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命がけで 平成4年 南米ペルーの首都リマ。日本大使公邸。天皇の誕生祝賀会。広い公邸にはペルー政府関係者。在ペルーの各国の関係者。ペルーを中心として南米で活動している企業戦士。その当時は企業戦士という言葉がふさわしいほど家庭や家族をかえりみず世界の果てまでいって日本製品の売込みに奔走していた人たちがいた。午後12月17日 夜8時23分 突然耳を劈く破壊音。公邸の大きな外壁が爆破され、南米でも恐れられていたテロ組織MRTA(ツバクアマル革命運動)の首謀者とそのハイか16名が乱入し、瞬く間に公邸を占拠し、およそ600人の人質をとり立てこもった。要求は刑務所にいる400人の仲間の釈放である。ペルー政府はそれを拒否した。そうして127日間の監禁生活が始まる。その後釈放はあったが。74人が人質として取り残された。季節は夏。その暑さは尋常ではなかった。ペルー軍により電気は停められた、10条あまりの部屋に13人のサラリーマンが押し込められた。靴を枕にして床にそのまま寝た。極度の緊張やストレスが襲った。「もうだめかもしれない」という恐怖が体を蝕んだ。持病のぜんそくをもつ岩本さん(トーメン)は何度もの発作で苦しんだ。クスリは持ち合わせていなかった。丸紅の斉藤さんはテレビカメラに銃を突きつけられているシーンが日本に流れた。13人の家族はどんな気持ちで127日間を過したのであろう。刻々と時間がたつ。途中ペルー軍が敷設したトンネルが発覚。ゲリラは激怒し発砲する「見せしめにだれかが殺される」といった噂が流れた。死刑執行を待つ囚人がもつ絶望的な恐怖が生きる力をしだいにそいでいった。そんな時岩本さんが話し始めた「此処を無事に出てアンデスの山々のもとで思いっきり。新鮮な空気を吸うんだ」最年長の滝さん(松下電器)3ヵ月後に長女の結婚四季があるんだ。「こんなことで死ぬことはできない」その思いが13人の心をつないだ。 数が月後ゲリラ側は人質に手紙を渡すことを許した。妻達が条件どおりスペイン語で手紙を書く。その一通が滝さんの下に届いた・「明日4時にラジオを聴いてください」動き気力もなく横たわる滝さんの耳に「加藤登紀子の百万本のバラ」が届く。働き蜂の滝さんの唯一の趣味はカラオケ。そして唯一妻とデュエットできる曲がこの曲である。涙が結うタンを濡らす「生きてやる」と決意を新たにした。 日本政府は医療面のことを考え二本赤十字の歴戦の戦士6名を送る。何時どこから飛んでくるかもしれない銃弾におびえることなく。何も武装していない。防弾チョッキもつけない中立の立場を赤十字のレッドクロスが守る。リーダーのネストルセルバと直接交渉した医師。13人の部屋に行き、話し始めた「私はフセインにおわれ殺されるだけの運命にあったクルド人難民を助けに行きました。そこで出会ったホーシと結婚をし今和歌山で静かに暮らしています。「がんばれよ」「だいじょうぶ」という励ましがこういうときにはもうストレスとしか感じない。そして岩本さんには家族からぜんそくのクスリを預かってきた。滝さんには新品の靴が届けられた。 「よおおし、生き抜くぞ」と誰もが真剣に思った一瞬であった。 平成9年4月22日午後3時22分。爆破と同時にペルー軍が強行突入した。人質の部屋に炎が上がる。外で見ていた妻が悲鳴をあげる。炎があがった部屋を出ないと焼け死ぬ。13人は渾身の力で頑丈な戸に当る。1回2回3回・・びくともしないでも続けるそして空いた。すぐにベランダに行きそこから4M下に躊躇せず飛び降りた。滝さんは、逃げる途中でまた部屋に戻り妻からの靴を履いて飛び降りた。その瞬間部屋は爆破のように炎外にあげた。ガラスの破片の上に飛び降りた滝さんを救ったのは靴であった。「私を命がけで助けてくれたんです」と妻に言う。「生きていてよかった」と妻は言う。
2009年09月26日
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3歳の娘突然亡くなった。何もかもがいやになり毎日毎日まだ一冊にもならないアルバムを見続けた。娘のサキが好きなおもちゃ売り場を毎日まわってサキを探した。家にいると娘のことを思い出すからおもちゃ屋で働くことにした。子ども目線って知っていますか。大人を見上げるように見る視線。同じように3歳のこは60センチぐらいな視線で見る そうするとまるでおもちゃ屋が宇宙のように広く高く大きく見える。私もサキの視線でそこにくる子どもたちに話した。子どもの気持ちが手に取るようにわかった。でもサキはいない。だから3歳より大きくならない。私も4歳からの子の気持ちがわからない。私は言う「じゃあ心の中で大きくなるサキさんを思い出しながら生きていくのは・・」
2009年09月25日
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御殿場駅 北口の送迎者駐車場に車を置いて、御殿場駅前を歩く。秋の寒さが少し感じられる午後2時40分。山中湖より10度くらい違うような気がする。半そで短パンでも全然大丈夫。この駅の周辺はそんなににぎやかではない。車社会を象徴しているかのように、246の方に店が集中している。それでも駅前の活性化をはかろうと、市の出張所もあるし、交番もしっかりある。全国展開している安い理容室もある。でもなんだか居酒屋が目立っていた。その大きな居酒屋の間の路地を偶然入っていくと。2軒の飲み屋があった。「この時間じゃあ・・」とのぞいてみるとお客がいて焼酎を飲んでいた。店主も赤ら顔で焼き鳥を焼いている。写真からすると「丸安」さんと「松ちゃん」である。この2軒だけがなんだかにぎやかだった。後姿だがスーツを着た人が何かしゃべって店主がうなずいていた。客が5人ぐらい入れば一杯になる店が2軒並んでいる。平日のこの時間から飲んでいるのである。何かいろんな事を感じてしまう。酒でも飲まないとやっていられない。でも一人では嫌だ。でもそれ以上にお金がない。安いところで安い焼酎と安い焼き鳥で過ごす時間。話題もさぞかし安めのやつかもしれない。でも民社党政権のことを言っているのかもしれない、自分に関係のある年金問題や失業者雇用の問題かもしれない。こうしてここで飲めているうちはまだいいかもしれない。金がなくなったらどうするのかも考えたくない時間を誰もが望んでいる。妻も子どもも妻の実家に帰った。もう3ヶ月も音信がない。製造関係の派遣を打ち切られてもう半年になる。失業保険でようやく食いつないでいる。「毎日来れたらいいねえ。週に一回今日だけだよ」小遣い程度しかならない仕事を月曜日から木曜日までして、金曜日が休み。土日はどこも行かないで寝ている「手元に残るのは5日働いていろいろ払って5000円くらい。この時間で5000全部使って飲んでしまうのさ」ニコニコして焼き鳥を焼く松雄さん「これでもいい方かもね。楽しみがあるんだからなあユウさん」こうして昼間から飲んで7時ごろアパートに戻り月曜日まで腹をすかせないように寝ているだけの生活が続く。「家族は大丈夫。実家で静かに生活している、俺も早く行きたいが・・なかなかそうも行かない。このまちで仕事がなくなったらもっと大きな町に行くか、山梨にでも行こうかななんて思っている。でも山梨寒いだろ。冬物はみんな質に入れちまったからな・・・」笑顔で話すユウさんの後姿は人生の荒波の中でこれからも翻弄されていくだろう。
2009年09月24日
