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きのうは、FP研修を受けるため、文京シビックセンターへ向かった。暖かい日の午前、秋葉原で電車を降り、散歩を兼ねて会場へ。秋葉原の「電気街」などというのは昔の話だ。今は「オタク街」だ。でも気のせいだろうか、昔のような活気が感じられない。買い物の大きな荷物をもっている人も少ない。不況のせいか、郊外の大型店に行っているのか? 時間というものはつくづく非情なものだ。 神田川沿いを御茶ノ水方面に向かって歩く。東京の街も随分と快適になった。道路は広く片側二車線だ。頻繁に車は通るが、排気ガスを感じることはない。時々、左に覗く神田川の水面も綺麗でヘドロなどもない。魚も棲めそうな感じだ。所々にグリーンポケットがあって、休めるようになっている。ゴミも少ないから見苦しくない。散歩やサイクリングにはとても好いだろう。こんな風のない快晴の日には・・・。日本ではないようだ、どこか見知らぬ外国の街を歩いているようだ。 ここには何かが足りない、何だろう。そうだ。不愉快な排気ガスの臭いやドブ川の悪臭もない代わりに、ある種の街の臭いも存在していないのだ。例えば、中華料理屋なら脂っこい臭いがするだろう、蕎麦屋だったら削り節の臭いがするはずだ。何か商売をしている家があれば扱っている品物の臭いがする。しかし、周りは塔のような高いビルばかり、日曜日の午前中ということもあり行き交う人も少ない。ただ、白くだだっ広い空間が広がるばかりだ。 無機質化しているというのか、中性化したといえばいいのか、のっぺら坊とでもいうのか、それはそれで美しいのではあるけれど、街から何の臭いも漂っていないのだ。何の情報も伝えてこないのだ。ときどき、すれ違う人も犬を連れて穏やかな表情だ。グループの若者もほがらかに談笑している。平和そのものだ。でもただ静か、というだけかもしれない。 大分、前になるが上海を訪れたときのことを思い出した。街はどこかドブ臭かった。街灯が極端に少ないので、日本人の感覚からすると辺りは真っ暗に近い。そして道路は人々の所かまわず吐く痰で汚れ、屋台の肉饅頭や餃子の湯気や臭いが立ち込めていた。かといえば外国人と見るや子どもを抱いた女の乞食がいつまでもついて来て離れようとしない。百貨店に入れば、店員は無愛想を通り超して、まるで怒っているような態度だ。店を出て空を見ると暖房で燃やす石炭で空は濁り、観光客は例外なく喉をやられてしまう。まあ、当時は、何て嫌なところだろうと思ったものだが、きのう、美しくなった東京の街を歩いて、なぜか汚い上海が懐かしくなった。もっとも今では一変してはいるだろうが。 さて、会場の文京シビックセンターに着いた。超高層のビルなのだが、何とこのゴージャスな建物は、区役所だった。もちろん、いろいろな催しが開かれる市民センターでもあるのだが、こんなもの凄い施設を税金でつくる必要があるのだろうか? ふと思ってしまった。 研修のコンテンツは、コンプライアンス問題だ。法令等遵守という意味だ。FPも弁護士や税理士と同じように法律に触れてはもちろんいけない。下手をやると資格を剥奪される。もっとも、コンプライアンス問題をあまり強調すると、逆の解釈が出てくる。つまり、法律に触れなければ、言い換えれば警察に捕まったり、社会的に弾劾されるようなことに至らなければ何をやってもいい、という理屈が成立してしまうことだ。つまるところ、内面の良心や価値観よりは、外面の正しさが良ければそれでいい、という人間が出てきても不思議ではない。倫理観の欠けた社会だ。なぜか、宅配業者を装って元厚生次官を襲ったあの中年男のことを思い出してしまった。
2008.11.24
