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アメリカもロシアも中国も、そしてもちろん日本も、国なんぞという、得体の知れないものの利益のために、尊い命を次々に無駄に奪って行く。マスコミもマスコミである、世界の大勢は、幾つかの強国と、ユダヤ、華僑などの裏の力が手を結んで、自分達に都合の良いように動かしている。アフガンを始めとするイスラム圏の国が平和に落ち着いてくれるとイスラエルは、たちまち困ってしまう。北朝鮮が、韓国と統一されるなど、中国は第一に、アメリカだって認めたくは無いだろう。アフリカも、今のように紛争が続く事によって、強国はその資源などの利権争いに強権を持って臨む事が出来るのであろう。言わば、そのような、強国の意図の下で、運命を左右され、アルカイダのみを、一方的に悪者に仕立て上げる事で、この地に平穏な日々が訪れる事の無いように、コントロールしている国(権力者)がいる限り、どんなに、この地に平和を築こうと努力しても、決して庶民が望むような平和など訪れはしない。マスコミは、こんな事の、本当の根っ子を知りすぎる程知っているのに、決して庶民には、明かそうとはしないのである。アルカイダにしても、武器の調達を始めとする資金などを、単にイスラム社会だけに止まらず、むしろ、その反対勢力からも援助されている事さえ否定出来はしない。だからこそ、武器は何の成果をも生まないのである。伊藤和也さんの意志は、立派の一言に尽きるが、今回のような事態が 起り得るであろう事は、推測ではなく確実に起る事態であったのだ。人間、生きているからこそ、意味があるのだ、命を粗末にしてはならない。このことに、日本政府さえも、加担している事を、忘れてはならないのだ。人気ブログランキングへ
2008.08.31
今日は、月末で道路は混んでいるし、本当にしんどい一日でした。早朝から和歌山に行き、クレームのサンプルを受け取り、めっけもん広場(市場)で桃やぶどうを買って、和泉市にあるお得意先で集金(まだ集金する所があるんです)を済ませ、会社でクレームサンプルを下ろし、昼食に向かったのが、1時頃、そこで子育て真っ最中のママに桃とぶどうを渡し、食事を終えると、会社の事務員さんに桃を渡し、それから必死に事務処理や送りの荷造りをして、やっと落ち着いた所です。和歌山の桃も、恐らく、終わりです。黄桃も最期の出荷のような物しか出ていなかったですから・・・。これからは、ぶどう、梨の最盛期が、やって来ます。果物の嫌いな方もお出でしょうが、出来る事なら、皆さんに食べさせてあげたいなぁなんて思ってしまいます。特に、今、飢餓で苦しんでいる人々には、飛んで行けるものなら、せめて、美味しい物を、腹一杯食べさせてあげたいと切に願っております。皆さん、食べる事は、大事です、しかしながら、自分だけが、食べる事を考えないで少しは、分け与えると言う事も考えて見ませんか・・・!!!人気ブログランキングへ
2008.08.29
民主党に巣食う、害虫(もちろん彼らだけではない)が、党を離れ、新党を結成する事になったらしい。この事については、多少政治に興味をお持ちの方々には、諸手を上げて喜ばれる方も多い事だろうと察する。特に、渡辺、大江氏などは、民主党に在籍する事自体、有り得ない人々である。腐蝕政治家とも言える彼らを、数合わせとは言え、よくも今まで党員として在籍させられたものだと、別に民主党支持者でもない私でも、民主党のいい加減さについて、辟易したものである。大方の政治家そのものが、腐った卵の匂いをぷんぷんさせて、尚且つ、その臭気を辺り一面に放出するものだから、日本の社会は、硫化硫黄の匂いが、充満し、国民は窒息寸前の状態である。その中でも、特に、民衆にとって害を為す政治家の象徴と言っても良い彼らに天からの鉄槌が下る事を切に願うものである。人気ブログランキングへ
2008.08.28
先日の事である。夕方、行きつけのスーパーマーケットに行くと、日曜日の事とあって、駐車場は多少混んで いた。そこは、平地の青天の駐車場であったのだが、第一、第二、第三と、並んで連なった駐車 場になっていて、多くの客は、スーパーの入り口に近い、第一駐車場に入れたがるのが、 殆どである。その日は、幸運にも、たまたま、入った時に空きが出来て、すんなり入れる事が出来た。そして、暫く、車の中で、ラジオを聴いていると、神戸ナンバーの何年か落ちのセルシオが、 我が物顔で、駐車スペースを物色しながら、私の車の前で止まり(駐車場の入り口付近で)、 出庫する車や入庫する車の邪魔をするかのように停車したのである。よくよく見ると、車のナンバーは、11-11であり、それを確認した瞬間、はっは~と察しがつ いたものである。すると、案の定、その車の主が、警備の年寄った、痩せ型でメガネの、如何にも要領の悪 そうなおっちゃんに向かって、吠え出したのである。この駐車場は、旧幹線国道に面し、夕方になると、往来も激しく、入出庫する車も多くなる ため空きを探した車が停滞しないように、警備のおっちゃん達は、先に進むように促すのだが、 その時、入り口近くの端っこのスペースを狙っていた、当の主は、よっぽどそれが気に入らな かったのか、よくよく吼えている言葉を聞くと、"歩行者が歩いとんのに、歩行者轢いて行け言 うんか、舐めとんのか、こら~、ぺっっ、ぺっっ"などと、唾を吐きかけ、吼えながら、その気弱 そうな、年寄りを、運転者側のドアの前に跪(ひざまずか)せて、尚、悪態をつくのであった。買い物客も、一体何が起ったのかと言う、怪訝な顔つきで様子を眺めつつ、もちろん、この私 も事の成り行きを見守っていたのである。ようやく、気が収まったのか、やおら、車を降りると、まだ乳飲み子と思われる子供を抱き、 後部座席の、恐らくは、彼の奥さんと思しき、かなり別嬪の女性が、2歳位の子供を抱いて 親子よろしく店舗の中に入って行ったのである。