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韓国班より「日記風に書いた韓国の旅」 このごろ韓国にこっています。ハングルを覚えたり。早々ハングルって言うのはとても簡単です。15世紀にできたというか発明されました。日本のカタカナの成立と似ています。元は漢字です。ビピンバツ・・ビピンは日本語で混ぜる。パツ・・ご飯・・混ぜご飯ですね。クッパ・・クッ・・スープでご飯ですね。身近なところにもたくさんあります。釜(かま)は韓国でも(かま)なんです。韓国料理といえばキムチとにんにく。このにんにくからアリナミンが発明されました。キムチ・・すべての料理に使えますね。キムチのチゲにこっています。何でもいいですら。鍋物にキムチを入れてみてください。湯豆腐でもいいです。水炊きでもいいです。おいしいですよ。唐辛子の粉のものを用意しておいてお好みで入れます。うますぎます。また、二日酔いにいいです。実は今猛烈な二日酔いなのです。早く食べたい。二日酔いに行き韓国料理・・あなたでも簡単にできます・レシピは・・・ 南西アジア班 「泳げなくても大丈夫モルジブの旅」 モルジブはスリランカから1時間あまり。日本からは9時間くらいかかります。よくこの国は地球の温暖化で海面が上がり、なくなってしまうのではないかといわれていますが。現地へ行って本当にそう思いました。首都のマーレに着くために飛行機が低空を飛んでいるときに、窓から海を見ると本当にきれいです。たくさんの島が珊瑚礁に囲まれています。その中で無人島がホテルになっています。 モルジブの方が住んでいるところにはホテルは基本的にはありません。ですからひとつの島にひとつのホテルです。アメリカ系ドイツ系フランス系日系インド系・・その他大きなホテルチェーンが進出しています。ユダヤ系資本のクラブメゾ系もすばらしいホテルを持っています。マレについてから、ホテルから迎えに来ているボートに乗ってどんどんでかけます。1時間もかけていくとことから、20分ぐらいでいくことろもあります。近くても海はきれいです。私はバンドスに泊まりました。マーレから20分です。部屋はコテージですぐ庭をはさんで海です。ですから海へシュノーケリングをして、デッキチャアで寝転んで海を見ながらビール(ここはハイネケンが多いです)ビールはそうですね。やはり海を見ながらカジューナッツをかじり、うとうとしながらデイスリープをします。最高ですね。シュノーケリングをはどこでもできます。ヨットに乗ってマンタ(糸巻きエイ)を追うのも楽しいです。ウインドサーフィンも小学生からできます。なにしろマリンスポーツはなんでもそろっています。全部レンタルできるので心配なく。日本語を話せるスタッフもいます。あとオリベリに行ってきました。ここはボートで1時間ほどです。この乗っている間も面白いです。魚の群れを見れたり、突然のスコール、海鳥の群れ・・・最高です。 オリベリは日系資本で建てられました。ここは朝日と夕日がすごいですね。広い砂浜。どこまでも続く珊瑚礁。砂浜にいすを出して半分足を入れて夕日を眺める。朝日もいいですよ。誰もいない砂浜を歩くのです。気持ちがそれだけ落ち着きます。今人気なのはヒルトンの経営する島・ホテル。水上飛行機絵で行きます。とにかく時間を忘れるほどすごいところです。時計をはずして自然の流れに身を任せることで・・体にすうううと何かが入っては、また体からいやなことが出て行く感じです。ぜひモルジブへ行ってみてください。
2007年06月28日
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「なぜ地域の旅行番組に海外のこと取り入れるんですか?」「年間かなりの人が海外へ行っているがまだまだ贅沢の旅行なんですよ」旅行雑誌編集長五十嵐さんは編集の仲間と食事をしている。「まあ、聞けよ」得々と話を始める「旅行というのは、そうだなあ「夢」「楽しみ」が最初にくるんだ。」話を要約する。・・地域のいろんな所を紹介するのも大切。ここに『富士山フリータイム』という雑誌がある。見てみろ斬新だろ。大学生を使って最新情報を得たり、読者だけが得をする独自のシステムを作りあげている。ここのホームページすごいんだ。なんでも編集長の息子が作ったものなんだが素晴らしい。さらにこの値段300円。もっとすごいのがこの雑誌で紹介したところをCATYで放送するんだ。売れるはず」食事も終わり「いいかもう一軒つきあえよ」40分タクシーに乗り御殿場に着く「ここ。ここ」うれしそうにのれんをくぐる。「路花」である。「ああ五十嵐先輩」「おお木下」木下さんは今やその業界では知らない人がいないほどの時の人だ。「富士山フリータイムとばしているね」「ありがとう、今日も会議でくたくた今日はいいんでしょゆっくりして」「ああ、でも3人連れがいてね」肩越しにみるとすまなそうに「こんばんわ」ビールをぐっと飲み「まあいいか、早速あの話聞かせて」「ああ」出版会社「FUJIYAMA」との情報交換をはかり、旅行番組を作る計画だ。パソコンを使い丁寧に説明する。2時間後「いいね、やってみよっか」「そうか、でもこの点理解出来るかな?ここの3人は疑問だそうだ?」横目で見ると恥ずかしそうに頭をかく3人「そうです。わかんないんですよ・・」「夢だよ。夢・・」「はあ」「自分の住む地域もいいところもある。でも山梨県にもいいところがある、さらに日本も旅してみたい」「そうですよ、そこまではわかります」「でもそこで終わってしまうんですね旅行番組は・・」「それで海外」「そう海外にも行けるんだ、海外にも私たちが生きていると同じようにそこに住んでいる人がいるんだ」「それで・・」「海外旅行も近くの温泉旅行も同じ土俵に乗せて勝負させるんだ」「なるほど」だんだん理解出来てきた3人。なんだか訳ありの木下さん五十嵐さん4月の発刊まであと半年である。そのために海外にスタッフを飛ばし自分なりにリポートを生の声で書かせた。いくつか紹介する。