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深夜のワールドカップ予選カタール戦を観た。いつも出来のバラツキが大きい日本チームだが、今回のゲームはとても出来が良かったように思う。安心して観戦できた。個人的には勝因は3つあると見た。 第1は、中盤がしっかりしていた。センターライン付近のプレスが利いていて、相手チームが力まかせの速攻やロングボール攻撃をできないようした。中盤はチームの背骨だ。それがしっかりと機能していたためディフェンス陣もオフェンス陣も余裕ができた。 第2は冷静な試合運びだ。カッカせずに大人のゲームができた。カタールチームのラフな試合ぶりとは対照的だった。イエローカードの数に如実に出ていた。だから疲労が少なかった。後半になると明らかにカタールは攻められなくなり、体力面でも日本チームが優った。 第3は球際の強さだ。皆、良かったが、なかでも玉田、大久保、岡崎、松井らの、諦めない、身体をはったプレーは、これまでの日本の戦い方にはなかったものだ。これまでは線の細さばかりが目立ったのだが。お隣の韓国チームのようにしぶとかった。いつも、このようなプレーが発揮できれば、少なくともアジアではナンバーワンなのだが。 スポーツの世界は、戦略の巧拙がはっきりと出るが、世の中はそうはいかない。プレーヤーつまり人々のルール、要は生き方が異なるからだ。例えば、社会保障審議会の年金改革の中間報告だ。来年から本格議論が始まるのだが、どこに焦点を当てるか、決めることができないため、小手先の検討に留まっている。もっとも案をつくる厚労省も、政治でどこの党が主導権を取るかわからないため、及び腰で、各論併記とせざるを得なかったのだろう。 但し、個人的な意見とすれば、継ぎ接ぎだらけの今の年金システムを土台から作り直さないと問題は解決しないのではないかと思う。今の制度の最大の欠陥は、格差問題を解決できないことだ。一人一人の所得を捕捉できないからだ。例えば個人事業者、不動産を多くもつ地主など・・・、名義を変えれば細工の余地が大きい。これまで実施できないでいるが、やはり納税者番号制度を取り入れることが必要という感じがする。しっかりと捕捉して高額所得者を管理するほかはない。
2008.11.20
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週間稚感(11/11~15) 世の中の風きを自分なりにいつもウォッチしているのだが、今週は何とも重苦しい雰囲気だったね。君はそう思わないかい? こんな感じだ・・深い森の中の澱んだ古い沼の淵に独りいるんだ。水面を覗き込む。でも黒くドロッとしていて見通しはまったくきかない。動くものは何ひとつない。でもときどき水面に波紋が広がることがある。しかし大きなうねりとはならないで、すぐさま消えてしまうのだ。「古池や蛙飛び込む水の音」という句がぴったりだ。芭蕉さんはやはり凄いね。 空を見上げる。垂れ込めた低い雲が太陽を遮っている。でも雨が降るようなことはなく、風もそよとは吹かない。不快ということもない、寒くもないし暑くももない、一種、快適ともいえる。でもここには自分のほか、人っ子一人いないんだよ。だんだん不安になってくる。それで、戻ろうと思うのだが、ここまで来た森のなかの小道はなぜか消えているんだ。この古沼の小宇宙に閉じ込められているんだ。前にも進めない、後ろにも戻れないのだ。ハンマースホイの絵画のようだな。「リネゴーオンの大ホール」がぴったりだ。 今週は一回限りの、一人当たり1万円程度にしかならない現金を国民にどうやって配るか、で騒いだ一週間だった。大の大人がくだらないことで右往左往した。誰もこんなことで世の中、明るくならないことを承知のうえだ。だからストレスが溜まる。今のは政治の世界だが、マスコミも苛立っている。新聞やテレビは鬼の首を取ったように総理大臣の読み間違いをやゆする。まった無意味の話ではないか? そんなことにアタマを使うのではなくて、何か、前向きのことを提案すればと思うのだが、批判のための批判に終始するばかりだ。どうも日本人がみんな知能指数が一気に下がってしまったようだ。 こんな状況のなかで、人々は元気をなくすばかりだ。元気が出るはずがないね。本来なら掛け声をかけて、「さあ、眠ってばかりいないで、皆起きるんだ。首回し体操をして、屈伸運動をして歩き出すんだ!」と掛け声を発する人がだれもいないのだから。政治もマスコミも”冬眠”してしまっているのからね。 みな、キッカケを待っているんだね。目覚まし時計が鳴るのをね。でも誰かがセットしなければ鳴るはずはない、このようなときは、外国や天変地異が人の眠りを覚めさせてきたのだ。歴史的にはね。もっとも大地震などはまっぴらなのだが。待つしかないね。誰かが目覚まし時計を鳴らすまで。でも目覚まし時計は必ず鳴るよ。ミクロの原子世界を考えてみよう。原子核の周りを電子が回っている。電子はエネルギーを出しながら回るわけなのに、どうして原子核へ落ちてしまわないのだろう。「定常」という軌道をもっているからだ。人間は原子からできている、世界には「あるべき秩序」というものが必ずあるのだ。