その兄ちゃんたるや、如何にも、やんちゃ、いや、その筋のチンピラちゃんと思われる風体で、何で、こんな所(八尾の田舎何ぞ)に、言わば、場違いの場所に来たのかと、不思議でもあり、何か事が起れば、出て行かざるを得まいと思いつつ、難儀な奴やなあ~と思ったものである。それより、もっと解らなかったのは、遠目ではあるが、恐らく別嬪さんと思われる、彼のお母 ちゃんが、なぜ、こんな人間の奥さんにおさまっているのかが、不思議でならなかった。別に、拉致されたわけでも、無理やり、彼が縛りつけている訳でもないであろう姿からして、 こんな人間でも、何処か、女性にとっては、捨て難い魅力があるものなんだろうか、と、感心 する事しきりなのであった。世の中では、確かに、優しさが全てで無いとは言え、極道関係の人物のカミサンと言えば、 結構別嬪さんが多いわけでもあるが、一体、優しくてぇ、思いやりがあってぇ、などと、何時も ふざけた世迷言を言っている女性の何処に、こんなものに憧れる気持ちが存在しているのだ ろうか、とつくづく考えさせられたものである。人気ブログランキングへ
2008.08.27
先程、事務のおねえさんが帰宅の途に着いたところです。彼女は、今年3月に26歳になった妙齢のお嬢さんであります。通勤は、250CCのスクーターを駆り、遊びに行く時も、このスクーターで梅田、 なんばに出かけていきます。正に、男勝りの女性でありますから、男の影も感じさせる事無く、実家から通い、 行く行くは実家を我が物にせしめんとお考えのようであります。この彼女、昔、私が住んでいた近所で生まれ育ち、両親が私の別れた妻と同じ 高校の一つ違いの同窓生らしいのです。おまけに、この世に唯一私の血を分けた分かれた息子と同い年(同級)だというのです。最初(3年前に彼女が入社した頃)は、ちょっと複雑な気もしておりましたが、今では、 会社でも、一番の理解者(勝手にそう思っているだけ)なのかも知れません。彼女は、自ら、声高に宣言するオタクであり、あるマニア系のコミック(アニメ)作家の ファンらしいのですが、私には、何の事だか、さっぱり解りません。故に、世代の大きなずれもあって、話は殆ど噛みあわないのが常であります。唯一、お祖母ちゃんっ子というのが、共通する所でもあって、現代的なお嬢さんでも あり、古風と言えば言えなくも無い部分を持った、おメメの大きな、目鼻立ちのはっき りとした、美しいお嬢様です。何故だか、解りませんが、歴代の女性事務員さんは、誰もが、普段は(今の時代は 違うのかも知れませんが)知り得べくも無い事、"今日は、女の子なんで"とか、その事 でお休みする時など、"ナプキン幾ら替えてもぐじょぐじょで"なんて言って、私にだけ 言うて来るのです。私のような、世代のおじさんに何て事言ってんだとは思いますが、よっぽど、子羊ちゃん に思われているのか、おじさんはたまったものではありません。ただ、幸いに、お一人を除けば、私が世話焼きを趣味としている事を、ご理解して頂い ているみたいで、誕生日のプレゼントや、何かにつけての気遣いに対しては、心置きなく 受け取って貰っております。女の子が欲しかった私は、幸いと言うか、不幸にもと言うか、男の子を授かり、残念な がら、殆ど一緒に過ごす間も無く分かれてしまったわけですから、若い、そして、決して 楽をしていないお嬢様方を見ていると、世話を焼きたくて仕方なくなるのです。やはり、田舎出のお嬢様には、大きな誤解を与えてしまいましたが、こんな毎日に、 ちょっとは遣り甲斐を感じつつ生きております。人気ブログランキングへ
2008.08.26
先日、我、パートナーさんは、八ケ岳に三泊四日の登山旅行に行ってらっしゃいました。65才のご老体に鞭打って、毎日、旧都ホテルの厨房にお仕事に行き、家事をこなし、お休みは、殆ど山登りに明け暮れていらっしゃいます。本当に、良い事であり、自分の趣味に対して一生懸命になれる事は、喜ばしい限りであります。私は、祖母が失意の内に亡くなってから、少なくとも、縁ある人には、心置き無い人生を送って頂きたいと望んで生きています。 ですから、自分の楽しみとか欲望とかは、全てが贅沢に思えて、私自身に対する思い遣り、心遣いなどが、鬱陶しく、煩わしく思えるほどで、逆に、人に対する本当の思い遣りの無い人間になっているのでは、と、不安になる事があります。それは、さておいて、毎月のように、小旅行に行き、数ヶ月か1年に一度は海外旅行を企てる、我、パートナーさんは、来月には、スイス、マッターホルンに念願が叶い、6日間の旅行に行く事と相成りました。オーストラリア、ハワイには行っているので、次は、カナダかスイスだと思っていたのですが、たまたま、旅行友達の友達が、スイス旅行に行くというので、相乗りさせて頂く事になりました。実に、愉快、世界一周旅行でもして来たらと思う位です。但し、予算が許せばでありますが・・・。私は、一度、モンゴルに旅行しただけで、海外は、もうこりごりだし、飛行機は大嫌いだし、生活のリズムが乱れるのが許せないしと、とても、我儘なので、決して、嫌味や皮肉で言っているのではなく、心から、行きたい、したい、やりたい人が、その事をすれば良いと思うのであります。世の、粗大ゴミ扱いされる男性諸君、奥様をメイド扱いせず、自由に羽ばたかせてあげる寛容な心を持ったならば、きっと明るい未来が開けて来ますから、少しは、奥様に対して、心遣いをして見ましょう。スイスが済んだら、次は、カナダ、ロッキー山脈、ナイアガラの滝を目指してゴーであります。兎に角、旦那に美田を残さぬように、精一杯羽を伸ばして欲しいものです。人気ブログランキングへ
2008.08.25