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歩くこと 朝早く家を出ると必ず目にするのは「歩いている人」である。散歩でもあるけれど、同じような年の人が同じような格好をして歩いているところを見ると「健康」を少し意識した人とすぐわかる。人間40歳50歳と年を重ねてくると、それまでは「大丈夫健康健康」といって健康診断の数値が少し高くても「次は気をつけるよ」といった具合で実際に体に偏重がないし、食欲もあるし、風邪をひいても2日あればすぐ治る。健康なんて当たり前で、そんなに気にすることはないと鷹をくくっているとある日の健康診断で「これはまずいですね」と数値の異常が医師の目にとまる。「身長の割りには体重がある。わかりますか?」「つまり肥満ですね」「そう。その肥満は数値に出てくるんですよ」「どの」「これとこれとこれ」と三箇所さした。もちろん赤い数字で出ている。「中性脂肪でしょまず」「中性脂肪・・」「そうこれはねええ・・・」2分間説明がある。要するに内臓に脂肪がつていて、それが肥満の元になっている・・・「それだけではないですよ」「ここ」「これ」「そうそれ」「血糖値?」「血液中の血糖の値」「これは栄養」「そう栄養です」「これは適正に血液を流れていれば問題ない。流れていないと困るんですが・・」「はあ」「でも多すぎるといろいろなことが起きます」「どんな」「糖尿病になりかねません」「へえ」「いや。もうなっているかも空腹時で100を越えるとまずいですね」「空腹時」「そう体に栄養が回っていないとき。食べれば当然血糖値はあがらないと困ります」「はあ。君の場合は・・・」5分間説明があった。「遺伝も関係ありますが、やっぱり食べすぎ飲みすぎ肥りすぎですね問題は」「はあ」「テレビで血糖値の急な上昇を抑えるなんとか茶とかいっていませんか」「はい聞いた事あります」「この血糖値が高いままでいると。それ自体が糖尿病の恐れがあります」「はい・・その病気は」10分間の説明があった。合併症のところは詳しく説明があった・「ようするに適切なカロリー。自分に合った運動。ストレスをためない。暴飲暴食をさける・・てことが今あなたに必要です」「はい」 そういえば一時期。そう3年ぐらい前。食べた後ものすごくのどが渇いた。異常であった。一気に500MLのボトルを開けた覚えがる。あの年にドックにかかったのであろう。でも。体質改善というのは本人のまず自覚と覚悟でしょう。1 ビールをやめた2 食事に気を使ってもらった3 牛丼を食べるのを押さえた4 良く歩くようになった5 ストレスをためないようにプラス思考で動いた。値は345から95に下がった。次の年もぎりぎり大丈夫であった。所見から糖尿病高脂肪 の項目が消えた。肝機能が飛躍的によくなった。 これはどうも歩くことがいいのかもしれない。それも意識して。かなり連続で・・・初音のおかげもある。食事の量は減った。でもそれでも空腹が少しはなくなった。いいことである。動けば食べてもいい。肥らなければいいのである。しかし今から食欲の秋。どうしようと不安になるが・・食べたら歩く。歩いたら少し食べてもいい?ねえいい?
2009年09月24日
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連休中に富士急ハイランドへ来る人たちの車でものすごいラッシュです。特に河口湖インターから左斜線に入って、駐車場に向かう人に車で、インター出口から入口辺りまで車が動きません。こういうときには右斜線でいったん入口を通過し、その先の交差点で戻ってきて入るのが賢明です。役に立つといいですね。いよいよ明日連休最終日。
2009年09月22日
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すき屋のサイドメニュー研究牛皿 冷奴 とん汁 おんたま 納豆 キムチ のり マーボーナス オクラ やまかけビール(中瓶)明太マヨ うな皿 ごはん みぞ汁 玉子 サラダ おしんこ マヨネーズ 鮭 青ねぎ 高菜明太マヨ 辛口だて コチュジャンだれ 特うな皿 さて この中で一番カロリーが高いものはどれでしょう。もちろん特うな皿・・そう503カロリーです。牛丼皿の並は202 冷奴103とん汁 117 納豆111 キムチ 80 のり 27 マーボーナス 114オクラ32 やまかけ 33 ビール 210 ごはん 並 433 味噌汁42サラダ28 おしんこ12 マヨネーズ189 さけ112 青ねぎ9などである。ちなみに大盛りおしんこ玉子味噌汁セットはなんと954キロカロリーもある。ひえええ。 牛丼の種類キムチ牛丼 高菜明太牛丼 ねぎ玉牛丼 マーボーナス牛丼 茄子トマト牛丼 三種のチーズ牛丼 わさび山かけ牛丼 かつぶしオクラ牛丼 お好み牛玉丼 この中で一番カロリーがあるのは・・・871カロリーのお好み牛玉丼ではカレーはNEWスパイスカレー ハンバーグカレー チーズハンバーグカレー おん玉牛丼あいがけカレー おん玉カレー チーズハンバーグカレー 牛あいがけカレー・・この中で一番カロリーがあるのは・・チーズハンバーグカレー1002カロリーになります。丼まぐろたたき丼 ねぎマグロ明太マヨ丼 豚トロ角煮丼 つゆだくとりそぼろ丼 牛あいがけ五目丼 山かけまぐろたたき丼 まぐろユッケ丼 マーボーナス丼 五目あんかけ丼牛丼ライトこの中では一番は・・豚トロ角煮丼843ですね。朝食味噌汁ととん汁が変わるだけで。それぞれ納豆 鮭 生卵 海苔を巻く配置しているのである。味噌汁の朝食セット260円・・いいね。カロリーは約600です。いいですねこういうのを考えるのも。
2009年09月18日
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2009年09月16日
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やってみてわかることのほうが、やらないで想像することよりずっと気持がいい 守りたいものがあれば人は強くなれます攻めたいものがあれば人は誰かを頼ります自分の居場所があれば人は何にでもチャレンジするようになれます。
2009年09月15日
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私の家から20分ほどで山中湖に着きます。夏場でも涼しいこの避暑地はこの時期は寒いくらいです。それでも気持ちのいい風と森林浴は最高です。山中湖村役場を超えるとすぐに山中湖文学の森があります。ここの遊歩道は私の色んな経験の中でもトップクラスのいい遊歩道です。ひんやりした森の中はものすごく静です。木々に葉の間からは日が差し込み幻想的な光景を見せてくれます。一度言ってみてください。
2009年09月14日
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あわただしい毎日 いつも追いたてられてばかり・・・でもどうか 子どもと一緒にお日様の光を浴びたり 花の名前を覚えたり 星を眺めたりしてください そして優しい言葉だけの会話を楽しんでください ほんのちょっとの時間でいいですから
2009年09月11日