2007年06月27日
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瑞垣山荘では、食事の支度の追われる。山荘の主人の藤原さんがケガをしたため、山本さんが腕をふるう。見ていた藤原さん「すごいですね、良くできますね」「はあ、私・・山菜料理を研究しているのです」「研究?」「はい、今生活習慣病が蔓延している日本かつて野の草や実を食べていた時代には糖尿病の人がいなかったでしょう」タラノ芽の天ぷらを揚げながら話をする。「山菜は野菜の原型だと思います。その原型を研究することで何か生活習慣病を減らしていくヒントを得たいんです」・・山本さんは独自の研究で内外に知られている医師である。中国の医食同源に感動し、世界中をまわり食生活の研究をする。「日本人ほどいろいろな物を食べる人はいませんよ」今度は蕗の薹を素揚げしている。「このノビル見て下さい」藤原さんも山菜のことならまかせておけの山菜取り名人である「しっていますよ、ヒルっていうのはネギのこと。野に生えるネギ」説明によるとこのノビルがネギの原型とも言われている。冬を越え春になって芽を出すその生命力、畑で丁寧に(過保護に)育てられた野菜とは違う。肥料もないし、害虫の駆除もない。でも毎年私たちの舌を楽しませてくれる。ここ富士北麓も山菜の宝庫だ。藤原さんの住む奥秩父、そしてその近くに広がる八ヶ岳連峰の麓も山菜の宝庫である。山本さんの活動は1月~5月特に3月4月がピークである。1月の芹をわき水のコンコンと湧く池に取りに行く。2月早くも土を少し持ち上げる蕗の薹が出てくる。そして3月4月南に行くほど早いがこの富士北麓では4月中旬から5月のゴールデンウィークの終わる頃までが朝が待ち遠しい。タラの芽 ふき こごみ わらび 三つ葉 うど 山椒 この7種類は必ず取る。朝早くから、リュックを背負い、軍手を持ち。飲み物を持ち、タオルを持ち・・・持ちが続く下手な文章になるほどもう興奮している
2007年06月26日
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2月16日 この日、卒業する4年生の仲間と飲む、久しぶりの人もいる、入学してから4年でリタイアした人は一人もいない。就職も決まる。8割が教師だ、小学校がほとんど数名が中学校の教師となる。なじみの店に行く。留年組も数名いる。このころはやり出したカラオケに行く。2月17日 仲間と1日、なんか楽しく過ごした。授業もそろそろなくなる。2月18日 後輩と新宿のウェストパークへ行く。ジャズを聴いた。2月19日 後輩と新宿の良く行く店に行く(もう来ないような気がした)2月20日 下宿の片付けを始める。たまりに溜まった本は手伝いに来た後輩にあげた。 福井の友だちが車を出してくれることになり、ドライブへ行く2月21日 大学祭の仲間の追い出しコンパ2月22日 自治会の仲間の追い出しコンパ2月23日 学生時代最後の誕生日2月24日 お世話になった教授らと飲む2月25日~しばらく、大学へ行かずに都内のいろいろな仲間の所へ行く5泊はしたかな3月1日 あと1週間で卒業となる。下宿のおばさんに挨拶に行く3月2日 この日一人で大学時代の日記を見ながら4年間を振り返る。昼飯をなんだか知らないが歩いて食べに行く1時間も歩いただろう。まだ大学に残りたい気持ちもあるが早く教師になりたい。多くの仲間や多くの経験をありがとう。大学の外周をまわったら2時間もかかった。3月3日 我が下宿の庭に梅の花が咲く。吉田からも何度も連絡がある。「ちゃんと帰って来いよ」とのこと。明日は日帰りで旅行に行こうと思う。3月4日 春の鎌倉ヘ行く。3月5日 荷物を詰めて富士吉田へ引っ越しをする3月6日 下宿を全て引き払う。ホテルへ泊まる。後輩らが三々五々やってきた、飲んで飲んだから。ホテル必要なかった3月7日 卒業式 仲間がたくさん来てくれた。夜新宿のプリンスホテルで社会科の仲間が集まり卒業を祝う。夜、小金井にもどる。大学の自分の部屋へさよならを言う3月8日 富士吉田へ帰る。
2007年06月25日
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1月17日・・アルバイトへ行く。新宿の下落合学生援護会で日雇いのアルバイトを見つ1月16日・・卒論提出。単位は全てOK。卒業確定。そのパーティがひどかった思い出ける。引っ越しのバイトだ。日給7500円。よくここで日雇いのバイトを見つけた。世の中はバブルの時代だったので仕事はたくさんあった。50種類以上の仕事をしたと日記には書いてある。ここでは省略する。1月18日・・下宿のおばさんに「3月19日にここを出る」と明言。そうすると無性にここが恋しくなる。夕方から鍋をやる。仲間が三々五々集まる。飲んで騒いで少し泣いた。1月19日・・先輩追いコンしたいのですかと、大学の生協で飯を食べているとき立て続けに後輩がやって来た。1月23日・・社会科で。1月24日・・ゼミで1月25日ワンゲルで1月26日…自治会でということ全て無料と言うことで参加する。良くダブルブッキングしないと思う1月20日・・「みつや」に行く1月21に・・国分寺の「大将」夜7;301月22日・・国分寺のザックバランで体育科の仲間と1月23日~26日・・・上記の宴会で・・ダウン1月27日・・風邪をひいて寝ていると。夜10時仲間が来て「風邪は卒業してからにしろ」と強引に飲み屋へ行く。1月28日 信じられないが、ケンカしていて絶交していた友人が下宿へ来る。意気投合ししっかり飲む。1月29日・・新宿のウェストパークで飲む。ナベサダの生演奏が聴けた。1月30日・・授業のあと映画に行く。「就職したら映画も見れないぞ」の留年している先輩のアドバイス。