中高生が、自分の人生の中で、自分に適したバランスを見つけるしかないわけです。しかし、中高生にとって重要な事は、コドモ(彼ら)がオトナになった時に、(1)と(2)のあらゆるバランスの「幸せなオトナ」になる可能性を持っているかどうかだと思うわけです。どちらか一方の充実感しか得る事が出来ないのではなく、どちらからも充実感を得ることが出来る状態で、コドモからオトナへと成長し、そして、自分の人生の中で、自分なりに、人生のバランスを考えていける”人生”が、僕は、一番幸せな人生だと思っています。そして、そのようなあらゆる可能性をコドモに持たせてやるためには、どうすればよいのかということを考えるのが、オトナの役割だと思うのです。では、ここで今日の質問です。Q.オトナになった時に、(1)と(2)のあらゆるバランスの「幸せなオトナ」になる可能性を持つためには、中高時代にどうすればよいのでしょうか。僕の回答は、簡潔に言えば、(1)の充実感を得るにはどうすればよいかをまずは考えましょうと言うでしょう。そして、(2)の充実感の方は、後回しにして考えてくださいと答えるつもりです。(これが、前回の少し強引な回答の真意です)なぜなら、(2)の充実感を得るよりも、(1)の充実感を得る方が難しいと思うからです。実際、世の中のオトナを見る限り、(1)の充実感を得ることが出来ないから、(2)の充実感を強調したり、その不足を(2)で補おうとしたりする人が、とても多いように感じられますし・・・・。皆さんはどう思われるでしょうか?様々なご意見をお待ちしております。
2005.06.26
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さて、アメリカに帰ってまいりました。サンフランシスコの空港に着いたのが、昨日のお昼の11時過ぎで、昼の1時から、さっそくバークレーで授業があったので、空港から直行で、授業を受けてまいりました。無理を聞いてくれて、空港→バークレー→2時間待機@バークレー→我が家というメチャクチャなスケジュールを車を出して、僕のために過ごしてくれたシャロン。本当にありがとうね。感謝感謝です!!!明日あたりに、お土産の扇子を、シャロンのマンションの方に持っていくから、楽しみにしといてね!!!ってか、絶対、このブログ読んでないだろうな~(笑)いや、読めないっす!!!(不可能だ!!!)感謝といえば、前回の内容に色々とコメントを下さった皆さん。本当にありがとうございました。色々なバックグラウンドを持った方が、様々な視点から意見交換をする事で、より議論が深まっていくと思いますので、これからも、どうぞよろしくお願いします。さて、これから数回は、「幸せな人生とは」というのが大きなテーマなんですが、まずは、「コドモとオトナ」の違いを、このブログの趣旨に沿う形で、定義しておこうと思います。世の中では、コドモとオトナという言葉は、様々な使われ方をしていると思いますので、正確な定義付けをする事は、非常に難しいことだと思うんですけど、このブログの上では、次のように定義したいと思います。「コドモ」……生きていく上で、自分で働く必要がない人間「オトナ」……生きていく上で、自分で働かなければならない人間 すごく単純ですが、これだけの定義で、今後のすべての議論(ブログの趣旨に沿った中高生向け)は、十分に成り立ちます。ただし、何らかの理由で働く必要がないオトナは、(リタイアされた方やお金持ちの方など)議論の対象外とします。オトナが働かなければならないということは、簡単に言えば、誰からの庇護も受けられないので、生きていくために、自分自身でお金を稼がねばならないという事です。だから、20歳になったから、オトナになるというわけではないと僕は思います。20歳を超えても、例えば、大学に通っていて、大学の学費や生活費を親に出してもらっている限り、その人はコドモであって、決してオトナではありませんし、逆に、高校を卒業して社会に出る18歳の新社会人は、自分が生きていくためのお金を、自分自身で稼がなければならないので、その時点からオトナになるからです。そして、その時期がいつやって来るのかは、それぞれの人生によって、大きく異なるわけですが、不変の現実として言える事は、すべての「コドモ」は、いつかは「オトナ」に変わらなければならないという事です。実際、昨今話題になっている特殊な形態の「コドモ」であるニートも、自分の両親が突然死んでしまえば、生きていくためには、その時点から、働かざるを得ないわけですから。というわけで、これから、このブログの中で使っていく「コドモ」という言葉と、「オトナ」という言葉の定義の違いは、これまでの説明で、ご理解いただけたと思いますので、ここで、今回、皆さんと一緒に議論したい質問を、提示したいと思います。それは、以下のような質問です。Q. もし、中学校か高校に行って、 ”幸せなオトナと不幸せなオトナの違い”を、 分かりやすく説明しなければならないとしたら、 あなたはどのように説明しますか?今回の質問は、「幸せとは何か」っていう、ある意味、究極の質問なので、こんな所で簡単に議論できる内容ではないということは、十分に承知しています。ただ、今回は、”中高生に説明する”という前提付きですので、あえてこのような形での質問形式にしたいと思います。