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築地魚河岸三代目1巻 築地へようこそ! <ブリ・カツオ・アジ・コハダ・カワハギ・イワシ> 2巻 くれっ面のフグ <タイ・イカ・フグ・数の子・ニシン> 3巻 江戸前の心 <ヒラメ・オヒョウ・アサリ・シタビラメ) 4巻 幸せな中食 <イサキ・クルマエビ・ハモ> 5巻 シシャモと呼ばれた魚 <サケ・ケイジ・シシャモ・キャペリン・タラ・ヒゲダラ・タコ> 6巻 カキ喰えば… <カキ・サヨリ・アイナメ・トビウオ> 7巻 尺アユの涙 <キス・アユ・サンマ> 8巻 アマダイの腕 <アマダイ・ヤガラ・キチジ・ズワイガニ> 9巻 旬の一品 <アンコウ・マナガツオ・トリガイ・メバル> 10巻 希望のウナギ <ウニ・スズキ・ウナギ・坂東太郎(ブランド名)> 11巻 手塩にかけた干物 <戻りガツオ・カマス・干物> 12巻 サワラぬ神に… <サワラ・養殖ブリ> 13巻 築地のおでん <おでん・マグロ・バカガイ・アナゴ> 14巻ごちそうのケガニ <ケガニ・カラスミ・ボラ・ホタテ・イタヤガイ・ガスエビ> 15巻 幻の養殖カレイ <アカムツ・カスゴ・カレイ・マツカワ> 16巻 溶けないウニ <カツオブシ・カナガシラ・塩水ウニ> 17巻 ブランドのイカ <壱岐剣(ブランド名)・サバ> 18巻 アラと…アラ? <アラ・クエ・冷凍マグロ・ハタハタ・イカの塩辛> 19巻 負け犬のマス? <マス・ハマグリ・キビナゴ・タチウオ> 20巻 山のトラフグ <ホッケ・アワビ・イセエビ・山のトラフグ> 21巻 ノルウェーのアプローチ <ノルウェーの水産業・ナメタガレイ・ウツボ> 22巻 海を守るロゴマーク <ホッケ・海洋管理協議会・サザエ> 23巻能登はやさしや <タカベ・ウメイロ・エビスダイ・能登の魚介類・魚の数え方> 24巻 勇気のイトヨリ <スルメイカ・秋サバ・イイダコ・イトヨリ> 25巻 ブリの誓い <ナマコ・ブリ・カサゴとウッカリカサゴ・シイラ> 26巻 巣立ちのガザミ <魚の「旨さ」とは?・ガザミ・粟国の塩(自然塩)とスク(アイゴの稚魚)> 27巻 コチの空似 <ヒラマサ・マゴチとメゴチ(ネズッポ)・イクラとマスコ(カラフトマスの卵)・キンメダイ>
2009年09月11日
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おはようございます。今日は何かやたらといい天気です。富士山がものすごくきれいに見えます。秋の空ですね。 毎日やる同じこと・・・をルーティングワークと言います。朝トイレに行く。新聞を読む散歩をする。紅茶を飲む。掃除をする。洗濯をする。などです。それを楽しくするのが楽しい毎日を送ることにつながります。新聞をたまにはいつも読んでいない新聞を読む。散歩もコースを変える。紅茶もグレードアップする。ミルクティーをレモンティーにする。散歩の時にデジカメで風景を撮る。この秋の風景フォトフレームに入れて玄関に飾る。
2009年09月10日
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今日もお疲れ様。本当はひとりでゆっくりしたい。何もかもすべて忘れて、自分のなじみの店に行って難しい仕事の話とか、上司の嫌味などを言わないで、なんか子供のころの話をしたい。アニメの話。テレビ番組の話で盛り上がりたい。そうした時間を1週間で1日くらいあれば人は幸せかもしれない。どうですか。今日あたり。
2009年09月09日
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凄い感じがこみ上げてきた 見るもの全てに驚きがある 空は雲ひとつない晴天で太陽の光が眩しいもし、それが夢だとしても私は驚かない 私がこの世に望むすべてのことが今、私の為に実現しようとしている 理由ははっきりしてる 貴方がここに居るから 貴方は私が今迄会った中で一番天国に近いものなの 世界の一番高い所から下界を見下ろして わかった 唯一の原因は貴方と出会ってからずっと気づいていたその愛 あなたの愛が私を天にも昇るような気持ちにしてくれる 風の中の何かが私の名前を覚えていてくれて、それが「物事は同じじゃないよ」と教えてくれる 木々の葉や、そよ風のにも私には満足な幸福感がある 私の心の中に一つ願いがある この日が終わった時でも 貴方と私の明日は、まさに今日と同じでありますように 貴方がここに居る時、貴方は私のものであって欲しくなる 世界の一番高いところから下界を見下ろして わかった唯一の原因は、貴方と出会ってからずっと気づいていたその愛 あなたの愛が私を天にも昇るような気持ちにしているのSuch a feelin's comin' over me There is wonder in most everything I see Not a cloud in the sky Got the sun in my eyes And I won't be surprised if it's a dream Everything I want the world to be Is now coming true especially for me And the reason is clear It's because you are here You're the nearest thing to heaven that I've seen I'm on the top of the world lookin' down on creation And the only explanation I can find Is the love that I've found ever since you've been around Your love's put me at the top of the world Something in the wind has learned my name And it's tellin' me that things are not the same In the leaves on the trees and the touch of the breeze There's a pleasin' sense of happiness for me There is only one wish on my mind When this day is through I hope that I will find That tomorrow will be just the same for you and me All I need will be mine if you are here I'm on the top of the world lookin' down on creation And the only explanation I can find Is the love that I've found ever since you've been around Your love's put me at the top of the world
2009年09月09日
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帰り道 甲府からの帰り道、久しぶりに精進湖線を通った。夕方の山々に霧がかかり、デジカメでとって此処がどこかときいてもわからないくらい深い山が連なっているのに改めて驚いた。「とうもろこし」というのぼりを立てて自分達の畑でとった「朝採り」を並べている。ドライバーが寄っては、お土産に買って行く。1ネット1000円というところが多い。7~8本入っている。一本120円~150円ってところである。 「ユウキ今日お願いがあるんじゃけど」「どうしたおばあちゃん」高校野球を寝転がって見ていた体を反転して聞いた「昨日から腰が痛くてなあ、どうも動けんのじゃ」と腰をさすって言う「それでな、今日とうもろこし売ってくれないかなあ」「ああ、ええよ」一つ返事で答えるユウキ「ありがとな、儲けはお前にやるから、たくさん売ってくれ」それを聞いて勇んで畑にぎに行く。とうもろこしは「朝」が一番甘みがあってうまいという。これは科学的にも証明されていることをユウキは「所さんの目がテン」で見ている。年よりは「そんなことどうでもいい、もろこしは朝って決まっている」と相手にしない。「よーし、今日は土曜日。天気もまあまあ。8本で1000円。よし今日は160本売ろう」と張り切って畑に行く。売り場は峠近くの空き地である。なかなか広くバスでも停まることができる。ネットを100あまり作った。そしてお客を待った。 ユウキは儲かったお金でおばあちゃんを腰痛のリハビリのため温泉に行かせたいのである。