池袋でゴットファーザー2を見る。夕方新宿で仲間と待ち合わせ、もう1本映画を見てから飲む。その日帰った覚えはかすかにある。1月31日・・ひさいぶりに一人で「みつや」で飲む。しかし、12時過ぎコンパを終えた仲間の一団がきて、静寂を破られた。2月1日・・今日から2月・自分のスケジュール表を見ると「宴会」「コンパ」「約束」で一杯だ。11時までゆっくり寝て近くを散歩する。国分寺まで歩こうということで、とぼとぼ歩く。見慣れた風景。よく言った喫茶店。同じメニューを頼んだ定食屋。なんかすごく気持ちのいい午後でした。しかし夕方から仲間と飲む。2月2日 私の親友が「向山、ちょっと相談が」共に厳しいときを過ごした仲間と飲む。なぜか泣けた。2月3日 この日は忘れない。自分が委員長をした、学園祭のメッバーのひとつ下の3年生と飲む。酒の量もすごい。でもそれ以上に思い出がすごい朝の5:00まで飲む。2月4日 激しい二日酔い。酒はもう2度と飲まない決意が夕方の5時30分に崩れる。また飲んだ。2月5日・・大学でお世話に立った教授と飲む。飲めばただの人。2月6日~9日 一人で東北旅行へ出かける。なぜ東北?確たる理由はない。3泊4日………ものすごく飲んだ。 場所は会津若松2月10日・・・埼玉の仲間と飲む。いいやつだ。2月11日・・・千葉の鎌ヶ谷へ行く、泊まりで飲む。2月12日・・鎌ヶ谷の帰りに新宿で仲間と落ちあい北の家族で飲む2月13日・・2つ下の2年生と飲む4年生は3人。3年はいない。2年生が8人大学の私の部屋で飲む。このころから大学へ泊まり込むことが増える。2月14日・・この日のことは覚えていないが、とにかくすごかった2月15日~学生運動をしてきた仲間と飲む。「これからの教育」「今の政治」について朝まで話をする。自分の下宿に帰りたい。
2007年06月22日
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7:19分東京都武蔵小金井北口居酒屋「みつや」。カウンター席8席。無口な店主。地味な服装でたばこをふかす。決して何にしますかとか、今日はいい天気で、社長景気いいですかなんてことは言わない。こちらが何か言うまでは何も言わない。一度大学生が金がないときに120円のオニオンスライスでビールを飲み2時間過ごしたときも何も言わない「ありがとう、まいど」でこの店は実在する。妻の初音も一度連れて行った。自分は大学3,4年の頃は一番通った店だ。なにしろ無愛想な主人が一人で切り盛りしている。8つの席が一杯と言うときもあったが、がらがらの時の方が多かった。金がないけど暇がある学生は開店の5時にはそこにいた。実入りのいいサラリーマンが来ても8席が私の友人で一杯なら「すみません、満席で」つまみは一番安い物、日本酒をキープしてガンガン飲む・・あまり儲からない。学生が話をするのをニコニコして聞く。21歳22歳の頃の私がそこにいた。言い合いもした。ケンカもした。殴り合った。意気投合した。その時間が本当にうれしかった。誰もが持つ大学への未練、思い、就職への不安、抵抗。大学4年の1月1日からの日記を見てみた。1月1日・・大学最後の正月。吉田の実家で過ごす。あと3ヶ月半でここへもどることになる。山梨県の採用試験に合格し、中学校社会科教師として帰ることを自分はうれしいが、まだ大学で研究したいという思いもあった。東京都の小学校合格から大学院合格その2つを蹴って選んだのは安定感か・・1月2日・・今日妹と弟と初詣に行く。妹は短大をこの春卒業する。スイミングの先生になると内定している。弟は今年大学受験、まあサッカーで過ごした高校生活はいろんな意味で良かったと思う。1月3日・・東京にもどる。1月4日・・4年生がぞくぞくと故郷からもどる。採用試験で合格した人、そうでないひとも一同に会し新年会をする。この日から3月8日の引っ越しまで1日を除いて毎日飲む事になる。1月5日~8日・・同じ社会科の仲間と旅行する。大学が始まるのは10日なので気ままに旅行する。死ぬほど飲む1月9日・・友人と過ごす日々を楽しく思うようになる。別れが寂しく感じる。夕方5時に銭湯へ行く小平南にある下宿から自転車に乗って行く。みなれた風景。三河屋のおじさん。近所の中華料理屋のおばさん。銭湯のおじさんとは顔見知り「へえ卒業か、早いものだね」小平の下宿に引っ越してきて3年。はじめの小金井の下宿を追い出されてここへ来た。四畳半をキッチントイレ。長屋の様に横に広がり4部屋いあった。風呂はない。銭湯へ行く。1回200円くらいだったと記憶している。その下宿には庭があり、縁側もあった。10時に愛知のみっちゃんが来る。朝まで飲む。1月10日・・大学が始まるが週に2回ぐらい来ればいい。このところ卒論に追われている。朝から国立国会図書館に通い、レポートの資料をコピーする。夜、社会科の仲間と乱れて飲む1月11日・・久しぶりの授業。教師になるための授業だそうだが、なかなかピンとこない。まだ大学生したいという気持ちがある、午後三鷹オスカーに映画を見に行く、そのあと吉祥寺で仲間と飲む。1月12日・・卒論提出が16日である。あともう少しで終わる。この単位落としたら就職もパーである。しかし、卒論がない仲間が「いまさら何格好つけて書いている」といったので2人で飲みに国分寺へ繰り出す。1月13日・・同級生の友人から電話ある。就職が内定したとのこと、遅い内定であったなんかありそうだけど誘いを断れず大塚まで行く。最終電車にまにあって良かった。1月14日・・「向山このままだと卒論書けないぞ」という福井の親友アドバイスで東京脱出する。伊豆の網代の民宿で卒論を仕上げる。友人の計らいで部屋に10時間こもる完成したのは12時を過ぎていた。待ち疲れた友人を起こして飲み始めたのは1時頃。初めて酒を飲まない1日がそこにあった。しかし日の出まで飲んだ。1月15日・・成人式、2年前を思い出す。大学の自治会室で飲む