2008.11.15
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街がだんだんつまらなくなってくる 昨日の8日は、神田駿河台の中央大学会館(っていうのかな?)でFP継続教育セミナーを受けた。今年中に単位を取らないと、FP資格を更新できないので、もっぱら駆け込み勉強というわけだ。もっともFPは弁護士や医者と違って、無資格でも開業できるから問題ないわけだが。ただ、苦労して得た資格だからまあ更新しておくにこしたことはない。本当は、今日の9日も研修を受ける予定を立てていたのだが、昨日から体調が悪く、昨夜は、風邪のためか、咳がひどく夜もよく眠られなかった。ということで、人混みを避け、そこで今日はサボったわけだ。 単位を得るためだからテーマは何でもよかったわけだが、たまたま選んだテーマは、午前も午後もカネもちのための保険や不動産投資をどう提案するか、という話だった。要は、いかに税金を逃れるか、という知恵を授けるための講習なのだ。 改めて復習してみると、この国には、不動産を対象とした税制などの優遇制度がきわめて豊富だ。相続財産なども土地が圧倒的だ。土地神話は、地価が下がっても衰えていない。そのような富裕層へFPだけでなく税理士、司法書士、弁護士などが、知恵を授けては、節税(税逃れ)の知恵をつける競争をしている。ニホンコクは、土地神話からまったく抜け出ていないのだよ。 FPも商売だから、カネをせびり取れそうなところに目がいく。FPの上得意は、地主のほか、医者、中小企業主・・・がいる。蜜にたかる蟻のように群がることとなる。この節税ビジネス、一概には悪いとはいえないが、本来なら国庫に入り、貧しい人に再配分されるべきカネがカネ持ちに偏在しているのは、ちょっと違和感を感じる。そして、その片棒を担いでいるのが、自分たちFPであることを考えると、ちょっと複雑な気持ちになった。要は税金を納めないでいる人が多くいるのだよ。この国が格差社会といわれる所以はこんなところにもあるのだ。 ところで、駿河台という場所、大学とスポーツ店、古書街などがあり、休日でも人でごったがえしていた印象があるが、今は隔世の感。この日は、雨も降っていたせいか、人通りはほとんどなかった。いくつかあった大学も郊外へ移転してしまって、今では、そこにでもあるオフィス街と化してしる。昔のような油くさい(洋食屋が多かった)ような、汗臭いような、街の臭い、といったものが懐かしかった。今さらながら、と言われるかもしれないが、ちよっと寂しくなった。街の個性がどんどん失われていく、これが進化ということなのだろうか? 進化で思い出したが、先日、アホウドリの話をしたが、私が最も感動したことを書き忘れた。アホウドリには、体を支持するために、もちろん骨格というものがあるが、驚いたことに、骨は中が空洞になっているのだ。まるで注目のナノ素材のカーボンナノチューブみたいに。こういう工夫で軽い体を構成しているんだね。自然の進化というものはすごいね。それにひきかえ・・・という感じですね。以上。
2008.11.09
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週間稚観11/2(Sun)~8(Sat)◇チェンジという言葉が風を呼んだ アメリカの大統領選挙の話だ。得票率では圧勝とはいえないが、オバマが勝った。自由主義という別名の放任経済が長いこと支配し、国をメチャメチャにしたから、当然という結果だろうな。 若者が政治に関心をもってオバマを担ぎあげたことが大きいね。アメリカは変われるからいいな。それにあの国は不死身だ。何しろ潜在力が大きい。特許の数だってダントツの世界一だ。とくに生命科学、ITなどは他国の追随を許さない。