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2015.04.26
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カテゴリ: 昭和~・評論家

『志賀直哉論』中村光夫(筑摩叢書)

 上記文芸評論の読書報告の後編であります。
 前回は、いかにぼろくそに筆者が志賀直哉を「貶して」いるかについて、たくさん引用してみました。

 前回も少し書きましたが、私は筆者の作家論について、二葉亭四迷、谷崎潤一郎を本書以外に読んだのですが、やはり一番「貶して」いるのは本書だと思いました。
 一番「貶して」いないのは、たぶん二葉亭論だと思います。

 谷崎論については、よく言われる「無思想性」について、「無思想」という表現ではなかったかと思いますが、「反知性性」とでもいう部分において批判していたのではなかったかと思い出します。ただ、作品に対する批判は控えめであったんじゃないかと。(主に最高傑作『春琴抄』以降について、あまりな傑作を書きあげてしまった苦悩という視点で書かれてあったと記憶します。)

 一方、本書にある志賀作品に対する批判の苛烈さは、本書がまだ志賀直哉存命中に書かれたものであることを考え合わせますと、かなり先見性のある「画期的」な志賀作品批判であったと思います。
 それは、志賀直哉が亡くなってすでに半世紀になんなんとし、志賀文学の再評価もかなり行われ、「盲目的」な志賀文学追随がなくなった今、谷崎作品と志賀作品の評価差に歴然としたものがある事からも明らかであります。

 さて、本書の目次はこうなっています。

「祖父直道」「内村鑑三」「暗夜行路」「山科の記憶」「邦子」

 読み終えてみますと、この構成はとってもわかりやすく、志賀直哉の資質の誕生から苦悩を経て、その限界までを見事に辿っています。

 志賀直哉の非思想性と誠実さについて影響を与えた祖父直道から始まり、内村鑑三に強烈に引き付けられつつも、自らの肉欲の苦悩を極端な自己中心主義で肯定的に解釈し、キリスト教から立ち去った青春前期の姿を通して、いわゆる自己肯定と誠実さを日常生活と自己の文学性の中心に置いた志賀直哉の個性の誕生を説きます。

 そしてその志賀的文学性の限界を描くのが後の3章ですが、そこに激しい批判が描かれていることは、前回も指摘しました。

 それでは、筆者は志賀作品を高く評価することはないのかといいますと、もちろんそんなことはありません。激しい批判とも並行するように本文随所にそれは描かれていますが、つまるところ志賀作品のどこが最も優れていると書かれているかを見渡してみると、よく言われることではありますが、やはり「誠実性」と「描写力」にあるようです。
 そしてそのことを筆者は、「本質的に青年の文学」といいます。

青年の心理も、これに道徳的属性を加へることによつて、広い自己肯定の地盤を得ます。
 志賀直哉にあつて倫理が制作のモチイフとして決定的な役割を果す所以はここにあるのです。彼の作品の長所はあるいは鋭敏な感覚、それから来る正確、簡潔な描写、芥川の言葉をかりれば、「トルストイより細かいリアリズム」にあるかも知れません。しかしこの感覚に自信をあたへ、それを正確に再現する努力を可能にしたのは、彼の倫理であつたのです。


 どうですか。この文では、かなり筆者は高揚したような筆致で、好意的な評価をしていますね。ただこの部分のすぐ後ろには、こう書かれています。

志賀直哉の場合は、成熟がたんに青春の喪失を意味した作家の悲劇がもつとも単純な形で現はれた典型と云へます。

 実は成熟することがその文学者の文学的不毛に繋がってしまうような作家(ひょっとしたらそれは作家に限らないかもしれませんが)は、結構たくさん文学史の中に見えそうです。
 三島由紀夫などは、自らで自分の文学性をそのように規定し、齢を経ることを激しく拒もうとした(その結果があの三島の最期であったかどうかは微妙として)ようです。

 最後に、筆者が素晴らしい一文として取り上げた『暗夜行路』の一節を紹介します。
 主人公の謙作が、初めて結婚の相手の顔を見た後の気持ちを述べた部分ですが、中村光夫はこの部分を 「これは我国の近代文学を通じて、恋愛感情のもつとも美しい表現のひとつと思われます」 と評しています。

彼は自分の心が、常になく落つき、和らぎ、澄み渡り、そして幸福に浸つて居る事を感じた。そして今、込み合つた電車の中でも、自身の動作が知らず知らず落ちつき、何かしら気高くなつて居た事に心付いた。彼は嬉しかつた。其人を美しく思つたといふ事が、それで止らず、自身の中に発展し、自身の心や動作に実際それ程作用したといふ事は、これは全くそれが通り一遍の気持でない証拠だと思はないでは居られなかつた。

 なるほど、読者の心をも気高くしてしまうような名文でありますね。


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Last updated  2015.04.26 15:36:14
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