2007年06月20日
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人間が一番活発に動いてる時間かもしれません。テレビはゴールデンタイムに入ります。この7時の各局の選りすぐった番組の中でビデオリサーチ社の視聴率ベスト10に入るのがNHKの7時のニュースです。見ている人いるんですね。この視聴率によって、番組を作る人の人事が決まり、その番組が局の広告宣伝費の価値を下げるとまで言われています。NHKのニュースを真剣に見ている人はたくさんいます。自分に関わること、自分の関わりやすいことについては人間は真剣になります。あれは9月11日の事です。私も10時のNHKニュースを見ていました。アナウンサーの背後にニューヨークの世界貿易センターが映りました。背後は青い空、その時です。まるで映画の撮影かと思うことが目の前で起きました。アメリカの同時多発テロです。そのあとも何度もそのシーンは見ましたが、目に焼き付いて離れません。世界中を震撼させた事件でした。 7:10PMのことです。共同通信社のフリーの記者である。坂本 郁美さんは「神々の島」、インドネシアのバリで、久しぶりの休暇を楽しんでいました。その日は中心地クタから離れたサヌールという田舎町のガゼボコテージでの1週間の休暇の最後の晩でした。「明日から、ベトナム入りをするんですよね、ロイターからベトナム戦争でなぜベトナムの民衆はアメリカを破ったかというリポートを女性の視点でもってまとめ今月末まで出せと矢の催促、ほとんど完成しているがあともう少し、自腹だもんね取材費。世界のロイターさんも日本の共同通社に東南アジアでは負けているものね」聞いている相手はクタで日本料理店を経営している田所 敏也さん「そうか、じゃあ今日が最後の晩だね、クタの店に行って飲み直そうか」海に沈む夕日を見ながら夕方から飲んでいる2人、深いイスに体ごと埋めてトロンとしたバリの空気を楽しみながら冷えたビールをかなり空けている。ナシゴレンを食べながらゆっくりと過ごしている。「そうしますか」「でもあのでかいオーストラリア人がわんさかいるんでしょ」「ああ」「ま、いいか」。その数時間後彼の店の隣のナイトクラブで爆破事件が起きる。バリのテロ事件として世界に報道される。その現場に居合わせた坂本さんは、手に負傷しながらも懸命に取材を続ける。田所さんは、店の厨房で家屋の下敷きになりながらも自力で脱出する。自分の店が完全に崩壊したことを目の当たりにするが、休業日であったことでほっと胸をなで下ろした。坂本さんの休暇は仕事に変わり、右腕の治療も後回しにし、この平和なヒンズー教の島のテロ事件の様子をその後1ヶ月あまりかけ、最新の映像と地元の人の怒り。亡くなった人たちの遺族の思い。また、インドネシア政府の事故調査委員会の調査の動向。などを毎日記事にして送った。ガゼボコテージをその発信地とし、ロイターが1か月彼女の宿泊代から取材費を持つという条件出してきた。田所さんも、店の再建を現地スタッフにまかせ彼女の取材をバックアップした。「テロの事実をきちんと伝えなきゃ」「血だらけで倒れていた人、自分のちぎれた片腕を持ちながら立ちつくしていた人、家族の楽しいディナーが、全員死亡という形で終わったこと、・・・声なき人の声を伝えなきゃ・・彼女は不眠不休で仕事を続けた。
2007年06月19日
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人間が一番活発に動いてる時間かもしれません。テレビはゴールデンタイムに入ります。この7時の各局の選りすぐった番組の中でビデオリサーチ社の視聴率ベスト10に入るのがNHKの7時のニュースです。見ている人いるんですね。この視聴率によって、番組を作る人の人事が決まり、その番組が局の広告宣伝費の価値を下げるとまで言われています。NHKのニュースを真剣に見ている人はたくさんいます。自分に関わること、自分の関わりやすいことについては人間は真剣になります。あれは9月11日の事です。私も10時のNHKニュースを見ていました。アナウンサーの背後にニューヨークの世界貿易センターが映りました。背後は青い空、その時です。まるで映画の撮影かと思うことが目の前で起きました。アメリカの同時多発テロです。そのあとも何度もそのシーンは見ましたが、目に焼き付いて離れません。世界中を震撼させた事件でした。 7:10PMのことです。共同通信社のフリーの記者である。坂本 郁美さんは「神々の島」、インドネシアのバリで、久しぶりの休暇を楽しんでいました。その日は中心地クタから離れたサヌールという田舎町のガゼボコテージでの1週間の休暇の最後の晩でした。「明日から、ベトナム入りをするんですよね、ロイターからベトナム戦争でなぜベトナムの民衆はアメリカを破ったかというリポートを女性の視点でもってまとめ今月末まで出せと矢の催促、ほとんど完成しているがあともう少し、自腹だもんね取材費。世界のロイターさんも日本の共同通社に東南アジアでは負けているものね」聞いている相手はクタで日本料理店を経営している田所 敏也さん「そうか、じゃあ今日が最後の晩だね、クタの店に行って飲み直そうか」海に沈む夕日を見ながら夕方から飲んでいる2人、深いイスに体ごと埋めてトロンとしたバリの空気を楽しみながら冷えたビールをかなり空けている。ナシゴレンを食べながらゆっくりと過ごしている。「そうしますか」「でもあのでかいオーストラリア人がわんさかいるんでしょ」「ああ」「ま、いいか」。その数時間後彼の店の隣のナイトクラブで爆破事件が起きる。バリのテロ事件として世界に報道される。その現場に居合わせた坂本さんは、手に負傷しながらも懸命に取材を続ける。田所さんは、店の厨房で家屋の下敷きになりながらも自力で脱出する。