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●っくんは生後3か月を過ぎました推定体重7kg超長男同様、どでかい赤ちゃんです70cmのベビー服で手足出ちゃってるし。オムツはMサイズ。2か月過ぎからかなりしっかり首を起こしていて、すわりが早かった。今は立て抱きもすっかり安定して、どう見ても5~6か月という風格色が白く、肌もスベスベ、ムチムチ~になってきました。胸板が厚く骨太、タレ目で黒目の大きいところなど、またまたパパそっくりな3人めです上の子同様、いつも機嫌のよい落ち着いた赤ちゃんです安定してるから泣くことが少ないね~ぐずって困らせるということが、まだない。毎朝目覚めた後が最高の機嫌良さニコニコしながら周りを見回し、伸びをし、またニコニコその瞳は朝の光を帯びてキラキラ生きてることの喜びを全身で表しているようで、私も毎朝、生まれてきてくれて本当にありがとう、って感謝の気持ちが沸き起こりますおはよう、と声をかけ視線を合わせると、最高の笑顔で応えてくれ、しばらくはおしゃべりタイムが始まりますのどを鳴らすように一生懸命話しかけてくる様子がただただ愛しくて、毎朝涙ぐんでしまう何人産んでもこの感激は薄れることないんだろうなああ、kyo-kino、・・・今日も幸せに生きてます
2009年04月25日
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次男●っくん、先週末で2か月を迎えました。体重は推定6kg(ちゃんと計ってやれよ・・)。シャープな顔立ちのイケメンな面容はすっかり薄れ・・ほっぺたぷっくり、どっしり男児となっております。新生児らしさはすっかり抜け、お顔の一部がまだちょっと皮むけ状態ですが、茶色の肌も少しずつ白く、なめらかになってきていて、乳の甘いにおいを発する赤ちゃん赤ちゃんらしくなってきました機嫌のよいときには「うっくーん」という声で喜びを表します。おむつを替えてもらったとき、抱き上げてもらったとき、目があったとき。目が合うとにこっとして、さかんに手足を動かしながら高い声を出して話しかけてきます。も~う、そうなると胸キュンいとおしさ一気に何乗もはねあがっちゃいます。私の身体もすっかり普段モードに戻って、スリング抱っこでの外出も増えてきました。今日も午後から電車に乗って、仕事仲間のEちゃんのところに行ってきますEちゃんも産後1か月の2児のママなくせに、私同様、ゆっくりできないタチのようで、「仕事おくれ~~」状態。というので、行って仕事振ってきます
2009年03月16日
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なんだかすごい毎日です。なにがすごいって、子供3人って・・・こうなんだ~~うぎゃ~~!! ってとこかな(笑)。二女が嘔吐下痢の風邪を引き込んで、今週はずっと保育園お休み。ぐったりして、抱っこ抱っこを訴えるもこちらは首の据わらない1か月児を抱っこしてるわけで、ままならず・・こっち抱けばこっちが起きて泣く、の繰り返しで、そのうえにお兄ちゃんがちょこちょこ用事作ってくれちゃって、う~~、ママは一人なのよ~~ぉ!!と苦笑したり、怒ってみたり。赤ん坊はまだ腹圧が弱いようで、うんちをうまく出せない。綿棒でちょっと助けてあげるんだけど、その処理をしてるときに二女が「ママ、出た~~」と涙目。「待ってね~~」と焦ってると、トイレの方から長男が「マーマー、でたーー!」と拭いてくれコール。そして庭には散歩に連れてけず、そこでしてしまうワンコのうんちが点々と・・・あー 私のうんちの世話生活はあと何年続くのかしら~?とおかしくなって、つい笑ってしまうのでした。そう、これこそが幸せの証。子どもの世話ができる期間って、ほんとに限られていて。。。寝かしつけや着替えのお世話も、その時は面倒~ 早く一人でできるようになって、と思ったりするけどネ、それがなくなってしまうと、ふとさびしく手持無沙汰を感じてしまったりするのです。子育てにはゴールがある。小さいゴールもいっぱいあって、それをクリアしちゃうごとに親の必要性が減っていくのよね。だから、今3人の子供たちにママママ、と必要とされて、手を貸せることに、真の幸せを感じられるのです。うーん、でもやっぱり大変だけどねー体力的にきつい。夜になると一日のきつさを実感です。やっぱ子育ては若い時にするべきだなーぁ。でも、そんな中でたくさんの手助けがあり、本当に助かっています。雨の日には、長男の保育園のお友達ママが車で送迎してくれます。今日のように寒い上に大雨のときには彼女がお釈迦様に思える。仕事は産前も産後もなく続けているんだけど、打合せは赤子がいるため我が家でやってくれます。それで、赤子が泣くと誰ともなく立ち上がって抱き上げてくれ、おむつを替えたり寝かしつけたり、と世話してくれる。二女がぐったりで抱いて病院に連れていきたくても、赤子もいる身ではどうしようもなかったのだけど、打合せ予定だった仲間が赤子を見ていてくれたおかげで診察を受けることができました。遠慮や申し訳なさもあるけど、みんな自分がその立場だったことがあり、その辛さを知っているから今助けてくれるのだと思う。私が逆の立場だったら同じことをやってあげたくなるだろう。困っていたら、「言ってよ~」って言ったと思う。そう思ったら、皆さんに素直に甘えてもいいのかもしれない、と考えるようになった。そして、その人たちや他の人たちがそんな状態になったときに今度は自分が手を差し伸べる人間になればいいんだ、と。今の感謝を、他の人への思いやりに変えるのだ。それにしても、「HELP!」をいえるありがたさ。心ある人たちに囲まれて、恵まれています。本当の優しい人、というのがどういう人のことなのか、この1年でしみじみわかりました。最後まで周りに残って励ましてくれた人たちが、今は私の仕事でも人生でも、同じ夢を持って歩くかけがえのない仲間となっています。私の子供たちに我が子のように接してくれる人たち。私もその人やその家族を守りたいと強く思う。そんな友達や仲間に出会えたことを心から幸せに思う日々です。ありがとう☆
2009年03月06日
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早いもので次男誕生から1か月がたちましたしわのあった顔や体のあちこちの皮膚のたるみも、今では張りが出て、さすがにおじいちゃん顔ではなくなりました。ほっぺたなどはかなりぷっくりして、イケメン(だからあくまでも当社比ですってば)の様相が崩れつつあります。それでもまだ肌は黄色っぽく、手足は細いし表情もぼんやりしていて新生児っぽいですが。。(まあとにかく動物的にかわいいのです~)おっぱいの需要と供給、授乳ペースもだいぶ安定してきましたお兄ちゃんは、いつまでもおしゃぶりがわりに吸いついていて母は眠れない体痛いで難儀しましたが、●っくんは数分飲んで、眠ってしまえば乳首は離してくれるのでとてもラクですわ。匂いがね、男になってきました女の子では感じることのなかった独特の体臭を、数日まえから感じるようになりましたよ。汗をかくようになり、新生児湿疹が出てきたし、頭の方は脂漏性湿疹の前触れか?という皮膚のはがれも。新しくなっていくために、どんどん古いものや汚いものが剥がれ外に出されていくんですね。昨日は1か月健診で、土屋助産師が来てくれました身長は6cm伸びた57cm、体重は1300g増えて4500gになっていました。大きい赤ちゃんですが、まあ増え方はこんなもんでしょう、と。ただ、胸囲が6cmも大きくなっていていて驚かれましたこの数字は驚異的らしいです(胸囲なだけに驚異的・・ってか)。胸板の厚い、たくましい男子なのですわン。この2週間ほど、ずっとうんうん唸って苦しそうなのですが、これはおっぱいの飲みすぎとのこと。キャパを超えて飲んじゃってるようです。それで胃が苦しいのと、うんちが全部出ていない状態が続いているようだね、とのことで綿棒で少し刺激してくれました。泣く=おっぱいかおむつだと思っていたので、泣けば授乳、としてきた私。上の子たちはそれでよかったんだけど、●っくんの消化能力ではちょっと無理があった模様。気がつかず、ついつい与え過ぎてしまってごめんよー新生児は、お腹がいっぱいでも口元に何かあたると反射で吸いついてしまうのだよねー 知っていたのに応用できなかった。すまない・・何人産んでも、初めての事態というのはあるわけで、慣れ過ぎて過信してしまってもいけないのだなあ~ベビーマッサージ教室等を通じて、様々な母子と接する仕事をしているわけだけど、そのときに自分の経験や持っている情報だけから助言したり意見したりすることにも、慎重さを持ってしないといけないなーなんて思います。そして、新たな知識を得る努力や経験を積むことの大切さもそれにしても、今回の健診でもまた土屋助産師とはほとんど語りどおしだったな~ 3時間半にわたって、医療体制がどうなっていけばいいだとか、妊娠やお産の素晴らしさをどう伝えていくか、とか、あとは私の質問に答えて土屋さんの知識や見解を惜しげもなく話してくれた。本当に素晴らしい助産師さんです仕事柄、たくさんの助産師資格を持った方たちと交流がありますが、土屋さんは私の中では一番尊敬できるプロであり、人です。こういう方と縁があり、長年にわたりお付き合いいただけること、いただく情報のなんと役立つことか・・これだけいただいている恵みを私だけが持っているのがもったいなくてぜひとも多くの女性、とくに母親たちに伝えていきたいのですということで、土屋さんはじめ何人もの助産師さんや看護士さんの賛同とご協力を得て、ベビーマッサージ教室を展開するなかで役立ちそうな情報を集めていきたいとと考えています。もし、妊娠中や子育てを始めた中で「こんなこと知りたかった、こんな風に感じて子育てしたかった」とかありましたら、参考にさせてもらいたいのでコメントくださいませ。もっともっと、世の女性たちに命の尊さ・母としての喜びを感じて欲しい、と願って・・☆
2009年02月15日
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皆さん、温かいコメントをありがとうございました。びっくりしたのは、何年もごぶさたしていた方たちからもアクセスいただけていたこと!ブログを更新すると、閲覧数が結構多くて、どんな方たちが読んでくれてるんだろうと常々思っていたのですが、なつかしい方たちがこうやって見守ってくれてたんだなーと思い知りました。私の幸せを、こんな風に一緒に喜んでくれる皆さん、本当にありがとうございます。これからも末長くお付き合いいただければ嬉しいです♪また、新しい方たちとの交流も広めたいな、と思い、「2009年生まれの赤ちゃん☆」というテーマも立ち上げちゃいました。これからは親バカブログが増えていくと思いますが、人の幸せを共感し合って、自分の幸せも何乗にもしたいなと思ってます。いろんな方がアクセスして情報交換していけたら・・と思ってます。さて、我が第4子;●っくん、生まれてから2週以上経ちました。昼間は1~2時間ごとに起きておっぱいとおむつ替え、あとはほとんど眠っています。夜はこの間隔が2時間半ぐらいになります。だから、割と私も自由な時間があるし、眠れています。1週間くらいまえから、目をしっかり開けるようになって、小一時間起きてる時間もできてきました。布団の上や、ソファ、ラックなどに寝かせておいて一人にしていても、物音に耳を澄ましたり、顔を左右に動かして何かを見ている感じでおとなしくしていてくれます。おかげでこちらはその間に家のちょっとしたことができて、つい彼が起きてることを忘れてしまうことも・・落ち着いて、穏やかな赤ちゃんです。生まれたときは、小さくて骨っぽい、しわくちゃな感じだったんですよねー 他の子たちはぷっくりしていたんだけど。おっぱいあげてても、なんかおじーちゃんに授乳してる、みたいな感じで苦笑していたんだけど、おっぱいの飲みが増えるごと、日に日に肌に張りが出て、しわが消えていき、この数日でほっぺたなどぷくっとして赤ちゃんらしいかわいさが出てきました。お顔は、誰に似てるんだろう・・?寝顔はお兄ちゃんに似てるかな。でも、目を開けると家族の誰ともまだわからない、今までにない顔してます。当社比では、4人の中で一番整った、かわいい顔してるかも。新生児期だけでいえば、ですけど、うちの子たち、どの子も赤ちゃんのときは“ぶっちゃかわいい”類だったので。造りのことはさておき、とにかく新生児は不思議な生物、という感じで興味深いです。たった1か月くらいしかないこの期間、もう半分も過ぎてしまい、だいぶ人間ぽくなってきてしまいましたが、この2週間は過ぎていく希少な日々を惜しむように、じっくり観察して、生命の尊さや神秘さを味わっていました。呼吸一つ、心臓や肺を動かすことだって、赤ちゃんにとっては大変な労力がいるのかもしれない。この身体の中で、どれだけのスピードで大改造、発達という作業が行われているのかと思うと、一息、一声がいとおしい。手足が動くこと、目が私をとらえること、物音に反応して視線をそちらへやること、あごを上手に使って乳を飲むこと、うんちやおしっこが頻繁に出ること・・ すべてがありがたく幸せな行為です。だって、生きているということだもの・・人の営みとして、あたりまえのことなのかもしれないけど、自分にとってはあたりまえと思うことはできないな。命の神秘と素晴らしさに畏敬の念を感じるし、なんとも言えないこわいほどおごそかな気持ちになります。一日になんども、声をあげて泣きたくなるほど幸せな気持ちが沸き起こってきます。この気持ちって、何人産んでも変わることがないのでしょう。母となった女性だけが味わえる、至福の感情なのだと思うのですが。この数日で聞こえてくる哀しいニュース。人に知られたくない、と誰にも黙って一人で子供を産んだ母親が嬰児の命を絶ってしまっています。新生児がどんな思いでお腹から出てきて、懸命に生きようとしているかを目の前にしているだけに、わが子とその赤ちゃんが重なって、悲鳴をあげたくなります。どうしてそんな短絡的で自己中、非道な行いができるのか?そんな選択しかなかったのか?ひどい母親、と言ってしまうのは簡単ですが、そういう形をとることしかできなかった女性、特に若い子たちには、自分の娘の姿も重なり、哀れさも感じてしまいます。両親がどんな育て方をしてきたのか。支えとなってあげられる関係を築いてこれなかったのだろうか・・何のために、その赤ちゃんは生まれてきたのだろうか。その母親たちと家族は、これからどんな生を生きていくのだろうか。私は、自分の経験を通じて、女性性の素晴らしさや命の尊さ、家族の大切さなどをどうにかして伝えていきたい・・・なんて思ったりしているのですが、そんな次元じゃないよねこの問題は。でも、こんな悲しい事件は起こってもらいたくない。そんな人間が出来ないようにしたい!それには、どうしたらいいの?私には何かできることはないの?世の中のはかなさと、自分の無力さにただただ歯がゆい、苦い思いをかみしめています。こんなに小さくとも、こんなに温かい、一つの命のぬくもりを抱きながら・・
2009年02月01日
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1/14に男の子が生まれました。12日お姉ちゃんの成人式の朝におしるしで合図をくれ、無事終了したその夜中から前駆陣痛を開始、立ち会う予定の皆に準備の時間を取ってくれ、皆が仕事を終えた13日夜中に陣痛に入るという、実に周囲思いのお産だったと思います。今回は家族と介助の助産婦2名のほかに、友人の助産婦2名が勉強のために見学、友人1名が撮影のために立ち会ってくれました。今回の望みは、安産はもちろんのこと、できたらパパが自分の手で取り上げたい、ということでしたが、めでたくその想いも叶い、パパもぬるりとした息子の身体を自らの手で受け止めることができました。私の中での課題は、陣痛の痛みをいかに和らげることができるかを追及することでした。3人目の時に、陣痛がきつくなってきても、うまく逃せるコツがあることを知り、面白いなあと思っていたので、それをぜひまた試してみたかったのですが・・。これがまたうまくいきまして、今回は子宮が絞られるようなあの収縮の痛みをほとんど覚えていない、たぶんそこまで感じなかったんだと思います。そんな大安産のおかげで、産後の身体や気力までが楽でした。自分でもびっくりするほど疲労感がなく、産後とは思えないほどの元気さ、そして頭もクリアーでした。生まれたのは明け方でしたが、寝ていた子ども達を絶妙なタイミングで起こすことができ、幼い二人は眠いとぐずることなく、怖がることもなく見守ってくれました。いきむ私の目の端に子ども達二人がちょこんと座る姿が映った途端、この子達の仲間が生まれるんだ、早く会わせてあげたい、というすごい気力が身体中にみなぎるのがわかりました。そして一気に産みきりました~。赤ちゃんが出てきたときの気持ちよさ、嬉しさは何度でも経験したい、というくらい。今こう書いていても悦びで震えてしまうほどです。超音波では手足が長く、予想体重は3500gくらいになってるんじゃないかとかなりビビっていたのですが、出てきた彼は産んだ感触からも、「ん?小さいんじゃない?」って感じ。抱いてみても、手足が細~く頭も小さく、2900gくらいじゃないか、と私だけでなく、皆そう思ったくらいでした。が、あとで計ってみると3200gありました。すごく細いんだけど、肉がなくて骨太なんだろう、ということです。ふーん。そんなわけで、手足が細長く、ついでに指もすごーく長く、顔は小さくて、4人の子供のなかでは一番可愛らしい新生児です。今回も、家族はじめ、私を支えてくれる大事な人たちに見守られた中での素晴らしいお産でした。いろいろあった一年間の集大成が、新しい年になって、新しい命となって生まれ出てきたような気がしています。私がこのブログを始めたときは、5年前、長男を出産したことで二度目の人生が始まったような気がして「二度目の人生」というタイトルでのスタートでした。「お産で女性は生まれ変わる」という言葉があるとおり、三度、四度と私自身も大きな変化が起きていきます。今回も、また生まれ変わることができた気持ちです。今までの幸せな面、培ってきた経験はそのまま持ち越し、まずかった部分は捨てて、生き直しをしていきたいと思うなあ。どんな生き方をしていけばいいのか・・昨年はそんなタイトルでやってきましたが、見失った道がまた見え始めてきました。私にそんな機会を与え、何かを伝えるために降りてきてくれた4番目の赤ちゃん。この恵みに感謝して、そのお返しをすべく世の中に貢献できるような仕事をしていかなければ、、なんて思ったりしている、産後のkyo-kinoでありました。
2009年01月26日
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穏やかな年末年始を過ごしました。風がちょっと冷たいけど、青空の広がる気持ちいいお正月でしたね。貧血の辛さもあれから感じることなく、快調に過ごせています。振り返るに、あの週は最後の、とばかりに出て歩く日が続き、疲れがたまっていたところで1日ろくに食べずに横になっていたりしたので、栄養が行き渡らなくなっていたんでしょう。と、この数日のおとなしい生活と、豊かな食生活で実感しています。年越しは、なんとなく1年おきに自宅と実家の交互で過ごすようになっていました。妹の家族と共に実家でみんな一緒に迎えたいとも思うけど、我が家でのんびり『家』を楽しみたい、という思いも。その年の子供の年齢や状況もあって、毎年交互な感じになってます。自宅で正月を迎えても、2日くらいから実家へ、というパターンにしていたのですが、今年はさすがにね、もう移動しないほうがいいでしょ、ということでずっとこちらで過ごすことに。大晦日の夕食から娘の彼氏も加わって賑やかな年越し。大好きなお兄ちゃんが来て、しかも泊まっていくということで子どもたちはおおはしゃぎでした。寝入るまでお兄ちゃんと、朝起きるとすぐねえねの部屋に駆けこんであそぼー攻撃。元旦の朝から気の毒に・・・思いつつ、おかげで兄妹げんかもしないし、親の手がわずらわされずに済む快適さに、すっかり甘えさせてもらいました。前日駆け込みで掃除の間に合った、ひさびさにすっきりとしたキッチンに立つのは気持ち良く、前日からとっておいた出汁でお雑煮を作り、おせちの重を埋めていくのは、主婦として嬉しい作業でした。立ってると足腰きついし、お腹もすぐ張ってくるので高いスツールに腰かけてゆっくり動きます。大晦日の夕方から1種類ごとに煮しめを作っていくのが私の中で一番正月気分を盛上がる恒例行事なんだけど、時間がかかるので今年は断念。パパは、何も別々にやらなくても、といつもつぶやいてますが、全部一緒に煮たら普段の煮物とおんなじになっちゃう、私はおせちの煮しめは炊合せみたいにしたいのー というこだわりを、この20年の主婦生活で抱いているのでした。そんなつまんないこだわりのせいで今年は二段しかないお重でしたが、まったりだらだら飲んで食べて・・ってしてるうち、1日で片付いてしまうほどよい量でした。犬も連れてみんなで近所の神社に初参り。そこまでの散歩でもう穏やかな幸せを感じます。手を合わせ拝む子どもたちの愛らしさ、賑やかな家族写真。はしゃぐ犬と、早く仲間入りしたいとばかりに蹴飛ばすお腹の息子。。。私のこの世での幸せすべてが、今日ここにある。2009年1月1日、今までで一番幸せな一日を感じられる自分がいる。この幸せは、ささやかだけど毎日積み重なっていくから、毎日その日が一番の幸せ、ってことになっていくのね。家族が健康で、笑い合えて、明日への希望があれば、人は幸せなんだ。境内のベンチで一人休み、少し離れた位置から我が家族を見つめながら、静かにそんな感慨にひたるkyo-kinoなのでした。昨年はいろいろな波をかぶって苦しい思いもしたけれど、すべての流れがここにつながっていたのだから、私にとって必要な痛みだったのでしょう。今感じられる幸せに満たされて、すでにその苦しさも忘れかけています。大したことじゃなかったんですよね、あんなことくらい。置いてきた・手放したものよりも、その後に得ているもの・これから見えている道の方がはるかに楽しく、胸躍るものとなっています。素晴らしい1年になる予感を抱きながらスタートした2009年です。ブログを通じて今後も拙いメッセージを伝え続けたいと思っています。今年もなにとぞよろしくお願いいたします。
2009年01月05日