これまでに15000円は貯まっている。あと20000円あれば、東北の腰痛に効く温泉3泊4日のツアーに参加できるのである。小学校3年のとき。母親がガンで亡くなった。その後父親は酒に溺れて、最後はひどい死に方をした。5年のときであった。一人っ子のユウキは母方の祖母の家に最終的に(たらいまわしにされて)あずけられた。山の中の小さな村のその一番奥にある家。祖母は一生懸命になってユウキを育てた。教育とかがなんだということはわからない、でもこの子に幸せになってほしい。ただその一心で身を粉にして働いた。なんでもやった。人が嫌がる仕事も進んでやった。持病の腰痛を堪えてただひたすらユウキの笑顔を見たくて毎日を過ごした。「なあどっか遊び行こうぜ、こんな山中じゃあなんもおもしろくねえ」「ユウキどうだ彼女を誘ってディズニーランドいかねえか」「もろこしなんて売ってないで、他のカッコいいバイトしろよ」と仲間は言う。でもユウキは「オレいいよ」 「おいしそう」と家族が楽しそうな顔でいる。「父さんこれ買っておうちで食べようよ」「ありがとうございます」「おお、いいねこのトウモロコシ」買う前に中味を見ようと川をむしっているおやじ「あお・・それは」と困った顔したユウキ「おおにいちゃん」と突然顔つきが変わる。後ろでひかえていた人に緊張が走るのが感じた「こんなうめえもろこし始めてだ。このバカどもが今日に湖上祭りのもろこしを仕入れる数を間違えちまって」ひかえていた人の頭は下がりっぱなし「どうで100本売ってくれや。30000円でどうだ」目の前にもう札が出ている。「はい」とユウキに「おまえら誠意をしめさんか」テキヤのにいさんがいい声で「アリガトウゴアイマシタ!」 夜そのことを話すと大笑いで転げまわるおばあちゃんがいた。「おばあちゃん腰は」「ああ。あれ痛くないハハハ」一緒に笑い雅ながら「次は海外旅行かな」とユウキは笑った。
2009年09月08日
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いっそのこと 定時に家を出る。歩いて15分のところに駅がある。私鉄の各駅停車の停まる駅でもこの朝の時間は「ラッシュ」の称号を得ている。7時24分の上りに乗る。3つ目の駅で降りて、あずけてある自転車に乗って20分のところに仕事場がある。夏の終わり、夏休みボケがまだインフルエンザより蔓延しているけだるい日課を過している。相手は静かに聴いている。たまにうなずき、たまに言葉を発する。最小限の笑いと言葉でその相手をまた同じように静かにさせる。困ることもない、焦ることもない毎日が過ぎていく。「なんもしないとこれほど楽なのだろうか」と思う日もあったが今では懐かしくも感じる。与えられた仕事だけをきちんとこなし、権利と言う時間を守らせてもらい。同じ経路で家路に着く。 そんなある日のこと。珍しく寝坊をして、しかも雨が降っていることもあり、駅につく時間が5分遅れた。急行や特別快速を2本やり過ごすころには折りたたみの傘もカバンに入れることができた。7時43分の電車が入ってくる。同じ型の同じ音。すううっと開くドアに少し吸い込まれるようにして席を求めることもなく、電車に乗る。いつもいるところがだれかの居場所になっている。変わらないと思った景色もなんとなく新鮮に感じる。黄色い帽子をかぶった小学生が窓に体を向けてキャッキャしている。新聞をうまく折って読んでいる人もいる。真剣に椎名誠の本を読んでいる人もいる。宿題かな、必死に辞書を引きながら英文を訳している。降りるべき駅に着いた。ドアが開く。でも足が動かない。後ろからすみませんといって肩にぶつかりながら降りていく人がいる。何してんだよと振り返りながら降りていく人がいる「いっそのことこのまま行ってしまおうか」と脳裏をかすめる。小学生は外の景色に飽きたのか、反対側の席に行って何か話している。新聞を読みきったのか、ふうと声が聞こえたあと目を閉じてしまうおじさん。さっきからページが進まないのは寝ているのか、しおりが床に落ちる。振り返って駅の看板を確かめながら辞書をめくっている女子高校生。発射のベルが鳴る「いっそのことこのまま」と思い、持っているステンレスのバーを握り返す。その時だシオリが足元に舞うように飛んできた。それに気がついた小学生が席から飛び降りそれを取ろうとした。でも足が絡んで転びそうになったところを抱きかかえる「大丈夫」「うん」「お姉さん降りるの」「そうよ」「じゃあ」とよいしょという声鳴き声で床におろす。振り向いて閉まりかけたドアに身を入れて外に出る。その時に写った2コマの風景。新聞を見ながらニコッとこっちを見て笑うおじさん。シオリを小学生から受け取りぺこっと自分に向けて挨拶する女性。するりを抜けた体がホームの立つ。「さあ行くか」気を取り戻して歩き出す。改札を抜けいつもの自転車乗り場に行きペダルをこぐ。 こうして人は毎日毎日「今日は違うことをしよう」「今日は大胆なことをしよう」と思いながらもそれが朝になるとすうっと消えてしまう、覚えていてもいざぞの時になると出るのは冷や汗だけである。「いっそのこと」と言ってその行動に身を向けてしまうときもあるかもしれない、でも平凡の中に自分を見つけることが妙に歯がゆくて切なくて,冒険的な行動を起こしたい衝動が体をかけめくるが、そんなに簡単にはできない。だから人間、されど人間。自転車をこぐ、川辺の風が心地よく頬を伝う。「さあ、今日もやるか」
2009年09月08日
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いま会いたい人のところに帰りなさい。ではまた明日」。
2009年09月07日
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お父さんお父さんは若いときにお母さんを亡くし、私を一人で育ててきた。あんなに好きだったお酒を私の前では決して飲まなかった。でも、一人で近くの酒屋の横にある「立ち飲みや」でお酒を飲んでいる姿を見たときに。見てはいけないものを見てしまったような気がした。でも今はこう思う。一杯のお酒をググット飲む時間だけが自分の時間だったんだ。後の時間をすべて私にくれたんだ。ごめんねそんな風に思っていて。お父さん私のために好きなお酒も我慢して必死に育ててくれてありがとう。本当にありがとう。
2009年09月07日
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ライバルとはお互いがお互いをよい方向に進ませ、お互いに与え合いお互いにいいところを生かしあっていくもの雨が好き 心に降る雨ならもっと好き どんな青春にも一人は味気ない 雨が降り風が吹き太陽が身を焦がそうとも 一人でも友がいれば青春の季節は海のごとく花が咲く舞台は教室、観客は生徒、演者は先生 田尻が英語を教える相手は、中学生。「英語」という未知の世界に触れる生徒たちと向き合うとき、田尻はまず、「楽しませる」ことを大切にする。そのためには、あらゆる手を使う。ゲームやクイズ、歌や映画、そしてときには屋外での特別授業。巧みな話術と面白おかしい小道具、そして大げさなリアクションで生徒たちを盛り上げる田尻。その姿は、まるで大道芸人のよう。 しかし田尻の目的は、生徒を遊ばせることではない。授業を楽しませ、夢中にさせることで、慣れない英語を生徒たちの身近なものにしていく。田尻は言う。「英語を勉強することは苦い良薬みたいなもの。そこに楽しさという糖衣をまぶすことが先生の重要な役割だ」 田尻の授業の名物、個別に行う口答試験 子どもたちと一人ずつ対話する場面を意識的に作らなければ、彼らからの信頼を得ることはできない、と田尻は考える。しかし、一クラスの生徒はおよそ40人。どうやってその時間をねん出するか。 解決策として田尻が考え出したのは、1対1で行う口頭の小テスト。単語の発音や会話の練習、あるいは短いスピーチなど、生徒と1対1で向かい合ってテストをする。そのなかで会話を重ね、その子のやる気を引き出していく。数十回の小テストをクリアして実力がついた生徒を、田尻は「先生役」に指名して、ほかの生徒の小テストの相手を任せる。生徒同士での教え合いが始まるのだ。複数の「先生」を教室につくることで、田尻自身は、それまで面倒を見られなかった生徒と1対1で向き合うことができる。 信じて、待ち続けるのが田尻流「人間育成法」 田尻の仕事は、英語の知識を教えることだけはない。田尻が教えるのは、思春期の真っただ中に立つ生徒たち。子どもから大人へと成長していくこの時期の生徒たちと日々、接するなかで、田尻は授業を通して「大人になるための練習」を課す。 しかし田尻は、頭ごなしに生徒に「指導」することはしない。大切なのは、本人が気づくかどうかだと考えるからだ。それまでは、ただ待ち続け、生徒を信じ続ける。友だちとトラブルを起こしたときや本人が気落ちしたときこそが、機が熟したとき。そのとき初めて、田尻は動き出す。