ちなみに、僕の回答は、次回詳しく説明させていただきますが、(「なぜ勉強しなければならないのか」 「なぜ大学に行かなければならないのか」 っていうことを、中高生に説明する上での 「幸せとは何か」という質問と捉えていますので)簡潔に言いますと、自分の仕事から充実感を得る事が出来る人は、幸せなオトナで、仕事からは充実感を得ることは出来ないが、それ以外の事から充実感を得ている人は、不幸せなオトナである、と説明すると思います。この回答だけ読むと、ちょっと仕事至上主義的に聞こえて、違った意味での反論が出てきそうですが、そのような事も全てひっくるめて、様々な意見を聞かせていただきたいと思っています。あなたが考える幸せなオトナとは、どんなオトナでしょうか。
2005.06.22
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ほぼ一ヶ月ぶりのブログです。実は、試験が終わったあと、日本に帰ってきてたんですよ。いや~、相変わらずあわただしい日々でしたけど、すっごく楽しむことが出来ました。うん、大満足のバケーションでした!!まあ、あえて言うなら、もうちょっと寝たかったかなあ~と・・・・・・(笑)まあでも楽しかったから、よしとしましょう。そして、来週の月曜日にはアメリカに戻って、空港に降りたった2時間後から、さっそくバークレーで夏学期の授業です。う~ん、来週から、またまたハードな日々だ~・・・・・・。さて、この一ヶ月の間。6割ぐらいは遊びほうけておりましたが、あとの4割は、本を読んだり、普段は出来ない勉強をしておりました。今回は、特に教育関係の本に的を絞って、かなりたくさんの本に目を通しましたし、友人や知人の方々に紹介していただいて、教育関係で働かれている色々な方ともお話しする機会を頂きました。自分が気がついていないことや知らなかったことなどを色々と学ばせてもらって本当に勉強なりました。そして、あらためて気がついたすごく重要な事がいくつかあるんですけど、今日は、その中でも、みなさんにぜひ考えていただきたい質問を2つほどあげようと思います。その2つの質問とは、下に挙げた二つの質問です。”なぜ勉強しなければならないのか?””なぜ大学へ行かなければならないのか?”以前にも、このブログの中で一度取り上げた事があるんですけど、たぶん、当たり前すぎて、ほとんどの人が真剣に考えた事がない質問だと思うんです。でも、これらの質問って、考えれば考えるほど、教育を考える上での本質を表していると思うんです。実際、これらの質問に対して、”中学生や高校生が納得出来る答え”を見つけようと思うと、めちゃくちゃ難しいわけです。(まあ、完璧な答えなんてないわけですが・・・・・・)学問的な答えや、オトナ的なうわべの答えじゃなくて、中高生が、”あっ、そっか~。だから、勉強は大事なんだー””よし、僕もしっかり勉強して、大学に行こう!!”こう言わせる答えを提示することは、メチャメチャ難しいはずです。ちなみに、参考までに、学者の先生の一意見を参照したいと思われる方は、齋藤孝さんが書いた「勉強のチカラ!」という本を読んでください。”なぜ勉強しなければならないのか?”という学生の声にこたえるべく書かれた本だと思います。面白いと思うし、僕もついつい買ってしまいました。でも、結論から言うと、これを読んでも、多くの中高生は、おそらく、勉強するという意味を”本当の意味”で、理解することはないでしょう。”ウワベ”で理解をすることは出来てもね・・・・。ちなみに、この本を読んだ後に、”なるほどな~、齋藤先生ってすごいなあー”って、圧倒されてしまったオトナの人は、完全に思考が停止してますよ。確かにスゴイことはスゴイですが、文面にだまされちゃあいけません。この本を自分の子供に読ませれば、自分の子供が、今までの姿勢から変化して勉強するようになると思ってしまった方は、今すぐ、この本を子供に読ませて、その反応を見てみてください。その思いが幻想だと気づくはずです。(注意)ただ、頭の良い中高生は、理解する事が出来ると思うし、そういう子供たちにとっては、すごい良書だと思うので、一度お試しください。さて、話を戻しまして、皆さんなら、どう答えられますか。皆さんの意見をお伺いしたいんで、出来ればコメントとして、意見を書いてください!!まあ、字数制限があるので、書きにくいかもしれませんが、色々と意見を交換をしていきましょう。ちなみに、僕の場合は、”幸せな人生とは何か”というレベルから考え始めました。たぶん、”勉強”や”大学”というありふれた物を、いかに大きな次元で位置づけてあげるか。それがポイントだと思いましたので。ただ、これも、哲学的な意味合いではなくて、中高生が聞いたときに、”あっ、なるほど、それが幸せな人生か”って言ってもらえるようなレベルの議論です。難しい議論は一切抜きにして、中高生が納得出来るレベルで議論を深めていきましょう。P.S. 僕と同じような意見を村上龍さんが言ってらっしゃって驚きました。この人の意見は、かなり核心をついていますね。
2005.06.17
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