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何かを判断するときは、過去の経験の結果を判断基準にすることが多いようだ。しかし、過去の経験が絶対に正しいかというと、なかなかそうでもないんだよね、、これが正しい、と思い込んでいる場合だってある。他にも考え方、やりかたがいくらでもあるにも関わらず自分の経験したことが絶対無二のものという思い込み、、、これがけっこうやっかいだ。そしてこの思い込みが考え方のクセ、そして身体のクセへと通じる、自分がどのようなクセを持っているのかを判断するのはとっても難しい。これまでの自分の経験の記憶をを否定したくないという自己防衛の思いがあるんだろうね、、、周囲の人のアドバイス、忠告もなかなか聞き入れない。自分にとって不快な言葉は聞こえにくくなるみたいだ。そしてあの人は頑固だ、ということになってしまう、、、、思い込みの例として、例えば自分は記憶力が弱いと思っている場合、過去において何かを記憶できずに恥ずかしい思いをしたというような数十年前の一こまをしっかりと記憶していている、という笑い話のようなケースもある。このやっかいな思い込みを軽減する方法として、潜在意識や過去の記憶の書き換えがあるんだろうね、、、シルバメソッドやMT法、アファメーション等々、、、、これらの方法は静的(メンタル)なものと捉えられるかもしれない。一方動的(身体的)な方法として考えられるのは古典的な型をもつ芸能や武術のお稽古等々、、、身体的な型をやってみて自分の身体のクセ、考え方のクセを浮き彫りにして認識するという方法だ。武術等のお稽古を実際にやってみると思いがけないクセに気づかされることがよくある。クセがついてしまう以前の自分を求めるという意味では、座禅、瞑想、気功、太極拳、ヨガ、呼吸法なども同じようなところがあるんだろうね、、、クセや思い込みを取り去って本来の自己に目覚めよう、ということなのかな、、、剣禅一如、茶禅一味という言葉があったり、古神道と古武術の結びつきや、出口王仁三郎と植芝盛平の関係もこのあたりと結びつきそうだね、、、過去の記憶で自分を小さく限定せず、自分の無限の可能性を信じてあげたいね!
2005/09/30
「型にはまった」という言葉は、面白味に欠けるきまりきまった、、、というあまりよくない意味で使われる。一方、「自分の型を持っている」という言葉は良いイメージで捉えられることが多いようだ。「型」は武道や歌舞伎、能といった古典的な日本の文化、芸能の中で重要な意味を持っているようだ。武道の世界では、型稽古が良いのか、実戦稽古が良いのかは意見が別れるところらしい。どちらが良いのかは解らないが、型は大切なものだろうな、と思う。大量生産のための鋳型のような型ではなく、数百年の歴史の中で形作られ練られてきた型は重みのある意味を持つと思われる。躾(しつけ)という言葉はこのことを表していると思う。型にはまらず自分の型を持つ、ができるといいんだろうな、、、、自分の個性を磨くために「型」を知り、身にしみ込ませる、だナ、、、、
2005/09/29
暑い、暑いと思っていたのにいつのまにか秋を感じさせる風、、、牡蠣も出始めた。 紅葉もはじまる、、、この季節の移り変わりってほんとにスゴイね!!瞬間瞬間はなんの変化も感じないのにいつのまにか冬は春になり、夏から秋へとうつろう、、、この大自然のいとなみの中で生かされている私たちは決して万物の霊長ではなく、自然の一部なんじゃないかな、、、、
2005/09/28
暑い、暑いと思っていたのにいつのまにか秋を感じさせる風、、、牡蠣も出始めた。 紅葉もはじまる、、、この季節の移り変わりってほんとにスゴイね!!瞬間瞬間はなんの変化も感じないのにいつのまにか冬は春になり、夏から秋へとうつろう、、、この大自然のいとなみの中で生かされている私たちは決して万物の霊長ではなく、自然の一部なんじゃないかな、、、、
2005/09/28
「自分を大切にする」という言葉はよく聞くけど、これってどんなことなんだろうね、、、もちろん好き放題にやらせて甘やかすということではないよね。それ以前に大切にする自分と大切にされる自分、という二面があるよね。こうなると、自分ってなに? 自分って誰? 的な堂々巡りになって収拾がつかなくなってしまう。ここである方に素晴らしいアドバイスを頂いた。「自分が本当に大切に思っている方」に何か贈り物をしようとする時、あなたはどうしますか?とことん考えますよね、その相手のことを、、、何を贈ったら喜んでもらえるか、、そもそも自分から贈り物をされて嬉しいだろうか、、相手が本当に喜ぶことってなんだろう、、、eycこのケースと同じように自分が本当に心の底から望んでいることは何なのか、どうすれば心の底から満足するのか、この問いを本気でやってみてはどうでしょう?自分が心底望んでいること、本気でやりたいこと、これに対して真っ正面から向き合う、ということができれば「自分を大切にしている」ってことに繋がる、、
2005/09/26
継続は力、とはよく聞く言葉。問題は何を継続するのか、、、、一旦習慣になってしまうとなかなか抜けないものだ。中途半端な日々を継続していると中途半端が自分の力になってしまう。何かを習得するためにはある程度の期間、徹底しなくてはならないよね。タラタラと何年やっても何も習得できないよ!