昔、確か、野坂昭如氏が歌われ、長谷川きよし氏も歌っていた曲である。恐らく、この世に生まれ、物心付いた人々には、この曲の詩が、それぞれの胸に様々な想いを呼び起こしてくれる事だと思う。今朝、そんな事も原因一つであろうと思われる理由で、何故だか、不機嫌になったものである。私のパートナーは、先日65歳の誕生日を迎えた。10数年前には、胃癌の全摘手術を経験し、その後は順調に完治して、今では、私より元気に生きている。その彼女が、20日から3日間、何時もの山登りで八ヶ岳に行って来た、その時の話をする内にその八ヶ岳に仕事をリタイアしたある人が、野菜の栽培を始めて、近隣の農家を集めて、独自の販売システムを率先して指導しているらしく、その方の家にもお邪魔して野菜を買って帰ったらしい。そこに、その方の奥様のお母様も一緒に暮らされていて、そのお祖母様にもお会いしてお話をしたらしく、元々一人暮らしをしていたけれど、今は、大層幸せだと喜んでおられたと、気色ばんで話すものだから、つい、鸚鵡返しに、"それは、お金持ちだからそんな事が出来ているんだろうお金が無かったら、そんな事、出来るものか"と不機嫌に返したものである。これには、沢山の伏線があるのだが、たまたま、パキスタンやアフガンの情勢が険悪になり、日本は、再び、アフガンやイラクで活動する軍隊に対して給油をする形で参加しようとしている。そして、北京オリンピックの陰に隠れて、弾圧されて殺される人々がおり、未だ、手付かずのアフリカや他の紛争地域では、息も絶え絶えの子供達や飢えた人々が、死を待つかのような日々を送っている。その方が、お幸せなのは、それはそれで結構な事だと思う。しかしながら、私などのように、仕事(職業と言った方が正解かも)をリタイアした暁には、是非とも何らかの形で、そんな人々を、僅かでも何とかしたいと思っている人間にしてみれば、人間になる過程を終了してからも、我が身可愛さかよ、欲どしいにも程がある。と思ってしまうのである。人間、50、60と過ぎて来る内に、その欲望も、段々と、ぎらぎらとした脂っ濃く、生臭いものから山奥に隠棲する仙人のような、枯れた、幽玄を醸しだすものに変わって行かなければと思っている。もっとも、リタイアした時に、生活の基盤が出来ていればの話でもあるのだが、70が近くなって迄何かを欲しがるような人間でありたいとは思わない。女性は、そうでない方もいらっしゃるけれども、総じて、現実的であり、自分の生活が第一であり、人にかまけて生きるなんて、望みはしない人が、殆どでは無いだろうか・・・。私の、偏見も多分にあるだろうが、社会に出た頃から、そうでなければ、女性が、そのような志を行動出来るほど、日本の社会が熟成していないのも事実である。最近、いよいよ、私の食は細って行く、出来るなら、食べなくて良い身体になって欲しいと望んでいる。そうすれば、一人分の余分な食糧も要らないし、余分なゴミを生産する必要も無くなる。我々は、人によって差はあるけれども、充分贅沢の限りを尽くして来たでは無いか・・・!!!もういい加減、少しは食べる事について真剣に考えても良い時が来ているのではと、心から思う所である。掲題からは、随分逸れてしまった事を、お許し下さい。人気ブログランキングへ
2008.08.24
それにしても、日本の野球チームよ、練習相手をしてるんじゃ無いだろう。相手との違いは、第一戦の時から見えていたけど、勝ち負けじゃ無く、お姫様のような野球をやって必死に向かって来る相手に通用しますかってぇの・・・!!!確かに、日本の野球は綺麗ではありました、でもね、今の日本のピッチャーの球なら、私でも、バッターボックスに立てますよっちゅうの・・・!!!全く、バッティングピッチャー(コントロールが良く、癖の無い球なんぞ、最高の練習相手やんか)してんじゃありませんよ・・・!!!まあ、日程からすると、大変ご苦労様ではありましたが、それはよそ様も同じ事、日本の選手に覇気が無かったのが、残念でありません。人気ブログランキングへ
2008.08.22
たった今、日本女子ソフトボールチームが、アメリカ合衆国女子ソフトボールチームを破り、悲願の一勝を挙げ、結果的に、オリンピック金メダルを獲得する事になりました。体力的に、そしてパワーで圧倒的に劣る日本女子チームが、アメリカ合衆国の女子の誇るパワーソフトボールを打ち負かした事は、賞賛に値するでしょう。金メダルがどうとかよりも、くたくたになりながら、余裕の合衆国チームを下した事に対して拍手を送りたいと思います。決して、体力やパワーが全てで無い事を知らしめた一戦と言えるでしょう。日本女子の逞しさこそ、以って、賞賛に値する事を、日本の女性の方々には、誇りに思って貰いたいものです。彼の、厳しさで有名な宇津木妙子女史も、勝利の瞬間は、涙・涙・涙でしたよね。本当に、苦しんで、過酷な訓練を積んで来た者にしか解らない、感動でしょうか・・・。今後とも、これに満足せず、アジアの他地域の底上げに、邁進して欲しいと思います。人気ブログランキングへ
2008.08.21
先日、私の事を"完璧主義"でしょ・・・? と言った彼との話を記事にしたのだが、その彼が、ある時、私に、こう尋ねた事があった。Uさんの夢って、遣りたい事って何ですか・・・と。その時も、彼が私に対して、その行動力の無さについて疑問を投げ掛けて来た事が、そんな質問の伏線でもあったのだが、私は、即座に、学校が作りたいと言い放ったものである。これは、嘘でも、気紛れでも無く、日本人を対象にと言うよりは、特に紛争地域の子供達を日本に呼び寄せて、平和な国の平和な環境が、如何にして出来ているのかを知ってもらい、そこで、何の心配もせずに、目一杯勉強に励んで貰いたいと考えるからである。即ち、自論として、人は、環境によって作られるものであって、血によって作られるものではないと、信ずるからである。ウェンツ君のように、外見は欧米人であっても、中身は殆ど日本人であるし、彼の室伏選手にしても、外見はバイキングのようでありながら、バリバリの日本人である。幼少期から、日本のような平和な環境に育った子供達が、日本で学び成長した暁に、母国に帰国した時、彼らはやはり、銃器を手に戦う事を選択するのだろうか、平和を知らない彼らに、一方的に平和を押し売りしても、戦時下の日常が当り前の日常だとすれば、彼らには理解出来ないと思うのである。