シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年12月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 古代東洋の秘儀において、経験できる大いなる巨大な存在のうちの、少しでも知ろうとするなら、まず時が熟すまで待たなければならなかった。

 秘儀に付随する供犠、いわゆる超感覚的な試行を、秋に行なうか、もしくは春にまた別の試行を行うか、或いはまた別の試行を真夏、もしくは真冬に行なうかにより季節に応じて、そのときだけに経験できる、と言う具合だった。

 (天皇の宮中祭祀が季節毎に執行されるのも、古代東洋の秘儀に源流があるのかもしれない。)

宮中祭祀
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80

 また、月が特定の相をとることで、正しい時期と知ることのできた時期に、関連する神々に供犠が捧げられる、ということもあった。そのとき、神々は秘儀のなかに姿を現わした。実際に、神々が顕現した。

 更にまた、古代東洋の秘儀においては、神的存在が、再度、顕現する機会がやってくるまで、おおよそ30年ほど待たなければならなかった。例えば、土星に関わる神的存在全ては、30年毎に秘儀の領域に参入できるだけで、月に関わる神的存在全てはおおよそ18年毎等々だった。

 従って、古代東洋の秘儀の祭司たちが得た壮大で巨大な認識や観照は、時間や空間に左右される形で獲得できた。例えば、洞窟の奥深くでは、他の場所とは全く異なる啓示が得られ、また山の頂上では、別の啓示が得られた。また、別のアジアの山奥深く、もしくは、また海岸地帯他にいるときには、別の異なった啓示が得られた。

 つまり、地上の空間と時間への依存が、まさに古代東洋の秘儀における特質だった。



 古代ギリシア人は、人間として正しい形で準備、例えば、正しい黙想や、人格上の供犠を捧げれば、この(影)像を得ることができた。供犠と人格的成熟のある段階に到達すれば、いわば人格者として到達したが故に、大いなる宇宙の出来事と宇宙的な存在たちの影にアプローチできるようになった。

 これは、古代東洋から、古代ギリシアへの秘儀の本質における大きな変化で、古代東洋の秘儀は、地上の様々な場所や空間の条件に依存し、対照的に、古代ギリシアの秘儀では、自分が神々にもたらした人格上の供犠(人間性、道徳的認識)に依存した。

 古代ギリシアでは、神が、眼にみえる姿で、自分のところへと訪れるような準備段階を経て、自分に神が訪れるに相応しい人格者であると、神々に評価されたとき、神々は、眼にみえる影像の姿で訪れた。このような秘儀参入により、古代ギリシアの秘儀は、新たな人類を、真に準備する叡智となった。

 さて、古代東洋の秘儀(イシュタル?)と古代ギリシアの秘儀との中間の位置に、エフェソスの秘儀があった。

 エフェソスの秘儀は、特殊な位置を占めていた。というのも、エフェソスで、秘儀に参入した古代人たちは、古代東洋の巨大で壮麗な真実をまだ多少とも経験できたからである。人間と大宇宙(マクロコスモス)の関係、大宇宙の神的-霊的な存在たちと人間との関連についての内なる感受や感覚により、まだ神々の真実に触れることができた。

 エフェソスでは、地上を超えた存在について、まだ多くの叡智が感じ取られていた。そして、エフェソスの秘儀の女神アルテミスと1つになることで、以前述べた宇宙の歴史における生命的な関係がもたらされた。

「植物界はお前の世界である。地球はただ、お前から植物界を受け取った。お前は動物界を克服した。お前は動物界を置き去りにしなければならなかった。お前が人間となることができるために置き去りにせねばならなかった動物たちを、お前は、ありったけの同情をもって眺めなければならない。」

 このように大宇宙と自分が1つであると感じる、この感情が、エフェソスの秘儀参入者たちにはまだ直接の体験から、現実(リアリティ)から、伝えられた。

 しかし、エフェソスでは、西洋に向けられた最初の秘儀として、季節、もしくは時代の流れ、要するに地上における時と場所からの独立があった。エフェソスでは既に、古代人が行なう黙想や、神々への供犠と帰依を通じて、どのように自分を成熟させるか、という精神的な秘儀参入法が注目されていた。

 その結果、実際、エフェソスの秘儀は、秘儀の真実の内容を通じる点でまだ古代東洋の叡智を含み、また、自然とは独立し、人間の精神的な進化へと、いわゆる内面における人間的意識性へと前進していたことで、既に古代ギリシア精神の叡智への傾向をもっていた。

 エフェソスの秘儀は、いわば古代の大いなる真実に、人間が近づくことができた東洋における最後の秘儀だった。というのも、東洋では、既に秘儀が頽廃に至っていたからである。



 というのも、第4講で述べた、ヒベルニアの2つの立像に関する事実、1つは太陽像でもう1つは月像、つまり1つは男性像で、もう1つは女性像だったが、この立像の秘密自体を、今日(1924年)、いわゆるアカシャ年代記から探究することが、困難な状況だからである。

 2つの立像に関する事実に精通した参入者たちにとって、東洋の秘儀(イシュタル?)の像にアプローチし、2つの立像の秘密を、アストラル光(叡智)のなかから取り出してくることは、比較的困難ではなかった。

 しかし、取り出したアストラル光(叡智)のなかで、ヒベルニアの秘儀にアプローチしようとすると、はじめの段階で何か麻痺(眩惑)のようなものに見舞われ、跳ね返される。この古代アイルランドのヒベルニアの秘儀は、本質的には、純粋さを最も長く保っているにも関わらず、今日(1924年)では、もはやアカシャ年代記のなかに自分の姿を見せようとはしない。

 (霊視できず、封印されているようである。)





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Last updated  2010年12月27日 16時49分11秒
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