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土曜日は自宅での健診でした。担当の助産婦:土屋さんはもううちは3度目となる仲。お互いすっかり慣れた関係でいらっしゃ~い。子供たちも土屋さんが大好き。着いた途端にクリスマスプレゼントを見せに来て、一緒にあそぼ♪とばかり。ちょっと待ってよ、ママが先!と子たちを抑える。まずはこの数日の動悸息切れ症状を訴え、先週病院で行った貧血検査の結果が送られてきていたのでそれを見せる。それほど低い数値ではないが、今回は自覚症状が強いので少し不安だ、と打ち明ける。今までの二度の自宅分娩でも、そんな不安は感じたことなかったのに~と。やはり4度め、ということと年齢的なこともあるのかしらね、と笑い合う。これが続くようなら年明けに処方箋書いてもらって鉄剤支給してもらおうね、ということに。「とりあえずこの年末年始は鉄分入った食材たくさん摂って、身体も休めます。」というと、土屋さんは「そうね…あまり無理しないようにして…あ、でももうパパお休みでしょ?じゃ大丈夫よね」とパパに目を向けてニッコリ。さすが、我が家のことよくわかってる。そう、使えるパパはフルに使え。笑い合っている時もう一人が到着。お産の際には産婦と赤ちゃんそれぞれの担当として必ず2人の助産婦の立ち会いが必要となるのだが、フリーでやっている土屋さんの介助者は毎回変わる。この相方さんは臨月に入る頃から健診に加わり、私達家族との関係を作るようになります。そして今回の坂本さんは今日が初顔合わせ。道順を覚えるために駅からちょっと迷いながら歩いてきたとのこと。遅刻してすみません、と恐縮するが、いつも緩やかな訪問なのがいいところ。土屋さんだって遅れてくること多いですよ、とフォローします。予定していても、他の方のお産が入ったり、その後の産後訪問など入ればそちらを回ってからくることになる。いつ始まり終わるのかわからない自然分娩を扱う助産婦さんのスケジュールは予測不可能。病院なんかだと、土日が入るとか年末年始の調整、ベッドの空状態や医師の勤務交代なんかの都合で計画入院や分娩をさせられしまうことも少なくらしいのだけど、私はそんな医療側本位の診療を受けたくないから助産所にお願いしているのだ。急を要さない健診など、後回しでいいんです。病院で待つのじゃいやだけど、家まで来ていただけるのだから、やることはいくらでもあり、日常生活に滞りは生じない。お2人がそろったところで健診にうつる。まずはお小水から、とキットを手渡され、トイレで自分で検査します。「蛋白」「糖」「PH値」を検知する試験紙(2mm×5cmくらい)に尿をかけ、容器のラベルに記されている検知表の色味と比べます。変化した色の値を報告します。検査コップもないし、試験紙も自分で確認したら捨てます。問題あれば見てもらうかもしれないけど、色味が変わらなければ正常だから自己申告でOK。体重も自己申告。本当は朝起きてからの計測がベストなんだけど、いつも忘れていて、その場で計ってきます。尿の値は全部正常、体重も増えていなくて問題なし、でした。次に布団に横になって計測に入ります。「腹囲」「子宮底長」を計るのを子どもたち、夫が布団を取り囲んで見守ります。子供たちは、土屋さんがママのお腹に何をするかと争うように身を乗り出し、目を見開きます。土屋さんは、「じゃあお手伝いして。こっち持ってね」とメジャーの一方を持たせてくれたりします。二つの小さな黒い頭が私のお腹の上で揺れていて、なんとも癒される。「心音」の確認では、その音が赤ちゃんの心臓の音だよ。心臓って何?お兄ちゃんの身体にもあるでしょう? どこ? ほら!こんな会話をしながら、ブローブをお兄ちゃんの胸に当て、音を聞かせてくれたりしています。自分のそれと赤ちゃんのを聴き比べて「●っクン(胎児名です)のはやっ!」なんて大げさに驚いてみたりして。そのまま触診。赤ちゃんの位置を確認します。位置はだいぶ下がってきています。先週の病院健診時=9か月最終日には胃のあたりからせり出していたお腹が、その翌日には一気に数センチ下がっていて、見た目も明らか、圧迫されていた胃や横隔膜も一気に楽になり。「10か月に入ると赤ちゃんの位置が下がり、胃が楽になり食欲が出てきます」なんて育児書に書いてありますが、うちの子はそのマニュアルどおりです。頭がこっち側で~、あんよがあら、こんなとこにあるよ。大股開いてるね~、背中がこっちね。 と私やパパ、子供たちにも触って確認させてくれます。全体的に骨盤の中に降りてきてはいるけど、まだ斜めになっていて、左肩だけ骨盤内に入ってる様子。足は思いっきり左右に広げて、狭い中でできるだけ身体を突っ張らせているみたい。その図も母子手帳に書きいれてくれます。足のむくみも確認。すっきりしていて、むくみなし、です。この時期に入ってむくみなし、というのは自分の中では初めて。仕事をしていないから、同じ姿勢でずっといることがない、というのとほどよく歩いているのがいいのかな。そして、パパに毎晩マッサージしてもらってるのも大きいでしょう。パパ曰く「指紋がなくなるほど奉仕してる」そうで・・たしかに。どんなに眠かろうが、起こしてまで足を触らせてます。むくみ始めるとすぐわかるから、重くならないうちに循環良くしなきゃ、と。そのおかげで、どんなに夜が辛くても朝には楽になっていて身体も軽くなっています。感謝。血圧を測る頃には、子供たちはおもちゃを持ち寄りまた布団の周りに。土屋さんの懐に入ったり出たりしながらはしゃいでいます。おいおい、邪魔だよ。。。 先週は80/50と低かった血圧も110/60と普段通りに戻っておりました。これで健診は終わり。健診が終わると、土屋さんはその日の話の中で聞きだした不調の部分に対して、いろいろな療法をしてくれます。冷えがあると思えば、お灸やテルミンをむくみがあれば下半身の経絡を踏んでいくマッサージだったり、自律神経が高ぶっているときにはホメオパシー、頭痛・腰痛などにはそれに合ったマッサージ、というように、痛みや不快症状の緩和をしていってくれます。これがまた健診の楽しみだったりする♪この日は、おっぱいの中がずーんと痛んだりすることがあるというと、肩甲骨回りをストレッチしたり、回したりというマッサージをしてくれました。それほど筋肉の緊張・コリもなく、いい状態だということ。そしてそのあとにはいよいよお産キットが手渡されました。臨月に入ると、必要な品一式を家に保管することになります。破水時用のナプキンから、産後パッド、防水シート、へその緒カット用のはさみやクリップ、赤ちゃんののどから羊水等吸い出すチューブなど。もし、助産師のいない中で急激にお産が進んでしまっても、最低限の処置ができるようにと指導も受けます。さらに、万一のための点滴やらなんかの注射器、薬など一式。「こんなの一度も使ったことないけどね~」と笑いながら説明してくれます。点滴は、出血がなかなか止まらないときなどには使用することもあるそう。私が貧血の心配をしているので、出血がちょっと多めでもすぐに病院に搬送、とかそういうことはなく、点滴やほかにも人の手で処置できるから、だいたいの場合はそれで収まるし、大丈夫よーと安心させてくれました。土屋さんは深刻な顔で話をすることがなく、いつもニコニコ、難しい話も楽しそうにお気軽気楽な調子で話してくれるので、こちらも気持ちが緩みます。よく知りあう前は、力のぬけたその態度に頼りなさを感じたこともありましたが、何度も話をしていく中で、実は相当な知識と経験を持った方であることがわかり、それを表面に出さないすごさを知って、尊敬の気持ちが一気に高まっていきました。私が仕事柄、身体や病気のことにある程度知識があることをご存じで、その私の疑問に的確に答え、かみくだいて教えてくださいます。そんな土屋さんは私が尊敬する女性のナンバー1なんです。健診と説明が終わるとパパが入れてくれたお茶を飲みながら座談会。私の知り合いの助産師さんも今回のお産の立会いを希望されているので、土屋さんの許可をいただき、今回顔合わせ。助産師さん3人といろいろなお話が弾みました。周産期医療の今、医療体制の問題、産後の母親へのフォローなど毎回私たちが話し合うことはそんなことばかり。みんなそれぞれに思いがあるので、話は尽きません。毎回の訪問時間は3時間です。その中で、私にとって土屋さんの言葉はお宝いっぱい。帰られるとすぐにメモしておきます。それほど楽しくて貴重な時間なのです。貧血やそれが出産時に及ぼす影響などについても、新たに教えていただき、それを知ることでおのずと解決法が出てきます。皆さんがお帰りになる頃には、不安も払拭され、楽しい余韻といよいよ近づいたお産への気持ちの高まりに、すっかり元気になった気がしました。土日にしっかりひじきやレバーを織り込んだ食事を取り、日曜は古くからの友人と赤ちょうちんで忘年会などしているうち、身体の不調もすっかり抜けた感じです。おかげで昨日の年内最後の一日仕事も不調を感じることなく終了。充実した気持ちでしめくくることができました。ご心配いただいた皆さん、ありがとうございました。この3日間とても元気で快調です。ななめだった赤ちゃんは翌日から骨盤内に頭が入ったようで、いよいよ正期産らしくロックオン★しています。ご安心ください。
2008年12月29日
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密度濃く人と会う日々が続き、一週間前がずいぶん以前のことに思えるほど。充実してるがさすがにちょっとお疲れモードか。昨日は、朝届いたクリスマスプレゼントで遊びたい子供たちも休ませて一日寝て過ごす。身体が重くて食事も取らなかったせいか、今朝も子供たちを送ると息ぎれ動悸がひどく、いろいろやりたい家事にもとりかかれず。横になっても心臓のバクバクがおさまらない。鏡を見ると土気色の肌に血の気のない唇、目の下あかんべすると真っ白い。貧血なことが一目瞭然!少し眠ると動悸は治まっていたけど身体は重いまま。低血圧の人が朝なかなか起き上がれないというのがよくわかる。いつもの3倍以上の時間をかけてのんびり掃除。四つん這いになって床を拭いているとだんだん身体が楽になってきた。助産婦さんも、腰が痛いときや陣痛時にはこの姿勢を取るといいって教えてくれたけど、腰を揺すると確かに楽になるのです。慣れてしまって気付きにくいけど、背中や腰って負担かかってるし緊張もしてるんだよね。それを、動物本来の姿勢になることで緩めたり、ストレッチすることで解消できちゃうわけだ。納得!後期に入った妊婦さん、よかったら試してみてね。でもそれで貧血が解消したわけではない。。このままでは非常にまずいです。この子を自宅で迎えてあげられなくなってしまう!元々妊娠するたび貧血の値は出ていて、でも大した自覚症状は出なくてに至っても何の影響もなかったから、気にしたことはなかったんだけどー…ここへ来て自分の身体に初めて不安を覚えている次第。横になっていても息苦しいなんて、ちょっとおかしいよね… 酸素も欠乏気味か。なんでもないときでこんなじゃ産むとき息できなくなるんじゃ?貧血だと出血も止まりにくいとかいうし。病院からのではなく、市販の栄養補助剤の鉄剤を飲んできたけどこれからは毎日飲もう。食事もとにかく毎日レバーとひじき取るようにしなくちゃ。夜は子供たちお迎えがてら駅前の王将でニラレバを食す。こんな付け焼き刃的なので間に合うかって感じだけども、もうやれることはそれくらいだもの。参った~という感じですが、明日はちょうど自宅健診日。助産婦さんと相談します。
2008年12月26日
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クリスマス前の休日、「イブイブ」とか言うらしいですが、ゆっくり家族と過ごせる設定ができてなかなかいいですね。我が家は妹家族に招待され、ご馳走になってきました。いつもはそういうことに気が回らず、当日を迎えてしまう私も今年は時間的にたっぷり余裕あり、特に先日は娘の成人祝いを盛り上げてくれた妹家族に、プレゼントを用意できました。来春小学校に上がる姪には腕時計、妹にはアロマポットを。父も上京していたので何かプレゼント、と思いついたのが今年も大流行りのダウンジャケットでした。先日、80前後かとみえるじいちゃんがテカりのある最近のダウン着てるのみてカッコいいなと思ったので娘に提案した次第。先日成人のお祝いいただいたことだし、お礼がてらプレゼントしたら?ということで妹家に向かう途中でユニクロへ。体型的に似通ってるパパが試着してサイズと色味を確認。濃いチョコレート色に全員の意見が一致。父が普段着ないような色だけど、明るく若い感じになるのでじーさんこれ来たらカッコいいんじゃない?と。その代金は娘がもつと申し出てくれました。それを受け取った父は「孫からプレゼントがもらえるなんてなあ」と思った以上にしみじみと、感慨深そうでした。そうね~ 孫が働くようになってお給料で自分に何かプレゼントしてくれるようになったら特別な喜びがあるでしょうね~長女よ、じいじ孝行してくれてありがとう。妹の心づくしの手料理に皆大酒かっくらい、途中でみんな昼寝に突入などさせてもらってのんびり過ごしました。子どもたちが、親の手をほとんど煩わすこともなく、子供同士で勝手に遊びまわるようになってくれたことにも、成長した月日を感じ入りましたわ。家族が集え、笑い合える幸せ。この1年結構激動だったけど、こういうとこにある幸せが揺らがない限り、いくらでも建て直しはできるということを体験を持って知りました。私には新たな命と目標が授かったし、妹の夫も好条件で転職が確定したし、互いの家族状況は今より確実に幸福度を増すことができる予感。それを支えてきた家族をねぎらい、感謝し合えた嬉しい1日でした。
2008年12月23日
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新潟から上京した友達が家まで遊びに来てくれました。そう、私は親の転勤で中高6年間を新潟で過ごしており、学生時代の思い出や仲間はすべて新潟にあります。実家があるわけでもないので滅多にあちらへ行く機会もないのですが、高校の部活仲間は親友として付き合いは20年途絶えることなく続いています。高校卒業と同時に結婚し、子育てする私をずっと心配し、見守ってくれたり、ずいぶん支えになってくれた友たちでした。20代は皆一人身だったので、それぞれによく上京しては会いに来てくれ、飲んだり旅行に行ったりしていたものです。男一人に女三人の変な関係ですが、互いの結婚式には親族同様招待し合い、その際には私も行く理由ができて、懐かしい土地を訪れることができるのでした。もうみんな片付いてしまって機会はなくなっちゃいましたが。私が再婚した頃に皆も家庭を持ち始めたので、会うのはもちろん連絡を取るのも間遠になりましたが、それぞれが幸せな生活に落ち着いたことで心配し合うこともなくなったということでもありました。あちらでは家族連れで会ったり、仕事帰りに飲んだりしてるみたいです。今回はうち二人が横浜であるスティングのコンサートに来ることになり、私のところにも寄ってくれたのでした。数年ぶりに会うのに普通に招きいれ、初めて会う子どもたちは親戚のおじちゃんたちが来たかのように家に入った瞬間からおもちゃで遊んでもらってました。大人たちの合い慣れた空気が自然とそうさせるのでしょう。それにしても、久しぶりに会ったのにあまり会話がなかったなー簡単に近況報告と共通の友人の話題を少し、家庭の話を一通りしたら、それでもう話題がなくなっちゃうのね。仕事仲間やママ仲間など、普段もっと会ってる人たちとはいくらでも話したいこと続くのに、あまりに久しぶりに会って、しかも短時間だと思うと深い話をすることもできないし。そういうもんかもしれないわねー なんて。それでもただ一緒にお茶を飲んで、子供の様子を笑って、他愛のない会話をぼつぼつしていることが、当り前のことのように感じられ、空気も穏やかに流れていきます。そして数時間が過ぎ、また当分会えなくなるのに「じゃ~ね~」と簡単に手を振って別れる私たち。学生時代の関係となんら変わらないノリ、距離感です。上京の連絡をもらってからずっと楽しみにしていたこの日でしたが、来てしまうとあっというまに通り過ぎていってしまった時間。でも、今の私の生活と子供、夫、私の心の安定を、きっと感じて安堵してくれたでしょうし(学生時代からずっとハラハラさせてきたから)、私もやつらの幸せな状態を感じ取り、皆がそれぞれに充実して楽しく生きていられることに胸が温まるのでした。求めるものも探ることもなく、ただ受け入れ受け止めるだけ・・これが、本当の友達関係なのかもしれません。-----その友たちを見送ったとたん、今度は別の友達から電話が。車で近くに来たから寄っていいですか~とのこと。家は一応片付いているし、お茶菓子は残ってるし、絶妙なタイミング。出産前にぜひ会っておきたいと思っていた相手だったから、願ったり叶ったり、の大歓迎でお迎えさせていただきました。こっちはお子ちゃま連れだから、先のお客様に続いてのこの訪問に子どもたちのテンションも更にヒートアップしちゃうのでした。この友人はこの楽天から知り合った仲。ブログだけで私がなぜか強い興味を持った人物で、共通の友人を通じて会うことができたこともご縁なんだけど、感性が通じ合うというか、私としては旧知の仲のように話ができる、大好き且つそういう貴重な存在なのです。彼女との語りはいつも聡く、深い。真剣に深い話がさらっとできるから、すごく楽しいんだよー。彼女との会話は尽きないのだなー同じ「大事な友達」でも、いろんな形があるものです。-----そんな嬉しく、充実した一日の終わりに、新潟に帰る途中の友からメールが入ってきました。もう一人の仲間であるYがさっき第一子を出産した、と。実は来週が予定日で、昼間にみんなで激励の電話をかけて話をしたところでした。昼間の電話では「女の子みたいよー」なんて言ってて、最初の子は女の子が楽よーとか、さんざん話してたのに報告ではなんと男の子! 昼間にはまだ陣痛もなかったのに、もう生まれているということと、その男の子という報告に驚いていますが、私たちが久しぶりに結びついたその日に無事出産という運びになったことが、なんだかとても嬉しく思えたりしています。人生という時間の流れ方や縁、命を紡ぐということの面白さ、不思議さ、人生の幸福というもの・・ いろんな思いを噛みしめたり味わったりできたいい一日でした。Y、息子くん、本当におめでとう。幸せな人生を・・・心から願っています。
2008年12月21日
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1週間前の話になりますが・・雨の中を子どもたちと近所のニトリまで散歩に行ったとき、クリスマスツリーを買ってきました。パパと一緒に住むようになってからは、大人3人の生活にふさわしく、白のツリーに青と銀系のおしゃれな飾り付けをして楽しんでいたのですがその後長男が生まれ、生活は一変。長男が2歳を迎えるころには観葉植物から何からインテリアは片っ端から引き倒され、破壊されるはめに・・ ツリーもさんざんな目に遭ったので転居を機に捨ててしまってました。そして二女が生まれ、幼子2人の中でツリーはおもちゃにしかならないだろう、とこの2年は飾ることなかったのですが、二女も保育園や町のあちこちで見かけるサンタやツリーを興味深く見て回るようになったので、今年は飾ってみるか・・と。120cmのツリーを取り出し、飾り付けるパパと子供たち。ついこの間までの二女だったら、オーナメントもぐしゃ、と握りつぶしたりちぎったりしていただろうに、器用に結びつけたりひっかけたりできてました。お兄ちゃんは「ツリー、すっげー楽しいなー♪」と何度も歓喜の声をあげてて可愛かった。飾り付けは敢えて大人は手を出さず、子供たちの好きなようにやらせました。なんだか一か所に固まってるところもあるけど、それがその年その年の子どもたちの作品となり、1年ごとの成長を感じることができるでしょう。はしゃぎまわる子どもたちと、点滅するツリーライトの明かりが、家族というものの幸せを改めて実感させてくれました。長女のときにも毎年こうやって飾ってたっけ。たしか、生まれたときに赤ちゃんを見せに行ったお花やさんで、お祝だと大きなツリーをいただいたんだっけ。毎年買い足していくオーナメント。数年も経つとかなりの量になり、そうなると逆にシンプルな色づかいでスマートにしてみたり。。。あ、でも今思い出した。たしか長女が6歳くらいのとき。あまりそういうイベントごとに関心のない父親だったし、仕事が忙しくて一緒に食事などできる環境ではなかったので、母娘二人のクリスマスがさびしいものにならないように、と母は張り切って飾り付け、食事の用意をして、奮闘していました。準備がすっかり整い、キャンドルを灯して「さあ、クリスマスよ♪お歌歌おうかー」なんてノッてる私とは正反対にテンション低ーい娘。「ママ、いつもとちがって明る過ぎて、なんかへん・・・。」と一言。冷めてるというよりは、なんだか哀しそうでした。私の無理を微妙に感じ取っていたのかなー 毎年、家族で普通にクリスマスを楽しんで育ってきた私と、そういう平凡な家庭の味を知らない相手との結婚でしたから、家族で味わう醍醐味、みたいな感覚でクリスマスをとらえていない家庭ができつつあり・・その頃は、夫婦仲はよかったし、彼が悪いのではなく育った環境のせいだからと淡泊な反応の夫に不満を感じることなんかなかったんだけど、でも、自分が育ってきた楽しい感覚を娘にも味わってほしいなーという思いが、そのテンションにつながり、娘の目には奇異なものに映ってしまったのでしょう。たしかに、クリスマスなんて外国の風習を日本人が真似たチャチなお祭り騒ぎ、かもしれない。でも、大切な人と何かの機に、今一緒にいられる幸せを感じあい、何かの形で祝うのって大事なことで、お正月や誕生日に加えて、そんな機会がたくさんあるのは素敵なことだと思う。子どものときって、日常とちょっと違うことがとにかく楽しいものだし、家族が一体となる、HAPPY(幸せ=楽しい)な瞬間はどんなに幼くてもちゃんと実感して、いつまでも心に残るものだしね。一つひとつは小さいものでも、その積み重ねが人の心、家族の豊かさを作っていくのだと思うのです。でも、前の夫は自分の家族からそういうものをもらってこれなかった。だから、その一つひとつの価値に重きを置く、という感覚を持つこともできなかったのかもしれない。夫婦間でのそんな価値観の違いを、些細なこと・・と抑え込んでも、どこかに違和感や無理が生まれていた。それが、だんだん大きくなっていって、どうしても歩み寄れないことあるってことに気がついて、、、私の心は彼と、彼との結婚生活から離れていってしまったんだった・・夫婦がそれに気づく前に、子どもの敏感な感覚はその「無理」して回っている部分を察知していたのかもしれないなあ。ずっと忘れていたけど、なんだか切ない思い出です・・・そんな昔があり、こんな今があります。今の子供たち(なんかへんな言い方)は、屈託なく笑い転げ、クリスマスの楽しみ方を味わい始めています。私はもう一度こんな風に、家族のイベントとそれがもたらしてくれる幸福感に浸れる喜びを味わうことができています。赤、青、オレンジ、緑、黄色・・ この安っぽい電灯の点滅ですが、今の私にとっては何よりの幸せの象徴で、ふと胸が熱くなったりする夜です。
2008年12月20日
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お腹が膨れ、調子が悪い・・と言いつつも、仕事関連で人と会う毎日が続いていて出歩いています。この2日間昼間は快調。お腹も軽くてひょいひょい動ける。気の置けない仲間と楽しい会話とおいしい食事、なんてしてるんだから、最高の胎教だよね。それでもってこれがお仕事の一端なんです、いいなあ自営業そして自由業。さて今日は病院健診でした。今回も自宅分娩の予定なので、それをバックアップしてくれる産院(何かあったら搬送先として受け入れてくれる提携病院。これがないと自宅や助産所でのお産は許可がおりないのです)には検査や超音波診断などの際にお世話になります。今回は臨月突入となる際の、一応最後のつもりの病院健診。この数ヶ月、なんとなく性別に触れることなくきちゃったんで、今日は超音波の最後のチャンス、と楽しみに出かけていき、じっくり見てもらいました。もう何度も見慣れた足の間のあの画像…おまたの形は…?女の子なら木の葉型。男の子ならキノコ型。どっちも見ているからわかるつもりだったけど、これは…膨らみ無いみたいじゃない?木の葉じゃない???先生も「…ないみたいだねえ…ほら、これ線しかないじゃない?」なんて解説。「わ!じゃ女の子?嬉しい~♪」と小躍りしたくなっちゃいました。「7~8か月が一番見やすいんだよ~これぐらいになると全体大きくなりすぎちゃってかえってわかりにくくなっちゃうんだよね~……ん?ちょっと待った!あ、隠れてたよ~!! なんだあ。。。。この膨らみ・・・う~ん、確実だね!」とすぐに訂正。なんだお騒がせね!やっぱりというか、覚悟のとおり「♂」でしたわ。うーん、一瞬でもぬか喜びしたことが哀しい。。 ごめんね●っクン!5、6か月の頃、男の子っぽいとか言われたから早々に胎児名もクンづけで呼んでます。ちなみにこの胎児名は二女のときも使っていて、8か月のときに女の子だとわかり慌てて使用中止にしたものです。考えるの面倒でそのまま横流し。かわいそうな4番目なり。まあこれで確定、具体的に男の子像を描きながら出産に向かえます。スッキリ!結構大きい子のようで、もう2600gくらいあるかも、だって。やばい… あと1か月もあんのになあー 長男3600g弱、時間かかりました、大変でした。二女2900g、ラクでした~♪ うちは男は大きくなるタイプなのでしょうか。スッポリいって欲しいのですがあ~ それは甘かったようです。まあ●っクン自身は順調、元気とのこと。私は貧血だけ気になるので念のため検査し、その結果次第でどうなるか、どうするかになります。今回も無事自宅で彼を迎え入れられますように・・☆
2008年12月19日
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昨日アップした日記は先週末眠れぬ夜に打ち込んだものだったので、その日付でアップしたのですが・・軽快だし、張ることもない、なんて言った矢先になんですが、数日で劇的に変化しちゃいました。土曜の朝から・・・前日まであれだけ動けていたのに、この日は朝からだるい。下腹が張る。赤ちゃんが下がっている感じでした。数日分の疲れがたまってたのかとも思ったけど、そういう疲れとは違う。動くとにぶーく痛いような張るような・・そういえば、と前の晩見た美しい満月を思い出し納得。そっかー 月の影響だ。もうそんな影響を受けるくらいになってきたんだ、と、お産の近づきを実感です。昼から友人宅での忘年会だったんだけど、ぎりぎりまで横になって身体お休みモードに。あっちでは何もしないでデンと座ってればよかったけど、行き帰りの電車・バスでの移動は結構しんどかった。恥骨や足の付け根が時々゛キリーン″と痛むのも感じ始めています。少しずつ骨盤が緩まってきているのでしょう。それにしても、下に引っ張られるようなあの重力には参りました。地球の引力と月の満ち欠けの関係??後でパパが見たニュースによると、その土曜は1年で最も月が大きく見える日だったそうです。ってことは、月と地球の距離が最大に近づく日だったってこと?なのかな? (その辺ぜんぜん詳しくないんだけど・・・日曜日は夜半から雨となり、前日の暖かさから一転、真冬日でしたね。この気圧の影響もあったのかなーとか思ったりして。それれでも張りはおさまって、わりと元気になっていたので、雨の中でしたが子どもたちの退屈しのぎに買い物がてらお散歩に。一人で自転車、なら2~3分のニトリに、かっぱと傘をさした幼児を歩いて連れていけば20分かかります。妊婦の適度な運動に、うん、ふさわしい。中でも結構歩き回るけどね、ソファは売ってるほどあるから、いくらでも腰かけてお休みタイムとることできるし。帰ってくると子どもたちの機嫌もよくなり、ほどよい疲れの中でお昼寝。夫婦二人もそれぞれ自分の時間を過ごせました。そしてそして月曜日。これまでできた「かがむ」という行為が一気にきつくなりました。立ち上がる、座るという動作もすっすっとはいかなくなり、あら~ん、ずっとこの調子でぽんと産めちゃいそうな気になっていたのにやはり甘かったわ・・ 今週唯一のオフであるこの日を、のんびり過ごしていたのですが夕方からどんどん不調に。だるい、重い、痛い、気持ち悪い・・・一気に大きくなる子宮と胎児、そしてまだ満月の影響下だったのか?悪化していく体調を押して子どもたちを迎えに行くも、息切れと動悸の激しさは増すばかり。幸いパパもお姉ちゃんも帰りが早かったので子どもたちの世話は助かりましたが、もうそろそろ送迎や食事・買い物のことなど彼らに分担振っておかないとやばそうです。横になると強い張りがずっと続いて、そのうえ赤ちゃんやたら暴れる。それもずーっと動き続けていて、胎児のくせに何時間起きてんのよ?大丈夫?ってくらい絶えずうごめいていました。うちのお子様のおみ足は、お医者さんが間違いかと測り直すくらい長いざんすのよー その足が、肋骨の中に食い込んで激しく内臓を蹴り飛ばす、腕も突っ張る、伸びをする!まさに暴れ狂っていました。苦しさのあまり、私の口からはうめき声がもれるほど・・ああもういっそ産んでしまいたい! という苦しさでした~陣痛の痛みとは全然違いましたけどね。今朝になるとだいぶおさまっていたけど、張りはあるし、何より昨夜の疲れがどっと押し寄せてきて、しばらく動けなかった・・そして、食欲は一切なく、食べると気持ち悪く、動作は一気に重くなり・・という一日でした。まだ一か月ある、とがんがん予定入れまくってあるのに・・・どこまでもつのだろうか・・