2005/09/24
愛地球博が大成功のうちに終わろうとしている。開幕当時はいまいちの人気だという報道であったが、最終的には大成功となった、、、この理由には大変興味を持っていた。テレビ番組で「愛地球博 成功の理由」というスポットがあったので見ていたら、以下の点を上げていた。弁当持ち込み許可、 雨よけ・日よけの増設、マンモス見学の新ルート増設など、開園後、不評の点を日々改善した・・・・なるほど、、 お客さんに喜んでもらえることを日々改善したんだ、、、ごくごく当たり前のことだけど、これを確実にやるのって結構たいへんだよね、、、このテレビ放送の内容が正しいのか否かはわからないが、「お客さんに喜んでもらえるように問題点を日々改善する」というのは商売の基本だよな~正法に不思議なしってことなんだろうね、、、
2005/09/23
「地球環境を救う聖なる言葉」 あうんより、、地球は一つの国にすぎず、人類はその市民です。・・・バハイ教 コミュニティ環境保護と地球資源の保全は複雑な難問です・・・消費優先と行き過ぎた個人主義は、すでに度を超しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仲間意識、身内意識というものは確かにあるよね。この意識が相手との(物理的、心理的)距離感を作ったりする。自分を守ろうという自己防衛本能なのかなぁ、、、お互いにズケズケと相手の中に入り込むのは感心しないけど、そしらぬ顔ですれ違うのではなく会釈を交わすくらいのことはあっていいよね、、、「袖すり合うも他生の縁 」という言葉もあったね、、、、
2005/09/22
習い事をする時、先生の指示通りになかなかできない。身体のクセ、考え方のクセがじゃまをしてしまう。伝統的な文化は、師匠の言う通りに行えば初心者でもできるように技が洗練されているそうだ。考え方、受け止め方を素直に、、、、、身体を素直に、、、、こんな簡単そうなことがなかなかできない、、、何故か自分のフィルターを通してしまう、、、、
2005/09/20
65歳以上の方が人工の20パーセントになろうとしているらしい。65年以上前に生まれた方が5人に1人いらっしゃるということだよね。65年前というとまさに第二次世界大戦勃発の頃だ。ものすごい時代を生き抜いてこられた方々が今の私たちの生活の礎を築いてくださったんだろうと思う。感謝を込めて、 ありがとうございます!
