七詩さんのHP

七詩さんのHP

PR

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

七詩

七詩

カレンダー

お気に入りブログ

バスツアー「稚内・… New! みらい0614さん

コメント新着

鳩ポッポ9098@ 多文化共生は既定路線 New! >移民政策というと議論になっても、同じ…
ふぁみり~キャンパー@ Re:移民政策を多文化共生と言い換えて(11/13) まあ与党と、立憲民主どっちも外国人労働…
ふぁみり~キャンパー@ Re:移民政策を多文化共生と言い換えて(11/13) >そらく今の与党からみて、消える直前の…
鳩ポッポ9098@ 風に乗るのが生き残る道 >参政党は自民党から離れた保守層を吸収…
七詩 @ Re:参政党の政策が支持されたわけではない(11/10) 鳩ポッポ9098さんへ 参政党は自民党から…
鳩ポッポ9098@ 参政党の政策が支持されたわけではない >参政党の存在が政権党の外国人政策に影…
七詩 @ Re:参政党は正念場(11/10) 鳩ポッポ9098さんへ 参政党の存在が政権…
鳩ポッポ9098@ 参政党は正念場 七詩さんへ >保守層の一部が自民党に戻っ…
七詩 @ Re:保守派の還流(11/10) 鳩ポッポ9098さんへ 保守層の一部が自民…
鳩ポッポ9098@ 保守派の還流 >移民国家でもない日本では低階層の外国…
2006年10月15日
XML
テーマ: ニュース(95824)
カテゴリ: カテゴリ未分類
英語よりも国語が重要、語学よりも中味が重要…よくこういうことをいう人がいるが、よく考えると変な理屈だ。英語よりも国語が重要というのなら、同じ様に数学よりも国語が重要、理科よりも国語が重要という理屈だってなりたつ。なにしろ母国語は空気のようなもので、その重要性を他教科と比較すること自体がおかしな話で、そんなことをいうのなら、国語以外の授業なんか不必要になってしまう。英語は重要である。たしかにすべての人が英語を必要とするわけではないが、すべての子供に英語教育をきちんと行なうことで、英語を必要とする職業につくチャンスを与えることはできる。そして今後、その英語を必要とする職業はますます拡大していく。
また、たとえ英語が生活の糧にならなくても、これだけ世界がグローバル化していけば、英語力は個人の得る情報の質量に大きく影響をしてくる。戦前の狂信的な軍国主義だって、もし国民の多くが外国の情報に直接接していればありえなかったのではないか。例えば万邦無比の神国…こんなのは普通に英語の情報に接していればすぐにそのアホらしさに気づくだろう。英語教育軽視は愚民政策にしかみえないゆえんである。
英語に対して重要性が強調される国語であるが、たしかにその重要性は否定しない。しかし、これを学校の授業でそれほど時間をかけてやる必要があるかどうかは疑問である。母国語は24時間、五感で習得するもので、美しい日本語も正しい敬語も学校というよりも実生活で身につけるものだからである。もちろん読む楽しさ、書く楽しさは教える必要があるが、退屈な文章を教材にしてながながと分析したり、現代文の文法をやったりというのは、時間の無駄ではないか。それに論説文はともかくとして、「文学」が教育として万人が親しまなければならないものかというと、ちょっと違うような気もする。中学生の頃、学校の図書室にまともな文学全集がおいてないのに閉口したが、その頃、読んだ「罪と罰」、「復活」、「赤と黒」といった本は、たしかに今考えてみると中学生にはあまり教育的ではない。なにしろテーマが殺人、不倫、売春等なのだから。もしかしたら国語こそ最低必要限の授業でよくて、その分の時間を英語教育にまわした方がよいのかもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年10月15日 08時05分53秒
コメント(17) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:英語教育考(10/15)  
杉山巡  さん
金田一京助の孫、金田一春彦の息子で、金田一○○(○○というのは遠慮しているのではなくて、全く憶えたくも無いほど、酷い人物だから)という言語学者が最近、マスコミに出ていますが、全く国語のセンスのない人物で、多分、周りで彼に対して教育する人が居なかったのでしょう。
どの業界にもこういう御曹司がいるようです。
英語が出来ると周りから思われている人に、語学のセンスがゼロという人がいます。そういう人ほど早期英語教育に反対のようで、この問題、語学センスのリトマス紙になると思っています。

(2006年10月15日 08時29分19秒)

Re:英語教育考(10/15)  
alex99  さん
「英語軽視教育は愚民政策」
同感です。
日本語が素晴らしい言語であることは否定しませんし、日本人のアイデンティティーですが、ツールとしての英語への評価と同列には論じられません。

未来形としての英語教育は、従来の「教養」程度のものとは一線を画して、グローバルな世界に入るための最重要なツールだと思います。

(2006年10月15日 08時59分22秒)

