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忙しくてUPしてなかったのですが、26日サントリーホールで東京都交響楽団による第九のコンサートを聴いてきました。ラッキーなことにある所から券を4枚いただきまして息子夫婦と行ってきました最近年末に日本全国で第九のコンサートが定着し、暮れの風物詩となってますよね。私も地元で聴いたことがありますが、今回本格的な管弦楽団による全楽章を聴き、力強く荘厳な音楽に魅了されました「都響スペシャル」東京都管弦楽団 指揮/ゴロー・ベルク ソプラノ/澤畑恵美 メゾソプラノ/ 竹本節子 テノール/望月哲也 バリトン/成田博之合唱/二期会合唱団ベートーヴェン 「エグモント」序曲 作品84 交響曲第九番「合唱付き」 作品125第4楽章のフィナーレはコンダクターの烈しい動き、打楽器が華々しく打ち叩かれ地響きを感じるような速いテンポの演奏、ソリスト陣の高らかに響き渡る歌声と70人余りの合唱団との合唱、歓喜は最高潮に達しました客席からはブラボーの賛辞が投げかけられ拍手喝采、コンダクターと演奏者達が喜びを分かち合うシーンは感動的でした何度もカーテンコールに応えてくれ場内は拍手がしばらく鳴り止みませんでした 主人やお嫁ちゃんも初めての第九に興奮し大満足折角六本木に来たので東京ミッドタウンに移動テレビで見た芝生に敷きつめたイルミネーションを見ようと行ったのですが、昨日25日で終了してて後片付けの最中でしてお嫁ちゃんとがっかり しかし街路樹のイルミネーションが夜空に映えきれいでしたよ 東京タワーが見えてますお夕飯はミッドタウン2階のイタリアンレストラン「ヴィノテカ」でお店は大人の雰囲気で窓からは街路樹のイルミネーションが見えゴージャスな気分まずはケータイに読み込んでおいたクーポンサービスのスパークリングワインで乾杯このお店はワインが売りなのに、主人と息子はビール党でして申し訳なさそうにビールを注文。オードブル・サラダ・ピザ・パスタをいただきましたが、ピザのチーズと皮がもちもちなのがすっごく美味しかったですよ第九の余韻に浸りながら、ほろ酔い気分で六本木をあとにしました 今年もあと二日となりました。2月にブログを始めてから皆さまには沢山の温かいコメントをいただき、又皆さんのブログからは沢山の事を教えていただきましてありがとうございました。又来年も四季折々の暮らしぶりを掲載したいと思ってますので宜しくお願いいたします。皆様良いお年をお迎えください
2009年12月29日
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朝のお勤め?出家したわけではありません。 私の毎朝の儀式です。父母4人の写真にお水をお供えし手を合わせるのが毎朝の日課です。これだけは留守の日以外欠かしたことがなく我ながらすごい な~んて偉くもないですねお参りの仕方は、お父さん、お母さん、おじいちゃん(私の父)、お母さん、と声をかけ 「今日も命をいただきありがとうございます」 「心と体を健康にお導きください」 「今日1日太陽のように明るく生活いたします」 と唱えます先日高野山に行ってからは「南無大師遍照金剛」と3回唱え弘法大師様にもお願いするようになりました。お呪いのようなものですが、肩がふわっと軽くなり気持ちがスキットし、今日も1日頑張るぞ~!なんて思えるんです。 プラスの力ですね。 はい!単純な性格でしてという訳で今日も1日無事過ごせましたとは言え、それは色々ありますよ~ そんな時は命さえ持って行かれなければ良しと考えるようにしてます。 はい!楽天的でして
2009年12月24日