自分の店が完全に崩壊したことを目の当たりにするが、休業日であったことでほっと胸をなで下ろした。坂本さんの休暇は仕事に変わり、右腕の治療も後回しにし、この平和なヒンズー教の島のテロ事件の様子をその後1ヶ月あまりかけ、最新の映像と地元の人の怒り。亡くなった人たちの遺族の思い。また、インドネシア政府の事故調査委員会の調査の動向。などを毎日記事にして送った。ガゼボコテージをその発信地とし、ロイターが1か月彼女の宿泊代から取材費を持つという条件出してきた。田所さんも、店の再建を現地スタッフにまかせ彼女の取材をバックアップした。「テロの事実をきちんと伝えなきゃ」「血だらけで倒れていた人、自分のちぎれた片腕を持ちながら立ちつくしていた人、家族の楽しいディナーが、全員死亡という形で終わったこと、・・・声なき人の声を伝えなきゃ・・彼女は不眠不休で仕事を続けた。
2007年06月16日
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158話あたりまで来ていますが今日はお休みします。今日は柔道の試合があります。自分はそのコーチをしています。本当に柔道って奥が深いです。昨年は全国大会で高知県まで行ってきました。今年は山形県で行われます。勝負は時の運ですのでなかなか最後までわかりません。体重の重い選手の良いところもあるし、軽い選手の良いところもあります。今日は富士山もきれいです。がんばってきます。
2007年06月13日
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苦学生だった小山さん、アルバイトをよくした。授業がないようにカリキュラムが自由に組めるようになった3,4年の頃はここにお世話になった。そのころの大学生は特に国立大の学生はいつも腹が減り、金がなく、暇をもてあましていた。カリキュラムが自由に作れる3,4年生になるとアルバイトで稼いだ金で毎日を過ごした思い出がある。血気盛んな大学生はご多分に漏れず、マルクスに傾倒し、現在の政治に批判的になり、常に論争を繰り返し、ある者は学生運動に身を投じ、ある者は右翼系の団体に近づき、またある者はノンポリと言う政治無関心派になる。自分の4年間を何に使おうとかまわないが。純粋で素朴でジーンズ、トレーナーの地方から来た学生は巧妙な手口でオルグされ、学生運動に生活の大半が奪われ、大学を中途で去った者も事実私のまわりにはいた。確固たる信念と自分自身を守る理論武装がなかったら今ここに教師としていない。自治会の常任委員にもなり、デモにも参加した。ビラも書き、立て看板も立てた。大学に自分の部屋を持ち、学生課当局とも交渉にあたった。東京経済大学、東京農工大学、都立大学、東京大学らの学生首脳部とも学生の自治についてよく論争した。東京学芸大学は教員養成大学で東京各地に点在した師範学校を統括した大学であった。クラスがあり、私は9組の社会科であった。40組が確か書道家だった。教師を目指す者が多く、卒業後も遠くは熊本から山口、兵庫、香川、大阪、奈良、愛知、石川、千葉、神奈川、静岡、長野、茨城、青森に友人がいる。東京在住はクラスで6割ぐらいだった。クラスには自治会担当(会長)もいる。レク担当もいた。授業もクラスか社会科(7組から10組)で構成された。いつも一緒だった覚えがある。毎年夏にクラスで旅行した。新島、尾瀬などに行く。部活動もたくさんあり同好会もたくさんあった。2年で小金井祭(大学祭)の実行委員長となる・異例のことである。常任実行委員14名、その中には3年生も4年生もいた。1年生からやっていた福井と埼玉の友人とは今も親交が深い。9月を過ぎると昼夜を問わず実行委員会室で会議をした。授業はさぼらず寝ていても必ず出席した。小学校課程を取得するために。五教科をはじめ美術、音楽、体育、技術の授業も取る・図書館の司書教諭の免許も3年の時に取得する。障害者の支援にも意欲的であと数単位で、資格を取れるところまで来ている。いろいろな人と出会った。いろいろな経験をした。ドイツ史を専攻しナチスドイツの文化闘争の卒論を書く。さまざまセクトの学生運動家と親交を持ち、他の大学の学園祭の実行委員長からも特別に招待状をもらい9月以降の都内の学園祭に来賓として参加する。2000人の学生の前で話をし、多くの違った考えを持つ団体との仲裁にあたった。3日ぐらい寝なくても大丈夫であった。下宿に帰らない日々も続く。現実の厳しさに酒のおぼれ、旅行という形で逃げたこともあった。それでも「畜生」と口ぶるをかみしめながらまた多忙な生活を送る。毎日人と会い、毎日議論し、毎日新しい経験をした。密度の濃い4年間であった。旅行、映画、登山、出会い、学生運動、学園祭、勉強・・・4年の最後の3ヶ月。毎日いろんな人と飲み会をする。多くの人に誘われた。1時間1分も惜しかった毎日である。教育実習は学芸大学の付属小学校、中学校、そして新宿区の桃園小学校で行った。3回だ。約3週間の実習がいい思い出である。全国を貧乏旅行し、天井がくるくるまわるくらい酒を飲んだ。宴会から逃れるため、旅行したこともある。体が3つくらいほしかった。
2007年06月08日