太平洋戦争以前の多くの日本人がそうであったように、欧米人は鬼畜であり、彼らを退治する事、戦争する事こそが、日本の言い分として、真実であったのである。戦争が終わり、世界に目を見開いて見ると、鬼畜は、一方的な何処かの国に居るのではなく、環境(戦争や貧困、悲惨な状況)が作り出すものだという事を日本人が知ったように、平和を求めるならば、まず、人間を目覚めさせるための教育が最も必要な事を示さなくてはならないのである。単に、海外援助という形で、物質を供与しても、それは、紛争地域の悲惨な状況を紛らわすものでしかなく、多くの援助が、権力者によって収奪されている現実からしても、抜本的な解決策には程遠い馬鹿げた無駄遣いでしかない。遣りようによっては、帰国を拒む人間も出て来るかも知れないが、彼らが、本当に、日本で生活し、日本で学習し、日本で生きたとすれば、彼らは、殆ど、日本人なのである。ただ、重要なのは、その国に平和をもたらす事が出来るのは、現代に於いてはその国の血を引いた者達であり、行く行くは、そんな壁が取り払われる時が来る事を模索した施策が採られなければならないと思うのである。彼には、その時、此処までの説明はしなかったものの、Uさん凄い、と言う言葉を投げ掛けたのである。彼が言うには、自分の夢を間髪なく語れる人は、そんなに居るものではなく、夢をそこまで具体的に語れる事は凄い事だと言うのであった。確かに、夢だから語れると言う事もあるのだが、残された余命がどれだけあるのかも知れないけれど、何が起り、何があるかも解らないので、この夢だけは、ずっと持ち続けたいと思うのである。人気ブログランキングへ
2008.08.21
私は、紛れも無く母子家庭に育ったひ弱な人間である。家に父親が居ない事が当り前に育った、お山の大将なのである。母親も、3才の時、孤児同然の身の上になったため、彼女の方が、より家庭というものを知らない。伯母や叔父の愛で目一杯充たされた愛も所詮は我儘の権化というような人間しか生みはしなかった。彼女が、女であるためそうなったのか、男だったとしてもそうなったのかは、女になれない私には解析不能である。彼女の母親は、二度目の結婚で彼女を生み、再び離婚して、27歳で結核のため亡くなった。彼女の異父姉も、頭脳明晰で絶世の美女だったらしいのだが、20才の時、母親と同じく結核で夭折したらしい。その姉を最期まで看取ったのも、やはり義祖母であった。結核で療養のため臥せっている姉に悪態をついたのが、私の母親である。私は、その伯母に生きていて欲しかったと、つくづく悔やんでいる。そうであったなら、今日の母親の姿は無かったのでは無いかと、無駄な想いを抱き続けて来た。その母親も、私が子供の頃は、ある意味、自慢の母親でもあった。子供の頃は、少女バレー(昭和10年代の事である。)を習い、宝塚を目指していた彼女は、若くて美しかった。その上、男連中を従えさせるほどの気丈夫でもあったから、子供の頃の私にとっては、表に出さないまでも、自慢の母親でもあった。その想いが、音を立てて崩れ落ちたのは、私が思春期を迎える前の事である。多くは、語れないが、女性の方には、察して頂きたいと願う次第である。我儘の限りを尽くした彼女が離婚した原因が、金銭にルーズな事、父親が薄給の建設省勤めであった上に、私と同じ、馬鹿の付くほどのお人好しであったため、母親の野放図な金銭感覚と相俟って、台所は、何時も火の車であったらしく、父親が辛抱たまらず、離婚を決意したらしい。私は、3才の時に父親と別れ、義祖母の下で、弟と母親の4人暮らしをする事になった。だから、父親なんぞは知らないのと同然で、どんな人間だったのかも解らずに今日まで生きて来た。その父親も、今年で76才である。どういうわけか、父親の兄妹とは付き合いの続いている我愚母は、B型の血が為せる技なのか、今以って、屈託ない付き合いをしているため、父親の居場所も状況も解っているのだが・・・。その私は、義祖母ながら、本当の祖母に負けない程の愛を受けて成長する事が出来た。その私でさえ、我儘の権化と言われても、反論のしようが無い程の我儘である。 祖母からも母親からも厳しく躾けられたのは、確かなのだけれども、所詮、女である。男の中で、頭を押え付けられても忍耐強く生きるという強さが身に付かなかったという事かもしれない。だから、努力という言葉が、ある意味、一番嫌いな言葉である。小中学校を通じて、やれば出来るのだから、努力しろ、辛抱が足らない、落ち着きが無い、と耳にタコが出来る程教師に指摘され続け、そんな言葉を聞く事さえ嫌になってしまった。どうも、昔には、必ず実施された、知能テスト、所謂、IQテストの点が、そう言わせているような節がある。私には、どんなものだったか、誰も教えてはくれないので、仔細は定かではないのだが、勉強もスポーツも学校でやる事さえやっておけば、別に苦労する事もない位にしか思っていなかったため、それ以上に頑張ろうなどとい気はさらさら起きなかったのである。そういう風に育った人間は、確かに、水準に到達するまでの時間は短いけれど、そこで飽きてしまい、そこから先に進むのが非常に難しく、根性の無い(忍耐出来ない)人間として生きていかなければならなくなるのである。そして、倹約家の祖母と、浪費家、金銭感覚の無い母親とは、諍い(いさかい)が絶えず、その姿を見る度に、我が身を呪ったものである。女の喧嘩と、他人に対する気遣いの無さは、幼心を何時も傷つけ、女という生き物を、いよいよ理解出来なくさせてしまった。男だから、女性に興味があるのは、当り前の事なのだが、好きか、嫌いかと尋ねられれば、即座に嫌いと答える程である。それ程に、男と女の間に流れる川の深さを、子供心に深くインプットしてしまったのである。今、女手一つで子育て中のお母さん、子供は何時までも子供ではなく、貴女の背中を何時も見て、何時も何かに怯えて生きているものなのです。それが、金銭にまつわる貧困かも知れないし、或いは、貴女の陰に見え隠れする男の姿かも知れません。でも、貴女の子供は、必ず理解してくれます、それが、なぜ、こじれるかと言えば、貴女が子供を子供扱いして、何も子供に助けを求めないからに他ならないのです。お願いです、貴女が一方的に子供を育てるのではなく、家族として、共同体として、一緒に育って行くのです。ですから、お母さん、自らの主張を宣言して下さい。子供は、貴女が、貴女の言葉で、宣言してくれるのを待っているのです。そして、子供にとって唯一無二のお母さんこそが、自分の心に抱く誇りでありたいと強く願い続けているのです。ですから、貴女が、よっぽど道の外れた行動を取らない限り、子供は必ず貴女の後ろから応援してくれるでしょう。未だ、女性に対して、厳しい日本政府の遣り方ではありますが、くじけずに、お子様方と成長して行ってくださる事を、切に願うものであります。長々と申し訳けありませんでした。人気ブログランキングへ
