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2025.07.27
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『勝手にふるえてろ』綿矢りさ(文春文庫)

 家で見るBSとか有線とかアマゾンとかも含めて、かなり映画を見るようになって3年ほどですが、映画とその原作となる小説をセットで見たり読んだりすることが少しだけ増えました。

 パターンでいうと、原作小説先→映画後、が少し多いかなという感じがします。このパターンだと、かつては映画にがっかりすることが多いように思っていましたが、近年はそうでもなく、映画は映画でそれなりに興味深いなあと感じます。それは映画を見慣れたことで、映画面ゆえの独創的な魅力ということに、私が気付いてきたからかもしれません。

 一方、映画先→原作小説後の場合は、主に二つの興味深さを感じます。
 一つは、そもそもこのパターンで後で原作小説を読むというのは、けっこうその前に見た映画の出来がいいと感じたからで、それを踏まえて小説を読むと、頭の中は、先に見た映画の流れがそのまま展開していて、結局のところ、頭の中でもう一度映画を見ている面白さというわけであります。

 といっても、やはり小説には小説の強みというか特徴があるわけで、それは心理説明に強い、ということでありましょう。それが二つ目であります。
 映画での心理説明は、直接的なものなら独白と会話で表現しますが、それ以外では間接的に、人物の表情や動作、さらには様々な物や風景などに人物心理をことよせて描きます。しかし、それがちょっとうまくいっていない(あるいは私がそのように読み切れていない)場面があったりします。
 そんなところを後で小説で読むと、表情、動きや物に象徴された人物心理が、「ああ、あの場面はそういう意味だったのか」と、くっきりと補足されます。

 というのが、映画先→小説後パターンです。
 で、今回私は、そのパターンで2作品(映画と小説)を鑑賞をしました。冒頭の一冊と、映画については同じタイトルで、監督並びに脚本の担当は、大九明子であります。

 (見終わって)読み終わって、この2作品の鑑賞はとても興味深いものでありました。

 後でよく考えれば、なるほどと思う部分もありました。
 原作小説は、初出が純文学雑誌の「文学界」です。(上記の文庫本にもう一つ収録されている短編小説は、同じく「文学界」初出ですが、これはもろに純文学テイスト作品です。)
 一方映画の方は、ジャンルでいえば、これは「ラブコメ」でありましょう。隔たっているのもムベなるかなであります。
 だから私の感心は、よくこれを原作にして、これだけ別のものが作れたものだという驚きであります。(と書けば、手柄は監督脚本家ゆえと特定されもしますが。)

 しかし、どちらの出来が良いという好みとしてはあっても、それを脇に置くと、一つの球根から伸びながら全く色合いのちがう二輪の花が開いたようなそんな二作品ができあがるからこそ、小説家の側もきっと、驚きとそして原作者としての満足を感じられるのでしょう。

 最後に一つだけ、私の思い付き、であります。

 「勝手にふるえてろ」というタイトルの意味(象徴性)ですが、私はまず映画でその言葉の出る場面を見て、全くわかりませんでした。(その言葉が出てくる展開的意味合い=必然性がわかりませんでした。)

 次に小説を読んで、小説には一か所この表現が出てきますが、やはりよくわかりませんでした。(前後の文脈からの意味なら分からないことはないのですが、この表現が、なぜ作品全体のタイトルにまでなっているのかが、まるで分かりません。)

 そんな私の思い付きは、前者の方、映画におけるこのタイトルの意味の解釈です。
 (小説のほうについては、同じくわからないながら、かつてこの作家が、意味ではなくてわりと直感的にタイトルを付けるといったようなことを書いていたのを読んだことがあります。)

 しかし、それは、小説でこの部分について描かれた説明を読んでいなければ分かりにくいものであります。ただ、原作が先行している以上、映画監督は読んでますから、それを「証拠」とできなくもないかなということで……私の思い付きの解釈はこうです。
 (映画・小説両方を読んで(見て)ないとわからないと書きつつ、しかし詳しい説明は省略して……)

 「今日までの自分の正直さだけを信じていた私、勝手にふるえてろ!」

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Last updated  2025.07.27 10:32:48コメント(0) | コメントを書く
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analog純文 @ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩 @ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文 @ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…
analog純文 @ Re:漱石は「I love you」をどう訳したのか、それとも、、、(08/25) 今猿人さんへ コメントありがとうございま…

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