Re:英語教育考(10/15)  
revbat  さん
正書法はきちんとした教育を経ないと身に付きませんよ。
ロジックについても同様。
現行の(もしくは昔の)感想文を書かせるような情緒的な授業であれば止めてしまえとは思いますが。

英語教育を重視=早期英語教育導入
って決めつけはどうなんでしょうか。早期英語教育反対論者で、英語教育を重視している方も多々おられます。美しい云々のヒトが何を考えているかはしりませんけれども。

必要なのは焦って早期教育を導入する事ではなく、英語教育全般を目的と効率を考えて組み直す事でしょう。その中で十分リソースと確保した上で、意義がある部分について若年期に適用することができれば、それは歓迎すべき事です。
今のままでは、大多数の者にとっては貴重なリソースが英語教育産業の食い物になっただけという形で終わってしまうことでしょう。
早期英語教育反対論者の少なからざるヒトが、現行でも十分とは言えぬリソースがさらに分散することを、その根拠としていると思うのですが、それでも今それをやると言わないと、英語教育重視に反対している事になるのでしょうか?
強行しても、一部の「上澄み」は得られるでしょうし、その「上澄み」の質と量は上昇しうるかもしれませんが、それがブログ主さまの望みなのではないのではないかと思います。 (2006年10月15日 10時21分44秒)

英語教育の早晩を憂える前に  
ユトプス  さん
 英語早期教育を取り入れたい人の中には、僕の推測ですが、英語をしゃべることのできる日本人を養成しなければならないと考えているひとも多いのではないかと思います。

 日本人の英語は文法力は世界のトップクラスだが、しゃべることができない、と揶揄されていますね。

 当然といえば当然ですね、日本の英語教育は『受験英語』教育ですから。
 19世紀に使われていた英文をいまだに現代文として問題として使っていたり、ネイティブな欧米人でさえわからないといわれる、()のなかに何々をいれよ、なんて問題が現存しているのですから。

 これをスポーツにたとえると、技の名前だけを一生懸命テキストでだけ覚えて、筋力トレーニングばかりに時間を割き、実際の試合はほとんどやらせることなく卒業させるようなものでしょう。

 話すことのできる日本人を育てるという目的で早期教育を始めるというのなら、私は悪くはないと思います。
 ただ、現状で英語を知識として習得していても『話せる』教育者が少ない状況で、いったいどうやってそれをやるのか、課題は山済みです。

 さらに、今では中学校受験でさえ私が子供のころとは比較にならないくらい多くなっているといいます。
 せっかく話せる英語を目的として始めても、それがいつの間にか受験のための英語教育に変質していく危険性もあると思います。

 それが益々英語嫌いの子供を作っていく・・・その滑稽なまでの悪循環を作らなければいいがと思います。 (2006年10月15日 10時47分28秒)

Re[1]:英語教育考(10/15)  
七詩  さん
杉山巡さん
金田一春彦のご子息ですか?なんか3代で同じ分野というのもなんだかなあ。
英語教育についての考え方は語学センスのリトマス紙だけでなく、その人がどういう立場で教育について語っているかのよいリトマス紙だと思います。子供の立場、当事者の立場から語っているのか、牧民というような当事者とは別な一段高いところから語っているのかというようなネ。 (2006年10月15日 14時23分50秒)

Re[1]:英語教育考(10/15)  
七詩  さん
alex99さん
よくフランス人は母国語を大切にしているという議論がありますが、母国語の尊重と外国語教育とは全く別の話です。フランス人だって普通の人は普通に英語ができるのではないのでしょうか。
ツールとしての英語を身に付けさせるのは国家の義務といっても過言ではありません。 (2006年10月15日 14時26分31秒)

Re[1]:英語教育考(10/15)  
七詩  さん
revbatさん
おっしゃるとおりです。
早期教育反対論の中にも英語教育そのものの必要性を軽視している人と早期教育そのものの効果に疑問を持つ人とがいるようです。
私が反発するのは、庶民には英語は必要ないといわんばかりの議論をする人であって、効果の面で早期教育に疑問があるなら、それも検討しなければなりませんね。ただ世界の趨勢としては英語は小学校のうちからやっています。それこそ日本よりも貧しい国が小学生に充実した語学教育を施しているのを見ると、ちょっと衝撃をうけます。 (2006年10月15日 14時32分34秒)

Re:英語教育の早晩を憂える前に(10/15)  
七詩  さん
ユトプスさん
たしかに指導者の問題はありますね。
正規の教員じゃなくても地域の外国人や海外経験のある人をどんどん使っていけばよいと思います。フィリピンなどの労働力はこうしたところにも使えばよいのにと思いますよ。 (2006年10月15日 14時37分07秒)

