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おひさしぶりです。更新しないまま時が流れ、すっかり秋です。今年も金木犀の季節がやってきました。それで、思い出したのです。昨年秋、思い立ってブログを始めたのは10月1日。今読み返したら10月10日に金木犀のことを書いています。毎日忙しくて、文字通り心を亡くしていて、周りを見ているようで見ず、聞いているようで聞いてなくても、この香りには気づく。生きて呼吸をしている限り・・・そんなことを昨年書いていました。今年もほぼ同時期に金木犀が香るとは、地球の健気さやら宇宙の偉大さを感じます。わけもわからないままに、ブログというものをやってみよう!と始めてみたらいろいろなことがあり、生活が随分と変わりました。ブログのグリーンの背景の文字をあらためてよく見るとThe internet has truly changed the way people live today.読みもせずに雰囲気で選んだのでしたが、ずばり言い当てています。あとから驚きました。確かに、インターネットは生活を変える力を持っています。5年前にパソコン教室にワードとエクセルを習いに行っていた私のような者ですらいつの間にかパソコンと携帯なしでは暮らせなくなっています。今もこれからも自分なりにネットを使うでしょう。でも、ネットが生活を変えるのはいい面ばかりじゃありません。隣にいてくれる人と話すより、ネットの中で過ごす時間が長いのは明らかに不健全です。子どもが話しかけているのに、うわの空の母親なんて最低でしょう。一日が24時間であることは変わらないのだから、ネットに使う時間の分、何かが削れらるわけです。睡眠時間がどんどん短くなり、今までもう少し心を込めていたはずの食事の支度も、単なる手抜き以上に殺伐としたノルマと化していました。大急ぎでやろうとするから「やけど」なんかするのでしょう。「注意力散漫」と子どもの頃よく父に言われていた言葉がよみがえります。このへんで、少し生活をリセットしようと思いました。尊敬するアン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』を読み返してみると、ネットなどなかった50年以上も前に、同じような葛藤が描かれています。「私は夫や子ども達に何かを与えるとともに私も向こうから何かを与えられ、友達や私が住んでいる社会とものを分け合い、それから女、また文筆家、そしてまた市民として人間の世界に対して私が負わされている義務を果たしたい。」「しかし、私は何よりも先に、私自身と調和した状態でいたい。私は今言ったような義務や仕事に私の最善を尽くすために、ものをはっきりと見て、邪念に悩まされず、私の生活の中心に或るしっかりした軸があることを望んでいる。」「子どもを生んで育て、食べさせて教育し、一軒の家を持つということが意味する無数のことに頭を使い、いろいろな人間と付き合って旨く舵を取るという、大概の女ならばすることは、芸術家、思索家、あるいは聖者の生活には適していない。それで問題は、女と職業、女と家庭、女と独立というようなことだけではなくて、もっと根本的に、生活が何かと気を散らさずにはおかない中でどうすれば自分自身であることを失わずにいられるか、車の輪にどれだけの圧力が掛って軸が割れそうになっても、どうすればそれに負けずにいられるか、ということなのである。」50年前に書かれている本に、20年ほど前に自分が傍線を引いたところを抜粋してみました。ちっとも進歩がないようで笑ってしまいますが、かのリンドバーグ大佐の妻で、自分自身も飛行家で、5人の子どもの母で、さらに文筆家だったというスーパーウーマンのアン・モロウ・リンドバーグにして、そういうことに悩んでいたのだということに勇気づけられます。そりゃあもう、お忙しかったことでしょう。問題を解決するための第一歩は、自分の生活を簡素にして、気を散らすことの幾つかを切り捨てることなのだ…家族を離れて一人、無人島での休暇を敢行した彼女はシンプルで美しいほら貝を眺めて、そう書いています。というわけで、私も自分の生活をもっと簡素にしようと思います。リンドバーグ夫人の表現によれば、「本や、乳母車や、日傘や、台所の椅子を頭にのせて綱渡りする」ような、または「眼に見えない糸を使ってあやとりをする」ような日々の生活の現実を踏まえ、それを前提として、身の丈に合った仕事をしていこうと思います。無理をしても続きませんから。ちゃんと眠り、ちゃんと起きなければ、ろくなことを考えないし、ろくなことを言えないし、ろくなことを書けません。そういうわけで、このブログも当分お休みすることにします。既に長らく休んでいましたが、何も挨拶もなく、放置するのもよくないと思いましたので、金木犀の香りに促されて書いておくことにしました。いずれ「またブログでもやろう!」という気持ちになったら、新たな気持ちで始めることもあるでしょう。そのときにはお知らせいたします。このブログはこの一年間の記録として、このまま置いておきますが、スパムコメントがしつこいので、トラックバック&コメントを受け付けないモードに切り替えます。そうすると、過去のコメントも読めなくなってしまうのですが、削除したわけではなく、私の手元に大切に置いてあります。これまでの温かいコメントに心から感謝します。よかったら、時々英字新聞のサイトにアクセスしてみてくださいね。名前のローマ字表記で検索できます。記事がいろいろ出てきます。また、クラシック音楽情報サイトMusic Sceneにも、ひょっとしたら何か掲載されているときもあるかもしれません。そのように、ネットは遠い所にいる人ともつながれるのが魅力ですが、しばらくお会いしていない皆様に、またお目にかかれると嬉しいです。一年間お読みいただきありがとうございました。実り豊かな日々をお祈りいたします。harvestみのり
2008年10月08日
やけどをしてしまった。洒落た比喩ではない。本物の火傷である。たいしたことはないと思うが、右手の甲に2か所、尖った二等辺三角形ができている。大きい方を測ってみたら、長い2辺が3センチずつで頂角15度ぐらい。これは今までに経験した小さなやけどの中では一番大きい。日曜日の夕方、中華鍋で油が熱くなっていた。ゴーヤチャンプルーの豆腐は先に焼いたほうが美味しいからと思ったのは別に間違いではないが、豆腐の水を切り足りなかったのだろう。「あつッ!」と思ったときは遅かった。大粒の油(のような気がした)が手にはねた。しばらく水をかけ続けて冷やすが、やばーい感じに赤くなってくる。ふつうの温水でもヒリヒリしみる。翌日には水ぶくれになり、今日は水ぶくれが破れてまだらになっている。剥けた部分がまたしみる。小さいやけどは何度もやっているので、こういう経過は毎度おなじみ。まあ、わざわざ病院に行くほどでもないだろう。だいいち、病院なんかに行っているヒマはない。病院に行こうが行くまいが、どっちみち跡が残りそうだな。。あーあ。まあ、手に何億も保険をかける手タレじゃあるまいし、しょうがないよ。だいたい、私は子どもの頃からそそっかしいので、あちこち傷だらけである。・5歳頃だったか、ブランコから飛び降りてしゃがみこみ、何も考えずに立ち上がったら、 戻ってきたブランコが、前からおでこを直撃した。その部分いまだに髪がない。・藪の中で、棘だらけの茨のようなもので、脛をこすり、何本もの細い切り傷から あちこち血がじわーっと染み出してきた。傷としては浅いものの見た目が派手で驚いた。・階段で転んで向こう脛を思い切り強く打ち、そこはいまだに青く、少しへこんでいる、そのほか、乳幼児の頃に、煙草を飲み込んだり(記憶なし。親からの伝聞)、甘いシロップ状の飲み薬を1瓶全部飲んでしまったり(これはかすかな記憶あり)で、いずれも胃洗浄。ずいぶん親を心配させたようだ。大人になってからも結構失敗している。・硬めのフランスパンを切ろうとして滑り、よく切れるパン切りナイフで親指を切った。・床のものを取ろうとして、低いタンスの角で額をガツンと切り、数針縫った。この最後のなんて魔がさしたような信じられない出来事で呆然としたが、幸いにも上手な形成外科の腕のおかげで、さほど目立たないようになった。まあ、これぐらいで済んでいるのはまだ幸運というものだろう。骨折など、大きな怪我はしていないが、生傷が絶えないという感じ。かすかな傷跡が残っているのを見ると、何だったかを時々思い出す。ぼーっとしていた。考えごとをしていた。すごくあわてていた。…いや、誰のせいでもない。いけないのは自分です。すみません。ケガをしたのがまだ自分でよかった。人にケガをさせてしまったら、これはまた大変だ。このやけどもきっと跡が残るだろう。その頃どのように過ごしていたかをセットで覚えていることにしよう。戒めにするために。傷跡は、失敗の多い人生の証であり、それなりの回復力も証でもある。
2008年09月02日
このあいだ帰省から戻る機内で読んだ新聞(確か日経だったと思うのだが)に「ホットケーキがちょっとしたブーム」という記事があった。原油高騰の影響?!で食糧も高騰!? 暴動が起こるほどではないから日本はマシだが、しばらくは店頭からバターが消えたり、身近な食が脅かされる感じはある。で、ケーキも値上がりしたり小さくなったりで、つい買い控える中、ホットケーキが見直されているというのだ。私はモノの値段がなかなか覚えられない数字オンチなので、ホットケーキミックスが値上がりしたのかどうか自信がないが、ホットケーキミックスお徳用600gが300円弱というのはそんなに変わった気がしないし、まあ、許せる値段だ。というか、200gの小袋が3つ入っていて1袋で4枚焼けるのだから、1個400円近くするケーキを5人分買うのに較べたら、うんと安い。そして、家庭のフライパンで焼くという「手作り感」も人気の秘密だそうな。偶然なのか、それとも我が家も無意識にブームにはまっていたのか、帰省前の週末、中学生の次男がふと言った。「おかあさん、ホットケーキ食べたいなぁ。一年ぐらい食べてない気がするんだけど」一年って、それはあんた大げさでしょ~~とは思うものの、しばらく作っていなかったのは確かだ。それにしてもホットケーキって、まだまだガキだねー私にとっては、ホットケーキとは「心のゆとり」のバロメーターのようなもので、値段よりもむしろ時間のほうが問題なのだ。もちろん、もっと本格的なケーキを焼くのに較べたらずっと手軽だが、(自分でケーキを焼いていた頃もあったんだなあ。。なつかしい)朝食にホットケーキが登場しうる条件とは、・休日である。・早朝からのサッカーの試合がない。・冷蔵庫に卵も牛乳もある。・面倒がらずに混ぜたり焼いたりする気がわく。これらが意外と満たされていないことが多かった結果、ひょっとしたら「一年ぐらいホットケーキ食べてない」のは本当かも知れない。ともかく、久々にホットケーキを焼いたらえらく好評だった。つましい生活だな。。小学生の三男はすでに大阪の祖父母宅に行っていたので4人分。焼いては食べ、焼いては食べる間に結構待ち時間がある。そうそう、だから時間に余裕のあるときしかできないのよ。ときどき様子を見に来る長男が「なんだ、簡単だな」と言うので、「そうよ、あんたでもできるわよ」と言って交代してもらう。さて、このあいだの土曜日、長男と次男は朝からサッカーの練習だか練習試合だかのため、早起きして出かけたのだが、私は日頃の睡眠不足を解消すべくというか、要は起きられなくて、「気をつけて行ってらっしゃいね」ぐらい言ったような気はするが、悪いけど11時頃まで寝倒していた。まったく最低な母親だ。ごめんね。帰宅した次男が言う。「今日の朝めし、うまかった~」高校生の長男がホットケーキを焼いてくれて、二人で食べたんだと。日頃いばっている兄が弟のためにホットケーキを焼いてやるとは。うるわしい図ではないか。親はなくとも子は育つなー それを聞いた三男が怒る。「ええーっ!ぼくホットケーキ全然食べてないよー!」そう言えば、先週焼いたときは不在。今朝は寝坊。で、逃したというわけだ。「わかったわかった。また買ってくるから」とようやくなだめて、またまたホットケーキミックスを買ってきた。食べ物の恨みはこわいからね。。で、翌日曜日の朝は三男にホットケーキをたくさん食べさせた。さらに、月曜日、私が仕事で出かけていた留守宅で、お昼にまたホットケーキを食べたらしい。長男が、今度は末弟のために焼いてくれたそうな。(次男は試合で不在)というわけで、お徳用600g入りを2回購入して600円弱。このお値段の割には、かなり満足度は高かったようだ。
2008年08月26日
少し前に書いたことだが・・・清水の舞台から飛び降りる気持で大枚はたいて、私はオペラに行ってきた。やはり、清水の舞台から飛び降りる気持で決断すると、何事か起こるもので、このオペラについて、新しくできた音楽サイトMusic Sceneに書くことになり、その数本の原稿のおかげで、パリ国立オペラの「トリスタンとイゾルデ」に行った7月31日から3週間ほどオペラの余韻が続いていたことになる。無論、余韻に浸るというような優雅なものではなくて、「書く」からには、「結局、その高いオペラに行ってどうだったんだ?」ということを自分に問い直すわけで、書くからこそ、自分の思っていることが自分にとっても明らかになるのを実感した。そして、書いたからこそ、後々まで残るので、「言葉にならない感動」とか言ってないで、なんとかして言葉にしておいてよかったと思う。言葉にしきれないものはどこまでも残るにしても。一観客にすぎない自分が感じたことに、自分以外の人がどれほど興味をもつものなのか?日頃、他人が書いた文章について自分が思っていることが、そのまま自分に返ってくる。それでも、オペラ自体についてのレポートは、一観客として開き直って書くことができたが、勝手が違ったのは、今週アップされたパリ国立オペラ総裁ジェラール・モルティエについての記事だった。そもそも、私は音楽業界にもオペラにも全然詳しくないので、「ヨーロッパ・オペラ界の風雲児」と言われても、へーえそうなんだと思うほかなかったそういう人物について自分が何か書くのは、とても大それたことに思えた。しかし、たとえば、自分の親や子どものことを客観的に書くのはきっと難しいだろうし、熱烈なファンだったりシンパだったりする対象だと、思い入れが強くて浮足立ちそう。そういう意味では、初めて知るモルティエ総裁という人に対して、普通の好奇心をもって、講演を聞いたり、インタビュー記事を読んだり、実際のオペラを見たりして、「こういう人だと自分は思う」と言うことはできるだろう。いずれにしても何かについて書く場合、それは必ず自分というフィルターを通して伝えることになるのだから。というわけで、今でも「大それた」感は払拭できないものの、書いてしまった。おかげで、「書かない」場合より、モルティエのことをずっとよく知ることができた。それを読んだ人はどう思うんだろう?・モルティエは好きだけど、この文章は嫌い。・モルティエは嫌いだけど、この文章は好き。・モルティエなんて知らないし、興味もないので、この文章はパス。・モルティエなんて知らなかったけど、この文章を読んで少し興味が湧いた。このほか、長いとか、くどいとか、硬いとか、つまらないとか、さまざまな反応があって当然だろうけど、結局、どんな読み手に対しても「私は、このように考えます。なぜなら、かくかくしかじかだからです」という以外に、書きようがない。それは、いつだって同じだ。と思って、謙虚に開き直るのであった。なんだか言い訳みたいな話を聞いていただき、失礼いたしました。駆け出しまるだしでお恥ずかしいです。少しでもお読みいただけると嬉しく思います。Music Scene 毎週水曜日更新中http://musicscene.jp/
2008年08月21日
お盆の帰省から東京に戻ってくると、妙に涼しく感じる。実際に、関西・四国方面よりは多少気温が低いということもあるし、時期的にそろそろ夏の終りに向かうのか、なんとなく寂しくなる。昨日の朝なんて、突然秋になったのかと思うような空気に驚いた。さすがに、そのまま秋になるわけではなく、今日は残暑の日差しだが。ほかにそんなに重大な事件も天災もないのか(そんなはずはないのだが)、新聞紙面はオリンピックと高校野球がメインである。どっちも早く終わってもらわないと、夏休み中の息子達の生活がぐちゃぐちゃだ。なにしろ、オリンピックのせいで、「熱闘甲子園」の放送時間が大幅に後ろにずれて12時半からとか。それを観ないでは気が済まないスポーツオタクの三男が小学生のくせに夜中の1時まで起きているというのは、どう考えても異常事態だが、常に原稿の〆切に追われて非常事態の私は、子どもの生活を管理しきれず放置したまま。今日の決勝で高校野球が終わるかと思うとほっとする。あんたも早く宿題をやれ!帰省から戻ってきたときに、「東京に帰ってきた」という感覚を持つようになったのはいつ頃からだろうか?夫の実家の徳島が異文化圏であるのはもとより、生まれ育った大阪のニュータウンでさえ、もはや親の家を訪ねて行く先であり、東京の我が家が今は自分の唯一の居場所である。仮住まいの狭い集合住宅でも、帰ってくるとほっとする。その手前でも、たとえば2分間に1本来る山手線とか、乗り換えのスムーズさとか、人が歩くスピードとか、地方の人から見れば「東京はせかせかしててかなわん」というペースを快適に感じる自分は、もはやすっかり都会に適応してしまっているのか?!もしも首都圏直下型大地震が来て、東京が灰燼に帰すならば、一緒に死ぬか、運良く生き延びたら首都の再建に尽くすかどっちかだな。。ほかに行くところもない。このように、もはや気持もすっかり東京都民ではあるが、それは、親子三代の江戸っ子で、東京の地域コミュニティに属している人達とはまた違った感覚だろう。どこのコミュニティにも属している感じはしないが、そういう「根なし草」都民をとりあえず居させてくれる包容力と、適当に放っておいてくれる距離感が、きっと、東京の居心地の良さなのだと思う。もちろん、自分を「異邦人」と感じている人間も、家族や学校、職場その他の仕事でのつながり、薄いとは言え、近所付き合いなど、タテヨコナナメのネットワークを自分なりに張り巡らす努力はしているだろう。自分ひとりで生きていけるわけではないし、将来、孤独死するのも悲しいからね。。今のところは、東京は私にとって仕事のチャンスの宝庫だし、仕事でなくても面白いものを見聞きするチャンスに満ちた場所であるが、今回帰省中に感じたのは、「自分が興味を持っていることなんて、世の中全体から見たら超マイナーな、いわば一種のオタクと言える範疇のことなのだ」ということであった。だから、まあ当然ではあるが、徳島では自分の仕事の話はほとんどしなかった。そういう自分のマイナーさは重々自覚しておいたほうがいいと思うし、それはまた「異邦人」感覚を強めるものだが、一方で、どうも共通の関心事が全くなさそうに思われる人達と共感し合えるものは何だろうか?と真剣に考えたくなる。そういう意味では、オリンピックとか高校野球みたいなスポーツイベントも重要かもしれない。もっと基本に帰れば、そもそも、人が生まれて成長して仕事を見つけて結婚して子どもを産み育てて年をとってやがて死んでいく、ということは誰にとっても共通の問題だろう。そのプロセスの各時点で結構な苦労をするというのがそれぞれの人生の中身だから。自分にとって興味のあるごく限られた分野の話が、そういう普遍的な問題と結びついてくるならば、もっと多くの人と共感を分かち合えるのかもしれない。帰省の旅は、いろいろと自分の位置を感じさせ、なんだか謙虚な気持ちになるのである。
2008年08月18日

