時々鬱々日記

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アントニオ9935

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2003.04.03
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カテゴリ: カテゴリ未分類
トールキン小品集、読了。

一般にハイ・ファンタジーと呼ばれる”指輪物語”のような現実とは違った世界の創作、芸術活動を、神によって作られた現実の世界の創造になぞらえ、トールキンは”準創造”と呼んでいる。

本小品集には、彼が自らの芸術観、自ら行っている創作活動をどう捉えているかを、避けられない旅(死)との関係で吐露した作品も
含まれている。

その作品の中で、主人公は自ら”準創造”した自らの王国へ死した後行き着く、という芸術家としての報いを得る。
現実世界ではその作品はあくまで”準”であり、どれほど希求しても現実にはなりえない。
しかし、厳しい現実の中で、時間を見つけ、雑事に追いかけられながら行った”準創造”は、死後自らその中で、自ら創造したものに出会える、という形で報いられる、というのが、トールキンが自らの活動に対して持っていた意義付けだったのであり、そしてその意義付けは、すべての表現者にとって非常に勇気付けられるものである。

女性は子供を文字通りの意味で創造できるが、男は文字通りの意味で子供を創造できず、それはすごくつらいことだ、だからなにかを
造りたい、表現したい、という気持ちは、僕の中で昔からずっとあった。


そのことをひさしぶりに思い出した一日であった。

そのような意義付けと、根っこの部分でいっしょだなと思ったのが、2日付け読売新聞の俳人森澄雄氏の一文だ。
”俳句もまた生命を運ぶ営み、今の一瞬に永遠を言いとめる大きな遊びです”と氏はいう。
ちっぽけで、過ぎ去る存在である人間であることを強烈に意識しつつ、だからよけいに俳句という創造に永遠を織り込もうとする、これは死後自らの創造したものと出会うことを報い(目標)としたトールキンの考え方と、同じではないか。

我おもう故に我ありところてん 
(本日気に入った俳句。作者名がどうしても入力できず。すみません)





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Last updated  2003.04.03 00:45:58
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