2008年12月17日
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9か月の最終週に入りました。10日ほど前にお腹がすごく膨らむ感じがあって、胃が苦しくなる感覚が数日続いたんだけど、その直後の健診ではたった2週間で子宮底長が5cmも伸びていました。徐々に徐々に大きくなっていくのではなく、そこで一気にぐん!って胎児もその容れモノも増大した感があります。8か月の頃には少しおとなしくなってきたなーと感じていた胎動も、重く力強いものとなっています。もう2000gはあるだろうという時期ですが、なるほどそれを感じさせる動きです。私のお腹は横に広がらず縦に突き出すタイプらしく、お腹はそれほど大きく見えないようです。実際、体重は5kg程度しか増えてないので、むしろ痩せていくように見えるらしい。つわりでやつれた後、そのまま酒を飲まない生活が続くから、かなぁ・・(しかしどんだけ飲んでんだ!?って・・・)よく妊婦期にあるという、暴飲暴食に走る、偏食になる、という抑制のきかない事態にも陥らず、ちょっと食べれば満足という程度の食欲。腹壁の縦のカーブにしっかり赤ちゃんがおさまってくれてるので、一体感があり、お腹の重みをあまり感じないです。先月の京都旅行を決めたのはその2か月ほど前で、私としてはなるべく月数が進まないうちに行きたかったんだけど、メンバーの都合でどうしても11月上旬ということになってしまった。8か月のお腹で階段や坂の多い道を歩きまわれるのだろうか・・列車の旅や数日の宿泊など負担がかかりすぎるのではないか・・と内心では危ぶむ面もあり、予定時になって不安が残るようならキャンセルするしかないか、という覚悟もしていたのだけど、実際その時が来てもお腹はそれほど大きくも負担にもならず、歩き回っても全然平気でした。で、その状態はまだずっと続いていて、熱海では子どもたちと結構歩き回ったし、普段の生活でも送り迎えや駅まで数分の移動には自転車も使ってますが、軽快な動きに周囲も自分も半ばあきれ驚くほど。電車に乗っても洋服によってはあまり気づかれないのか、無視されてるのかしらないけどあまり席は譲られない。でも、辛くないので別にいっか~って感じだし、階段もそれほど苦じゃないなあ。先週も朝一から夜遅くまで仕事(施術とかじゃないけど)が入っていて、きつくなったら横にならせてもらおう、途中で帰らせてもらおう、とか思ってたんだけど、楽しい雰囲気の中終始元気で一度も不調を感じることなく無事こなせてしまった。さすがに帰ってからは疲れを感じたけど、その分いつもよりぐっすり眠れて、翌朝は快適にお目覚め。朝からまた元気に友達と出かけられるほどのベストコンディションだったりするのでした。優しい皆さんからは「でも無理しないでくださいね」とういう声が聞こえてきそうですが、「我慢」とか「無理」が大の苦手な私ですのでその点は大丈夫でーす。楽しいし、喜びがあるからその仕事を選ぶ、参加する。無理を強いたくないから打ち合わせの席上でも遠慮せず体勢を崩したり、休みを入れてもらったりする。辛い時には電車の中で優先席に座ってる若いのをどかして座る、くらい当たり前だと思ってるしそうするし。家でも不調なら動かないし、それを許容してもらえる環境なのでありがたいのです。「~しなきゃ」というのがないから精神・肉体ともにストレスがたまらないのでしょうね。その証明が、私のおなか。まん丸で、柔らかくて、温かいです。9か月に入ると、お産の準備として自然に張ることも出てきますが、それまでは張ったことがないくらい。不妊治療に効果が高いと有名な銀座の漢方医がテレビで言っていたけど、まず、来診女性のお腹を触診するのだそうですが、妊娠しにくい女性のお腹は固い、冷たいのだそうです。子宮はじめ臓器の働きが悪くなっているのでしょうね。生薬等で体質から改善していき、妊娠しやすい身体にしていくそうですが、妊娠する人のお腹は温かく、柔らかくなっているそうです。私のお腹はまさに、その状態。病院の先生からも、助産師さんからもいつも「きれいでいいお腹だ!」とほめられます。4人目とは思えないほど丸みがきれいで、柔らかいお腹なんだって。そういえば毎回妊娠線も出ないし、たるみも残らないなあ。女性にとっても、人間にとってもやはり一番の大敵は『ストレス』と『冷え』ですよ。そして、結構この二つは結びついていることが多い。体(特に手足)がほんわかいつも温かい人が、ストレスで精神を病んでることってないと思うし、マッサージなどで人の体を触っていていつも思うけど、ストレスを抱えてる人は筋肉が固い、弾力がない=やわらかくない。それは体温が低く、熱を保つはずの筋肉の機能が低下しているのではないか、ということ。そういう身体の人は、なぜか笑顔も少ないの。とてもいい人で優しさを持ってることが伝わるような方でも、きっとどこかで無理をしていたり、緊張を溶けない部分なんかがあるのかなーと、話の端々から読み取れる。自身をリラックスさせることが不得意あるいは出来ない人、という感じがします。そして、そういう方がとても多いのです。これだけ豊かな時代で遊びやリラクゼーションの場もたくさんあるというのにね。やはり、心まで安らげるような世の中や環境ではなくなっているのでしょうか。私もOL時代はきっとそんな感じでした。手や足は靴下や手袋しても冷たかったし、長男の検診のときには毎回助産師さんから「お腹ちょっと冷たいね」と夏でも言われていたくらい。それまでは自分の体が冷えている、という自覚さえなかったしね。身体を温めるって、風呂入れば温まるんじゃないの?程度の感じ方でした。今、私が触れると相手の人はまず私の手の温かさに驚き、それだけでセラピストとしては得だね、なんてうらやましがられたりします。そして、自慢しているように今じゃこのお腹。長男出産後、身体が激変したことを感じます。自宅で完全なる自然分娩を経験できたこと、そしてその後知識や思考の面でそれまでと全く違った世界に踏み込み、勉強したり仲間を持ったりして、たくさんのことを学ばせてもらってきました。自分も人の身体・心に触れるお仕事をするようになり、人生の歩み方まで変わっていった。家族との接し方・人との付き合い方・自分との向き合い方・・すべてにおいて、それまでの30年とは違った生き方をするようになってから、身体も内側から変わっていったのだと感じています。もちろん、生理学的にも、続けての出産と授乳(おっぱいを与える母親の体温は高くなるから)の体験が影響しています。特に最近の母乳育児は長期間母乳を与えることをよし、としていますから、授乳期間が長いことも身体を温かく保てる理由になっているかも。まあとにかく、総合的に「ストレス」「冷え」は百害あって一利なし、なんですよね。今のこの「いいお腹」の状態が継続していけば、出産の半分はもう安産を示しているようなものだと思っています。あと1か月あまり・・ 心も体も、「リラックス」して「温かい」状態を保っていければと願っています。過去のお産でも、長女のときに切迫で2日ほど入院したことあれど他は一切トラブルなしで、出産時も問題なく安産。流産経験もなく、4度の妊娠がすべて順調にいってることは、本当にありがたいことです。悪阻は長く苦しいけど、子供を産むのに適した身体に恵まれたこと、親や天に感謝しなくちゃ。そして、自分がどうして15年もの間を空けてまた妊娠、しかも3人もの子どもを産むことになったのか・・天から何の使命を与えられてきたのかを、この出産やこれからの子育てを通じてじっくり突き詰めていきたいと思っています。2人目を出産してからずっと感じ続けてきた「何か伝えなければ」というこの思い・・ サークル活動やベビマを通じて少しずつ形にしてきたつもりだけど、まだまだ違う。もっと大事なこと、大きなことで、伝えたいことが私の中にはあるみたい。今日書いた内容もそうです。以前の私のように、なにも知らず、知らないがゆえに不調に悩む現代の多くの女性たちに、私の体験を通して今より少しでも楽しく幸せな生き方をしてもらえたら・・という気持ちがふつふつとたぎっています。それを、このお腹の子と一緒に成し遂げられたらいいいな。それを仕事に繋げて、ライフワークとできたらいいな、なんて考えていたりします。
2008年12月12日
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前の日記にて、あわただしくも充実していた先月の様子を書きましたが、この2週間はそれまでと打って変わって、のんびりまったりと家庭内で過ごしています。実家では子どもたちと密な時間を堪能させてもらいました。こんなに長いこと子どもたちとフルに一緒だったことはないんじゃないか?幼稚園や小学校だと夏休みなどあるからそういう日が続くんだろうけど、保育園だから休みも短いし。自分の家ではないから、数か月ぶりに行く祖父母の家はそこでやることすべてがイベント的で楽しいものに♪お風呂はマンションの共同温泉なので、一日に何回も入りたがり、そのたびに入浴道具や着替えをいちいち支度しなくちゃならない。でも他にやることがあるわけでもなし、子供たちがわーいとはしゃぐ声に追い立てられながら各自の用意を整えるのも母としての喜びでした。近場の海や山をただ散歩するだけの日々でしたが、そんなお散歩やちょっとバスに乗ったり、いつもと違うスーパーに買い物に行くだけでも楽しそうな子どもたち。私自身、何かやらねばならないわけでなく、考えなくてはならないということもなく、目の前に起こることだけを見て感じていればいいという呑気な立場でいられることにすごく安らぎを感じました。子供たちはお昼寝なく遊ばせ、夕飯を早くしたりして夜早く寝るようにさせてみたところ、見事成功!12時近くまで起きてた東京での悪習慣がようやく改善されました。今回の一番の収穫はこれ、かな。9時過ぎに眠くなってくれる子ども~~って、夢でしたから。両親とものんびり過ごせたし、92歳になるおばあちゃんにも会ってこれました。私の頭も身体も緩めることができ、いいリフレッシュとなりました。戻ってからはゆったり家事をし、仕事の整理をし、一人の時間を楽しんでいます。と、これも今日まで。明日からクリスマス頃まではまた毎日なんだかんだと・・でも、気力と体力充実してますから、大いに楽しんでいきま~す。
2008年12月10日
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最近の2か月くらいは仕事関連の動きが続いてました。主には、休業期間中ご心配かけ、いろいろ心遣いいただいた方たちへのご挨拶、まつげカールとヘッドスパのサロン活動など。あと、近場で活動する仲間と技術練習などもしていました。本当に理解しあえる仲間やお客様との気のおけない時間の中で、いくつもの励ましや変わらぬ信頼や支持をいただいたことが、私にとっては最良の日光・水・肥料となったようです。枯れてひび割れていた仕事への意欲が水で潤され、柔らかくなった土から新たな芽が顔を出し始めています。そこに信頼・期待という温かい栄養が注がれ、その芽を伸ばすべく応援や保護までしてくれています。ありがたいことです。悪阻が抜けた後のこの2か月ですっかり活気づいてしまった頭と心。やばいです~。これからまた出産、育児という大事業が控えているというのに、それ通り越したビジョンで頭が回転を続けてる! うん、楽しいです♪これこそ本来の私らしさ!でも今度は「誰かのため」に追い立てられるものではなく、自らの再建のために動くことだから、家族に犠牲を強いている、という感覚を持つことはないでしょう。出産とともに新たに生み出されるものの予感も感じています。そんな楽しみを控えた中で、9か月に入りました。サロン活動や練習会はさすがにもうお休み。(この身体ではハンパなことしかできないからねぇ)そのつもりで空けておいた11月下旬~来月までのスケジュールだったのですが、変わりに友達やサークル仲間との嬉しいイベントで次々埋まっていきます。先週は●子供たちを自然の中で遊ばせる会、●ママ達だけで楽しむ昼間のお茶会、●「部活動」と亭主を説得して来たママもいる夜の飲み会…。グループでわいわいもあれば、まったりじっくりサシで、なんてのも結構あったりで、人と関わることの大好きな私にとってはこれまた充実した日々を送らせてもらってます。えっと~、そろそろ出産準備に入るべき時期じゃないですか~?なんて声も内外で聞こえてくるんですが! ありがたいことにそういう関わりの中で次々とクリアされてていくものも。会う人ごとにベビーベッド、ベビーカー、ママコート、ベビー服、の提供を申し出てくれてます。ちなみに一作日は布オムツ(なかなか売ってないのよね)もゲット!ありがたや~ですわ。楽しいお友達との時間。仕事仲間との時間があることで、子供に対してもゆったりと余裕のある対応ができています。いい循環♪子どもたちと更に濃い時間を過ごすために、今日から1週間熱海の実家に里帰りしてきます。戻ったら、スペシャルなお楽しみが目白押しなので、その日のために自分の充電もしてきますね~
2008年11月28日
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前回の日記には自分の親としての成人を祝ったりしていますが・・娘の成人祝いもしてきました。成人式は来年なのですが、ちょうどそのあたりが第4子の出産予定日にあたってしまうので、まず満足なことはしてあげられないでしょう。娘もやっぱり20歳という年のことは意識しているようで、「娘が二十歳ってどういう気持ち?やっぱ感慨深い?」なんてことを今年に入って何度か口にするようになっていました。もう社会人となって2年近く、精神的にはとっくに自立しているようなしっかりした娘ですが、それだけに親としてはもうしてやれることもなく、小さい弟妹のことばかりに手をかけていますから、こんな機会でもないとなかなか親の思いを伝えることはできないかな、と思いました。毎年のお祝は実家の両親と妹夫婦を招いて家で行うのですが、今年は特別なお祝いという形をとってあげたい、と一計画立てることに。両親と妹に相談し、プレゼントは合同出資で、記念となるアクセサリーを送ることに決め、食事は我が家がホテルのディナーに招待する、という形をとりました。会食は、浦和のロイヤルパインズホテルのレストランでフレンチを予約。小さな子どもたちがいるので数時間気兼ねなく過ごせるように、と個室にしましたが、家族だけの空間で、特別なサービスが受けられて大正解でした。19階の部屋は窓側が全面ガラス張りなので、夜景も美しく、階下の庭園がクリスマス仕様にライトアップされていて、それを見下ろせて子どもたちも大喜びでした。妹夫婦が先回りして乾杯のシャンパンを用意してくれていました。「今日からお酒も堂々と人前で飲めるね!」なんて言いながら乾杯。(娘は高校生のときからふつーに私たちと飲んでます・・・)子どもたちにはスペシャルなお子様ランチが供されましたが、子供だましでない、きちんとした料理で、子供たちもおいしさがわかるのか、普段とは違う勢いで次々と手を伸ばしていました。大人のディナーがゆっくり運び込まれる合間合間に、各自が用意した小さなプレゼントを娘と息子に手渡したり、娘の思い出話をしたりして和やかに進行していきました。デザートが終わると、扉が開き、外のフロアのピアノ演奏がバースデーのメロディになり、お願いしていたケーキと花束が届けられました。そんな演出はお願いしていなかったのですが、さすが慣れているのですね~こういうお店は。おかげでバースデームードがいい雰囲気に盛り上がりました。記念の写真も撮ってくれ、終了時までに台紙をつけてプレゼントしてくれました。記念のプレゼントはセンスのいい妹が選んでくれたブランドの腕時計。娘のお給料ではなかなか手の出ないであろう品です。ディナーのことも、プレゼントのことも知らされていなかった娘には感激の連続だったようです。最後に、母からの手紙を妹に読み上げてもらいました。娘が生まれた日にさかのぼり、いくつかの嵐を乗り越えてきたけれど、今日集まってくれたこの家族が、私たち二人の20年をずっと見守り、支え、励ましてきてくれたことへの感謝の気持ちを込めました。-----------------------------------じいじ(私の父)は、18歳で母親になろうとする娘のことをどれだけ心配したでしょう。その後も、破天荒な生き方をする娘とその犠牲になっている孫の姿にどれだけ胸を痛めてきたことか。でも、いつも私たちを受け入れ、支えとなってくれました。ばあばは、あなたが生まれたときにガンと闘っていましたが、産後の娘が心配でたまらず、周囲の反対を押し切って上京し、世話をしてくれました。まだ髪の毛の抜け落ちた頭に、胸がつぶれそうな思いでしたが、初孫の存在が、あの頃のばあばの支えとなったのだと思います。妹夫婦は、あなたが小学校のころからずっと見守ってきてくれました。当時内気で影のあったあなたのことを案じ、母の再婚時の娘の葛藤を案じ、今こんなに明るく華やかになっていく様子を喜んでくれています。妹は、あなたの良さを誰よりもわかり、気持ちを察してくれる理解者です。今のパパは、私たちに平穏な幸せをくれました。(嵐の原因でもあったのですが・・・)あなたのことをもう10年も見守ってくれています。あなたの父親にも本当に感謝しています。あの人と結婚して、あなたが生まれたこと、本当に幸せでした。私たちは若くてとても苦労したけど、あなたのためにすごく頑張ることができた。そんな生き方ができたことは私たちの誇りです。彼は人一倍愛情深い人ですから、今はめったに会えない、連絡が滞ったりしているかもしれないけれど、誰よりもあなたを愛しているということは、母はわかっている。あなたもわかってあげてください。こんなにみんなに愛されて幸せなあなたですが、それはあなたがそれだけの価値あるいい娘だからだと思う。母とあなたは、二人三脚のパートナーのようなものでした。一人で我が道を突っ走り、苦労をかけてごめんね。母にとってこの20年は、自分の幸せを追求する20年でした。その母に常に寄り添い(そうするしかなかった)、辛い思いもたくさんしてきたと思うけど、それを外に出さず、いつも一人で乗り越えて、両親の生き方を受け入れてきてくれたことを、母は決して忘れてははいけないと思っています。今、母は追及してきた幸せを手に入れ、新たな巣作りをしていますがその作業もまたあなたが一緒に手伝ってくれています。おかげで妹も弟も明るく屈託なく育っています。ありがとう。家族が次々と増えていくこの幸せは、苦労してきた私たち二人へのご褒美だと母はとらえています。苦労をかけてしまった分、あなたにはほかのどの子どもよりも幸せになってもらいたいと願っています。わがまま一つ言わないできたあなたですが、これからはもう少し貪欲に、自分の幸せのために生きていってください。もっと傲慢になってもいいくらいだよ。そのためにできることがあるのなら、母はどんなことでも力になります。こんなに優しく思いやりのある娘を持って幸せな母親です。私のもとに生まれてきてくれてありがとう。もっともっと、幸せになろうね。---------------------------------そんな内容を伝えました。娘は、弟を抱きしめながら、その頭に顔をうずめて静かに泣いていました。弟も、意味はほとんどわからなかったと思いますが、神妙な顔で静かに聞いていてくれました。手紙を書いている時点ですでに号泣してしまっていたので、これは絶対読むの無理~~! と妹に読んでもらったのですが、正解でした。やはり娘を連れて再婚した方と話したのですが、苦労をかけてきた分、その子供に対する思いは、同じ我が子でも他の子供より特別なものがあります。そんな気持ちを共感できるだけに、私とその友人は、娘の話をするときはいつも涙腺がこわれちゃいます。子どもには、できるだけ苦労をかけたくないのが親心。でも、何も苦労を知らないのも幸せかもしれないけど、苦労があったからこそ、幸せを実感できるということもあるかもしれません。だからこそ、それを大切にできる人間に育つのかもしれず、その姿がまた人の心を打ち、その人の魅力となっていくのかもしれません。だからこんなに親思いの子供に育ってくれたのかな。なんにせよ、その苦労が親子の絆を人一倍強くしてくれたことは確かです。娘は、「こんなにいろいろしてもらって、なんだかもうお嫁に出されるみたい~」と、テレ笑いしていましたが、涙で取れたつけまつげをつけ直し(笑)、気持ちを落ち着かせると、立ち上がり、主役としてちゃんと今日のお礼を皆に伝えていました。その外見はもう、どこから見ても大人の女性、でも中身にはまだあどけなさも若干残り、そのアンバランスさにも静かな愛しさを感じていた母でした。でも、そのときは2歳の妹が歩き回り、ついて回っていた私に肝心な言葉はほとんど届かず・・・まあ、パパがビデオを回していたのであとで聞くしかないか・・なんて思っていたら、なんとビデオの故障で音声が録音されていませんでした!(もう、ほんとに肝心なときに間の抜けた・・やっぱりパパらしいよ、とか罪のないパパはとばっちりを受けています)娘曰く「信じられな~い、あんなにちゃんと言ったのに・・もう二度と言わないよ~」と。しかたない、お嫁に行く時まで待つとしますか。
2008年11月18日
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先日、長女が二十歳の誕生日を迎えました。いまだに幼子たちの世話に明け暮れる身としては、普段なかなかゆったりとその20年の思い出を取り出して懐かしむ余裕もないのですが、ちょうど家族と離れて旅行する機会と重なり、個の自分を持つことができたので、20年前のことをゆっくり思い出していました。身籠もったのは高3の冬。卒業式の前日に病院へ検査に行き、超音波で5ミリほどになった姿を確認しました。娘が大学に進学するものとばかり思っていた両親は反対し、処置する手配もされていましたが、最初から産むつもりだった私は、駆け落ちを計画し迎えに来た彼氏を返し、家に残って父親を説得しました。最後には父の足にすがりついて、私をまともな人間でいさせてください、と泣きながら懇願しました。父から許しを得られたのは入院予定日の前日でした。産むことは認めたものの、先妻が妊娠中に亡くなるという悲しい過去を体験していた父は、年端のいかない娘を離れた土地に出す(当時は新潟在住。彼は東京)覚悟ができませんでした。親元で産むことを条件に、私は長女を産むことを許されたのでした。親元にいるといってもそれまで母親とは折り合いが悪く、けんかして家出をしたこともあるくらいでした。挙げ句の果てに妊娠などした娘に、母の態度は冷ややかでした。初孫である私を溺愛してくれていた祖母ですが、その知らせを聞いて激怒、ひ孫なんてまだ欲しくない、という悪口雑言の手紙が届きました。そんな中で、私の妊娠生活は始まったのでした。でも、私にとっては最愛の人と結婚し、子どもを産めるという最高の幸せ。この子を産むためだったら孤独だって何だって耐えてみせる、と思っていました。東京では彼が、私達を迎え入れるために頑張っていてくれ、毎日電話で励ましあっていました。親の態度や祖母の怒りも、衝撃の大きさからしたら無理のないこと、生まれた子どもの顔を見たり、私がうんと幸せに子育てしているのを見れば必ず理解してくれる日が来る、なんて、今思えば結構冷静に判っていた私。親が哀しむことを引き起こした自業自得だと思い、その境遇を受け入れて耐えること、乗り越えることが、私の母となる道の第一歩だと。妊娠6か月に入ったころ、母のガンが見つかりました。自分が母親となったことで、それまで抱いていた母への反抗心はすべて消え去り、産み育ててきてくれた母へ感謝の気持ちを日々感じるようになっていました。それをなかなか態度に出せなかった私でしたが、母の病を聞いた日には布団の中で、ただただ「お母さん、お母さん死なないで」と何度も母を呼びながら泣いたものでした。リンパ腫ということで、危険度は高く、当時の医療技術は放射線治療が主流で、母は辛い手術と闘病生活に入りました。看護の手はあったのですが、私は毎日病院に通いました。なるべく入院生活に不自由がないように、身内の自分がついていてあげたい、母の役に立ちたい、そばにいたい、という気持ちからでした。徐々に私たちの母娘関係は優しいものに変わっていきました。それも、お腹に宿った命のおかげでした。妊娠8か月頃、私と彼はやっと一緒に暮らせることになりました。出産、産後までは実家で、という父の希望でしたが、夫婦が離れて暮らすことへの不自然さ、求めあう私たちの願いをきいた母方の祖父母が、父に助言してくれたようです。上京する日、病院に寄ると母は歩くのもやっとの身体でしたが、玄関先まで送ってくれました。髪の抜け落ちた頭を隠すナイトキャップ姿で、顔をくしゃくしゃにしながら手を振り見送ってくれる母の姿に、私も送ってくれた友人も涙が止まらなかったのを覚えています。そんな家族模様がある中で、私は母となる自覚を日々高め、お腹の娘も育っていったのでした。新婚生活は、東京の郊外。畑や林が広がるのんびりした土地に、築30年という古いアパートを借りて、21歳と18歳の若い夫婦の生活が始まりました。