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肥後国衆まつりが開催されます。第46回戦国肥後国衆まつりを開催します
2023.01.31
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鞠智城で、学芸員の案内・ハイキングがあります。【申込開始】鞠智城HIKING「南」開催のお知らせ
2023.01.31
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渡良瀬遊水地のヨシが燃えた(燃えてる?)との報道で、写真を探しました。2008年の様子です。36.231381, 139.662440何も判らず通りかかって立ち寄りました。現在のニュースです。鎮火の見通し立たず…渡良瀬遊水地で火事 300ha燃える広いところです。ここは、上流にある足尾銅山との因縁の地です。渡良瀬遊水池の歴史
2023.01.31
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77G 隠居天神堂 32.94813, 130.50658さらに、77G隠居天神堂を探してウロウロしました。Gマップに転写した位置はこの辺だと見ますが、道もありません。相当ずれていたのか??とも考えてウロウロしました。「あれは?鳥居?」かと、ズームすると・・たぶん鳥居でしょう。しかし、周辺を調べましたが、、入り口が判りません、、でした。 (4)隠居いんきょ天神 金山字深浦(付図2-77) 金山原と小岱山の山裾が接する裾合谷は、地質時代の構造線である。この谷に金山川が嵌入はめいり、深浦、藪浦、嶋巡り、平田などの牟田をつくっている。小円丘上には天神社がある。 御神像に「明治十七年申年 九月中旬 玉名郡高瀬町中町、仏師東鉄ロ良方彩色也」と墨書がある。村の老翁の話では「金山天神さまが、子神に本社を譲り、自分はここに隠居した」という。
2023.01.30
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79K 黒岩地神宮 32.95045, 130.51041 さらに山道を進むと、左手の山へ人間ひとりが登る道がありました。 (4)金山地区の地神宮 金山犬満宮境内(付図2-69)、金比羅山中腹(付図2-79)にそれぞれ1基ずつ、花崗岩の自然石に大きなシメ縄をはった地神宮石をみる。山は金比羅山というらしい。入り口から、あと少しだったのですが、なぜか入らずに引き返しました。
2023.01.27
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78G 黒岩地蔵石像 32.95038, 130.50978 一度山道を下りて、別の道を登ると、ありました。裏のお宅は今はお住いではなさそうです。 (6)金山かなやま金比羅宮入口地蔵 金山字黒岩(付図2-78) 金比羅山麓、通称高塚の民家前に、石の基壇上に砂岩製の石体を安置、上に覆堂を設ける。 高さ56cm、舟型光背を負った半肉彫のささやかな石像であるが、面白いことに、臍前に組んだ両手を袍衣の裾で掩うていることである。金比羅宮の信仰とあわせ考える必要があろう。
2023.01.25
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81G 金山山の神石祠 32.95447, 130.50727分水嶺でスマホのGマップで再確認。南側にありそうだ。一度少し下りながら道を探す。道とも言えないが、古いクルマの通ったようなY字路風のところがあるが、舗装跡もなく葉や枝で覆われている。少し進んでみるが、「こんな所にあるのか?」不安がつのる。スマホで再確認すると、道は無いが、方向はこの辺、、勇気を出して、更に数分登ると道の右にあったぁ!多分、これ!?立派なお堂ではないか!! (5)金山かなやま山の神石祠 金山字大浦(付図2-81) 金比羅山下の眺望絶佳な小丘陵の上に、堂舎がある。堂舎は石室を覆って籠堂こもりどうも兼ねている。 石室内に2軀の石像が安置されている。猪の背に座す石像は貴頭衣かんとうい(水干すいかん)をまとい、冠りものを後頭部で紐で結える。また左側は、衣冠束帯いかんそくたい持笏じしゃくの山の神といいたいが、冠は右側と同じ頭巾である。石室の壁に、「奉再建大山祇命寶殿、文政二乙/卯年五月吉日 肥後国玉名郡金山村 古沢寿平太 庄屋宅右衛門 山口多助奉斎相殿八大龍王一座」とあり、祠堂前の石燈籠には「文政元寅九月吉日」としている。 この石神祠は文政2年(1819)再建となっているが、本来は文化12年(1815)に建てられていたものと思われる。また2軀の石神像も同時に彫像したという感じはせず文化12年と文政元年の彫作の印象がつよい。堂内はきれい。地元の人々が大切にされていると感じた。このような、山に隠れた史跡に出会えたのは「荒尾の文化財(Ⅰ)」の添付マップに位置が示されているお陰だと、改めて感謝です。マップからGマップに転写してピンを立てていましたが、10mと違っていませんでした。Gマップのピン位置は修正しておきました。
2023.01.23
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金山山の神を探して、金山分水嶺?に来ました。32.95491852686473, 130.506692264418こちらは、史跡では無くて、現在も稼働中の施設の様です。内容は、調べましたが、、、判りません。此処までの道は、軽トラが入れる程度の荒れた舗装道があります。きっと此の施設のメンテナンス道路なのでしょう。
2023.01.20
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大分県宇佐市長洲のご照会宇佐市長洲同じく、ながす、と呼ぶようです。駅は、豊前長洲とされています。
2023.01.19
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来月の講演予定です。
