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『信じきれる思いが何ひとつないときはどうしたらいいか?』前回、「信じきれない思いは始めから持たない方が、苦しくなくなりますよ」ということを書いたのですが、苦しい時期が長いほど、何も信じることはできなくなってきますよね。じゃ、そんなときはどうしたらいいか?ということなんですが、そんなときは、諦(あきら)めてください。「なげやりになれ」ということではありません。「諦める」とは、「明らかに眺める」ということです。つまり、「今の自分には信じきれる思いはないんだ」ということをありのまま認めてくださいということです。そこに、いい、わるい、をつけないで、今の自分を確認してくださいということです。信じきれる思いが無い以上、思いを持たないほうが楽に生きれます。そこで思いを持たないと、今まで、叶わない思いを叶えるために使ってきたエネルギーや、叶わないことを環境や生い立ちや自分の能力のせいにしてきた、何かを責めるエネルギーが余ってきます。そのエネルギーを、「誰かが喜ぶことに使ってみてはどうでしょう?」ということを今回提案したいのです。思いが叶ってこなかった人というのは、「余裕」がありません。使わなくていいとこに、エネルギーを消費している自覚がないからです。だから、「思いが叶って精神的余裕ができたら、その余裕を使って人に何かできるけど、こんな状況じゃ、自分より幸せに見える人に何かするなんてとてもできない」と思っています。ですから、「誰かを喜ばすこと」がどうしても二の次になってしまうんですけど、「誰かに喜んでもらって、そのときに自分が感じる喜び」というのも、思いが叶ったときに感じる喜びに負けないものなんです。「思いを叶えたい」と思うのも、喜びを感じたいからです。そして、「思いを叶える以外、自分は喜びを感じない」と思いこんでいるから、自分の思いを叶えることだけを見続けるのですが、「誰かに喜んでもらうことでも自分は喜びを感じることができる」ということなのです。それは何も難しいことではありません。例えば、自分が笑顔でいて、それをみた相手がいい気分になることも充分相手の喜びになっています。つまり、今まで自分にだけ向けてきた意識を、「他人がいい気分になるには、どんな表情でいて、どんな態度でいて、どんな言葉を使えばいいだろう?」というところに向けてみてくださいということなのです。それを3~6ヶ月「継続」して行うと何が起こるかというと、「人から声をかけられるようになる」ということなんです。そして、その中には「頼まれごと」が含まれてきます。そして、その「頼まれごと」をこなしていくと、「人の流れ」ができてきます。自分の思いばかり見つめている人が友達が少ないのは、この「頼まれごと」が人生の中にないからなんです。そして、この「人の流れ」の後から「お金の流れ」がついてくるんです。自分の思いを叶えることだけを追求する生き方だと、「思いが叶った瞬間」にしか喜びはありませんけど、「人を喜ばす生き方」を選択すると、それよりずっと、自分が喜ぶ瞬間は増えてくるんです。そこから、「自分はいろんな人が自分にできないことをしてくれて作ってくれた土台の上に生かされている」ということが見えてくるんです。自分は生かされているのに、自分を生かしてくれている人を無視して自分のことだけに一杯一杯になっていたことが、自分で流れを断ち切って自分で自分を孤独にしてしまっていたことが見えてくるんです。だから私には、親から虐待を受け、社会からも受け入れられず、離婚、自己破産、ホームレスと、青春の甘い思い出もなく、過去の何ひとつ思い通りにいかなかった人生というものが、「人を喜ばす生き方」というものに気づくためにそうであった、としか思えないのです。
2007年09月23日
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『なぜ苦しいと感じるのか?』なぜ苦しいと感じるのか?それは、思い通りにいかないからです。ですから、苦しくなくなるには、始めから「思い」を持たなければいいのです。始めから思いがなければ、「思い通りにいかない」こともなくなりますから、人生からすべての苦しみが消え去ります。しかし、100%思い通りになっているのも人生です。これはどういうことかといいますと、「出したものが還ってくる」というのが人生の法則です。これを言いかえると、「信じているものしか受け取れないのが人生」ということです。つまり、「あれがほしい」「これがほしい」「ああなりたい」「こうなりたい」と、いろんな「思い」があって、それが「思い通りにいかない」から苦しいと感じます。そのときに、「あれが手にできる」「こうなれる」と信じきれていますか?ということなのです。その「思い」よりも、「自分には手にできない」「こうはなれない」の方を信じているから、そのとおりの現実を受け取っているということです。ですから、「信じきれない思いは、始めから持たないほうが楽に生きれますよ」ということを言いたいのです。夢も希望も持つなということではないのです。「願望を持って生きるのと、そうなると信じて生きるのとでは、雲泥の差がありますよ」ということを言いたいのです。信じきれてないから、「いつになったら叶うのだろう」と途中で不安になったり、あきらめてしまうのです。「信号はいつか必ず変わる」と信じて疑ってないから「待てる」のですよね?それと同じことです。今まで人生が思い通りにいかないで、「あきらめ」の中で生きてきた人は、「自分が何を信じて生きてきたか?」もう一度、確認してほしいのです。