帰省の旅は続き、夫の実家の徳島に来ています。年々子ども達は大きくなり、大学生や高校生は帰省に不参加となってきます。そして、帰るたびに親は年老いていきますが、今のところ元気でいてくれるのはありがたいことです。たった2泊でしたが、今年も海に行きました。市内から車で2時間弱、県境に近い高知側の白浜海水浴場。四国の良さはそのマイナーさにあり、車の渋滞も人の混雑もなく、海を楽しめます。太平洋に面しながら、両側に突き出した小さな半島に守られた穏やかな砂浜は遠浅で、子どもでもかなりの距離まで足が届きますし、水もきれいです。こういう海水浴に行くのもあと何回ぐらいだろうか、とぼんやり考えながら、次男三男(←まだガキです!ホント)が父親や伯父達、従兄妹達とはしゃぎながら波と戯れるのをカンカン照りのビーチから眺めていました。本当は自分だって泳ぎたいところですが(そりゃ同じ阿呆なら泳がにゃソンソンです)ここは、義母や兄嫁達にならい、おとなしくビーチにすわっている三男の嫁でした。海水浴疲れで、夜は誰も繰り出そうと言わないのは無理もありませんが、ここは、「今年も私は阿波踊りを見に行きたい!」と自己主張して、夕食もそこそこに後片付けはサボって、夫だけつき合わせて徳島市内中心部へと出かけたあつかましい嫁でした。だって、わざわざこのお盆の時期に徳島に帰省して、阿波踊りを見ないなんて、もったいなすぎます。ふだん東京で、お祭りの類に行くことは滅多にありませんが、阿波踊りには行こうと思うのは、・自分が休暇中だから・子どもに手がかからなくなったから、連れていくのも置いていくのもカンタン・都心に出るよりずっと近くてタクシーでも700円程度の距離・都内のイベント類に比べたら混雑も知れてるなどの理由も挙げられますが、それよりなにより大きいのはやっぱり阿波踊りの魅力でしょう。 ♪チャンかチャンかチャンかチャンか チャンかチャンかチャンかチャンか… ドドーンッドッドッド ドドーンッドッドッド…あちこちで鳴り物の音が響いてます。8月12日から15日までの4日間熱気に包まれる町は、最終日の今日は夜中まで盛り上がります。大通りや公園などに数か所、囲いと桟敷席のある有料の演舞場があるほか、無料の演舞場も何か所かあり、それ以外にも商店街のアーケードでも、ただの通りでもそこらじゅうでいろんな団体が踊り、見物客でごった返しています。今日は、子どもも連れていないので、ビール片手に気ままに見物しました。紺屋町の演舞場をちらっと見てアーケードを抜け、無料演舞場のある新町橋商店街をぶらぶら歩くと新町橋に出ます。徳島市街の中心を流れる新町川沿いの細長い公園にしつらえられた藍場浜演舞場はよくテレビの中継にも登場し、映画「眉山」にも出てきました。川べりの屋台や川面に映る提灯はお祭り気分も満点。切符がないから中には入れないけど、桟敷席の端っこ、踊り終わりのゴール地点にいたら正面から見えるのです。ただ、同じことを考えている見物客や写真マニアがすでに柵に鈴なりで、熱気の中でうちわで扇ぎながら、少しでも隙間があると、見える方へ前に詰めます。前方100メートルぐらいから、有名連や企業とタイアップした連が順番に踊り込んできます。桟敷席ではゆっくりすわって横から見るわけですが、正面から見るのもなかなか迫力があります。(そう言えばここ数年そうやって見ています)・・・人の列、鳴り物の響きがだんだん近づいてくる。 ♪エ~ヤットサ~ヤットサ~! ヤットサ~ヤットサ~! ッ踊る阿呆に見る阿呆、ッ同じ阿呆なら踊らなソンソン!♪揃いの着物に笠を被ってうつむいてるとみんな美人に見える女踊り。掲げた両手の動きと下駄でつま先立った足さばきが優雅で、一生に一回やってみたいな…憧れる。その後ろには、太もも丸出しで激しい男踊りが来る。両手を振り回し、地を這うように腰を落として、がに股の足が、いち、に!いち、に!のリズムで跳ぶ、はねる、しゃがむ、また跳ぶ! ふだん穏やかな(と私には思える)徳島の男衆が見せる思いがけない情熱にハッとする。全速疾走の後のような大汗と勇ましい掛け声。そして、鐘、太鼓を打ち鳴らし、三味線を弾きながら歩く鳴り物の列が続く・・・今回はタイミング良く、有名連の娯茶平連(ごぢゃへいれん)を見ることができました。伝統ある本格的な連(団体)は年がら年中練習しているらしく、さすがに上手です。そういう正統派の踊り以外に、そこらへんの通りでは大学名の入ったのぼりを掲げ、揃いの浴衣を着た学生なども雰囲気で踊ってますし、観光客も参加できる「にわか連」というのがあって、輪の中に適当に入れます。私もほんの少し真似してみました。適当に手足を動かすことはできますが、きっとはたで見ていたら「ヘン!」でしょう。夫などは、ステップも腕の振りもそれなりに様になっているように見えるのはさすが徳島生まれというものでしょうか。我が家のシャイな息子達を連れてきていたら絶対に引きそうですが、確かに、同じ阿呆なら踊らにゃソンソンです。踊りのランクはピンキリでも、それを丸ごと受け入れるような大らかな雰囲気が、県外からも大勢の人が見に来る、あるいは踊りに来る阿波踊りの魅力であり、だから高円寺や越谷にも広がっていったのかもしれません。それにしてもみんななんで踊るんでしょうね。。 ♪ッアやっぱ~りおーどりはやーめられない!やっぱり見にきてよかった夏のお祭りでした。
2008年08月15日
暑いですねー!!お盆の帰省で、今日、大阪の実家に戻ってきました。東京も暑いけれど、大阪の暑さと言ったら!さて、音楽情報サイトMusic Sceneは毎週水曜日更新です。先週の続きの「パリ国立オペラ体験記 本番編」などもアップされております。また、世界的アコーデオン奏者の御喜美江さんの特集が充実していて、アコーデオンという楽器にとても興味が湧きました。9月のコンサートにぜひ行ってみようと思っております。御喜美江さんご本人の文章も素敵です。よかったら、読んでみてくださいね♪それでは、明日は夫の実家がある徳島へ向かいます。たぶん、今年も阿波踊りを見に行くでしょう。わずかの日数ですが、娘&嫁をやってきます。
2008年08月13日
夏バテ対策に栄養のあるものを・・・と言っても、わざわざ買ってきたわけではないが、ありがたいことに、毎月始めに、夫の実家から野菜の宅急便が送られてくる。たまねぎ、にんじん、じゃがいも、さつまいも、キャベツといった基本野菜のほか、今月は、旬の夏野菜が満載だった。りっぱなキュウリが10本ぐらい。つややかに黒光りするなす。鮮やかな緑のピーマン。自家菜園の作品とおぼしき不揃いのトマトたち。たぶん、よその自家菜園からのいただきものとおぼしき小ぶりのゴーヤが5本。野菜は鮮度が命だが、こう気温が高いと、宅急便の中でいたんでしまうものもある。ゴーヤのうち、1本はカビが生えてふやけてしまっていた。ほかの野菜も、食べられるうちにさっさと食べなきゃ。お盆には帰省することだし。というわけで、昨日、夏野菜のトマト煮込み「ラタトゥイユ」を作った。ラタトゥイユなんてものは、実家の母のレパートリーにはなかったので、子どもの頃には食べたことがない。初めて食べたのは、15年ほど前にスイスのジュネーブに赴任して、夫の当時の上司の奥さまの手料理をごちそうになったときだ。「これ美味しいですね!」「ラタトゥイユって言うんです。南仏のお料理ですよ」まだ結婚3年目で専業主婦歴数ヶ月目だった私は、「ラタトゥイユ」という響きに幻惑され、その奥さまに習うということはしなかったが、手持ちの料理の本でレシピを発見して「これじゃん!」と早速やってみた。以来、試行錯誤で改良しながら、ラタトゥイユは我が家の定番の一つになっている。作り方はいたって簡単。要するに、野菜のごった煮である。たまねぎ、にんじん、なす、ピーマン、ズッキーニなどをざくざくと適当に切り、にんにくのみじん切りを炒めたオリーブ油にどんどん入れてざっと炒め、完熟トマト缶をひと缶全部空け、スープの素とこしょうとローリエの葉を入れて、厚手の鍋で、野菜がクタクタになるまでしばらく煮込む。煮えたところへ塩を入れると野菜の甘みが引き出される感じ。水を入れないのがコツ。野菜からの水分だけのほうが美味しい。今回はゴーヤも一緒に入れてみた。なにしろ、残り4本もあって、さすがにゴーヤチャンプルーばかりでは飽きるし、以前に試してみたゴーヤのたたきや和え物系は苦味が強くて不評だったので、そうだ、トマトで煮込んだらどうだろう?とやってみたのだ。ズッキーニがないから代わりにゴーヤということでどうだ?……うん、悪くなかった。煮込むと苦味が適度に緩和された上で、ちょっとしたアクセントになり、味に深みが出る気がする。家族からも特に文句は出なかった。よし、使える。作ってすぐは、もちろん温かいラタトゥイユを食べるわけだが、残ったものを冷蔵庫で冷やして翌日食べるのもまた美味しい。一晩寝かせると、さらに味がなじむ感じ。トマトをベースに、夏野菜とオリーブ油とにんにくのハーモニーがひんやりと気持ちいい。例えばフランスパンのスライスに乗せて食べると、気分はヨーロッパ♪今日は、これまた残りものの、よく冷えたそうめんにかけて食べてみたら結構イケた。お洒落な前菜によくある冷製パスタ風、なーんて、あり合わせでいい加減きわまりないが、美味しければいいんです。野菜のビタミンの力で元気も出ます!そんなことを書きかけてたら、ひさびさに料理雑誌のボスから電話がかかってきた。不思議なもんだ。しばらくすっかりご無沙汰していたので、もうクビかなあ…と思っていたが、どうやらまだしばらくクビがつながっているようだ。おいしい「食」は言葉や民族を超えて、人を幸せにします。某料理雑誌「世界の味シリーズ」のキャッチである。やはり、旬の野菜は美味しい。野菜をたっぷり食べて、夏を乗り切りましょう。
2008年08月11日
今日、三男をひとりで私の実家の大阪に行かせた。高校生の長男は多忙につき、この夏は帰省しないことに決定。中学生の次男は多忙につき、お盆休みに親と同じタイミングで短期間の帰省。小学生だけヒマなので、学校のプールも終了した今週末から一足早く帰らせたのである。「かわいい子には旅をさせよ」ということで、新幹線一人旅。と言っても、私が東京駅の新幹線のホームまで送って行き、新大阪では私の弟がホームまで迎えに来る手筈であり、本人は新幹線に座っているだけだからどうってことはないのだが、それでも到着するまでは何となく心配だった。お盆前の週末で、新幹線乗り場はそろそろ帰省ラッシュに入る感じの混雑。予定がはっきりしていなかったのと、まあ、一人ぐらいなら席は見つかるだろうと思い、指定席をとってはいなかった。自由席で乗れるものに乗せようと。幸い、さほど待たずに一席空いているところを見つけた。隣にすわっている中年のおじさんは、悪くない(失礼!)親切そうな人に見えた。「すみません。おとなり空いてますか? あ、どうも。いや、小学校6年生でおとなしくしていると思いますので。去年も一人で乗ったことがあるので大丈夫です」と聞かれもしないのに、つい説明してしまう愚かな母は、さらに「よろしくおねがいします」なんて言ってしまい、おじさんもわが息子も困惑気味だったが、やっぱり心配なんですもの。本当は、大阪まで送っていきたいが、そうも行かないので、「気をつけてね。なんかあったらメールして」と言い残して、車外に出る。発車まで外から眺めると、おじさんが息子に何やら声をかけて少し会話しているようだった。ま、大丈夫そうだな。ベルが鳴って、手を振るとのぞみはゆるゆると動き出して行ってしまった。弟にメールする。「12時40分発新大阪行きののぞみに乗せました。よろしく」しばらくしてから息子にメールする。「お弁当食べた?連絡しておいたからね。なにかあったらメールしてね」すると、返信が。「食べたよ。もうすぐ電池きれそう」えーっ!なんで充電しておかないのよ、バカ者!…ああ、途中で地震や雷で新幹線が止まったりしませんように。あの良い人そうに見えたおじさんが、実は悪い人だったりしませんように。トイレに行った途中で誰かに誘拐されたりしませんように。途中で具合が悪くなったりしませんように。間違えて名古屋でおりたりしませんように。小学校6年生にもなってそのぐらい平気だよ、心配しすぎだよ、大げさだよ、と思うが、親たる者は、あらゆるリスクを負って「かわいい子に旅をさせる」のである。3時20分、弟からメールが来た。「ただいまピック完了[警官](←auの絵文字がdocomoでは文字で表示されて間抜け)」やれやれ、ほっとした。後で電話したら、「え?おじさんはほとんど寝てて名古屋でおりたよ。ぼくはずーっと景色を見てた」淡々と語る息子。親が心配するよりはしっかりしているんだね、君。「あ、そう。ま、無事についてよかったわ。じゃあね。おじいちゃんおばあちゃんの言うことよく聞いて、迷惑かけないのよ」あくまでも小うるさい母をやってしまう。お盆には合流するからね。
2008年08月09日
北京オリンピックが始まった。オリンピックの開催自体、国家の威信をかけて為されるわけだが、とくに開会式にはその意気込みが凝縮され、過去それぞれの開催国が趣向を凝らして企画してきたものだから、この日、中国がどんな開会式をやるのか興味津々だった。8月8日午後8時。縁起の良い「八」を並べたとか。日本時間では午後9時。今回は時差がほとんどないので助かる。休憩なしで4時間に及ぶ、オペラも真っ青な長大な式典だった。204カ国・地域からの選手の入場行進が延々と続いていた頃は、つい一眠りしてしまい、息子達もその間に「熱闘甲子園」に変えていたようだ。冒頭のパフォーマンスと入場行進の後半からラストの聖火の点火まではとりあえず目撃することができた。見守りながら最も強く感じたのは、中国という国を構成する人間の数の膨大さである。人口13億。気の遠くなる数だ。ここまで人口が多くなかった「三国志」の時代でさえ、子ども向けの本にも「百五十万の軍勢」なんていう表現がしょっちゅう出てきて、息子から「おかーさん、150万人ってどのぐらい?」と聞かれて答えられなかった。こういう人数は、○○市全体と同じぐらい、という言い方はできても、具体的に人が並んでいるところをイメージすると気が遠くなりそうだ。だから、「空前の厳戒で警察と軍を約140万人」と聞くと、やはり具体的にはイメージできないものの、中国ならそれぐらいは軽く動員できそうだと思った。メイン会場の国家スタジアム「鳥の巣」の観客10万人はもちろん、全土のテレビでこれを見守る国民。四川大地震の被災地でも、被災者の人々が数少ないテレビに集まって見る。もちろん、オリンピックなんて見る気がしない、と苦々しく思う人も大勢いるだろう。途方もない貧富の差がある。チベット問題も難しい。聖火リレーはあちこちで大混乱だった。大地震も起こる。ついこのあいだはまたテロ事件も起こった。それでも、中国にとって「百年越しの悲願」だった、この一大イベントを実行し、なんとしてでも成功させようとするという国家の意志は、たとえ何事が起ころうとも阻むことはできず、各天災人災による五輪反対派が仮に全国民の何割か存在しようとも、残りの五輪支持派だけで、じゅうぶんに膨大な数なのである。「鳥の巣」開会式のチケットをゲットした幸運な人々は、感激して涙を浮かべている。そういう人が全体の何割かいるだけで、国家はその意志を遂行できるようだ。この膨大な人口からみれば、開会式のパフォーマンスに出演していた人達なんていうのは、何段階あったのか想像もつかないほどのオーディションで選びに選び抜かれたトップ中のトップエリートなんだろうか。そういう人達が、マスゲームのパーツとして各人の動きを完璧に身につけ、かつ、個人個人を完全に消し去ったように演じているのを見ると、空恐ろしくなるのだった。最初に出てきた、開幕のカウントダウンの際、2008人の演者が四角い台のような太鼓をたたく動きに合わせて闇の中に光る人文字の数字が現れるパフォーマンスがあり、それだけでも、何と高度なマスゲームだろうと感心したが、さらにそのあとの活版印刷を表わすマスゲームや「鳥の巣」の形に輪になる組体操みたいな演技など、あれは全部同じメンバーだったのか?そうだとしたら、ものすごい練習と記憶力の壮絶なパフォーマンスだ。それとも各演目によって違うチームが出てきたのか? そうだとしたら、ものすごい人海戦術である。そして、これだけの人数の中で、ソロパートを演じた人達。中国を称える歌を歌っていた女の子は(口パクのように見えたが)何者だろう?ピアニストのラン・ランはやっぱりすごいのか?その隣で一緒に弾いていた女の子、あれもまた何者だろう?スタジアム内のトラックを走る聖火ランナー達は、往年の名選手である国家的英雄達。最終聖火ランナーは、元「体操王子」の李寧。84年ロサンゼルス五輪の金メダリストにして、現在はスポーツ用品の有限公司の会長というビジネスマンである。年齢を見ると同世代なのだが、宙づりのまま「鳥の巣」の壁面上部で360度展開されるスクリーンの上を重力の法則を無視した横向きで走っていく姿は、もはや人間とは思えなかった。13億人の国民のうちの一人だという自意識はどんなものだろう?また、13億人から選ばれた代表だという自意識はどんなものだろう?それでも、「私は私」と思えるものだろうか?人間の感性を超えた人数に個人が対峙するのは耐えがたい気がしてしまうのだが。とにかく数のパワーに圧倒され、こんな国と喧嘩してはいけないと畏怖するのであった。
2008年08月08日
Music Sceneという最近できたばかりの音楽情報サイトにレポートを書かせてもらった。今日の音楽シーンを広く紹介しようというサイトで、クラシック音楽が中心だが、他ジャンルのことも含む。情報発信元からの広報宣伝資料中心ではなく、これからのものでも、行われたものでも、本当に受け手にとって価値のあると思われるものを、受け手の目線からお送りしようという趣旨に共感した。→詳しくはこちら自分のブログの雑多な日記でも、時折、音楽のことを書いてはいたが、それがこういう展開になるとは夢にも思わなかった。この展開を振り返って、諸先達から折々いただいたキーワードでつないでみると・・・「高速道路を降りて、けものみちを歩く」「ブログを開く」「犬も歩けば棒に当たる」「チャンスの女神には前髪しかない」という流れに今さら気づき、人生の不思議に驚嘆するほかない。まずは、このあいだ「清水の舞台から飛び降りる」気持で大枚はたいて観てきたパリ国立オペラのことを書くことになった。決して、書くためにチケットを買ったわけではないが(念のため)、せっかく大枚はたいたオペラについて、そういう形でアウトプットする場を与えられ、ライターを目指して新聞社でもがいてきた身としては望外の喜びである。というわけで、よかったらMusic Sceneを覗いてみてください。サイトの中のレポートSceneというところに載っています。パリ国立オペラ「トリスタンとイゾルデ」体験記 決断編&準備編ちなみに本番編は来週8月13日アップの予定です。私は音楽の専門家でも評論家でもありませんが、クラシック音楽の一ファンというあくまでも一人の「受け手」として、大好きな音楽のことを、自分なりに言葉にしてみようと思います。
2008年08月06日
♪ぽーにょぽーにょぽにょ さかなのこ!予告編でしょっちゅう聴くうちにすっかり覚えてしまった、調子っぱずれな歌と人間の顔をした魚?の間抜けな顔をみると、とってもおバカなアニメに思えて今度のジブリ作品は観る気がしないなあと思ってしまったのだが、今日の「プロフェッショナルの流儀」を見ると、俄然観たくなった。毎週火曜日の夜10時からなんとなくテレビがついていて、夫は結構熱心に見ているNHKの「プロフェッショナルの流儀」私は、途中からなんとなく引き込まれ、つい最後まで見てしまうというパターンがしばしば。今日も、1時間半もあるスペシャルを見る予定ではなかったのだが、いつの間にか家族全員で見ていた。番組は、いつもの茂木健一郎さんと住吉美紀アナが宮崎監督の自宅を訪ねてのインタビューと「ポニョ」制作現場密着のドキュメンタリーという構成。身体が弱くて運動音痴だった少年時代。手塚治虫のマンガを読みふけり絵ばかり描いていた。母は難病にかかって寝返りもうてなくなり、まだ幼かった駿少年は、じゅうぶんに甘えられなかった。母はその後72歳まで生きたが、闘病生活や後遺症で大変だったようだ。「自分が無用の存在である」と感じる辛い自意識と母への思慕。この二つが宮崎作品のすべての根底にある。「見る人を楽しませたい。楽しんでもらえたら、自分が無用の存在だと思わなくてもいいような気がする」受け手へのサービス精神というより、自分自身の存亡を賭けているような悲壮感漂う言葉をインタビューへの回答として、さらっと率直に言ってしまえる。言葉の端々にそれは表れて、「ポニョ」の絵コンテを描いている途中、しかめっつらの赤ん坊の顔を修正しながら、なにやらブツブツ言っている。「生まれてこなければよかったって思っているような顔だな。この子が生まれてきて良かったって思うような物語にしなきゃいかん」というつぶやきにギクッとする。「千と千尋の神隠し」を観たアメリカの10歳の女の子が、「わたしの10歳はこんなに素敵じゃありませんでした」と言ってくれたのがとても嬉しかったそうだ。「あれはいい意見でしたね~」と思い出してはまたウルッと来ている様子。どの作品にも、繰り返し繰り返し、母をモデルにしたキャラクターが出てくる。「天空の城ラピュタ」に登場する女宇宙海賊のおばあちゃんは、まだ病気になる前の快活で活発に動き回っていた母のイメージだそうだ。大勢の荒くれ海賊の息子達を従えて「こら!あんたたち、なにやってるんだい!」と叱りつけるかあちゃんは、私も常々見習わせてもらっている大好きなキャラクターだ。「となりのトトロ」で入院しているきれいな優しいお母さんは、当然闘病中の母の姿である。「ハウルの動く城」で魔女に変身させられてしまうソフィアもまた母である。決して順風満帆なキャリアではなかった。大学卒業後、すぐに東映動画のアニメーターとして働き始め、「アルプスの少女ハイジ」や「ルパン三世」の中心スタッフとして頭角をあらわす。「未来少年コナン」で事実上の初監督を務めたが、視聴率は低調。私はこのアニメが好きで見ていたが、監督が宮崎駿だとは当時は知らなかった。映画「ルパン三世 カリオストロの城」も公開当時の客席はガラガラだったとか。この時期、その後の「もののけ姫」や「となりのトトロ」や「ラピュタ」の原型のような企画をあちこちに持ち込むが全部ポツだったという話に驚いた。トトロを作る10年以上も前のことである。「あのとき、あの企画を通してくれていたら、なんて恨むのは敗北です。ボツならさっさとひっこめます。10年以上経ってますが、そんなの短いもんですよ」その間にも、アイデアは少しずつ蓄積され、時を経て、名作「トトロ」が生まれたのである。最も不遇で仕事のなかった時代に連載した「風の谷のナウシカ」。当時、高校生だった私はこの連載の単行本を楽しみに買っていた。4巻目まで出たところでいったん休刊になったはずだ。宮崎監督にとって、いちばんつらい時期だったとは知らなかった。連載に人気が出て映画化することとなり、1984年、アニメーション映画として公開。監督作品が映画としても初めてヒットした。このとき、43歳。43歳か~そうか~なんか共感が湧くなあ……宮崎監督でさえ、こんなにいろいろと大変だったのだ。あきらめてはいけないね。「ポニョ」の制作も、簡単ではなかったようだ。今回の「母」のモチーフは、デイケアセンターに通う気難しいおばあさんのトキさん。「本当はやさしいのに、ついキツイことを言ってしまう」母のイメージである。このおばあさんと主人公の少年をどう向き合わせるか?絵コンテがなかなか進まない。映画完成は間に合うのか?考えてはやり直し、考えても考えても、「これだ!」というものにならない。外を散歩する。煙草を吸う。過去のアイデア帳を引っ張り出してくる。それでもまだアイデアがまとまらない。主題歌の記者発表のときにも「まだ絵コンテが全部はできていない」と告白。時間的にかなり追いつめられてきた頃に音楽担当の久石譲さんの歌を聴いていて、涙がこみあげる宮崎監督。「いい歌だな」年老いたおばあさんの気持を歌った歌である。「もう一度走りたい。もう一度ワルツを踊りたい」そして、ついにトキさんと少年の決定的シーンの構想が固まった。おばあさんは思いがけない速さで走る。「おいで!」と少年に声をかける。少年はおばあさんに向かって飛ぶ。おばあさんは少年を抱きしめる。「崖の上のポニョ」がおバカなアニメだなんて、私はとんでもない思い違いをしていたようだ。これは観に行かなくては…!