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午後6:12分区立の中学校の勤務を終え帰宅途中の小山英樹さん(47歳)が下落合のマンションに着く。そのあとすぐに着替えて西武新宿線で新宿へ向かう。大学の時の同窓会が新宿のサンパークであるのです。このサンパークは大学時代からお世話になった。新宿へ行くと必ずと言っていいほどここで食事をした。喫茶店もあって時間をつぶすこともできた。1階はたしか安売りのスーパーだったような気がする。小山さん少しわくわくする。駅の近くには学生援護会があり、その日その日のアルバイトを大学生に提供している。私も大学の3,4年のころはここでアルバイトを探して、日銭を稼いだ。(言い方はこの方がいい) ふと昔を振り返る。3歳の頃子どものいない父の実弟の養子として新宿で暮らした小山さん。福井県福井市で1959年に生まれる。やさしい新しい両親のもと何不自由なく毎日を過ごす。しかし都立富士高等学校2年生の時にとんでもないことが起きる。貿易関係就いていた父は、その時ちょうど母との30周年の結婚記念日に当たると言うことで、2人で休暇もかねてパキスタンのカラチに向かう。綿花の買い付けを担当していた父は、そこで大量の綿花の買い付けを行うはずだった。ビーマンパキスタン航空のあの事故は、今でも航空界最大の事故の1つとなっている。22年前のことだ。日本からカラチに向かう直行便が、地図で見てわかるように、中国上空を抜け、高度10000mを順調にカラチに向け最短距離を進んでいた。乗客205名乗務員15名。イスラマバードの航空監視センターのレーダーからその機影が消えたのは午後6時23分(現地時間)日本時間・・午後10時23分である。すぐにアメリカ軍南西アジア艦隊から探査専用の軍用機が発進する。ソビエト側からも最新鋭のミグが現在のカザフスタンから緊急発進をする。イスラマバードの監視センターに日本大使館の担当官が着いたのは6時35分。「今の現状は?」すでに監視センターに来ていた江藤道夫さん。パキスタン国防省に勤務し、国防省の青年幹部候補生を教育する立場にあった。「たぶん高度調整を間違ったものだと思います」「どういうことだ」防衛担当官臼井重信氏は、自分でもだいたい予想はつくがあえて冷静を保つために若い江藤さんに状況を聞く。「結論から言うと、エベレストにぶつかったのです」「何!」「中国上空を飛んでいたビーマンパキスタン航空203号機は、世界の屋根を通過中にコンピュータの誤作動で3分早く高度を下げてしまったのです。8000m級の山々が連なるヒマラヤ山脈。通過時の高度は10000m、真下にヒマラヤ山系を見れるコースはこの会社の売り物でした。通過後すぐに高度を7500Mに下げるのです。3分後にね。それが3分前に高度が下がってしまったのです。そして・・・」「日本人は?」「成田に問い合わせていいます。未確認ですが、カラチの空港で待っている現地スタッフからの情報で東京の新宿にある住友商事の子会社 杉野商事の社長夫妻が乗っていたとの確かな情報があります・これがパスポートの写しです。「本当か?」「残念です」 その後会社が倒産したあと、下落合のアパートを借りて、なき父母の供養をしながら受験勉強に励む。「福井に帰ってこいよ」という実の父からの電話に「お父さん達の墓のそばで暮らします」その元気な実の父が高校3年の夏に脳梗塞で倒れる。下半身不随。さらに10歳年が違う兄が父の会社の資金を無断で先物取引につぎ込み、シカゴの穀物市場の大暴落の際に一切の資金をなくす。アメリカのボストン大学で経営学を学び修士課程を修了し博士号まで取得して自慢の長男はその後行方不明となる。資金繰りがどうしようもなくなた時、150年続いた老舗の蟹問屋は、人の手に移った。母親は、取引先だった蟹市場 福井中央店の店長に迎え入れてくれたのがせめてもの救いである。英樹さんもと誘われたが独立したい気持ちがあり、大学に進む。奨学金でアパートの家賃を払い、あとはアルバイトで生活費を稼ぐ。彼は武蔵小金井にある東京学芸大学社会科に進む。受験番号1075番を見つけてたのは、桜咲き誇る昭和52年4月2日であった。彼は47歳に到るまで次のような経歴を持っている。成長の記録を彼のホームページから探すことができた。1959年2月23日生まれ 皇族浩宮と1年違い。父 小山五郎 母 小山千鶴子妹 裕美子 現在 千葉県富里に住む。子供2人 夫は役場勤務弟 仁史 現在 東京都多摩市に住む。子供2人 室内コーディネーターの仕事月光寺学園付属幼稚園入園新宿区立吉田第一小学校新宿区立下吉田中学校富士高等学校東京学芸大学社会科学部に入学教員歴は新採用は新宿落合二中 2年3組 都教研リポーター 3年1組 生徒間顧問 バレー部顧問 都教研リポーター新宿西岡中1年1組(主任兼任、体育主任、生徒指導) 都教研リポーター 2年1組(主任兼任、体育主任、生徒指導) 都教研リポーター 3年1組(主任兼任、体育主任、生徒指導、生徒会顧問)都教研リポーター港区立湖南中学校 3年5組 バレー部顧問 関東大会出場 都教研リポーター以後現在まで すべてリポーター 3年3組 組合 青年部支部副部長 全国教研参加 東京 1年1組 青年部湖畔班副班長 全国教研参加 盛岡 教師の力量を高める大会参加(群馬) 2年1組 青年部湖畔班長 この年結婚 24才乙部初音 進路指導研究関東大会 3年6組生徒会顧問 この年娘 生まれる新宿区立吉田中学校 2年1組 この年 息子 生まれる 3年1組 韓国教師との交流会 1年1組 視聴覚教育関東大会 バングラデシュ教師との交流会 全国教研 秋田司会 2年1組 日中平和教育団視察参加 全国教研 神戸司会 3年1組 北方領土視察山梨代表スリランカコッテ日本人学校 3年生 スリランカ オーストラリア タイ マレーシア 3年生 教頭 ニュージーランド シンガポール オーストラリア 中学1.2年生 教頭帰国後 新宿区立吉田中学校勤務 1年主任 全国教研 社会リポーター 金沢大会 2年主任 国際理解教育研究大会全国大会参加 3年主任 国際理解教育関東大会(東京大会)研究部主任 新宿区立明見中学校勤務 1年主任 全国教研司会 奈良大会 2年主任 全国教研司会 さいたま大会 アメリカコロラドスプリング ス派遣団長 生徒指導 3年主任 全国教研司会 北海道大会 1年主任(現在)生徒指導東京都専門事務局長「教育研究」こそ教師に当局が介入できないところだな。労働運動にたずさわってきた小山さん。あそこにはお世話になった「学生援護会」の看板を見ながらつぶやいた。