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誰にでも、ここに身をおくだけで幸せ気分になれ自分らしさを取り戻せる場所があると思うのですが、私にとっては長野の軽井沢です。18歳の夏、新聞の広告に軽井沢スケートセンターでのアルバイトの求人案内。友人と3人、親の反対を押し切って申し込みをしてしまったのです。そのころは何かを求めて目を輝かせてた頃。「親の気持ち子知らず」で心配をよそに7月の中旬から8月末までの1ヶ月余り行ってしまいました。親達は心配し、友人の所も私の所も兄妹を偵察にこさせました。今考えたら当然ですよね。でも私たちは悪いことをしてる訳ではないのだと心配な気持ちは分らなかったですね~ 今思えば反対はしたにせよ、出してくれた両親はすごかったな~なんて今更に思います。私だったらどうだったかな~??(あの頃は軽井沢の人気観光スポットでしたが、今年閉館となりました)浅間山を背にスケートセンターはあり、毎朝目の前に望む浅間山の様子に感動してました。私はお土産コーナーの店員、友人はレストランのレジ、もう一人はゲームセンター。朝ごはんは山盛りご飯に卵と沢庵、お夕飯も大したおかずがなかったように思いますが、1日立ちっぱなしで働き、山盛りご飯の美味しかったこと~あの頃は夏でもスケート場は賑わっていて、今の天皇一家が来られ、今の皇太子さま秋篠宮さまの手を引かれた美智子様がなんと美しかったことあの辺りの千ヶ滝別荘地も賑わっていて西武の総合ショップとレストランがあり別荘族の社交場で夜も賑わい華やかな雰囲気でした。あ~こんな世界もあるのだな~と思ったものです。又、センター内の湖上で「真夏の夜の夢」という野外コンサートがあり、人気絶頂のタイガーズやブルーコメッツ・伊藤ゆかり・園まり・中尾ミエ・尾藤イサオ等など渡辺プロのスター達が沢山出演してました。休日には他のアルバイト仲間と旧軽井沢で買い物をし、水野でお茶をし皆で夢を語りあい、他愛の無い会話に盛り上がり青春してました。森の中を千ヶ滝まで散歩したり、いままで感じたことのない空気を味わいました旧軽井沢の茜屋では美智子様のお母様がコーヒーをのんでらっしゃいましたが、とにかく品がありました。いまでも忘れられないのが、素敵なバックバンドのサンダルを履いてたことです。S42年頃の年配の方はそんなお洒落はしてなかったです。いまでもそのお姿は目に焼きついてます。今では珍しくないけれど、茜屋はそれぞれ違ったカップでコーヒーが出され、新しい感覚、センスに衝撃を受けました。食器は6客揃いが当たり前だった時代、まさにカルチャーショックでした奇遇なのですが私がバイトをしてた夏、主人は大学のゼミで浅間山の地形学の実習で浅間山山麓をうろうろしてた事が、4年後に知り合ってわかりました。軽井沢でのアルバイトは、その後の私の人生観に大きく影響を受けました。自然が豊かで緑に溢れ、素朴だけどそれでいてお洒落、木漏れ日の射す小径に佇む別荘の風情、軽井沢の魅力の虜になり、それ以来行かない年はなかった程です。軽井沢狂いが高じて10年前にリゾート会員に、3年前にはなけなしのお金をはたいて姉と共同で小舎を建ててしまいました。車で1時間半と近いこともあり、今では月に1~2度出かけて来ます。日々の雑事から開放され、ゆったりと時を過ごし、自然を散策し四季折々の風を感じてきます。来年主人は63歳、楽な仕事にシフトするようですので、軽井沢に来られる日も多くなりそうです
2009年12月19日
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肋骨骨折で気分が滅入ってた所に青森に嫁いでる友人から、冬の便りが届きました毎年届けていただくのですが、日本海で獲れたハタハタとりんご、ジャガイモ、たまねぎも入ってました。ハタハタは100匹程あり友人達にお裾分けしましたが、こちらでは中々手に入らず、あっても高価でして喜ばれてます。送ってくれた友人は幼馴染で、最近旅番組によく出てくるJR五能線の陸奥岩崎に嫁いでます。彼女の家は十二湖の近くで、家の目の前は日本海が広がるのどかな所で暮らします。慣れない土地での風習の違いに苦労もしたようですが、嫁いで40年土地にも馴染みすっかり青森弁になってます。ご主人は大工さんですが海釣りが趣味で舟を持ってますが、この時期になると海が真っ白に見える位ハタハタで一杯になるそうですよ。ジャガイモはトウヤという種類だそうですが、土地々で色々な種類があるのですね。