2008年08月05日
オーストラリア大使館で昨秋行われたエミリー・ウングワレー展の記者発表の日には、日記に「来年のことを言うと鬼が笑う」と書いていたが、あっという間に時は流れ、7月28日月曜日という最終日にぎりぎり駆け込んで、なんとか実物を見ることができた。美術館に行ったのは久しぶりだったが、無理してでも来てよかった。これを逃すと、もう当分は日本に来ないし、オーストラリアまではなかなか行けないから。国立新美術館は、行列ができるほどでは全然ないが適度に人が入っていた。ちょうどいい混み具合だと、他の来館者にも自分と同じような関心を感じて共感が湧く。日本の国宝満載とか、西洋絵画の巨匠とかではなくて、アボリジニ・アート?きっとあなたも何かを探してこれを観に来たんですよね?入ってすぐ、22枚のカンヴァスから成る「アルハルクラ」が目に飛び込んでくる。エミリーと、彼女のふるさと「アルハルクラ」との精神的なつながりを称えるというその巨大な作品は、めくるめく色彩に溢れる。青、ピンク、白、黄色、オレンジ、緑……またピンク! なんだかわからないけれど、画面から強烈なエネルギーが放たれ、息をのむ。彼女は、その生涯をオーストラリア中央部のシンプソン砂漠の端にあるアルハルクラの土地の「ユートピア」というアボリジニのキャンプで過ごした。1988年ごろ、オーストラリア・アボリジニナル・メディア協会が、アボリジニの経済的自立と文化の発展のために企画した教育プログラムとして、「ユートピア」にキャンバス100枚と絵筆や絵の具を置いていったことが、エミリーが突然絵を描くきっかけとなる。1910年ごろに生まれたらしいので、もう80になろうかという歳だったが、それから1996年に亡くなるまでの8年間という短い期間に、3,000点を超える作品を残したのである。「すべてのもの。私のドリーミング、ペンシル・ヤム、トゲトカゲ、草の種、ドリーム・タイムの子犬、エミュー、エミューが好んで食べる草、緑豆、ヤムイモの種。すべてのもの、それが私が描くもの。」エミリーがインタビューで語った言葉を英訳したもの(の和訳)だという。彼女は、英語を話さず、字も書かない。「ドリーミング」というのは、アボリジニ独自の世界観で、万物の創造を終えた先祖が被造物に姿を変えて世界のあちこちに潜んだため、世界の万物に精霊が宿ると信じられている。さらに、そういう精霊を子孫である部族や自分個人と同一視する観念でもある。頭でわかろうとすると余計にわからないが、要するに、世界はそこらじゅう精霊に満ち、自分もそれと一体である、ということだろうか。エミリーが描くものは、対象の姿を再現する具象画では全くないが、対象を抽象化してみたということでもなく、彼女には実際そのように見える、または感じられる対象のイメージをそのままキャンバス上に吐き出した、という感じである。おびただしい点点点点で埋めつくされた作品群からは、ドリーミングとは、種とか細胞レベルまで一体化することなのかと思わせられる。また、「ビッグ・ヤム・ドリーミング」という3メートルx8メートルの巨大な黒い画面に無限に広がる白いうねうねした網目模様の途方もない作品。ヤムイモの根っこが、ランダムに、しかし、自然の法則にのっとって地下深く伸びていく様を、この人はリアルに感じることができるのだとしか思えない。何の下書きもせず、書き直しもせず、迷いなく、どんどん点を打ち、決然と線を入れていく、というのはどういう行為なのだろう。そして、色である。パレットなどなく、絵具は缶に入ったまま筆を浸し、絵筆がないときは拾ってきたゴムサンダルで代用したとか。そうやって、絵を描く前からずっとやってきた、大昔から伝わる砂絵やボディ・ペインティング、歌や踊りと同様に、ひたすら、ふるさとの大地「アルハルクラ」を称える絵を描く。それが彼女が人生の最後の8年間にした「生きること」だった。「西欧近代美術が展開した末にたどり着いた抽象表現主義に比するような芸術世界」という言い方が、リリースにもチラシにもあったが、西洋の側から見たとても傲慢な言い方だと思う。それは逆であって、西欧近代美術はさまざまな試行錯誤を経て、ようやく原初の純粋な表現を思い出したということなのではないか。数人の天才によって。なぜ、こんな絵が描けるのか、大いなる謎だが、西洋文明が入ってくる前の伝統文化を維持していたアボリジニの中でも稀有な部族の最後の世代の中に、天の声とか、宇宙の力とか、大地の精霊と直接交流できるつまり天才がいたということが絵を通して発見されたわけである。いずれにしても、天才はどこの部族にも種族にも国にも、ごく稀にしか現れないのだろう。その一人がオーストラリアの砂漠にはぐくまれたということである。「大地の創造」という作品の乱舞する緑色が本当に美しかった。
2008年08月01日
新日フィルの演奏会に行ったのは実は初めてだった。最近でこそ、かなり頻繁にコンサート会場に足を運んでいるが、子ども達が小さかった頃は、なかなか行けなかった。ベルリン駐在時代は「今しか行けぬ」とベビーシッターを頼んでまで行ったりしたが、帰国後、そのまた反動でご無沙汰の時期がしばらく続いた。人生には波がある。日本にプロのオーケストラが20以上もあるとは、最近になって知った。まだ演奏を聴いたことがないオケも多くて恥ずかしい代わりに、毎回なにかしら発見がある。新日フィルが元々いつも上手いのか、本日の指揮者である「鬼才カンブルラン」だからさらに凄かったのかは定かではないが、ひとことで言って素晴らしい演奏だった。パリ国立オペラの指揮者の一人として来日中のカンブルランと新日フィルの共演という企画で、プログラムは、冒頭のモーツァルトの交響曲33番の次に、ウィドマン作曲アルモニカという現代音楽が来て(日本初演の由)、ラストにブルックナーの交響曲4番「ロマンティック」というバラエティに富んだもの。チラシやプログラムのカンブルランの写真は、厚い眼鏡の奥から眼光鋭く、眉間に思い切り皺を寄せて斜め下から見据える感じで、気難しいインテリに見えたのだが、ステージに登場した彼は、シルバーのロン毛を後ろで束ねたお洒落なアーティスト風で、オペラという華やかな世界を長年盛り上げてきたショーマンシップなのか、とびきりの笑顔と弾むような動作である。「溌剌とした動作」と言うと、私の乏しい知見では、ベルリンフィルのサイモン・ラトルや東響のユベール・スダーンの姿を思い出す。スダーンはサッカー・コーチみたいにスポーツマンっぽくて、ラトルは前衛バレエダンサーのようだったが、今日見たカンブルランは、同じダンスでもエアロビクスのインストラクターのように、はっきりしたわかりやすい指示だと思った。モーツァルトが下手に聴こえなかっただけで、これは上手いオーケストラなのだとわかったので、次の現代音楽が私にはどうもピンとこなかったのは、例の如く、現代音楽の波動が自分に合っていないからであって、曲のせいでも演奏のせいでもないのだろう。どうも、私はシューシューこする摩擦音が苦手なのだ。神経に触り、不安をかきたてられる感じ。弦楽器はぜひコマの手前の広い部分で弾いてほしい。ヒーとかいわないで。初めて聴いたグラスハーモニカもあまり得意なタイプの音ではない。だから、打楽器チームがグロッケンやヴィブラホンなどで星が降るような音を叩いてくれるとホッとした。プログラムの解説にも「星雲のような」とか「天空に存在するあらゆる有機物のハーモニー」という表現もあることからして、宇宙に放り出されたような心もとなさを感じたのはそんなに外れてもいないようだ。まあ、これも何度も聴くと慣れてきて良さがわかってくるのかもしれないけど。今日いちばん感銘を受けたのは、やはりブルックナーのロマンティックだった。と言っても、私はもともとブルックナーが好きなわけではない。それどころか、かの昔、学生オケにいた頃にブルックナーの7番をやった定期演奏会では、2楽章のクライマックスにある「2分音符のフォルテシモのトレモロ」というたった1回の出番のために、その前後の長大な交響曲の本番中、衆目を浴びながらステージでじっと座り続ける苦行を強いられたトライアングル奏者として結構トラウマになっている。ブルックナーなんてキライ!と。しかし、今日は初めてブルックナーの良さがわかったような気がした。幸か不幸か、打楽器はティンパニしか出番はないが、ベートーベンやブラームスだってそうだから、この時代はまだそれが普通なのだ。逆に、なぜ7番には1回だけシンバルとトライアングルを入れようと思ったのだろう。それもまた唐突である。そして、その他のオケの各楽器は、弦楽器も管楽器も何とやりがいのありそうな内容だろう。全部の楽器をめいっぱい鳴らしてみました、という感じ。今までブルックナーがあまり好きでなかったもう一つの理由は、曲想がいまいちスムーズに流れていかないように思えることだった。あちこちに、琴線に触れる美しいメロディや崇高なハーモニーの連なりがあることはあるのだが、その良いものと良いものの間がブツッと途切れて突然違う場面に移るのだ。モーツァルトやベートーベンなら、これ以外にあり得ないという必然の流れで曲が進行して、仮にフィナーレがやや滑稽な感じがしても、それも必然の結果であると納得できるのだが、ブルックナーの場合、構成が今一つの作文のように、あちこち引っかかるのである。伏線が抜けていたり、接続詞がなくて、うまく流れていかない文章のように、「え?なんで次にこれが来るの?」とか、「これってさっきと同じこと言ってるよね?」とか、「ここはちょっとしつこすぎるんじゃないですかー」とツッコミを入れたくなる。で、挙句に振り出しに戻るので「えーっ今のをもう一回初めから全部やるんですか?」とうんざりするのだ。実際、書いては直し書いては直し、後世にもほかの研究者が校訂したということだから、どこまでも試行錯誤の不完全感があるのは仕方がないのかもしれない。ところが、今日はどういうわけか、一つ一つのフレーズのつながりが、ちゃんと理にかなったものに聴こえたのだった。とくに、1楽章と2楽章は、かなりゆっくりのテンポで、一つ一つの過程を丁寧に聴かせてもらえたおかげで、今まで、唐突に思えた場面転換の手前には、たとえば、ピチカートがポンと入ったり、3段ぐらい階段を上るようなフレーズが挿入されていることに気付かされた。CDだと聴き落とす音なのかもしれない。そういう箇所にくると、カンブルランは、ひときわハッキリ「ここではあなた方のその音が絶対必要なんです」と顔も目も棒も動員して合図する。こうしたカンブルランのリードによって、ブルックナーがすべての音をどう組み立ててようとしたのかを納得させてもらいながら、ぐいぐい引っ張って行ってもらったという感じである。これは、カンブルランの解釈ということなのだろうか? 指揮者の役割というのは、今だによくわからない部分があるのだが、ここで思い出したのは、先日ある歌手の方から聞いた話だった。「歌うのは自分ではない。いかに媒体になれるかが大切。曲を伝える媒体となるために、いかに声や体を使えるかに意を砕く」ということだった。ブルックナーが残した楽譜を読み込んで、あくまでも指揮者が、理知的にオケの奏者を動員して組み立てていくということなのか?それとも、作曲者の意図をオケの奏者に伝える媒体として、ある意味で指揮者自らは「無」の境地で、曲のイデアみたいなものを各楽器に振り分けていくのか?どうなんだろう? 聞いてみたい。どっちも的外れですよと笑われるだろうか?ともあれ、カンブルランのマジックにかかったように、オケはたぶん120%の力を出し、私は、長大な曲にもかかわらず一度も集中を切らせることなく、むしろ繰返しを喜ぶほどの気持で聴き惚れていた。表題音楽ではないにしても、タイトルからして明らかに、騎士道礼賛みたいな曲だ。霧深いヨーロッパの森、城や教会、誇らしげな進軍ラッパとか、はるかな丘から近づいてくる狩の一団とか、高貴な姫君に忠誠を誓って戦地に赴く騎士とか、葬送行進曲とか、素朴な村娘との束の間の恋……次々と妄想の膨らむ豪華絢爛な中世絵巻である。浸りこんで酔いしれていると、産業革命も人権宣言もなかったほうがよかったんじゃないかと、思ってしまった。日本人が、鎌倉武士や戦国武将の時代劇に中世のロマンを感じるように、やはり、アーサー王と円卓の騎士とか十字軍とかの騎士物語は、今でもヨーロッパ人の憧れをかきたてるのではないだろうか。SFでも「ロード・オブ・ザ・リング」みたいなファンタジーにしても、いたるところに中世っぽい要素が盛り込まれている。実際には宗教的にがんじがらめで、身分が固定され、貧しくて陰惨で大変な時代であったはずなのに、その時代にはあって、今は失われてしまった「良さ」に憧れるのだろうか?それはなんだろう。……それは、ひょっとすると、役割の固定や全体への忠誠が個人にもたらす充実感なのではないかと、ほかならぬオーケストラを見ていて思った。オーケストラは様々な個性をもった楽器が集まり、各人が決められた役割を忠実に果たすことによって秩序ある音楽を作り上げるという意味で、社会のモデルの一つだと常々思っている。個人の自由をある程度犠牲にしてでも、指導者についていくと自発的に決めて、全体のために身を捧げ、それを自分の誇りにしよう、という姿勢は中世の騎士に似ていなくもない。しかも、自分が愛する楽器を弾くなら本望ではないか。高らかに吹き鳴らす金管楽器や主旋律を歌うときのチェロやビオラの恍惚とした表情は言うに及ばず、たとえば、延々と続くピチカートでさえ、コントラバスの一団は、我らはこれに徹します、とばかりに満足げな顔ではじき続けるのである。なぜそんなことに打ち込めるのですかと問いたくなるが、それは、あらゆる役割に意味があることに各人が強い誇りを持っているからに違いない。優れた王や指揮者が全体を賢明に統率するとき、またはそういう指導者が天の意思を正しく伝える能力を持っている場合、ひょっとしたら、人間はめいめい自由に生きていくより、むしろ、指導者に忠誠を誓い、命を賭けて役割に殉じるほうが幸せなのかもしれない……それは中世に限らないのではないか。キケンな思想だろうか。そんな考えが美酒のように回って、さらに酔うロマンティックなのだった。
2008年07月28日
土曜日午後、灼熱の駒沢競技場。やはり都大会ともなると、そう簡単に勝ち進めるわけではなく、3回戦に臨んだわが一中は健闘の末、2対3で敗れた。悔し涙の少年達に、ついもらい泣きしそうだが、彼らの「サッカーに賭ける青春」を応援してきた大人としては、いつまでも敗戦の余韻に浸ってないで、早くも打ち上げのことなどを気にしだす。ここ数年、都大会に出場するようになってから恒例となった「都大会打ち上げ焼肉大会」である。現在部員数約40名という、なかなか大所帯のサッカー部であるが、どういうわけか現2年生は愚息を含めて4人しかいない。3年生の引退や世代交代の意味もある「打ち上げ」を慣例通り2年生の親が仕切るとすると、知らん顔はできないし、長男の頃から様子がわかっていて、いちおう動ける週末なので、結局幹事を引き受けることになってしまった。まったくガラにもないことだが。これが結構大変である。まず場所を押さえましょう。いつもの○○亭でいいですね。明日の夜7時から、とりあえず50人ということで。その前に、先生とOBコーチが出席できるかどうか確認。部員には連絡網を回して、出欠をとりましょう。連絡を回す前に、だいたいの会費を決めとかなきゃ。食べ放題2,980円にフリードリンク980円プラス消費税で大人は1人4,158円で中学生はドリンクがノンアルコールなのでこれより600円安い。しかし、こんな1円単位の集金は大変すぎるので、適当に切り上げるのだが、先生とコーチの分は部員で負担するとしたら、何人出席するかわからないと決められない?!もともと算数も数学も苦手で、普段はこういうことはほとんど人任せの私はここでパニくりそうになる。何人出席したらどれくらい負担額があるかという式の部分はすっ飛ばして、ええい!めんどくさい。大人4500円、中学生3600円でどうだ?人数は? 部員は原則全員出席として、大人は……たぶんこれぐらいは来るだろう。それで掛け算したら、だいたい行けそうだったから、もうこの金額で連絡を回すことにした。数時間後に連絡網が戻ってきたら、出席者数はほぼ予想通りの人数!検算してみたらわずか460円の余り。おー!バッチリじゃん!やっぱり勘はいいわーまあ、こんなにスムーズに運んだわけではなく、人数の増加を店に伝えたり、ホットペッパーのクーポンが使えるんじゃないか?もっと安くなるんじゃない?というアドバイスの電話をいただいて計算し直したり、バタバタしたけれど、当初より大人は500円お安くできた。日曜日夕刻。なにしろ2年生の保護者で動ける人が少なかったので、夫もフルに動員の上、焼き肉屋の入り口で箱を構えて、せっせと集金。宴たけなわの頃は、もう一人のお母さんと一緒に現金の札束と小銭を数える。20万円分を超える額のほとんどが千円札だから大変だ。元銀行員の人なら早いんだろうか?必死で数えて必要額があることを確かめて、先に支払いを済ませる。3年生が一人ひとことずつ思いのたけを語ったり、新キャプテンが抱負を語ったり、先生がひとしきり話をしたり、という、この打ち上げのメインの部分が滞りなく運んでようやくホッとした。乾杯の音頭から始まり、最後は三本締めという極めて日本的な宴会スタイルが果たす機能を常々不思議に思っているし、そもそも、私には、ある集団に属しているという意識が希薄なのだが、とりあえず今、息子はサッカー部員だし、その保護者達の輪というのは確かに意味はあるので、今日この場においては、私はこのサッカー部集団を構成する一員なのだろう。2次会にまで参加する保護者のみなさんを尻目に家路につきながらそんなことを思った。
2008年07月27日
今朝、6時半に出発した次男。今日は五反田駅7時集合の由。ユニフォームとスパイクとお弁当&水筒一式の入ったエナメルバッグを斜めがけに持って出て行くのを見送るとき、毎度、戦士を送り出すような悲壮感が一瞬漂う。「がんばってね。ケガしないように、させないように。あとで見に行くから」2時間後の8時半。残りの家族4人打ち揃って駅に向かうと、いったい今日は何曜日だっけ?と思うが、朝のラッシュに紛れもなく平日だったことを思い出す。当初は、ヒマな小学生と私だけで行くはずだった。昨日のうちに、「明日は、メトロポリタン・ジュニア・ハイスクール・フットボール・コンペティションがあって、ぜひとも息子の中学校をチア・オンしたいので、出勤が午後2時半になります」と申告したら、部長も「そりゃあ、ぜひ行ってきたまえ」と。このあたりは、パート勤務ならではの気楽さでもあるが、昨夜になってフルタイムの管理職であるはずの夫までが「明日は夕方の会議は外せないが、朝一は大丈夫」と言いだし、高校生も「明日は部活がオフだから、母校の応援に行ってやってもいいぜ」と言うので、結局全員で応援に行くことになった。呆れた家族だ。この猛暑の中、屋外のスポーツなんて狂気の沙汰だと常々思っているが、野球もサッカーも夏休みに入ってすぐの今が「都大会」の時期なのである。各地区大会、ブロック大会を勝ち上がってきた48の中学校がトーナメントで優勝を目指す。さて、今日の会場は葛飾区総合スポーツセンター内のスタジアム。人工芝のグランドに立派なスタンドもついてて、中学生の大会にはもったいないぐらい。スタンドに上がると、いるいる。もう来ている。いつも試合の応援に集まるうちに顔見知りになったサッカー部の親たち。さすがに平日なので、ほとんどは母親たちだが、父親の姿も夫だけではなかった。世の男性陣も物事の優先順位が流動的らしい。ま、仕事に支障がなければ別にいいと思うけど。10時キックオフの直前、選手たちが入場してくる。わが一中の青のユニフォームと同じ色で特注した横断幕には、白字でくっきり「一蹴入魂」。幕を掲げて、応援席も気合いが入る。マメなお母さんが同じ色で「一蹴入魂」とプリントした揃いの団扇を手作りしてきて配ってくれた。恐れ入る。ひときわ小柄な14番もいた。お!今日はスタメンじゃん。三人の息子は、当然、三人三様のキャラクターを持っているが、どういうわけか「サッカーが好き」というところが共通である。まあ、兄からの影響はあるだろうが、親のほうから強制した覚えはないのに、なんでこう熱心にサッカーに打ち込むのか不思議である。1998年、日本が悲願の初出場を果たしたW杯フランス大会の年に、ちょうど小学校に入学した長男がサッカーを始めて以来かれこれ10年になる。それまで、サッカーなんて縁のない生活を送ってきたし、ほとんど興味もなかったのが、いつのまにか、週末はいずれかの息子の試合の応援に行くのが恒例になってしまったとは、全く人生はわからない。おかげで、知らなかったスポーツの世界を見せてもらえるわけである。応援に行くと、「つい熱くなって大声で叫ぶ自分」というのも発見の一つだった。もっとも、息子たちには、「おかあさんは全然わかってなくて恥ずかしいから、あまり声を出さないで」といつも怒られる。ごめんね。この頃はだいぶわかってきたつもりだが、それでも明らかにオフサイドというときに、つい「行けーっ!」と叫んでしまったりする。愚かな母。たまたま、縁があったサッカーだが、やらせてよかったと思うことはいろいろある。以下はランダムな感想で、まったくの暴論だが・・・○文句なく体力がつく。まさに雨ニモマケズ風ニモマケズ冬ノ寒サニモ夏の暑サニモマケズ。 これは、今後の基礎となるだろう。○根性がつく。キツい練習に耐え、負け試合も最後まであきらめずに全力で戦う。 負けてもめげずに次の試合での雪辱を誓う。やっぱりこれは「いくさ」のノリです。 …人間って、やっぱり戦うのが好きなんだろうね。と言うか、 そういう「戦いごっこ」の好きな少年達がサッカーにはまるんだろうね。○闘争心がおおっぴらに認められて発散できる。まあ内に秘めたままより健全かも。 なにしろ、疑似戦争だから「みんな仲良く」なんてきれいごとはありえない。 敵に勝つか負けるか、どちらかだ。最大限の賛辞は「敵ながらあっぱれ」というもの。 これは、合唱やオーケストラのように「みんなで一つのものを作り上げる」活動とは、 全く別のカルチャーだと思う。私に「相手に勝つ」という感覚がいまいち欠けているのは、 青春時代を通じての音楽系の部活動のせいではないだろうか。コンクールでいい成績をとるのと、 スポーツの試合で勝つのとはだいぶ意味合いが違うからね。 息子の闘争心を目の当たりにすると、母親でさえおそろしーと思う。 「勝つ」ことへのこだわりと、そのためには時にファールも辞さずというワイルドさ。 時々たしなめる。でも、将来世の中で役に立つことは間違いない。○とくに、サッカーのように広いグランドでボールを追って走り続けるスポーツでは、 刻々と変化する状況に対応して、自分がどこに向かって走ったりパスを出したりするか、 瞬時に判断しなければならない。よくそんな高度な判断ができるもんだと感心するが、 やはり、判断が悪くて、うまく行かない場面が試合時間の大半を占めると言ってよい。○個人競技ではなく、チームプレイなので、一人では勝てない。チームの結束が必須である。 いつ誰にどんなパスを出すのか、人間関係によっても左右される。 チームメイトとの関係に、親がうかがい知れない深いものがあるらしい。○完全な実力主義だから、1年生の時からレギュラーに抜擢されるケースもあれば、 3年間ベンチ入りもなかなかできないケースもあるだろう。少年期にこういう非情さを知ると、 ずいぶん辛口の人生観を形成してしまいそうだが、それでもサッカーをやめない場合は、 チームのために自分ができることを考えたり、試合に出られない仲間の気持ちを考えたり、 高度に精神的な成長をみる余地もある。これも世の中で役に立つだろう。・・・ともあれ、普段はふざけた悪ガキ達が、真剣な顔でひたむきに走っているのを見ると、それだけでハッとする。そうか、君達はそんなにも一生懸命やってるんだね。すごいよ!ピッチに立つと、どの子も一回り大きく見え、年齢より少し上に見える。カッコイイよ!なかなか点が入らずスコアレス・ドローで終わる試合は退屈で欲求不満が残るが、5度のゴール・シーンに敵味方双方大騒ぎし、大いに盛り上がった。結果は3対2でわが一中の勝利。応援団としてもカタルシスを得て帰れる幸せなパターン。おかげで、週末もまた応援である。次回は駒沢競技場。暑い夏が続く。
2008年07月24日
昨日の朝、出勤したらいきなり部長に呼ばれ、別室へ。なんだろう? いい話かな?悪い話かな?オーストラリアン・タフガイ(←私より若い)はいつになくもったいぶって切りだす。「あなたには御主人も子どもさんもいて、家庭に責任があることがわかってて言うんだけど、 香港に飛んでもらえないか?」は? 耳を疑った。あるアジアン・ユース・オーケストラが、うちから誰か同行取材してくれる記者はいないかと打診してきたのだそうだ。 で、わたしですか?「あなたはいつもsuch kind of subjectで記事を書いているから、この話が来た時に、最初にあなたに聞いてみようと思った」へーえ、それは光栄なことです。 で、いつなんですか?「あさっての木曜日に出発して、土曜の朝に帰ってくる」えーっ!あさって!? それはいくらなんでもショート・ノーティスでしょう!急にそう言われて、ろくに訓練もなく準備もあまりできず、よく知らないオーケストラに同行して、海外出張に行ってしまうなんて、あまりにも無謀ではないか。メリットよりコストのほうがうんと高いと思った。それに、普段から無理なスケジュールでいっぱいいっぱいの自分の手帳を思い浮かべ、木曜から土曜の用事を瞬時に検索すると、それらをすべてキャンセルしてまで、香港に行こうという気はまったく起こらなかった。と言うよりは、香港なんかに行っている場合じゃないという判断だった。さらに重要なことを思い出し、部長にはそれを告げることにした。「私、パスポートが切れてるんですよ」これは事実だ。以前の海外赴任時の公用系の旅券は、帰国した瞬間に無効になる代物で、それ以後、一度も私的に海外旅行することもなかったため(なんて寂しい…)、目下、パスポートを持っていないわけである。「え? パスポートがない?」異国で暮らすガイジンには信じられないことだろう。「申し訳ありませんが、ちょっと今回はあまりにも急ですよ。せめて一週間早ければ、ぎりぎりパスポートも間に合うかもしれないし、ほかの予定も調整できたと思いますが…。お声をかけてもらったのは光栄です」と、一応もっともらしく誠意ある返答をしたつもりだが。部長も、それはもっともだと肯きながら言った。「いや、実現するしないは別として、これは!というイベントが何かあれば、 出張も含めて、また提案してみてください」こんなのはリップサービスに決まっているが、真に受けたかのように「提案」だけならしてもいいかもね。あのとき、そうおっしゃいましたよねって。…というわけで、たなぼたの「香港行き」をお断りしたのだが、今回の話はいろいろと示唆に富んでいる。まず、カイシャであれ、どこであれ、いつなんどき何が起こるかわからないということ。いつでも、香港ぐらいすぐに行ける体制にしておいたほうがいいんだろうな。自分の予定も家族の都合もスイスイ調整して。何度も言っているように、私は正社員ではないが、「あなたはいつも音楽の記事を書いているから」なんて、それなりに見てはもらえていたのが意外だった。そして、カイシャってのは、猫の手も借りたいんだなと思った。だって、周りの正規の記者には、クラシック音楽に興味があってユース・オーケストラの同行取材に行きたそうな人は誰も思い浮かばないからね。洞爺湖サミットにはチームを組んで行っていたが。帰宅後、「今日とつぜん香港に飛んでくれって言われたよ。あーびっくりした」と夜の団欒時のネタにしたら、高校生の長男が「え?行かないの? キャリアアップ志向ねえなー」と口の悪いこと。「だって、パスポートもないんだし」と言い訳したら、「は?そうだっけ?なっさけねえ」ってうるさいよ。息子が母親のキャリアアップを云々するとは驚いたが、まあ、今に見ていなさい。
2008年07月23日