今のことろは、最悪だけど。GMやフォードは倒産の危機にあるという話だ。不況のなかで選挙どころではないと言われたが、お陰で議会の党派シェアもすっきりしたではないか。日本ももっとしっかりとしなければいけない。◇人間がだんだんバカになっていくようだ 例の大阪の轢き逃げ事件の犯人の男のことでそう思った。引き摺ったままクルマを走らせれば、相手は死ぬとわかっていた、と言っている。また傷ついたクルマの偽装工作もせずに駐車場に放置し、本人はホストクラブに逃げ込んでいたという。まったくアタマの回路がどうかなってしまっているのではないか。 今週は、交番のいい年をした警官が、同僚の婦警に向かって拳銃を向けて、「撃つぞ」って脅かしたということもあった。こんなキケンなヤツが実弾の入った銃をもって正々堂々としている、というのは気持ちの悪い話だ。 気のせいか、とくに最近、こういう連中が世のなかに増えてきたように思う。素粒子の働きがまだよくわかっていないように、人のココロというものも謎の固まりなんだね。だって人間も物質なのだから。◇話し変わってアホウドリに感動 警戒心のない鳥なので日本ではこんな不名誉な名をつけられているが、実は優秀だ。、まず姿が美しい。大きいものになると翼の長さは3メートル以上にもなる。羽ばたきをせずに真っ白に、優雅に滑空する。もっとも他の鳥より胸の筋肉が弱いので羽ばたきが苦手なのだ。空の高い部分の下降気流と海面近くの上昇気流をうまく使って空を泳ぐ。一度に500キロも飛ぶのだ。子どもづくりのときを除いては50年の間、空を漂い続ける。 どうですか? アホウどころか何とも優雅、進化の優等生のようなライフスタイルではないか? ストレスがないので50年という長命に恵まれているのだね。“幸せ鳥”と呼称を変えてあげたほうがよいね。でもマイウェイで警戒心のないところがアダとなって、漁師などが捕まえて食べたりするらしい、生息数がどんどん減っているらしい。なにしろ生涯で子どもを一羽しか産まないから深刻だ。少子化の影響はアホウドリにまで及んでいる。
2008.11.08
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8) いよいよ僕のアタマのなかの旅も当面の終点に近づいてきた。五・七の原理は、俳句や短歌などの文学だけのものではない。実は、日本語そのもののリズムなのだ、こんなことを思っている。2つの例をあげよう。ひとつはエッセー、もうひとつは論文、両方とも感覚より論理を重視する文章だ。俳句や和歌などと対照の世界にある分野だ。 「カタカナ、ひらがな、漢字の三種類の文字をもつ、われわれの言語の場合、文字の綾なす表情は特に豊かで魅惑に満ち、ローマ字論者の機能主義を打ち負かして余りある」(『文学する』谷川俊太郎) 「村上春樹はその小説の最初から最後まで、死者が欠性的な仕方で、生者の生き方を支配することについて、ただそれだけを書き続けてきた。それ以外の主題を選んだことがないという過剰なまでの節度(というものがあるのだ)が村上文学の純度を高め、それが彼の文学の世界性を担保している」(『激しく欠けているものについて』、内田樹) どうだろう? ほとんどの文字のまとまりが5字以内に収まっているではないか。「漢字」、「三種類」、「文字」・・・。つまり、日本語というものはその構造からいって、素数を原理とし、歌文化につながる必然性をもっているのだ。四季に恵まれ、感性を重視する文化も寄与している。日本は世界性をもっている、というのは言いすぎか? ところで、二番目の文章、もちろん抜粋なのだが、意味がよくわからない。もとより作家論など、どこまで意味があるのだろうか? 僕も村上作品が好きで、よく読むほうだが、何となく魅力があるとしか言えない、しかし言葉では表わすことができない。 書いている本人だって、「純度を高めて世界精神を担保しよう」などと考えては書いていないだろう。演繹ではなく帰納で書いているのだ。世界を観察して、“今これを書かなくてはいけない、このことを書きたい”というのが心象だろう。作家ではなくふつうの人だってこう考えるはずだ。 ところで「欠性的な仕方」ってどんな仕方なの? あまり見かけないリアリティのない言葉だ。