2009年09月07日
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3歳の娘突然亡くなった。何もかもがいやになり毎日毎日まだ一冊にもならないアルバムを見続けた。娘のサキが好きなおもちゃ売り場を毎日まわってサキを探した。家にいると娘のことを思い出すからおもちゃ屋で働くことにした。子ども目線って知っていますか。大人を見上げるように見る視線。同じように3歳のこは60センチぐらいな視線で見る そうするとまるでおもちゃ屋が宇宙のように広く高く大きく見える。私もサキの視線でそこにくる子どもたちに話した。子どもの気持ちが手に取るようにわかった。でもサキはいない。だから3歳より大きくならない。私も4歳からの子の気持ちがわからない。私は言う「じゃあ心の中で大きくなるサキさんを思い出しながら生きていくのは・・」何時間でも患者と話す 治療の手立てがないと宣告された人々は、迫り来る死への恐怖や後悔の念など、さまざまな心の痛みを抱えている。田村は正面から向き合い、対話を通して、その心を解きほぐしていく。そして、心の奥に必ずあると信じる「希望」を見つけ出す手伝いをする。 「自分らしい生き方」を支えようと苦悩する田村 入院していた36歳の男性が、退院して再び抗がん剤治療に臨みたいと言い出した。この段階での治療は、効果よりも副作用で苦しむだけの可能性が高いと心配する田村たち。リスクを伝えたが、それでも男性の決意は固い。「その人が選んで決めた生き方を、貫いてほしい」。田村たちは、男性の選択を全力で支えると決めた。 花嫁の父を支える田村 4月下旬、56歳の男性が緊急入院してきた。肝臓にがんが転移し、急激に痛みが強くなっていた。男性の気力を支えていたのは、6月7日の娘の結婚式。しかし、医学的に見て、それより前に最期のときが来る可能性は高い。「せめて、花嫁衣装を着た娘と写真を撮ってはどうか」しかしこの提案を本人に伝えれば、結婚式までは生きられない事実をつきつけることにもなる。一方で、日に日に悪化していく病状。このままでは、手遅れになる。ぎりぎりの決断を迫られる田村。そのとき心に浮かんだのは、「心残さず、生ききる」という言葉だった。
2009年09月07日
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幸せな人生よ得な人生は同じなんでしょうか愛人として子供を生んだ。相手は国会議員 自身に子供はなく正妻は無くなった「大丈夫ユウキなに不自由なく育てます。あなたのように貧乏で教養が無く。何もとりえが無い母親に育てられてユウキは幸せになると思いますか」母親は新宿駅の緑の窓口の待合室のいる案内をする人の「ちょっとトイレ行ってきます」と下を向いて預けた。その後本家の人が迎えに来る。悩んだ「どんな顔だろう 子供を幸せにできる顔って 私のような教養の無い貧乏な女ではない・・でも」子供を抱きしめていた。「このお子さんは一度も泣きませんでした、だってお母さんが必ず迎えに来ると信じていましたから」「ユウキ」「ママ」親を信じきって子供は生まれてくる 親を信じきって泣き笑い大人になっていく幸福とはその過程と時間を言う。大人になって親になり、初めて幸福の意味を知る。弁当屋さん「いいよ奥で寝かせても、給料安いけど。子供は宝物さ、その子供がいるから生きて入れれるんだ」炊き出しはホームレスの人々との「出会い」の場 社会復帰への意欲があっても、自力ではい上がるのが極めて困難な状況にある、ホームレスの人々。奥田は、そんな“どん底”にあるホームレスの人々を、単に衣食住を失っただけではなく、家族などの人間関係、「絆(きずな)」をも失った人々だととらえる。奥田は、そんなふたつの困窮を抱えるホームレスの人々と、まず出会うことから支援を始める。 心の傷と向き合う 自立に向けて手厚い支援を行なう奥田たち。その根幹には、絆(きずな)を失った人々の「ホーム」になるという揺るぎない覚悟がある。奥田は「無理するな、楽するな」を信条に、相手をときに温かく包み込み、ときに厳しくしかる。そして、自立した後も関わり続ける。長い路上生活で心に傷をおっている人も少なくないが、家族のような関わりの中で、次第に前向きな気持ちを取り戻していくことができると、奥田は考える。 一緒に暮らしながら「その時」を待つ 多くのホームレスの人々と接し、自立へと導く奥田。しかし中には、一筋縄ではいかない人もいる。1月下旬、奥田はひとりの元ホームレスの男性を自宅へ迎え入れた。男性は去年いったんは自立をめざしたが、酒に酔ってたびたび問題を起こすなど、支援を裏切り続けてきたという。奥田は、そんな男性にひとつの提案をもちかける。まとまった金を渡し、ひとりで外出してもらうこと。じつは去年、男性はまとまった金を手に姿を消し、3日後に無一文で泥酔して発見されたことがあった。今回、無事に帰ってくることができれば、自立への大きな一歩となる。ひたすら待ち続ける奥田の胸の内には、どんな相手にでも関わり続けることで、いつか何かが変わるという、ひとつの希望がある
2009年09月07日
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私がハワイに移住したのは 12歳のとき 本当に貧しかった 毎日毎日サトウキビ畑で働いた。息子はハワイの子を嫁にもらった。娘はマリエ 私は死ぬまで英語は話せなかった。日本語しか話せなかった。ろくろく学校に言っていないので、漢字もかけなかった。申し越しで死ぬ。マリエがいう「オバアチャン ナニカホシカッタラ イッテ」私は日本の駄菓子がほしいといってしまった。神戸の港を出るときに、泣き叫ぶ息子にあんこ玉をやった。本当においしかった。だから・・・。英語だとかハワイだとか外国だとかサーフィンとかではない。本当に重いでは小さいころ駄菓子屋で買った子供がかえる唯一のお菓子だった。大瀧は常に一人一人の生徒の目を見て質問を投げかける 「お前の弱点はなんだ?」「あの生徒はどうしてそのポジションにいるのか?」大瀧は練習の際、徹底して生徒に質問をする。自分が答えを教えることは、極力しない。教師がすぐに答えを教えると、生徒は考える事をせず、身に付かないと考えているからだ。 その質問のしかたは、必ず一人一人の生徒に対して。全体に話しかけると、生徒たちは自分の問題としてとらえない事が多いからだ。一人一人の悩みを見つける事は時間がかかる。しかし、それでも心に届くように、大瀧は個別に話しかける。 大瀧は30年以上「商業」の授業を受け持ち、教室でも生徒を見つめる 大瀧は簿記や会計などの「商業」を担当する教師。高校サッカーの監督に体育教師や監督専門の人間が多い中、異色の存在だ。大瀧自らを監督ではなく、教師と位置づける。伝えるのは、サッカーの技術だけでない。