テレビとコンポと冷蔵庫、テーブルを彼が実家から運び、私は実家から譲り受けた古い食器棚と布団を持ちこんで、たったこれだけでのスタートでした。ガスコンロと洗濯機だけ買ったかな。他には、湯沸かし器も掃除機もヒーターもなし。夏の間はそれで過ごし、真冬になるとさすがに不憫に思ったのか、両家の親たちが買ってくれました。今のようにディスカウントなどない時代のことでしたから、道具一つ揃えるのにも結構かかったんですよ。家具だって、今なら1万円出したらちゃんとしたものが買えちゃいますが、そんな製品はまず見かけなかったし、あっても劣悪品でした。洋服も然り、です。今のように1枚数百円でTシャツが買える時代だったら、もっとずっと生きやすかったのになあ・・大雨になると雨漏りするほど古く、かび臭い部屋。きれい好きな彼のために毎日一所懸命お掃除するのだけど、古い染みやにおいはちっとも落ちないの。妊娠後期の身体は自分の思う通りにならないし、それまで学生で何も経験のない私にとって、家事はもちろん近所づきあいから銀行の扱いやら社会生活もすべて初めてふりかかる事態。いっぺんにたくさんの事柄をこなさなくてはならなくなって、戸惑ってばかりいました。でも、やっと念願叶って彼と一緒になれた喜びの方がはるかに大きく、なんだか全然苦労を感じなかったような。。。小学校の時から好きだった初恋の彼との結婚だけで、夢のような幸せを感じていたのでした。そんな中での出産は、見知らぬ土地で、家族の付添いもなく一人きりで迎えることとなりました。初めて味わう陣痛の痛みと不安を、よく一人で耐えたものだと今は思えますが、その時はそれが当然、この命を産めるのは私しかいないんだ、という母としての覚悟だけで臨んでいたのでしょう。当時は女房の出産や子供の行事のために夫が休暇を取るなんて、ナンセンスな時代でした。夫が立ち会うケースは珍しく、付き添っても病室の外で待つ形でした。夕方4時過ぎに娘は誕生しました。その頃はまだ超音波でも男女の区別はつけられなかったので、生まれた時点で初めて女の子だと判りました。病院が電話してくれて、夫の勤務先には連絡がついたようです。それから2時間、母体は一人で休ませてもらい、赤ちゃんが連れてこられるときに夫も到着しました。初抱っこは、パパになったばかりの彼が先。積極的にかかわろうとする夫に、病院の方たちが感心していました。赤ちゃんと二人きりでゆっくりと過ごしたのは、翌日の昼間。ベビーベッドごと運ばれてきた赤ちゃんと、ベッドに横になったまま柵越しに対面。つむっていた目が開いて、私と目が合いました。濡れたような黒い瞳が、じっとこちらを見つめていて、私が母親だとわかっているようでした。吸い込まれてしまいそうなほど深い色で、時が止まったように見つめ合ったあの、不思議なシーンのことは今も鮮やかに蘇ってきます。小さな個人病院でしたが、子供のような若いカップルを温かく見守ってくれました。産むときに大声をあげる私を叱りつけて「くそばばあ!」と思った助産婦さんは、産後おっぱいを上手に呑ませる私を今度は猫かわいがりしてくれたし、私と同い年だった看護婦さんは用が済むと私の部屋に顔を出し、友達のように世話を焼いてくれました。院長の奥さんは面会時間を気にせず夫を入れてくれ、家族水入らずの時間を作ってくれたり、長い夜は私の肩を抱いて話を聞いてくれたり、頭を撫でてくれたり、母のように特別可愛がってくださいました。私の、母親としての人生はこんな環境でスタートしたのでした。あとの子育ての苦労は、世のママたちと変わりません。年代が変わっても、母親の苦労と喜びは、それほど変わりないでしょう。医療費はじめ子育てに様々な助成がついたり、育児用品が多彩多様化、便利になったり、紙おむつの値段が半分になっていたり・・と環境はずいぶん良くなっていますけどね。20年経ってもまだ出産・育児の世界を体験できるなんて、貴重なことです。母業20年。あと20年は続くわけですね~ でも、原点は決して忘れられないし、忘れてはいけないと思っています。当時と比べたら、今なんて周囲に恵まれすぎるほどです。あの若さでよく夫婦二人、やってきたよ、、、すごいなあ。今の自分にできるかと言ったら自信ないわ。人に頼ること、夫を使うことを覚え過ぎてしまった~。しかし、あの頃の頑張りがあったからこそ、その後どんなことがあっても自分を失うことなく乗り越えてこれたのでしょう。ぶれない自分、確固たる自分があるのもそのおかげ。私の人生の基盤を作ってくれたあの時代に感謝。人生を大きく決定した、20年前の命と運命に、ずっと感謝し続けたいと思います。若い頃の自分を慈しみ、これからの人生も大事に生きていこうと改めて思うのでした。おめでとう、私。母業一応「成人」です。そしてがんばれ、あと、20年・・・(汗)
2008年11月16日
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早いもので、8か月めに入っています。6か月までは悪阻とその後の回復期間という形で心身ともに重くだるかったのが、10月に7か月に入ると一気に解き放たれたように軽くなりました。と同時に、私のフットワークも軽く健やかに^^。それを物語るのが我が家のカレンダー。それまでの数ヶ月はぽつぽつ保育園の行事が書込まれていただけの日付欄が、10月半ばからは余白なく何かしらの予定が書かれています。ちょうど元気になりだして、ごぶさたしていた仲間に挨拶メール出したり、行きたかったセミナーに参加したり、と少し動きだしてみたら、あれよのまにそんな毎日に。朝から一日家に居て、家事を片付け一人の時間を楽しんでいたのは、ほんの数週?やっぱり私だよ、と苦笑も浮かぶけど、やっと本来の自分らしさが戻ってきたことに妙な安堵感も覚えたりして。(悪阻の頃には、ホルモンの影響だとわかっていても、あまりの鬱な自分に、このまま人格が変わってしまうのではないかという不安に陥ったものでした)数ヶ月の引籠もり後の、人とのコミュニケーションは楽しいでーす! 私がこうなるのを待っていてくれた人達がいました。元気になったと知って次々とランチに誘ってくれる友人たち、仕事を再開するというと、アポを入れてきてくれる仲間たちよ、ありがとう☆私ごときを今後も必要としてくれる人達がいることもわかりました。興味をちょっと広げてみたら、新しい社会との関わりも生まれてきそうな予感です。ここでも変わらずコメントを入れてくださる方がいて、数年ぶりなのに励ましてくれる方がいて、ありがたさでいっぱいです。お電話くださった方もいました。数年経っていても、思いを届けてくださった彼女からのメッセージは、胸のなかにほっこり温かさを残してくれました。先日書いた、家庭での小さな幸せと同様に、このささやかな世界での人との接触の中にも人生の喜びを感じています。今までの肩書きや外からの評価に集まるのではなく、現在の私にも変わらず接してくれる、今いる周りの人達こそが、私の真の財産なのだと実感です。これからは、こういう人たちや世界をもっと大事にして、思いを共にする人たちと何かを作り上げていけたらいいな、と思い始めています。あー来年が楽しみだ♪それにしても、今までは身体も軽く感じられ、食欲も戻って最高でしたが8か月に入ったとたんにそうもいかなくなってきました~今まではお腹にぴったり沿ってた感じの赤ちゃんが重くなって下がってきた感じ。背中や腰が張るように。足も常時むくんできました。そけい部分を押さえると詰まってるのがわかります。子宮で圧迫されてきてるんだなー胎動も、ドンドンと手足を動かす感じから、むぐーっと力強く重い動きに。貧血は毎度のことだけど、今回はめまいなど症状はないが、思うように力が入らなくて、あれ?と思ったり、人からふらついてるよーと言われたり。当り前のことだけど、やっぱり育っているんですねーあーまたもう一人産むんだなーという感覚がリアルに思えてきました。待ち遠しいわ~その気分を反映して、5年間ずっとブルーで通してきたブログのデザインも先日ピンクに変えました。まあなんとわかりやすいkyo-kinoさんの心模様。さて、体はちょっときつくなってきましたが、来年からの戦闘に備えて友人と単身、京都旅行に行ってきます♪そうそう、今を楽しまなくっちゃ。
2008年11月01日
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仕事を全面的に休止してから、こんなにのんびりと過ごすのは5年ぶり、長男出産時の産前休み以来です。1年間の育休のうち、後半数か月はもう今の仕事の立ち上げにかかっており、会社に復帰してからは休日をその仕事の活動に充て、軌道に乗った半年後にOLを退職、個人で独立しました。自分のやりたいことを仕事とし、自由に動けて成果を出せることが楽しくて仕方なく、充実していましたが、その反面で子どものことや家事のウェイトがどんどん減っていきました。次第に雑然としていく家の中、、、おろそかになる掃除洗濯食事育児。そのどれもが決して「嫌い」ということはなく、むしろ「好き」だったのに(ホントだってばあ~!)。でも、「いつでも出来る家事」と「今しかない仕事のチャンス」という秤の掛け方をしていました。2年半前に新築の今のマンションに移るとき、3番目の子がお腹に居たので、産休に入ったらまたゆっくりとした時間が戻り、家のことができるようになるだろう、と思い、それまでは!と引っ越しの荷もそのまま、新しい家を楽しむ余裕もあえて持ちませんでした。しかし、実際は出産前日まで仕事、産後1か月で再開を余儀なくされ、その後の勢いは、今年に入って失墜するまで、加速する一方でした。人と接し、繋がり、お役に立てている・・という喜びの仕事が、いつしか 役に立たなければ、頼ってくれる人たちのために動かなければ、、という、自分を縛るものになっていったようです。多忙にがんじがらめになり、自分の能力のキャパを超えていることを自覚してはいても、無理を通して頑張ろうとしていたんだなあ・・そのひずみや歪みが原因で、足もとが崩れてしまったのでしょう。まあでも結果的に、それが今回の妊娠にも繋がり、こうやって自身の全く自由な生活が得られたのだから、ありがたいことです。毎日がのんびり、ゆったり過ぎていく・・・その、平坦で変わらぬ日々を送れることが、実はどれだけ幸せかということを、私は感じることができる。それは、あの多忙な仕事と生活を経験してきたからこそ、だと思います。そうじゃなかったら、「あー退屈。」としかとらえられないかもしれない。「あそこまでやれたから、またやれる日が来る」と構えれば、周囲を見渡して「何かしなきゃ。」と焦ったりすることもない。どうせ私のことだから、そのうちまたアレコレやりだす日が来るでしょう。だから今は、自分と家族だけに使えるこの時間を、うんと楽しんでおかなきゃ♪ でも、次にそうやってまた仕事していくときには、もう少し家のこととのバランスを気をつけていこう。突っ走って風呂敷を広げ過ぎてしまうのが私の欠点。せっかくモノを集めても、包み切れなかったら何にもならないんだもんね。その時々で自分が広げられる風呂敷がどれくらいの大きさなのか、どれくらいの容量だったら持つことができるのか・・・それを判断する能力と価値観をもっと身につけなければ。だから、「今の幸せ」を大事にする。かみしめて、胸にしっかり留めておきます。------------------「今の幸せ」(過去の不幸せ) 朝起きて、リビングのカーテンを開け、朝の光と空気を招き入れる。 犬に挨拶する。 (以前は、姿を見るとせっついてくる庭の犬を避けてカーテンひきっぱなし) コーヒーやお茶を入れ、保育園への連絡帳を書く。昨日の子供のかわいらしい 様子を改めて思い出し、胸がほっこりする。脳も徐々に目覚めていく。 (以前は、体温と食事の記録だけで連絡事項は1~2行か白紙、ということがザラ) 子供たちを起こし、おにぎりを作るかパンを焼き、一緒に食べる。 (以前は、袋詰めの菓子パンを与え、自分の身支度にとりかかる) 整った衣装ケースから各時の着替えと登園の持ち物を揃える。 毎日洗濯してるから衣類の不足がなく、困らない。 (ぐちゃぐちゃだった頃には探すのだけで今の数倍の時間がかかった。 洗濯は99%パパの仕事だったので、パパの遅い帰宅が続くと 着替えが足りずパパを恨めしく思う。 そのイライラのまま子供たちに接するのでどうしても口調が荒くなる) 「自分でやりたい」子どもの主張を尊重し、着替えや支度を見守ることができる。 (時間に追われているとイライラし、親の手でやってしまう) 保育園に送る。出口の管理人さんに始まり、道々出会う猫さんにも挨拶をする。 おひさまありがとう。風が気持ちいいねー。木に生るみかんの数を確認する。 花を指差す。今日の保育園での生活を激励する言葉をかける。 (そんな心の余裕も時間の余裕もない。電車の時間と今日のスケジュールで 頭がいっぱい。子どもからの話しかけにもうわの空で応えていた、と思う) ⇒子供の挨拶の声が大きくなり、しかも会う人ごとに積極的に挨拶するように。 家に戻ると玄関ドアと室内のドアをすべて開け、風を通す。 (外での仕事が多くなると、こういう機会はほとんどなくなった。 いつも空気がこもって重かった) 庭のウッドデッキを掃除。天気のいいときは水洗いも。 食卓のイスをデッキに出し、その上に布団を干す。 (ウッドデッキは1年に1~2度パパが大掃除する程度だった。 犬の毛や排せつの跡が残って汚く、外に出る気もしなかった。 私が布団を干すという行為をしたのは引っ越して初めて。 それまでは数か月に一度、休みの日にパパが干してたことあったみたい) 洗濯モノを干す。その際、パンパン、ピーンとしわをのばしてきっちり 干すのがすっごく好きな作業。取り込んだときピンとしていて、たたむときに 気持ちがよく、このときに最高の喜びを感じるためだ。 (引っ越してから2年半で、私が干した回数は5回程度だったかと・・ とりこんだり畳んだり、ってこともめったになかった) 掃除機をかけ、床を水ぶき。雑巾がけ、という行為が実はすごく好き。 数年来の不肖により、やってもまだそんなにきれいにならないし、 ひどすぎて手をつけていない部分や部屋もあるが・・・ ほとんどの時間を過ごすリビングは一応こざっぱりして気持ちよく。 BGMはだいたい、聖子ちゃんベストか昔のヒット曲オムニバスを ガンガンに。1階だから、外歩いてる人には笑われてるかも。でもいいの。 (以前は床にたくさんのものが落ちていた。脱ぎっぱなしの衣類、 おむつ、砂、おもちゃ、わけわからん紙類・・ それをまたいだり、けっ飛ばして悪態つきながら玄関に出て外出) 掃除や洗濯が終わった頃に、小腹が空いて甘いものとコーヒー。 図書館から借りてきた本を読む。 (今までは本を借りたことはない。買うばかり。数読むので結構な 書籍代に。更なる不幸はここ2年本を読む時間もなかったこと) 今はむさぼるように読んでいる。3か月で100冊を越した。------------------------ 朝の幸せだけでこんなに書けてしまいました。ほんとは、当り前のことで、主婦だったらやって当然、のことなのにね。これだけでも、パパや子供たちにどれだけの負担を強いていたのかと、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになります。優しいパパ、なんでも協力してきてくれたパパ。愛しい思いと感謝はいつも心に感じてきたけれど、粗雑に扱ってきたことは否めない。言葉や態度はどうしてもそっけなくなってしまってた。今は言葉と態度でそれを伝える余裕ができて、これまで以上にラブラブに!?気をつけないと果てしなく妊娠が続いてしまいそう~~、それは勘弁!あ、誇張しすぎたかも。パパとの仲なんてはるかに凌いで愛しいのが子どもたちです。もう、可愛くて可愛くて、一挙手一投足に悶絶してしまうほど!どんだけ親バカやねん、って自嘲しちゃいますが・・だってだって、なんて愛しく幸せな存在なんでしょう!どんなに忙しかろうが子どもの愛しさに変わりはないけれど、今の私はとらわれるものが他になく、全部を子どもに向けられるということが、大きな喜びなんです。母のそんな変化を受けて、子供たちも変わってきたと保育園の先生が伝えてくれ、ともに喜んでくれます。きっと園での子どもの様子が気にかかりながら、ただ見守ってくれていたのでしょう。 ・・さりげに促してくれてたけど私の方に気づく余裕がなかったのかも。今のこの幸せは、絶対にもう忘れたくない。二度と粗末にしないように大事にしていきたいです。
2008年10月23日
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ごぶさたでした~。4か月ぶりの更新になります。いろいろとご心配おかけしてしまいましたが、状況も落ち着いてきましたので、また折々書き込んでいきたいと思います。まずはご報告で、現在妊娠7か月を迎えています。身近な方たちには少しずつお知らせしていたんですが、噂などで先に耳に入ってしまってた方や気にかけていたけど声がかけられなかった~、という方たちには今まで黙っていて申し訳なかったです、心配おかけしてごめんなさい。前回の日記を読み返してみると、なんだか訳わからずいきなり急降下、急停止状態で・・・そりゃあ心配しますよね、あれじゃ・・。すみません、混乱の極みだったのよ。ちょうどあの時期は、仕事の一部でまた新たな問題が起こり・・それ自体はそれほどの大波とはとらえず、では予定は少しずれていくけど、ちょっと軌道修正しながら、現状維持といきましょう!と前向きにとらえて明るく乗り越えられそうでした。始めていたサロンの集客状況が予想よりはるかによくって(楽天から訪問してくれた方が何人もいらっしゃいました。ありがとう~~☆)、そちらを充実していくことと、新たな展開もはかっていこう、と具体的に動き始めていた・・そんな矢先に起こった、不測の事態がこの「妊娠」でした。結構つわりがきついタイプなので、それからは約3か月間寝たきり、ひきこもりモードに。借金を背負ったまま完全休業を余儀なくされ、先行きの不安と現実の生活苦が、肉体的ダメージに追い打ちをかけてくれました。今までの3人は皆、欲しいなと思ってる中で授かってきたので、全く不意打ちだった今回の妊娠は、正直戸惑いの方が強く、すでにつわりの症状が始まってからの発覚だったこともあり、この体質と今の状況で身ごもるというタイミングを憂う感覚が先に立って、喜びいっぱいで受け止めることができませんでした。産まない、という選択はあり得ず、考えもしませんでしたが、かといって現実を受け入れる構えになれなくて、まあ初期はどうなるかわからないし・・と時期が来るまではと沈黙することに。そんな気持ちと妊娠期特有のブルーホルモンによって、どんどん厭世的な人になっていきました。以来2か月半は自宅で寝たきり、か病院での点滴。子供たちの送迎以外では外出せず、パソコンも完全遮断、携帯の電話やメールもほとんど使いませんでした。もうね、気力がないの。自分の苦痛以外には何も向き合えない。私にとってこの「悪阻」という現象は、出産よりもはるかに辛く苦しいものなんだなあ。それまでの経験上、いつかは終わりが来ることがわかっていたからまだなんとか持ちこたえられたけど、その「いつか」をひらすら待ちながら、荒れ放題の部屋と子供たちを構うことのできない切なさと苛立ち、仕事と家事と私の世話を一手に引き受けてくれている夫への申し訳なさを抱えながら、時が通り過ぎることだけをひたすら耐えるしかなかったです。あ~、思い返してもゾッとする~~~救いは2、3週毎の超音波検査で、初期特有の、きのこのような形、そしてキューピーちゃんのような形、と短期間に驚くべき成長を遂げている様子を目にするときには、それまでの辛さが一瞬遠のいて「えらいねー。ママがこんななのにちゃんと育ってくれてるんだね」と胸が熱くなり、愛しく思えていったことでした。8月に入るとピークは過ぎたかな、と思えるようになり、毎日少しずつ辛さが薄らいでいくようでした。半ばを過ぎると夫の実家、自分の実家に帰省することができ、笑顔で人と接することもできるように。9月に入って、ようやく普段の「らしさ」が戻ってきたかな。それからしばらくは、リハビリのようにちょっとずつ生活と体調を立て直して過ごしてきました。長い夏でしたが、ようやく乗り越えたときにはすっかりお腹も大きくなり、気づけば出産まで残り3か月というところにきています。胎動は活発で、発育も順調。上の子供たちも毎日名前(胎児名)を呼びかけては楽しみにしています。仕事と経済面ではかなり厳しい状況になってしまいましたが、今はそれも仕方なし、今までの社会や生活をいったんすべて崩し、見つめ直せ、やり直せ、という神様からの啓示なのだと受け止めています。そう考えると、年明けから怒涛のように押し寄せた事件の数々も、ここに繋がっていたのだ、運命なんだなーと納得できちゃいます。すべて手放したからこそ得られたのが今の幸せ、なのですね~ きっと!現在の、静かで穏やかな幸せをしっかりかみしめ、味わいつつ、この先に対してのビジョンも立て直していきたいと考えています。元気が回復してくるにしたがって、またアレコレいろんな思いや考えが浮かんできています。書きたいこと、相談したいようなことがたくさんあって、おさまりがつかなくなりそうでなかなか日記が再開できない!と先日出産されたばかりのみどり嬢に話すと「ごちゃごちゃ長く書かないでとりあえず再開しろ~」とのアドバイス。はい。ということで、とりあえず再開にあたっては今までの経緯と、皆さんに今までご心配かけたこと、ひっそり見守ってくださっていたことに感謝の気持ちをお伝えしたいです。ごめんなさい、ありがとう☆そして、よかったら懲りずにこれからもよろしくお願いします。
2008年10月16日
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「どう生きていこうこな」と自問自答し、周囲からも叱咤激励いろいろいただきながら、やっと先日答えというか、方向性を見いだせて心も明るくすがすがしい気分で再出発を誓ったところでしたが・・・あれからまた思いもよらない衝撃波がいくつも訪れました。今までの出来事については、自戒や反省しながら気力を立て直し、次の道を見つけた気になっていましたが、それは今までの生き方の土台はそのままに、向かっていく方向性や意識を変えていこう、というものでした。しかし、そんなものではまだまだ足りなかったようです。運命は、天は、今までの土台=仕事、生活のすべてを壊し、生き様すべてを変えろ、といっているかのように思えてなりません。今まで起こったことは、ここにいきつくための布石だったようです。抽象的な書き方になってしまいましたが、まだそのインパクトが大き過ぎて戸惑っています。受け入れるのにも少し時間がかかりそうです。同時に体調も崩し、寝込んでいる状態。気力と身体と双方に強くダメージを受けてしまいました。。。こう書くととてもおおごとのようですが、人からみたらそれほど大したことでもないと思うし、自分自身もきっと、少し時が経てば明るい方向で答えを見つけられることと思います。ですからどうかご心配などなさらぬよう・・(皆さん本当に優しい方ばかりなので先回りしておきます)ただ、回復にはしばらく時間が必要です。来週から再開予定だったサロンの活動ですが、しばらく休業という形をとらせていただくことになりそうです。せっかく軌道に乗り始めたところを大変残念なのですが、それだけ大きな波が、人生としての課題がふりかかっているところで、かたわらで仕事をこなしながら乗り越えられるものではなさそうなのですべてをシャットダウンしてそれに向き合うしかないと思うのです。「どう生きていこうかな」はふりだしにもどりました。でも、またきっと何か見つけられるはず。体力が戻ったら頑張ります☆
2008年06月06日