母が休むという話ではない。夏休みがあるのは子どもだけであって、母にはない。父親にとっては、子どもが夏休みだろうがなかろうが、たいした違いはないが、母親にとって、子どもの夏休みは難儀な日々である。これは、おそらく世の母親たちの共通した思いではないだろうか。三連休前の18日に1学期の終業式があったが、学校のカレンダー上は今日からが夏休み。夏休みになると、学校というものがいかにありがたい存在であるかを思い知らされる。なにしろ、日中、子どもが活動する時間帯の半分以上を預かってくれるのだし、小中学校では、お昼に立派な給食まで食べさせてもらえるのだから。夏休みには子どもが家にいるので、お昼に食べさせる心配までしなくてはならない。家にいるお母さんだと、子どもと一緒に過ごす時間が長すぎてお互い煮詰まるだろう。とくに、在宅で何か仕事をしている場合は、子どもがいるとかなり気が散るに違いない。逆に、どこかに勤務して外に出かける母親の場合は、ふだんは学校にいる子どもが、留守宅に残っているかと思うと、それはそれで気懸りなものである。一般的には、幼い子どもを抱えて外で働く時期が最も大変なイメージがあり、実際大変なことは認めるが、大変なのはその頃だけではない。出産後、育児休暇などの後、仕事に復帰した人が次にぶつかる試練は小学校入学だ。周りを見ていてもそう思う。小学校の学童保育は、せいぜい5時か6時までで、保育園のように夜まで預かってもらうことはできない。仕事でどうしても遅くなるなら、施設なりベビーシッターなり親の助けを借りるなど、二重保育の手立てを講じることになる。学童保育も卒業時までずっと利用できるわけではなく、3,4年生ぐらいまでのところが多い。仮に6年生まで利用できたとしても、子ども本人が嫌がって学童に行きたがらなくなる。そりゃ、高学年にもなって、日頃どっちみち長時間を過ごす学校に、放課後や夏休みにまで喜んで行くわけはないだろう。学校の授業が終われば、家なり近所なりで自由に過ごすほうが楽しいに決まっている。私が再び働き始めた頃、3年生だった末っ子が6年生になり、小学校最後の夏休みである。中学受験のために塾通いに明け暮れる道を選ばなかった場合、小学生はヒマである。みんなヒマなら、もう少し遊ぶのに忙しくなるかもしれないが、結構な割合で「塾通い組」がいるため、そうでない「非お受験組」は遊べる相手が減ってますますヒマなのである。これが、中学生や高校生になると、スポーツや音楽などの部活で忙しかったり、塾や予備校の夏期講習があったりで、夏休みでもそんなに家にいることはない。まあ、それぐらいでちょうどいいのだ。思春期の、とくに男の子をヒマにしておくとろくなことはないから。というわけで、夏休みの間、結構忙しくて家にいない兄達とは別行動の小学生が家で一人でポツンと過ごしているというのが、外で働く母として目下最大の心配事なのだ。いっそ自分も40日ぐらい休みを取りたくなるけれど、そうも行かないので、毎日をそれなりにクリアーしていくほかはない。本人は別に寂しくもつらくもなく、そんなことにはもう慣れっこのようだが、母としては、学校に行かない分、家でどのように過ごしているかが、よけいに気になるわけ。…ネットでサッカーサイトばっかり見てるんじゃないだろうか。高校野球が始まったらずーっとテレビばっかり見るんだろうな。それとも、プレステかWiiを延々やっているかな。マンガばっかり読みふけっているかも。お昼はちゃんと食べただろうか。明日のお昼は何にしようか。長時間一人で過ごすよりは友達と遊びに行くほうがいいが、行ったら行ったで、帰ってくるまで気になる。とくにプールなんかに行く場合は、帰ってきたというメールをしてもらわないと心配。サッカーの練習の帰りも遅いから心配…まあ、自分が家にいたって何か起こるときには起こるんだし、いずれにしても、すべての事故や事件を防ぐことは不可能なんだから、子ども自身にしっかり自立してもらうように早めに鍛えるしかないね。そして、今日も無事に、せっかくのヒマを自分なりでいいから有意義に過ごしてくれと祈るばかり。始まったばかりの夏休みだが、早く無事に終わりますように…
2008年07月22日
このあいだも書いたように、毎日のようにコンサートや展覧会のリリースが送られてくる。いくつもある美術館やギャラリーに古今東西のお宝が陳列され、いくつもあるコンサートホールでは今日も誰かが渾身の名演を聴かせる。あれも見たいこれも聴きたいと思うけれど、もちろん全部に行くことは不可能である。ほとんどのものを見もせず、聴きもせず、日々は過ぎてゆくのだと思うと、時々憂鬱になる。音楽関係で目についた海外ものだけでも、英国ロイヤルバレエ団が終わったと思ったら、アメリカン・バレエ・シアターの公演が始まり、札幌で今やっているPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)は最後に今月末東京公演をやるし、この春フィラデルフィア管が来ていたと思ったら、9月にムーティ指揮ウィーン・フィルが来る、10月にサロネン指揮ロス・フィルが来る、11月にラトル指揮ベルリン・フィルが来る、ゲルギエフ指揮ロンドン響も来る…ああーどーすんの。でも即完売だわね…オペラだって、新国立劇場で年がら年中何かやっている上に、海外からも引っ越し公演がある。記憶に残っているチラシだけでも、2006年メトロポリタン歌劇場日本公演、キエフ・オペラ、ボローニャ歌劇場、2007年ベルガモ・ドニゼッティ劇場オペラ、ベルリン国立オペラ、今年はイタリア・スポレート歌劇場とか、このあいだウィーンフォルクスオペラが来ていて、秋にはウィーン国立歌劇場も来るし、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルの日本公演というのもあるらしい。こういう企画の華やかなチラシやリリースを眺めるだけでワクワクするけれど、ほとんどは自分が行くことは思いもよらず、仕事柄、これはリストに載せる、これはどうせもう即日完売だから別にいいやとか、これはぎりぎりまでチケットがあるらしいから、告知記事書こうかな、などということを考えるだけだった。だって、こんなに行けませんよ。まず、日程と時間帯がなかなか合わない。それに、チケットの値段が高すぎる! ベルリン国立歌劇場だって、現地だとせいぜい100ユーロぐらいでじゅうぶん良い席が取れたものだと思うと、ふん、海外引っ越し公演なんて行かなくていいや、とすねてしまう。しかし、今月始め、いつものように手元にたまったチラシの束をめくり、目をスキャナのように走らせていて、あらためて引っかかったリリースがあった。「パリ国立オペラ 初来日公演 世界の最先端を走るパリ・オペラ座がついに日本へ!」へーえ、パリ・オペラ座って日本に来たことがなったんだ…もう何でもかんでも東京に来ていると思っていたので、ちょっと意外だった。次のページをめくると、左端にいきなり縦書きで、でかでかと、「パリからの衝撃!!」ときた。その横には細かい字で、「ヨーロッパ・オペラ界の風雲児ジェラール・モルティエ総裁に率いられ、世界のオペラ界を強力にリードしてきた『パリ国立オペラ』。彼らの総力を挙げた、日本への引っ越し公演がついに実現する。世界最大級のオペラ・カンパニーが満を持して届けるプロダクションは、エポック・メイキングな話題作4作品。その作品に触れる時、あなたは知の最前線に立つ。」うわ~誰が書いたんですか、この文章!? と感心しながら既に私は引き込まれていた。セールストークに弱いというか。しかも、演目の一つは、興味がありながら、これまで見る機会のなかった「トリスタンとイゾルデ」である。というより、あとの演目はさっぱり知らないものばかりだった。そうか、トリスタンとイゾルデだよ!さらに、鬼才ピーター・セラーズ(最近名前を知ったばかりで恥ずかしいが)の大胆演出に、ビル・ヴィオラの映像(これも確か森美術館で展覧会をやっていたのに見損ねた)を駆使と書いてあるのを見て、「これは行くしかない!」と思ったのだ。しかし、7月にもなってからチケットを買おうとすると、チケットぴあだと5万円のA席以上しか残っていない。「えーっ!ごまんえーん!? やめとけ。2人分だったら、家電が買える」という夫の反応はまあ予想通りだった。(いや、なにも2人でとは言ってないんだけど…)その場の会話はすぐに切り上げたものの、あきらめたわけではない。チケットぴあだけではわからんと、翌日、公演事務局がある東京音協に電話した。もちろん、個人的にである。すると、なんとB席が残っていると言うではないか!このとき、電話に出てくれた方はとても感じがよくて、残っているB席のうち、1階のやや端のほうだけど、S席のエリアからさほど遠くない席が、2階の後ろのほうや真ん中でも3階から見下ろすのに較べたら断然オススメですよ、とアドバイスもしてくれた。ここはもう即決! チケットを押さえてしまってから事後報告である。「いや、日程からしても、最終日7月31日の木曜午後の回しか行けないし、 問い合わせてみたらB席が残ってたのよ!」それでも、4万2千円するのだが、最初の「5万円」が衝撃だったので、いくぶんマシだと思ったらしい。「このあいだもらった自分のボーナス(ほんのわずかだけど)で買うからいいでしょ?木曜の午後だから、残念だけどあなたは行けるわけがないし、3時始まりだからそんなに遅くならないし」とかなんとか、もう買ってしまったのでどうこう言われてもしょうがないが、いちおう家族も納得したようだ。(有無を言わせず)これだけいろいろある大東京の催し物三昧の中で、どれを選んで行きますか?たまたま出会うことのできる芸術というのは、絵にしろ音楽にしろ、無数にすれ違う人々の中で、たまたま友達になったり恋人になったり夫婦になったりするのと同じように、きっと特殊なご縁があるのだろう。自分で選んでいるようだけど、選ばせるのに何かの力が働いているとしか思えない。というわけで、「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで自分で大枚はたいたパリ国立オペラ。期待に胸が高鳴ります。パリ国立オペラ初来日公演。東京公演は7月23日から始まります。(今、公式サイトを見るとまだB席も残っているようだ。直前だからかもしれない)
2008年07月21日
サントリーホール 子ども達のためのコンサートを開催(和訳は非公開とさせていただきます。ご興味ある方はメッセージをください)せっかくなので、今回のこども定期演奏会の曲目を書いておこう。山田耕筰:「赤とんぼ」伊福部昭:「SF交響ファンタジー第1番」より冒頭部芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽より第2部三善晃:管弦楽のための協奏曲より抜粋細川俊夫:ハープ協奏曲「回帰」-辻邦生の追憶に-(東響委嘱作品)の抜粋武満徹:弦楽のためのレクイエム冨田勲:「新日本紀行」テーマ三枝成彰:「忠臣蔵」お艶のアリア「この女はあんた一人のもの」坂本龍一:戦場のメリークリスマス千住明:大河ドラマ「風林火山」テーマソリストとして、ソプラノの釜洞祐子さん、ハープの吉野直子さんも出演。このあいだ行った「子どもにメシアンを聴かせるコンサート」よりは、はるかにとっつきやすい。知っている曲、懐かしい曲も多いだろう。演奏の間に大友さんのトークがあり(←あ、ここもカットされていた)、楽しめるのではないだろうか。子ども達が武満徹の「弦楽のためのレクイエム」をどんなふうに聴くのか、にも興味があるので、本当は息子達を連れて行きたいが、なにせ、サッカー少年達の週末は、部活だリーグ戦だ都大会だ、とこの暑い中もっぱらアウトドアである。「大人の方も歓迎」ということだから、今回は別行動で涼しいコンサートホールに行こうかな。。
2008年07月20日
今日は、たいていの学校が1学期の終業式。海の日が週末にかかるため例年より少し早い。夏休みに入るこの時期、ここの小学校では、「地域班」と呼んでいる近隣の集団ごとに子ども達のイベントをやるのが慣例である。「地域」を意識するのは、だいたい子育て中の母親か老後の隠居世帯であって、働き盛りの人々は、地元での商売でない限り、普段はあまり関係ないと思っているだろう。定年後の「地域デビュー」という言葉もあるらしい。子連れママの「公園デビュー」みたいに。我が家は引っ越しが多かったので、地域への帰属感をほとんど持てずに過ごしてきたが、このエリアでの生活は5年になろうとしており、結婚以来の最長記録である。少なくとも、息子たちはこの「地域」の子どもに属することになるだろうし、そうすると、母親としても、地域の保護者の一員というぐらいの関わりは持つことになる。「夏の地域班集会」なるイベントを仕切るだけならできるかな。。と今年は世話人の一人になっていた。引き受けたもののほとんど何もせず、学校での会合などは仲間のお母さんに任せきりだったが、さすがに直前になると、打ち合わせやら買い出しやらで多少イベントモードになり、そういった準備で、近所の小学生やママたちと多少の交流が持てるのはそれなりに楽しかった。さて、アトラクションとして、子ども達の希望に基づき、恒例の「すいか割り」はやめて、今年は「宝探し」をやろうということになった。ここは、大きな集合住宅の班なので子どもの数が多い。60人もの子ども達に順番に目隠しをして、棒でたたかせてあげるために、すいかを3,4個手配し、最後に切り分けて振舞うのは、これまで見ててとても大変そうだったから、すいか割りでなくなって正直ほっとした。しかし、「宝探し」という新規の試みをするとなると、これはこれでなかなか面倒。もちろん、屋外のイベントであるが、どの範囲に宝を隠したらいいか? いや、宝そのものでなくて、宝の引換券たる番号札を探す方式のほうがいいんじゃないか? 宝というか賞品はどうする? みんな同じじゃつまらないだろう。中身は?この暑さだから、お菓子の類はやめたほうがいい。飴もチョコレートも溶けてしまう。この予算で、お菓子じゃないものを60~70人分調達することは可能か?こういうとき100円ショップは大いに使える。久々に近所の100円ショップを物色したら、ちょっとしたオモチャや文具やハンカチなど、自分で買おうとは思わないけど、賞品でもらえるなら結構気の利いているかな、というものがいろいろあって、世話人母達にとって買い出しが「宝探し」のようだた。「意外といろいろあってよかったねー」ショップ側にとっても、これだけのまとめ買いは、売上に多少貢献しただろう。で、それなりに準備していたのに、昨夜の天気予報通り今日の午後は雨が降った。雨天中止。しかも、ぎりぎりで降り始めたので、6年生達は、すでに公園内に「宝引き換え番号札」を隠してくれていた。そこへ、無情にもパラパラ雨が降ってきて、雷までゴロゴロ鳴り出した。これは危険だ。強行してはいけない。あーあ残念。せっかく準備したのにね。でも、準備万端のイベントが雨でパーというのは、世の中にはしょっちゅうあることなんだろうな。。完全中止モードに入りかけてから、はたと気づいた。あの「宝」をどうするんだ?全部同じお土産なら、あとで配って回ればいいけれど、「宝探し」の賞品だから、いろんな種類があり、大当たりの景品にした大きなビーチボールだってある。どれを誰にあげるかどうやって決めるんだ? 困った。こんなのは、雨が降った場合のシミュレーションが足りなかったと言わざるを得ないが、ここで悔やんでいてもしょうがない。その場で知恵を絞り、世話人の母達の協議の結果、少なくとも、どの宝が当たるかに正当性をもたせるために、くじを引いてもらうことにした。手分けして集合場所変更の連絡を回し、6年生はせっかく公園に隠した番号札を大急ぎで回収。これは彼らにとっての宝探しみたいで、あっという間に札が集まったが、「4枚足りません」と言う。いいよいいよ。なんとかなるから。でもどこに隠したんだろね?定刻3時半。建物のエレベーターホール前に集合した60人余りの子ども達。壮観である。少子化と言うけれど、産んでいる人は産んでいるのだ。母達よ、胸を張ろう。こんなに大勢だと、とにかく統制をとるのが大変だ。マイクもないので、大声を張り上げる。「今日は、公園で宝探しをするはずでしたが、雨が降ってきたので、 ここでくじ引きをすることに変更しました。くじで宝が当たります!」小さい子から順番に、本来公園で見つけるはずだったお札が入った袋に手を入れて1枚引く。袋を持つ役、名簿に控える役、宝を渡す役、1人1本ずつチューペットを配る役などなど、駆け付けたお母さんたちに助けられ、6年生たちもよく動いてくれて、すばらしくスムーズとまでは言えないまでも、なんとか無事全員にそれぞれの「宝」を配りきって終了した。多少の雨をものとせず、宝探しの後にやるはずだった水鉄砲合戦に興じる子達もいたし、くじで当たったシャボン玉をさっそく開けて遊び始める子もいた。まあ、あとは好きにやってください。集会というのは、もともと集まることに意義があるわけだから、たとえ、当初の予定通りのアトラクションができなくても、これだけ大勢の子ども達が近所に住んでいることが改めて実感でき、普段あまり接触のなかった親同士も、お互いの顔が少しわかって言葉を交わすことができたのは、参加者にとって収穫だったと言ってもいいだろう。そういう意味では、「雨天完全中止」にしなくてよかったと思った。と同時に、常に、雨の場合のことも、あらかじめもっと考えていなければいかんと反省するのだった。これは、ほかのイベントでも同様だろう。
2008年07月18日
毎週木曜発行のアート関連紙面のうち、右ページのアート批評は、だいたいはネイティブのアートライターが執筆し、その隣、左ページの展覧会リスト作成が、当初からの私の担当である。開催中の展覧会のうち、めぼしいものをずら~っと並べたリストとその中からピックアップして画像付きで紹介するコラムがあり、関東・関西各3本で計6本、オススメ展覧会の紹介文を載せる。リストに何を入れるか、コラムに何を選ぶかも自分で決められるのだから、これはれっきとした編集だと思って取り組んできたが、まあ、新聞の紙面全体から見れば、きわめて地味なページとして、非正規社員に任されているのであろう。コラム内の紹介文のうち2本ずつ、毎週毎週書き続けているうちに、通産250本となった。時々記名で書かせてもらっているコンサートの告知記事と違って、これらはほとんどが無記名の地味ーな記事である。事前に記者内覧会などにタイミングよく参加して、見てから書いた場合は署名するが、それだと、掲載するのが会期が始まってからということになる。基本的に批評が期待されているわけではないし、そんなことを盛り込めるword数でもない。だいたい200word前後で紙面上で10数行というところ。そんな小さなスペースに無理やり自分の感想のようなことを書くために時機を失するよりは、「これからこんな面白そうな展覧会が始まりますよ!」ということを事前にお知らせするほうがよい。というわけで、あちこちから送られてくるプレスリリースを基に書くのだが、「なーんだ、リリースの翻訳か」と思ったら、それがそんなに簡単ではない。まず、詳細なリリースの場合、ひと通り目を通すこと自体が大変で、どのみち全部紹介できるわけではないが、慣れないうちは説明のどこを拾って書けばいいのかさっぱりわからなかった。また、難儀なのはアート系の文章の抽象的な表現である。特に現代アート。たとえば、以前に書いた展覧会のリリースの文中にこんなのがあった。「多量の情報を距離や時間に関わりなく瞬時に交信できる高度情報化は、バリアフリーや新たなネットワークの形成をもたらしました。しかし、意識や経験は記号化され、人と人とのつながり、時間や地域の感覚、自己の存在までもが希薄になるなど、私たちの知覚や認識のあり方に大きな変化をもたらしています」なんか、わかったような文章でそんなに抵抗はない。しかし、これをそのまま訳そうとすると、さっぱり意味不明な英文になり、つき返される。直された後の最終バージョンはこうなった。「情報化時代は、新しいコミュケーションのネットワークを作り出した一方、パーソナルな 相互関係を減らし、自己の存在についての感覚を変えた」どうだろう?無味乾燥? でもかなり明解である。このように、無駄な修飾語はそぎ落とされる。限られたスペースだから尚さらである。日本語だと通用してしまうかもしれない「微妙な雰囲気のある言い回し」は却下。わかりやすくシンプルに。おそらく、どんな外国語でも通じるエッセンスだけが残る。さらに、主催者側の自画自賛みたいな形容もカットされる。プロモーションをそのまま受け売りにするのではなく、もっとニュートラルな位置で書けと。それでいて、読んだ人に「ほー、面白そうだな。行ってみようかな」と思ってもらうには、何をどう書けばいいんだ?…と毎週悩みながら書く。もともとアートの専門家でもないしね。しかも、毎週全然違う内容の展覧会を取り上げるので、そんな日本の仏像やら刀やら浮世絵やら茶道具から、西洋絵画に彫刻に現代アートのわけにわからんインスタレーション作品まで、すべてに詳しくなるなんて無理である。ま、以前より多少、興味の幅は広がったが。さて、今日掲載されたうちの1本は今週末から始まる庭園美術館での展覧会「舟越桂 夏の邸宅 アールデコ空間と彫刻、ドローイング、版画」内覧会は明日だからそれを見ずして書いたバージョンだが、舟越桂さんの独特の作品は天童荒太作『永遠の仔』の表紙や、ほかのギャラリーでの個展のハガキで目にしたことがあるし、旧浅香宮邸である庭園美術館の雰囲気も知っているので、まったく予備知識のないものよりは多少手がかりがある。この頃はリリースの文章を読むと、どういう部分がエディターに却下されるか、だいたいわかる。「舟越桂は、彫刻と同じくドローイング、版画も重要な創造の領域と考えています」・・・これはOK。「かれにとってドローイングは彫刻制作のための単なる習作にとどまらず、 一つの完結した世界を構成しています。」・・・この「一つの完結した世界」というのはダメ。そして、末尾のこういう表現は過剰であり、うんとシンプルにカットされる。「もうひとつの見どころは、アール・デコ装飾に彩られた庭園美術館の空間と舟越桂の作品がどのように出会うかです。個性豊かな部屋と、そこに置かれた舟越の彫刻、ドローイング、版画は、ひとつの緊密な織物のようにからみあい、ほかでは体験できない稀有な空間と時間をかたちづくります。美術館は魔術的な驚きに満ちた『夏の邸』に変貌します」で、結局こんな感じになった。(もとの記事はこちら) 庭園美術館で開催の「夏の邸宅:アールデコ空間における舟越桂の彫刻、ドローイング、版画」は日本の現代彫刻をリードしてきた彫刻家の作品を紹介する。彫刻家を父に持つ舟越桂(1951生まれ)は、東京の大学で美術を学んだのち、クスノキ材で人物像の木彫を始めた。舟越は、具象彫刻に対するその新鮮なアプローチにより、日本国内でも、1988年のベネチア・ビエンナーレや1992年のドクメンタIXを含めた海外でも評価を得てきた。彼の彫刻表現の発展は、2006年以来取り組んでいる、謎めいた両性具有でデフォルメされた長い耳を持つ「スフィンクス」シリーズの創造につながった。本展は、「スフィンクス」シリーズからの挑戦的な作品と、このアーティストのキャリアの各時期における代表作を含めた19の彫刻作品を紹介する。このほか、舟越が彫刻と同等に重要な表現形態と考えているドローイングや版画から、40のドローイング作品と20の版画作品も展示される。見る人は、旧浅香宮邸である美術館のアールデコ調の部屋と、舟越のユニークな作品との豊かなハーモニーを楽しむことだろう。・・・日本語にすると、ますます味気ない気がしてしまうが、これで、この展覧会のだいたいの感じがわかって「行ってみよう!」と思ってもらえるんだろうかね…?
2008年07月17日
某料理雑誌に各国大使館を訪ねてその国の家庭料理を学ぶという企画ものの連載があり、ひょんなことから手伝い始めて1年半ほどになる。新聞社の勤務日とうまく調整がつけば、料理の撮影に同行して通訳のようなアシスタントのようなことをすることもある。撮影前の打ち合わせのために大使館に同行するとか、事前にその国の食文化について下調べするとか、打ち合わせや撮影時の取材内容のメモ作成とか、ほんの一部の原稿書きとか、いろいろこまごました仕事がある中で、何と言っても一番大変なのは、「アポ取り」である。電話する、企画書をメールで送る、FAXで送る、また電話する、見本誌を送るなど、あの手この手でしつこくあきらめずにアプローチするが、なかなか門戸が開かない。・担当者の個人名を知らなければ、電話の大代表からは取り次いでもらえず、 先に文書で送れと言う国(→そうしました)・こういうレストランが名古屋(!)にあるからそっちに行ってくれという国 (名古屋まで行くのは無理です)・文化担当参事官の交代のため、今すぐには無理と慇懃に断ってきて 半年ぶりにメールしてみたらOKとなった国 (お待ちしてました!)かと思えば、FAXを送った直後に向こうから電話をくれるありがたい国もある。アジアン・バザーなど、ほかのイベントで会っていると話がスムーズだったりもする。とにかく、打ち合わせのために大使館を訪問するところまで漕ぎつけたらほぼ成功。後の調整は主にボスがやってくれるし、撮影自体には私は不参加でもOK。なんだかんだで、10数カ国の大使館に同行させていただき、それぞれで聞いた話は興味深かったし、作ってくださった料理も美味しかった。わざわざ大使館に行って、「レセプションで出す立派なビュッフェ」とか、「賓客をもてなすディナー用の凝った逸品」ではなくて、「素朴な家庭料理を一皿だけ教えてください」なんて言うのも、相手のほうが戸惑うようだが、ボスは、その国の代表窓口としての大使館が出してくる「家庭料理」に意味があるのだと言う。公邸シェフだけでなく、大使夫人や男性の参事官が腕を奮ってくれた国もある。ま、どんな人でも毎日美食に明け暮れるわけではなく、基本はふだんの家庭料理ですもんね。今までに掲載した国を眺めると、ヨーロッパ、北米、南米、東南アジア、中東、南太平洋…とバラエティに富んでいるが、どうしてもいわゆる先進国が多い。そして、一度も行っていないエリアがある。それがアフリカだ。「アフリカも一度やってみたいわねぇ。ちょっといくつか当たってくれない?」ボスがそう言うのはもっともだが、これがなかなか難儀である。5月頃、いくつか当たってみたら、まあ愛想の悪いところが多い。「御承知のように、もうすぐTICAD(アフリカ開発会議)があるので、今はそれどころではありません」はあ、そりゃそうですわね。すみません。それが終わってからまたご連絡します。6月に再び電話してみると、「いや、今度は洞爺湖がありますからねえ、うちも参加するんで、また大変なんですよ」と言われた。「もうサミットが終わってからにしましょうよ」とボスに連絡して、しばらくほったらかしにしていたのだが、そろそろ動かないとまずい。というわけで、昨夜、宛名書きをした。企画書と一緒に見本誌を送ろう。エチオピア大使館御中とかタンザニア大使館御中なんて食卓でせっせと書いている母親を息子たちはいぶかしむが、もはや母が少々何をやっていてもあまり驚かなくなってきた。それにしても、飢餓に苦しみ、食糧高騰で暴動や抗議が起きているアフリカの国々に、料理雑誌が取材に行くというのはどうなんだろう?日本にある大使館の中なんて、ほとんどその国の現実とは別世界ではないだろうか?本当は疑問ばかりが先に立って、引きたくなるのだが。でも、こういう苦しい状況だからこそ、アフリカのことをもっと知る必要が確かにある。大使館にいる人の口からでも、本国の今の現実についての話を聞きつつ、でも、本来の伝統としては、こういう豊かな食文化があるのです、ということをビジュアルで紹介できれば、少しはその国を知ってもらうことができ、単に経済支援の対象としてではなく、困っているけれど本来は誇り高き国として向き合うことにつながるかもしれない。。。そんなに甘くはないけどね。。。やっていることにあまり確信がないまま、今朝、いっせいにメール便を発送した。どこかの国から良い反応があるだろうか?