服装やあいさつなど、人として当たり前の事を大瀧は大切にする。かつてはルールを破った主力選手をインターハイ予選で試合からはずしたこともあるという大瀧。ルール違反で勝っても意味はない。 勝つことより大事なことがたくさんあるという。 グラウンドでは、生徒同士が高め合うための声がいつも聞こえる チームの和が大切と言われることの多い中、大瀧は選手同士に、相手のミスを指摘し、本音で文句を言わせる。相手の悪いところを指摘し合わない限り、チームの力は上昇しない。問題をそのままにしないことこそが、相手に対する優しさだと考えている。 その厳しさゆえに、生徒同士のけんかやいざこざが起きる事もある。しかし大瀧は、選手それぞれが本気で練習に取り組み、意見をぶつかり合わせる方が友情も芽生えると考えている。 大瀧に背中を押され、悩む生徒が走り出した 壁にぶつかっている生徒たちは、思い悩み、答えを見いだせない事が多い。その際には、大瀧はあえて開き直らざるを得ない場面に追い込み、背中を押してみる。 大切なインターハイ予選中、生徒の一人が思い悩んでいた。大瀧は練習をほとんどしていない生徒をあえて実戦に放り込む決断をした。大切な公式戦で、試合勘が戻っていない生徒を使うのは大瀧にとっても賭けだ。 だが、がむしゃらにやればきっと何かがつかめると、大瀧は送り出す。
2009年09月07日
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2 親にとっては子供が夢 年老いても夢を追っていることぐらい幸せなことはありません。どこで野たれ死んでも 結構 この子がいるところが我が家 この子の夢が私の終の棲家。未来へ離陸する 女だって夢を見る 希望と不安に絶叫する 人は夢で生まれ変われる 老いも若きも 男も女も 夢へ離陸する 「ソムリエ」とは、ワインの知識に精通し、客がワインを選ぶ手助けをするエキスパートのこと。ただワインを飲むだけでなく、そこにソムリエの存在が必要なのは、なぜか・・・?佐藤は、ソムリエという仕事を、「森林ガイド」に例える。森を歩く時、一人でただ歩いているだけでは、豊かな自然をすべて味わい尽くすのは難しい。しかし、ガイドと一緒に森を歩いたらどうだろうか?こずえの陰で鳴く鳥のさえずりや季節の草花の移り変わり、珍しい動物や昆虫など・・・ガイドの案内によって、一人で歩いている時には気付かないような、自然の奥深さを満喫できる。ソムリエも、ワインという奥深い世界を案内するガイドだと、佐藤は言う。客にワインを出す時、佐藤は、産地に出向いて聞いた、作り手の話やその土地の特徴などを言い添え、客を楽しませる。佐藤は言う。「ソムリエの仕事は、ワインを語ることではない。ワインで人を幸せにすることだ」 佐藤が接客で最も大切にしていることは、客を観察し、客がどのような状態であるか把握すること。ワインを選ぶ時、ワインのことをどんなに知っていても、客のことを知らなければ、客の喜ぶワインは出せないと考えるからだ。佐藤は、接客の間、店内を歩き回り、客を観察し続ける。客の表情、顔色、服装、グラスの持ち方、そして客と交わす会話・・・全てがワイン選びのヒントになるのだ。ささやかな観察を積み重ねて初めて、客の笑顔に出会えるのだ。 一流と呼ばれるソムリエは、有名ホテルや高級レストランを活躍の場とすることが多い。しかし、佐藤は、自らが経営する客席22席のワインレストランで、毎晩ひとりで接客に立つ。日本チャンピォンという称号を得ながらも、毎日掃除やグラスふきまでひとりでこなす。そこには、ソムリエとしての目指す生き方がある。それを、佐藤は、ワインになぞらえて「熟成」と表現する。熟成とは、ワインがたるやタンク、瓶の中で、香りや味を深めていくこと。しかし、時がたてば必ず熟成するとは限らない。細菌が混入し「酸敗」と呼ばれる、酸味が強い状態になるワインもあるのだ。佐藤は、人の人生もワインと同じだと考える。日々、努力を続けていれば、いつか「熟成」になるかもしれない・・・その想いが、佐藤を支えている。 佐藤が、ソムリエとしてのさらなる熟成を目指して挑んだのが、今年5月、ギリシャで開かれた世界最優秀ソムリエコンクール。佐藤は、一昨年行われた日本大会で優勝、日本代表として、世界に挑んだ。佐藤はこの大会を、毎日店に立ち続けた経験が、どこまで世界に通用するか、試す場だと考えていた。本場ヨーロッパの強豪たちに、言葉も文化も違う日本人が挑む・・・その重圧の中で、佐藤は、20年間積み重ねた経験のすべてをぶつけた。大会の結果は、惜しくも決勝進出を逃したが、佐藤の顔に後悔はなかった。「何かが足りないから最後の4人に残れなかった。それは何かと考える方が、僕は性に合っているのかもしれない」・・・佐藤の熟成を目指す旅は終わらない。 。
2009年09月07日
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1 誰しも思う こんなうららかな日に ちょっと昼寝でもするように逝って見たいと思うときがあるでも。ふと気がつくと 今日の晩御飯何を食べたいのかを考えている自分がいる何が一番大切な権利か、活発に自分の考えを話す生徒たち 担任を持つ鹿嶋は、「学活」や「総合学習」の時間を使って、独自のクラス作りを行っている。生徒同士にコミュニケーションのきっかけを与える「エンカウンター」(構成的グループエンカウンター)と呼ばれる授業だ。もともとはアメリカで開発された考え方を、日本の教育心理学者・國分康孝氏が持ち込んだ。鹿嶋はそれを現場で実践した先駆者の一人だ。例えば、「愛し、愛される権利」「きれいな空気を吸う権利」「遊べる・休養できる時間を持つ権利」など鹿嶋が提示した10の権利のうち、何が一番大事かを生徒達に話し合わせる。6人ほどのグループに分かれ、それまで話をする機会の少なかった生徒同士も意見を交わす。大事にする権利も、その理由もそれぞれ違う。話し合うことで、互いの価値観を知り、関係が深まっていく。鹿嶋がこうした授業を取り入れる背景には、自身の教師生活の中で感じている「生徒の変化」がある。最近の生徒達は、コミュニケーションの力が落ちているというのだ。人付き合いが苦手で、ほっておくと、なかなかクラスメートと関わろうとしない生徒もいる。核家族化が進み、地域社会の結びつきが薄れている昨今、他人と関わる場として、学校の役割はますます大きくなっていると、鹿嶋は考えている。鹿嶋は、さまざまなエンカウンターのプログラムを駆使し、生徒同士を関わらせる。生徒一人一人が絆(きずな)の糸でつながっていれば、いじめや学級崩壊は起こりえない。生徒同士のネットワークが張り巡ったクラスを、鹿嶋は常に目指している。 苦しくとも、教壇に立ち続けた鹿嶋。胃潰瘍(かいよう)になり、給食も食べられなかったという 鹿嶋は4度目に転任した学校で、がけっぷちに立たされる。「うざいよ、ばばあ」「消えろよ」生徒達から浴びせられる辛辣(しんらつ)な言葉。授業中、生徒達が机の上を飛び回り、担当する理科の時間は、火のついたマッチが飛び交う。クラスは学級崩壊の状態にあった。鹿嶋が何度熱く語りかけても、生徒達はなかなか変わってくれない。それまで築き上げてきた教師としての自信を、鹿嶋は完全に失った。朝、出勤前に布団で泣き、休み時間にトイレに駆け込んで泣いた。このまま教師を続ければ、自分が壊れる・・・。「教師やめますか、人間やめますか」という言葉を自らに問いかけた。それでも、鹿嶋は、昔の同僚に背中をおされ、もう一度生徒と向き合うことに決める。そして生徒の心の扉を開けるために、一つの策を講じる。 2007年1月。鹿嶋にとって、勝負の3か月が始まった。担任する3年生、36人がいよいよ受験という人生最初の試練を迎える。鹿嶋は、去年の4月から8か月間かけ、生徒同士の関係を作り上げてきた。しかし、受験への緊張と不安、プレッシャーにおそわれ、他人のことが目に入らなくなる難しい時期だ。1月後半。私立高校の受験が始まり、合格した生徒が出始めると、他の生徒たちの不安が高まってきた。「自分は大丈夫なのか」という不安が頭をもたげてきたのだ。さらに推薦入試で不合格になった生徒も出た。ショックを引きずり、その後に控える一般入試の勉強も手につかない。大きな関門を前にした15歳の生徒たちは、不安に心を揺らしていた。鹿嶋は、この時期だからこそ、学べることがあると思っていた。それは、人と関わることの大切さ、仲間の温かさ。苦しい時期を仲間と一緒に乗り越えてこそ、そのことを実感できる。受験4日前、鹿嶋は最後の一手を打つ。それは、クラスの仲間同士で交わす握手だった。生徒たちは、握りあう手を通じて、気持ちを伝えあった。