2023.01.17
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年度が代わり、総会を実施します。2月14日(火曜)18:30~中央公民館・視聴覚室 ・前年実績 ・講演実施 ・会計収支 ・本年度計画 ・講演計画 ・会計計画 ・本年度への意見 ・史跡めぐり ・その他会員の方、全員出席願います。
2023.01.17
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講演会、実施しました。
2023.01.17
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先日、写真をアップしました「出川の充電旅」の原城・長洲・荒尾・大牟田・柳川の、再放送が、18日19時から、RKKであるそうです。連絡まで。お知らせ、まで。
2023.01.16
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金山の、34おもりさんに来ました。 32.96374, 130.47793(23)おもりさん 川登字森ノ下(付図2-34) 川登の森川茂氏方裏山は洪積層の軟弱なローム層よりなり、硯川の浸蝕のため常に崖の崩壊に悩まされている。 崖上に高さ130cm、根部の幅10~20cmほどの板碑状の自然石や、塊状の大石5個、小団塊数個が、樹木下にあり、嘗かつて刀3本、折れた剣が出土したと伝承され、或る時期に元正寺の庭石に搬出されたところ、光を発し「光り石」とおそれられ、再び現在地に移し、野原八幡宮の神官小山信胤に祈祷してもらったという。
2023.01.16
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荒尾史学会 月例講演 荒尾史学会の講演を下記のように行いますので、ご参加ください。 演題:荒尾の歴史内容:旧石跡時代から昭和までの歴史 期日および時間:令和5年1月17日(火)、18:30~20:00場所:荒尾中央公民館 視聴覚室講師:諸隈 征碩(荒尾史学会 会長) 資料代・部屋使用代:会員(\100) 非会員(\500) 連絡:諸隈 TEL 090-2905-6837(申し込み不要) E-mail qqna2hr9k@estate.ocn.ne.jp https://plaza.rakuten.co.jp/araosigakkai/
2023.01.15
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名古屋市緑区桶狭間北の桶狭間古戦場公園(伝説地) 35.060038, 136.980843NHK大河で桶狭間の戦いがあったので、、古い写真を思い出してUPします。2010年に、たまたま通りかかって、予備調査無しで立ち寄ったので・・・桶狭間古戦場公園が別にあるようです。ビルに囲まれた小さな公園です。豊明市観光協会HPで調べてみました。「桶狭間の戦い」の古戦場伝説地。今川義元の本陣の場所は諸説ありますが、ここは唯一、国指定史跡となっています。敷地内に点在する「七石表」は、義元をはじめとする今川軍7人の戦死場所を示すといわれ、義元がこの地で織田軍に討ち取られたことを伝えています。ほかにも今川義元の墓など桶狭間の戦いにまつわる石碑が多数見られます。
2023.01.14
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長洲町永塩の地蔵を見つけました。 32.9371417,130.47135 道角にひっそりとあります。 事故でもあったのでしょうか?
2023.01.13
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先日、小野八幡をご紹介しましたが、その隣に小野和泉守屋敷跡があったそうです。小野和泉守が気になって、調べたら、以下の様な情報がありました、ので紹介します。https://kakuyomu.jp/works/1177354054896264638/episodes/1177354054896412106https://kakuyomu.jp/works/1177354054896264638/episodes/1177354054896417371https://kakuyomu.jp/works/1177354054896264638/episodes/1177354054896420593https://kakuyomu.jp/works/1177354054896264638/episodes/1177354054896421205御覧ください。
2023.01.12
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十津川村でガソリン入れたら、温泉無料券を貰えました。34.037432923264355, 135.78377495768706早速、滝の湯さんへ・・湯さましに、十津川の流れを・・・大きいので湖だと思ってしまいました。道沿いに滝もありました。
2023.01.10
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谷瀬の吊り橋に来ました。34.10066498260384, 135.76304089964435スリル満天!空中散歩「谷瀬つり橋」(:十津川村観光協会より)日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル。そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景!最高のロケーション。歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋はスリル満点!まるで空中を散歩している気分。十津川村NO.1の観光スポットです。今では十津川村を代表する観光名所になった「谷瀬つり橋」はもともとは生活用のためのつり橋としてかけられたんじゃよ。今から約60年も前の昭和29年(1954年)戦後の復興期のことじゃ。谷瀬の人々らは川に丸木橋を架けて行き来しておったんじゃが、洪水のたびに流されとった。そこで谷瀬集落の人々は1戸当たり20~30万円という、大金をだしあい当時としては思い切った800万円もの大つり橋を村の協力を得て完成させたんじゃのら。当時の教員の初任給が7800円で米10キロが765円の時代じゃよ。今のように物が豊かでなかった時代じゃが、谷瀬の吊り橋私財を投じた先人はお互いを助け合いとても心は豊かじゃった。今ではみなに無料で渡ってもろうとるこのつり橋、先人の「まごごろ」がどれほどであったかみなの衆忘れんでおくれよ。めはりばあさんこのつり橋を渡ったカップルはアツアツ仲良しになれるんじゃあよ。ほうら、いつのまにかお互いの手、強く握りあっとるじゃろう。うふふのふ。
2023.01.08
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小野八幡宮に来ました。32.9550389,130.4500389正月飾りがされ、きれいに清掃されていました。Gマップでは、水野八幡宮となっていますが、元々遺跡ウォーカーで調べた時には、小野八幡宮と、となりに小野和泉守屋敷跡として照会されていました。(今は遺跡ウォーカーは閉鎖された様です)現在の地名が水野ですので、そう呼ばれてもいるようですが、もともとは小野八幡宮だと思います。その敷地内に並立して、夜泣き地蔵がありました。小野夜泣き地蔵尊 (この説明文でも小野となっています) 地蔵菩薩は釈尊入滅後弥勒善版 がこの世に現われるまでの間、人を救済 し幸せをもたらします。殊に小野の 地蔵菩薩は別名夜泣き地蔵と云われ子供の夜泣きに霊験灼で参詣者も 多く勿論私共小野区の門信徒も多大 の御加護を戴いております。昔泥棒 が地蔵菩薩の御本尊を盗みました。 然し乍らその帰路桜山の坂道にさしか かったところで突然激しい腹痛をおこ し動けなくなり捕われの身となったそ うです。その後御本尊の盗難を防ぐ 為門信徒は小野区を五つの座組に分け 廻り番で御本尊を厳重にお守りして おります。そして毎年九月二十四日の秋 の大祭は地蔵尊に対する感謝の気持 を表す為門信徒により盛大に奉修 されます。地蔵菩薩の御堂は長年 (前回の改築 文化六年の正月吉日今から 百七拾五年前)の風雪により 傷み方もひどく此の度檀家の御芳志により御堂を全面的に改築したものです。 昭和六拾年七月吉日 小野区門信徒一同その横に!何と!五輪塔があるじゃぁありませんか!!きっとこれが、小野有角五輪塔でしょう。32.954975,130.4502222由来等は判りませんが、「荒尾の石造物」には清里区の7番で載っています。紀年銘は1621年2月12日との事です。そして、このお宮のとなりが、小野和泉守屋敷跡と、遺跡ウォーカーで言ってるじゃぁないですか!?今は、屋敷跡の標識も無い様でした。「小野和泉守」が気になり、調べてみました。小野和泉守 (Wikipedia) 小野 鎮幸(おの しげゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。立花氏、加藤氏の家臣。日本槍柱七本・立花四天王の一人に数えられる。また和泉守であることから小野 和泉(おの いずみ)とも呼ばれる。旗印は日の丸[4]。家紋は杏葉紋、井裄菊御紋[5]・・・・・中略・・・立花家が改易されて宗茂の身が加藤清正預かりになると、家臣達の多くは立花家臣団の勇猛を知る清正に召抱えられ、鎮幸はそのまとめ役として肥後国に残った。宗茂は僅かな家臣と共に各地を放浪する旅に出たが、鎮幸は少しずつ金を貯めて度々宗茂に送っている[100]。慶長14年(1609年)6月23日、肥後にて死去。享年64。後に、立花宗茂が柳川城主に返り咲くと、鎮幸の子孫は呼び戻され代々大組組頭兼家老を世襲した。・・・・との事。(考察:地名は水野だが、古くは小野区と称されている。小野氏の屋敷だった為ではないか?小野氏は、立花宗茂に家老として仕え、関ケ原後、宗茂が高瀬に加藤家の客分として来た時、共にし、後、加藤家家臣となった。その時、この荒尾の地を与えられたと想像出来る。宗茂は高瀬、ぎん千代は長洲、小野は荒尾である。僅かな期間の荒尾であったが、八幡宮を建て、地元は小野を称して大事に受け継がれてきたようだ。 和泉守の没年は1609年との事なので、五輪塔は、子孫が立花家に呼び戻されてから小野家により建てられたと推察する。 さらに、子孫は大牟田石炭の小野家であり、さらにジョンレノンの小野ヨーコに繋がっている、と思う。)本推察に詳しい方は、ご意見をお知らせ下さい。
2023.01.06
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熊野本宮大社に来ました。33.84068421503564, 135.77335161800127当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。平成23年9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。
2023.01.05
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出川哲朗の「充電させて貰えませんか?」で、島原から出発し、有明フェリーで長洲に着き、荒尾を通って久留米の水天宮に至るという放送がありました。荒尾のルート荒尾警察署から桜山、文化センター、下井手、万田坑、208号、柳川川下り、、と進みました。
2023.01.03
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ハイセイコー・墓に来ました。42.43298612210018, 142.41846520280367生産牧場は、銀座通りの入り口近くの武田牧場で、種牡馬となって明和牧場で過ごしました。ダービー馬:カツラノハイセイコーを出した。
2023.01.03
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