2008年07月15日
4月のはじめに記事を書いた前後から、東京交響楽団の定期を何度か聴いている。今日は、大友直人プロデュースの東京芸術劇場シリーズ。同じオケでも、現・音楽監督スダーン、前・音楽監督の秋山和慶さん、常任指揮者の大友直人さん、その他客演…と指揮者によって雰囲気が変わるのは面白い。お客さんも、東京芸術劇場は年齢層がサントリーホールより若干高い気がする。長年毎回来ていると思しき常連さんが、1曲目から「ブラボー!」を叫ぶという和やかさ。今日も客席は8割ぐらい埋まっている。冒頭は、エルガーの行進曲「威風堂々」の4番。今年、大友さんはこのシリーズで威風堂々を5曲全部演奏するというプランで、有名な1番以外は初めて聴くものが多いが、今日の4番には聴き覚えがあった。このあとトルコのピアニスト、フセイン・セルメットをソリストに迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲21番があって、休憩後に、コープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」とガーシュインの「パリのアメリカ人」というアメリカの作品が2曲続くという盛り沢山なプログラムである。親しみやすい曲が続いて楽しめたが、なぜ間にモーツァルトが来るのかちょっと不思議だったし、モーツァルトはやっぱり難しいのだ…とも思った。今回はソリストの演奏自体が特別ひどいというわけではなかったが、ソリストなんだからもう少し聴かせてもいいのに、と歯がゆくなるようなオケとのコラボ優先みたいな演奏で、結果的にモーツァルトに靄がかかっている感じだった。あんなに有名な2楽章が今日はピンとこないのは、私の体調が悪いのかと思ったほど。とくに高音のメロディに膜がはっているように時々聴こえなくなり、オケの ♪ンたたたたた というゆったりした伴奏ばかりがやたらに聴こえる。きっとセルメットはとっても良い人なのだろう。にこにこ笑顔で、演奏終了後は指揮者とハグしたり、カーテンコールの途中、ピアノの前で足を滑らせたり、椅子をきちんと戻したり、ピアノにふたをしたり、近所の愉快なおじさんといった風情で客席の温かい笑いを誘う。それが、アンコールはびっくりするほど素晴らしかった。後で確かめたら、ブラームスの6つの小品の第2曲「間奏曲」というものだったが、これは情感たっぷり思う存分歌い上げて別人のようなのだ。あっさりとクリアーなモーツァルトより、こういう曲を、それも、ステージの上ではなくて、たとえば夜、彼の練習室で「私のために1曲弾いて下さい」と頼んで、ピアノの横で聴いているのが一番いいかもしれない。そうしたら、ほかの人への気兼ねや照れ隠しの必要もないだろう。休憩後のアメリカものにも、さっきからの靄のような霧のようなものが、まだたちこめている。「アパラチアの春」は、時々美しい部分があるのだが、全体のまとまりがないように思えたのは、バレエ抜きのバレエ組曲だったからか、プログラムの解説に書いてあった様式の異なる音楽を混ぜ合わせるというコープランドの「万華鏡技法」とやらのせいだろうか。「パリのアメリカ人」の冒頭でクラクションが鳴ったり木琴をたたいたりのパリの雑踏の情景がひとしきり描かれたあとだった。2階の最前列の真ん中に座っていた私のちょうど真向かい、ステージの金管の列の真ん中で、突然、ラッパが高らかに歌いだして、目が覚めた。こんなに素晴らしいトランペット・ソロのブルースは聴いたことがない。このオケに数人いるガイジン奏者の一人、首席トランペットのアントニオ・マルティである。そして、急に霧が晴れたように音がよく聴こえるようになった。そこから先、オケはのびのびと歌いだし、指揮者も踊りだし、真面目なオ―ケストラで聴くジャズも悪くないなと思えた。私はあのトランペット・ソロがどうしてももう一度聴きたかった。「もう1回やってもう1回やって!」と祈りながら待っていたら、クライマックスにきて、もう一度あのメロディをさらに朗々と吹いてくれたのだ。もう今日はそれだけで大満足だった。胸のすく突き抜けたトランペットの音色はオケを生き返らせるようだった。もちろん、惜しみない拍手とブラボーが彼に寄せられた。やっぱりソリストは歌舞伎者であってほしい。
2008年07月12日

「あつくなりましたねー。今日は英語の絵本を持ってきました」金曜日の朝は、小学校のどこかの教室で朝からテンション上げてご挨拶。"Good morning!"前夜どんなに遅くて寝不足でも、子ども達の前で疲れた顔はできない。"I'm fine, too, thank you!"と返さなくちゃ。1時間目が始まる前の朝一番15分間を担当するボランティアとして、ALT(ガイジン講師)が来校した時にやった授業の簡単な復習をしたり、英語に親しめるような絵本を読んだりする。この日は1年2組。「みんな、カバって英語でなんて言うか知ってる? そうそう誰か言ってるね。ヒポポタマスじゃなくて、hippopotamusね。長ったらしいからhippoでいいです。ちょっと言ってみようか、HIPPO!」今日は、うちにあったカバのお話の絵本を持ってきました。これは、今はもう高校生になった、うちのお兄ちゃんが3歳のお誕生日にもらったものです。そのころ、日本じゃなくて、スイスという国のジュネーブという町に住んでいました。ジュネーブにはいろんな国の人が住んでいて、ケニア人のおばさんとお友達になりました。そのおばさんがお誕生日のプレゼントにアフリカのケニアのお話の絵本をくれたんです。英語で書いてあるから日本語に直して読んだら、うちのお兄ちゃんはこのお話を気に入って、小さい頃何度も読みました。それで、今だにこの本をとってあったんです。みんな動物園でカバが大きな口を開けているのを見たことがあるよね。(見たことある人、と前で手をあげると、あるある!とかハイッハイッ!とか言いながらバーっと手があがる。低学年らしい反応にこっちも調子づく)カバはなんで口を大きく開けるんでしょうか? というのがこのケニアのお話です。じゃ、ちょっとクイズです。(こどもはクイズが好き♪)カバはなぜ大きく口を開けるのでしょうか? 次の3つのうちどれでしょう?1.あついから(ここでほとんどの子が手をあげる)2.口がくさいから(えーっ?と笑いながら敢えてこれを選ぶ子もいる)3.口の中を見せたいから(ここは最初はゼロ票)さあ、このお話では何と言ってるでしょう? 今日は英語で読んでみるけど、○○先生が日本語を言ってくださるので安心してください。でも、最初から日本語ばっかり聞いてしまわないで、英語を聴きながら、何て言ってるのかなあ? たぶんこういうことかなあって想像してみてね。絵を見るとわかるかもしれません。勘が大事です。で、日本語が出てきたら、だいたい合ってたなーとか確かめてください。・・・というわけで、この絵本を小学校で読むのも3年目である。 10年以上も経ってから、"HOT HIPPO"をこういう場面で読むとは思いもしなかった。夫の海外転勤のため仕事を辞めてついて行き、1歳の息子を連れて不安だった私に、とてもよくしてくれたあのケニア人のエルヴィラはアメリカ人のご主人と一緒に今はケニアに住んでいるはずだが、元気でいるだろうか?このボランティアがきっかけでちょっと英語を勉強し直したことが、今の仕事につながったということもあって、ボランティアのほうも大切に思えて少なくとも末っ子が卒業するまでは続けようと、4年目に入ったわけである。初めての時はすごく緊張したが、今は前振りトークもすっかり慣れてしまった。担任とのコラボも結構楽しい。重要な場面で、ケニアの万物の神様であるNgai(ンガイ様)が出てくるのだが、「先生、ンガイ様の台詞だけ英語を言っていただくか、日本語訳を朗読していただくか、どっちがいいですか? 私が全部読んでしまったらつまんないですから」と提案してみたら、1,2年生各2クラスで4人いる担任のうち、3人の先生はンガイ様の役の台詞の英語を特訓して、迫力のある神様を熱演してくれたし、もう一人の先生は、今日、しっとりした日本語の朗読を聞かせてくれた。やっぱり小学校の先生はなかなか芸達者である。小学校で英語を教えることについては、いろいろ言われているが、実際の現場をどれだけ知って言ってるんだろうか?と思う意見も多い。少なくとも子ども達は好奇心旺盛だし英語の絵本の読み聞かせは大好きだ。かんたんな絵本とは言え、英語だけで理解しろというのはちょっと無理だが、日本語のフォロー付きで楽しめたらじゅうぶんだと思う。もちろん、それで英語ができるようになるとは思わないが、何度も出てくるような英単語が一つでも耳に残ればいいのだ。この話だったら、hippoとか、雷のように轟くンガイさまのAha!という台詞とか。じーっと絵を見つめて聴いてくれているのは嬉しい。耳を傾けているうちにちょっとわかった気がするらしい。現代音楽みたいなもんかな♪そして、何でも大きな声で真似して発音してくれる。天真爛漫な年齢だ。そういう年齢ならではの外国語の刺激は悪くないんじゃないかと私は思う。別にそれで国語がおろそかになったりはしないだろう。重要なのは、世界には日本語以外の言葉もいろいろあって、違う言葉を話して暮らしている様々な国があり人々がいるということをなるべく幼い頃から知ることだと思う。そして、そういう人たちと友達になってみたいな。。と思ったらきっとその言葉が少しずつわかるようになるのだ。言葉はコミュニケーションのためにある。コミュニケーションはサバイバルのためにする。日本語だってそうだ。ということが実感できたら、それこそ国語のためにも役に立つんじゃないかな。************日本語訳も出てて、そのタイトルは「あつがりカバ」となっています。訳者の草山万兎?というのは、なんと河合雅雄さんのことでした!なんだかうれしいです。
2008年07月11日
和文英文両方で書けるライターを目指して(!)カイシャでも「すべては修行」と割り切って、あらゆる雑用をこなすのだが、私の任務の一つに「郵送物の仕分けと整理」というのがある。こう書くと、いかにも下積み感があって思わず卑屈になりそうだが、これが意外と重要で、新聞社に身を置くメリットだと思っている。報道部ではなく学芸部なので、郵送物はまあだいたい何らかの文化ネタである。宛名が個人名だったら、もちろん開けずに本人に渡すし、本来「学芸部長様」と書いてあるものは部長が読むべきだが、今の部長はガイジンなので、自分の担当分野に関しては「代読」の上、必要に応じて報告することになっている。学芸部御中とかご担当様とか、とっくに退職したり異動になった社員宛ての場合は、とにかくどんどん開けて中身を見ていく。私が担当するのは、美術関係と音楽関係。相棒のバイトが映画関係を管理し、それ以外の雑多な文書は、記者が手分けして適宜見ているようだが、はっきり言って、大部分を占めるのは美術と音楽である。まあ、よくこれだけの展覧会とコンサートが開かれているもんだと驚嘆する。これみんなお客さんがくるんだろうか?とひとごとながら心配になるぐらいだ。で、何のために、これらが新聞社に送られてくるかと言うと、告知欄で紹介してほしい、さらにできれば、取材して批評記事を書いてほしいからであるのだが、限られた紙面にどれを載せるかというのはなかなか難しい。日々の事件や政治経済情勢の報道とはまた違った、文化欄ならではの「編集」がある。日々、雑多な封筒を開けて、中身を吟味し使えるように整理する、なんていうのはイマドキの感覚からすると、かなりレトロな作業に属するものであろう。なるべく効率よくあまり時間をかけずにやりたいけれど、そもそも、この数の封筒をハサミで切って開けるだけでも結構な時間がかかってしまう。いっそ、開けずに全部捨ててしまおうかという誘惑に駆られることもある。だって、ここにたまたま届いているモノ以外にも膨大な情報が溢れているではないか。どっちみち網羅されていないのなら、これだけを開けて眺めても時間の無駄。それに、どっちみちこれ全部を載せられるわけじゃないんだから、最初から掲載スペースに合わせてネットで検索するほうがいいのではないか?と。しかし、ここですべてをネットで検索する場合を考えると、そっちのほうがもっと時間がかかることに気づく。すべての美術館、ギャラリー、コンサートホール、音楽事務所、各種イベントの主催者…などなどの公式サイトをいちいちチェックすることなど、とても不可能である。かと言って、ネット上の「おすすめリスト」の類は既に誰かの「編集」を経たものであって、そのまま転用するわけにはいかない。結局、ネットだけに頼るわけにはいかないと悟る。かくして、日々、紙の郵送物と格闘するわけだが、紙でできた文書と宛名のある封筒という形であることによって、情報そのものと、それに付随する周辺的な事情も受け取れるのである。ここの美術館からはいつも来るが、あそこからは全然こないとか、(これはこちらの取り上げ方による場合と、先方の事務方の事情による場合と両方ある)ここの美術館はいまだに10年以上前に辞めた部長宛てに送ってくるとか、(これは多分にこちらの歴代部長またはその当時のスタッフの連絡不足という怠慢である)ここの美術館は私を入れて4人分も(!)同じプレスリリースを送ってくるとか。(広報の予算がふんだんにあるんだろうか?意外と国公立系機関に多い。もったいないです)また、形態についても、ハガキ一枚というものから、ものすごく気合いの入ったリリースまでさまざまである。日本語と英語と両方作っているところもあって助かったりする。企画の実施時期よりどれだけ早い段階で送って来るか、期日近くなっても、再度告知依頼が来るのはなぜか、同じチラシを何回送って来たか、それはこのあいだ行ったコンサートでもらって帰ったものと同じではないのか?・・・いろいろな事情が読み取れたりするのである。そんなことを考えながら、ひたすら開封していく作業は、余裕のある時には結構楽しい。開けているうちに、これから、どんな展覧会やコンサートがあるのか、だいたいわかる。たとえ、すべてを網羅していないにしても、少なくとも広報に予算をかけて、いろいろなメディアに情報を送ってくるようなところが予定しているイベントに関しては把握できると言っていいだろう。見ていると、「あ、これは!」と自分なりのアンテナに引っかかる情報があり、エディターや部長のところに持って行って、「こういう企画がありますけど」と伝えると、そのうちのごく一部だが、「じゃ、君がそれ書けば」という場合もあるわけ。なので、面倒くさがらずに、デスクに積み上がって棚に並んだ紙情報から、とりあえずスタートしようという気になる。これをどう使うかはこちら次第。ネットで確認するもよし。また、本当に貴重な情報は、結局「人」が持っているのである。たとえば、今鳴ったベルが重要な電話かもしれない。「先日お送りしたあのリリースは届いていますか?」「はい…届いていると思いますが、数が多いので、もう一度確認してみます」「では、念のためにfaxとメールで、もう一度送ります」「ぜひお願いします。では、fax番号とアドレスを申し上げます」それはひょっとすると、熱意のある担当者とのやりとりの始まりかもしれない。面白いではないか!
2008年07月09日
昨日、7月6日付け朝日新聞に「知的障害児 目指せ芸能人」という記事があった。「東京都の企画会社が、障害児のためのこの5月から芸能クラスを始めた。所属タレントは、演技や歌のレッスンを受けて、テレビや広告への出演を目指し、特技や個性を仕事に結びつけていく試みである」という内容。(友人のブログにも書いてあるのでご一読下さい)このクラスを作るきっかけとなったのは、映画「筆子・その愛 天使のピアノ」(2007年 山田火砂子監督)だったと言う。この映画は、明治時代に知的障害者の教育に力を尽した石井筆子の人生を描いたもので、自らも知的障害児の母である山田監督は、撮影にあたって本物の知的障害児を公募した。彼らの出演はこの映画の感動の輪を広げ、日本全国で草の根のロングランが続いているほか、昨秋11月と今年2月には、アメリカのロサンゼルスでも上映された。実は、この「アメリカでの上映」に至ったストーリーが、私が初めて署名で書かせてもらった印象深い記事である。その際にちらっと聞いた「ロスの障害者芸能事務所視察」の話から、ついに、日本でのクラスの開始に至ったのだと思うと感慨深い。山田監督の情熱が周囲の人々の行動へとつながり、少しずつ世の中を変えるパワーになっているのだ。この同じ朝日の一面トップの見出しは「認知症2035年に倍増」というものだった。結構ショッキングな数字だが、1980年代の調査による有病率(認知症を持つ高齢者の割合)を将来人口推計に掛けるとそうなるのだと言う。有病率のデータのもととなった調査が30年近く前のものなので、やや精度が疑われるが、それを勘案すると、認知症の割合はもっと多くなるらしい。2035年か・・・今から約四半世紀後。その認知症の当事者は私たちの世代である。しかも、その手前では親の世代のうちの何割かが確実に認知症になり、その介護を担当するのも私たちの世代なのである。すでに、私の周囲にも早くから介護の現実に直面している友人たちがいる。かつて、私の祖母は二人とも認知症になり(当時は老人性痴呆症と言った)、介護自体や家族・親戚との調整で大変な思いをしていた母を、当時高校生だった私は、見ているばかりで何をどうすることもできなかった。祖母たちを見送った後、母は「私が年とってボケてしまったら、あんたたちに迷惑かけたくない」と言った。でも、実際に自分の親が年老いて認知症になった場合、どうするだろう?見捨てるなんてこと、絶対できないでしょう?たとえ認知症の故、その人とかつてのような会話ができなくなろうとも、共に過ごしてきた時間や交わした言葉を私は決して忘れないし、自分を生み育ててくれた事実は永遠に変わらないのだから。しかし、どこまで面倒をみることができるのか、まだ毎日の現実として直面していない段階では、えらそうなことは言えまい。さらに、将来、自分自身が認知症になったシーンを想像し、「見捨てることはできないが、どうしたものか」と悩む息子達を思うと、やはり、いたたまれなくなる。。ある一定の確率で、障害を持った子どもが生まれてくるのはなぜなのか?ある一定の確率で、高齢者が認知症を発症するのはなぜなのか?理由なんてないんだろう。現実としてそうであるのだろう。ただ、その現実が、身近な人の人生にものすごいインパクトを持ち、世の中全体にも影響を与えないではいない。誰でも親が認知症になる可能性がある。誰でも自分自身、認知症になる可能性がある。誰にとっても「ひとごと」ではない。そして、どんなことも本当は「ひとごと」ではないのだ。朝日新聞の二つの記事を見て、どこかつながっている気がしたのはなぜだろう?障害のない人々が障害者の面倒をみるとか、まだ認知症でない人々が認知症になった人の面倒をみるとか、という発想では、もうもたないんじゃないかな。。と思ったのだ。障害児自身ができること、認知症のお年寄り自身ができることはなんだろう?そして、健常者というのはなんだろう?「筆子」の上映会の冒頭で、挨拶に立った山田監督は言った。「経済的な観点から見れば、障害児達は効率が悪いでしょう。 でも、この子達は、本当に心がきれいなんです」「認知症」と診断されたお年寄りの心の中にはどんな思いが溢れているのだろう。健常者の常識では理解できない心の内を、なんらかの方法で本人が表現することはできないだろうか。なにか、世の中の「普通」の基準や経済的なメリットとは別の尺度を持って、障害のある人もない人も、認知症の人もそうでない人も、持てる力を発揮して、共に生きていく道を考えないと、誰もが順繰りに年をとって構成する高齢化社会では経済も世の中そのものも成り立たなくなる…。障害児の自立という希望のあるニュースと、認知症が増え続ける高齢化社会のニュース。どちらにも、家族として当事者としてどう生きるのか考えさせられる。
2008年07月07日
人の薦めで、NHK教育テレビの現代音楽の番組を見た。素人クラシック・ファンにすぎない私は、現代音楽はどちらかと言えば苦手で、たまたま見聴きしたものしか知らない。19世紀のクラシック音楽は20世紀にどうなってしまったのか?ジャズだロックだポップスだという世の中で、芸術的な音楽は「現代音楽」と呼ばれるものに発展していったというのだが、どうもわからない。番組冒頭の作曲家スティーヴ・ライヒ本人へのインタビューが興味深かった。黒のキャップが若々しく、とても70代には見えない。若い頃は、タクシーの運転手で生計を立てながら、作曲していたそうだ。当初、彼の革新的な音楽を聴いてくれたのは、文学、映画、現代アート、デザインなど、他ジャンルのアーティストばかりで、音楽関係者はほとんどいなかったと言う。現代の音楽の作り手の中にも、さまざまな潮流やら派閥やらがあるんだろうな。ライヒが、町中の雑踏で録音した人々の話し声をピアノで確認しながらその音程やリズムを楽譜に書き起こしている場面が印象的だった。「あなたの音楽をジャンルで説明するなら何だと言いますか?」という問いに、ライヒはひとこと、「Music」と答えて笑う。ジャンルなんてないさ、と。そのように、ジャンル分けにおさまらないライヒの音楽は、やがて、クラブ・ミュージックの若いミュージシャンに支持され、メジャーになっていった由。この導入の解説の後、去る5月に東京オペラシティで行われたコンサート「コンポージアム2008 スティーヴ・ライヒを迎えて」のライブ録画が放送された。このコンサートのチラシはカイシャで確かに見た覚えがあるが、ほかのおびただしいチラシの中からピックアップすることができずに見過ごしたのはやはり現代音楽に対する自分の無知のせいだったと恥じ入る。いろいろなバックグランドはさておき、その音楽はどうだったか。すごく感動したと言ったらウソになるが、面白かった。「ダニエル・ヴァリエーションズ」「18人の音楽家のための音楽」「ディファレント・トレインズ」これら3つの作品に共通しているのは、倦むことのない繰り返しである。たとえば、タタッタタッタッタタタッと私には聞こえた特定の単純なパターンが今が曲のどの部分なのかさっぱりわからないほど延々と続いてこの結末はいかに?思いながら待ち続けていると、ふと止まった。これで「終了」とわかって拍手できるのが不思議な終わり方である。ラヴェルの「ボレロ」も小太鼓の奏者は15分間同じリズムを叩き続けるが、あの曲にはそれなりにストーリーの流れがあって、だんだん盛り上がっていくから、さほど単調ではないが、こんなにずーっと同じことをやり続ける曲ってどんな楽譜なんだろう?奏者は小節をどうやって数えているんだろうか?「ダニエル・ヴァリエーションズ」の場合、ああ、グランドピアノが4台もある、マリンバ4台にどらと大太鼓か、そして、ヴォーカルが4人いるな…ふーん、変わった編成だなあ。ピアノとマリンバがなんであんなにたくさん必要なんだろう?など、テレビだから視覚的に確認してわかるが、目を閉じて耳だけだったら、シンセサイザーの音のように聴こえたかもしれない。なんとも不思議なサウンドがザザザザッと押し寄せてくる感じ。「18人の音楽家のための音楽」はもっと編成が大きくて、マリンバ5台に6人、ヴィブラフォン1台、マラカス1人、クラリネット2人、バイオリン1人、チェロ1人、ヴォーカル4人、そしてピアノ2台のうち片方はライヒ自らが演奏する。クラリネット、バイオリン、チェロ、ピアノという組み合わせは、このあいだのメシアンの「時の終りの四重奏曲」とも同じだ…たまたまかな。。マリンバはダッダッダッダッダッダッダッダッと拍の表を叩く人と、 ッダッダッダッダッダッダッダッダというすばらしい裏拍の妙技を見せる人の見事なコラボで、ダダダダダダダダ ダダダダダダダダという強烈な連打が繰り出される。(あんなにずっと裏拍を叩くのは並大抵のことではない)バイオリンもチェロもクラリネットも打楽器のような使い方が多く、弓で弦を叩き続ける音は、草原を渡る一陣の怪しい風のようだし、バス・クラリネットのボボボボボボボボという低音の連続タンギングは、電子音か動物の唸り声のようだ。人の声も、楽器のように使われ、ほかの楽器と不思議と溶け合っている。ダニエル・ヴァリエーションズの場合は、歌詞があったが、言葉の内容よりも、声の響きに重点が置かれているように感じた。ただ、これも何度も同じ言葉を繰り返すので、イヤでも聴こえてくる。「I had a dream.(悪夢を見た)」と。もちろん、ピアノもほぼ同じ音を叩き続ける。ジャズ・ピアノのように、突然即興で何か違うものが飛び出してくるということはない。そして、全体のサウンドは意外ときれいで、耳触りな不協和音という感じはしない。奏者達は、音楽の中に入り込んで恍惚の表情である。こういう繰り返しは、一種のトランス状態に導くのかもしれない。とくに叩くという単純な行為は、きっと原始時代からやってきたことであり、DNAに直接訴える力が大きいのだと思う。かつてブラスバンドやオーケストラで、パーカッションの基礎練習として、延々と机や練習台を叩き続けて朦朧としてきたことを思い出す。あるいは、ぐるぐる回転し続けて酔ったようになるイスラム神秘主義のスーフィーの旋回舞踊も、こういうことなのかもしれない。何度も何度も繰り返すことは、さまざまな宗教に使われてきたメソッドだと思う。神仏への信仰のための祭事には独特の「音楽」がつきものだ。鐘や太鼓や木魚を叩き続け、念仏や声明や祝詞を唱え続ける。盆踊りもフォークダンスも同じパターンの繰り返しである。人間は、きっと太古の昔、輪になって声を重ねては永遠に終わらない輪唱を続け、手拍子足拍子でいっせいに同じリズムを叩いたり、木片や金属を打ち鳴らし続け、焚き火の周りをぐるぐる回って踊り続け、集団催眠のような状態を作り出したのではないか。まったくの想像だが。 ライヒの「音楽」は、そのように人の原初の記憶を呼び覚ます。「なにその音楽?」といぶかしむ家族の手前、テレビの音量を相当絞らなくてはならなかったが、あの場にいて、ピアノもマリンバもひたすら叩き続けるサウンドをじかに浴びたら、どんな感じがするのだろう?あの日、オペラシティのコンサートホールは満席だったようだ。満席の聴衆が、原初のリズムの繰り返しの効果で一斉にトランス状態になったらすごいだろうなあ。聴衆が立ちあがって拍手するスタンディング・オベーションの様子に、やっぱり宗教みたいだ…と思いつつ、あのように立ち上がる感動がうらやましくもあった。生演奏に触れたらどう感じるのか、自分を実験したくなる。それも、ああいうきちんとしたコンサートホールではなくて、たとえば、ミラーボールがチカチカするディスコで、お客は好きなように身体を動かしながら聴くというのはどうだろう。ほとんど知識がないから、勝手な感想ばかりだが、新しいんだか、とてつもなく古いんだか、人間の意識状態に働きかける一つの方法を示す音楽だと思った。
2008年07月05日