2008.08.20
先日、会社のコンピュータ管理をしている友達のような彼と、帰り際に立ち話をしていると、つい話が長くなり、腰を据えての討論会になってしまった。彼に言わすと、普段から思っているらしいのだが、私を見ていると、結構色々な見識を持っている割りに、何も行動しようとしないし、何を求めて生きているのか解らない、と言うのである。もしかして、完璧主義者でしょ、と言う彼に、よくよく考えて見ると、思い当たるふしがあり、追いかけて、真円や真球でなければ、円とか球と認めないんではないかとの突込みが来たので、確かに、求めているものは、そこにあるのかも知れないと返答した次第である。上手い例えが無かったので、例えば、野球のゲームを考えた時、ピッチャーなら9回を27球で完投するとか、27人を全て三球三振で切って取る事が、野球のゲームの究極(それ以上が無い)ではないか、打者であれば、回った打席全てホームランを打つ事が究極ではないか、それ故、目指すものは、そこに近いものでなければならない・・・と、こう答えた次第である。結局、堂々巡りとなってしまい、結論は、もっと色々なものを見たり、聞いた方が良いですよと、言う彼に、確かにそうかも、と言う事で、話は終わったのである。野球にしろ、何にしろ、私が観戦、観察、見学する時は、何時もそういう目で見ている。だから、それぞれについて、それ程の驚嘆や感激を得る事は、殆どと言っていいほど無いのである。この視点でオリンピックなどを観戦していると、男子の100m走のボルト選手なんかには、かなり驚かされるものの、その他の競技については、判定の基準とか、ジャッジミスを喜んだり、憤ったりの連続で、競技そのものについても、そうであるが、そもそも国境などと言うものに、意義も感じず、むしろ、その事が人間の争いの根源だと思っている者に対しては、オリンピックという、スポーツの祭典に於いて、ナショナリズムが高揚される姿は、愚行以外の何物でも無いのである。金メダルを取るために、他民族を帰化させたり、亡命させたりしてまで、たかが銀の土台に金メッキした金属の塊を得る事に、どれ程の意味があるのだろうか・・・???増して、アメリカ合衆国など、何を以ってアメリカ合衆国国民と言っているのか、最早、解析不明状態である。スポーツは、やはり個人(団体スポーツにせよ)のものであって、そこに国や政治権力などの邪魔者が介在しては、折角のスポーツ親交が台無しになってしまわないだろうか・・・???肝心な事は、馬鹿な人間が、何時までも、同種、同族間に於いて、破壊や殺戮を繰り返し、余分な労苦を生み出す事を、何とかして止めさせる事である。そのためには、一刻も早く、人間が生きている地球そのものが、単なる借り物だと、早く気付く事である。人気ブログランキングへ
2008.08.19
今回は、久しぶりに愚弟(彼からすると愚兄なんだろうが・・・!!!)と長い時間を過ごす事になった。二つ違いの弟は、子供の頃は、ゴンタで活発であったため、しょっちゅう祖母に悪態をついては蔵の大黒柱に括り付けられたり、お灸を据えられていた。弟の口からは、しょっちゅう背中の中央やや上に付いたお灸で焼かれた跡は、子供の虐待の印 しだと言って、当時から祖母の愛情を一身に受け、祖母の言い付けを守り、弟のお灸の時も祖母と一緒になって押え付けた私を事あるごとに責めるのである。(もちろん、思い出話の冗談交じりではあるが・・・。)子供時代は、そんな弟の日頃の世話や面倒は、母子家庭だった事もあって、殆ど私の役目であった。遊ぶ時はもちろんの事、風呂に入れたり、学校の準備、食事の世話と、あんちゃんのそばを離れる事は無かったくらいであった。その弟も、高校を卒業する頃は、第一次の石油ショック後の結構就職難の時代であり、仕方なく東京で事業を展開する母のいとこの会社に世話になる事となった。元々、工場勤めや営業の仕事におさまる人間では無いと思ってはいたのだが、やはり、1年も経つか経たない内に、役者なんぞになりたいと言って、暫くは会社勤めをしながら"劇団ひまわり"に通う事になったらしい。その後すぐ、会社を退社してバイトをしながら通っていたのだが、ひまわりには残れず、次にお世話になったのが声優さん達が多く所属する"テアトルエコー"なんである。そこで、既に所属していた"コント赤信号"やダチョウ倶楽部などの先輩連中達と芝居を学んだらしいのだが、結局、そこにも残れず、今度は、水森亜土さんのご主人の主催する"未来座"にお世話になり、そこで同期の鈴木光司氏などの精鋭達と学んだそうである。現在、愚弟は、その後就職した会社を退社して、今年の1月から独立し、会社を立ち上げたのだが、一銭の独立資金を持たない弟に出資してくれたのが、鈴木氏と暫く一緒に活動していて、現在はコンサルタント会社を経営して成功を収めている先輩なんだそうである。愚弟の仕事は、劇団時代の昔とった杵柄のような、舞台設営やセット作製であり、先日、一番のお得意先であるNHKに行った時、偶然に、鈴木氏に会い旧交を温めたとか何とか。愚弟によれば、"よう、光司" " ええ、潤ちゃん"の間柄だとか・・・。鈴木氏が昭和32年5月13日の生まれであり、愚弟が同年5月22日だから同級ではあるのだが、大差判定負けと言った所なんだろうか・・・??? (志した事に対してではあるが・・・。)鈴木氏のプロフィールを見ると、慶應大学卒業から数年の経歴が抜けているが、こうしてみると、色々その数年のご苦労が垣間見れて面白いものだと、思うのである。因みに、愚弟の仕事は、主として、テレビ局(主にNHK、フジ)の番組セット作製なのだが、今回のNHKの北京オリンピック放送のスタジオセットは、その多くを、彼の所が手掛けたとの事で、オリンピック情報のアナウンサーのテーブルや後ろの白く移る格子のようなものが、全てそうなんだそうである。飄々とした我愚弟には、白旗を振らざるを得ない、愚兄を感じると共に、彼の今後の健康をつくづく願った今回の帰省でもありました。人気ブログランキングへ