2009年09月07日
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1 不幸をありがとう 命に無駄なものなど一つもない救うことのよって救われ 生かすことによって生かされるもし苦しさも不安もなかったら人生は味気ない生きる力は弱く 笑うことさえ忘れてしまうこかもしれない。横滑りする車の中で、加藤はこともなげにハンドルを切る。余裕がなければ、評価などできない。だから加藤は余裕にこだわる。 車の“乗り味”という目に見えないものを評価する加藤。その言葉はいつも感覚的だ。「車のトランク付近がカーブでひしゃげている気がする」、「タイヤの外側ではなく内側が仕事をしている感じだ」、「カーブの直前まで車が跳ねていて怖い」、それは、車体の剛性不足や微小な振動を検知した結果を、加藤が伝えたもの。精密機器ですら測定できない感触を、加藤だけが独特の言葉で語りうる。 加藤は「信じるのは自分の感覚だけ」と言い切る。その裏には、精密機器をも上回るほどに自分の感覚を鍛え上げてきたという揺るぎない自負がある。スピードメーターを見なくとも、車窓の流れから誤差1キロ以内でスピードを読み取る能力。振動のグラフに直せば線一本分の差を確実に指摘する能力。全身が比類のない精密センサー。だからこそ、加藤の言葉は、社内で「神の声」と呼ばれる。 ハンドルの切れ味、足回りの堅さ、ブレーキの感触。 「そんなことを言われても・・・」と誰もが思うことだろう。「できるなら誰だって余裕を持ちたい」と。加藤たちの仕事は、時速200キロで高速コーナーを駆け抜ける、文字通りの極限への挑戦だ。ハンドルの操作を数ミリ誤れば大事故につながる世界、そこでは「余裕」を保ち続けることは、文字通りの生命線でもある。 加藤は若き日、世界最難関のテストコースと呼ばれるドイツ・ニュルブルクリンクで、屈辱的な日々を過ごした。走ることで精一杯、評価する余裕など到底持てない日々。その中でもがき苦しみながら、加藤は極限ぎりぎりで余裕を残すコツをつかんだ。加藤のやり方はこうだ。まず、徹底的に自分に過剰な負荷をかける。サーキットで片足を上げたまま運転したり、シートにもたれずに200キロのコーナリングに挑戦したり・・・、無理なことに必死で食らいつく。その負荷を乗り越えてから、いつもの運転を試せば、その分が余裕になる。こうして鍛え上げてきた加藤は驚くなかれ、200キロの極限状況でも、指先だけでハンドルをさばくことができる。 修羅場を踏み続けて30年、追い込まれたとき、自らを奮い立たせる言葉がある。 今年3月13日。この秋にアメリカで発売する予定のスポーツセダンに、大問題が発生した。アメリカの現地法人が「もっと乗り味をすばしこく変えて欲しい」と注文をつけてきたのである。加藤たちが1年以上をかけて開発してきた車。その乗り味を変えるのは至難の業。しかしアメリカ側は、5時間後には改良された車に乗りたいと言う。 追い込まれた加藤たち。しかし「極限の中での余裕」が大切なのは、何も運転に限ったことではない、というのが加藤の考え。「追い込まれた」、「時間がない」、そんな時こそ加藤は笑ってみることを薦める。萎縮してしまっては本来の実力が出ない。まずは笑って余裕を見せてみる。そして「こんな逆境から成功できたらすごい」と成功した時のことを想像してみる。そして動き出す。 加藤は元来、極めてネガティブ思考の強い人間だ、という。いつも最悪の事態が頭をよぎるそうだ。だからこそ、その自分を支えるために、余裕を作ってきた。やせ我慢でもいい。内心で歯を食いしばっていてもいい。でもそれが顔に出てしまったら本当に追い込まれてしまう。この余裕は今、加藤の美学でもある。
2009年09月07日
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スタジオジプリのプロディユーサー 知る人ぞ知る鈴木敏夫さん。爆発大ヒット メガヒットを出した「千と千尋の神隠し」は日本映画史上 最高の観客動員数で304億を稼ぎ出した。歴代のベス5の4位がハウルの動く城 5位がもののけ姫である。宮崎さんを「作らせないような顔をして作らせる」「あおらないような顔をしてあおっている」彼の下では約1000人の人が働いている「いつのまにか引き込まれて、仕事に打ち込んでいる」本人は「仕事は祭りだ」まず自分が楽しまなきゃという。この鈴木マジックで多くの若者が育てられている。映画のキャッチコピーは3日ヶ月くらい考える。もののけ姫の時には「生きろ!」だった。平成不況でも人々は頑張る。それを応援した。「時代の空気をどう読むか」が腕の見せ所だと言う。次回作を待っている。
2009年09月06日
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浦沢直樹 20年間一本のペンで人間の複雑な表情を書き続けてきた。一本の線がうまく書けると無性にうれしい。自分の頭の中に描いた完璧なストーリーを紙に描く時にそれができない、自分の技術の未熟さに打ちのめされながらも、何度も納得のいくまで書き換える。まず真っ白の紙を前にして「ネーム」と呼ばれる作業が始まる。これが一番辛いところである。コマ割りを考え、おおまかな絵とセリフを入れる。漫画家の創造性がもっとも試される時である。全神経を集中する。この壁さえ突破すればあとは黄金の右腕がどんどんと動く。 彼は5歳の頃から絵が好きで新聞広告の裏にいつも絵を書いていた。小学生になると自分の自作のマンガを書いて皆を驚かせた。中学校の時に衝撃的な経験をした手塚治虫さんお「火の鳥」にであった。人間のおろかさ、きたなさを全面に出して生き続ける人間の壮大なドラマが迫力あるタッチで書かれていた「今でも越えることはできません。これからもそうでしょう。でもあの時があったから今があります」と言う彼は業界ではカリスマ的な存在になっている。彼の描く人間の表情は誰にも真似できないという。「天才」という名にふさわしくクオリティの高い作品を次々と生み出す。「YAWARA」は3000万部と言う大ヒット。その後の[HAPPY」「モンスター」「20世紀少年」などをあわせると1億冊の販売の記録を持っている。天才は往々にして「ドーダ」という面がありとっつきにくいところがあるが彼自身はきわめて誠実で素直で聞きわけがいい。どうしてという質問に「議論をしますよ、いいかわるいか、だめかどうか、でも正しいことは正しいんです、それをどうにかするとかなんてことにエネルギーを使うより、作品作りに没頭したいですね」創作の神様の前ではとても素直である。脳と右手が直結していい絵をかけたときには「マンガの神様が降りてきたんだ」と思うそうである。 YAWARAの大成功の後、今度は自分の書きたい「人間のもつ善と悪の二面性」に挑もうとした。でも読者はスポーツマンガを望んだ。妥協の末その中に自分の思いを書き込もうとしたが、それは読者から敬遠された。目黒のオフィスの一室にギターを弾く部屋がある。孤独を感じた時にそこに入る。ボブディランの映像を見ながらギターを弾く。60年台に入り、反戦フォークで若者の心をつかんだ彼が突然ロックを歌いだした。理解されなきままブーイングの中でツアーは決行された「あの時に自分が一人になっても信念を通すことの凄さを感じましたね、今私がすべきことを教えてくれますね」いよいよモンスターを書き始める、水を得た魚のように次々に人間の複雑な表情を作り上げる。その時には自分のその表情になるという。20年間毎日机に向かい、精神をすり減らした結果、体が悲鳴をあげた。人気作品20世紀少年が突然先に進まなくなった。リハビリは半年かかった。そして改めて筆を執った。中断したマンガが再出発するにはインパクトの強いもの、読者が望んでいるものから入るべきだというブレインの長崎さん。それに対して淡々と人物を追って行きたいという作者。いつもは議論がそんなに過激にならないのにその時はそうではなかった。それほど思い入れが大きかった。「質の高い作品を作り続けることの難しさ」「ハードルをたまには低くしたいという弱い人間としての自分の気持ち」その時にボブディランの言葉が浮んできた「心のまま行け、最後はきっとうまくいく」連載再開。圧倒的な支持。今は次の創作に意欲を燃やしている50歳になる。
