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背番号17(その6)
背番号17の第6回目です
ホントに短期間しか着けない人が6人も続いて 背番号「17」はすっかり沈没してしまったわね
今回最初に登場するのは外国人選手! この番号の黒歴史をリセットしてくれるかどうか注目ね!
なお 外国人選手については先代が別に「列伝」としてマニアックに書きためているものを紹介するつもりなので ここでは少し簡略化して記載します
ムーアは長く続いたタイガースの沈滞ムードに光明をもたらす投手だった。
2002(平成14)年、星野仙一監督の1年目にアトランタ・ブレーブスの3Aリッチモンドから入団している。スキンヘッドに口髭という風貌だった。
とにかくバッティングが好きで打撃練習ばかりしており、入団当時の逸話として、遠征してきた巨人の原監督が室内で撃ち込みをするムーアを見て星野監督に「今度の助っ人は凄いスイングしてて驚いたよ 好いバッター呼んだね 要注意だ!」と感想を述べ、星野監督は「バッターなんて獲ってないんだけど・・・」と困惑したという話が残っている。
1998(平成10)年、2000(平成12)年、2001(平成13)年とメジャーに上がった経験があるが、通算23試合(先発19)3勝10敗で防御率5 . 83という数字しか残していない。日本に来る前年はブレーブス傘下の3 A リッチモンドにおいても27試合9勝8敗、防御率3 . 31と平均的なレベルの投手だった。
タイガースには2002(平成14)年に入団する。投球フォームを自在に変えることで打者を幻惑する投手で、実際にオーバーハンド、スリークォーター、サイドハンドを使い分けて投げていた。得意球はサイドから投げるスライダーで、自称「スーパー・シークレット・スライダー」( SSS
)と呼んでいる。
1年目は27試合すべて先発で投げて10勝11敗、181回1 /
3奪三振116防御率3 .
33とという成績で1年間ローテーションを守った。
2年目の2003(平成15)年は開幕から7連勝を飾っているが、夏場に左上腕二頭筋挫傷で戦列を離れ規定投球回数に達しなかった。それでも10勝6敗と勝ち越してチームのリーグ優勝に大きな貢献をしている。
日本シリーズでは第3戦に先発すると1対1のまま7回まで好投して勝利に貢献する。3勝3敗で迎えた第7戦にも先発するが、初回に2失点、3回には井口に2ラン、松中にソロを浴びて3失点と炎上。計5失点でノックアウトされ、敗戦投手となり日本一を逃している。
ムーアは原監督が一目で認めたようにバッティングセンスのほうが注目された珍しい選手だった。
2002年4月6日のヤクルト戦で4打数3安打の猛打賞を記録している。そして同年8月14日の横浜戦で再び3安打猛打賞。投手の年間2度の猛打賞は17年ぶりの快挙だった。
この試合の9回には打席に立ってヒットを打った後に梶原が代走に出て交代しているが、控えの野手よりバッティングが好かったことを証明している。この日には50打数15安打となって打率が3割に到達しているのも驚きだろう。
また同年には監督推薦でオールスターに出ているが、ムーアのバッティングに期待するファンが多く、一塁手部門で3位になるという珍現象に沸いた。
さらに2003年は43打数14安打5打点で打率 . 326という数字を残し、巧打者ぶりに磨きがかかった。
ところが星野監督が体調を理由に辞任して岡田監督に代わると、タイガースはムーアとの再契約をしなかった。理由は定かではない。
自由契約となったムーアはオリックスと契約し、2004(平成16)年のシーズンは7月までに6勝6敗の成績を残すも左肩に炎症が起きて帰国し、そのまま9月16日に解雇された。
ジェイミー・ブラウン 投手
ムーアがいなくなった2004(平成16)年は誰も背番号「17」を着けていない。
2005年(平成17)にこの番号を引き継いだのがジェイミー・ブラウン投手だった。
この選手をどれだけの人が覚えているだろうか?アメリカではプロ入り9年目の2004(平成16)に初めてメジャーへ昇格するものの4試合のリリーフ登板で0勝0敗、防御率5 . 87という実績しかない。3Aでも4勝6敗で防御率4 . 82という成績に期待感は無かった。
そのブラウンは、開幕直前から体調不良を訴えて出遅れ、初登板が4月30日のヤクルト戦だった。この試合は試運転という意味で4番手として1 イニングを投げて無失点。初先発は5月4日の広島5回戦で、5回1失点でっ勝利投手になっている。
ブラウンは見た目は右の本格派投手だが、ストレートは140キロ台前半で変化球の比率が高く、スタミナが無いため「5回で3失点」くらいの実力しかなかった。写真で見ても「おとなしいフォーム」という感じしかない。
結局11試合に投げて4勝1敗、たまにローテーションの谷間を埋めるという程度の起用で終わっている。防御率も5 .
18で、とても1試合を信頼して任せられる投手ではなかったため10月に解雇されてしまった。
2006(平成18)年は韓国サムスンに所属し11勝9敗、防御率2 . 68の成績を上げたが翌年には解雇されている。
金村大裕 投手
大阪府大阪市出身。本名は金 大裕(キム・デユ)で在日3世。上宮高校では控え投手で大阪商業大学へ進む。関西大学リーグでは弱小チームということもあり、通算7勝20敗の成績しか残せていない。
ところが2005(平成17)年のドラフト会議でタイガースから3位で指名されたため、社会人本田技研鈴鹿の内定を辞退して入団し、退団したブラウンの着けていた「17」を受け継ぐことになった。
1年目の2006(平成18)年はウェスタンで8試合に投げ、2勝1敗、防御率1 . 44と快調だったが故障してしまう。
2年目の2007(平成19)年も一軍には上がれず、ファームで14試合に投げたが0勝1敗、防御率9 .
37と酷い成績だった。2008(平成20)年はさらに悪くなり、8試合0勝1敗で防御率12 .
54で使い物にならなくなってきた。
2009(平成21)年には背番号を「61」に変え、5月にはプロ入り初めて一軍に上がったが、結局1試合1イニングしか投げていない(打者5人、被安打0、奪三振1、与四球2、暴投1、自責点0)。ファーム16試合でも0勝0敗だった。
2010(平成22)年には育成契約とされて背番号も「117」になってしまった。そのまま10月1日には戦力外通告を受け自由契約となって退団した。
2011(平成23)年、韓国のSKワイバーンズに拾われたが、登板機会のないまま1年で解雇されている。
まとめ
ムーア選手はなかなか好かったんじゃない?2年続けて10勝してるのは有力な戦力と言っていいよ!バッティングも好かったんだね 2年目は打率3割以上だし なんで解雇しちゃったのかな?2年しかいなかったのは惜しかったとおもうよ
ブラウンさんは誰も覚えていないんじゃないの?「そんなのいたっけ?」という種類の助っ人よね 逆に4勝してるのがちょっと意外だわ
金村さんに関しては 先代もちょっと記憶にないって言うほどの選手 入社が内定してた社会人に進んでたほうが好かったんじゃないかなあ 指名したタイガースは罪なことをしたわけよね
今回の3人を見ても「17」が浮上した感じはしないね 残るのはあと4人なので次回で一気に掲載しますね
17の7に続く
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