2008.08.18
皆さん、お久しぶりです。お盆の帰省を終え、昨日の夜、帰って参りました。無事に祖母の十三回忌の法事を終え、愚母とは何時も通り喧嘩し、弟とは久しぶりに釣りに行き、姪は夏休みの思い出作りに連れて行き、後は退屈な時間をオリンピック中継で紛らわし、やっと現実の日常に戻って、相変わらず休みにも拘らず、会社でお仕事をしています。8月8日の夜に立つはずだった帰省旅行が、グズグズしていたら面倒臭くなり、結局9日の朝4時頃に出発しました。途中、埼玉は越谷から立った弟家族に追いつき(申し合わせた訳ではなく、何となく勘で)並走しながら家に到着時刻は、6時半頃だったと思います。大阪から2時間半は、随分近くなった・・・? 運転にもよりますが・・・。ものです。因みに、埼玉は、前日の夜7時半に出たそうですから、11時間掛かったみたいですから、まだまだ東京~大阪間というのは、遠いようです。到着すると、弟夫婦は共に眠りに付いたため、一人若くて元気な姪君は、所在なく、いじいじしていたものですから、親から遠いので拒否されたと言う、彼の世界遺産に登録された石見銀山の近くにある巨大砂時計と最近TVドラマ "砂時計"で有名になった仁摩町のサンドミュージアムに向かいました。昔の記憶では、もっと近かったような気がしていたのですが、確かに彼女の親の言う通り、遠く長い道程で、約2時間半は充分掛かったようです。そして、山陰の澄んだ空気の下、ぎらぎら照りつける太陽は、都会で感じる以上の紫外線を放っているようで、焼け焦げになりそうな程暑く、工事中のアスファルトが溶けて靴裏にべっとりとくっ付く程でした。そこから、親が島根の出身であるにも拘らず、出雲大社にも行った事が無いと言うので、山陰の日本海岸を見ながら、一路、出雲大社に向かいました。途中、出雲市の多伎町にあるキララ多伎に寄って、美しい砂浜海岸、キララビーチを堪能し、出雲大社には、1時過ぎに到着、大神殿に感激し、意地で成功するまで注連縄にお金を投げ差し、おみくじを引いて、松の枝にくくり付けて出雲大社を後にしました。出雲ドーム(木造の)を肉まんのようだと形容し、思い出と、夏休みの宿題の材料が出来たと喜ばれながら、松江のサティに寄って、遅い昼食にカンテボーレのスパゲッティを頬張って、1日目が終了しました。子供(14歳は微妙かな)の喜ぶ事をするのは、とても嬉しい私でした。これからも、おじちゃんは、頑張るでぇ~・・・!!!人気ブログランキングへ
2008.08.17
私、本日より帰省致します。10日が親愛なる祖母の十三回忌の法要なので、11、12日は、初めてまともな有給休暇を取って、9連休にしました。ですから、暫く、ブログの更新も致しませんので、悪しからず、ご了承下さい。仕事場が自分の家みたいに言われているウッチーですから、きっと月曜日はむずむずするでしょうけれど、なるべく考えないようにしたいと思っております。皆さま、いい夏休みが取れましたか、またまだ猛暑厳しき折、お身体にはくれぐれも、ご自愛あって、この夏を乗り切って下さい。それでは、帰って来るまでの失礼にござんす。ごきげんよう・・・!!!人気ブログランキングへ
2008.08.08
昨日、ある人物と話をしている時に、ふと思った事があるので、記してみたい。人間は、生まれて直ぐに、自分が誰であり、自分が何者であるかの意識などなく、周りの人間や、万物の現象を体感しながら、学んで行き、ふと、ある日、自分が人間であり、ある家族の構成員であることに気付くのである。そして、それがある意味、物心が付く時なのであろうと思う。最近、良く言われる事に、認知症だとか、老人性の痴呆症は、神様の贈り物だという事がある。目前に迫った死の恐怖を、現実に近い事を忘れる事で、死の恐怖から逃れられるという事なのかも知れない。子供(物心付く前の)も、また、同じような事が言えるのではないかと思えるのである。私は、生後20日位の時、生死を彷徨うような惨い手術を受けた事がある。今では、その原因が何であったのか、定かではないのだが、家族の話によれば、ムカデに噛まれたとか、主治医が2度も3度も往診に来てくれたのだが、お腹(内科の医師だったため)しか診ずに、抱いたり、寝かすと泣くので何回目かの往診の時、引っ繰り返してみると、腰から背中にかけて、紫色に腫れあがっており、その時の医師の発した病名が丹毒であった、と言う事位である。直ぐに、手術をするからと、町の医院へ連れて来るようにとの事だったらしいのだが、既に手遅れ(自分が執刀するのは)という事で、隣町の総合病院へ行くように手配したらしい。当時、父親は建設省に勤めていた事もあり、建設省のジープ(昭和30年の事である)で田舎の凸凹道を病院へ向かったのである。ところが、40Km離れた、県庁所在地のある街の出身である父の実家から、地元に小児科の良い先生がいるから急いで連れて出るようにとの指示があったため、急遽、また行き先が、変わったのである。私は、既に虫の息の上、その頃の島根の片田舎から松江市までは、整備もされていない山道を、その頃のオンボロジープで走っても、そうは速く走れず、おまけに至る所、工事中であったため、祖母が、事情を話し、無理やり通して貰いながら、その医院へ飛び込んだそうである。