2005/09/19
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より道徳教の一節道は一を生じ一は二を生じ二は三を生じ三は万物を生ず万物は陰を負うて陽を抱き沖風は以て和することを為すここで一は宇宙を意味し、宇宙は二つの根元的な力である「陰」と「陽」を生む。陰と陽は永遠の対立の関係にありますが、それぞれが相手の種を宿しています。秋と冬の「陰」は、かならず春と夏の「陽」に道を譲り、次には秋と冬に転じる、、、、というふうに続いていきます。「陰」と「陽」の対立と転換のうちに、天と地がうまれ、「気」が生まれ、すべての生物が生まれる。 万物は・・・人間を含め「気」という活気ある生命の力によって動かされている・・・・・・
2005/09/18
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より引用偉大な宗教は難問解決の知恵を持っている。逆にいうと、新しい状況・・・環境破壊や地球温暖化などで知恵を出せない宗教や文化は、行き延びられない。・・・・・・・・生き延びる、ということは新しい状況に対応できるってことなんだね、、自分をとりまく環境は自分の意志とは関係なく変わることがある。そんな時に新しい環境に対応でかったら大変だよね。柔軟でたおやかな考え方、感性っていいよね!相撲でも本当に強い横綱は、相手に充分に取らせてもその力を呑み込むだけのふところの深さがあるんだそうな。環境の変化に対して「我関せず」と知らん顔するのではではなく、対応、順応していけるといいだろうね!恐竜が滅亡したのも環境の変化についていけなかったという説があるそうだが、これは大きい、力が強い、ということが絶対的な強さではないことを示唆していそうだね、、、
2005/09/16
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より引用インドネシアで、数百万匹のウンカが異常発生し、政府は強力な農薬で退治しようとしたが、効果は上がらなかった。そこでヒンドゥー教の僧侶が提案したのは、「殺生はしてはならない」農薬を使わず昆虫やクモが増えてウンカを退治してくれた、、、・・・・・・・・・自然な生態系ってあるんだよね。色んな生物が自然に育っている環境ってスゴイよね。大自然の織りなす命のサイクル、、、、、、、豊かさとは、多種類のことです・・・道教のエコロジー声名(第十章)
2005/09/15
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より引用唯一絶対の同一性を信じることは西洋の思考モデルになりました。真理は一つ、現実は一つという思想信条は、やすやすと「自分たちが正しくて、あなた方がまちがっている」という結論に達します。他者に攻撃的な、非寛容の価値体系がうまれるのです、、、・・・・・・・・・・うーん西洋的なものより東洋的なものの方がなんとなく好きだったんだけど論理的に分析すると西洋の考え方ってこんな風になるんだね、、もちろん違った観点もあるだろうけど今の時点ではすごく納得!自分は正しい、だから相手も同じ考え方になるべきだ、と言い出すと収拾がつかなくなるよね、、、宗教戦争も同じような理屈かもしれないね、、、隣人愛を説く者通しが殺し合うなんてどう考えても納得いかないよね、、唯一絶対のものを求めるより、多様性を認めることの方がずっと楽そうだし、自然の摂理に叶っていそうだね!
2005/09/14
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より引用自分は、ほかの人とちがって「本物の世界」「世の中の本当のこと」を知っている・・・人はそう考えたがります。しかし、私たちが見ている「世界」とは思い込みによって、組み立てられています。・・・・・・「テロリズムに立ち向かう正しい方法」は唯一に決まっているではないか!かれらの要求を拒否し、最後まで屈せず。無慈悲に戦うことだ。しかし、欧米人が何の疑いももっていないこうした考え方は、欧米以外の土地では、あまり役に立たない幼稚な考え方だと思われています。・・・・・・・・思い込み、信念、常識、観念、思想体系、信条、価値観、イデオロギー、ややもすると独善的、非寛容になりがちなんだよね、、、他を踏みにじってもいいなんてことはないよね、、絶対的な世界観が必要なのではなく、多元性、多様性を受け入れることが大切なんだろうね、、、「みんなちがってみんないい」だね!