梅雨の季節。あちこちで咲くあじさいの花が美しい。この世にたった一つの特別な存在でありたいと願う気持ちは、人をより良く生きさせる原動力となると同時に孤独にもする。孤独になるのは、自分が他者とは異なる優れた存在であることにこだわるからだ。しかも、普通は自己評価だけで自己の価値に確信を持つことはなかなかできない。他者からの評価を求めて、焦燥感を募らせる。一方で、人には安心して自己を溶け込ませられるような仲間を求める気持ちもある。自分だけが特別でありたいという願望は、いったん放棄してもいいような気がする。集団に埋没して感じる一種の快感かもしれない。この二つの気持ちの間で絶えず揺れ動く。どちらの傾向がより強いかは人それぞれだが。だいぶ前に流行ったSMAPのヒット曲『世界に一つだけの花』では、「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン♪」と歌う。励ましているような何の足しにもならないような言葉だ。この歌詞をとっさに不快に思ったのはなぜだろう? もともと誰もが特別? そんなことはなかろう! 確かに一定の尺度だけで測って、ナンバーワンからビリまで序列をつけると、救われない存在がほとんどになってしまうが、だからと言って、誰もがもともと特別なオンリーワンと見なすのは、評価の放棄である。ナンバーワンになろうとして、必死でがんばった者も、本当に特別なオンリーワンである特殊な者も、もともとは普通だったが、なんとかして特別なオンリーワンになろうと努力した者ももともと普通でずっと普通の者も、…誰もかれも同格の「もともと特別なオンリーワンです」と言われたらどうだろう?みんなが救われないんじゃないかと思ってしまうのだが。それに、「世界に一つだけの花」と言うけれど、たいていの花は世界にいくつもある。別にそれでいいんじゃないのか? そうであるからこそ、本当の「特別なオンリーワン」が際立つんじゃないのか?その点も、この歌があまり好きでないところである。たとえば、あじさいの花はどうだろう?あじさいは「あづさい」が変化したものという説もあり、「あづ」は「あつ(集)」、「さい」は「さあい(真藍)」で、青い花が集まって咲くさまを表したという。集まって咲く青い花か……なんと無邪気で無欲なことだろう。集まって咲く小花のどれ一つとして「私がいちばん美しい」とか「私だけはちょっと変わっている」などと自己主張する様子はない。ある小花を別の小花と場所を入れ替えてもさほど違いはないだろう。取替え可能な存在であることになんの抵抗もないかのようだ。それでいて、小花が集まって、全体として均整の取れた丸い形となるためには、自然界の厳然たる掟がある。それを破って余計な自己主張をする者がいないからこそ、きれいな丸になるわけである。完璧な調和の中に小花達は満足し、合唱団のように嬉しげなコーラスを奏でるのだ。土壌の性質により、また、時の経過につれて、緑、白、青、赤紫……と色変わりしながら、どんなに激しい雨に打たれても、常に活き活きと生気に溢れたその姿。そうか。こういう生き方も悪くはないな……あじさいの小花は、自分がその他大勢と全く同じ凡庸な存在であることを全く苦にせず、むしろ仲間とともにより大きな全体を構成することに喜びを感じるかのようだ。互いの違いなど意識したこともなく、優劣をつける必要もなく、穏やかな同調の中で個々の花は地味な生涯を過ごす。別にそれを消極的な生き方という必要もないだろう。清々しい無私の姿である。このような花が当たり一面に咲きそろっているお寺の庭などを見ると、己への執着を捨てて、同様に命を享けたすべての存在と共に仏の道に帰依してみようかなんていう気持ちが沸き起こってくるのかも知れない。・・・とは実は全然思えないのだが、そんな「あじさい寺」を訪ねたくなった。実際のところは、やっぱり「世界に一つだけの花」でありたい気持から完全に逃れられるものではないからね。そんな葛藤や努力や解脱!?が人生を彩るドラマとなる。まあいいか。みんなが「もともと特別なオンリーワン」なのではなく、同じ小花のような美徳も良し、変わった花もまた面白く、たまに、本物の「特別なオンリーワン」に出くわすと、心から素晴らしいと思うし、自分もそういうものになりたいと憧れる。いずれも素直に認めたいと思う。
2008年07月03日
昨日の「現代音楽をこどもに聴かせるコンサート」に来ていたのは、ほとんどが小学生以下の小さい子ども達であった。寝てしまうとか、退屈そうに身体をもぞもぞ動かす、というのは、ごく普通の反応だと思うが、中には寝るどころか、目を見開いて真剣に聴き入っている子もいる。凡人の大人から見るとちょっと不気味なほどの感性に感心してしまう。現代音楽を聴いて彼らがどう思ったのか、昨日のアンケートをぜひ読んでみたいところだ。ここで、思い出したのは、先月、中学校の行事として行われた音楽鑑賞会の感想文。五反田のゆうぽうとにて、現田茂夫指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、テノール独唱は志田雄啓さん、というコンサートだった由。モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とかベートーヴェンの「運命」の1楽章とかシベリウスの「フィンランディア」とか。テノール独唱で、「オー・ソレ・ミオ」とか「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」とまあ、こちらはいかにもというオーソドックスなプログラムだったが、一般中学生にとっては、それなりに新鮮だったようだ。例の熱血先生が編集する「学年便り」に、数日にわたって掲載された子ども達の感想文が面白い。目についた表現や、印象的な言葉をちょっと拾ってみると・・・♪カプアの「オー・ソレ・ミオ」は志田さんがすごかったです。最初はなんだろう、この人・・・演奏でもないし・・・。と思っていると演奏が始まった・・・その時です。そばらしい声量とテノールの美しい声が一気に会場に響きました。肺活量がとてもすごく5秒以上も声を出していました。♪いんしょうにのこったのは、運命です。ぼくがクラシックですきな曲は運命だからです。僕はくらい曲が好きなのでこの曲が好きです。あと、気がついたことは指揮の人が腕を大きくふると音が大きくなり、腕を小さくふると、小さくなる。♪私はバイオリンに目を向けてしまいました。何故かというと、バイオリンを演奏している人の腕の動きが全く一緒で、一人もぶれていませんでした。さすが、プロだなと思いました。運命という曲は、よく聞くけど生で聞くのは初めてだったから、CDで聞くよりも迫力があり、何か音に吸い込まれそうになった。♪私が最初に思ったことは、ヴァイオリンの人が勢いのあるところは体を大きく使い、優しいところは小さく動かすというところと、弓を引くタイミングや高さなどがそろっていたところです。事前学習で聞いてはいたけど、本当にそろっているなんて思わなかった。♪演奏ではところどころ音が小さくなったり、大きくなったりと、まるで誰かがしゃべっているようでした。♪一番気に入った曲はシベリウスの交響詩「フィンランディア」です。初めのほうは暗く、それからどんどん明るくなって最後は優しく、おだやかなかんじになって、その前の曲よりも、この「フィンランディア」は、なんか心の中に響いて、すごく感動しました。それまで音楽を聴いても聞いているだけでそんなになにも思わなかったけど、この交響詩は、心の底から、すごい、もっと聴きたいと思えました。♪小学生のときに、学年で行ったことがあったけど、小学生のときは1つの音楽に作曲者の思いや気持ちが入っているなんて知らずにただ聞いているだけでした。でも今回は、音楽の授業などで、楽器の特ちょうや、音楽の聞きどころなど、いろいろ勉強してから、音楽鑑賞教室に行ったので、小学生のときとは、違った聴き方ができました。(中略)これから、もっとたくさんの音楽を聴くと思います。そのときに、作曲者の気持ちや、曲の場面をかんがえながら聞こうと思います。そうすることで、普通に音楽を聞くよりも、もっと音楽が楽しめると思います。・・・中学生ぐらいの作文は、小学生より使える言葉が上等になるし、それでいて、まだ手垢にまみれていない素朴で正直な表現に満ちている。聴いた音楽の印象や、自分の感動を言葉で伝えるのは難しい。わが身を振り返っても、つい、解説などを頼りに頭でっかちになったり、逆に思い込みだけの拙い言葉を並べてしまったりで、常々苦心する。クラシック音楽という刺激に対する中学生の反応を興味深く読みながら、彼らのシンプルな言葉に学ぶのであった。
2008年07月02日
ソニー系財団主催の「子どもたちに贈るスペシャル・コンサート」のPR会社から連絡があり、あらためてリリースを見たら、すごく面白そうだった。メシアンの現代音楽を子ども達に聴かせましょう、という企画である。構成・司会は、故武満徹氏の愛娘で音楽プロデューサーの武満眞樹。曲目は室内楽「時の終りのための四重奏曲」より抜粋。演奏は、ヴァイオリン堀米ゆず子、ピアノ野平一郎、チェロ辻本玲、クラリネットはチャールズ・ナイディックという一流の実力派メンバー。さらに、詩人の谷川俊太郎が書き下ろしの詩を朗読する!一目見て、これはぜひとも行きたい!と思ったが、原則、小学生から高校生までの子どもたちのためのコンサートであり、保護者はOKだけど大人だけでは不可となっている。そこで、今回は小学6年生の三男を巻き込むことにした。例によって、まず勝手にチケットを買ってから通告。「ええ~~!?それボクどうしても行かなきゃいけないの?」「そーよ。子どもと一緒でなきゃお母さんも入れないんだから」「そんな~あ、聞いてないよボク」まるで本末転倒であるが、ここはまあ付き合っておくれ。だいたい「子どものための○○」というものは、子どもの意向を抜きにして、大人が良かれと思って与えるのであるが、それは必要なことだと私は思う。結果的に子どもが喜べばめでたしめでたしであるし、少なくとも何らかの刺激にはなるに違いない。なにしろ、我が家の愚息どもは年がら年中サッカーにうつつをぬかし、自分がプレーするばかりでなく、ワールドカップだ、EURO2008だと大騒ぎして、新聞もテレビもネットもサッカー情報を収集するために存在すると言わんばかり。たまには、全然違う世界を味わってみるのもいいだろう。仕事を早めに切り上げて、途中の目黒駅まで迎えに行ったら、ちゃんと指示通りに白のポロシャツ(普段は決して着ない)に着替えてリュックをしょって改札の前で待っていた。けなげなことだ。さて、上野の東京文化会館小ホールに三々五々親子連れが集まってくる。予想以上に男の子の姿もあったので、息子も少しほっとした様子。「子どもに現代音楽を」という企画にどれぐらい人が集まるのかにも興味があった。小ホールが半分くらい埋まっていたかな。。主催者側によると、中学・高校生の試験の時期に重なったので、チケット販売も苦戦したとか。今日子どもを連れて来ていたのは、かなり音楽通のお母さん達なんだろうか?音大出身とか。だって、ベートーヴェンとかモーツァルトとか、普通のクラシック音楽でなくて、メシアンですよ!バリバリの現代音楽♪!!♪?正直言って、それまで私はメシアンの曲を聴いたことがなかった。ただ、今回の「時の終りのための…」というタイトルがいいなあと思った。私のいいかげんな勘は、そんな言葉の響きだけで決めたりする。メシアンや今日の曲目について、ある程度資料は読んだものの実際に曲を聴いたことはなし。その点では、子どもと同じ「素」の状態でメシアン初体験なのである。冒頭、武満眞樹さんの前振りのあと、谷川俊太郎さんが登場。御自身の作品の中で推薦するものとして、おならの詩やウンコの詩を読んで会場を沸かせる。武満さんとの軽妙なトークの場面では「マキちゃん」と親しく呼ぶ。なんでも、谷川さんと故武満徹氏は親友で、眞樹さんは幼い頃から「谷川のおじさん」にかわいがってもらったそうな。いや~幼い頃から、家にいながらにして、お父さんが作曲する現代音楽を聴き、しょっちゅう谷川俊太郎さんがやって来る。すごい環境だなあ。。「現代音楽とベートーヴェンの区別がつきませんでした。ベート―ヴェンのほうが最近の人かと思っていたぐらい(笑)」(はーっ、それはさすがの感覚です)やがて、4人の奏者が舞台に登場して音楽が始まった。演奏の始めと途中に、谷川さんの詩の朗読が挿入される。はじめに読まれた「みみをすます」がとても素敵だった。耳を澄ます対象が次々と列挙される。たとえば、いしころにみみをすます。・・・昨日の雨、足音、しゃっくり、赤ん坊の泣き声、暗闇の奥の耳鳴り、絶滅しかかった恐竜のうめき声、星のささやき・・・もっとあった。正確に思い出せないが、とにかく、次は何が出てくるかと引き込まれる言葉が連なる。「なんにも考えずに聴いて下さい。大人の人より子どものみなさんのほうが、 聴くのが上手だと思いますよ」というわけだったが、子どもにもいろいろいて、息子はあっという間に寝入ってしまったし、反対側の隣に座っていた5,6歳の女の子二人も最初から最後まで熟睡していた。やっぱり、難しいのかなあと思いながら見渡すと、中には目を見開いて正面を見据えて聴いているお嬢さんもいる。ほおお、たいしたもんだなあ。何か楽器を習っているのかしら。かく言う私も、まったく眠気を催さなかったと言ったらウソになる。最近は自分の身体の反応を信じることにしているので、眠いものは眠いのである。しかし、今日の演奏は間違いなく一流アーティストによる見事なものだった。メシアン初体験は、なかなか難解でかなり苦戦したが、ピアノの和音などは、意外と調和的。印象的だったのは、バイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノもかな? 4人のユニゾン。この楽器の組み合わせで、かつ、みんなで同じ旋律を奏でるというのが新鮮だった。また、クラリネット・ソロに出てくる信じられないほど長いロング・トーンもすごい。出だしは人間の耳にはほとんど聴こえない超音波のような音のために、微弱な息を吐き出し、少しずつ少しずつ大きくなって、4小節?ぐらい経過すると、ものすごいフォルテシモとなって、ホールいっぱい鳴り響くのである。驚異的な息の長さである。チェロのソロもバイオリンのソロも美しい音。リズムや旋律はやっぱり文法のわからない外国語のようだったが、文法を少し知ると意味がわかるようになるのだろうか?それとも、ひたすら「みみをすます」ほうが大事なのかもしれない。子どもたちは、どんなふうに感じたのだろう?眠くなる波長だった子どもたちも、それはそれでよし。特定の感動を強要することはできない。一方、聴いていた子どもはアンケートにどういう感想を提出したのだろうか?興味津々である。
2008年07月01日
人生は、因果の連なりに加えてシンクロニシティ(共時性)に満ちており、最近の身の回りの現象を振り返ると、「展覧会の絵」→「バロック音楽祭」→「様々な音楽祭」という流れの上に、「現代音楽」と「子どものための音楽」という要素がランダムに押し寄せて来る感がある。そうではなくて、膨大な情報の海の中から、意識的にせよ無意識的にせよ自分の志向性に合うものに反応し、特定の情報を選び取っていった結果、出会った人であったり、経験したことであったりするのかもしれないが、それにしても、すべてを自分が招き寄せたと考えるのは不遜というものだ。やはり天の配剤だと思う。そして、それは自分の人生にとって重要な意味のある出来事に違いない。「取材」一つをとっても、単なる取材ではないのである。セレンディピティという言葉を聞いたのはどこであったか。セレンディピティ(英:serendipity)とは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す。(平たく云えば、ふとした偶然をきっかけに、幸運を掴む事。)…ウィキペディアよりこのような能力が自分に特別あるとは思わないが、何かの問いの答えを探している時に直接の解は得られなくても、別のことに気づいたり偶然聞いた話が思わぬヒントであったり、というのは結構よくあることではないだろうか?そのように何かを発見したと思ったり、あれもこれも共時性だと解釈したりする傾向が、私はひょっとしたら人一倍強いかもしれない。そう解釈するほうが元気が出て人生楽しいからだ。おめでたい性格である。おかげでモヤモヤしていた考えが形を成し、そもそも何が問いであったかを思い出したりもする。時間と空間とお金のマネジメントができれば、人生をコントロールできると常々思っていたのに、いつの間にか忘れていたようだ。あるプロジェクトにおける報酬は、集金力からコストを差し引いたものである。複数の人間が集まって行うプロジェクトの場合は、頭数で割ったり、各人の寄与度を勘案したりして分配する。こんな当たり前のことを忘れて、自分の労働の対価を考えていたことを恥ずかしく思った。プロジェクトへの自分の寄与度が微々たるもので、全体の集金力もたいしたものでないならば、報酬など限りなくゼロに近いどころか、ゼロであっても赤字の場合すらある。物書きも音楽家も供給過剰な世の中。よほどの才能か独自性がない限り、食べていけるだけのギャラは望めない。どうするんだ?・・・へこみそうになる。ここで、また梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』を引っ張り出して、第3章「高速道路」と「けものみち」をもう一度読んでみる。好きな領域があって、ネット上に「学習の高速道路」があるので、それを走り抜き、その先の「大渋滞」を抜けて専門性を極め、それで食べて行く。これは、「高く険しい道」である。やりがいのある素晴らしい人生であるが、そういうことが可能なのは、何千人、何万人に一人である。そんな「高速道路」を降りて歩く「けものみち」とは、高速道路を疾走するのに比べると、まあ何でもありの世界。好きなこと、やりたいこと、やりたくなくてもできることを組み合わせ、ときに組織に属するもよし、属さぬもよし、人とのさまざまな出会いを大切にしながら「個としてのストーリー」を組み立て、何とかゴチャゴチャと生きていく世界である。・・・今の状況に対する模範解答のようではないか!一度目に読んだ時よりずっと直接的に響く。さらに、梅田さんのブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」を開いてみると、最近の講演録がアップされていて、なかなかためになる。ちょっと端折って引用すると・・・(中略)自分をふりかえってみると、無限の情報にとりまかれている中で、いろいろ失敗をしながらも、最終的になんとか生き延びてきた理由というのは、「戦略性」ということに尽きると思います。「戦略性」というのは、「頭がいい」とか「悪い」とか、「一生懸命働く」とか「働かない」ということではない。個人が生きていく上での戦略性というのは、「いま自分がここで使っている時間というのが正しいのかどうか」を問い続ける姿勢をもっていることだと思っています。(以下略)・・・いやー、戦略性が重要!ルーティンに埋没して愚痴っている時間はないのだ。さらに、「戦略性」を敷衍して、「個の固有性を競争力のある状態にせよ」と述べる。そのことをどれだけ意識して生きていくかに、個がコモディティ化しないかどうかがかかっている。これは、頭がいいとか、勤勉であるとか、長時間働いているといったこととは別次元の話。自分の固有性、競争力のある固有性とは何だろう?ネットが普及し始めたばかりの頃に、「インターネットは空っぽの洞窟」なんて言葉があった覚えがあるが、それはとんでもない見当違いであり、現在のネットは確かに「もうひとつの地球」だと思う。多様な場所で多様な活動を営む人々が、蓄積した知識や見識に基づいて思考した痕跡を示す貴重な書き置きに、大いに敬意を表し最大限学ばせてもらおう。(これが知の「高速道路」だな)。というわけで、最近読むブログが急速に増えつつある。今日の「取材」は、面接のようでもあり、カウンセリングのようでもあり、何時間お話を聞いていても飽きることはなかった。リアル世界でもそういうことがありうるとは、世の中捨てたもんじゃない。貴重な時間に感謝する次第である。そして、私は「けものみち」を行くことをハッキリと自覚しよう。
2008年06月30日
日本を代表するショパンのスペシャリスト、河合優子。2005年以来ナショナル・エディションに基づくショパン全曲演奏会を展開中。今日はその第6回だった。河合さんの演奏を初めて聴いたのは、先日の東京ニューシティ管弦楽団のコンサートの時。コンサートの冒頭に、音楽監督の内藤彰氏のトークがあり、「河合さんは、このあいだ名古屋のリサイタルで、この協奏曲をピアノ一人バージョンで演奏されました。今日も、オーケストラの部分も自分で弾いちゃうんじゃないかなぁと思ったりしますが(笑)・・・」と冗談めかして言っておられた(もちろん、そんなことはなかったけれど)。協奏曲をピアノ一人で、とはどういうこと?オケパートをピアノ用に編曲してソロパートを弾く人と連弾するのはよくあるが、全部一人で弾くというのは聴いたことがなかった。6月28日のリサイタルのチラシに、東京ニューシティ管と共演したばかりの「ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調」のショパン自身による1台ピアノバージョンを東京初演、と書いてあったのを見て興味が湧き、土曜の午後、浜離宮朝日ホールに出かけたのである。プログラムにあった河合さん自身の解説によると、ショパンは、このヘ短調の協奏曲の全体の構想を最初にピアノ1台バージョンで書いた。オーケストラとの協奏曲の手書きのスコアも残っているが、ソロパートはショパンの自筆であるのに、オーケストラのパートの大部分は筆跡が違う。当時二十歳そこそこだったショパンは、直接オーケストレーションの作業をしておらず、誰か経験豊かなセンパイが助けた可能性が高いと考えられる。(そうだとすれば、ショパン作曲の協奏曲と言うよりは、ほとんど共作ということになるが)様々なバージョンが氾濫したショパンの作品だから、なおのこと、原点(原典)である「ピアノ1台バージョン」によって、「ショパンが本当に聴きたかった協奏曲の響き」を再確認できると言うのだ。ということで、ショパンの2曲のピアノ協奏曲両方について、河合さんはナショナル・エディションによるピアノ1台バージョンを世界初演している。さて、舞台に毅然と現れた河合さん、今日も清楚な白のドレスがよく似合う。冒頭は、バッハのインヴェンションの14番 変ロ長調。懐かしい曲だ。ずいぶんしっとりしたバッハ・・・彼女の持ち味なのだろう。左手と右手が語り合う。男女の会話のようだ。以下、すべてショパンの作品が続く。最初期の作品、ポロネーズWN1は7歳で作曲。7歳!? しかも、ある意味モーツァルトより複雑な楽譜だ。なんという早熟!10代で作曲したマズルカは弾んでいる。こんなトリルや装飾音符を誰に教わったのだろうか?キラキラしたトリルは、若い美形の男性バレエ・ダンサーが跳躍中に両脚を目にも止まらぬ速さでパタパタ打ち合わせて着地してポーズを決める、あれを思わせる。「さあ僕の(または私の)練習の成果(または芸術)を聴いてちょうだい(または聴きなさい)」と言われているようなコンサートで、気合いの入ったピアノ・リサイタルは苦手だ」と、ある音楽ライターさんのブログに書いてあったが、確かに聴き手も緊張する。しかし、ソロ・リサイタルというのは大変なことだと思う。「仲間と力を合わせる」オーケストラや合唱と異なり、ソロの演奏家は舞台上にただ一人。その日の調子の良し悪しが、ミスタッチ一つにいたるまで否応なくバレる。もちろん、プロの演奏家の道を選んだのだから、そんなことは当たり前かもしれないが、身一つで舞台に立つ一人の人間が、目の前で渾身の芸を披露するとき、聴き手も一人の人間として、畏敬の念に打たれつつ、同時に応援するような心持ちになる。だから、多少のミスタッチは許せてしまう。機械じゃないんだから。(あんまりひどいとプロとは言えないが)それより、演奏者が全身全霊で打ち出してくる音色や調べを受け取ろうと思う。とくに、今日のコンチェルトのピアノ1台バージョンのような「チャレンジ」には、思わず「最後までがんばれ」と祈るような気持ちで固唾をのんで見守ったのだった。大団円で上昇するパッセージを鍵盤の左端から右端まで駆け上がった手が高らかに上がり、ラストの低音がずしんと鳴り響いたとき、演奏者と達成感を共有したような気すらした。いや、協奏曲を全部自分で弾くのは大変だ。40分間弾きっぱなしだもの。普通はソロパートを弾いた後、しばらく「休める」ところであるはずのオーケストラ部分まで、引き続き自分で弾くのだから。ソリストと指揮者とオーケストラのコラボレーションによる掛け合いの妙と音色のバリエーションが協奏曲の魅力だとすると、一人バージョンはやや単調になるが、それでも一人でこなせるのは、ピアノならではである。一人であるから、指揮者と趣味が合わないとか、オケとテンポがずれるといったことは起こらず、すべてをピアニストが完全に支配して、「ショパンはこう言いたかったんだと思います」というメッセージをあますところなく伝えてきた。とくに、今日の2楽章のラルゲットはすばらしかった。オケへの気兼ねが不要なバージョンだからこそ、河合さんのペースで思う存分歌い上げるまさに天界のラブソングである。冒頭のバッハよりさらにしっとりと、それこそ、ショパンの意思が、河合さんを霊媒にして降りてきているのかと思うほどの旋律だった。アンコールには再びバッハのインヴェンション。今度はハ長調の会話だ。そこで、静かに終わるのかと思いきや、さらにもう一曲。このあいだの東京ニューシティ管のコンサートのアンコールと同じく、怒涛の「革命エチュード」が来た。彼女の十八番なんだろうか?ピアノに乗りかからんばかりに激しくうねるアルペジオとたたきつけるようなアクセントは、「私は一生をショパンに捧げています」という決意を示しているように今日は聴こえた。次回第7回は、2009年の1月24日。同じく、浜離宮朝日ホールにて。今度はピアノ協奏曲第1番ホ短調のピアノ1台バージョン(これもショパン自身による)を演奏する由。また聴きに来よう。
2008年06月28日