その院長(川上医院)さんも、一目見るなり、命の保障は出来ないと言われたそうである。生後20日の赤ん坊に麻酔をする事は出来ず、まるで、野戦病院の手術のような、麻酔無しの手術が施され、傷口を縫う事も出来ず、薬によって傷口を塞ぐ施術が採られた様である。お陰で、私の背中、腰の皮膚は、ケロイド状に傷が残り、肉が付かない状況で成長したのである。しかしながら、私は、その病気の痛みも、手術の激痛も、療養中の辛さも憶えてはいないのである。19才の時、再び、脊椎分離症で、まるで工事(大工仕事)のような、ノミとトンカチで、トントンカンカンするような手術を受けたのだが、その時は、麻酔(半身麻酔)が殆ど効かず、背中にメスが入った瞬間、"痛っい"と悲鳴を上げたものである。その手術が終わった後、看護婦さんが、病室に運ぶ途中、"麻酔が効いていなかったみたいだね、先生もきついわ"と言っていたから、きっと本当に麻酔は効いていなかったのだと思う。物心付いていた私は、その時の事を、今も鮮明に憶えている。つまり、物心付かない頃の子供は、特殊な場合を除いて、殆どの子供が、痛みとか、辛さとかを憶えてはいないのである。この事は、ある意味、最初に言った、老人の痴呆症と同じく、神様の贈り物と言うべき事なんではないかと思うのである。若いママ達は、心情的には、可哀想だとか、辛そうだとか言って、子供を甘やかしたがるが、子供は、その記憶を止めない時期に、様々な事を経験し、試練を乗り越えるように、出来ているのである。よりも大事なのは、子供の命を守るためには、子供が生きるために苦しむ事を厭わない強い心を持つ事なのである。人気ブログランキングへ
2008.08.08
今日は、広島に原爆が投下されてから、63回目の夏の日です。鬼畜の仕業としか思えないような、原爆投下は、今以って、その是非について議論相分かれるところでありますが、その災禍を被った人々にすれば、議論の余地など、何を以って与えられるのかと、憤懣やり切れぬ思いかとお察し致します。私の出身中学である日登中学も、原爆投下の後は、次々と運ばれて来る被爆者で溢れ、さしもの野戦病院より酷い状態だったと聞いております。たまたま、わが母校は、木次線が備後落合を経由して芸備線に入り広島に繋がっていたため、最早、北朝鮮状態のその時にあっては、沿線沿いの学校は、病院として使用するには、好都合であったと思われます。そして、私が、小学校の修学旅行でバスに揺られ、広島、宮島、岩国へ行ったのは、原爆投下から22年が過ぎた昭和42年の事でした。その時、初めて知ったのが、バスガイドさんから教えられた、" 原爆許すまじ " の歌でした。何とも言えず、地の底から聞こえて来そうな暗く重たいメロディには、被爆した人々の阿鼻叫喚の怨念がこもっていそうな、どう考えても、美しく、綺麗なものではなかったと記憶しています。現代の若者にとって、原爆投下後の広島、長崎の世界も驚くほどの復興の姿は、感じるべくも無いものとなっています。原爆投下直後は、木の一本も生えないだろうと言われていた事すら、現代の若者は、知る由も無いでありましょう。しかしながら、莫大な数の一般市民が、一発の爆弾と共に、命を失い、命を取り留めた人々も、皮膚はただれ、焼け焦げになった身体を、何度も、何度も、何度も、修復し、死の恐怖と戦いながら生きてきたという事実を忘れてはならないと思います。せめて、何時も犠牲になるのは、一般市民であるという歴史的事実を、心の中に焼き付けて欲しいと思います。人気ブログランキングへ
2008.08.06
本日は、ある方の誕生日でありました。お祝いに、バラの花束とケーキなんぞをお送り致しましたが、大そう喜んで頂けました。彼女、曰く、この20何年生きてきて、花束を貰ったのは初めてなんだとか・・・???世の男性諸君、一体何をしているのかね・・・!!!女性と言うのは、男が考える程、欲すっぱでは無く、ちょっとした事でも喜んでくれるものなんですぞ。私は、自分のパートナーを見てて、何時も思うのですが、旅行でも、プレゼントでも、お土産でも、我々からすると、そんなものでと言う位ささやかな物、事でも充分満足するするものなんです。だからこそ、男にとって、それ程無理なものでなくとも、彼らは、本当に喜んでくれるのですぞ・・・。そんな彼女達を私は尊敬するし、敬意を込めて応援したくなるのです。件の彼女も子供二人を抱えた、ヤンママさんのようですが、本当に頑張って子育てに、自らの生活に頑張って欲しいと、心から応援したいと願うのです。世の中、損得や惚れた腫れたの色恋沙汰ばかりで成り立っているのではありません。心から、晴れやかに生きたいと望むなら、まず、人の喜ぶ顔を作ってみたらどうですか・・・!!!人気ブログランキングへ
2008.08.05
皆さんは、お役所って何のためにあるのかを、真剣に考えた事がありますか・・・???最近の役所と言えば、市民からやたら血税を召し上げて、その血税を無駄遣いし、更には、ポケットにナイナイするなど、市民イジメ、市民泣かせなどの汚いイメージしか浮かんで来ませんが、実は、役所とは、市民の生活を守るためにある事を知っていましたか・・・!!!私の記事には、やたら公務員批判をしたものが多いのですが、考えても見て下さい、市民の血税を自分達の報酬として頂いていると言う事は、市民は人生のかなりの部分を自分達の報酬のために裂いていると言う事であります。昔から、公務員になる事を進められて来た私は、幼心の内に、決して公務員などにはなるまいと決意したものです。なぜなら、その責任の重さと、硬直した日本の役所のシステムでは、どんなに良い事をしようとしても、殆どが階級と言う名の分けの解らない身分制度で潰されてしまうのが見え見えだったからであります。昨日も、亡くなった母親の遺体の処分に困った兄弟が、お金が無い(今の所)と言う理由で、山中に遺棄した罪で逮捕され、一人は既に自殺しているようです。