作物は猿・狸・キジ・イノシシ・カモシカに狙われ、畑には網を張り猿にはロケット花火で応戦したりで大変のようです。そんな苦労をしながら収穫したのを送って頂きありがたいことです【一夜干し】ハタハタは卵を残して頭を落とし、海水より濃い塩水に1時間浸け一晩干し、両面陽に当てて出来上がりです。昨晩は冷え込んでまして風もあり絶好の夜でした干した方が身がしまり生より旨みが増し、焼くとプリっとしてツマミに最高です今晩はビールより焼酎ですよね~ な~んて言うと呑んべ~のようですが、ビールでしたら350ミリというところで情けないのです生でしたら、塩・こしょうをし、一夜干しのはそのまま小麦粉をはたいて、ムニエルも美味しいですよ!!昨晩は魚醤がないのでしょっつる鍋とはいかずハタハタ鍋に、残りは煮付けてみました。毎年師走になると彼女からハタハタとりんごが届き、8月は私から埼玉名産の梨を送りふるさと便りをしてます
2009年12月13日
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ゴルフはやらないと決めてたのに今年の6月、軽井沢で友人と打ちっぱなしをやってしまい、火が付いてしまったゴルフ 早速友人とスクールに入り順調??とは行かなかったけれど、やる気は満々!頑張ってましたが…上半身をねじって腕をしっかり振る練習をした翌日、脇腹が痛くなり筋肉痛かなと気にもとめないでいたら、そのうち胸と肩甲骨が痛くなってきて咳をすると我慢できないほどの痛みあれ~~これは変だぞ!と整形外科でレントゲンを撮ったら、何と肋骨が折れてました ショックゴルフが出来なくなるというよりも、私の骨はこんなにも簡単に折れてしまう程もろくなってたのかと、かなりショックでした5年前、卵巣嚢腫で全摘したので極端に骨密度が下がり、骨粗鬆症の薬は飲んではいたけれど、まさかこんな状態になってたとは私の人生を振り返ると、何か始めると足を引っ張られることが度々二十歳の頃、スキーが楽しくて毎週のようにやってた時、右脚を複雑骨折、その後遺症で足首の関節炎がひどくなり、スキーはもちろん大好きだったテニスを断念…22歳の時、運転免許を取った頃、母が交通事故で亡くなりショックで運転はやめました。今は必要に迫られて乗ってはいますが、その時のトラウマで遠出は出来ず…そして、最後の大きな挑戦と思って始めたゴルフなのにこの始末… 先日クラブを買ったばかりなんですよ~~肋骨の骨折はすぐに治るので大したことはないけれど、心の傷が深いのです。治っても果たしてこの骨の状態でやれるのか、自信がありません。このクラブは日の目をみることが出来るのでしょうか… かなり凹んでる私です
2009年12月08日
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私の実家が真言宗でして、かねてから総本山の高野山へ参拝したいと思ってましたが、先日友人と二人で「世界遺産高野山ウォーキング」というツアーに参加し行ってきました。高野山は海抜9百mの高峰上にあり、八つの峰々に囲まれまるで蓮の花のような盆地上の平地にあります。弘法大師は仏は一つとの考えで、高野山は宗派にとらわれず、あらゆる宗派の人々の心の憩い、魂の安息所として今日の一大仏都となったそうです。816年空海(弘法大師)は嵯峨天皇より高野山開創の勅許を受け高野山に上り、20年修行しした後、835年人々を救済し続けるとし、62歳で奥の院に入定し即身成仏となりました。8時に宿坊を出発し「弘法大師の御廟」奥の院へ千古の老杉の立ち並ぶ参道は身の引き締まるほどの寒さで、朝の清々しい空気を吸いながら往復80分のウォーキングガイドさんは説明上手で面白おかしく話してくれ、高野山や弘法大師の教えがすこ~し理解できました老杉の茂る奥の院には20万基を越える、あらゆる時代、あらゆる階層の人々の「亡き人の来世の安楽」の祈りを込めた供養塔が立ち並んでいます。高野山は宗派をとわないので、弘法大師のもとで眠りたいと皇室、公家、諸大名や各家の墓が参道沿いに多数並んでます。