2007年06月07日
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24時間以内に・・・という要求の1つ身代金については日本国政府がケイマン諸島の特別名義の口座に送金された。その所から犯人の目星をと考えたが、複雑な金融体系をうまく使った誘拐犯は数時間後150万$を手にする。トランク一杯になる紙幣を約30の金融機関からほぼ同時に引き落とす。それだけ国内にはシンパ、仲間がいると言っていい。アメリカとメキシコの国境近くにある町に、誘拐された彼女らはいた。オレンジへ農薬散布する軽飛行機で運ばれてきた。大事な人質なので危害は与えないとの指令だが、24時間という期限があと5時間でやってくることとすでに2人殺していると言うことで犯人も「こいつらも・・・」と密かに話しているのを3人は聞いていた。そのころCIAの情報部員から特定された地域を指定してきた。見かけないメキシコ人が東洋人を連れているとのことである。なぜわかったかというと犯人の目星をつけたCIAが通信衛星を駆使して、彼の持つクレジットカードが使用された場所を瞬時に見つけたことと、携帯電話の傍受である。期限間まであと1時間を切ったとき、農家の馬小屋に監禁されていた3人を無事救助し、納屋で本部と通信をとっていたテロリストたちを逮捕した。逮捕時に青酸カリのカプセルを飲もうとしたが、一歩手前で取り上げることができた。パソコンの押収にも成功し、メキシコ有数のテロ組織の全貌が明らかになり。その後、壊滅的打撃を与えることに成功した。その時に陣頭指揮を執っていた一人が五条さんであった。その後交際が続き結婚まで考えた二人だったが仕事柄いつ命を失うかという状況にいつもある五条さんは、結婚を考えずこのままの状態で行こうとメキシコの空港で切り出した。1年あまりの調査を終えて帰国の途につく新谷さんは当然なんらかのアプローチをしてくると思い心待ちにしてた。「今度日本に帰国するのはずっと先だと思う、この先この中南米の国にいて日本人を守る仕事に就く結婚のことは考えていない、許してくれ」この1年間の楽しい思いが一瞬にして瓦解した。同行していた教授も「この子のことをどう思っているんだ、弄んだだけでポイか」いつもは冷静な教授もこのときばかりはおさえきれなかった。メキシカン空港のジャンボが、見えなくなるまで彼は見送り続けた。その後の10年間。コロンビアのメレジンカルテルの壊滅作戦に関わり、ペルーの日本大使館立てこもり事件にも関わる。さらに情勢が不安なアルゼンチンなどでは、CIAと共に日本の企業のトップの護衛にあたる。日本からの国会議員の視察があると必ず、いつでも体を張れるところにいた。そのシーンを何度もテレビで見ていた斎籐さん。「待つ」つもりでいたが親の薦めもあって断れずに28歳の時に結婚した。午後5時59分二人は再会した。「じゃ行こうか」明日のフライト時間まで2人話し続けた。 夕日が沈む。いよいよ夜の到来だ。6:00が始まる。
2007年06月06日
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メキシコの日本大使館は誘拐に対して特別チームを編成した。各国の情報機関にも協力を求めた。ロシアの秘密機関も「あなた方が白い得ない情報があります」と言ってきた。崩壊したソビエト連邦は多くの民族が寄り集まってできた大国である。力でねじ伏せ、従わせようとしたスターリンの時代に多くの民族は強制移住させられたり、投獄させられたりした。今世界でもテロリストを多く輩出しているチェチェンでも、そのことを起きた、少数のロシア人を優遇し、先祖以来の土地を追われたチェチェン人の憎しみはその時から始まる。記憶に新しい、北オセチアで起きた。学校占拠事件。モスクワでの劇場立てこもり事件。などはいずれもチェチェンの独立を要求したものである。その時に情報を集めるのがKGBである。秘密警察である。これはナチスドイツの秘密警察ゲシュタボを模範としていると聞く。アメリカのCIAに唯一対抗できる組織として現在に至っているがソビエト崩壊後は表にはあまり出てきていない。独裁国家を支えるのはこういった秘密警察の情報収集能力である。反対派、反政府組織などの情報をいち早く入手し、非合法的に逮捕監禁できる権利を持っている秘密警察の横暴ぶりはつとに有名である。イギリス、フランス、イタリアなどにも情報機関がある。しかし、まわりを全て敵国に囲まれていると言っていいアラブの敵イスラエルの情報機関「モサド」は、その全貌さえも明らかにされない。その機関イスラエルを支える重要な機関だ。ユダヤ人の「大虐殺」ホロコーストに関わったナチスの高官を遠くアルゼンチンで拉致し、法廷で死罪を言い渡し、即刻処刑したこともモサドのやったこと。アメリカをアラブ側の「石油」という軍事的道具から引き離し、アラブの敵イスラエルの同盟国としていることに全精力を使って日々暗躍しているのは紛れもなく「モサド」である。世界各国にその情報網を広げユダヤ資本から莫大な資金を得ているモサドは今日もイスラエルを敵と考える全ての組織に目を光らせているのである。DVDで25巻全て見たアニメ「モンスター」は旧東ドイツの秘密警察が計画的に子どもを作り、洗脳し、国家のために動く人間をつくりあげていくのだが、その中で人の心も読みとり、恐怖を埋めつけていくと言
2007年06月05日