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先週もたくさんの出会いや出来事がたくさんありました。お客様も途切れることなく連日入っていただけましたし、合間を縫っていくつかの集会やセミナーに顔を出させていただいたり、飲みに行ったりもできました♪形は変わりましたが相変わらず刺激の多いばたばたな毎日です。そんな楽しい出来事の中で、思わず「負けた~」とノックアウトされてしまうコトが、先週はいくつもありました。でも、不愉快なのではなく、快い爽快感とともに負けを認められるものばかりでしたわ。「負けた その1 ~フェイシャル~」以前からずーっと勧められていた某メーカーのフェイシャルモニター。同じ業種としての興味、そして知識と技術向上のヒントになれば・・ということでYESの意向はお伝えしていましたが、何せ余裕がない生活をしていましたのでなかなかタイミングも気持も定まらず・・「ぜひ体験してください」とお願いされてから実現するまでになんと半年かかりました。フェイシャル技術を一応修得している人間に、「でも私のものも体験してください!」とアプローチするのは、とても勇気のいることではないかと思うのですが、その方は以前から知っていましたが、とても控え目で謙虚な方。それが、こんな風に何度も声をかけてくださるのには、いったい何があるんだろう?? って思いますよね。技術か商品に絶対の自信があるからなのだ、と思い一度商品は試させていただいてました。ファンデーションがびっくりするほどよくて、塗るだけでフェイスリフトできちゃうというシロモノ!!!即購入した現金な私。もうあれ以外は使いたくない、ってほど気に入ってます。だから、ここまで勧めてくれるフェイシャルも、商品同様自信があるのね、とは思いましたが、さて・・・?私のサロンで、いつもはお客様にお座りいただいているチェアに自分がもたれ、もうなんだか優雅な気分。。。そして、ひんやり~、ぬるぬる~、シャキーン、しっとり~という工程を何度も繰り返されていきました。マッサージの手つきも優しくて癒されました~☆たっぷり時間をかけてお手入れしていただく心地よさ、ぜいたく気分を味あわせていただくことができました。そして、サロンからの帰り道。。。自転車を飛ばす私のほほにあたる風のひんやり感が、いつもと全然違います。「なにこの感覚!?」と思わず自転車を止めて両手でほほを押さえてみる私。自身の肌の手入れもサロンで使用しているのと同じものを使っているので、それだけでも触感はすべすべして、角質があきらかにとれた軽い感覚は常に感じています。その化粧品もレベルはかなり高いのです。が!それにプラスして感じられたのはなんとも言えないひんやりしたもちもち感!!空気のあたる感覚から、肌の水分量が増えたことがてきめんにわかりました~もう「うるおってるうるおってる♪」ってお肌が喜んでいる感じ!ひきしまった感覚と、肌の呼吸(そんなものはないのかもしれませんが)がしやすくなった感じがしましたよ。そういえば、水分量チェックをしてもらったらbefore 32という数値がAfter 40となっていました。この「8」の違いがこれなのね~~~もう素直に「負けた!」と思いました。。。お断りさせていただきますが、私の行っている施術も悪くはない、はず!です。化粧品は自社でしっかり研究、開発されたものですし、高価なだけにそれなりに、そこらの市販品レベルよりははるかにいいものだと実感しています。超音波を使用することにより、肌深部の温熱効果から代謝はかなり高まるし、清浄効果や引き締め効果もあります。今回受けた施術にも超音波はありました。基礎化粧品も以前使用させていただいていますが、うちの商品といい勝負でした。だから、レベルはそれほど大差ないのです。しかし、負けた・・のです。敗因は「マイナスイオン」と「LED」なるもの、のようです、たぶん。それしか考えられない・・・それらがどんな風にお肌に影響を及ぼすのか・・正直、あんまりよくわかっていないのです。初めて出会ったものなので・・負けはしっかり認めます。心地よい敗北感です。だって、自分としては気持ちよかったし~、またまたきれい(当社比)になっちゃったんだもの~~^^!そんなものに出会えたことにラッキー☆知ってしまった・・・負けてしまったことがわかったのなら、今までどおりの施術を続けていくわけには参りません。なので、早速その新しく出会ったこの技術と商品も勉強してみることにしました!なんて研究熱心で立ち直りの早いわ・た・し。だって、私のところに来ていただくお客様にも、よりよいものをご提供したいですものね。ということで、レベルアップを図り、しばらく修行してみま~す。その方の半年にわたるアプローチ、これにも「負けた」思いですね。根気よく誘ってくれてありがとう、と感謝しています☆あ、ちなみにその方のHPはこちらです。(サロン名と取扱い化粧品のご案内があるかと思います)「負けた その2 ~夫婦愛~」先週末、こちらのご夫婦と飲んできました~♪すごく唐突に、ノリと勢いで急きょ実現しました。お二人とは知り合って1年半~2年くらいですが、一度飲み会でご一緒した以来で、あとはお仕事や子供のイベントでたまに顔を合わせてもほとんどお話できる機会もなくて、こうやってゆっくり酒を酌み交わせたのは今回初めてです。なんと互いに子供なし、の大人だけの会。たまたまあちらもその日は子供さんたちがご実家にお泊りdayだったそうで、私もたまたま主人が子供を見てくれることになっており、ほんとは別口で某社長と飲みに行く予定だったのですが、このご夫妻と飲める機会の方がはるかに貴重、と思い予定を変更しちゃいました。子どものいない酒の席は、落ち着いて話ができてよかったっす~コミュニティカフェは、北区のサークルを立ち上げたころから私が夢に見た空間でもあり、そんなのが近くにあったらいいな、自分でも何かできないかな、とちらっと考えたこともありました。具体的は話をもらったこともあったのですが、冷静に考えて、幼い子供を抱えた自分にはまだ背負いきれないと判断した経緯があります。そんな淡い夢を、このご夫婦が現実のものとして立ち上げたことを知ったときから、ココのことがとても気になっていました。多忙な中でまだ数回しか訪問していませんが、オーナーの想いはHPやあの店に行ってみれば手に取るようにわかります。お客様のためにあれだけ想いをかけているオーナーの姿勢に感動し、とても共感を覚えていて、自分の夢を重ねている部分もありました。だから、心の中ではいつも気になっていたし、応援する気持ちでした。勝手に「同志」のような感覚でいたんですよね。だから、いつかゆっくりお話したいな~と思っていたのですが、今回ご夫婦とじっくり、熱く語り合うことができて充実した時を過ごすことができました。(あちらは終電なくなり、私はかろうじて終電でした)本当にお二人とも素晴らしい方たちで、いいご夫婦だな~と席の向かい側から眺めていました。2人ともとっても和やかな雰囲気で笑顔を浮かべられているので、私の心の中のシャッターは何度もこのツーショットを連写してました^^心に残したくなるほど、だったのよねー特に、この奥様が素晴らしい!んだな。あのオーナーとお店があるのはこの奥様だからこそ、と思います。夢を追い、人のために尽くすご主人と家庭を支えているのは彼女で、現実問題、突き詰めたら深刻な事態も多々あるかと思うのですが、悲壮な覚悟で必死でけなげに支える妻・・ というんではなくて、自然な笑顔でご主人とすべてを包み込んでいます。柔らかく指摘もしながら、優しくフォローしてるんですよ。力みがなく、とても自然体なんですよねーこれってすっごいことです。こんないい女、めったにいないよー男にとって、妻にするなら絶対こういう人が理想だと思います。妻とか夫、とかいう括りより、パートナーという言葉がぴったりなお二人。このよきパートナーぶりは、私なんか「負けた」どころか、足もとにも及ばないです。(あ、うちを知ってるみんなは激しくタテに首を振っていますね)ああそのとおりさ!そして私にはたぶん絶対に無理さ!!!その点うちはダンナがそれにあたるかな~という感じです。だからね、オーナーと「お互いほんとにいい伴侶にめぐりあえて、感謝しなくちゃね~」と乾杯しあってました。男も女もないや~ね。どっちかが夢を追い、それを理解し支えてくれるパートナーがいてそのことに感謝しながら夫婦の夢として歩いていければ、それが幸せなんじゃないかと思うのでした。みみおさん、レザン21さん、貴重はお時間を割いていただきありがとうございました。お二人との時間で、今後の自分にたくさんのヒントを得ることができたし、仲間が増えた喜びでいっぱいです。「負けた その3 ~寝とられた!~」最愛の彼がいます。かっこよくて、かわいくて、彼の言葉一つひとつが私の心を打ち抜きます。でも、そんな彼との蜜月はもう終わってしまいました。。。他の女に心も体も奪われてしまったようです。そんなに若い女がいいの!?そりゃあ私よりも全然スタイルいいし、私と比べたら全然怒らないで優しく包んでくれてるけど、、、それは認めざるを得ないけど、、、でも、その子は私より全然おっぱいないし、彼氏もいるし、接する時間は私の方がはるかに長いのに・・それなのに、私が「どっちが好き?」と聞いたら、あっさりと「(彼女が)一番好き!」だなんて言われちゃいす。でも、彼女が彼を想う気持ちも私と同じくらいなことがわかっているし、本当によく世話も見てくれ愛してくれているので感謝の気持ちも多々あり、奪い返すこともできないでいます。私は彼女のことも誰よりもよくわかっているし、本当にいい子なので、彼と同じくらいの愛情も抱いています。彼がそんな彼女を選んだのなら仕方がない。。彼が一番幸せに眠れるとして彼女を選んだのなら・・私は潔く身を引くしかない。毎晩その女のベッドに出かけていく愛しい彼の後姿をさびしい思いで見送っている私です。まあいつかは私のもとにもどってくることでしょう。その日を待ちながら・・・ねえ、なあくん。おねえちゃんがお嫁に行ったらママのもとに帰っておいでネ☆-----------こんな風に負けた負けたと思う毎日ですが、世の中にはたくさん学ぶことがあるということで、その人たちに追いつけるように努力していくしかないですな。そんな刺激をたくさん受けて、楽しみながら上に向かっていけたらいいな~と思ってマス。
2008年05月25日
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(前回のつづきです)そしてそのあと、いろいろなことを吸収したい、とモノや人、情報を得るための行動というのをしてみました。そしたら、私に感動をくれる場所、人、言葉・・・素晴らしい世界、素晴らしい人にたくさん出会うことができたんですよね。その何が私を感動させたか、というと、それぞれの方が、その世界でまず大事にしているのが「人」でした。その「大事」の仕方がハンパでなく、とことん!でした。人を愛し、人を信じ、人に尽くす・・・業種も役職も上下もなく、相対する人すべてに「愛」を持って接しよう、と心していて、実際にそれが端々に見られるし、言葉から伝わってくるんです。「社員を愛します」「お客様を大切にします」というような言葉はよく耳にしますが、まあ大人の世界、本音と建前のようなものはついて回り、その本音は「きれいごと」であることも多い、残念な話・・。でも、私が出会ったその人たちはその言葉を本気で発してました。きれいごとでない、となぜわかるか?心がこもった言葉だから自然とわかる。伝わってくるんです。社員や部下を思う気持ち、もっと広く「人間」を「生」を愛する気持ち、それを大切にしている心の優しさ・大きさがその言葉に宿っていました。その人たちは普通にそういう言葉を発しているのですが、私は何度も涙がこみ上げてきて感動させられます。別に私に対して向けられてる言葉じゃないのに・・特別な言葉を熱く語られてるわけでもないのに・・なんの涙なんでしょうね。その言葉が私の心の琴線に触れて、自分でも気づかず封印していた傷や哀しみがこみ上げてきたりするのを感じて(あー あたしやっぱり傷ついてたんだな)とわかったり、そんな人たちがあり、世界があり、成功を生んでる社会があることを知って嬉しく思ったり、そこに出会えてよかった・・私の人生のプラスになるかもしれない、という喜びだったり。複雑な感情がまじった、でも温かい気持ちになれる涙でした。なんだか宗教ちっくですが違いますよぉ~^^ひとつの世界でなく、いくつかの企業やグループ、個人など・・複数の方々です。続けてそういう人たちに触れる機会に恵まれたことに何か意味があるのではないかと思います。これからの仕事の仕方、人に対する思いや姿勢について迷っているところがあったのですが、神様が「その姿勢で生きていけばいいが、こういう人たちを手本にしなさい、教えてもらいなさい」と言ってくれてるように思えました。先日の日記に皆さんがコメントくださったように「少し休みなさい」も神様からのメッセージだったのでしょうし、ほんとにおっしゃるとおり、意味のないことなどなくて、いろいろな気付きをいっぱいいただけて、それに気づいて受け取れる自分がいることに今は感謝の気持ちでいっぱいです。おかげさまでこのブログを再開したときの、迷いや失望などの暗さは今は微塵もありません。今後進んでく道への希望やわくわく感でいっぱいです。こんな風に立ち直れたのはひとえに家族の支えと仲間たち、そしてこのブログのおかげです!本当に皆さんにお一人お一人に感謝感謝です。Kyo-kinoはやっぱり今までどおりの姿勢で頑張っていきますね。川の流れは2年前、そして3か月前とはまた変わってるけど、めざす海はおんなじ!「めざす海」については、この楽天にかかわってる方たちと同じだから、おわかりいただけると思います。ともに頑張らせてください。いろいろご指導ください。今後はもっと深くお付き合いさせてください。あらためて、よろしくお願いいたします☆
2008年05月19日
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「どう生きていこうかな」ブログ再開時にそういう思いが常に渦巻いていたのでこのタイトルに変更してみましたが、その後短い期間ではありますが、いろいろと自分なりに模索してきました。姓名判断の先生に相談に行ったとき、自分や家族の姓名の他に「自分がききたいこと」を書くように言われました。私が答えたのが「どう生きていけばいいのか。なんの目的で私は生まれたのか。そのために何をすればいいのか。」ということでした。運命や宿命というものがあるのだとしたら、私のそれはなんなのか。具体的でなくてもいいから、だいたいこんな仕事、とか生き方、というのが見えるものだったら知っておきたい。ゴールがわかっていれば、これから自分がしたいことがいくつか出てきたとしても、ゴールに通じそうな道を選べばいいものね。でも、結論として先生が出してくれた答えは「あなたはそのままいけばいい。川の流れのように流れていけばいいのよ」というものでした。これは、姓名判断でなのか、人間の生き方としてそう諭してくれたのかはわかりません。「必ず海に行きつくから大丈夫。ただなんとなく流されていくんじゃだめだけど、あなたはそのときそのとき一所懸命やるでしょ。本気の中で流れていって、岸や岩にぶつかったらそこで少し流れが変わるから、それは受け入れてそのまままた流れていけばいい」なるほど・・ 画数的にも、一所懸命やるのでまあ成功するらしいし、その場その時を真剣に生きて人生の大河を流れていけば自然と導かれる先がある、ということね。今までそうやって生きてきました。真剣に人を愛して、家族を愛して、人と向き合って生きてきたつもり。与えられた仕事や使命、期待に応えられるよう自分なりに頑張ってきた、誠意も尽くしてきたつもり。今回はちょっと失敗しちゃったけど、生き方が悪かったとは思わない。自分なりに無理するくらい頑張ってきたなかで、その無理が綻びを生んでしまっただけ。でも無理の中で生まれるものにいいことなんてないんだね。だから、それは私の責任。今こうなっているのもすべて、方法を間違えた私の責任。やっとそう思えるようになりました。でも、だからといって自分の人格や生き方は否定しない。不足はあったかもしれないけど、方法は間違えたかもしれないけど、世のため人のためと信じ行ってきた、この心の持ちようは変えたくない。そう感じていたので、でも、自信が崩れてしまっていたところだったので、そこへ行ってその言葉をいただいて、「これからも今までどおりに生きていけばいいんだ。それで大丈夫なんだ」とほっとした、救われた気持ちになりました。そして、その日から私のカラオケの締めは美空ひばりさんになりました~~♪ってそんなオチ!?いや、オチじゃないんですけど、明日は息子のお弁当作らなくちゃいけないからそろそろ寝ないと・・と急にあせりました。ってことで続きはまた書きたいと思います。
2008年05月14日
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私らしく(笑)、ブログの書き込みもいい間隔で間遠になってきました、2週ぶりの書き込みです。ありがたいことに連日サロンにお客様が入ってくださり、毎日が忙しくなっています。どんな形になっても、やっぱり私はこういう気ぜわしい生活を送るようになっているのネ、と実感。以前、「kyo-kinoさんは動いてないと死んじゃうまぐろと同じ」とねみちゃんから言われたことがある気がします~が、そのとおりで、いつも動いているタイプみたいです。動くとなんだかその渦に人や物事がどわんと入ってくるようで、お客様はもちろんイベントや出張のお呼びがかかったり・・・本当にありがたいことだと思っています。まだHPも作ってないし、広告、看板も出していないのに今こうしていられるのは、なんといっても皆さんのおかげ。今まで築いてきた友人・仲間との関係がこんなにありがたいものだったとは・・・!失意の日々からなんとか体制を立て直そう、でもいったい何をしていこうか・・と模索している中でとりあえず自分が今できること=マッサージ関係で頑張ってみるしかない、ということで作ってみたのがサロンメニューでした。そのメニュー表を友人や仲間が欲しいといってくれ、ご自分が施術を受けてくれるのはもちろんのこと、周囲の人たちに快く宣伝してくれ、積極的に紹介してくださいます。今までも、そういう施術はやらないわけではなかったのですが、その内容を具体的に表すことで話が広がりました。サロンで頑張ってみよう、という思いが明らかになったからだと思います。この楽天からも以前のお馴染みさんたちが次々と訪問してくださり、コメントやメッセージを残してくれます。無二の親友:ライチはサロンオープンと知るやいなや、あのハードスケジュールの合間を縫って施術を受けにきてくれました。そして、自身のブログでも紹介してくれました~ありがとう、ライチ♪すばやい行動力と変わらぬ友情に大感動でした。久しぶりに会う彼女は、年を経るたび若くなり、きれいになっていくので嬉しくなります。「少し時間に余裕ができたようだと聞いたので・・」とランチや飲みの企画をしてくれる輩の多いことにも感謝☆声かけたかったけど、いつも忙しそうなので遠慮してた、と言って現在の私の状況を気遣いつつも喜んでくれる皆さん・・気楽な関係であること、でも私を認め、信じ、応援してくれるという気持ちに本当に救われています。私が、少し借金を負ってしまったこと、難儀してた話をしたときに、「言ってくれれば貸したのにー」と即座に言ってくれた友人がいました。友達からの借金なんて、絶対してはいけないんです。友人と金を貸し借りすることは、その時点で友を失くすということです。でも、まだ若く純粋な彼女は、きっと私のことを心配し、信用もしてくれているからそういう言葉がぽっと出たのだと思います。その気持ちが何よりもうれしかった。私や家族をよく知っているからこそ、全面的に信用してくれているのでしょう。その一言は、お金なんてものには変えられない、一生私の胸に残る言葉となりました。施術を受けに来てくださる方たちは、初めてお会いする方も多いのですが、みなさん優しくて素敵な人たちばかりです。類友、ですよねきっと。口コミの素晴らしさを実感です。なんてすばらしい仲間を、私は持っていたんでしょう。皆さんのおかげで自分がある、ということを気づかせてもらいました。そんな私がお返しできること・・・その仲間たちが託してくれる期待に応えていくことだと思ってます。「今度は何してくの?」「どう生きてくの?」と、心配じゃなく興味深々で聞いてきてくれることが嬉しい♪世の中のニーズと自身のやりたいこと、のベクトルが合うところを探して、形にしていきたいと考えるようになりました。今はその方向に向かっての計画と準備を始めています。新しいことを始めるって楽しい!あれこれ考えてとーってもワクワクしています♪あわせて施術の腕もしっかり磨いていかないと!4月に告知してから50人の方がキャンペーンを利用されました。残り50人の方にキャンペーン価格で施術させていただきます。(うち、すでに15人ご予約済です)サークルに呼んでいただく形も出てきました。出張しますのでお声かけてくださいね。
2008年05月07日
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今日はお客様が午後からなので朝の気分はゆったりモード。サロンのお仕事はだいたい11時~としているので、いつもゆっくりめでいいんだけど、午後からとなるとさらに気持ちに余裕が・・。だから、今朝は保育園に送る前のこどもたちの行動に冷静に対処できました♪いつもなら「早くしなさい!」「やりなさい!」と怒鳴るところをぐっと抑えて「じゃあやろうね」「はいよくできました」と忍耐づよく待つことができた。苛立ちをぐっとおさえこみながら、「あー これは修行だな」と感じました。あがってきたマグマを飲み込むのには結構なエネルギーを使いますね。でも、それを抑え込めて冷静に、理性的に対処できたときはなんとなく気分がいい。自分の点数が「+」になる気がする。今日は気持ちに余裕があったので、うまく「+」にすることができました。人生というのは死ぬまでの間にこの「+」をどれだけ積み上げるか、じゃないかな・・(仏教の世界ではそれを「徳」というのかな?)、だから、生きている間にたくさん人のためになること、誇れる行動を重ねていきたいと思いますね。逆に、人にいやな思いをさせたり、意地悪な気持ちを持つ、自分がうしろめたいと思うことをすると「-」になるのだと。これがわが人生における修行かなーと。先日姓名判断をしていただいたとき、人の人生というのは生まれた瞬間からもう、ある程度定まっているんだなと知りました。小市民の宿命を持った人間が、どんなに頑張ってみてもセレブにはならないのです、きっと。でも、小市民が悪いわけでもセレブが良いのでもありません。自分はただ、自分だけの一生を一生懸命生きればよいのだと常々思ってきましたが、やっぱりそうだと改めて感じました。私はさ、大金持ちにはなれないんだと!「小金持ち程度だな」と言われちゃいました。ちょっとがっかりしたけど、それを人にいうと皆口をそろえて「小金があるだけいいじゃなーい!」と言ってくれ、そっかー・・困ることはなさそうだからよかった。じゃあ結構幸せじゃん、って思えるようになりました。お金持ちになれないんだったら、大きすぎる夢を持って必死に頑張りすぎちゃうこともないし、今の小貧乏が小金持ちになるまでのプロセスを楽しもう♪とポジティブに考えております^^!で、その定まった中でもより良く生きて死んでいくために、自分がどう生きていくか・・が課題となる。いいことも悪いこともどちらも同じようにやってくる。それ自体は運命なのだから、私のせいではない。だからそれ自体はまだ「+」でも「-」でもない。悪いことも、受け取り方、その乗り越え方で「+」にもなるし「-」にもなる・・これは自分次第だ。その「自分次第」というのが実は修行なのかもしれないね。ということで、日々これ修行なのじゃ。(なぜか仙人風・・・)でも、辛く必死に頑張る、というのは好きではないのでこの「+」獲得をゲームにしてしまおう♪というのが私のもくろみです。で、最初の話に戻るのだけど、怒りを感情のままに出してしまうと自分も相手も嫌な気持ちになるだけだから「-」。それを上手に抑えて理性的に対処できたら、自分が気持ちいいし相手の尊厳も傷つけずにすむから「+」。とカウントしようと思った次第です。まあ、他人との関係でそういうのは結構大変かと思うけど、まずは自分と子供の間でやっていこうかと。だって、子供を怒らずにいられたときってすごく気分いいし、そのあとの子供たちのかわいい反応が幸せをくれるからやってて楽しいもの。だから、これを「怒らない」ゲームとして楽しんでみます。有言実行とするためにブログにて宣言しま~す。
2008年04月23日
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執着していたものを手放してみたら、手を離れるまでは大事だと思っていたのにそれほどでもなかった、さっぱり感が残った。そして手放されたほうのものたちも、もともとそれほどこちらを重視も大切にも感じていなかったということがわかり、本当に必要なもの・人だけが手元に残るもんだ、みたいな話を以前の日記で書きました。執着なんてするもんじゃない。自分が持てるものには限りがあるのだ。とすがすがしい気持ちになっていましたが・・実はまだ負担になっているものもありました。それは、自分がこれから大事にしていこうと思っていたものの中に含まれていて、確かに欲しいものだし役立つものになるはずなのだけど、今の自分の状況を冷静に判断すると、まだ負担が大きいということに気づき、向き合うことができました。だから、思い切ってそれも手放すことにしました。素直にそういう気持ちになったのは、想いを言葉に出して人に言ってみたからかな。尊敬する、大好きな先生に思っていたことをお話しました。ただ聞いて、うなづいてくれただけでしたが気持ちの整理がついた気がしました。次に、志を一緒にして頑張ってきた、とても信頼している元生徒さん=今はよき仲間です=と話をしているなかで、彼女の純粋な気持による活動、見えない敵とも闘いながらマイペースで頑張っている様子をうかがい、なんだか勝手に勇気づけられていました。一番古い仕事仲間で、その彼女が変わらず信頼を寄せてくれ、がんばれと言ってくれたことが大きな勇気と方向転換する気付きをくれた気がします。そして、そのことを主人に話しました。彼は私のいうことはなんでもすべて聞いてくれて、ほとんどは私の意思どおりにさせてくれる大きい人です。だから、彼が「?」と異論や反対をするときには、よっぽど私がおかしい時だと思うので、素直に聞き入れるようにもしています。いつものように聞いてもらっているうちに、やさしいこの人に改めて感謝する気持ちと、自分の中の大事なものの選択が自然に出来上がってきました。だから、はじめは「どうしようかな」と相談するつもりで話し出したんだけど、「で、こうすることにするよ」と自然に結論が出てきました。口に出すまでは「苦渋の選択」みたいな葛藤があったんだけどね、口から放ってしまうとこれもまた何でもないことに変わっちゃいました。また一つ重みが取れただけのことです。固執していたんだけれど、手放すことにしたら早くもそれに代わる新たな希望や具体的なアイディアが次々と浮かんできて、楽しみが広がっています♪これでなんとかなる気がします。めどがついて、やる気がメキメキ湧いてきています。それを決めたのが昨夜。その時点から早速そのための行動を始めています。するととたんに物事がどんどん動く動く・・!気持ちがどんどん変わる変わる・・!!これだから人生って楽しいし面白いんだな、って思えます。見守ってくれる仲間と主人・家族に感謝です☆今日のだんながめちゃくちゃ愛しく思えてるkyo-kinoなのでした。・・・って、最後はのろけでシメです。タイトルを見て、「もしかしてついにダンナも手放すのか・・!?」と思った人もいたかしら?