Re[2]:英語教育考(10/15)  
alex99  さん
七詩さん
>alex99さん
>よくフランス人は母国語を大切にしているという議論がありますが、母国語の尊重と外国語教育とは全く別の話です。フランス人だって普通の人は普通に英語ができるのではないのでしょうか。
>ツールとしての英語を身に付けさせるのは国家の義務といっても過言ではありません。
-----
同感。
英語なんて要らないと言う人も、英語を身につければ別世界が開けるはずだし、開かなければ日本の未来は暗い。
いつまでも日本語だけの村社会ではいけない。
日本語のインターネットなんて、井の中の蛙。

それに英語リタラシーの無い国民は、将来、国際競争に負けますね。
英語リタラシーは国力の要素です。
例えば、インドは英国の植民地だった負の遺産を英語リタラシーという形でプラスに変えました。

私は早期教育に越したことは無いと思います。
遅く英語を学習した人の英語と、幼児から英語になじんだ人間の英語を聞けば、その差は、一目瞭然。
いや、一聴瞭然。

中身が肝心なんていってられない。

(2006年10月15日 16時06分45秒)

Re[3]:英語教育考(10/15)  
七詩  さん
alex99さん
英語力イコール国家資源といってもいいですね。
何もないフィリピンも英語のできる人材を送り出して外貨をかせいでいますし、インドには欧米との時差を利用するビジネスがいくつもあるといいます。
英語ができないのも井の中の蛙ですが、この論争自体も井の中の蛙のようなところがありますね。半可通のようなフランス人の母国語愛の話がもちだされるのなら、なぜ諸外国の外国語教育の実態があまり紹介されないのでしょうか。英語教育が中学生になってから週3時間なんて国際水準からも少なすぎでしょう。豊かな先進国というのが信じられないくらいです。 (2006年10月15日 21時52分25秒)

Re[2]:英語教育考(10/15)  
revbat  さん
とりあえずちょっとだけ。

七詩さん
>alex99さん
>よくフランス人は母国語を大切にしているという議論がありますが、母国語の尊重と外国語教育とは全く別の話です。フランス人だって普通の人は普通に英語ができるのではないのでしょうか。

できませんよ。ドイツ人とは違います。研究者だってフランス語訛のひどい英語の人が多々いますから。
(2006年10月16日 09時53分57秒)

Re[3]:英語教育考(10/15)  
madeam さん
revbatさん、七詩さん、
ドイツ人も普通の人は数詞さえも英語が判りません。判るのはインテリだけ。
弱小国・オランダでは殆ど皆英語を話します。生きるのに必要だったという歴史があります。
発音がきれいで問いかけが相手に通じる・相手の問いかけが辛うじてわかる・と言うレベルの英語と商売・学問で使えるというのは全く違う話です。ちなみに日本人が仕事をする場合、相手が諸外国人達であれば共通語として英語が使われるのは仕方が無いことですが、その英語は発音が美しくなくても、中味で勝負です。読み書きさえきちんと出来れば通じる世界です。その中味はやはり日本語で構築されるもの。このコーナーでは英語重視の方が殆どで書きにくかったのですが、英語が喋れても外国人には尊敬されません。でも、日本人には尊敬されるから、この話題への書き込みが多いのでしょうか。因みに私の英語レベルは英語圏・ないしオランダ・北欧で道を聞いてホテルに泊まれる程度。知らない人と簡単な会話が交わせる程度です。これ以上はきちんとした本での勉強かなと諦めています。受験英語を侮るなかれですよ。
(2006年10月16日 13時02分56秒)

Re[4]:英語教育考(10/15)  
revbat  さん
他の諸国では充実した教育を云々と仰っておられますが、その背景の違いに触れぬのはどうでしょう。そういった国々の多くでは、英語の国内における公的な地位が異なります。

日本は
1.英語が母国語でも公用語でもない
2.英語を高等教育で必要としない
というのに加えて、
3.外国人に接する機会が比較的少ない
という特徴すら持っています。

1.3.から日常生活で困らず
2.から教育を受ける上でも困りません

私自身も英語の反復練習に費やすような学習時間は、全部ブルーバックスを読んだり、数学の問題集で遊ぶのに費やしていました。日本語のままでどんどん知的刺激を受け続け、先へ先へと進めるのに、どうして迂回する必要がありましょうや。

一方で例に挙がっていたフィリピンでは公用語の一つであり、高等教育に不可欠ですから、英語の必要性がまるっきり異なります。

かように、そもそものモチベーションの形成と維持のレベルが違っています。

翻って、たとえばalex99さんは、ご自身のサイトで話されていたご経歴をきく限りでは、英語に対する親和性が強いご家庭であったように思われます。また、帰国子女などでは内的にも外的にもモチベーションが形成・維持されやすい環境にあることも明らかでしょう。