何となくわかる気はするがあいまいな表現だ。少なくとも僕にはわからない。(完) これまで、8回に分けて日本語について考えてきた。“わけの分らないゴタクを並べて”と感じる人も多いのだと思う。しかし、これらの文章は、僕には、どうしてもこのとき書かなければいけないことだった。自分は何を言いたかったのだろう? 端的に言うなら、日本は話し言葉の豊富な国だ、ということだ。なせかは分らない。その話し言葉を何とか、いろんな人に伝えたり、後に残したい、というところから文字が生まれた。 この言葉の豊饒さは、ひよっとしたら世界に誇る日本人の資産かもしれない。事実、マンガの“ギャオウ”、“ウギャー”などの擬態語は外国語に翻訳できないでそのままローマ字で表わされると聞く、それでもマンガは世界で理解されているようだ。ポストモダンの世界では日本人は言葉を武器にできるかもしれない。だから僕は言葉に興味をもった、僕はこれからも言葉を大事にしたい・・こんな心象や決意表明などを忘れないように書き留めておこう、こんなことが根っこにあって、読む人には、つまらないとも思える文章を書き連ねたのだろう。これらは自分のための文章なのだ。
2008.11.02
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日本語とはなんだろう<コンテンツ>◇歌の国、日本(1)◇文字の歌の原型は歌謡(2)◇話し言葉の国-言霊(ことだま)(3)◇話し言葉の国-語彙の多い日本語(4)◇話し言葉の国-感覚表現:擬音語・擬態語(5)◇話し言葉から書き言葉へ―ひらがなイノベーション(6)◇日本語-モーラ:拍、素数(7)◇日本語はもともと五七のリズムがある(8)◇日本語-モーラ:拍、素数(7) 次に僕は以上のようなことを考えてきて、日本語自体のもつユニークさに気づいたのだ。自分がほとんど無知の世界に平気で入っていけるところが個人の強みだ。研究者であればこんな乱暴・冒険はできないだろう。 まずモーラだ。「拍」と訳される。発音するときの語の長さのことらしい。この点で、日本語の仮名ひとつひとつが基本的に同じ長さで発音される、と本に書いてある。そう言われればそうだ。あ・い・う・え・お、か・き・く・け・こ、みな同じ長さで発音している。ちなみにアルファベットを順番に発音してみると、それぞれ発音の長さが違うことに気づく。この日本語の音長が一定さが、どういう効果を表わすかというと語を好きなように繋ぎ合わせることが可能になるということだ。言葉のいろいろな組み合わせができるようになるのだ。このことが話し言葉の自由さに貢献しているのではないだろうか。 もうひとつの発見(あくまで僕自身の発見だ)は、日本語と素数の関係だ。短歌や俳句は基本的に五・七の組み合わせだ。これはともに素数だ、それも3を除けば最小の素数なのだ。素数というのは学校で習ったように1を除けば自分以外では割り切ることが不可能な数字だ。日本だけの歌は素数で構成されているのだ。 “それがどうした”、“どんな意味をもつんだ”といわれると反論することは僕にはできない。数学の観念世界のなかの素数が、現実社会のなかで、どういう意味をもつのか、僕には未だに理解できないからだ。 でも現実には、素数への好奇心は世界の数学者を魅了して止まないのも事実だ。日本でも素数の法則の研究に情熱をかたむける数学者を登場させた小説がベストセラーになった。これだけ注目されている素数なのだから、何らかの意味をもっているのだろう。これ以上、還元できない基本の数字なのだから宇宙の解明へ繋がる地平をもっているのかも? 僕は、そんな気持ちをもっている。 そして、ここが大事だが、そのような世界性をもっている素数が、日本の和歌の原理となっていることに不思議に思い、どこかで誇りをもっている自分に気がつくのだ。(続く)
2008.11.02