2005/09/13
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より引用「他の人も私とおなじように世界をみるべきだ」と主張していたら、味方の人まで離れていくでしょう、、、、信じているものが違えば同じ対象物も違った意味を持つ。「世界を良くしたい」「地球環境を守りたい」という思いを持つ方はたくさんいらっしゃるでしょうけど、「どんな世界」に「どうやって変えるか」という問題は簡単ではないだろうね、、、信条、歴史、文化等の違う者通しが真に理解できるようになるためにはどうしたらいいんだろうね、、、、、
2005/09/12
「地球環境を救う聖なる言葉」あ・うん より引用タンザニアの漁民が行ったダイナマイト漁を「教育、立法、警告、処罰」によってやめさせようとしてもほとんど効果がなかった。島の長老たちはダイナマイト漁がイスラムの教えに反するという結論を得て漁民に示した。ああ、アダムの子どもたちよ! 食べ、そして飲みなさい。しかし度を超してはなりません。浪費に神の愛はないのです。(コーラン スーラ7・31)たくさんあるというだけで、それを無駄にしたり必要以上に取る権利が神から与えられているわけではありません。(モハメッド言行録より) そして漁民はダイナマイト漁をやめた。自分の生活に浪費がないか、無駄はないか、振り返ってみると、、、ゴミってけっこう毎日出てるよね、、、食べ残し、飲み残しもあるね、、、料金を払っているからって電気や水道をいくらでも使ってもいいというわけではないよね、、、「もったいない」という言葉が国際語になろうとしているらしいが、推奨者はケニアの環境副大臣でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんという方だ。「もったいない運動」も各地で共感を得ているようだ、、自分にできることから始めてみよう!
2005/09/11
宗教と自然保護連合の活動を記録したという「地球環境を救う聖なる言葉」という本がある。地球の環境汚染を法律や条令で規制するのははなく、人の心と生き方の発露である宗教ろいう立場から環境保護運動を推進しようというものだ。キリスト教、仏教、イスラム教はもちろん世界の様々な宗教家達がそれぞれの立場から様々な見解を提示している。ペマギャルポ氏の読みやすい日本語へんぽ翻訳と編集、装丁もとても読みやすくなっておりとても好感が持てる本だ。しばらくはこの本から引用してお届けしてみますね!
2005/09/10
宗教と自然保護連合の活動を記録したという「地球環境を救う聖なる言葉」という本がある。地球の環境汚染を法律や条令で規制するのははなく、人の心と生き方の発露である宗教ろいう立場から環境保護運動を推進しようというものだ。キリスト教、仏教、イスラム教はもちろん世界の様々な宗教家達がそれぞれの立場から様々な見解を提示している。ペマギャルポ氏の読みやすい日本語へんぽ翻訳と編集、装丁もとても読みやすくなっておりとても好感が持てる本だ。しばらくはこの本から引用してお届けしてみますね!
2005/09/10
学ぶはまねぶ、真似をすること、、、こんな言葉は知っていてもいざやろうとすると真似ができない。自分の身体のクセ、考え方のクセが、真似をする対象をそのままに見せてくれない。自分というフィルターがどうしてもかかってしまう。やろうとしても自分なりのやり方になってしまう。素直に見る、聞く、真似をする、、、これができた上で自分の個性を活かすのと、最初っから自分独自のやり方しかできないのとでは全く意味がちがうよね。師匠について学ぶ。型を学ぶ。古典的芸能、武術はこうやって数百年もの間語り継がれている。型にはめてみることによって自分のクセを浮き彫りにする・・・考えようによってはツライことかも知れないけど伝統的な美しさを求めるなら必要なことだろうね、、、身が美しいと書いて躾となるのは興味深いところだね、、、
2005/09/09
歴史的な文化財であろうが、名勝であろうが、住居であろうが、ドブ川であろうがおかまいなく一様に呑み込んでしまう台風の猛威・・・・台風が去ったあとは何事もなかったかのように晴れ渡る青空、、、、台風や地震は私たちに何を伝えようとしているのだろうね?大自然の中で生かして頂いているということを忘れちゃいけないよね、、環境にやさしい、という言葉ってなんか変じゃないかな、、、温度、重力、空気、太陽など奇跡的な宇宙レベルのバランスによって生命を育んでいる偉大な力に対して畏敬の念を持たざるを得ないよね、、、、
