タイガース非公式サイト2代目

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2013年12月26日
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タイガース脇役物語(7)

びくっり箱 池田純一 (いけだじゅんいち)

1946年生、2005年没

熊本県出身、八代東高 1965年秋阪神入団

背番号52~32~7 右投左打 外野手

阪神在籍  1965~78年(通算14年)

通算成績  1092試合2848打数686安打295打点80本塁打

        通算打率2割4分1厘

何をやらかすか分からないことから、ついたあだ名が「びっくり箱」。脇役人生の中で一度だけ悪い意味で主役になり、その後の人生も変わったという稀有な人だった。

 池田は高校時代にも珍しい記録を持っている。1964年、八代東高校3年の時に投手として出場した夏の選手権でのこと。その大会一日目の第1試合で静岡代表の掛川西高校とあたり、延長18回0対0で引き分けた。池田はこの試合を一人で投げ抜いている。甲子園大会の開幕第1戦でいきなり引き分け再試合というのは他に例がない。翌日の再試合は2対7で敗れたが、プロのスカウトには強烈なアピールになった。

 読売と阪神が獲得に火花を散らし、結局池田はタイガースに入団する。プロ入り後は外野手として高卒1年目から1軍の試合に出ており、3年目の1967(昭和42)年には116試合に出場して準レギュラークラスになっている。

 適度な長打力があり、4シーズンで二桁のホームランを記録した。打率は2割5分前後だが、下位打線にあってパンチ力のある池田は、のちの佐野仙好のような機能を果たしていた。そのなかでも特筆すべきは通算5本のサヨナラホームラン。池田の勝負強さを物語っている。

 「びっくり箱」のあだ名がつく原因になったと言われる事件は、1978(昭和48)年8月5日、甲子園での対読売18回戦でおこった。タイガースは山本和、読売が新浦の先発で投手戦になったが、終盤まで2対1でタイガースがリードする。すでにこの3連戦の2試合を制していたタイガースは、3連勝を狙って江夏をリリーフに送り必勝を期した。

 ところが読売もしぶとく、9回表に二死ながら1・3塁のチャンスを作る。ここで黒江がセンター方向にフライを打ち上げた。誰もが試合終了と思ったし、江夏はスタスタとマウンドを降りていく。その時、センターを守っていた池田が芝生に足を取られて転倒!

 ポトンとグラウンドに落ちた打球はバックスクリーン方向へ転がっていった。この間に2者が帰って読売が逆転し、タイガースは敗れた。このシーズンはこのあとも混戦が続き、最小3ゲーム差の中に6球団がひしめいたが、最後の最後で残り2試合を1敗1分けでも優勝だったタイガースが2連敗して、僅か0.5ゲーム差で読売の9連覇を許すことになる。

 シーズンが終わってから、なぜか敗因が池田のあのプレーに集中する。マスコミ報道もファンも「世紀の落球だ」といって責め立てた。心ないファンからの嫌がらせも多く、池田は重荷を背負っていかなければならなくなった。タイガースの下位打線にあって、時にシュアなバッティングでチームを救い、守備も決して下手なわけではなかった池田にとって、このショックは大きかっただろう。

 ただし、池田を弁護しておく必要がある。「落球」と言われているが、実際は芝に足を取られての「転倒」であって、落下点に入ってグラブに当てて落としたわけではない。転んで打球に追いつけなかったので、公式記録も「エラー」ではなく「三塁打」になっている。負けにつながらなければ、単なる「珍プレー」に過ぎない。しかも、シーズン最後の中日戦での不可解な江夏先発による敗戦など、優勝を逃した要因はほかにいろいろあるにもかかわらず、池田が戦犯になってしまったのは気の毒と言うほかない。

 その後は、この失態が尾を引いたのかノイローゼ気味になり、成績も落ちて1978(昭和53)年に32歳の若さで現役を引退してしまう。引退後は野球界から離れ、ジーンズショップを経営していた。

 1985(昭和60)年、ついにタイガースがリーグ優勝を決めた夜、当時の深夜番組11PMにゲスト出演した池田は、藤本義一に心境を聞かれると泣き笑いのような表情で、「これで僕のあのプレーのことも忘れてもらえるんじゃないですか。」と話していたのを覚えている。

 僕の記憶の中では1975(昭和50)年の打線で7番を打ち、時にシャープな打撃を見せていた池田が忘れられない。この年の主要なオーダーは、1番セカンド・中村勝、2番ライト・テーラー、3番ショート・藤田、4番キャッチャー・田淵、5番ファースト・アルトマン、6番センター・池辺、7番レフト・池田、8番サード・掛布だった。

 僕は池田の「びっくり箱」のあだ名は、決してあの事件を象徴するものではなく、5本のサヨナラホームランが示すように、突如どえらいことをしでかす奴という意味で付けられたのだと信じている。

 池田さんは2005(平成17)年に59歳でお亡くなりになっています。もうあの事件を責める人もないでしょう。心よりご冥福をお祈りします。 なお、池田さんの背番号7はその後、真弓明信、今岡誠、藤川俊介、西岡剛と受け継がれています。

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Last updated  2013年12月26日 17時00分00秒 コメント(4) | コメントを書く


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