ここに英語と日本語の言語的距離の遠さを考えあわせれば、結論は自ずから明らかです。

アメリカ人が、外交に使えるレベルに言語を習得するための集中的な特訓を行うにおいて、独仏などの言葉ではせいぜい800時間あれば良いのに対して、日本語(中国語、アラビア語なども同様)には3000時間ほども要するという調査結果があるそうです。

集中的にやって、3000時間ですよ。

そう考えれば、日本人は全体としてみればすごく「英語が上手」だと思いますよ。重要な国際会議・国際機関・国際的委員会に日本人が必ずと言っていいほど含まれているんですから。 (2006年10月16日 20時47分19秒)

Re[5]:英語教育考(10/15)  
revbat  さん
そういった背景的な部分を考慮に入れれば、仰るように英語力=国家資源ということで、真に国民の英語レベルを上げることが今後の日本国にとって最重要だというのならば、中途半端に英語の授業を、しかも若い方に増やしたって、モチベーションレベルでは何も変わりませんから、おそらく無駄です。


従って、あくまで英語を最重要視するのであれば、やるべき方策は
a.(高等)教育の英語化
b.公用語化
でしょう。もっともb.を行ったところで上記3.の状況に変化がなければ、意味があるか(それで困るか/モチベーションに結びつくか)どうかはわかりませんから、おそらくもっとも有効であるのはa.でしょう。

もちろんa.は、現在のように、庶民も子供もほとんどシームレスに高いレベルの知的な成果に触れられるという日本の現状、母語で哲学まで(一応)行えるという状況を捨て去ることに通じますが、英語が最重要であるというのなら仕方ありますまい。


さすれば、英語が自在に操れ、情報発信に(ブログ等のレベルにおいても)活躍できる人材が「激」増することは間違いないでしょう。日本の未来は明るくなりますね。

lowerとmiddle以上の階層化もより明確になることでしょうが。



長文失礼しました。


>madeamさん
おや。ドイツでもそうでしたか。出会った事のあるドイツ人はどいつもこいつも上手だったんで、そう思っておりました。もちろんドイツに旅行した事もありませんです。
(2006年10月16日 20時48分55秒)

Re[6]:英語教育考(10/15)  
madeam さん
私も生活に必要でない限り外国語は身に付かないと思っています。
逆に言うと日本でも必要な人は身に付けます。
日本でも戦後一番先に英語を喋っていたのはアメリカ人の愛人になった女性たちでした。
因みにドイツでは飛行場に行けば英語もOKでしたが鉄道は大変でした。日本と違ってプラットフォームの変更・時間の変更が日常的です。何かアナウンスがあったらまずはそれを疑い、メガネをかけて、アタッシュケースを持っているような人を探しました。ヨーロッパは鉄道で繋がっています。ドイツ語・フランス語・イタリー語をいとも簡単に話す人達が沢山居ます。そういう人は英語も話しましたよ。
数学者で大道芸人のピーターフランクルが言っていましたが、大切なことは母国語でしか考えられないと。
私は数学よりも理科よりもまずは日本語と思っています。
オランダでの経験ですが、中学生のスーパーマーケットの研修によく出会いました。彼等は大学には行かないコースを歩んでいて応対のための英語は学んでいました。ドイツとは違い旧植民地の人達、イスラム系と沢山の外国人が暮らす国です。 (2006年10月16日 22時21分48秒)

Re[6]:英語教育考(10/15)  
七詩  さん
revbatさん
長文のコメントありがとうございました。
数学ができるのですね。なんかうらやましいなあ。
数学的思考力って天賦のもので、できるひとはそれこそ恵みのようなものですから。だから中学まではともかく高校生くらいで本当に数学をすべての人がやらなければならないのかいつも不思議に思っていますよ。
その点、英語は違います。もちろんこれも才能はあるのですが、数学に比べると才能に依存する部分は小さい。才能のない子に数学を教えるのは不可能かもしれないけど、英語はかなりの人が習得できるのではないのでしょうか。高度な議論をしたり論文を読みこなすのばかりが英語ではありません。外国人観光客にものを売ったり、手に職をつけて外国に新天地を求めたり…英語ができると人生にも職業にも選択の幅ががぜん増えます。そのために外国語アレルギーを解消し、耳をなれさせるための早期教育は悪くないし、中国や韓国も含め、多くの国が小学校から英語をやっています。 (2006年10月16日 23時53分52秒)

Re[7]:英語教育考(10/15)  
七詩  さん
madeamさん
>私も生活に必要でない限り外国語は身に付かないと思っています。
本当は英語の必要性って増えてきますよ。
若年失業者やニートがいて、なおかつ団塊世代の退職を考えると、疑問なのですがフィリピン人介護士がやって来る。最初は日本語の習得が条件なんていってても、そのうちそうもいってられなくなるでしょう。英語を知らないと介護士さんに何も頼めない・・・案外そんな時代もくるかもしれません。 (2006年10月16日 23時58分31秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: