全19件 (19件中 1-19件目)
1

薩軍兵士の墓に来ました。32.9373778,130.5965583この日は、この看板だけで、墓がどこにあるのか分かりませんでした。玉名市のHPで以下の記述を見つけました。梅林では薩摩軍兵士を供養2月26日の小田村での戦い後、敗走した薩摩軍加治木隊の兵士19人が梅林で集団自決し、下村の嶋津太郎作が供養したとの記録が嶋津家の菩提寺である秋丸の常安寺に残っています。その後、遺骨は遺族によって国元に持ち帰られました。この縁で、平成29年10月に鹿児島県姶良市加治木町から住人24人が常安寺を訪れて参拝しました。そこで、加治木町の情報から、https://blog.goo.ne.jp/seno777s/e/cf40bbf135fe43cfe0c4816f27b2ff97これを見ると、林の中にお墓があるようですが、場所は正確には分かりませんでした。
2022.01.31
コメント(0)

薩軍三勇士の墓に来ました。32.8964944,130.62525細い人道を登るとありました。周辺は、土地の方の墓所のようです。薩軍三勇士の墓: ここには、藤坂吉左衛門宗隆、伊集院義兼、山倉文左衛門吉種の三勇士が葬られています。 藤坂、伊集院の両士の命日は明治10年3月10日。この日、薩軍は木葉の政府軍を襲う目的で三個小隊を木留の本営より出動させ玉東町西安寺の辺りで政府軍と戦っています。この戦いで薩軍萩原隊に10余名の死傷があり、藤坂、伊集院と山倉の三士は萩原隊士であったとかんがえられています。山倉は3月10日戦傷し、近所の山野家に匿われますが、5月20日落命。藤坂、伊集院両士の墓地に追葬されました。現在の墓碑は昭和63年に新しく建てられたもので、三士の位牌は山野家で今も祀られています。
2022.01.29
コメント(0)

諏訪神社の本殿右にあるのは「八劔神社」。八劔神社です。御祭神は素戔鳴尊。建御名方神にゆかりがありますね。最後に諏訪神社にご挨拶をして終わりました。
2022.01.27
コメント(0)

高橋稲荷に来ました。諏訪神社内です。神社本殿横に在ります。
2022.01.25
コメント(0)

諏訪神社に来ました。33.020046, 130.430893地名が諏訪町なので、この神社が守り神という事でしょう。今も三池港が近くにあります。 当社は、後醍醐天皇の延元2年皇紀1395年に創祀され、その由来は次の通りです。 その年の夏、長雨降りつづいて止まず洪水がでて里人は苦しんでいました。その時近くの米生川に日夜怪しい光が現れて人々は奇異に思っていましたが、ある夜、諏訪大明神が、猿渡弥三郎菅原正明という人の夢枕に立たれ「自分は今迄長田の郷にいたが心安らかでなかった。今この地を見るに東は山、西は海広く、早米の浦、大牟田の津、葛浦ヶ池など近くにあって清浄の地である。この地に鎮座したいので汝はそのようにせよ。」と云い終って消えられました。 正明は翌朝、不思議に思い川の中の光に近づいてみると、平らな岩に一対のご神体が鎮座されています。正明は正にお告げの通りである。 自分の敷地内に急ぎ社をつくってお祀り申し上げたところ、忽ち天候は回復し、それ以来この里には大きな風水害もなく、平穏な里になりました。里人はその御神徳を讃え里の名を諏訪の里、諏訪川と改めて崇拝して来ています。なおご神体を搬して来た岩は「流れ岩」と呼ばれて当社境内に保存されてあります。 建御名方神と申し上げるのは、海に河川が流入して出来る水潟の勇武な神との讃称で、当社に隣接してお祀りする八劔神社の素戔鳴尊の御孫神として勇武の気性をつがれているものと崇察され、病弱な方とか、子ども強くなるようにとか祈願される人が絶えません。古来より諏訪神社は風水を鎮める神として船泊・漁撈関係、特に海苔の守護神として崇められて来ています。 そもそも神は人が敬うことでその滅を増し人は神のお加護によって願が叶うものです。当社にお加護を願う方々の参考に当社の縁起をしたため掲示いたします。
2022.01.23
コメント(0)
荒尾史学会の総会を、以下の日程で予定しています。期日 令和4年2月17日(木)場所 荒尾中央公民館 2F-B室時間 18:30~20:00会員全員、非会員の方もよければ、参加下さい。
2022.01.21
コメント(0)

2月度 講演会予定です。
2022.01.20
コメント(0)

今年の予定、一部改定されました。これが正です。
2022.01.19
コメント(0)
1月度講演会 実施されました。 目次1.黒船の有明海来航2.薩摩軍の三池侵攻3.景行天皇の来熊1.黒船の有明海来航 文久元(1861)年7月に柳川領黒崎沖(現大牟田市)に、突然一隻の黒船が現れた。奥有明の沿岸住民たちは、この黒船がどこの国の蒸気船なのか、何の目的で出現したのかわからず、不安であった。 この黒船はイギリスの蒸気船であった。乗船していたイギリス人は、中島(柳川市大和町)か新地(大川市)か沖端(柳川市)に上陸し、柳川城下の視察、瀬高の清水寺の参詣をしたいと柳川藩に願い出た。藩は城下視察は拒否したが、キリスト教を信仰するイギリス人が、日本の仏寺である瀬高の清水寺を参詣したかったのは、この清水寺が清水山の山頂付近にあるためであった。ここからは、瀬高町・柳川市・高田町、そして有明海沿岸の地形がひと目で見渡せる。つまり、イギリスの黒船は、有明海沿岸の地形と海の深さを測量するためにやってきたのであった。 以下略
2022.01.18
コメント(0)
三池港の絶景が1月に見れます。 三池港から見える絶景「光の航路」お出かけにどうぞ。展望台からの写真では、高電線が入るので、写真家は電線無しに後で加工しているのだそうです。挑戦してみませんか。
2022.01.15
コメント(0)
22年度の講演会が開始されます。ご参加、お待ちしています。年会費の受付をします。3千円です。1,2月の内に納入下さい。新規会員も募集しています。荒尾史学会 月例講演 荒尾史学会の講演を下記のように行いますので、ご参加ください。 演題:大牟田・荒尾・玉名地区の歴史的トピックスについて内容:黒船の有明海来航・景行天皇来熊・西南戦争後の薩摩軍三池侵攻など 期日および時間:令和4年1月18日(火)、18:30~20:00場所:荒尾中央公民館 視聴覚室講師:諸隈 征碩(荒尾史学会 会長) 資料代・部屋使用代:会員(\100) 非会員(\500) 連絡:諸隈 TEL 090-2905-6837(申し込み不要) E-mail qqna2hr9k@estate.ocn.ne.jp https://plaza.rakuten.co.jp/araosigakkai/
2022.01.15
コメント(0)

競馬場跡地に、道の駅・公園を新設する工事が進んでます。ここ、南側の道路も出来、奥にはなにやら大きな建物が出来ています。その先の堤防から、有明海です。
2022.01.13
コメント(0)

下荒尾菅原神社の続きです。大切に守られていました。
2022.01.13
コメント(0)

下荒尾菅原神社に来ました。32.9793333,130.4361611住宅地の中にひっそりとあります。自転車でウロウロしていて見かけました。由緒など不明です。ご存知の方はお知らせ下さい。
2022.01.12
コメント(0)

行きがけにあった看板から少し進んでゆくと、ありました。荒尾神宮 32.983836, 130.497630丘の上に建てられています。まだ新しそうです。説明板は有りませんでした。
2022.01.09
コメント(0)

241H 陣屋敷天神堂 :32.99358, 130.50011地図をたよりに探していたら、新しいお宅の裏に見えました。アレだ!しかし、道が分かりません??なぁんだ、240N 十蓮(輪)寺跡・地蔵堂 の川の対岸になるんだ。しかし、道はわからず・・、とうとう個人宅の中をゆくと、フェンスが一部空けてありました。かなり放置されているみたいでした。 ① 陣屋敷天神堂 平山字陣屋敷(付図2-241) 陣屋敷から小路に抜ける小径の南側の小高い丘陵上にある、1間四方の堂。平山天満宮勧請の時のお仮屋跡と伝えられ、小路の人々の管理をうける。
2022.01.07
コメント(0)

242Hx 城観音堂に来ました。:32.9924, 130.49905こちらは、荒尾市の文化財の地図にはあるが、本文の説明が無い。
2022.01.05
コメント(0)

菅原神社を探しましたが、見当たりません・・・??マップのピンではこのあたりなのですが・・??そのピンは、「荒尾市の文化財」では無く、Gマップに付いてるピンです。Gマップを御覧ください。中央の池にピンがたっています。平山に来たので、Gマップの位置にも寄ろうかと思ったわけです。しかし、周辺はこんな感じで、神社は見当たりません。後で思うに・・、平山菅原神社のつもりのピンだと思われます。数百メートルずれています。この様でしたので、あきらめました。正月早々の記事が、こんな情報になってしまいました・・・まぁ、これも、史跡探しの1つのパターンですので、こんな場合も、楽しみましょう!
2022.01.03
コメント(0)

2022.01.01
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1


