2006年03月15日
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丸髷嫌い
江戸堀の支部で開かれた愛国婦人会の新年会に、多くの夫人達は白襟紋服《しろえりもんぷく》で出たが、そのなかに、たつた一人広岡浅子女史のみは洋装で済ましてゐた。
 浅子女子は洋服が好きだ。生れ落ちる時洋服を着てゐなかつたのが残念に思はれる程洋服が好きだ。だが、それ程まで洋服が好きなのは、深い理由《わけ》のある事なので、その理由《わけ》を聞いたなら、どんな人でも成程と合点《がてん》をせずには置かない。
 理由《わけ》といふのは他でもない。洋服は西洋人の被《き》る着物だからだ。浅子夫人の解釈によると、西洋人の仕《し》てゐる事には、何一つ間違つた事はない。偶《たま》に時計が九時で留《とま》つてゐるとか、愛国婦人会の幹事の鼻がぺたんこであるとかすると、女史は直ぐ苦り切つた顔をして、
 「西洋にはそんな事は無い。」
と噛みつくやうにいふ。
 九代目団十郎が、まだ河原崎権十郎といつた頃、ある和蘭《オランダ》医者のうちで珈琲《コーヒー》茶椀を見て、不思議さうに弄《ひね》くり廻してゐたが、暫くすると無気味さうにそつと下へ置いて、
 「これがあの切支丹なんで御座いますか。」
と訊いたといふ事だ。つまり団十郎には、自分の知らない世界は切支丹であつたのだ。

 「西洋を知らない。ほんとに汝《おまへ》さんのやうな鈍間《のろま》なんざ、一人だつてありはしないよ、西洋には。」
と言つて、その西洋の女のやうに、肩を揺《ゆす》つて笑つたといふ事だ。
 浅子夫人はまた島田や丸髭《まるまげ》の日本髪が嫌ひだ。婦人会などで、若い夫人達の丸髷姿が目に入ると急に気難《きむづか》しくなつて、
 「夫人《おくさん》、あなたの頭に載つかつてゐるのは何ですね。」
とづけく嫌味《いやみ》を浴ぴせかけるので、気の弱い夫人達は、蝸牛《まひくつま》のやうに結《ゆ》ひ立《たて》の丸鬣を襟のなかに引つ込めてしまひたくなる。
 オスカア・ワイルドだつたか、亜米利加の女は死んで天国へ往《ゆ》く代りに、巴里《パリ 》に生れ変りたいと思つてると言つたが、浅子夫人だつたら、そんな時に屹度《きつと》西洋に生れ変りたいと言ふだらう。それが出来なかつたら、辛棒して芸術座の舞台にでも生れ変る事だ。那処《あすこ》には島田も丸髭もない代りに安価《やすで》な「西洋」が幕ごとに転がつてゐる。





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最終更新日  2006年04月18日 00時28分10秒
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