2008年04月21日
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ひっそりとサロンオープンしていることを書き込みましたらお問い合わせをたくさんいただきました~こんな応援が力となります。ありがとうございます☆アパートの一室を借りて一人で行っていますのでできることは限られてしまうのですが、<サロンの特徴>と<メニューの一部>をご紹介させていただきます。==============================<特徴> 「会員価格」各メニューは継続いただくことによりその効果が高まるものばかりです。「1回きりの癒し」ではなく、「健康維持のため」にぜひ続けてお越しください。続けてお越しいただくために、Wingでは通常基本価格のほかにリーズナブルな【会員価格】を設定いたしました。スポーツジムに通って体力維持や健康増進をはかるように、Wingに通って免疫力を高め、人が本来持っている自然治癒力を養っていただきたい、との願いを込めております。 「乳幼児ママ応援企画」Wingは、子育て中のママを応援します!乳幼児を抱えて頑張っているママにこそ、ひとときの安らぎや心地よさを感じていただきたい・・・との思いから、Wingでは【産後価格】を設定しています。ご出産後1年以内の方へは40~50%の割引価格にてサービスのご提供を行っています。癒され、リフレッシュした身体と新たな気持ちで赤ちゃんに接していただければ、と願っています。※安定期の妊婦さんにも適用させていただきます。==============================<ヒーリングサロンWing サロンメニュー>●ヘッドスパ <超音波ケア→頭・首・肩・背中> サロン一押しメニューです!お客様からの指名もNo.1! 超音波と専用エッセンスのスペシャルケアで頭皮を毛根から 活性化します。薄毛や抜け毛、ボリュームダウンが気になる方に。 頭から背中へのとろけるようなマッサージでストレスを軽減し、 頭皮トラブルの根本的な改善を図ります。「頭ってこんなに気持ちよかったの~~!?」という感覚を ぜひ味わってくださ~い 時間 基本価格 会員価格 産後価格 70分 \6000 \5000 \3500●ヘッドマッサージ <頭・首・肩・背中>頭皮のマッサージは血行がよくなり、お顔のリフトアップ効果も期待できます。終了後は頭がふっと軽くなり、目力が増します。「頭ってこんなに気持ちよかったの~~!?」という感覚をぜひ味わってくださ~い 時間 基本価格 会員価格 産後価格 40分 \3500 ¥2500 \2000●フェイシャルエステ60分コース超音波とAC11(DNA修復成分)とプラチナ配合美容液で細胞レベルのアンチエイジングを図ります。リンパドレナージュで代謝を促進し、お肌の再生能力を高めます。 基本価格 会員価格 産後価格 \5000 \4000 \3000●まつげカールまつげをカールさせるとたるんだまぶたが上がり、印象が明るくなります。寝起きだろうと洗顔後だろうとおめめぱっちり☆お化粧のひと手間がなくなることで忙しいママたちに大好評♪まぶたのたるみが気になるシニア世代の方からは、「10歳若返ったみたい」と喜びの声をいただいています。待ち時間中にはヘッドマッサージを体感いただいています。←コレはお得! 基本価格 会員価格 産後価格 \2500 \2000 \1500●美意識向上コース<まつげカール&フェイシャルエステ>おめめパッチリ、お顔キュっとリフティング・・この二つを手に入れてしまったらもう大変!あなたはご自分の美しさに気がついてしまい、もう後戻りはできなくなってしまいます・・・ 基本価格 会員価格 産後価格 \4000 \3000 (設定なし)==============================そのほかに、上記をいろいろ組み合わせたミックスメニューや新規メニューもご用意しています。まずは一度サロンへお越しくださいませ☆JR赤羽駅より徒歩3分 / 地下鉄南北線赤羽岩淵駅より徒歩5分 です。 ただいまオープニングキャンペーン開催中 ↓ ↓ ↓ ご来場者人数のべ100名様までは、一律「産後価格」扱いで サービスさせていただきます。 「のべ」ですから何回来ていただいてもいいんです♪ ぜひこの期間中にご利用ください。 ご予約はメールかお電話で受け付けておりますが、この楽天ブログ読んでご興味を持っていただいた方は左欄の「メッセージを送る」からご連絡いただくか、直接こちらにご連絡ください⇒ kyo-kino@miracle.ocn.ne.jp(大変申し訳ありませんが女性限定とさせていただいております)今まではスクール中心で活動してきました。サロン経験は乏しいのでこれからが修業の身だと心しています。至らぬ点が目立つかと思いますが、私を鍛えていただくつもりでいろいろご意見いただけると嬉しいです。お客様に育てていただくことで、一からやり直していけたらと思っています。よろしくお願いいたします。
2008年04月15日
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昼間は結構毎日のように人と会う用事やお仕事が続いています。そして、そういう人たちと接している間はとても楽しく充実しています。ここではまだお話していませんでしたが、昨年末から部屋を借りていまして、2月から本格的に仕事場として活用を始めています。このサロンに遊びに来てくれる友人やお客様との時間にいろいろな気づきやアイディアをいただいていま~す。先週は20代ながらもしっかり自分の個性を持っている素敵な女の子たちが訪れてくれて印象深かったです。お一人は某エステサロン会社に勤務する方。目鼻立ちくっきりでお顔のつくり自体が美しいのだけどさすが本職なだけあって、肌やメイクの美しさは素人と一線を画していました。挨拶、言葉づかいなど礼儀がきちっとできているなど、素敵な外見に中身も伴っていて感心しきり。美容のプロである彼女から、たくさんのためになるお話をうかがうことができました。もうお一人は託児関係の会社で教育係をなさっているという方。お客様としてヘッドスパを受けていただいたのですが、お茶をしながらゆっくりベビマや子育て支援のことをいろいろ話し合う時間を持つことができました。お二人ともまだ20代前半だというのにしっかりしていることにすごく関心しました。また、結婚や子育てなどにも夢や希望を持って、その未来を視野に入れながら現在の自分のあり方について考えているんですね。周囲に結婚、お子さんを産んでいる友達が多くて、みんなかわいいかわいい、と育てている。2人目の友達も出てきている・・・その様子を見ていて、今の自分の仕事は楽しいけれども子供ができたら続けるのは難しい、と思うのだそうです。愛するパートナーがいて、その方と結婚、子供を持って楽しく生きていきたい。いづれはそんな家庭を持つのだからその際に役立つ経験を、仕事と並行して積んでいきたい、と。結婚や子育てを「自由を奪われるめんどくさいもの」出産を「太ってみにくくなるうえ死ぬほど痛い、こわいもの」ととらえて結婚をまだまだ先のもの、まずはしっかり自立できるためにキャリアを積んで男性と対等の権利を得ることが先、としてきた私たち世代。(私は例外でしたが・・・)子供を産むのは30代後半から40代というのが普通です。私の元同僚でも、結婚はしているが「まだまだ子供の自分に子育ては無理だから」「もっと遊びたいから」と40歳過ぎたら出産を考える、という子が数人いるのですが、うーん、もったいないな・・ というのが私の感想です。私もサークルやお仕事でたくさんの母親たちに接していますが、どの人も「こんなに子供がかわいくて子育てが幸せなものなんだったら、もっと早く産んでおけばよかった」と言います。「もっと遅く産めばよかった」という言葉は聞いたことがありません。20歳で産んだ子も、45歳で産んだ方でも、です。19で産んだ私もそうです。「早く親になってほんとによかった」とつくづく思っているので、今年20歳になるわが子にも、あと2年くらいで結婚してくれないかな~と思っています。そんな中で最近は20歳過ぎで子供を産むケースが増えつつある、という現実がどのようなものなのか・・若さに任せて、軽薄なノリの中で出産や子育てをしているのではないか? なんて老婆心的懸念を持ったりしたこともあるのですが、今回このようなお客様たちにお会いして、しっかりした次世代がいることを実感できました。日本もまだまだ大丈夫。素敵素敵!って嬉しくなりました。なんだかお客様からパワーをいただいちゃいました。でも、きっと若くて輝くようなエネルギーをたくさん発してますから、私がちょっとくらいもらっちゃってもいいですよね^^;これからはこういう時間や空間のことを大切に生きていきたい、と感じています。私はやっぱり人と会うのが好き。出会いが喜びです。人の数だけ世の中があり、その世の中を知って自分の世界が広がっていくことが楽しいみたいです。そんなわけで、、、皆さんも私のサロンに遊びに来ていただけると嬉しいです。駅近徒歩3分の隠れ家です。お気軽にお立ち寄りください☆メニュー表を作ったので近々こちらでも公開しますネ。
2008年04月03日
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一時よりはだいぶ気持が落ち着いてきました。奪われるとき、手放さなくてはならないとき・・・人間そういうときが一番往生際が悪いですねー^_^;いやなの。そうするしかないってわかっているのに、そうしなきゃいけないのにあがきたいの。のろのろ作業になってしまい、少しでもその時期を遅くしようとしている自分がいる。そして、それをしているときが本当に一番悔しくて苦しくて空しくて。でも、手放してみると結構開き直りのさっぱり感。「さあ片付いた、もう奪うもんはないでしょ!」みたいな。自分が手放したものは「しがらみ」というものだったのに気がつきました。大事なものだと思って守ってきて、放すの壊すのがイヤでくやしかったのに、それは自分を縛るものでしかなかったみたい。なーんだ、大したもんじゃなかったんだ・・・!!!だって、本当に大事なものだったら絶対に手放さないものね。そして、本当に大事なものはまだ私の周りに、手元にちゃんと残っていました。それもたくっさん! 気遣ってくれる卒業生たち。 毎日誰かが会いに来てくれて、誰かしらがメールをくれます。 ありがとう。 友人や仲間たちは戻った私を変わることなく輪の中に 迎え入れてくれます。ありがとう。 ビジネスや人生の先輩たちからたくさんの教えや 諭をくださいます。ありがとうございます。 そして私をこんなにも愛してくれる家族。 本当に本当にありがとう。子どものことだけを見ていてあげればいい、考えていればいい今がなんて幸せなことか。。。腕の中で眠りにおちた息子を抱きしめながら、「わたし幸せだ」と声に出してみました。でも言葉に納得できなかったのでちょっと笑って「わたし幸せだー」と言ってみました。そしたらじんわ~って幸せ感が沸いてきて、泣きそうになりました。泣けるほどの幸せを持っている私は、きっととっても幸せです。さて、今日はどんな風に生きようかな。。。仕事はオフ、にして家の整理整頓をするつもり。環境を整えて、足元から生活を変えていくために。そして、笑顔で過ごそう。
2008年03月28日
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長いご無沙汰多だったのに、たくさんの訪問いただいてびっくりしました~ ありがとうございました。コメントいただいた皆さん、とても嬉しいです。またそちらにも訪問させていただきますので以後よろしくお願いします。あと、メッセージくださった方々もありがとうございました。事情を知ってる方からは、私を信じてくださる旨のお言葉などいただいて、救われています。そして皆さんのブログから頑張っているご様子や前向きなご姿勢からたくさんエネルギーをいただいています。ありがたいな、って思ってます。このブログを再開しようと思ったときは、もう皆さんとのリンクはとっくに切れているものと思っていました。でも、だからこそちょうどいいな、って。知ってる人もなく、読む人も少ないなかであれば、自分の中の持っていきようのない感情を吐露していく場所としていけると。そう、毎日自分の中に沸き起こる悶もんとした思いを持て余していて、早くこの感情を成仏させないと次に進めない。でも、それを表に出して消化させることは簡単にできることではなかったです。心配してくれる家族にはこれ以上心配させられないので「大丈夫。がんばる」としか言えない。仕事関係での問題だったので、その世界では語ることができない。こういうときに救われるのはまったくの部外者的立場の友人たちですね。詳しい事情を知らなくても、私が辛かった、悔しかった、ということだけを聞いてくれて、同情してくれる。中立になる必要もない、利害も責任もない立場だからこそ私サイドの話だけを聞いてその場で同調してくれる。所詮他人の話なので、胸を痛めるわけでもなくて、あっさりと流してくれる・・この距離感だからこそ、私としては言葉を放てました。自分の中に澱のようにたまっていくものを外に吐き出すことでずいぶん気が紛れてました。でも、いつもいつもそんな話をしていたくはないし、毎日人と会っているわけでもない・・そうするとテンションがまた下がったり、おさまりのつかない感情が起こってきちゃいます。それを、この日記で昇華させていこうかと。。。しかーし、それはやめました。そんなマイナス感情ばかり書いていても何も生まないですよね。思いや夢を言葉にして1000回唱えると本当にそのとおりになる、と斎藤一人さんもおっしゃっています。ネガティブな言葉もポジティブな言葉も、とにかく口に出したらそれが自分に返ってくるのだと。たしかに。以前の日記を読み返すとキラキラしている毎日や前向きで意欲的な自分があります。残るものなんだから、自分で読んでも誰が読んでくださっても潔く、すがすがしいものにしたい。ましてや、以前の私を知っている皆さんがまた訪問くださることがわかっては、ぶれっぱなしの自分を見せていたくない。皆さんのブログからいただいているパワーを活かして自身を奮いたたせるような内容にしていこうと思います。トップページね、ちょっと暗い書き出しになってしまってますけどこれは再開時の正直な気持ちなんでしばらく残します。実際、今まだそこから抜け出せてないし。ここからどんな風にアゲていくか・・自身に課してみたいと思います。皆さんのパワーもいただけたら嬉しいです。ぜひ、今後もお付き合いください。よろしくお願いします☆さて、今日はどんな風に生きようかな。
2008年03月21日
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本当に久しぶりに戻ってきた感。でも、1年半もお休みしていた感覚はあまりないなぁ。しかし、最後の日記で生まれた報告をした娘は、トコトコ歩きカタコトしゃべる1歳6カ月児になっている・・しっかり時は過ぎているのよね。時は戻せないが、心は戻せる。初心に帰ろう。自分のやりたかったことはなんだったのか。そして、今の自分がやりたいことはなんなのか。変わっているのかいないのか。どちらかもまだわからないです。ちょっとなんだか自分というものを失っています。私にとっては久しぶりの事態。でもこれが人生。リセットできたことに感謝している。とにかくもう一度始めていこう、今日の日記から。
2008年03月17日
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8月29日の夜に、娘が誕生し、また一人家族が増えました。助産師さん4人と、パパ、お姉ちゃん、お兄ちゃん、ばあばに見守られて、すんなり、つるんと出てきました。これ以上ない、というくらいの大安産だったと思います。二人目を自宅出産することにしたときから、『出産では究極のエクスタシーを感じることができる』という話を聞いていましたが、今回のお産でその「究極」を味わうことができちゃいました。そんな、楽しく気持ちよいお産ができて、本当に満足です。今回も、助産師さんの素晴らしい介添えと家族の協力により、最愛の人たちに囲まれ、大切な我が家で新しい命を迎えることができました。また、出産前後でたくさんの皆さんが訪れて、身体を整えてくれたり仕事や身の回りのことを手伝ってくれたり、赤ちゃんを見に来てくれたりしています。お祝いのメールも100件近く入ってきました。皆さん本当にありがとう。ステキな仲間たちに囲まれ、支えられているこの身の上を本当に幸せに思います。いろいろと書きたいことは山積みですが、とりあえずご報告まで。応援・激励いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
2006年09月03日
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タイトルどおり、家族が増えましたといっても、出産はまだまだで~~す我が家に3番目の天使がやってくる一足前に、かわいい家族がもう一人やってきてくれました↓ 生後2ヶ月のシェルティー“Char”女の子です。8月からうちの子になりました。まだ赤ちゃんだし、出産と重なるので結構迷いましたが、以前から犬を飼いたい気持ちがあったのと、たまたま今そういうご縁があったこと、犬種がシェルティーで、20年前に死なせてしまった愛犬と同種だったことで、思い切ってもらうことにしました。まもなく10日になりますが、たしかにちょっと大変です。毎日の食事とうんちとおしっこの世話、そして今まで以上に拭き掃除が増えて、ふだん極力頑張らない私が、結構頑張ってしまいました。そして、少し体力が落ち、めずらしく風邪など引き込んだりしていますでも、Charが来てくれたおかげで生まれた我が家の新しい生活、雰囲気は思っていた以上に素晴らしいものでした。犬の2ヶ月は人間の年齢で3歳ということで、ちょうど息子と同い年。いたずらも、言うことのきかなさも、しつけもおんなじ感じです。叱るときなんて、なーを叱るのに「チャー!」って言ったり、その逆になったり。。。 これはパパもおねえちゃんも同様。二人ともじゃれ方が同等で、加減を知らないで遊び、最後には息子が泣きますが、またケラケラ笑ってすぐにかまいに行ってます。Charは私達の足や顔を舐めますが、息子も私達の足や顔を舐めてくるようになりました。何もそこまで・・。でも、二人が遊んでる姿はほほえましくて家族の幸せがますます倍増です。さあ、あとはここにもう一人の天使がやってくるのを待つのみです。あと3週間。Charが少しでも大人になり、今より世話が焼けなくなってくれることを祈るのみです~。
2006年08月10日
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2泊して、日曜の昼に熱海を引き上げ、その足で代々木のオリンピックセンターへ。大葉ナナコさん主宰の「日本誕生学協会」が企画するイベントに、妊婦モデルとして参加してきました。企画の趣旨は、小学生たちに命の大切さを伝える「いのちってスゴイ!~生まれてきた力・生きる力・感じよう」ナナコさんはじめ、助産師さんや産婦人科医の先生などが、ワークショップやデモンストレーション、トークショーなどが組まれ、300人近い来場者があったそうです。その模様は、夜NHKのニュースでも紹介されていました。私達家族は「妊婦さんのおなかに触ってみよう」のコーナーで、お腹に触らせたり、赤ちゃんの心音を聴かせる予定になっていたのですが、最終組とデモの最後の時間が重なったので、結局それには至りませんでしたが。。。でも、せっかくだから・・と心音を聞かせてもらったり、助産師さんたちが次々と触りに来てくれたりといたわってもらえました。そして、私が二度目の自宅出産をすることを話すと、感動してくれて次々と質問が起こり、いろいろなことをお話させてもらいました。「是非また会いたい」と口々に言ってくださり、私もこの協会にはとても関心があるので是非にと心に誓い、また講演を終えたナナコさんとも久しぶりにお話できてすごく有意義な時間を過ごすことができました。私が本当に行っていきたい活動の源が、そこにはありました。いろいろいいヒントと、やる気をいただいてきたわ♪今回、女子高生たちに、なんとかこの臨月の腹を見せたい、命について何かを感じてもらいたい、と密かに一緒に風呂に入る野望を抱いていたおばちゃんでしたが、彼女らとの行動のタイミングがずれまくって、結局望みは叶いませんでした。それがちと心残り。誕生学協会が行っていることと思いは共通で、次の世代に、地球規模で、命の素晴らしさ、出産の素晴らしさ、子育ての素晴らしさを伝えていきたいのです。私にもできることから、少しずつでも・・!
2006年08月04日
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妊婦の体のことについて、いろいろコメントやご心配などありがとうございます。えーっと、あれはお休み中に少しずつ書きためてたものだったのですが、足のむくみがひどかったのはその日だけで、その後はだいぶ解消されてるようです。翌日から3連休取って、心も体もリフレッシュしてきたせいか、あの、象のような足はその後見られません。パツパツとした痛みもないし・・昨日は病院での健診でしたが、久しぶりに「浮腫(-)」でした~。休み中少しでも歩くこと心がけたしね。砂浜で砂に埋めて「毒出し」とかやったし。(根拠なし。なんとなく塩分と砂が邪気を取ってくれる気がして。)さて、先週はのんびりと楽しい連休を楽しんできました↓うちの両親は毎年この時期はスウェーデンの妹のところに滞在することにしていて、2ヶ月ほど熱海のマンションが空くのですね。その間、私達は好きに使っていいよーと言われてるわけです。で、毎年いろんな友達家族と宿代わりにさせてもらってるのですが、今年は長女に「高校生活最後に、ひと夏の思い出を作りたいの~!」とお願いされ、お友達を連れて熱海でのお泊まり会が決定、私達家族も付き合うことに。保護者といったって、もう18前後のほとんど大人だから、親御さんたちにもただ泊まる場所を提供するだけ、遊びの監視も食事の支度もしないよ~ ということで承知してもらいました。娘達は朝早くからローカル線で海へ行き、私達は昼から新幹線で、と最初から別行動。マンションに着いて、のんびり温泉につかって、一寝入りして夕方から浜辺へ。その日は花火大会で、私達は毎年コレに合わせて熱海入りすることにしています。花火ショーは8時半からだけど、6時には会場に入る私達。普段の生活では並ぶこととか場所取りとか嫌いでやったことないんだけど、この日だけは例外。見晴らしのいい高台や海岸からも花火は見れるんだけど、私達はあえて、打ち上げ正面の有料席を取って、見学します。これが恒例。頭上にあがった花火が降ってくるように見えることと、その席の後ろには屋台が並んでいて、そこはテキヤさんでなく地元の方達がやっているので値段が安くていろいろ美味しいものが出るんです。だから、早めに会場に入って席を確保し、店と席を何度も往復しながら、今度はアレ食べ、次はコレ食べ、はいはいもう一杯ビ~ル~、と夕飯兼ねてのんびり酔いながら、そのときを待つのがなんとも言えない、幸せな時間なの。だんだん空が蒼く、紫になっていき、会場に設けられたちっちゃなステージでは一応プロらしいけど、名前なんか全然知らない駆け出しの歌手が何組か歌い始める・・ 最初の組はプロ??ってくらい下手でカラオケ大会聞いてるみたいだけど、ビールの美味しさにて許す。そして、2組め、トリの3組めとどんどん上手になっていく。空はどんどん暮れていき、ステージのライトがどんどん輝きを増してきてキレイ。その頃にはイカのバター焼き、つぶ貝の串焼き、フランクフルト、焼きそば、ポテトフライ、おばちゃんたちが漬けたであろうおいしいぬか漬け盛り合わせ、など定番メニューをひとしきり食べつくし、大きなシートに寝そべって今度は甘いかき氷やポップコーンをほおばりながら、美しく変化していく空を見上げる。なんていうのか知らないけど、観光地の海岸には必ず植わってるあの、南国の木、あの木の下から見る空って、いかにも”リゾート~~”みたいな気分に浸れる。たかが熱海なのだが。若い男の子たちの美しい声と自分達だけ受けてるいまいちなトーク、もそれらの雰囲気の中では一つの構成物と化して心地よさに変わる・・・・うん、酔ってるな、と自覚。もう何回こういう中で夏を迎えただろう・・パパと最初に来た年・・ 年甲斐もなくラブラブだった。。。はるか昔。次の年には妊娠していて、その次の年にははいはいできるようになったなあが、暗闇の中気づくと花壇の土を食べていたっけ・・そして去年は花火の音を怖がって大泣き、今年はいっちょまえにステージの前で手をたたいてライブを楽しんだりしている・・・大きくなったものだ。1年の早いこと。。。 そしてそして来年にはここにもう一人、ちょこんとお座りしてる女の子がいるはずなのです。そうやって流れていく人生。家族を持ち、子どもを育てていくという過程を二度も味わっている不思議と幸せ・・・毎年こんな風に1年を振り返る機会もいいもんです。家族での恒例行事って、内容はなんでもいいから、とにかく各家庭で決め事を作って、みんなで続けていくことなんじゃないかな。誕生会は絶対家族全員で食事をする、とか、正月は必ずどこどこで過ごす、とか・・我が家の恒例の一つは、この夏の花火大会になっていくんだろう。そうしていこう。子どもの成長、家族の歩みと幸せを、心地よい酔いの中かみしめてなんだか涙が出る。ふとパパを見ると、私同様やっぱり少し酔った目でニッコリしながら私の名前を呼ぶ。「毎年こうやって過ごしていこうね」と答える私。肝心の花火ですが、霧のために殆ど何も見えない、という事態でした。海上に立ち込めるまっ白な霧の向こうであがっているらしいことは、緑や赤に変わるそのカーテンの色と、空気の震えるようなドーン!って音でわかります。たま~に天上高くあがる三尺がかろうじて見える程度。。。モノは言いよう→「音と光のイリュージョン」って感じでした^^;まあこういう年もあるよね。逆に笑える思い出になるよね。花火のその音に、今年もびびりまくって泣き出すなな。私の胸に顔をうずめたきり、絶対に上げようとしない。(まあ上げても見えないけどな。)そして、そのまま眠ってしまった。横抱きして添い寝しながら、見えない花火を見て笑う。空気がひんやりしていたので、ななの体温がちょうど良い。ぴったりくっついてる息子と私の体の間には、子宮にくるまれた赤ちゃんが居て、二人の子を胸に抱えている、母としての極上の喜びに包まれる。背中の方からはパパが私達を抱いている形になり、あったかいし心地よい。花火が見えなくなって、一向にかまわない。これ以上の幸せはないもの。こうやって、私達、ずっと生きていこうね。ちっぽけな家族の、たかが熱海、でのお休みだったんだけど、絵日記のように心の中に描かれているので、ちょっと書いてみました。なんかねー、好きなの、こういう家族が。女子高生軍団は、有料席なんてぜいたくはせず、となりの海岸でテキヤの高くてまずいとうもろこしをほおばりながら、見えない花火を眺めていたらしいです。マンションに戻ると、風呂に入って化粧を落とし、別人のようにあどけなくなっていた彼女達。息子は、大好きな若いお姉ちゃんたちに囲まれ、ちやほや可愛がられ天国を味わう。何をしても「かーわーいーい!!」と笑われ、遊んでもらっていたらしく、寝入るまで私達の寝室には戻ってこなかった・・ 女子高生の布団部屋で眠りに落ちるなど、そうそうできる体験ではないよ、キミ。将来モテない男に育っても、この昔話をして慰めてやろう・・翌日は、女子高生軍団に遅れを取って海での水着姿は見れなかったけどね、彼は海を大いに満喫したようです。夕方、ギリギリの時間まで遊びまわってました。放っておいても一日中一人ででも遊んでいられることでしょう、ってくらい楽しんでいました。一歩間違ったら死ぬぞ~、ってくらいやんちゃなことやって危ない目に遭いながらも、あどけない、くったくのない笑顔ではしゃぎ回る姿に、心洗われ癒されました。この夏の、この姿、想いをいつまでも忘れないよう、心のシャッターを切るのでした。
2006年08月03日