家康を始め秀吉、織田信長、明智光秀,前田家、島津家など戦国大名の6割以上の墓があります。又各企業や有名人の供養塔も多数ありヤクルト、福助、シャープ、シロアリの会社、ロケットを作ってる会社等など総勢20万基以上はあると言われてるそうです。芸能人の方や有名な方のも沢山ありましたよ。ちなみに墓地のお値段は座布団1枚分が100万円だそうですよ。弘法大師様のもとで眠るのもいいかもねぇ~【女人堂】明治初期まで女人禁制だった高野山で女性が入れたのは女人堂まででした。女人堂には、多くの女人参拝者が遥かな大師廟を拝して下山したと言われ、常に昼夜読経の声が絶えなかったと伝えられています。【徳川家霊台】寛永9年3代将軍家光が十数年の歳月と巨額の費用をかけ創建された。右が家康霊屋、左が秀忠霊屋徳川家霊台が創建されたことで、こぞって諸大名が創建したそうですが、家光は諸大名にお金を使わせ力を持たせないようとの考えがあったようですよ。なるほど!【総本山金剛峯寺】全国四千ヵ寺の真言宗の総本山。1593年秀吉が亡母追善菩提のため建立した。【壇上伽藍】 弘法大師は高野山の造営にあたり壇上伽藍から始め密教思想に基づく金堂、大塔、西塔、僧房等の建立に心血を注がれたそうです。 根本大塔816年開創の頃より着手し大師と真然の2代を費やし887年頃完成した。真言宗の根本道場として建立された物で大日如来と金剛界の四仏が祀られています。 御影堂大師が入定後実恵僧都が師の御影を安置したお堂でもっとも尊厳を尊ぶ御堂 金堂平安時代半ばから一山の総本堂として重要な役割を果たしている。本尊は高村光雲作の薬師如来が泰安されている。 大塔の鐘大師が発願され第2世真然大徳の代に完成。1日5回、計108の鐘の音が響きます【慈尊院】女人高野高野山一山の事務を統括する政所として始まった。834年「わが子の開いた山をひと目見たい」との一念で高齢をおして讃岐国から空海を訪ねて母の玉依御前がやってきたが、女人禁制としていたため母でさえも入山させることはできず慈尊院に滞在させた。弘法大師は多忙な公務の合間をぬって月に九度片道6時間かけ母を慰めに通ったといいます。そこでこの辺りを九度山という地名になったそうです。慈尊院は大師の母が住んだことから本尊の弥勒仏は子授け、安産、子育てなどの信仰を集めている。空海を高野山に導いたのは狩人が連れた犬とされ安産の象徴が犬とされたようです。【町石道】空海が行き来した慈尊院から奥の院へいたる23kの道が高野山への表参道参拝者が迷わぬよう一町(109m)毎に立てられた町石を、1本ずつ礼拝しながら参拝者は歩を進めて行ったそうです【宿坊・天徳院】宿泊した宿坊は前田年常夫人天徳院(千姫妹君)の菩提所として建立されたお寺です。代々藩主のほか赤穂浅野長矩と四十七義士の位牌も桂昌院により祀られてます。高野山には117ヵ寺あるが大半が宿坊となってます。ガイドさんの話によると、修行僧が辛い修行に耐えられないので、大師さまはお酒を飲んでよいと許したそうです。お陰様で夕飯には美味しくいただきました朝6時半からありったけの洋服を着こんでお勤めに参加したのですが、とにかく寒かったです~亡父母の供養をしていただきました。また弘法大師の御影と主人に身代御守を、そして燃え尽きるとお経の文字が出てくるお線香をお土産に買ってきました。身代御守は災難にあった時、身代わりにお札が割れてくれるそうですよ早速実家の仏壇にお供えしてきましたが、念願だった高野山に参拝できほっとした気持ちです真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っているものと考え高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じられてます。現在も奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕してるそうです。 「南無大師遍照金剛」 三唱
2009年12月05日
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