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チョーサン8278さんFreepage List
背番号24の最終回です
2024年(令和6)年は誰も着けていません
今回も3名の選手を紹介するんだけど 最初の横田選手のことがあるからかな その後日本人の選手は着けていないのよ 横田さんと一緒にプレーした選手たちがたくさん現役で残ってるから偲んでるのかもしれないね
横田 慎太郎 外野手
生まれは東京だが育ちは鹿児島県日置市。父親はロッテオリオンズの外野手として活躍した横田真之氏。父親の影響もあって幼いころから野球を始めており、鹿児島実業に進学すると1年生から4番を任せられるほどの実力があったという。
甲子園大会出場はできなかったが、3年時にはエース兼4番でチームの中心になり、高校通算29本塁打を記録する。横田の息子ということで知名度もあり、投手として140キロを超えるストレートも持っているという逸材だった。
2013(平成25)年のドラフト会議ではタイガースが2位指名。背番号も引退した桧山の「24」を継承しており、期待の高さがわかる。
ちなみに同年のタイガースは、1位が岩貞祐太だった。そして2位が横田。以下は3位・陽川尚将、4位・梅野隆太郎、5位・山本翔也、6位・岩崎優という面々で、2024年現在では横田と山本以外の選手はまだ現役だ。
1年目の2014(平成26)年、前年10月にゼネラルマネージャー付育成&打撃コーディネーター(DC)に就任した掛布雅之がファームの指導をしており、中村GMからは「横田を一人前にしてくれ」という使命を託されていたという。
安芸キャンプでは掛布のマンツーマンに近い指導を受けて着実に力を着け、ウェスタンリーグが始まると79試合に出場し173打数39安打23打点6本塁打、打率 .
225の成績を残している。高卒1年目としては評価できる数字だった。
2年目の2015(平成27)年もファームでじっくり育てる方針は変わらなかった。ウェスタン103試合に出場、347打数74安打36打点9本塁打、打率 . 213を記録し盗塁も9個決めている。全体的に前年より数字を上げているが、打率がもう一歩というところだろう。
2016(平成28)年、2軍監督となった掛布はシーズンを前に横田を1軍へ推薦すると金本監督もその気で、3月25日の開幕戦では2番センターでスタメンに名を連ねた。翌26日には内野安打ではあったがプロ初安打も記録、積極的な盗塁も見せている。
しかし、打撃に関しては打球が上がらず、1割台に甘んじて壁に当たり、5月6日に登録抹消される。その後も2度1軍登録されたが結果を残せず、6月以降は2軍暮らしになってしまった。
結局1軍では38試合で105打数20安打4打点0本塁打4盗塁、打率 . 190に終わる。
2017(平成29)年、春季キャンプを迎えたころ原因不明の頭痛を訴えるようになる。どうも本人は前年から異常を感じていたようだが、コーチの眼にもプレーに変調が確認できるほどになり、キャンプを離脱して診断を受けた結果脳腫瘍が判明して治療に専念することになった。
約半年間戦列を離れて治療を続け、「寛解」ということで9月2日から練習を再開したもののリハビリは容易ではなく、11月16日に育成契約となる。背番号も「124」に変わったが、「24」は横田の復帰を見込んで、それまでは空番とすることも決まった。
2018(平成30)年、独自メニューでリハビリを続けて身体は戻ってきたため、安芸キャンプでは全体練習にも参加できるほどになってきたが、ウェスタンの試合に出ることはなく、10月31日には一旦自由契約にされ11月15日に再度育成契約選手に戻っている。
2019(令和元)年、バッティング練習中に異常を感じる。「自分で打った打球の行方が全然見えない」「打撃投手の投げるボールが二重に見える」といった症状を訴えたため9月に引退を勧告される。
本人もこれを了承して9月25日の対ソフトバンク、ウェスタン最終戦が引退試合とされた。横田はこの試合の8回二死から出場し、いきなり「奇跡のバックホーム」を成し遂げる。
実際にはホームの方向すらはっきり見えていなかったと言うが、ノーバウンドで捕手のミットに収まるというのは本当の奇跡だった。
試合後に引退セレモニーが行われ、10月31日をもって自由契約となり現役引退となった。