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同日の認定試験に助産師さんが2人続いて、「とてもバランスのいい体ですね」とほめていただく。もすうぐ臨月にしては、股関節もよく開いているし、軽々と体が動いている。太っていないことも、安産には欠かせない、と。ほんと今回は太んないわ~。前の妊娠時はOLで、机上仕事に縛り付けられるストレスからか、結構お菓子を食べていた。でも、今はマンツーマン授業だからその暇がない。1日2食でお腹も十分満たされてしまう・・ だからかな。そしてその夕方は助産師:土屋さんの自宅健診。お腹を触診する土屋さんからも思わず「あーいいお腹~。」と声が漏れる。羊水の量が多すぎず少なすぎず、お腹の出方もとってもいい丸みだとのこと。「お腹もあったかい。安心した」と、たれ目をいっそう下げてにっこりしてくれるその顔に、私も安心度が増す。3年前の息子のときは、いつも「お腹が冷たいねー」と言われていて、実際生まれてきたときにも胎脂が結構ついていて、いい状態にしてあげてなかったんだなーって申し訳なさが。。それから、リフレを始め身体の勉強を少しずつしてきて、体の冷えが人間にとって何よりもよくない、という認識を持つようになっている。飲み物は、温かい飲み物か、夏でも氷を入れないで取るようにし、年中靴下を履いて冷やさない、太もももお腹、腰も必ず布で空気の層を作るようにしている。(※ただし、ビールは別なのー。これだけはキンキンに冷えてないとイヤ!)そのせいか、昔は冷え性だった身体が別人みたいにいつも温かい。手のひらも足の裏も温かい、と、マッサージするとき/されるときにいつも相手に驚かれている。これは、ストレスのない生活とそれによる体調の向上なども影響して、相乗効果なのだと思うけどね。出産には「冷え」と「太ること」が大敵、と言われているけどそれが無い分、今回の出産が以前のものより軽くなってくれてばいいな。お腹は小さめながら赤ちゃんは順調、心音も胎動もしっかりしていて元気元気♪そういえば、今回の妊娠は悪阻をのぞいては妊婦らしい特徴があまり無い。「どうしても、アレが食べたい!!」っていうことや、「眠くてたまらない~」みたいなのが一切なかった。以前の2人のときには食べたいとなったら絶対に今すぐ食べたくて、買いに走ったものだったのに・・ そんな欲求を感じる暇なく時間が流れているということか・・そして、昼寝も全くしていない。その分夜がぐっすり眠れて、朝まで起きない。この時期に入ると頻繁にトイレに起きるようになるんじゃなかったっけ?? 腰痛も無いし(7月半ばの痛みはモヌキ先生にキレイに取っていただいた)、お腹の重みも感じない。なんというか赤ちゃんと自分の身体の一体感がすごくあって、自由に動けるので赤ちゃんが居る、という意識が薄れてしまうほど。胃の圧迫感もなく、食べ物も美味しくいただけます。息子のときには、産むまで味覚がおかしかったのになー。かといって食欲が旺盛なわけでもなく、ちょっと食べれば満足。だから太りもしない。現在の体重増5~6kgってとこか。うーん、ほんとにありがたい子だ。あともう1ヶ月、この状態でポン、と出てきてちょうだいな。難点は、足のむくみ。今までで一番重いです。毎晩のパパのマッサージとぐっすり眠ることによって、朝には良くなるんだけど、日を追うごとに水分が増えてきていて、夕方には結構パンパンに。先日は試験が続き、殆ど動かなかったせいか、夜には象の足状態になってた。ちょうど友人Kさんが夜リフレに来てくれる日になっていて、ラッキー☆いつものスッキリ、なめらかな私の足を知ってるだけに、足裏にまで水がぶよぶよたまっているのを見て驚いていました。くるぶしなんか見分けつかないほど膨らんでたし。あまりに面白かったので、メジャーで足首とふくらはぎを計ってみると、いつもより4cm近く膨らんでた!すごっ!Kさんにたっぷり1時間かけてリンパを流してもらう。感覚が鈍くなっていて、いつもの「う~ん気持ちいい」感からするとイマイチだったけど、終わってから時間が経つごとに足が軽くなっていき、計測してみると1cm縮んでいた。しかーし、リフレではひざ下までしか水分を持っていかないので、そこから上が詰まってしまっている。腿から上に流れていかないのだ。大きくなった子宮が足の付け根を圧迫してしまってるんだな。翌朝、パパをせき立てて足を持ち上げ肩に担いでもらい、ひざから腿にかけてリンパを流してもらう。最後には、支えてもらって肩倒立もして、下半身の水分を上半身に向かってひたすら流すことをイメージ。そんなことを終えて計測してみると、なんと3.5cmも縮んですっきり足に!うーん、身体って本当に面白いなあ・・土屋さんに、排泄のよくなるツボもいくつか教えてもらったので、これからはお灸もやっていこうと思う。息子のときは毎日やってたんだった。今回も、やれることはやっていかないと・・最後のお産だしね。これからも妊婦さんや産後の女性達に接していく仕事をしていくわけだから、こういうことは身をもって体験していきたい。そして、妊産婦さんの身体の負担や痛みを少しでも減らしていくお手伝いをしていければと思っています。
2006年08月01日
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先週は連日でベビマの認定試験でした。先日の日記でも書いたように、このところインストラクターの希望者はすごい勢いで増え続けていて、認定試験を月に数回行っている状態。Wingの卒業生、その卒業生のスクールから発生した生徒さん、そういった方たちが、インストラクター目指して一生懸命勉強し、試験に臨んでくださっています。いろいろな方が受講くださっていますが、まだ小さいお子さんを抱えた方も多く、数ヶ月の赤ちゃんに授乳中だと聞くと、その情況の中でよくここまで勉強してきてくれた、と愛しさと、なんだかありがたさでいっぱいになります。また、フルタイムで勤務しているママOL、助産師さん、看護師さん、なども多いんですが、これらの方たちも、忙しい勤務の間を縫い、貴重なお休みを勉強に費やしてベビーマッサージを学んでくださっています。この姿勢には、とにかく頭が下がる思いです。認定試験は毎月何度も行っている仕事であり、そのたびに上記のような方たちとお会いして感動をいただいているわけですが、今回の試験では、また特別な感情が起こりました。まだRBMが立ち上がったばかりの頃に私のもとで学んでくれたmiko18ちゃんとshi-さんが、それぞれ初めての生徒さんを連れて試験に臨まれたからです。1年前はまだ、このRBMプログラムは20時間かけて教えていました。私も、理想と信念に燃えていて、なんとかこのプログラムを広めたい、と持てるもの全てをその頃の生徒さんたちにつぎ込もう、と必死でした。何度も教室に足を運び、授業に込めた私の思いに同感してくれ、出来うる限りのものを吸収しよう、という姿勢を持った方たちばかりでした。その姿に、当時の私がどれだけ支えられたことか・・。「この内容が世の中に認められ、受け入れられるのか?」という不安も、彼女達の支持により少しずつ解消され、「理解してくれる人たちがいる」という喜びと安心感に、何度も助けられてきました。そうやって支え、私のことやRBMのことを信じてついてきてくれた皆さんに報いるには、このRBM組織を大きくなるようにすること、卒業後の皆さんに、収入と生き甲斐に結びつくような仕事をさせてあげることだと思い、私も組織に貢献できるよう努めてきたし、卒業生のフォローをしてきたつもりです。その生徒さんたちが、今は自ら講師となりこのプログラムを教え、インストラクターを育てるようになっています。講師の方の頑張りというのは、試験時に如実に表れます。どのスクールでも、細やかに一所懸命指導されている様子が、生徒さんから伺い知ることができます。そのたびに、胸が奮えるほどの喜びが沸き起こるのですが、今回は特にそれが強かったです。Shi-さんの生徒さんが、Shi-さんの口調までそっくりに、実技の模擬を行いました。そして、その内容がこと細かに、私が授業でShi-さんにお伝えしてきたもの、だったのです。私が伝えたいベビマへの想いが、ほとんど忠実に再現されていました。Shi-さんが卒業されてからそろそろ1年近く経とうとしていますが、この間に数多くのベビマ教室を開いてきて、こういう一つ一つを丁寧に周囲の母子に伝えてきていただいたんだろうと思うと、なんだか感謝の念でいっぱいになりました。Shiーさんのことだから、真面目にきっちりと授業を行ってくれたに違いありません。わからないことは些細なことでもすぐ連絡をしてきて、しっかりと備えていました。その健気さと真剣さを、こうやってまた伝承してくれる生徒さんに出会えて本当によかったね、とShiさんへの愛しさで、涙がこみ上げてきました。試験後、付き添ってきたShi-さんに声を掛けると彼女もこみ上げてくるものがあったようで、それを見て私も抑えられませんでした。mikoさんも、同様に私をずっと支えてくれてる力強い仲間の一人です。その彼女も2名の初・生徒さんを試験に導いてきました。そのうちのお一人は、ベビーマッサージの素晴らしさをmikoさんの母子教室で学び、彼女のようなインストラクターになりたい、という思いを持たれ、養成講座を受講されたそうです。そして、レポートの中には、そんな講師の元で学べて本当によかった、ということが記してありました。FAXで送られてきたそのレポートを見たときに、「ああ、mikoさんの良さをこんな風に理解してくれる人が生徒さんでよかった」と、やはりジーンとしました。彼女は、人柄も本当に素晴らしくて、お教室に通う人たちにとってもすごく魅力のあるインストラクターだと思います。その彼女に親しみと憧れを感じて同じ道を目指す人は、今後もたくさん出てくると思います。彼女達をはじめ、素晴らしい先生や生徒さんばかりで、日々感動をたくさんいただいています。もう毎日大小山積みで、書ききれないくらいなのですが、今回はたまたま週末三連休を取ったため、時間に余裕ができ、こうやって記すことができました。あ、あともうひとつだけ書いておきたいのですが、このブログでも時々コメント入れてくださっている小梅さんも、今回合格されました。彼女からの報告ですごく嬉しかったのが、この講座の受講に始めはあまり関心を持たず・・というより、懐疑的でさえあったご主人が、最後には休みを取ったり家事やお子さんの世話を引き受けて、小梅さんに勉強の時間を作ってくださったそうです。わりと古風な考え方のご主人だと聞いていただけにこの変化に驚き、小梅さんがそれだけ家でも頑張っていたんだなー、と感動しちゃいました。これからも、ご本人だけじゃなくご家族みんなにいい影響を与えていけるようなお仕事の仕方をしていっていただきたいと思います。頑張りましょうね。それにしても、先月に引続き今月もたくさんの方が受験しました~私が担当しただけで20件。その中には、ここでもおなじみmother’s cafe☆ジュンジュンさんもいらっしゃいました。遅くなったけどここで公表させてもらいますね、おめでとうございます☆そしてそして、どの方達も皆さん本当におつかれさまでした。講師の先生方もおつかれさまでした&おめでとうございます!関わってくださる全ての方が、愛しく思えるのです(本気です)これからもこんな感動と感謝の糸を、絆としてたくさん紡いでいきたいな。
2006年07月30日
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多忙な日々は相変わらずですが、仕事一辺倒だった6月と比べると、7月はペースダウンを狙って、自分がしたかった勉強会等の企画を先に入れてあったので、人と会うあわただしさは相変わらずでしたが気持ち的には余裕があり、忙殺って感覚ではないです。◆私とじゅんこさんの「7月誕生会」を皮切りに、◆ラスママさんの「青色申告セミナー」、◆あな吉さんとかおるさんの「サビアン&ベジランチ教室」、◆亜莉さんの「快適美乳セルフケア(RBMインストラクター対象)講座」◆英語教師midoriさんの「ワールドディズニーシステムを活かそう!英会話教室」、◆モヌキ先生の「操体教室」2回、◆かずみさんの「死に方スキルアップセミナー」と結構参加してこれました~、すごく充実してます^^!そのことをブログにアップする余裕がなかったのは主催の方に申し訳なかったですが、妊娠が進むにつれてどうもPCに向かう気力が落ちていて・・すみません。そのかわり、しばらく離れていた読書に戻って、毎日体を休めながら本を読んでいます。ハリーポッター6巻も一気に読み上げました。ああ満足。ベビマの仕事もリフレの仕事も途切れることなく入ってきており、日々こなしています。特にベビマはすごいことになっています!インストラクターの希望者が後を立たず、今年度に入ってからは前年の5~6倍の勢い。去年卒業され、トレーナーとして「インストラクターを養成する」資格を取った方達のスクールにも、次々と生徒さんが発生し、その方達の認定試験やオプション講座のフォローなどに追われる日々です。もちろん、自分のもとにも「インストラクターになりたい」という受講希望者さんからのご相談が次々と舞い込み、それも全国から数十件にのぼっていて、はっきり言ってフォローが追いつかず、ご迷惑をかけてしまってる状況。身重でなければもっと全国駆け回れるのですが・・ こればっかりは仕方がない^^;誰か、代わりに動いてくれないか、切に望んでいる校長なのでした・・・そう、一応スクール校長名乗っています。以前から行っていた個人のお教室から、卒業生たちのネットワークを活かして仕事を回しあえるスクールにとステップアップさせ、『ヒーリングスクール&サロンWing』を立ち上げています。ホームページが出来たらココでも公開しようと思っていたのですが、4月アップ予定が今の今でもまだ出来上がらず、です。私の怠慢なせいなのですが・・これもどうもやる気が出ない。自分のエネルギーは、昼間の活動で消耗しきってしまうようです。こんな校長で情けないですが、その分、私の掲げた理念や方針を理解し、受け継いでくれる生徒さんたちがたっくさん出来て、孫世代になってきています。(Wing系列だけで60人近くなりました)このプログラムを立ち上げるとき、一人のインストラクターがどんなに頑張っても開けるベビマ教室は月にせいぜい10件、でも、そのインストラクターの数が増えれば増えるほど、10件×人数分、自分ひとりで頑張るよりもはるかに多くの教室が、それも全国を拠点として広がる可能性を無限に感じました。そして今、その夢が現実になってきています。北海道から九州まで、インストラクターの活動は広がっています。RBMという組織の中では、卒業生数は200を越しているのではないでしょうか・・もちろん、資格を取って勉強するだけで、開業されない方たちもいますが、うちの生徒さんたちは互いに交流を深め、刺激しあって、積極的にお教室を展開しています。誰もが純粋に、「育児の煮詰まりをなくし、子どもを愛しく思えるベビーマッサージを子育てスキルのひとつとして伝えてあげたい」という思いで、愛ある活動をしている・・それが何よりも私の胸を打ち、幸せを感じさせてもらっています。ということで、校長は安心して産休に移行していけるわけです。静岡でのお仕事は、先週の浜松を最後にとりあえず終幕です。新しい試験官が生まれ、静岡方面はお任せできるようになりました。あとは卒業生のフォローのみになります。が、いろいろな企画は為されており、産後はまたあちらでも活動は続きそうです。うふ♪楽しみ~。
2006年07月22日
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今日は久しぶりにオフ。朝は普段どおり起きてますが、いつもはそこから掃除やスクールの準備に追われるところを、ゆっくりPCに向かい皆さんのとこへブログ訪問。息子が起きてきたけど、急かすことなくのんびり朝のこども番組を見させ、一緒にビデオを見てお歌を歌ったり。。 何もしない日、というわけではなく、午後からは近所の方をお呼びしてお茶会、夕方からまたモヌキ先生をお招きして操体教室がありますが・・まあこれは仕事じゃないのでお気楽気分で、もう少しだらだらしてから部屋のお掃除にとりかかろう~って感じです。ああだらだら・・・・ いいなあ、だらだら。一昨日から急に腰が痛くなった。どうやら骨盤が広がって、股関節とのズレが生じているらいい・・ 数ヶ月ぶりの痛み方です。子宮も縦に広がった感じで赤ちゃんの足がぐぐーっと胃を押し上げてくる。先週まではかがむことも立つこ座ることも苦じゃなかったのに、急に重みを感じるようになってきました。うーん、やっぱり大きくなってきてるんだーー・・って、あたりまえだけど。背中や腰に筋肉がついていないことを思い知ってます。前回の出産で筋力のなさが産後の辛さにつながったので、次の妊娠のときにはしっかり体操して筋肉つけておこう、と思っていたのに、多忙を理由についつい今まで怠ってきてしまっていました。ああもう間に合わないかな・・毎週ライチのヨガを受けていたら、柔軟でしなやかな体つくりができていたろうに・・うらめしや、自分。とりあえず来週からは悪あがきで参加しま~す。午後はモヌキ先生にこの腰痛を取ってもらえますように。。!と心待ちしています。
2006年07月19日
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先日の更新時には、たくさんのお祝いコメントありがとうございました。本当に素敵な人たちに囲まれてるなあ・・としみじみ感じさせていただけましたそして、今日がその誕生日でした。37歳になりました。今- 夫・娘・息子がケーキでお祝いしてくれたところです。メインのお祝いは明日ということになっているので、今日はそれぞれの好みのショートケーキで。 そして、なぜかそうろくは息子のショートケーキの上に立てられ、彼がそれを吹き消していましたが・・。息子がHappyBirthdayDearママ~~♪ と何度も歌ってくれ、そんな年になったのねえ~と感激。もう、かっわいくてとろけちゃいそうです私からは、「今年の誕生日もまたこんなに幸せに迎えられて嬉しいわ♪これも、パパ・はっちゃん・なあくんのおかげよ。ありがとう」という言葉で感謝の気持ちを表しました。~~~~私にとって究極の幸せな風景~~~ 今朝目覚めると、狭い和室(布団2組がようやく敷けるくらいの)に、 家族4人で寝ていました。昨夜、息子を寝かしつけてくれたお姉ちゃんも そのまま一緒に眠ってしまったらしい・・ 姉弟は、私たちと反対方向にアタマを寄せ合い、同じような姿勢で眠っている。 そしてその傍らに伸びてるパパの毛むくじゃらの足・・ この蒸し暑い中、3人固まって眠ってる姿は本当に暑苦しく、 でも究極に愛しい図でした。 それにしても、普通夫婦の布団にいい年の娘が入ってくるかね~~ぇ・・ 無神経というか、無邪気というか・・ 私だったら自分の両親にそんなことをしたいと思ったことなかったけど。 でも、そんな一帯感が持てる私たちは、間違いなく幸せな「家族」だなあ、って。 パパと娘は血は繋がってないし、互いも「親子」という感覚では居ないみたい だけど、しっかり「家族」になっています。 この二人の努力によって、このほほえましい家族の図は出来上がって いるのだな、と感謝の気持ちでいっぱいになった、誕生日の朝でした。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~さて、37回目の誕生日、午前中は『死に方スキルアップセミナー』に参加してきました。誕生したその日に、死ぬことを考えるなんて・・って最初は思いましたが、でも、常に「後悔しない生き方」を追及してきた自分にとって、その生き様こそが死に方に繋がるんだろうなー と思ったとき、改めて生と死というものをしっかり意識してみよう、と思った次第。そしたら今朝になって夫が、自分も参加すると言い出した。まあ互いにそういうこと深く考えてみるのもいいかな、と思い一緒に会場へ行くと快く受け付けてもらえたので、息子を託児に預けて夫婦で参加と相成りました。講師の先生は、看護士のかずみさん。以前大宮のママイキでご一緒したことがありますが、その頃から比べてすごくイキイキとした笑顔がまぶしいくらいでした。参加者は他に7名。皆、ママサークルやママイキなどで繋がってる、知った顔でとってもお気楽にスタート。最初の自己紹介で、参加理由と「死ぬ前にやってみたいこと(時間・お金に制限なし)」というテーマで想いを述べたのですが、私の参加理由は上述のとおり。加えて、10年前に友人を癌で失ってから、私の中では結構「自分が死んだら」という意識が常に頭のどこかにあって、だから、「いつ、何があっても後悔のないよう生きていこう」という観念が、今までの行動や価値基準として定まってきていました。そんな観念を改めて意識しなおし、より良い生き方を見つけていける何か気づきなど得られればいいなあーーと。そして夫の参加理由: 「今日は(妻が)誕生日なので、一緒に居たかった」 といきなり!「来世でも一緒になりたいなあ・・と思うので、死についてもちゃんと考えてみようかと・・」みたいなことを(もう、仰天と恥ずかしさでちゃんと聞いてなかった)、言ってのけてくれて思わずのけぞってしまったわたくしなのでした。(でも、やっぱり思い返すと嬉しい言葉だったので、ここに書かしてもらっちゃうけどさ。)それから、「自分のお葬式はどうしてもらいたいか」「今死んだら後悔することは何か?」「24時間以内に死んでしまうとしたら、何をしたいか」「たいせつな人が24時間以内に死んでしまうとしたら何をしたいか」「ダイイングメッセージ」などを、次々ペアを変えていきながら考えていきました。2時間弱という短い時間でしたが、大切な人たち・・やっぱりこの家族のことを強く強く愛しいと思い、今この瞬間この世界に存在していられることが、実はどんなに特別で貴重であるのかを感じることができました。特に、子どもたちのことに想いが及ぶともうそれだけで涙が出てきて、彼らの存在自体がどれほど自分にとってかけがえのないものであるのか、胸が締め付けられるほど愛していることを思い知りました。私の場合、特に長女のことは・・思いが深いです。私が「後悔しない生き方」を選んだために、彼女は翻弄され、いろいろな想いを抱えて生きてきています。そのことで私を責めたことは一度もなく、健気にも今の家族を一緒に作り上げてくれました。そんな娘に対して、私はこれからの生き方全てを通して、感謝の気持ちを伝え続け、幸せを与え続けていきたい・・ 私が死んだ後も、幸せでいられるようにしてあげたい。そのためにどうしていったらいいだろうーーー なんて思うともう、ただただ涙が出てきてしまうのでした。自分に関しては、現在本当に自由に、自分のやりたいことをやって生きているのであまり「どうしてもこのままじゃ死ねない!」的な思いはないかな。ここで人生終わるとしたら、周囲の人たちみんなに「ありがとう」と言って死ねるなあって思っています。だけど、その周囲の人たちに、もっともっと感謝の気持ちを伝えたい。もっとたくさんのものを遺していきたい。そういう生き方をしていこう・・ 今回の講座を終える頃にそういう思いが強くなった気がしています。そんなわけで、ケーキのろうそくを吹き消した後に私が家族に発した言葉が、今日現在の私の、ダイイングメッセージ:「今年の誕生日もまたこんなに幸せに迎えられて嬉しいわ♪これも、パパ・はっちゃん・なあくんのおかげよ。本当にありがとう」そして、私に関わる全ての人たちへも、この言葉を・・・「あなたのおかげで*kyo-kinoは幸せでした。ありがとう」あなたの顔を思い浮かべながら、37歳当日の私はこれをダイイングメッセージとして遺します。ということで、新たに明日からの私もよろしくお願いしま~す。最後になりましたが、かずみさん&一緒にシェアしあった参加者の皆さん、ありがとうございました。
2006年07月15日
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なんと1ヶ月ぶりの更新になってしまいました。6月最初の札幌出張に始まり、増え続けるベビマインストラクターの養成講習と認定試験に追われ、怒涛のように流れ過ぎていった先月でした。予定がひとつ終わるとスケジュール帳見て、「え~と、、、明日の予定は~~?」と次に移っていく、というような中で過ぎていき、気がつけば終日休みだったのは1日だけ、という状態。でも、身体をそれほど酷使していたわけでもなく、最初の出張以外は殆ど自宅を使っての仕事で、夕方には終わって少し横になったりもできたし、夜はパパやお姉ちゃんに息子の世話など任せてさっさと寝ていて、たっぷり睡眠取って気力体力の回復図ってました。だからお腹はすこぶる順調。8ヶ月後半に入ってますが、この時期になっても張りが起こらない妊娠は今回が初めて。先日の超音波検診でも、順調な様子が確認されました。ありがたい。普段どう見てもO型体質な私ですが、実はA型で結構几帳面な部分もあるようで、やるべき仕事がたまっているときに自分の私事をやることができない。コレとアレと・・と仕事が残っているんだけど、最優先は身体を休めることだと割り切ってもいたので、結局仕事が延び~・・・ でも、それが片付くまでは友達との個メールや、ブログ更新などもしたくない、しちゃいけない、なんていう自分が居て。そういうワケで今回は本当に長いブランクになりました。更新しないのはいいんだけど、皆さんのブログにも滅多に行ってませんでした。それがごめんなさいだな。訪問しちゃうと通り過ぎることができないタチなんで足跡残したくなってしまうタチ。でも、それしてる余裕が無いのであえて訪問もしないようにしてきました。今週に入ってから、午前か午後どちらかの仕事、というペースになり、この週末も2日間ともお休みにできました。その中で結構事務的仕事が片付いたので、個メールの返事なども出せるように。そしてそして、今日という日は何を置いてもこのブログ、書かなくてはなりません!だってだって、仲間たちに素晴らしい「お誕生会」をしていただいたんです~~~!!今月誕生日を迎える私とJUNKOさんのために、たくさんの方からお祝いをしていただきました。会場に着き、ふすまを開けると思いもしなかった顔顔が並び、まあ驚いた!☆ドンとして君臨させていただいているサークルのかけがえのない仲間たち、→miyukiちゃん、ぽんちゃん、ゆきさん、mikoちゃん、かきべ~ちゃん、としえさん、えみちゃんさん!☆コーチングやこの楽天を通じて広がっていったお友達、→ゆっぴーちゃん、ゆずキクちゃん、心真さん!☆そして、RBMの元教え子=今は頼もしい仲間たちまでわざわざ集まってくださっていました。→shi-さん、emmyさん、アイウオーラさん!☆そして、メッセージカードやプレゼントで想いを届けていただいた方達も・・・→ゆきんこさん、あいね♪さん、アロマエンジェルさん、Benikoさん、masakoさん、ナチュスイさん、小梅さん、hafukaさん! 本当にありがとうございましたバースデーソングで迎え入れられ、次々とサプライズなプレゼントをいただき、本当にもう、「うれしい☆たのしい♪だいすき!」 みたいな時間を過ごさせてもらいました。自分がいろいろなコミュニティで、いろんな方達と繋がっていられること、その仲間たちがまた関係を広めていってくれることへの喜びが、なんかまた実感できちゃったな。素敵な仲間たちばかりに囲まれて、私のLIFEは支えられています。誰もかれも、かけがえのない人たちばかり。皆さんが私の周りに存していてくれることが、何よりも私への「承認」になっています。そして、私の自信と強さがまた増していく・・ うーん、ありがとう!その中でも、特に付き合いが長い分、今回はサークル立ち上げからの仲間たちに感謝の意を表させてください↓このパーティの発案・企画者であるmiyukiちゃん、小まめに立ち回り、素敵なアイディア続々で盛り上げてくれるぽんちゃん、気配りと持ち前の人懐こさで仲間を広げてくれるmikoちゃん、行動力とすんごい優しさでいつも支えてくれるJUNKOさん!あなた達なしでは、今のこのドンもあり得ないわ。本当に、今までも、今も、いつも支えてくれてありがとうこれからもど~~~~~~ぞよろしくお願いします。あーでもとにかくすごいメンバーと、プレゼントの数々でした。もう一度お礼を言います、みんな、ほんとにほんとにありがとう☆今日もまた幸せな一日を積み重ねることができました
2006年07月01日
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昨日20日ぶりの更新で、ブログを書く時間がない~と言ったわりに今日も書いています9時に子どもといっしょに眠ったら、12時の夫の帰宅時に目がさめてしまい、お腹が空いてカップラーメンなど食べてしまい・・ 目も腹も頭も冴えてきてしまったので、ちょっと一仕事片付けて、今の時間です。(AM2:00)ひさびさのジャンク生活だ~ぁ。今日はサークルの妊婦さんお2人を伴って、操体のモヌキ先生のところへ。操体の素晴らしさは、自身の体では実感していましたが、なんせ、どういいのか、なぜいいのか・・・ とってもシンプルで不思議な方法なだけに、お伝えするのがとっても難しいので、下手に説明して「怪しい」と思われたり、ちょこっと施術を試してうまくいかなくて、操体への信用を失くされるのもこわいな、 と思い、この2ヶ月は黙々と自分が通うのみでした。しかし、先生のところを訪れる妊産婦さんたちが、次々と痛みを取ってもらっている姿を目の当たりにしているうち、そして自分も先生に診てもらい、教えてもらったとおりに日々実践していくことによって身体の変化がわかっていくうちに、「これはもう、とにかく体感してもらうしかない!」という結論に達しました。なので、先週かきべ~さん主催で行われた「生活クラブの食品試食会」に参加した際、思い切って妊婦さん達に声をかけてみた次第です。お一人は、そのかきべ~さん。好奇心旺盛な彼女だから、きっと食いついてくれる、と思っていたとおり、快く応じてくれました。もうお一人は、お腹の子も上のお子さんも同い年のYukiさん、妊娠4ヶ月。若い頃のヘルニアによる長年の腰痛歴に加え、妊娠後はお尻までの骨が痛い、起き上がるのも苦痛だ、とおっしゃる。私も、ちょうどそのくらいの頃やたら仙骨から尾骨にかけて痛みが走り、そこでモヌキ先生に出会って救われたので、同じ症状なのかな、と思いお誘いしてみたところ、喜んで承諾くださいました。今日の様子はかきべ~さんが書いてくださっています が、とにかく「体感」「実感」していただけて、ほんとにホッとしました。かきべ~さんは、もともとがお元気なのか、2~3の動きだけで軽い腰の痛みが取れてしまい、やることがなくなっちゃったんだけど^^;、Yukiさんの腰痛はただ事ではないくらい深刻でした。テストの段階で、モヌキ先生も唸ってしまう始末・・・ 深いし複雑だし、無理かもわからん、やらん方がいいかもしれん・・ とブツブツ。でも、少しずつ動きを重ねていくうちに、Yukiさんが「え!?」って目を見開いて「ラクになってる。。。。痛みがなくなってます!」と言い出しました。いつも、起き上がるのに3分以上かかる、とお聞きして、腰痛ってそんなにひどくなるのものなのか、しかも快活そうに見えるYukiさんがいつもそんなご苦労されてるのかと思うと切なくなりましたが、重い症状の場合はそれが10分もかかるものなのだとか・・ それにもびっくりでした。それから比べたら、私たちが普段感じている腰痛、なんてのは、せいぜい「痛みが走る」「なんとなく、重くだるいな」程度で済んでてありがたいのかも。そのYukiさんが、起き上がるときに30秒くらいで起き上がり、「ちょっとここがまだ痛いです」と言って、また施術をいくつか重ねると、「あ、今度はここまで平気です」「あ、痛くなくなりました」となっていき、全部終わる頃には、ベッドからすとんと軽々飛び降りることができるまでになっていきました。いや、もう、びっくりでした。本人も、大きな目を更に大きくして呆気にとられてる様子でも、それが徐々に喜びの色に変わっていくのが嬉しかったです先生が思っていたよりも、Yukiさんの身体の反応がかなり素直で柔軟だったので、思いのほか効果があったようです。先生自体もこの手ごたえに喜んでいました。しばらく通って体得してもらえれば、結構改善できるかもしれません。私も先が楽しみです。お2人が帰った後、実はすごいことがありました。あの「明日香医院」の大野先生がお見えになったのです。大野先生のお名前は自然分娩の世界じゃほんと有名で、先日も読売新聞に記事が掲載されたばかり。私も先生の著書『分娩台よ、さようなら』を読まなきゃ、読みたい、と思ってて(まだだけど)、以前から興味津々の方でした。その方が入って来られたので、きゃあもうびっくり。先生は、記録的なお産が続いて明けたばかりで、頭痛もひどいし、立っているのもやっと・・ という状態でした。真っ青な顔で朦朧としている感じ。「こんなことはほんとにもうめったにないんですけど・・」とおっしゃってましたが。 しかし、モヌキ先生の操体がどんなものなのか、体験とお話を聞きに来られたのです。 でも、モヌキ先生の話は殆ど頭に入らない状態だったらしい・・本当に、お辛そうでした。先生が操体をいくつか行っていくと、頭痛はゆっくり引いて いったみたいですが、それ位で全快するはずもないほど、相当深い疲労状態でした。私達に健康的なお産をさせてくれるために尽力されている方なのに、当人はこんなにぼろぼろになってしまっているんだ・・と思うと、なんとも切ない気持ちでいっぱいでした。こういう方たちのお力を、忘れてはいけないですね。明日香医院では、自然分娩に力を入れた指導を通常しているせいか、妊婦の腰痛の訴えは、全体の15%程度だとのこと。全国の平均は65%なので、その数字の低さに驚くと共に、やっぱり妊娠中も過ごし方次第なんだなーと。だから、腰痛対策などにはあまり深い関心は示していないようでしたが、背中や肩をラクにする方法は、効果を実感されたらしく、おっぱいの出にくい方たちへの対処法としてとりあげたい、というようなお話をしていました。育良クリニックで取り入れられ、明日香医院からも見学が来ているなんて、モヌキ先生の操体は注目されているのね~ と感心しちゃいました。今まで、医療分野では、「妊産婦の痛みを取る」コトに重きを置いていませんでした。 「子どもを産む為にはしかたない」コトとして、女性たちもそれを我慢して当然のこと、 と受け入れるしかなかった。だけど、これからは少しずつ「痛みを軽減する」ことも治療の一環として取り上げられ る時代になっていくのだろうと思います。もうすでに、アロママッサージやリフレなどを取り入れてる産院は珍しくなくなってきていますからね。そこにこの操体が加わる日も、遠くないでしょう。しかも、操体は「治療」されるものではありません。自分自身で行うのです。自分の体の痛みや不快を、自分で取り除くことができるなんて、こんなにラクで安上がりな方法はないですよねー 現在、その素晴らしさを体感でき、修得する勉強ができてラッキーです早く皆さんにお伝えしたい。お教えできるようになりたい。余談ですが、今日は息子も連れていきました。知ったメンバーだし、モヌキ先生は息子をよく可愛がってくださるので、保育園を休ませて一緒の一日を過ごさせてもらいました。大好きな電車に乗れると知って、大喜びで自分で着替えを済ませ、くつを履き、ご機嫌で出かけました。電車内や駅での移動もおとなしく、よく歩いてくれるので連れ歩くのもちっとも苦ではなく、一緒に過ごせる喜びを味わうことできました。治療院では、Yukiさんの娘さんと仲良く、しかも雰囲気を感じてちゃんと静かに遊んでくれていて、私もYukiさんも集中できてほんとに助かりました。結局お昼から5時間そこに居たわけですが、お昼寝もせず、困らせもせず、私がうとうと寝ている間(施術後は眠くなり15分くらい寝かせてもらう・・)も、一人で静かに遊んでくれていたようです。ありがとう~~☆ ほんといい子よねえ・・帰り道も、一度も抱っこをせがまず、ニコニコお話しながら帰って来れました。パパもおねえちゃんも遅くなるとのことだったので、2人で外で食事して帰ってきましたが、なんだか楽しいデートしてるみたいでした。今日もこんな風に幸せな一日でした。モヌキ先生、かきべ~さん、Yukiさんありがとうございました一日付き合ってくれたなあくん、スペシャル☆サンクスです。ありがとう!愛してるよ
