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『橋ものがたり』藤沢周平(新潮文庫) かつてたまーにしか「時代小説」を読んでいなかった時は、わたくしもの知らずだったせいで(もちろん今でも十分もの知らずですが)、時代小説と歴史小説の違いがわかりませんでした。 ところが、なんとなくその違いを知りまして(知ってしまえばほぼ当たり前といっていいようなものでしたが)、なるほど、今回読んだ作品なんかは、典型的な時代小説であるなあと理解し、しかしそう理解したところで別に作品の深い鑑賞ができるわけではないこともまた、まー、当たり前であります。 冒頭から、なんかくねくねした変なこだわりの一文を書いてしまったのは、本書の解説から、人情短編時代小説というのは時代小説の本道だと教えてもらったからでありましょうか。 割と理屈っぽい私は、そこから、そもそも人情テーマの時代小説とは何なのかなどと、考え始めたのでありました。 いえ、考え始めたといっても、すぐ頭に浮かんだのは関川夏央がかつて、そんな時代小説を分析した本を書いていたなあということで、確かそれは、我が拙ブログでも報告したぞと思い出しました。(『おじさんはなぜ時代小説が好きか』岩波書店) で、昔のブログ記事を読んでみると、なるほど、あれこれぐちゃぐちゃと書いてありました。 で、分かったのは、関川夏央は、時代小説はユートピア小説であると言っているという事でした。そして、本書を読んだ私は、なるほどその通りだと、全くすとんと理解するに至ったのでありました。 ユートピア小説としての人情時代小説。 義理と人情の葛藤を、そのままストレートに書いて感動を生み出してくれる。 例えば、ずっと初恋の異性を愛し続ける。親の病気のために苦界に身を落とす。一身につらい修行に耐えてやっと一人前の職人になる。やけになって瞬く間にばくちで借金を抱える。そして、そのことを酒と涙とともに苦悩する。……。 ……「橋」に目を付けたのがいいですよね。 橋は国境であり、出発点であり、そして終着駅であります。つまり、過去現在未来。 10の短編小説が収録されていますが、どの話にももちろん橋が出て来て、朝昼夜、春夏秋冬の川岸水際の風景が、なかなかに素晴らしい。作者の筆の見せ所だと思いました。 10ある話のほとんどが、それなりのハッピーエンドになっていると思いますが、わたしの読後感でいえば「氷雨降る」と「殺すな」には暗いものが残ると思いました。 実はこの暗さは、かつて私がこの筆者の初期の短編小説を読んだときにかなり強烈に感じた暗さの名残でした。 それは、かなり苦い感じのもので、救いのなさとか虚無感といったものを感じ、読んでいて驚いた記憶があります。 この度本書を読んで、多くの作品に愛する女性を失うなどの、ヒロインの不幸が描かれていることが少し気になりまして、安易ながら少しググッてみますと、案の定といいますか、この筆者が若い頃に病気で妻を失っていることを知りました。(初期作品の激しい虚無感もここからのものでしょうか。) で、上述の「殺すな」の短編ですが、私はこのお話が本書の中で一番出来がいい(私としては一番納得できる)と思いました。 決してハッピーエンドではない終末に向けての展開の中で、登場人物の心理の流れに無理がなくスムーズにストーリーが展開できていると感じました。 そしてエンディングのこの暗さは、一種リアリティではないか、と。 そもそも短編小説には、展開上作為がちらちらと感じられるのはやむを得ない所があります。(もちろんそんな作為を超えた素晴らしい短編小説は多々ありましょうが。) 私はいわゆる「純文学系」の作品が好みなせいでしょうが、作為の先に「余韻」のある作品が好きです。 ただ、感心するような「文学的余韻」のある短編小説は、そう誰にでも書くことはできないし、本来そんな才能を持っている作家でも、作家生活の限られた一時期にしか、なかなか作り出せないものだと思います。 本短編集が、筆者のそんな至福の時期の作品であったのかどうか、わたくしには何とも言い難く、しかし、江戸時代の大小様々の木橋の情景はたっぷりと浮かんできて、なかなか情緒深く描かれているものだと感じました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2024.04.21