学校ネタが続いて恐縮ですが・・・昨日読み返した中学校の合唱コンクール。合唱コンクールと並ぶ、この学校の二大行事のもう片方は、もちろん運動会である。昨今は諸事情により、運動会を秋ではなく、1学期のうちにすませる学校が都内には多いようだ。本来、今年の運動会は5月31日の土曜日に終わっているはずだったが、あいにくの雨で火曜日に延期となった。なぜ、火曜日に延期かと言うと、翌日曜日だと近くの小学校の運動会と重なるし、(ちなみに、翌日曜はうって変わっての上天気で、小学校の運動会は滞りなく実施できた)月曜日は職員の休日出勤の振り替え休みとして最初からキープされているためだ。さて、お天気の推移を振り返ると、月曜日からまた雨、火曜日も引き続き雨で、延期日とされていた火曜にも運動会はできなかった。まったく、ツキのなさが際立つが、こんなことは珍しい。(だいたい、例年はカンカン照りだったのだ)こういう場合、学校の予定の立て方としては「今年の運動会は中止」とするのが原則である。えーーっ!そんな~!「運動会なし」なんてあんまりじゃん!!!しかたがないんですか。。。?例の熱血先生が配る学年通信や学級通信には「幻となった運動会」のタイトルが空しく掲げられ、生徒達が書いた「幻の運動会」の作文には、残念な気持ちが切々と綴られていた。まだ、1,2年生には来年があるからいいけれど、3年生にとってはどんなに残念なことだろう。やがて、「運動会を実施して欲しい」という署名活動が始まったらしい。次男も名前を書いたというが、ぼーっとした息子で、「へーえ! それ生徒会からなの?有志の子達がやってるの?それとも誰か先生の入れ知恵?」と聞いても、「さあ知らない」とまるで把握していない。「知らないけど、みんな運動会やりたいから名前書いてたよ」その署名集めが効を奏したのか、ほかの形でも生徒達の気持が伝わったのか、このままじゃあまりにもかわいそうではないか、と教師も親も思ったからなのか、詳細は明らかではないが、6月に入って何日か経ってから、「中止とした運動会実施のご案内」というケッタイな題のお便りが来た。6月11日には「特別運動会の朝練習について」という連絡があり、6月17日付で「特別運動会のご案内」が配られた。「特別運動会」だって! 短距離走や長距離走などの個人競技や選手リレーは省略、団体種目のみに絞ったプログラムで平日の午後から実施というものだった。23日月曜日か。おお、よかったね。「雨天の場合は、24日の火曜日に延期します。 2日間とも雨天の場合は、今年度の運動会は中止とします」ギリギリで確保した日程なのだろう。この間、1年生の宿泊行事や3年生の修学旅行があり、来週からは定期考査、週末はどこの部活も試合試合である。ところが、22日の日曜の夜じゅう降った雨のせいでグランドの状態が悪すぎて、23日朝一で中止の連絡が回ってきた。夕方にも猛烈な夕立ちが!どこまでツイてない連中なのだろう。もう今日しかないという今朝、輝く太陽にどんなに感謝したことか!ラストチャンスの運動会が実現した。延長戦までスコアレスドローの末、ギリギリのPK勝ちのようだ。本当は見にいきたいが、そうそう仕事を休んでばかりもいられない。「がんばってね」お天気ばかりは人間の力ではどうにもならない。地球温暖化の影響はさておき、少なくとも、雨が降ったのは、この中学生達のせいではない。日頃の行いが悪いから雨が降るわけではない。しかし、雨天という運命は情け容赦なく降りかかる。そのとき、どのように立ち向かうのか。署名集めの経緯は知らないが、生徒達が「運動会をやりたい!」という強い気持ちを示さなかったならば、あのまま中止になっていたかもしれない。あきらめてはいけないのだ。あきらめなかったから学校側もなんとかしてやろうとした。その結果、完全な形ではないにせよ、今日の特別運動会が実現したのだ。仕事を休めない多くの親たちは見てやれなかったけれど、子ども達の綱引きやリレーの場面を思い浮かべて、仕事場から応援していたことだろう。夜、次男が嬉しそうに言った。「オレ達優勝したよ」雨が降ってもあきらめない。誰のせいでもない、気まぐれなお天気のような運命というのは、実際ある。負けないでね!と母は祈る。負けないで行こう!と母も思う。
2008年06月24日
高校の合唱祭に行ってから、以前に書いた中学校の合唱のことを思い出して読み返してみた。今、高校2年の長男が中学3年の時の話で、強く印象に残っているものである。************************* ラドミド ラドミド…イ短調の寂しげなアルペジオに乗せて、物悲しい旋律が流れ出す。 熱い光の中で 僕は 一枚の絵になった 熱い風の中で 君は 君はひとつの 石像になった満席の体育館。ピーンと張りつめた空気の中、3年1組の自由曲「消えた八月」が始まった。さっきまで続いた1年生の元気のいい歌声や、2年生のきれいな合唱とは明らかに異なる。生徒達の異様な気迫に体育館中がたじろいだ。 光に打たれて 光に打たれて 僕は僕は 壁にとけた・・・ 風に吹かれて 風に吹かれて 君は君は君は君は 大地に・・・消えた!早い三連符でピアノが奈落の底へと落ちていく。ああ、なんという曲だろう!…と突如、生徒達の表情ががらりと変わり、やわらかく明るいメロディになった。 僕の好きな八月は 蝉と向日葵の夏 君の好きな八月は 銀河の下 星祭り無邪気な思い出を心から楽しそうに語ってくれる。そんな日々があったのだ… しかし、すべては消えた。 熱い風と毒された空気の中で 血の一滴すら流すことなく 僕は影になった 君は物になった笑顔は消え去り、沈痛な述懐から絶望のクライマックスへと曲は疾走する。 ぼくはかげに、きみはものに ぼくはかげに! きみはものに! ふるさとに・・・黒い雨が・・・降るぐっと抑えた音量で、悲しい和音がハモった。ぞっと鳥肌が立ち、目に涙が浮かぶ。 熱い光の中で 僕は一枚の絵になった 熱い風の中で 君はひとつの石像になった冒頭の旋律が一層悲しく歌われた後、最後はピアノだけ、低音のラの余韻が残った。 聴衆は拍手をしていいものかどうか戸惑った。こんな悲痛な曲が、今だかつて合唱コンクールで歌われたことがあったろうか? 合唱コンクールはこの中学校にとって運動会と並ぶ二大行事である。クラス対抗で各学年の最優秀を決めるので、毎年、繰り広げられる熱戦。生徒も担任も必死だ。課題曲と自由曲を1曲ずつ。自由曲にはそれぞれのクラスのカラーが色濃く現われる。夏休み前に曲が決まり、2学期に入って本格的な練習が始まった。本番2週間前からは、朝練に放課後練習に自主練習に、もう合唱コンクール一色だ。 3年目なので、そういう雰囲気はわかっていたが、今年の3年1組の取組みは歌の練習だけではなかったのだ。担任が発行するクラス便りには、「原爆について知ろう」のシリーズが「その1」から「その13」まで連載された。担任は、この夏の都大会でベスト8の快挙を成し遂げた野球部の顧問も務める熱血体育教師、40代という年齢は多くの保護者とほぼ同世代である。その先生の推薦があったとは言え、この「消えた8月」を歌うことが決まったのは、生徒たち自身の投票によるものだった。音楽の授業だけでなく、教室で担任の話を聞き、話し合いを重ねながら練習を積んだ。本番直前、社会の先生が貸してくれた原爆の被害のビデオをみんなで観た。その日、帰宅した息子は相当ショックを受けていた。ビデオを観た直後の練習で、彼らの歌を聴いた担任は、初めて涙を流したそうだ。 クラスは、バックグラウンドもさまざまな生徒の集団。近所の子ども達、大きくなったものだ。運動会で綱引きのヒーローだった彼が、貫禄ある低音で歌う。大人びて、斜に構えたあの子が、あんなに真剣に歌っている。不良呼ばわりされ不登校だった彼もいい表情で歌っている。歌が苦手で、音程がなかなかとれない我が息子も懸命に練習した。個性溢れる40人が、クラスでの取組みを通じて一つになり、心に刻み込んだ歌の言葉は、一語一語、聴く者の胸に迫った。 審査結果を待つ。最優秀に選ばれたのは、合唱コンクールの定番曲を歌った3組だった。青春の思いを美しく歌い上げる「春に」という曲である。1組は惜しくも1点差で敗れた。1組の女子生徒達がすすり泣いている。頑張ったのに…。最優秀に選ばれなかった悔しさと、もう中学最後の合唱コンクールが終わってしまった寂しさ…。 確かに歌詞のメッセージも大切だが、歌である以上、当然ながら、音程やリズムや和音の美しさが求められる。歌の背景のクラス活動まで知っているのは、クラス便りを読んだ1組の親だけだ。ほかの聴衆は、あくまでも本番の舞台を聴いているのだから。その点、「春に」のクラスのほうが、歌としての完成度が上だったし、「春に」には、何と言っても、安心して聴ける音楽の魅力があった。 メッセージを発するのは勇気のいることだ。ただ、それが世の中でなかなかメジャーにならないのも現実である。より多くの人に伝えたいならば、どのような要素が必要なのかを考える必要がある。そこも、今回の教訓だと思う。 しかし、それを差し引いても、彼らの歌は聴衆に強い印象を残した。爆心地付近で消え去ってしまい、すべての将来を奪われてしまった少年の魂の叫びが伝わってきた。戦争について学び、人に伝えようとしたことは、間違いなく生徒達の血肉となっている。週明けのクラス便りに、生徒達の感想が載っている。「ビデオを見てから、歌うたびにあの映像が頭を横切ります」「教室に帰ってからの先生の言葉。胸に響きました。私たちの思いが伝わったから泣く人が いたんだってことがわかって、嬉しかったです」「最優秀賞はとれなかったけど、会場の人達に思いが伝わったというのは成功の証だと思い ます。そのあと、教室で最後の 消えた八月を歌った時、涙で歌えませんでした。 最初から最後まで泣いてしまって・・・」中学三年生が、合唱コンクールに反戦歌を選び、全力で臨んだ。昨今、いじめや自殺のニュースが相次ぐ中、そんな取組みを、地域の普通の中学校が実践したということ自体が、世の中に希望を与えてくれる。人間の可能性を信じさせてくれる。 親だって「戦争を知らない子ども達」だ。その私達から生まれ、平和な世の中で育った彼らが、今、大人になろうとしている。「イマドキの中学生は…」なんて言うまい。真摯な中学生達を誇りに思う。 ************************2年ほど前に、ライタースクールの課題として書いた文章なので、あらためて読み返すとかなり気恥ずかしいものの、今でも冒頭の「あついー」を思い浮かべただけで涙が出てくる。それほど強烈なインパクトのある合唱だった。中学時代というのは、年齢的に中途半端で大人の関わり方も微妙である。無邪気な小学生(低学年)のように、大人の言うことを聞かせるわけにはいかず、かと言って、すべてを自主性に委ねるには未熟すぎる。そういう難しい年頃の子ども達をその気にさせて引っ張っていった先生には敬服したのだった。しかも、音楽の先生ではない。体育会系の野球部顧問の名物熱血教師である。ちなみに、この先生、今年は次男の担任なのだ。そろそろ秋の合唱コンクールの選曲に入っているらしいが、クラスの大多数の生徒が、優勝定番曲の一つである「COSOMOS」を歌いたいと言っているところ、先生としては、「それはそれでいいと思うけれど」と前置きしつつ、クラス便りの中で、また別の反戦歌を紹介している。よっぽどのこだわりなんでしょうね。。生徒達と担任のやりとりの中で、どういう選択になっていくのか、高校生とはまた違った展開に興味をそそられる。いずれにしても、この中学校の合唱コンクールも、例年のごとく、大いに盛り上がることだろう。なぜ、下手な中学生の歌がうまいプロより心を動かすことがあるのか?なぜ、イマドキの中学生がこんなに熱心に歌うのか?こういう歌を歌ってイマドキの中学生たちは何を思うのか?なぜ、人は歌を歌うのか?なぜ、人の声は人の心を動かすのか?そんなことを考えながら、その場では、きっとまたハンカチ3枚分ほど泣いてしまうに違いない。
2008年06月23日
金曜日、長男の高校の合唱祭を聴きに行った。高校の行事はほとんどが平日である。「もう小中学生じゃないし、親は来なくていい」という意味なのだろうと、昨年は運動会も合唱祭もパスしたのだが、「母さん、合唱祭は仕事休んででも聴いたほうがいいよ」と息子が言う。バリバリ体育会系のサッカー部員がそんなことを言うのは珍しいので、そうすることにした。全校生徒約千人。同数以上の保護者を想定すると校内では無理なのか、会場は日比谷公会堂。1階席を占める生徒達がクラスの出番が来るとステージに上がる。2階の約1,000席が保護者のために確保されているというので、大丈夫かと思ったら甘かった。開会ぎりぎりに着いたらほとんど満席で、座るのに一苦労する。へー!平日の朝からこんなに親が来るとは驚き。そういう自分も仕事休んで来てるんだから人のことは言えないけどさ。そもそも私は子どもの合唱が大好き。と言うより滅法弱い。すぐに泣いてしまう。おおぜいの子ども達が一生懸命歌っているだけで泣けるのだ。「おかあさん、カッコ悪いから泣くのやめて」と息子達にたしなめられても、どうしても涙が出てくる。身体の反応だから仕方がない。初めて生で聴く高校生の合唱もなかなかよかった。まさに青春まっただなかという感じ。各学年8クラスが2曲ずつ歌うので、3年生の最後までいた私は50曲ばかり聴いたことになるが、バラエティに富んだ選曲で飽きることはなかった。「CSOMOS」「春へ」「明日へ」など、中学校でもおなじみの定番合唱曲ももちろんあるし、森山直太郎作曲の「虹」やスピッツの「空も飛べるはず」といったポップス調もあり、スメタナの「モルダウ」やシューマンの「流浪の民」のようなクラシックや、難解な現代曲の合唱にチャレンジするクラスもある。日本の民謡のアレンジも多かった。「富山に伝わる三つの民謡」より「むぎや」はいい曲だ。沖縄民謡の「狩俣むくいちゃ」は一糸乱れぬ手拍子足拍子も見事だった。「大漁唄いこみ」は、「♪っまつっしィまァーあ~あ」という節回しが巧み。息子が家でやたら練習していた「やっさもっさ」という奇妙なフレーズの全容が今日初めて明らかになった。 ♪やっさもっさ やっさもっさ やっさもっさそっちゃせーー… ~みた~か~きいたか~ みはーらーのしろは~・・・ アラアラアラ~ヨーイヨーイヨイヤナ ハ、ヤッサヤッサ!ほとんど歌詞のない掛け声が続く「三原ヤッサ節」の高速アカペラ熱唱である。(帰宅後あらためて楽譜を見せてもらったら、むちゃくちゃ難しかった! 4部合唱がクライマックスでは8部に分かれて掛け合う。よくこんなの解読して練習したね)2年生の中では第3位と、まずまずの健闘。全学年通しての最優秀は、3年生による「ずいずいずっころばし」だった。こういう民謡アカペラ曲は、西洋音楽の秩序の良さも取り入れた上で、日本人のDNAに訴えるのだろう。高校生ともなると、指揮者や伴奏者も堂々たるものだ。教師の指名やクラスの推薦で照れくさそうにやらされている小中学生と違って、男子も女子も我こそは!と思う生徒が出てきて、世界のオザワも佐渡裕も真っ青な大熱演!腰を入れ腕を振り上げ全身でクラスをリードする。ピアノもすばらしい。考えてみたらもう10年以上習っていて、中には音大に進む子もいるわけだからね。学校行事の合唱祭が面白いのは、クラス対抗で競うからだと思う。クラスというのは雑多な集団で、音楽が得意で歌うのが大好きな生徒もいれば、スポーツマンだが音楽は苦手とか、カラオケは好きだがコーラスは嫌いとか、そもそもこういう学校行事自体がカッタルイという層もいるだろう。舞台に並ぶと丸刈りの野球部はすぐわかる。その隣、長めの前髪でしらけた風情はサッカー部?オーイそこ、ちゃんと歌ってるかい!プロにしろアマチュアにしろ、合唱団は「歌いたいメンバー」で構成されるのが通常だが、「あまり歌いたくないメンバー」も含んだクラス合唱というのは学校行事ならではと言える。「あまり歌いたくない」仲間をいかにその気にさせるかが行事の成否のポイントであり、さらに上位入賞を狙うには、「音楽へのこだわり」をクラス全体に浸透させることが必要となる。合唱の練習は、すべて生徒達が自主的に行うようだ。教師は、生徒の取り組みをあたたかく見守るだけで、とくに手出し口出ししない。その場合、仕切っていくのは、やはりオーケストラとかブラスバンドとか合唱部とか、音楽がわかる生徒が中心になるわけだが、愚息の如き体育会系の人間からすると、音楽系は「人種の違う連中」に映るらしい。「オケの女子がしゃしゃってて(しゃしゃり出て)、うぜえ(うるさい)ことガタガタ言うから、マジでキレそうになってシカトしてやった」まったく口が悪いったらありゃしない。ごめんなさいね。。オケの女子の人。かく言う私は学生時代を通じて音楽系の部活ばかりやっていたので、スポーツおタクの不粋な輩(失礼!)への対応に苦慮する女子生徒の気持ちがよくわかる。「何言ってんの!あんたたちの音程やリズムがずれてるから言ってくれてるんでしょ。 その子の言うこと、ちゃんと聞いたほうがいいわよ」「はいはい。オレはまだちゃんと協力してやってるほうだよ」そうかい。ま、こんな息子も、どうやら昨年の上級生の合唱を聴いて感動したらしい。だから、今年は親にも来るように言ったのだろう。なんだかんだ文句を言いながら、クラス対抗となると誰しもやはり勝ちたいもので、本番が近づくにつれてクラスの団結が強まって盛り上がってくる。本番を聴くと、そこに至る各クラスのメイキング・シーンが推し量れて面白い。どうやらこの指揮者はあまり人望がなくてクラスで浮きあがってしまったみたいだな…とかここのクラスは音楽系の生徒が多くて有利だったわねーとかこの指揮者、政治力ありそうだな・・・よくこれだけクラスをまとめて、たいしたもんだ!・・・などなど。歌は「楽しく歌うこと」がまず大事だとは思うが、「楽しく歌っていればいいんでしょう?」という開き直りの姿勢では、質の高い演奏にはならず、感動も生まれない。やはり、「音楽へのこだわり」の強さによって、パフォーマンスは全然違ってくる。「そこの音程が悪いよ」「出だし飛び出さないで」「ここはもっと抑えてメリハリつけよう」「もっと歌詞の意味をかみしめて」「この歌は何を伝えたいの?」…息子にとっては「うぜえことガタガタ言う」問題意識が、より良い演奏には不可欠である。音楽系の生徒がそれをほかの生徒にうまく伝えて、みなで改善の努力ができたとき、また、技術的なことだけでなく、歌のメッセージを伝えようという意識が全体に浸透したとき、完全ではなくても、そういうものを目指す姿勢から、クラスという素人雑集団のコーラスでも、おお!という奇跡のハーモニーが生まれ、歌詞の心を届けることができ、聴く人の魂を震わせるのだ。それは、歌っている本人たちにもきっと感じられるに違いない。そんなふうにクラスで一つのクラス合唱を作り上げる過程は、社会の縮図を示す好例ではないかと思う。そして、ここでも音楽の力を感じるのである。だから、合唱祭の成功は、おおげさに言えば、世の中を良くすることにつながるのではないだろうか?青春まっただなかの高校生たちが歌う姿に希望を見出し、感涙する愚かな母だった。
2008年06月22日
今年の始めだったか、新聞社に届いた一枚のハガキ。「動物かんきょう会議」というタイトルとタヌキのイラストにピンと来て、行ってみたそのギャラリーで目白バ・ロック音楽祭のことを知り、バ・ロック音楽祭の取材を通じて参加したフォーラムで出会った人に導かれて、浜離宮朝日ホールの高橋悠治さんのコンサートに出かけた。このあいだ読んだ勝間和代の本にあった「わらしべ長者理論」みたいで人生面白い。出会いはいつも未知への扉を開いてくれる。作曲家でピアニストの高橋悠治。名前だけは知っていたが、演奏を聴いたことはなかった。…桐朋中退後、ベルリン、ニューヨークで学び、コンピュータを使用し作曲。ソリストとしても活躍。1970年の大阪万博・鉄鋼館「今日の音楽」音楽祭にて演奏とシンポジウム。72年から日本で活動。武満徹・湯浅譲二らと作曲家グループ結成、季刊誌の編集など。アジア民衆の抵抗歌をうたう水牛楽団を組織。即興、ライブ。CD録音多数。絵本、著作も。1938年生まれの70歳。プロフィールをざっと読んだだけでもすごい人だ。このコンサートに誘ってくださったプロデューサー氏も天才と絶賛する。ベージュのゆったりしたシャツをまとって小柄な仙人のように現れたその人は、満席のホールで、あくまでもひょうひょうと弾き、語った。バッハの平均律がさらさらと流れたのち、ブゾーニ、高橋悠治本人、モンポウというピアニストでもある作曲家という共通点のある3人の現代曲が続く。正直言って、ピアノの現代曲はほとんど知らない。現代曲だからと言って敬遠するつもりは決してないのだが、ラジオの周波数が合ったり合わなかったりするような感じだ。発信する側の問題ではなくて、受信する自分の受け入れ幅の問題だろう。残念ながらコンサートの前半はなかなか受信できずにふと眠気を催すといった情けないような申し訳ないような有様だった。曲の合間の高橋さんの軽妙なトークの部分になると目が覚めて、その該博な知識と肩の力が完全に抜けた語り口に感心するのだが、曲が始まると、どうもそれが自分の中に入って来なくて、置いて行かれる感じなのだ。それでも耳を傾けようとしているうちに、後半のモンポウの作品にはだんだん周波数が合ってくるではないか!憂いがかったメロディと微妙に調和的な不協和音が美しい。とくにゲストの波多野睦美さんとのデュオがすばらしかった。メゾ・ソプラノの波多野さんの歌も初めて聴いたが、プログラムの最後になって舞台に登場した瞬間、ただ者ならぬ強いオーラを感じた。クリーム色のプリーツのドレスに長いウェーブの髪。上背もあって堂々たる風貌は女神か巫女のようだ。歌詞の言霊を包み込んで聴衆の一人一人に届けるような豊かな響きの声だった。中世スペインのカトリック神秘主義の詩人修道僧の詩による「魂をうたう」や、逝った身体の上に置かれた百合の花をうたう「君の上には花ばかり」という悲しい歌は、もとの歌詞が直接にはわからなくても、悲しみが切々と伝わってくる。その伴奏のピアノの和音がまた何と悲しいこと……今のは何と何と何の音の組合せだったんですか?と教えてもらいたくなる。なじみのある古典派やロマン派のメロディやハーモニーはもちろん美しいのだが、そういう5や3で割り切れるような、あるいは定型的な美辞麗句のようなわかりやすいパターンに当てはめて表現するばかりでなく、違った言い方で、人の心の襞の奥のどこかにある何かを探り当て、言い表そうとして、こういうちょっととっつきにくい現代の音楽は、実験を繰り返してきたのではなかろうか。不思議な不協和音や、謎のようなメロディや、何拍子だかわからないリズムが、全然キャッチできなくて、物別れになる場合も多いけれど、ある人のある瞬間においては、天啓のようなメッセージとして受け取るのかもしれない。それは聴いてみなければわからないし、何度も聴いているうちに発見するものなのかもしれない。この曲はいいなあ!と感じるのは、きっと自分の心とその曲の周波数が合ってて、曲が発信するメッセージを受け取っているということなのだ。その感覚を信じることにしよう。アンコールの2曲もとてもよかった。谷川俊太郎さんの詩に高橋悠治さんが曲をつけた「ゆめのよる」そして、バッハのマタイ受難曲より「私を憐れんで下さい」自分の無知と音楽の奥の深さを改めて感じ、もっともっといろいろなものを聴いてみたくなった。今日の前半の曲も何回も聴いてみると違ってくるかもしれない。CDを買って帰ればよかった。また探してみよう。今日のコンサートに出会えたことに感謝します。
2008年06月19日
最近読んだ、梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書)は、時代の変化を生きる知恵が満載で、仕事帰りの電車の中で大いに励まされた。カイシャの待遇なんてつまらぬことで落ち込んでいる場合ではない。彼の前著『ウェブ進化論』も併せて全体を理解し、内容を咀嚼するには2冊とも、もう一度読み返してみる必要がありそうだが、とりあえず、印象に残った言葉、共感した言葉、明日からでも役に立つと思った言葉を拾ってみよう。●The only way to do great work is to love what you do.(偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたがすることを愛することだ) アップル創業者スティーブ・ジョブズの言葉として引用されていた ●高速道路を降りて「けものみち」を歩く身につけた専門性を活かしつつも個としての総合力をもっと活かした柔軟な生き方も可能。そのための「けものみち力」とは…●正しいときに正しい場所にいる●「三十歳から四十五歳」という大切な時期を無自覚に過ごすな●ネットは知恵を預けると利子をつけて返す銀行「希少性をコントロールする」ことで情報の価値を高めよう、守ろう、と考えるのではなく、情報自身を公開してネットに預け、利子のように返ってくるアテンションを得て、その利子をインプットに改めて構造化した知を再びネットに預け……というプロセスを繰り返すのが新しい知的生産の流儀。●ウェブは自ら助くるものを助く●これからの時代にウェブ・リテラシーを持ち、サバイバルの意志を持って、リアルとネットを創造的に行き来しながら努力すれば、きっと道は開ける。・・・考えてみたら、10年前にはパソコンを触ったこともなかった。やっとメールを使えるようになったのも人よりかなり遅かったと思う。そんな私がパソコンでブログを書くようになるとは、時代の変化と自分の変化に驚くばかりだ。まだまだこれからどんな大変化が起こるかわからない。恐れずに、面白い時代!と楽しもう。
2008年06月18日