2007年09月23日
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『人生の仕組みとお金の関係』人生とは、おおざっぱに言ってしまえば、「思い込み」で創られています。つまり、「私は○○です」という思い込みが、その自分にふさわしい現実を引きよせているのが人生と言えます。わかりやすい例をあげると、「お金がほしい」といつも言っている人ほど、なかなかお金は入ってきません。それはなぜなのか?それは、「お金がほしい」という言葉を、「私は○○です」という言葉に置き換えることで、わかってきます。つまり、「お金がほしい」という言葉をいつも言っているということは、「私はお金の無い人間です」ということを、いつも宣言しているのと同じなのです。だから、「私はお金の無い人間です」(という思い込み)にふさわしい現実が引きよせられて、お金の無い現実を生きるはめになるのです。しかし、「お金がほしい」といつも言っている人は、「実際にお金がないのだから」自分のことを、「私はお金の無い人間です」と思うことに、疑問を持ちません。ですから、その思いが「思い込みである」ということにも気づけません。ここに、お金の無い現実から抜けられない鍵があります。つまり、「実際にお金がないのだから、自分のことを、「私はお金の無い人間です」と思うことは、当然のことだ」と思っている人は、「まず現実があって、それで心が決まる」と思っています。しかし、人生の仕組みはそうではないのです。「まず思いがあって、その思いにふさわしい現実が後からやってくる」なのです。ですから、お金の無い現実を見て、「私はお金の無い人間です」という思いを思うことをどこかでやめないと、ずっとお金の無い現実がやってくるのです。このように、「私はお金の無い人間です」というような、「セルフイメージ」がその人の人生に現れる現実を、決定しています。そして、ほとんどの人が自分のセルフイメージに無自覚(気づけていない)でいるのです。ですから、「頭」でいくらお金がほしいと思っても、「心」で「私はお金の無い人間です」と決めつけてしまっていることに気づいていないので、「人生とは思うようにいかないものだ」「私はお金持ちにはなれない運命なのだ」などと思ってしまって、そこでまた、「私の人生は思うようにいかない人生です」「私は何をやってもお金持ちにはなれないです」といった2重、3重のセルフイメージを作ってしまって、ますます、お金のある現実から自分を遠ざけてしまっているのです。お金に限らず、恋人ができないことや、何かずっと叶わないことがあるときは、これと同じことが心の中で起こっています。つまり、現実を見て「自分は○○です」と決めつけることをどこかでやめて、何が起こっていようとも、「ありたい自分」に意識を向けて「自分は○○です」とセルフイメージを根気よく「書き換えて」いく必要があるのです。お金がない現実の中にいても、「私は豊かで満たされています」といったふうに、自分のセルフイメージを書き換えていくのです。3年お金のない時期があったのなら、3年かけて書き換えていく「覚悟」がいります。結果ばかりをほしがっていると、セルフイメージが現実になるまでは、「時間」がかかるので、途中で「あせり」がでて、3年もとても待てません。途中で投げ出して、また自分を否定することを始めてしまいます。それはそれで、その人が決めた人生なのだから、「いい」も「わるい」もないのですが、その現実の繰り返しにうんざりしているのなら、自分を苦しめてきた時間と同じ時間をかけて、なりたい自分に自分をならせてあげる「覚悟」がいるのです。「環境」「能力」一切関係ありません。「何があってもなりたい自分になる。そのために行動していく」という「覚悟」それだけが必要なのです。
2007年09月08日
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よく、自分から質問をしているのに、還ってきた答えに対して、「でも」「だけど」と言う人がいます。それは、どういうことなのでしょうか?それは、その質問が本当の質問ではなく、自分の中に「こうしたい」という答えがすでにあって、それでいいのか、確認をとっている作業だからです。そういう人は、自分ひとりで決めて、責任がぜんぶ自分にくることを無意識に避けているから、他人の「追認」を必要として、「質問」という「確認」をするんです。自分に自信が持てないから、自分が決めた「こうしたい」にも自信が持てないんですね。だから、相手の「こうしなさい」が、自分の「こうしたい」と一致するのか?と、「未来の傷つくかもしれない自分」に極力「保険」をかけたいんです。だから、(無意識に求めている)納得のいく答えと巡り合うまで、いろんな人に同じ質問を繰り返すことになるんです。ですから、質問しているのに「でも」「だけど」と言ってしまうときは、「自分の中に「こうしたい」という答えがすでにある」ということに気付かないといけません。人は、他人の「こうしなさい」よりも、自分の「こうしたい」に従いたいものなのです。その自分の本音が、「でも」「だけど」という形で現れているのです。ですから、相手のどんな言葉にひっかかって、「でも」「だけど」が出てくるのか?そこを注意深く観察して、自分の本音の「こうしたい」を、見つけてあげる必要があるのです。どんなに偉い人に質問しても、答えはいつも、あなた自身の中にあります。
2007年09月08日
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