鹿児島に帰って治療を続けたが、2020(令和2)年には脊髄への転移が発見されるなど病状は悪化していく。そのため関西の病院に入院し放射線や抗がん剤の投与を続けながら講演活動なども行うなど復帰を目指し懸命に治療したところ、2021(令和3)年4月ごろに腫瘍が消滅したとして退院している。
しかし2022(令和4)年3月、脳腫瘍の再発が確認され、その後右目を失明。それでも懸命の療養を続けていたが、2023(令和5)年7月18日、タイガースが優勝へ進撃を続けるさなかに永眠した。まだ28歳だった。
タイガースの選手たちは訃報にショックを受けるが、横田に優勝を届けようと団結し、7月終盤から快進撃を続けて独走状態でリーグ優勝を決めると入団同期の岩崎が横田の「24」のユニフォームを掲げて胴上げされ涙を呼んだ。
そして日本一の場面でも再び「24」は輝いた。タイガースナインの追悼の思いは横田に届いただろう。
横田が目標に掲げていた「甲子園でライトにホームランを打つ!」は叶わなかったが、最後まであきらめないという強い意志を見せる姿が人々に与えたものは大きい。横田の闘病生活を知る同期の岩崎、岩貞、梅野らは、「あの頑張りから教えられたことは大きい 自分たちもいい加減なことはできない」と思いを語っている。
横田の通算成績は38試合105打数20安打4打点4盗塁2四球13三振、打率 . 190。
最後に横田を直接指導しその人柄を知る掛布氏がスポーツ報知に語った追悼の談話を掲載する。
今回ばかりは野球の神様を恨まずにいられない。関係者から横田の訃報を聞いたときはショックで言葉を失った。まだ28歳。あまりにも若すぎる。
私がもう一度、阪神のユニホームに袖を通すきっかけとなった選手だった。2013年のドラフト後、中村勝広GM(15年死去)から「左の長距離打者を育てたいので手伝ってほしい」と頼まれて阪神DCに就任。粗削りで、不器用で、素直で、野球が大好きな素晴らしい身体能力を持つ18歳にほれこんだ。松井秀喜に負けないパワーだけでなく、トリプルスリーを狙えるスピードも備えていた。
口酸っぱく言い続けたのは「独りに強くなれ」ということ。みんなとやる練習も大事だが、最後は独りでどれだけやるかだ。「遠征先でも素振りは続けなさい。俺もそうやってきた」と。横田が参加した15年オフの台湾でのウィンターリーグを2軍監督として視察した際、関係者から伝えられた。「初日のミーティングが終わった後、横田から『バットを振る場所はありますか』と聞かれました。あんな選手は初めてです」。この言葉を聞いたとき、「横田は大丈夫だ」と確信した。
16年、金本監督によって開幕スタメンに抜てきされ、38試合に出場。だが、ステップアップするはずだった17年の春季キャンプで病魔に襲われた。病室を見舞った際、「復活」と太く書いた色紙を渡した。引退後も大事に自室に飾ってくれていると聞いていた。第二の人生でこそ大輪の花を咲かせてくれると信じていた。誰からも愛された優しい笑顔が忘れられない。
メル・ロハス・ジュニア 外野手
背番号「24」は前述のとおり横田が育成契約になった時点で空番とされ、2018(平成30)年から2020(令和2)年まで誰も着けていない。そして2021(令和3)年から引き継ぐことになったのがロハス・ジュニアだった。
元大リーガーの父を持つロハス・ジュニアはアメリカ・インディアナ州出身。父親は投手だったがジュニアはスイッチヒッターの野手になっている。
2010(平成22)年にピッツバーグ・パイレーツから3巡目指名されプロ入り。パイレーツ傘下時代はメジャーに上がることができず、2016(平成28)年にアトランタ・ブレーブスへ移籍する。
ブレーブス傘下の3Aでプレーしていたロハス・ジュニアに韓国のKTウィズから声がかかったのは2017(平成29)年のことで、シーズン途中の6月12日に契約している。韓国での1年目は83試合にしか出場できなかったが、打率 . 301、18本塁打、56打点を記録して存在感を示した。
そして2年目からの数字がすごい。
2018 144試合564打数172安打114打点43本塁打 打率 . 305
2019 142試合521打数168安打104打点24本塁打 打率 . 322
2020 142試合550打数192安打135打点47本塁打 打率 . 349
なかでも2020(令和2)年の成績は、本塁打王と打点王の2冠を獲得した上にあわや3冠王という打率も残すなど驚異的だった。これではタイガースならずとも騙されて不思議はない。
2020年12月25日、タイガースと契約合意したロハス・ジュニアの入団が発表され、背番号は「24」、2年契約で年俸250万ドル。当時はまだ円高で1ドル105円くらいのレートだったが、それでも年俸は2億6000万円強というところだ。韓国の数字がものを言っている。
2021(令和3)年は春季キャンプに参加せず4月4日に来日したためファームでの調整に1か月以上を要した。
一軍昇格は5月8日になったが、初打席から21打席連続ノーヒットという外国人選手による球団ワースト記録を樹立してしまう。
初ホームランは5月18日のスワローズ戦で出たがこれが来日初安打だった。その後約1か月たっても打率が1割に届かないためファーム行きとなり、以後昇格降格を繰り返す。
8月以降に調子が上がり最終的に2割台に到達するが、60試合で41安打21打点8本塁打、打率 . 217では助っ人としてお話にならない。
ただし2年契約でもあり、1年目はキャンプ不参加での調整不足による出遅れが原因ということで、翌年もプレーする。
2022(令和4)年、今度は1月23日に沖縄入りし春季キャンプからオープン戦と調整期間は十分だったが、オープン戦の段階で調子が上がってこないため開幕スタメンに入れなかった。
もう一人の外国人選手ジェフリー・マルテも故障が多く1軍と2軍を往復しており、それに加えてロハス・ジュニアが2割程度ではタイガースも戦力補強が必要となって、6月20日にアデルリン・ロドリゲスと契約する羽目になった。
ロハス・ジュニアは89試合に出場して41安打27打点9本塁打で打率 . 224という前年とあまり変わらない成績で終わり、10月28日に退団が発表された。
「韓国での数字は何だったのか?」という疑問に対し、「現在の韓国プロ野球のレベルが下がっているからだ」という答えを、ロハス・ジュニアが明らかにしてしまったということなのだろう。
ブライアン・ケラー 投手
ロハス・ジュニアのあと背番号「24」はブライアン・ケラーに引き継がれる。B・ケラーは2022(令和4)年12月14日、年俸60万ドルでタイガースと契約。スリークォーター気味の右投げでストレートはそれなりに速く、映像の段階ではピッチングに関して評価は悪くなかった。
しかしオープン戦からいきなり馬脚を現す。まず腕の振りが一定でないためリリースポイントがばらばらでコントロールできない。そのため右打者の場合だと内角への危ない球や、外角へのワイルとピッチなど、ホームベース上を通るボールが少ない。
クイックもまともにできないため、セットポジションになるとさらにコントロールを乱し、デッドボールやワイルドピッチが普通に出てしまう。
フィールディングもバタバタで、べースカバーなども怠ることが多く、まともに投内連携もできない。とてもプロのレベルとは言えない惨状だった。
当然開幕2軍を命じられ、右ひじの違和感から6月には検査のため一時帰国。一週間ほどで再来日したが、その後も登板機会はなく7月25日に自由契約となって退団した。
結局ウェスタンで3試合3勝1敗、15回2 /
3を投げ自責点6、防御率3 .
45というのが日本での実績だった。何のために獲得したのか、まったく疑問である。
まとめ
横田さんはすごく素直で一生懸命野球に取り組んでいた選手だったんだね しかも掛布さんが認めるように走・攻・守の三拍子そろった素晴らしい素質を秘めた選手だった。開花する前に病魔に襲われてしまったけど 今度は「必ず復活する」という強い意志で病気と闘う姿を見せてくれたんだよね
残念ながら28歳で亡くなってしまったけどタイガースファンは忘れないよ 先代のブログでは2016年かな ウェスタンの試合で何度か横田選手を見て「ファウルやゴロしか打てない」と不審に思ったことが書いてある 病気の影響が出始めていたのかもしれないね・・・
ロハス・ジュニアさんは2代目も期待してたんだよ 韓国の数字が桁外れだったからねえ 騙されました でも両打にこだわらず右打席一本で勝負した方が良かったっていう気はするなあ
B・ケラー投手は実際に見たことがあるけど 唯一好い状態の時だったんだよ ランナーをほとんど出さなかったからクイックの必要がなく安定してたんだろうね ランナーが出るとメロメロなんだけどその日だけ好かったんだよ
これで背番号24は終わりです 2024(令和6)年はまた空番になってるよね 多分来年のルーキーが着けることになるんだろうな
背番号25へ続く

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