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週間稚観10/27(Sun)~11/1(Sat)◇解散引き伸ばし、しかし年内もあり 麻生サン、解散を先延ばししたネ。阿吽の呼吸で総選挙とみていた野党が真っ向ケンカに出てくるのが目に見えるようだネ。現政権は、「民主党は国民生活無視だ」と大声で叫び支持率を上げ、解散に打って出るのではないだろうかね。やんちゃっぽい人のようだから何をするかわからないゾ。 新聞なんぞでは、解散は1月になるとあるが、おいらは年内もありうると見ている、支持率しだいだナ。もっとも起死回生で打ち出したはずの、頼みの経済対策は、国民の支持を得るには説得力が弱いネ。◇追加経済対策はへそがない 追加経済対策の中身をみると迫力がないねえ。どこに焦点が当たっているかよくわからないからだネ。おいらは、今の日本の問題は、所得再分配の仕組みが働いていないことにあると思うんだヨ。これまでも“みんな同じ。生きてエーいるからアー”(何かのCMにこのフレーズがあった)で来たじゃあないか。少なくとも戦後はネ。でもどこかで道を踏み外してしまったんだ。気がついてみりゃ、絶対貧困者が増えている、格差拡大どころの話じゃない。 今度の対策でも、しきりと生活支援を強調するんだが、住宅ローン減税、子育て支援・妊婦検診の無料化、高速道路料金値下げなどでは、いまこの瞬間に、不安のなかにある生活者、とくに所得の低い、生活苦に喘ぐ人々を安心させる効果はないヨ。 保険料の滞納で健康保険証を取り上げられる人が増えているじゃないか、障害者自立支援法といいながらサービス利用料を取るというのは矛盾じゃないかい? ネットカフェや個室ビデオ喫茶に追い込まれる人々をどうするんだ? 答えはあるのかい? こんどの経済対策に盛られているのかい? まあ、一つだけ評価できるのは、フリーターを雇った会社には奨励金を出すことを決めたことだネ 定額給付金などは人気取りだと見られても仕方がない、効果はないだろうネ。第一、将来、消費税が上がると分かってりゃあ、誰もパッと金を使おうなどとは思うはずがないネ。これが人の心理ってもんだ。振り込め詐欺屋にまたビジネスチャンスを与えるのが関の山だと思うネ。◇内需強化のビジョンがない 経済対策の最大の欠陥は、将来のビジョンの見えないことだネ。企業向けには環境投資のための減税などが盛られている。これもいいやね。でも今、大事なのは企業向けより、国民向けの明確なメッセージだネ。 国民の生活力アップを最大の政策目標とするべきだネ。その決意がないんだネ。当面、円の高い水準が続くだろうから、この間に為替高で内需が高まるように方向転換できるチャンスはあるんだよ。だって輸出は弱くなるかもしれないが、円の購買力は強くなるんだヨ。例えば、所得税は、課税所得330万円以下は現行、10%の税率だが、これをゼロとするぐらいの大胆な見直しが必要だヨ。 その代わりに、所得の高い人の税率を上げる、つまり所得の再分配機能を強めるわけだネ。高額所得者は面白くないだろう(ヒョっとしたら税金の低い外国に移住する人が増えるかもしれない)が、そうでもしないと収まらない、と思うだがね。放っておくと“日本沈没”で、そのうちこの国には住めなくなるヨ。小松左京のように外国に間借りしなけりゃならなくなる。◇とりあえず、それなりの効果は出よう 要は、国民の生活を底上げするような抜本策が必要だということだナ。まあ、このような経済対策でも現ナマを出すんだから、それなりの効果はあるだろうヨ。 麻生サンはこれを武器に解散総選挙に打って出るかもしれないヨ。しかし目論み外れの結果になりかねない、そんな感じがするネ。◇緊急連立を こんなことをグダグダ書くと、どこかで“批判ばかしで評論家的だ”と言われそうだネ。おいら的には、与党も民主も互いに歩み寄って、金融経済危機に対応した連立政権を作ることがいいんじゃないかと思うヨ。こういうときだから野合などと言う人もいないだろうヨ。どっかで読んだ新聞社説がいうように、未曾有の事態を前に、総選挙どころではない、と思うよネ。しかし長い間、国民の信任を得ていない政権与党は何を言っても、何をしても説得力はないんだヨ。 野党の意見を大幅に入れた政権をつくり、総選挙は当面、先に延ばすことが必要だ。それで少し、落ち着いてから民意を問えばいい、と思うんだが。政治家もあまり自分たちのことばかし考えるのは止めた方がいいネ。
2008.11.01
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