2009年09月05日
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待っているよ 結婚5年目で妻を亡くす。肺がんと診断を受けてから3ヶ月で5歳の娘を残していなくなった驚きの方が大きかった。そして次々とどうしようもない悲しみが襲ってくる。病院でどんどん痩せていく母親を見ては娘が「どうしたの」と声をかける。娘が来る日は精一杯化粧をして、迎える。細い手があがらなくなっある日「ごめんね」と言い昏睡状態に入る。 1年が過ぎた。保育園の年長さんになったサキ。母親に顔がだんだんと似てくる。仕事はうまくいっているので経済的に問題はあまりないが、時間がない。サキを保育園の送るが迎えは妻の実家の母に頼むことが多い。実家といっても園から1時間はかかる。娘が亡くなったから気落ちをしていた両親はサキを面倒見ることだけが生きがいのようになっていた。会社を退職した義父と年金で悠々と暮らしていた。でも生活に張りがない。「サキを預かりましょうか、あなたはもう一度」という話も何度もあった。また1年が過ぎた。小学生に上がる年だ、ようやくといった感じがした。学校は楽しいらしく毎日元気に行く。同じ時間に家を出て、集団登校の待ち合わせの公園の所まで手をつないでいく。「サキちゃんおはよう」と声をかける友達は皆母親と一緒である。母親がなくなったことはサキには話をしてある。本人もあえて口に出しては言わないがそう理解している。母の日のことである。「ちょっとお話があるんですが」と担任の池谷先生から携帯に電話がかかる。時間が取れそうもないので駅前のスタバで翌朝待ち合わせをすることにした。 学校で作文を発表したそうだ。その時に「お父さんは会社で働いています。お母さんは家にいて私を待っていてくれます」と言ったときに悪気はないのだか近くにいた男の子が「おまえんところお母さん死んじゃったんだろ」と教室の後ろまで聞こえる声がした。「ああと」口を押さえるそのこの母親。ざわざわとした。機転を聞かしたのか池谷先生が「はい、みんなありがとう。じゃあ今日はクイズをしてあぞぼう」言った方も言われた方も気持ちはクイズのほうへ行ってしまった。「そうですか」「私はサキさんはお母さんが亡くなったことを自分の中で理解しないようにしているのでは」と心配そうに担任が言う。でも思い当たる節があった。サキは何をする時でも「お母さん見てる」「お母さん行ってくるよ」「お母さんただいま」「お母さん今日ねえ・・」とまるでその場に母親がいるように話しかけている。知らない人がいたら本当にそうなのかと勘違いしてしまうのではないかと思う。そのことを担任に話をすると「そうですか」と納得した顔で店を出て行った。「わからないかもしれないな」と思いもう一杯コーヒーを飲んだ。 夏休みは山梨の田舎に行くことになる。母親のお墓は此処にある。川崎のマンションから義父母がやってきた。自分には両親はいない。サキの生まれる前になくなっている。長野にある実家も人の手に渡り、此処だけが「フルサト」になる。山間の部落。「おおきいおばあちゃん」サキが呼ぶその先には曾おばあさん座っている。御年94になる。農家に嫁ぎ3人の子どもを育ててきた。初孫がサキの母親つまり私の妻だった。「おおきいおばあちゃん」とサキが頬ずりをする「良く来たなあ・・」娘の名前を言う「私サキだよ、でもいいや、お盆の時だけお母さんで」 青い空、白い雲、日本の夏って言う感じがするこの日。サキは猫のように縁側で寝ている。うちわで扇ぐおおきいおばあちゃん。「いいこだね、いいこだね」それを見ながら、迎え盆の支度が始まる。一区切りつく。大きなテーブルを囲み、おばさん、おじさんたちがそれぞれも近況を言う。最後に義理の父がこういった。「長男である私がこの家をもっと見なければならないとずっと思っている。でもまだこの年でも使ってくれる会社があるんだ。」とすまなそうに言う。2年前に定年を迎えたが、彼の人脈の凄さに会社は三顧の礼をもって再就職を頼みに来て、今は相談役となり一室を与えられている。「だからもうしばらく、母はひとり過ごすことになる」誰もが言いにくいことを言わなければならない年齢になった。2人の妹も「お兄さんの気持ちもわかるけど。大丈夫なのだいぶ「ぼけ」が進んでいるみたい」サキと娘を間違うくらいだからそう思うのもしかたがない。「お腹すいた」とサキが目をこすりながらおきてくる。「そうか、トウモロコシとりに行くか」「うん」2人で畑に行く。そこはおおきいおばああちゃんが一人で世話をしている畑である。トウモロコシが10本ぐらい。そのとなりの畝にジャガイモが植えらた後がある。キュウリとなすとトマトがたくさんなっている。インゲンも今年は豊作だ。「すごいね父さん」「ああ」そこへ人の気配がする「サキちゃん、茄子はこうやってとるんだよ、キュウリはねこのくらいの大きさがいいんだよ。お母さんもそうやって夏になると一緒にここでいろんな野菜をいたんだよ」ぼけてはいない。矍鑠とした足取りでサキに近づき話をしている。「お母さんやさしかったかい。お母さんいなくて寂しくないかい」 縁側に戻るとすでにビールが運べばれている「おお、サキちゃんたくさん採ったね」「うん」「このキュウリと茄子はね、お母さんを乗せてきてくれるんだって、このススキのここのところで鞍と足を作るんだよ。お母さんちょっと太っちょだったら、しっかりと足をつけないとね」「サキ・・」ビールを持つ手が止まる。枝豆を口の中に入れたまま黙り込む。子どもは皆知っている。何もかも知っている。その時だ。 「おいセイジ、ちょっくら川に行ってスイカもってこい。冷やしておいたぞ」「ナツミ、奥のお前の部屋だったところにいくつも瓶があるから、そう右から3番目瓶から、わしの特製の南蛮味噌持ってきてやれ。キュウリにつけて食べるとうまいぞ」「アキナ・・なにメソメソしている、お前は小さい頃から泣き虫だったなあ。こんな大男のところに嫁に行ったのだから少しは、治ったかと思ったが。そうそう旦那の会社は大変そうだけど。人間生きていくにはそんなに欲張らなくたっていい。困ったら此処へ来て百姓でもしろ、いい体しているんだから」 「お母さん」おおきなおばあちゃんのその大きな声。その笑顔。「セイジ 待っているよ」「ナツミ 大丈夫いつでも待っているよ」「アキナ 2人で何時でもおいで待っているよ」そして「サキちゃん。お母さんしばらく此処で預かるからね。いつでもおいで待っているから」 ヒグラシの声。盆踊りの囃子。母が着ていた浴衣姿のサキ。「おおきいおばあちゃん、寂しくなったらいつでも来てね、待っているよ」遠くで花火が上がった。
2009年09月02日
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