2005/09/08
一年分の雨量が数日で降るなんてものすごいですね、、、普段の仕事の一年分を数日でやろうと思ったら、よほど優秀な人材とバージョンアップしたパソコンが必要になるだろうね、、、仕事の内容によっては到底不可能なものもあるだろうね、、、いとも簡単に(かどうかは解らないけど、、)こんなことをやってしまう自然の力ってものすごいね、、もしかしたら地上のものを全て洗い流して新しい生命体を創り出すなんてこともやろうと思えばいとも簡単にやれるんじゃないかな、、、コワイ話だけど・・・・・大自然の前にあって人間はもっと謙虚であれ、といった話は良く聞くけど、平穏無事な時にはなかなかそんな殊勝なことは考えないよね、、だから時々「このままではいけないんだ」ということを教えてくれているのかもしれないね、、、大自然からのメッセージ、声なき声に心の耳を澄ませてみよう、、、、自分の普段の生活を振り返ってみよう、、、、バベルの塔が崩れる前に、、、、、
2005/09/07
14号、大きいですね、、、昨晩は我が家も停電アメリカのハリケーンもすごかったし、何か考えさせられますね、、、一部の報道によると大雨の要因に地球温暖化があるとか、、、、これは大自然からのメッセージだろうね、、もちろん郵政の民営化、年金、税金等の問題も大切なことだろうけど、大自然からのメッセージに対して耳を傾けることも大切なことじゃないかなァ、、、、
2005/09/05
生命を維持する能力は先天的に授かっているようだ。呼吸、血液の循環、消化吸収等々、、、、頭で考えてできることではないし、ほとんどがコントロール不能・・・・後天的に学習して長期間忘れないことに、自転車、水泳があるようだが、これって不思議だよね、、、泳げないと生命に関わるってことはありそうだけど、自転車は乗れなくても生命には別状ないよね、、ということはこの記憶は生命保全のためではないのかな?一度覚えたらなかなか忘れない記憶って魅力的なんだけどな、、、、
2005/09/04
学ぶはまねぶ、つまりマネをしながら覚えていくという言葉だね。このこの考え方を、「独創的な発想 にかけ、マニュアルにしたがってしまうという傾向にある」という捉え方もあるようだ。伝統的な文化は一子相伝、口伝、といった方法で継承されていることが多いようだ。武術、茶道、能、舞踊、儀式、、、、、マニュアルや教本に従うのではなく、身体が覚え込んだ技、心をそのままに伝える、、、小さい時から身体に叩き込む、マネをさせるというやりかたで数百年もの間、同じ技、心を伝える、、、、マスコミには出てこない、ほとんどの人には知られないけれども綿々と継がれている文化がある。これは世界の各地にあるんだろうな、、、伝統的文化の伝承、、、、マネをしてマネをして徹底的に身体に覚え込ませる。型にはまるというとマイナスイメージが強そうだがそんなことはない。まず徹底的にマネををして型をしっかりと身体に叩き込む。それができた上で自分なりの個性、オリジナリティを見出していく。初めから個性、オリジナリティを打ち出せる人もいるんだろうけど、それは数百年、数千年に一人、二人の天才だろうね、、そんな確立の低い可能性に期待するより、まずマネをして学んでみよう!なにも先人に学ぶだけにこだわることもないだろう。「我以外皆師なり」は吉川英治氏が好まれた言葉らしい、、、周囲の友人からも、子供からも学びとることはいくらでもありそうだ、、、
2005/09/03
大人になってから子供の時のような無垢な素直さを求めるのはちょっと無理があるようだね。子供のようになろうとしてもなれるもんでもないよね、、、、芸術、武術の鍛錬を通じて、あるいは座禅、瞑想などを通して、自分の肉体と心、魂と大自然との交流を試みる、、、こんなことが必要になるのかな、、、、そしてある境地に達したとき、赤ん坊のような純粋無垢と似たような境地、それも成熟した大人の知性と教養が必要に応じて使いこなせる境地になるのかな、、、、そうすれば自然の摂理の中で調和のとれた状態が保てそうだね、、、へたに子供の素直さを求めるよりはこちらの方がよさそうだね!子供には子供の、青年には青年の、大人には大人の、老人には老人の生き方があっていいんだよね。
2005/09/01
大人になっても素直で有り続けるために、、、、をテーマに考えてみよう。 例えば、、、自然の美しさを感じる旬の食べ物を味わう頭で考えず全身で感じる感じたままを表現してみる 等々、、、
2005/09/01
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