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『ある男』平野啓一郎(文春文庫) 実は本作を読んだきっかけは、近所の文化ホールの様なところで本作を原作とする映画を上映していて、それを見たからなんですね。 最近私はけっこうたくさん映画を見ていて、もちろん楽しんでみているのですが、その評価ということになると、どうも、今一つよくわかりません。 まぁ、精力的に映画を見始めてまだ1年程度だからと、少し自らを慰めています。 で、その見た映画がなかなか良かったんですね。しっとりと落ち着いた力作という感じの、いかにも見ごたえがあったという感想を持ちました。 で、まあ、本小説にも手を出したわけであります。 映画と原作小説(別に漫画でもいいのですが)の関係については、昔、誰か小説家が自作が映画原作になったとき、こう考えたというのを読んだ覚えがあります。 それによると、映画と小説とはいわゆるメディアの質が全く異なるものだから、自作が原作であっても、映画側にそれを材料として渡した段階で、ほぼ別作品だと考えることにしている、という趣旨の文章でした。 わたくし、この説をとっても納得して今に至っているんですね。 で、『ある男』について、まず映画で見て、それからこの度小説を読了しました。 小説は、文庫本で360ページほどもある長編で、映画は何か所か端折った感じになっていたように記憶しますが、ほぼ、原作通りに作られていることがわかりました。(映画の方ラスト近くに、小説にはないわりと重要だと思えそうなるセリフがあって、その違いはなかなか興味深かったですが。) で、まず、比較して考えてみました。 映画は、2時間前後がまぁ標準ゆえに、小説中のエピソードをかなり丁寧に取り込んではいるが、どうしても各々が「薄味」っぽくなっていたかな、と。 映画とは省略の芸術である、なんて言葉をどこかで読んだことも思い出しました。 と、いうのも、実は本小説は、かなり多くのいわゆる現代日本社会の「問題」が描かれよう、少なくとも提出されている物語であります。 ざっくりどんな「課題」が提出されているか、挙げてみますね。 難病治療と副作用。臓器移植と家族ドナー。在日韓国朝鮮人をめぐるヘイト問題。来るべき大震災罹災後の社会情勢。死刑の是非。凶悪犯罪者の家族について、等々。……。 かなりのヘビーな問題が描かれようとしています。 そしてこれらの中心にあるのは、本文中あちこちに書かれていますが、こういうテーマです。 「人生は、他人と入れ替えることが出来る。」 「人生のどこかで、まったく別人として生き直す。」 「何もかもを捨て去って、別人になる。」 この中心テーマだけでかなり重そうなのに、そこに様々な「課題」が描かれようとして、どうでしょう、私は少し満腹、あるいは消化不良感がしました。 しかし上記に挙げた主テーマの展開については、感覚に流れず、構造的にかっちりと書き込んでいるとも思いました。 このテーマは、いわゆる「自分探し」の近くに位置し、昨今の新しい作家(女性作家が多い気がします。人間疎外の労働状況の影響を、女性勤労者が一番受けやすいからでしょうか。)が再三テーマとして(かつ感覚・主観的に)描いている気がします。 しかし本作は、自分探しの方向には向かわず、個人を取り巻く客観的社会状況の方にそれを持って行って描こうとしているように感じました。(繰り返しになりますが、ただ盛り込みすぎ感が、私としては、少し残念です。) ただ、私はこのようにも考えました。 上記に短く引用した文の、特に一番目の文などは、かつて「純文学」的には、少し異なったアプローチが主流だったのではないか、と。 それはつまり、存在論的な迫り方ですね。 私が今浮かぶ作家や作品でいいますと、埴谷雄高の諸作品や、安部公房の『他人の顔』『箱男』などであります。 もちろん時代が大きく変わっていますから、そういった「純文学」的テーマも変質していったと考えられます。 ただその結果、本書はかなり読みやすくなり、そして少々「感傷的」にも読めそうになったかな、と、わたくし、愚考いたします。 いえ、それは、毀誉褒貶云々という事ではなくて……。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2024.04.06
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