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長引くベトナム戦争に国内の世論は疑問を持ちかけ、ソ連によるキューバの共産化、さらにアメリカののど元であるその国に、ミサイル配備がされているという事態を打開するために司法長官の弟とアメリカの情報担当は苦渋に立たされる。映画13ディズは、決断に追い込まれるケネディ大統領、司法長官ロバート、ケビンコスナー扮する情報担当の心の葛藤、大統領としての責務、思い重圧、軍部からの突き上げ、軍部と密着した軍事産業界の思惑。全ては一人のアメリカの、いや世界一の権力者である大統領の手にゆだねられている。彼はキューバのカストロ政権転覆を謀ったCIAの「ビックス湾事件」の事で真っ向からCIAとぶつかる。内容は革命キューバ政府の大して、現地のキューバ人を集め、即席の軍隊を作るためにCIAの秘密工作員が潜入し、軍事訓練を行っていたのをカストロが察知し、軍隊を全滅させようとしたところで、CIAは、キューバのビックス湾に海軍を派遣し、救出しようと大統領に要請したが「CIAの独断で決めた件については許可出来ない」として、許可しなかった。そのことが互いの間に大きな亀裂を作った。さらに、黒人への差別撤廃、ベトナム戦争の終結をにらんだ縮小化、つまり軍事費の削減なども堂々と行った。ダラスで倒れたとき黒人は「あんないい人が」差別主義者は「黒人を甘やかせた」と毒づいた。ダラスのバーでその事件を知った軍の判事は、その後も暗殺事件を追い、再調査に再調査を重ね。事実に近づくと、不自然に死んでいく重要参考人。さらに、そのケネディのあとを引き継いだジョンソン副大統領は「ベトナム戦争」に軍事費をつぎ込み軍事産業を潤した。また、国内の反対勢力に対しても、一斉に人権を無視して逮捕拘留するという動きを見せた。まさにケネディが邪魔だったものが諸手をあげて喜んだ。その後ご存じのように小国ベトナムに破れ、多くの戦争後遺症を持つ人が帰国後、犯罪に染まったり、自宅へ引きこもったりして社会問題を起こす。シルベスタースターローンのシリーズ「ランボー」でも、ベトナム戦争帰還者への白い目が鮮明に描かれている。CIAはその後も、世界の共産化を恐れ、また企業の利潤つながる件についても、何らかの形で関わっているということをよく聞く。イラクへの攻撃に際しても最前線で情報を収集したことは有名である。
2007年06月04日
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その斎藤さんのグループが、人里離れた、密林の中で遺跡を調査してたとき、反政府テロリスト「マヤ解放の虎」に誘拐される。5人のグループで調査していた。反抗したメキシコ人の学生2人はその場で射殺される。あとの3人は、日本人である。大学の教授1名、学生は3年生ひとりと彼女である。すぐに要求のメールが届く。「メキシコ、メヒコ刑務所にいる、同士2人の即刻釈放、さらに海外逃亡のための車と飛行機を24時間以内に準備、またすでに使われている紙幣をドルで150万$をケイマン諸島の次の口座に24時間以内に送金。警察を呼んでもかまわないが、それは死者は増えることを意味する。」明快な文章、ぬかりない脅迫、「手慣れた奴らだ」日本大使館に防衛庁から派遣されていた五条さんはさっそく本国との情報をほ交換しながら指示を待つ。「人質はVIPである。時期ノーベル賞候補の城島教授だ、150万$は政府が出す。即刻救出チームを編成すること」さらに「メキシコ政府との交渉は、大使に一任する。アメリカのCIAについては内閣調査局の来生が、すぐに現地へ飛ぶ」 南米ではこのところ構造不況が深刻化し、現政権のアメリカ寄りの政策に国民が嫌気がさしてきた。中南米の小国ニカラグア、エルサルバドルではかつての軍事政権が復活する兆しが見えてきた。映画「遙かなるサルバドール」でのあの凄惨な虐殺も南部の密林地帯でまた起きていると聞く。アメリカンフルーツという巨大な会社がある。中南米のバナナをほとんど独占しているといってもいい。企業が政府の転覆をしてしまうこともある。またCIAもアメリカの政策に反対の儀を唱える政治家は資金を出して、対抗馬を出し、買収などを平然と行わせ、傀儡政権を維持するとも言われている。アイルランド系の初めての大統領ケネディは、ダラスで暗殺される前、CIAやFBIの内部捜査を行い上官を片っ端から左遷したことで有名だ。彼の演説で国民に向かって「今必要なことは国があなたたちに何をしてあげるのでなく、あななたちが国のために何ができるか・・という考えなのだ」だい
2007年06月02日
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5:40分都心の駅はものすごい人です。西武新宿駅 本川越発の準急が駅に滑り込んでくる。各駅停車より20分も早く着く列車はいつも混んでいる。さかのぼること40分、5時の本川越の駅。川越の商家に生まれた新谷さん、この列車に乗らないと、大変なことになる。「すみません」「すみません」と人混みの中を分け入る。大学時代の友人が海外の勤務を終え久しぶりに日本へ帰国する。明日成田からまた30時間かけて南米に旅立つ。昨日晩メールが来た「会えるか」。新谷里佳さん38歳。子どもも2人。一番上は川越女子高付属小学校に通っている。かつて自分が全てを捧げた人が1週間だけ日本にもどる。独身の彼は実家の品川で3日間過ごし、再渡航に必要ないろいろな手続きをするのにの準備で3日間をかける。今日は最後の晩である。「6時まで待つ」列車の到着時刻は5時48分。祈る気持ちでいつも会っていた場所へ、「友人なんかじゃない」とつぶやきながらベンチにに座り込む。キヨスクでコーヒーを買い飲んで彼はそのまま改札口に向かおうとしていた。「清彦さん」10年ぶりである。「おお、里佳か」・・・・10年の時間が一瞬で流れる。 大使館に勤務を初めて頃のこと、メキシコの大使館だった。その時、五条清彦さんは25歳。メキシコの古代文明の研究で留学していた、斎籐さん(現在新谷さん)彼女は3つ下の22歳。大学4年生。
2007年06月01日
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