皆さんは、もし、お金が無くて生活に困窮している時、親族の誰かが亡くなったとしたら、どうしますか・・・???サラ金にでも行ってお金を融通して葬儀を出しますか、それもダメなら遺体を何処かへ遺棄しますか・・・???冗談じゃないですよね、こんな時のために、役所があり、税金を払っているのですよね・・・!!!所謂、日本の社会は、国民全体による互助組織になっていて、その具体的な仕事をこなしているのが、地方、地方の出先機関でもあり、役所の各課が担っているのですよね・・・!!!だから、今回のような時には、役所の民生課、福祉課に相談すれば、当然の事として放って置けない事になります。そして、各地域には、民生委員という委託された方が、必ずいるはずですから、その方に相談すれば、解決は付いたはずなんです。ところが、日本の役所もマスコミも、そんな事を宣伝もしないし、事件の本質を報道しようとはしません。日本の村社会の一番嫌な部分でもあります。所謂、イジメみたいなものです。世の中には、社会の事が良く理解出来ず、正当な権利を主張出来ずに、犯罪に走ったり、孤独死する人も少なくありません。このような状況は、文明国、文化先進国という名に於いて、最も恥ずべき状況であると考えます。人気ブログランキングへ
2008.08.05
私の、誰かへの最初の誕生日のお祝いは、バラ(真紅)の花束に、何かと決めている。最近の流行からすれば、VSОP(これも古いか・・・。)と言われて、誠にダサイのかも知れないが、良く相手の事も知らないで送るプレゼントは、極々シンプルで、無難な方が良いと思っている。これまで、何人の(もちろん相手は女性であるが・・・。)人達に送ったか憶えてはいないが、彼氏と長い付き合いを送った人でも、案外花のプレゼントを貰った人は多くないようである。会社の事務員さんや行きつけの店(飲み屋ではなく)の知り合いなど、むしろ、そのお母さん方に感激していただく事も多々見受けられたものである。彼女が出来ないと悩んでいる男性諸君、花の持つ魅力は、まだまだ捨てたものでは無いですぞ・・・!!!それから、私は、あくまで恋愛などと言う、面倒臭くて、煩わしい事が嫌いなので、あくまで、相手の喜んでくれる顔さえ見れれば、それで充分という気持ちでやっている、勝手なお節介でもあるため、これがまた、意外性を呼んで、喜んで頂けたりするのです。恋愛は、ただ相手の幸福を願う所から出発するもので、決して、自分の都合やメリット、利得に囚われていては、始まらないものだと思います。如何にすれば、ただ相手が喜んでくれるのかの一点に絞って、相手の喜ぶ顔を想像しながら、自分の喜びに変える事こそ、相手の心を掴む奥義と心得ます。何事も、空気を読まずに、行き過ぎた事をすれば、相手も逆に嫌がりますので、くれぐれも、 "さりげなく" の気持ちでトライして下さい。これからも、メタボおじさんは、足長おじさんとして、もっと、もっと人を喜ばす事を考えて行きたいと思っております。人気ブログランキングへ
2008.08.03
私の両親は、昭和29年の不景気の真っ只中に結婚し、次の年に私が生まれた。父は、今でこそ建設省の公務員と言えば聞こえが良いが、就職難の当時、高校を卒業すると他に職が無いので、公務員になった、と言えば少々失礼かも知れないが、薄給の公務員に違いなかった。みなしごに近い母は、祖母の姉弟達の深い愛情と庇護のもと、我儘放題の一人娘のようにして、祖母のお姉さん、伯母に育てられた。そのせいか、労費癖が激しく、私が3才の時、父親が辛抱しきれず、離婚する事とになったのである。私の直系の祖母は、生まれた時、既に他界しており、私にとっての祖母は、母を育てた、私にとっては大伯母に当る祖母が、生まれた時から本当の祖母である。今の時代でも、両親の親と同居ないしは、交流が密な家庭では、おばあちゃんっ子、おじいちゃんっ子は当り前のようだが、女手一つで二人の子供を育てなければならなくなった母は、幼稚園の保母として働く事となり、その時から、私にとっての母は、祖母になったのかも知れない。家事よりも、野良仕事の方が好きだった祖母は、若い頃、昭和の初期に島根の山の中から、大阪に出て、伊丹、豊中、池田に数店舗を持つカフェの経営者をするほどのつわもの(失礼、ハイカラさん)であった。その祖母に、寝る時はもちろんの事、山へ芝刈りに、畑の土お越し、鶏の餌やり、山羊の乳搾り(母親は栄養不良で乳が出なかったので、私は山羊の乳で大きくなったと言われているが、奇遇な事に私は、未年である。)など、片時も祖母の傍を離れる事は無かった。ゴンタな弟に比べ、愛情を一身に注いでくれた祖母は秀才でもあり、多くの事を教わって育つ事が出来たのである。その祖母も、母の裏切りや、私の不甲斐なさも手伝って、不幸な晩年を送る事になってしまった。今、この時、こんな馬鹿な記事を書きながら、私の涙は止まるところを知らない。91歳で他界した祖母は、最後に上顎ガンを患い、"私が何を悪い事をしたのかね"と抗がん剤の苦痛と戦いながら、最後には、流動食のチューブを引き抜いた事による誤嚥のため、肺炎を起こし、血痰を吐きながら、苦しんで、苦しんで、くるしんで、医者や看護婦の"もう楽にしてあげた方が良い"という言葉を無視した、私に見取られて、最期の息をひきとったのである。私の人生は、その時に終わったつもりでいる。あれから13年、今年は十三回忌を迎える。あれも、これも、してあげたいと思って生きた40年、自分の不甲斐なさを呪っても、もう時は後戻りしてはくれない。幸い、今日は、私一人しかいない会社の中で、嗚咽しながら泣いている。加齢臭が、どうのこうのと、馬鹿な世間、誰がどう言ったって、私の一番好きな匂いは、おばあちゃんの匂いを置いて、他には無いのである。A HREF="http://blog.with2.net/link.php?516602">人気ブログランキングへ
2008.08.01
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