2006年05月23日
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2週もごぶさたでしたが、元気ですのでご安心ください^^お腹は7ヶ月に入っています。すこぶる順調。よく動いています。先週末は助産師さんによる2回目の自宅検診でしたが、赤ちゃんも子宮もその1ヶ月でだいぶ大きくなっていることがわかりました。私の体調も至って快調。ちょい、むくみがありますが程度はまだ問題なし。このところ動悸や息苦しさを感じることが増えてきましたが、感情のストレスが生じたときに起こるようです。夫や子どもにイライラしたときとか・・^^;が、総じて元気元気!お腹の重さもまだそれほど感じずに動けますし、腰痛やお腹のハリもなくてありがたいです。仕事も好調で、そのおかげでブログ書くひまも見るひまもありませんー連休後はほとんど1ヶ月休みなし、という状態です。ベビマのインストラクター希望者が、全国的にすごい勢いで増えています。5月からはリフレクソロジスト養成コースも再開し、そちらでも早速生徒さんたちが決まりました。「妊婦なんだから無理しないで」と声をかけてくださる方もいらっしゃると思いますが、 大丈夫。3人目の妊娠だからか、今までの勉強の積み重ねにより、今回は自分の身体のことをよくわかっているという自信のようなものもあり、自身の許容範囲の中で動いていることを感じています。「こんなことして大丈夫かな?」とか、不安や迷いがない。きっちり「ここまで」と線引きできている自分がいます。夜は子供とともに早寝でぐっすり眠っています。疲れがたまってくる前に、友人Kさんにお願いしてリフレの出張してもらっています。(家が近いので夜来てくださるの~。もう、すっかり専属マッサージ師さんです♪)仕事自体、たしかに毎日数件が入っていますが、重たいものではない。8ヶ月過ぎまでOLとして通勤、朝から夜までびっちり就業して拘束されていた前回の妊娠と比べたら、天国のような日々です毎日の人との出会い・・ 授業の合間の楽しいおしゃべりとランチやティータイム。これが、私にどれだけの生き甲斐と活力を与えてくれていることか・・♪自宅に来てもらうことも多くなってきたので、移動に時間や負担がかからなくなり、合間に家のことができたり、保育園帰りに子どもとゆっくり歩いたり遊んだりしながら 帰ってこれたり・・。気持ちはのんびり穏やかです。『充実』と『幸せ』を日々、瞬間瞬間に感じています。もちろん、その中には小さなトラブル、ストレスもちょこちょこ起こりますが、まずはそれを受け止めてなるべく冷静になって判断するようにして、感情をうまくコントロールする術を覚えてきた気がします。これだけ人との関わりをもち、責任も生じてくると、立場的にそうならなくてはやって いけなくなってきています。人をまとめていくのって大変。つなげていくのって大変・・・でも、その大変さをなんとかクリアしたあとには、その何倍もの喜びが待っていること を知っているので、頑張って踏ん張れるのかな、と思います。私の喜びというのは、人と人がうまく繋がっていること、関わる人たちが充実して笑ってくれてることなのです。今は、私にその喜びと、いろいろな利をもたらしてくれる生徒さんたちを大事にしていくことに、全力を注いでる状態です。この状態もあと1ヶ月かな、と身体で感じています。お腹がせり出してきつくなってくるでしょうし、モードも「産む」方へ徐々に切り替えていきたくなるだろうし・・。そのときにふっと移行できるように、現在は体制を整えつつあります。あと1ヶ月をフルに動いて、まず出産費用を稼がなくては~~!(うーーん、こう書くとなんだか悲壮だなあ・・ でもそれが現実。)そして、その後は70%、50%と減らしていき、自身の生活にウェイトを置いていこうと思っていますので、今お会いできない皆さん、夏には私と遊んでくださいね~♪最後に告知を2つ3つ。◆「妊婦のための操体法」モニター募集!都会の仙人ことモヌキ先生(楽天では一部有名)のところで、妊婦向けの操体法を教えてもらっています。自分が妊婦ということを生かして、今は妊婦特有の痛みとそれを軽減してもらえる方法を体感し、産後の回復jまで自身の体をモニターしつつ、 そのテクニックを体得していけたらいいなあ~と考えています。で、そのお勉強にはたくさんの臨床も必須!いろんな妊婦さんのケースを知っていきたいと思っています。ということで、「妊婦さんモニター募集」します!腰痛やつわりなどさまざまな痛み、不快に悩んでいる妊婦さんがいらっしゃいましたらご紹介ください。今なら、私と同伴の場合「無料」で体験いただけます。器具を使うことも、施術者が体をあちこち触れることもありません。自身の呼吸と姿勢、ゆるやかな動きにより、体の痛みや不快を取り除いていく、そういう方法なので安全です。(詳しくは私の過去日記を読んでみてください)◆「妊婦のための操体法」 インストラクター募集!モヌキ先生の操体法は、現在「育良クリニック」で取り入れられ、臨床を重ねています。 現在は助産師さん達が修得中とのこと。このように、妊産婦さんと関わるお仕事をしている方々に、もっと広く広めていきたい というのが、モヌキ先生の人生賭けた悲願とのこと^^!医療関係者や、マッサージなどに精通している方でご興味の或る方はぜひ一度ご見学なさってください。☆下記日程で体験会を行うことにしました。---------------------------------<日時>2006年6月14日(水) or 6月15日(木) 13時~16時<場所>赤羽会館 <参加費> ◎妊婦さん (産後半年内ママもOK) ¥1000 ◎妊婦さん以外 ¥3000 (見学だけでなく、体験していただきます)---------------------------------◆「おっぱいマッサージ」体験デモ 行われます。楽天でおなじみ亜莉さんが、また「おっぱいマッサージ」のデモを行ってくれます。第1回目は大好評で、参加者からは2回目の開催要望が矢のような催促。特に、モニターとして皆の前で乳出して体験した方からは、「もう一度」という熱望ぶりです。私もその一人*^^* マッサージ後のマシュマロのようなおっぱいの感触と、憑き物が落ちたように軽くなった首や肩の感覚が忘れられません。「おっぱいマッサージ」は妊産婦だけのもの、という観念をくつがえして、いつまでも 美しくハリのある、やらわらかおっぱいを作っていきませんか?☆下記日程で行います。---------------------------------<日時>2006年5月29日(月) 14時~16時<場所>東十条 マムズステージ<参加費> ¥1000(施術の見学と、セルフケアを教えてもらえます) ◎モニター ¥3000 (亜莉さんに施術してもらえます。)---------------------------------上記お申込みは、いづれも左ページ上段「メッセージを送る」より、*kyo-kinoまで。
2006年05月22日
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今日は、山崎洋実コーチ主催の大交流会でした。洋実コーチことひろっしゅさんのコーチング講座に一度でも出た方、出る予定のある方たちが、コーチを囲んで交流を深めよう、という企画でしたが、その企画になんと80名が集まりました。 講座でご一緒した方、楽天ブログで交流はしていたけど会うのは初めて、という方、初めて関わったけど、すごく意気投合した方、など予想通りたくさんの素敵な活動をしている皆さんにお会いできました。会いたかった方たちにも次々とお会いできて、食事を取る暇ないくらい声を掛けていただけて、本当に嬉しかったです。面白いことに、「こういう仕事をしていてー、北区の方でママサークルなんかの活動も・・」と自己紹介をしていると、必ず横から誰かが「北区のドンよ!」と口を入れてくださり、そうすると「あ~~、わかりました、ブログ読んでます~」などと通じてしまったこと。【ドン】すっかり定着してますな^^、光栄です(照)。自分のため、人のために何かを為そうとしている方、動き出したいという思いを秘めている方、どの人も笑顔が絶えず、本当に楽しそうでした。たくさんの前向きなパワーが渦巻いていて、温かく大きな洋実コーチのことを包み込んでいるようでした。いつもは、個々が洋実さんの愛に包んでもらってるものね、お返し。心から、素晴らしいコミュニティだと感激しました。その一員で居られること、これからも、この仲間がどんどん増えていって自分自身を幸せに感じられる母親達が増えていってくれることを願います。私も、ベビマやリフレ、サークルなどいろいろな形でそのお手伝いをしていけたらと思っています。今日参加された皆さん、コーチ、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。帰ってくるとやはり疲れが出てこの時間まで眠らせてもらったのですが・・今、ブログを開いてびっくり。新着ブログの殆どのタイトルが「大交流会・・」ですね^^今日明日の楽天はこれの交流が激しいだろうと予想はしていましたが、皆さん更新がはやっ!! 興奮冷めやらぬ・・って感じですね。これから皆さんのところに訪問させていただき、ご挨拶させていただこうと思います。楽しみです~♪
2006年05月02日
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すっかりごぶさたになってしまっていた楽天に、やっと戻れました。家のPCはいまだ不通ですが(何やってんだ、USEN!?)、モバイルの方復活したので、1週間前からメールもネットも復活です。が、やはりあわただしい日々で、楽天を巡れるようになったのは昨日から・・。 皆さんの生活も、それぞれ動いてますね。全部をさかのぼって追えないのが残念。さて、引越しは4月半ばに完了しました。入る前はいろいろあり、不満たらたらだったのですが、生活してみると狭いと思っていた部屋は案外使いやすく、動線的にいい間取りなので気に入り始めています。良かったのは、以前は2階にあった娘の部屋が同じフロアになったことで、娘との距離がいっそう近くなったこと。すぐに部屋から出てきて、今まで以上に息子の面倒をよく見てくれるし、家事も手伝ってくれるようになりました。水周りが新しいことが何より嬉しく、きれいなお風呂に家族みんなが大満足です。息子もお風呂大好き!になりました。室内が明るくキレイなだけで、家族みんながとっても幸せな気持ちになり、食事一つでも今までより楽しくなった気がします。が、全く荷物が整理できていない・・・リビングに作りつける収納家具の工事が連休明けになってしまい、そこに殆どの荷を収納する予定なので、その荷物は段ボールになって一部屋に山となって積まれてます。アーンド、家具やカーテン、ラグなどもまだ購入しておらず・・すぐ近くにニトリが開店予定で(あ、明日だ)、せっかくだからそこで・・と思っているのでした。だから、カーテンは前の娘の部屋のものだったり、前の前の家から持ってきたカーテンやカーペットで代用していて、丈も色もめちゃくちゃ。まあ、どうせ忙しくて何も手をつけられないので、じっくりやっていきます。新居は快適、仕事は絶好調・・ということで、とにかく、更に楽しく幸せ感が増して、これ以上ないくらいです。あと足りないのはお金くらい。でも、そんなのは私の幸せとはあまり関係ないかな。とにかく、今が幸せの絶頂だと感じています。幸せすぎてコワイくらいなので、ここから下がるとしたら、今度は何が来るんだろう・・?ってふと不安が頭をよぎることがあります。そのとき浮かぶのが、やっぱりパパのこと。大借金を背負ってこの家を構えてくれたパパ、本当にありがとう、って感謝しているんだけど、その彼にもしものことがあったら・・?だって、ここで私を不幸に陥れるものがあるとしたら、子どもかパパを奪われることだけだもの・・。お金が減ることなんて全然こわくない。どんなことでもしてみせるから。家を失うことだって、パパや子どもを失うこととは比較にならないもんね。こんな世の中だから、子どもだって今は何があるかわからないけど、普通でいったらまあ大丈夫でしょう。でも、パパはもうすぐ40代。お腹出てきたし、健康診断はいつも要観察、って出ちゃってる。危険要素は子ども達や私よりも高い。しかも、最近は仕事も忙しいし、今回の引越しでは、ほとんど一人で荷作りや荷運びを頑張ってくれて、相当疲労しているはず。休むヒマがないんだもの・・今までは容赦なくパパをコキ使ってきた私も、それを遠慮しちゃうくらい無理してるんだなー 今。不器用だから、手を抜かないし、時間がかかるの。それで私はいつもイライラさせられるんだけど。会社では出世しなくていいからさ、もうちょっとゆったりしてください。身体を大事に使って、一緒に長く生きていこうよ。今は子育てと仕事の確立で忙しいけど、10年もしたらまた一緒に飲んで、打って、楽しく過ごせるようになるもんね。今頑張り過ぎて、やっと・・って時に倒れたりしたら、ほんとつまんない。パパが居なかったら、私のこの生活は何の意味もなくなっちゃうのよ。もうちょっと要領良く生きておくれよ。な~んて心配を妹に吐いていたら、「だったらもうちょっと優しくしてあげたら~?」との答え。。まあね・・いいの、人の見えないところではちゃんと優しくしてる(つもり)から!だけど、昨日その心配をいっそう募らせることが起きちゃいました。夜中、庭に洗濯を取り込みにいったパパが転んだ音がして、「なにやってんのー?」って思ったら、めまいがしてひっくり返ったと。。。しばらくそこから起き上がれないようなので、本当に心配になりました。「もう何もしなくていいから早く横になんなよ!」って怒った口調で布団に追いたてて私は仕事に戻りましたが、普段丈夫で元気な彼がいきなり貧血でもなかろうに・・ と思うとどんどん心配になってきて・・。どうしちゃったんだろう、いったい・・?仕事を終えてパパのとなりにもぐりこみながら、「パパ、死なないでよ。パパが居なくなったらせっかくのこの家も何にもならないよ。それに、今死なれたら私、後悔することばっかりになっちゃう。あんな暴言吐かなければよかった、とか、もっと優しくしてあげればよかった・・とか。じゃあ、今から直せよ、と言われてもそのつもりはないので、私にそういう思いをさせないように、私より先に死んじゃダメだからね。」と言いながら、泣きそうになりました。あったかいパパの身体、私を支えてくれる安心感いっぱいの身体、大事大事です。それが身に沁みた夜でした。パパは今朝一番で病院に行ってくれました。まだふらついてるらしく心配ですが明日も検査だから、と午後から会社に行っちゃった。大丈夫かなあ・・・そんな思いでいる中、4ツ葉の杉山さんが昨日こんなブログを書いていました。リンクさせていただいた方がいいんだろうけど、より多くの人に読んでいただきたいと思うので、一部(いや、殆ど全部か)引用させていただきます↓-----------結婚するずっと前、「亭主元気で留守がいい」というCMがはやって、そのときから、そんな夫婦関係だけは、絶対に避けよう、そんな関係になったら、お互いいっしょにいてもいいことないから、離婚という選択をしよう(できるようにしよう)と、思っていた。あなた生活費稼ぐ人、わたし家事・育児する人。というのは、高度経済成長期の合理化傾向が、家庭にまで侵入してきた悪しきスタイルだ。これが当たり前になってしまっては、夫は自分の下着の洗濯もしたことがなければ、どこにしまってあるのかもわからない生活不能者になってしまうではないか(それに危機感も持てないオトナって??)。そして、わたしは、例えば夫が若い女の子を好きになっちゃって、「離婚したい」と切り出したときに、「わたしはまだあなたのことが好きだから別れたくない」というのならわかるけど、「明日からどうして生きていけばいいの?」というような算段が脳裏をかすめるような、打算の夫婦関係はやだ・・・と思っていた。世のご亭主たちは、あくせく働いて生活費を稼ぐ。妻がそれを切り盛りするんだけど、夫には、ほとんどリターンされてない。世のご亭主たちは、自分に万が一のことがあったときのためにと、生命保険にがっぽり入っている。遺族年金も出る。以前、夫に先立たれたおばあさんが、「遺族年金だと満額もらえない」と不満を漏らしているのを見て、本当に、心底驚愕した。それは、あなたの夫が働いて納付した保険料であって、あなたが、働いて納めたわけではないでしょ。なのに、どうして満額でないと、あなたが怒るの??わからない。夫とあなたは、別の人格を持っているんだよ。夫婦は「一心同体」なんかじゃないのよ。と、思ったけど、黙っていた。たぶん彼女が生きていた時代は、本人が働いて年金保険料を納めたいと思っても、働き口がなかっただろうと思ったからだ。(だから、いまの女性たちは、そんな勘違い人生を送らないで欲しいと心から願っている)「あなたが死んでは、何の意味がない。死んだあとにお金がたくさん入ってきても困る。それよりも、いま、いっしょにいる時間をもっともっとつくって。そして、いっしょにお金を使おう」と、なぜ言えない?「あなたが死んだあとの生活ぐらい、自分でなんとかできるから、生命保険減らして、医療保険に回そうよ」と、なぜ言えない。お金は運んできてくれるけど、家にちっともいてくれない、そのくせ「家族のためにオレは働いた」とか言ってるそのオトコの人の介護をやるのが当然と言われてもどうなんだろうなあ(またぞろ、「死んだら保険と遺族年金が入るから、それまでのご奉公」なんて思うんだろうか)。だから「亭主元気で留守がいい」になっちゃう。それが、いまの日本の大半の夫婦の実態であったとしても、わたしは、いやだ。----------------------------激しく同感してしまいました。私もおんなじ。わたしも、いやだ。後でたくさんお金もらってもしょうがない。あなたが私の横に居てくれなければ、生きている楽しみは半減しちゃう。でも、いつ何が起きるかわからないのが人の一生だから、その時がなるべく先であることを祈りながら、今日一日一瞬に感謝しながら、共に楽しみ味わいたい。だから、貯金はあまり要らない。我慢をして無理をしていつかは・・っていうより、今を一緒に楽しむことに使いたい。(あ、でも何にも残らなくていいってわけじゃない。或る程度はあるとありがたいから、生命保険料はきっちり払っていこうね。)そして、私がパパを失いたくない理由というのは、杉山さんと同じで、彼の心が私に無くなったら、離れていくことも仕方がないと思っている。それで家計の収入が半減するとか、「あなたには私と子どもの面倒を見る義務がある!」なんて鼻息荒く、「妻」という立場だけで当然の権利のように自分達の生活保障を求めるなんて、したくないし。それよりも、互いに求め合っているのに、離れなければならない事態になることが本当に恐ろしいです。神様、もうこれ以上は何も要りません。「亭主元気で留守がいい。金さえ入れてくれれば外で何やっててもいい」なんて本気でいう妻には絶対になりません。だから、パパを、子どもたちを、どうか守っていてください。お願いします☆
2006年04月27日
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引越しは無事終了したのですが、多忙な中ですっかり諸々手続きを忘れており新居の通信回線手続きを忘れていました。アーンド、モバイルPCの通信接続も、なぜかID、パスワードが消えてしまい、手続きの仕直しで大変不便しています。おそらく、私に連絡を取りたい多数の方にご迷惑をおかけしていると思うので大変心苦しいですが、あと1週間はこんな状態が続きますのですみません。4/12以降にわたくし宛にメール頂いている方、特に4/21の自宅サロンワークや、上記講座にお問い合わせ等くださっている方がいらっしゃいましたら、恐れ入りますが携帯メールの方にご連絡くださいませ。kyo-kino@ezweb.ne.jp です。よろしくお願いいたします。一昨日から実家に来ており、そのおかげでこの日記に書き込むことができました。土曜に静岡で行われた従弟の結婚式のために、妹一家と熱海の実家に滞在しており、賑やかに過ごしていました。2歳の息子と3歳の子供達同志は本当に仲が良く、両親含め一族で過ごす幸せを実感しています。その枠が、結婚式では更に広がって、従弟や従姉妹、祖父、叔父・叔母やその親戚たちとの久しぶりの交流でも、血縁の大切さを改めて感じてきたところです。うちの父親は2人兄弟で、大変仲が良く、私達が小さい頃は近くに住んでいたこともあり、週末ごとに皆で過ごしていました。従姉妹同士も年が近く、きょうだいのように過ごしてきたので、今もとっても仲良し。そのうちの従弟が結婚したわけですが、乾杯の挨拶は父がしました。そこで、父が自分の両親が誠実に、愛を持って育ててくれたから今の自分たちがあり、この幸せな一族が在る、という話をしました。祖母はまだ健在で、式にも参加していましたが、祖父は亡くなっており、父はその祖父のことを思いだし、感極まって声を詰まらせていました。祖父が亡くなったのはもう20年近く前のことなのに、今でもそうやって胸を熱くし、親に感謝する父の姿を見て、「こういう愛を持った父だからこそ、今の私があるのだ」と、あらためてありがたさと、この人の娘であることの幸せを感じました。また、その挨拶に、雛壇で涙を流してうなづいてくれているお嫁さんを見て、そんな優しさと思いを汲み取ってくれる人がお嫁さんになってくれてよかった、と心から思いました。最後の両家の代表挨拶は、叔父がしたのですが、その叔父もまた、「兄が言ったように・・」と両親への感謝の言葉を述べるときに涙を流していました。いい兄弟だと思います。こういう人達の愛に育まれた私達だからこそ、今も姉妹、いとこ同志仲良く、各自も愛に満ちた幸せな家庭を築けているんですよね。愛を知らない人には、人を愛せないといいます。また、見つけた愛を継続するのは本当に難しい。でも、愛の中で育ててくれたこの人達のおかげで、私達はたやすく人を愛することができる。愛を与え、受けることができるんだと思います。そんな一族であることを、誇りに思うと同時に、今の家庭も大切に築いていかなければ・・ と心する一日でありました。私は明日浜松での仕事があるので、そのまま実家に残りましたが、息子と娘、パパは先程帰りました。パパやお姉ちゃんがいるから息子はぜんぜん平気。私もゆっくり一人の時間を楽しもうと思います。(まあいつもそういう時間持ってるけど^^;)あ、土曜のパパママコーチングおつかれさまでした。皆さんのブログ、これからゆっくり廻って拝見させてもらおうと思います。
2006年04月16日
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今日は19週の妊婦健診でした。前回から3週後になるわけですが、前回の頃ちょうどつわりがピークを過ぎ、活動を再開できるようになったのですが、その後があまりにめまぐるしく精力的に動けてしまったので、この3週が飛ぶように過ぎていきました。 長男のときは、お腹の赤ちゃんがどうなっているか見たい、早くまたエコーを見たい、という思いで次健診を指折り数えている日々だったのに、えらい違い。でも、こうやって時を忘れられるくらいラクになったということ、本当に有難いです。そして、親がこんなでも胎児ちゃんはしっかり、順調に育ってくれていました。赤ちゃんはおねんね中だったのか、ほとんど動きませんでしたが、心臓は元気にポンプ運動している様子が映し出されました。また、お顔もしっかり映りました。まだお口はこの頃の胎児独特な形をしていて、いかにも「進化途中」って感じ。でも、これだけ大きく育ってくれていて、胎動も頻繁に感じられるようになっているので、エコーでのご対面はそのたびに感動して、かわいさが増してきます長男の時からお世話になっているこのクリニックは、エコー映像をビデオに録画してくれるので、あとで家族で見ることができていいんですよ~。お兄ちゃんのときのは、今でもたま~に取り出して見たりしています。でも、お兄ちゃんのときは健診日のその夜に、みんなでわくわくしながら見てたんですが、2回目ともなるとかわいそうに・・ 前回は、3日くらい後でした。今夜も、とりあえず見過ごされています・・・^^;じじばばが来てて、テレビ占領してたからね、許せ三番目! 今日はパパも私も午前中休みだったので、健診も一緒に行きました。このクリニックは産科はやってないので、ほとんど女性しか来ないんだけど、行ったときには空いていた待合室が、健診の間に急に混んだようで、診察室から出てくると、パパはピンクのソファにずら~っと並んだ女性たちの中に、一人だけはさまって座っていたのが笑えました。でも、うちのパパはそんなことには全然構わない人なの。今日もそんな中で腕組みしてぐーぐー眠ってました。ちょっとラブリーに感じてしまったわそう、このクリニックは産科がないので、6ヶ月までに転院する必要があります。長男のときはそのおかげでかなり困りました。北区には産院がとっても少なくって、15年ぶりの妊娠にすっかり気合の入っていた私はぜ~たくにお産したかったので、無痛分娩や超豪華を売りにしてる病院を探し回ったのですが、近隣の市町村区でも、コレというところは見つかりませんでした。で、結果的に選んだのが自宅での出産だったんですけどね あの出産を体験しなかったら、今の私はなかったと言ってもいいくらい、生き方を根底から変えてしまうような素晴らしい体験と、素敵な助産師さんとの出会いでしたそのお産については、TVのドキュメンタリーになって放映されたので、更に貴重な体験となり、家族の記録を残してもらうことができました。今回も、その助産師さんにお願いして自宅でこの子を迎えてあげようと思っています。だから、このクリニックは今日で最後。先生にお世話になったお礼を言うと、「きっとまた来るでしょ。もう一人いくでしょ。39くらいまでは大丈夫」と言われました。いやいや、出産はともかく、もう妊娠は・・あの悪阻の辛さだけは二度といやです~~ 性別は、今日のエコーではわかりませんでしたが、出っ張ったものが見えないから女の子じゃないか~というのが先生の無責任な予想です。私は、最初から男の子と思うようにしていますが、この予想が当たっちゃったら嬉しいかも・・でも、長男のかわいさを思うとやっぱりもう一人も男でいいかも~~ と揺れます。 ここ数年、もう心が揺れる、なんて想いはしたことないよ。恋愛からもすっかり遠ざかっちゃったし・・ (パパからはハラハラしかさせられてないよ、もう何年も!)またまたこんな♪どきどきわくわく♪をくれる三番目ちゃん、ありがとう♪ 次の健診は、待ちに待った土屋さんだよ。会える日が楽しみだね♪帰り道に仰ぎ見る桜の花が、幸せなピンク色をしてました
2006年04月07日
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