東京オペラシティでの東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会はまずまずの入りだった。このオケが2006年秋の定演で、「ブルックナーの交響曲第9番の未完の第4楽章を補完した完成版を初演」という話をイベント告知ページに書かせてもらったのが、初めての小さな記事だった。「いつも なにかが あたらしい」をモットーに、意欲的なプログラムに取り組んでいる姿勢はなかなか魅力的で、次もまた聴きに行こうかな…と思わせる。この日も、日曜日だからというだけでなく、だんだんと増えてきたファンが集まったのかもしれない。今回もいろいろと「あたらしい」試みが盛り込まれていた。メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」は最新の研究に基づいた版を日本初演。ショパンのピアノ協奏曲第2番をナショナル・エディションで。ソリストはナショナル・エディションのスペシャリスト河合優子。昨年夏の定演でのショパンのピアノ協奏曲第1番に引き続いての共演である。ラストは再びメンデルスゾーンで交響曲第4番「イタリア」いずれもロマン派らしい美しいメロディやハーモニーが耳に心地良いわかりやすい曲。それだけでじゅうぶん楽しめるが、これを作曲当時の演奏法を復活させてヴィブラートをかけずに演奏するという趣向だった。ヴィブラートなしだとごまかしがきかなくて、澄んだ音色が新鮮。日頃よっぽどヴィブラートに慣れ親しんでいるのだと逆に気づかされた。フィンガルの洞窟に寄せては返す波の音がはっきりと聴こえた。イタリアでは冒頭から疾走するバイオリンの音が一本に聴こえて驚いた。上手いではないか! いや見事。さて、ショパンだが、先日のバイオリンコンチェルトのこともあって、お客の身ながら、何か緊張しながら見守る感じだった。ウェディングのような白の清楚なドレスをまとった河合優子さん。優雅なショパンをたっぷりと聴かせてくれた。ゆっくりのテンポにちょっと驚いたが、超絶技巧を高速で繰り出すだけの演奏ではない、しみじみとした味わいがあった。ピアノの名手であった天才ショパンの自作自演の数々。弾くたびに即興で装飾音符やアクセントのつけ方も微妙に変わったり、場合によっては音程も半音ほど違ってメジャーとマイナーが変わったり、さまざまなバージョンの楽譜があって大変らしい。かの昔、ピアノを習っていた頃にはそんなこと気にも留めたことがなかったけれど、いったいどの版に基づいて弾いていたのだろう?ま、あまりマニアックな「違い探し」はせずに、曲自体の美しさを味わおうと思った。何と言っても、これは、まだパリでジョルジュ・サンドと恋をするよりずっと前、ウィーンに行く前、まだ、祖国ポーランドを離れる前の二十歳そこそこの青年ショパンが、最初に作った協奏曲なのだ。ワルシャワ音楽院声楽科のコンスタンツィア嬢に想いを寄せて。。。♪哀愁と軽快な明るさが交互に現れる しょっちゅう変わる情緒の不安定さを反映しているかのようだ。 ああ、昨日は彼女の姿を見かけなかったとか、今日は彼女が笑ってくれたとか。♪タリラリン タリラリラリン という過剰なほどの装飾音符の数々は、 本心をストレートに言えない照れ隠しなのか、それとも逆に 求愛を強調する孔雀の羽根のようなデモンストレーションなのか♪あまりに甘美なメロディは、「そんなきれいごとばっかり言うな」と 大人からは怒られそう。彼女も「おやめになって、それ以上は」と困惑しつつ、 あんなふうに愛の言葉をささやかれたら嬉しくないはずがない。 なぜ、その恋は成就しなかったのだろう?伝記をひもといてみるか。。ショパンの心情の流露たるこれらの旋律と和音についてショパン直筆のオリジナルの楽譜をつぶさに研究し、「様々なことを発見し、また考えさせられています」という河合さんの演奏は、ショパンの真意を探りながら、ひとつひとつ丁寧に、聴衆にゆっくりたっぷり問いかけるかのようだった。ふだん聴いていたマルタ・アルゲリッチのCDは、もっとテンポが速くて、メリハリのきいたクリアーな音色が立っているようなダイナミックな演奏で、完璧なテクニックにうならされるが、今日の河合さんの演奏には、ナショナル・エディションとほかの版の違いということばかりでなく、ショパンのしゃれっ気、優柔不断さ、悲しみ、でも、生を肯定する明るさを失わないという心情に溢れ、訴えかけてくるものがあった。アンコールのエチュード「革命」は、怒涛のような高速の演奏。協奏曲のゆっくりしたテンポは意図的なものだと伝えるためだったように思えた。気のせいだろうか?ショパンの伝記やナショナル・エディションに興味が湧いてくる。6月28日に開かれる河合さんのソロ・リサイタルでは、今日の協奏曲第2番をピアノソロバージョンで演奏するらしい。行ってみようかな。
2008年06月16日
このところ聴いているCDの一つ。ブルッフとブラームスのバイオリン協奏曲。バイオリンソロはイタリアの名バイオリニスト ウート・ウーギである。話は少しさかのぼるが、5月末にあった東京交響楽団のコンサート会場でこのCDを買って帰った。せっかく来たし、ブルッフもブラームスも大好きなコンチェルトなので、このカップリングは買い!だと思ったのだ。いや、買って正解だった。その日のソリストは世界的巨匠ウート・ウーギ。「ミラノの名門貴族の血を引き、幼少時から神童と讃えられ、15歳からコンサートデビュー。本国イタリアでは、今世紀の最も著名なバイオリニストであり、イタリアに生まれ開花した偉大なバイオリン流派の正当な後継者とみなされる」へええ、なんか家柄も才能も(若いころはルックスも)あってすごい感じ。興味津々で出かけ、当初のプログラムの順序が変更になって(!)ブラームスのバイオリン協奏曲がメインだと言うので、大いに期待が高まったのだが・・・正直言ってがっかりだった。もちろん、ゆったり歌う部分は音色の良さが際立ち、あらためてプログラムを見ると、「演奏楽器は1744年製のグァルネリ・デル・ジュス『カリプロ』と 1701年製のストラディヴァリウス『クロイツェル』」うわ~1台でも億がつきそうなものを2台も持ってるなんて、さすがは貴族だ。しかし、音程が悪すぎる。とくに高音に跳躍するところ。速いパッセージでは指が空回りしている感じ。(えええ~?これが巨匠なの…?)翌日のとあるブログにも酷評があり、やっぱり私だけがだそう思ったわけではないのだと納得。そのブログの主は「若い頃はすごかったんだろうか?そうは思えない」とかなり厳しいことを書いていたが、それは誤りである。いくらなんでも音楽の世界で、そんな下手な演奏家が「世界的巨匠」と呼ばれることはありえない。果たして、帰宅後CDをかけてみると・・・一言で言って見事な演奏だった。どっちの名器だかわからないが、素晴らしい音色。あらゆる難しいパッセージを弾きこなす完璧なテクニック。内から溢れるような音楽のうねりは、その曲の持つ「イデア」を示すように確信に満ちている。いや~、このあいだの生演奏と全然違うじゃない!録音年代を見ると、1982年と1983年となっていた。今から25年前か・・・1944年生まれの彼が30代後半の最も脂が乗り切っていた時期なのだろう。四半世紀前だが名盤だからコンサート会場で販売していたのかな。。全部イタリア語で書いてあるので、解説がさっぱりわからないが、とにかく、録音というものの価値を今回は強く感じた。現在、彼は64歳だからイマドキの尺度ではまだそんなに高齢ではないが、バイオリンみたいに細かいテクニックが要求される楽器はある程度若くないと難しいのだろうか?確かに鍵盤をたたけばその音程の音が出るピアノと違って弦楽器は正確な音程自体に耳と技術がいるわけだから。彼本人は、自分の演奏をどのように聴いているのだろう?今日は調子悪かったーとか、だんだん弾けなくなってきたなぁ…とか思うのだろうか?いたたまれなくなって演奏中に逃げ出したくならないだろうか。バイオリニストは大変だ。出番中ずっと立ち詰めで、一挙手一投足が丸見えだから。ピアニストは椅子に座ってピアノの陰で休憩できるのにね。驚いたことに、演奏が終わると「ブラボー」の声が挙がり、拍手喝采の中、巨匠は舞台に戻ってきてアンコール曲を弾いた。(え?アンコールやるの!?)アンコールのパガニーニのほうが、コンチェルトより良かったとは、なんたること。自分の演奏の音程がひどかったことがわからないのだとしたら、よっぽどの衰えである。わかってはいるけれど、どんな場合でも決して顔には出さずあくまでもにこやかに、お客が喜ぶのならアンコールだって弾きます、ということなら、よっぽどのサービス精神ということになる。どっちだったんだろう。。さらに不思議だったのは、終演後、楽屋の前に長蛇の列ができていたこと。バイオリンを習っているらしい小学生もいれば、インタビューのアポ取りに懸命なマスコミもいる。巨匠は誰に対しても笑顔でサインに応じ、人々に囲まれるのが嬉しいようだった。一瞬、「裸の王様」という言葉が心に浮かんでしまった。子どもではないので、さすがに「あ、王さま、はだかだ~」と言うことはできなかったけれど、なんとも言えない居心地の悪さとカタルシスのなさを抱えて帰途についたのだった。だから、家でCDの名演を聴いて心底ホッとした。これは本当にうまい。世界的巨匠はウソではなかった。彼は、来年の1月にまた来るらしい。今度は都響との共演でチャイコフスキーの由。今度こそ、このCDのような名演を聴かせてもらえるのか、(今日だけちょっと調子が悪かったということ)あるいは、これは二度と帰らぬ全盛期の記念すべき名演なのか、(人間は誰でも年をとる)こうなったら、もう一度確かめに行こうと決めた。
2008年06月13日
世の中で凶悪な事件が起ころうとも、逆に、この世ならぬ美しい芸術に触れようとも、その日その日の雑用を粛々とこなす日常は変わらない。もちろん、そんな日常を続けられるのは結構な幸せだと言うべきではあるが・・・今日はいつになくカイシャ的ストレスを感じてやや憂鬱モード。・最近インターンで来ている学生のやった作業の出来が悪くて頭に来る。上司は時間が浮くだろうと言うが、とんでもない話。しかし、気長に教えていくしかない。・外部のライターのかけてきたクレーム電話。会社への批判に耳を傾けて消耗する。・それを上司に報告する際、カルチャーギャップにショックを受け、かつ、呆れる。でも、ここは日本だから「郷に入りては郷に従う」と彼は言った。なら最初からそう言ってくれ!・おかげでルーティン作業がはかどらない。あー愚痴ってはいけない。このぐらいでやめよう。つい愚痴りたくなるのを戒めるかのように、今読み終わった本に「愚痴を言わない」と書いてあった。『勝間和代のインデペンダントな生き方 実践ガイド』(ディスカバー携書)『お金は銀行に預けるな』などのベストセラーを飛ばし、今をときめくスーパーウーマン勝間和代の原点の書である。曰く、「インディになろう」インディとは、・年収600万円以上を稼げること。・自慢できるパートナーがいること。・年をとるほど、すてきになっていくこと。という条件を兼ね備えた女性と定義している。「インディ」の逆はピーターパンに出てくる「ウェンディ」。独立することを避けて、子どものままでいたい依存的な女性。ライタースクールの校長である恩師が常々言っていることとよく似ているが、日々実践できる具体的なノウハウが説かれている。インディになるために必要なのは、たった二つ。「じょうぶな心」と「学び続ける力」じょうぶな心を作るためには1.自分の想いで環境を作る。2.周りと調和する。3.すべてをゼロイチで考えない。4.がんばりすぎない。仕事の場ではメンターを見つけ、また、仲間とのコミュニティ・ラーニングを実践すべし。そして、仕事の場の外でもマメに学びましょう。英語は有効。読書が大切、と。ただし、勉強自体を目的としないこと。ちょっとだけ人より優れたスキルを持つことによって大きな成果を生む「わらしべ長者理論」というのが面白い。さらに、お金の出入りをきちんと把握することも重視するのは、経済評論家ならでは。このように、一つ一つの項目を数学の因数分解のように解くクリアーな説明の仕方。それ自体に舌を巻く。頭の中がクリアーなんだろうなああ。「じょうぶな心」のために今日から始める実践として、1.愚痴らない。2.笑う、笑う、笑う、3.姿勢を整える。はい!心がけます。そりゃインディになりたいですもん。ついこの間読んだ『格差社会の世渡り ~努力が報われる人、報われない人~』(ソフトバンク新書) これは役所を辞めた元官僚が書いたもの。「高学歴ノーリターン」説に共感した。「一生懸命働いています」「一生懸命勉強して良い大学を卒業しました」というだけでは何の役にも立たないでしょう、という話はその通りだと思う。いや、前からそうなのだが、今、ますますそうなってきているということだ。だとすると、ただただカイシャのルーティンを「一生懸命」やっているだけではヤバイわけで、どのように仕事をこなすか、よく考えなくてはならない。この混沌とした世の中を生き抜く泳ぎ方として、「潮目を見る能力」と「行動に移せる実行力」の大切さを説く。胸に響いたのは「組織に依存する」のではなく「組織を徹底的に利用する」考え方。だからカイシャを安易に辞めてはいけない。社畜から社乳へ。企業をちゅーちゅー吸い尽くせ。日頃のカイシャ生活において大いに励まされる言葉であった。そうだな。まだまだカイシャで学べることがいっぱいある。これから読もうとしているのは、『ウェブ時代をゆく ― いかに働き、いかに学ぶか』(ちくま新書)梅田望夫著。同氏の前著『ウェブ進化論』の完結編である。こういう啓発本ばかり読んでいては、それこそライタースクールのゼミで叱られそうだが、文学作品も並行して読んでますから、先生。なにしろ読書は大切。今の時代を生きるヒントをもらって、つい愚痴を言いそうになる自分に奮起を促す。カイシャでイジケている場合ではない。インディで行こう!
2008年06月10日
また悲惨な事件が起きた。あまりに凶悪事件が頻発する世の中、子ども達は何と思っているだろう?大人は何と言えばいいのか。アキバ、ゲーム、買い物、20代の犯人、犠牲者の多くは若者。他人事と思えない。息子達もいつになくリアルな衝撃を受けている。犠牲となった卒業生もおり、高校で会議があった由。中学の担任は、クラスの子ども達に意見を書かせた。早速保護者に配布されたプリントの冒頭には、担任の強い怒りのメッセージが掲げられ、子ども達の率直な意見が続く。まず当惑。「意味がわからない」「なんで無差別に人を殺すのか」怒り。「絶対許せない」「人間じゃないと思う」「犯人を死刑にすべき」「どんなことがあっても人を殺しちゃいけないと思う」「世の中が嫌なら自殺すればいい」恐怖。「怖い」「自分がそばにいたと思うと、ぞっとする」「どこで起こってもおかしくない」「近所を歩いている時も油断できないと思う」そして、「亡くなった人が可愛そうだと思う」各々の短い言葉から子ども達のショックが伝わってくる。25歳の犯人。彼にもこういう中学時代があったのに。テニスがうまくて成績もよかったらしい。県下一の高校に入ったと言う。彼の周囲にも家族や友達がいただろうに。彼のこれまでの担任にも、今日プリントを配ったような熱血教師が一人ぐらいいただろうに。そして、私は恐怖に駆られる。これは自分の外側にある絶対悪なのか?彼は人間ではないのか?そんなことはない。他人事ではない。祝福されて生まれた赤ん坊が、大切に育てられたはずの少年がある日こんなことをする。その過程には何があるのか?私たちは大丈夫か?「世の中が嫌になった」と言って「世の中」の他人を無差別に攻撃する凶悪犯を昨日も今日も明日も生み出し続ける「世の中」。私達一人一人はこの「世の中」にどのように関与しているのだろう。何に関してもなすすべもない気がするほど、一人一人は無力である。しかし、無力+無力+無力+無力+…という無力の総和がこの「世の中」を形作っているのではないのか? 自分は関係ないと言えるのか?どうしたらいい?息子達に何と言ったらいい?
2008年06月09日
6月6日金曜日夕刻。今日は音大出の近所のママ友と二人で。有楽町線護国寺の駅から地図を頼りに裏道を辿ると、高い鐘塔が見えてくる。「あれだ!」二人とももうワクワクしてくる。東京カテドラルの堂々たる威容にまず圧倒された。今夜この中でコンサートがあるのだ。明治時代に建てられた木造教会は東京大空襲で焼失し、現在のものは丹下健三の設計で1964年に完成した建物。代々木体育館にも似た、ステンレスとコンクリートが曲線を描く現代の教会である。7時の開演まで、まだかなり時間があったが、もうぞくぞくと人が集まってきている。今宵、このカテドラルにバッハの合唱を聴きに来た人々である。これぞ目白バ・ロック音楽祭の目玉。期待に胸が高まる。内部は、正面に巨大な十字架を仰ぐ打ちっぱなしのコンクリート。斜めの壁面が高く高く天井で合体した抽象的な洞窟で瞑想にいざなうような空間である。やがて音楽祭祝祭合唱団がしずしずと入場してきた。日本人男女8名ずつ計16名のあと、最後尾でひときわ背の高い西洋の顔はまごうかたなく、指揮者のペーター・ダイクストラである。身長2メートル9センチの彼は合唱団員の頭が胸のあたりに来る高さで、後方の自由席からでもよく見えた。今夜のプログラムは、バッハのモテットとメンデルスゾーンの宗教曲。バッハもヨハン・セバスチャンだけでなく、ヨハン・ミヒャエル・バッハやヨハン・クリストフ・バッハといった親戚筋のバッハ一族の作品もなかなかよかった。また、メンデルスゾーンは、かつて一度忘れられかけたバッハの偉大さを再発見し、「マタイ受難曲」などの傑作の復活上演を通して現代に伝えた功労者なのである。バッハの影響も多大に受けたに違いないその合唱曲のなんと美しいこと。ピアノ曲やオーケストラの曲だけではないんだなあ。長短の彩りに満ちたメロディと微妙なハーモニーが心を震わせる。それにしても人の声というものはなんと素晴らしいのだろう!カテドラルの音響の良さもあるに違いない。残響は7秒に達し、典型的な中世ヨーロッパの大聖堂よりも長いと言う。確かに、現代的なコンサートホールとは全然違った響き♪♪♪こういう場所は日本では珍しいのではあるまいか。祝祭合唱団はたったの16人。16人でこれだけの響きが出せるとは!二重合唱の8重唱の場合は、ソプラノ・アルト・テノール・バスがそれぞれ2名ずつである。合唱業界に詳しくないので、メンバーリストの名前を見てもわからないが、メンバーの一人一人が素晴らしい歌い手であることは聴いただけで明らかであった。各パートでそれぞれ違った旋律を歌っている。一人一人が誠心誠意自分の旋律を歌う。ほかのパートが歌っている旋律につられることなく、自分の持ち場を守って責任を果たす。そして、ほかのパートが歌っている旋律も聴き分け、互いの歌に敬意を表する。互いの歌を聴き合い、それを踏まえて、また自分の旋律の続きを歌うのである。各パートの旋律が複雑に絡み合い、信じられないような豊かな和音が教会の空間を満たしていた。そんなふうに声を合わせられるなんて、人間ってすごいじゃありませんか!それは人間の持つ可能性の啓示のようでもあった。一人一人が精いっぱい自分の持てる力を発揮し、それを認め合い、その力を結集すれば、こんなに少ない人数でも世の中に一つのメッセージを響き渡らせることができる。そんなふうに思えた。それを響かせているのは合唱の声だけではなかった。カテドラルに集まった800人の聴衆がそろって一心に耳を傾ける。その祈りにも似た真摯な沈黙が結集して圧倒的な静けさがもたらされる。これもカテドラルが奇蹟の空間になるための必要不可欠な条件である。そういう人間たちの「祈り」を先導する指揮者が、大天使ミカエルのごとく見えたのは、堂々たる体躯のためばかりではない。先日のオーケストラへのチャレンジの初々しさとは違って、今日のような宗教曲の合唱はペーター・ダイクストラが物心ついた頃からやってきたこと。すべての曲が血となり肉となってすでに彼の身体中に滲み込んでいるかのごとく、楽譜もなしに、全曲をすっかりそらんじて指示を出す。かつての天才ボーイソプラノは自信に充ち溢れ、30歳の若さにして確かにもうベテランの風格である。合唱団という生きものを縦横無尽にあやつるのだった。満席のカテドラルは惜しみない拍手を送り、あちこちに立って讃える人の姿もある。キリスト教と西洋音楽の切っても切れない関係を改めて感じた。と同時に、信仰のあるなしにかかわりなく、なにか荘厳な喜びでいっぱいになるのだった。
2008年06月08日
6月3日の火曜日、文京シビックホールでの日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会。指揮はペーター・ダイクストラ。弱冠30歳。オランダの新星である。元天才ボーイソプラノとして、魔笛の子役やバッハのソロをこなし、若くして名門合唱団の指導者に抜擢されるなど、才能あふれる新進指揮者だそうだ。イケメンでオレ様な、まさに「のだめカンタービレ」の千秋様~みたいだって言うし、「まだ日本では無名ですが、ここ数年で必ずブレイクしますよ。巨匠と呼ばれるようになります。その彼の、指揮者としての日本デビューを目撃したって言えるんですよ、将来」それが、どれだけ自慢になるのか知らないが、確かに、もう評価の定まったマエストロの指揮で安心して聴いているばかりではなく、知られざる新しい才能の発見に立ち会うのも、なかなかエキサイティングではないか?!文京シビックホールに行くのも初めてだった。元の文京公会堂の跡地に作られた区役所や文化施設の巨大な複合体が東京ドームの隣にそびえ立つが、地下鉄春日駅に直結しているので外観を見ることなく上階の「クラシックコンサートを中心とした音楽イベントに最適な1,802席の大ホール」へ直行。こんなにガラガラのホールは初めて・・・3分の1ぐらいしか入っていない。大丈夫なのか?今日のコンサートは、今年で4年目を迎える目白バ・ロック音楽祭の新企画なのである。こじんまりした教会や歴史的名建築での古楽の演奏という、これまでのコンセプトとは違って大ホールでのオーケストラの演奏という、むしろ普通のタイプのコンサートに挑戦したわけ。そりゃ、1,800もの座席を埋めるのは大変なことで、どこのオーケストラも苦労しているが、やっぱり集客って大変なんだなあ。。これが「リスクを負う」ということだ・・・疎らな客席を見て思った。さて、千秋様、いや、ペーター君登場。いや~身長2メートル9センチ!とは聞いていたが、本当にデカイ。 舞台の袖の出入り口に頭が引っかかるので、少し背をかがめて通過する。指揮台なし。なくてもじゅうぶんお互いが見える。客席から見ても視界が遮られるほどの上背。存在感ありすぎ。金髪の端正な顔を昂然と上に向けてから深深とお辞儀する。(そんなに背が高いんだから上を見なくてもいいよ!)お辞儀のあと、客席に向かって苦笑いのようなしかめっつらでウンウンとうなずく。やんちゃ坊主の照れ隠しという感じ。30歳になるかならぬかという若さでは演奏するオーケストラも聴いているお客もほとんどが自分より年上だもんね。空席ばかりの大きなホールを目の前にしてどう思っているのだろう。ここで、東響の音楽監督スダーンの日本デビューでの中村紘子との共演の話を思い出した。「当時、僕は日本ではまったく無名だったけど、ヒロコのおかげで東京文化会館が満席だったよ。彼女はもう有名だったからね」と言いながらマエストロは、当時の自分の写真を見て「ベビーフェイスだね!」と笑ったものだ。確かに、自分が有名であるか、共演者が有名でないと、なかなかお客も来ないわねえ…なんだか申し訳ないが、聴きに来たお客が責められることもないさ。とにかくめげずにがんばって! せっかくの日本デビューでしょ!若武者が日本に乗り込んで「たのもう!」と言っているのだ。いつもより大きめに拍手して応援する。今夜のプログラムはワーグナーとシベリウス。どちらもペーター君の好きな作曲家らしい。また、シベリウスの全交響曲を日本で初演した歴史を持つ日本フィルのオハコでもあろう。しかし、「ワルキューレの騎行」に「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲に「タンホイザー」の序曲の3つ、というのはちょっと多すぎではなかったか。最初の休憩までに、指揮者が何度も出たり入ったりしすぎ(毎回頭をぶつけそうになりながら)。2曲目の「トリスタンとイゾルデ」の静かなエンディングのあと、しばらく沈黙が続いたら、やおらペーター君が「終わったんですけど」と言うように振り向き、お客はあわてて拍手し始めるという、けったいなシーンもあった。1、2、3、4と几帳面に拍子をとる感じの指揮である。小さく抑えるところでは、長身を折りたたむように腰を曲げ、クレッシェンドになると、上向きの左手を震わせて「もっともっと」と煽るのだが、どうもクライマックスのタイミングがいまいち合っていない気がした。概してあっさりしており、シベリウスの交響曲をもっと朗々と歌いたそうな日本フィルとしては、やや欲求不満のまま次へ行かざるを得なかったのではないだろうか。円熟のマエストロのように、指や腕の動き一つ、目くばせ一つでオケを自在に鳴らすというわけには行かないけれど、スケールの大きさは感じられた。一生懸命振っている若者にオーケストラも応えようとはしていた。あとで聞くと、練習は一日だけでリハ本番だったそうだ。それにしては、まずまずの出来だったのかもしれない。「とても協力的なオーケストラで、いいコラボレーションだった」とペーター君は全然がっかりした様子もなく、楽屋前でにっこり爽やかに答えてくれた。見上げるばかりの相手に向かって、お客が少なくて残念だったとを告げると、「うん、そうだね。なんか別のコンサートもあったみたいだね」とケロッとしている。そうか。これぐらいの強さがないと、才能一つで世界を渡っていくことはできないんだろうなあ。すっかり着替えたポロシャツ姿は、顔の汗も相俟って試合後のスポーツ選手のように見えた。いや、確かにハンサム♪ペーター君、明日は東京カテドラルでバッハの合唱曲を指揮する。目白バ・ロック音楽祭の今年の目玉の一つなのだ。「東京カテドラルは相当埋まりそう」と筒井氏が笑顔で言った。このバ・ロック音楽祭の本来の持ち味である「教会でのバロック音楽」である。ペーター君の経歴上もきっと得意分野に違いない。「6日も楽しみにしてますよ」と愛想を言ったら、「おおぜい友達連れてきてね」と答えた。若武者の修行時代。世界行脚の日本編である。
2008年06月05日
記事で紹介した目白バ・ロック音楽祭が始まった。昨日、オープニングの関連イベントであるフォーラムに参加した。題して「日本の音楽祭、大集合!」あいにくの小雨模様の中、目白駅から会場の自由学園明日館まで歩く。1921年、アメリカの巨匠、フランク・ロイド・ライトとその助手遠藤新が設計した歴史のある名建築。国の重要文化財にも指定されている。木のぬくもりのある白い建物が前庭の芝生に映えて、日本離れした清楚なたたずまい。なるほど、こういう建物を使うところにこの音楽祭の特色があるのだと納得する。フォーラムは、日本各地で開催されている音楽祭を代表して、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、仙台クラシックフェスティバル、福岡18世紀音楽協会、そして、主催者である目白バ・ロック音楽祭からそれぞれの代表者が出席、さらに、音楽ジャーナリストを交え、朝日新聞の論説副主幹の司会でディスカッションが行われた。今日、感銘を受けたことは、3つある。1つは、日本にもこんなに様々な音楽祭があるということ。例のフォルジュネのような大規模なものから、小規模で手作りで行われている地方の音楽祭まで、規模も内容も運営方法も様々である。福岡に、もう30年も続いている古楽の音楽祭が存在し、しかもそれをボランティア組織が支えてきたということを初めて知った。とにかく古楽が好きで好きで、自分たちが毎年感動したくて音楽祭を運営してきたボランティアの人々。その熱意は、ついに市や県などの行政をも動かす…という力強い話は人が結集してできることの事例として示唆に富んでいる。2つ目は、音楽プロデューサーと呼ばれる人たちのプレゼンの巧さである。パワポのプリントアウトの縮小コピーを並べたフォルジュネの資料は、タイトルからして「成功の秘訣」となっていて自信満々であるが、プロデューサーの語り口も要を得た堂々たるものだった。その副題にあるように、「フランス地方都市から得たヒント」により、クラシック音楽であるにもかかわらず、東京ならではの巨大なイベントを作り上げたのである。好き嫌いはともかく、百万の人を集めるというのは並の手腕ではないことは認めます、ハイ。仙台のほうのプロデューサーは実に話の上手な人だった。仙台クラシックフェスティバル、略して「せんくら」。「せん」は仙台の「せん」というだけではなく、千円の「せん」。すべての演奏会の料金が千円。なんであれ一律千円に徹底。参考にしたのは、フォルジュネとユニバーサルのCDシリーズ「どこかで聴いたクラシック101」と100円ショップ(!)。つまり、フォルジュネのように、低料金の短めのコンサートを朝から晩まで幅広い時間帯で。そして、テーマなど設けず、とにかくどこかで聴いた有名な曲ばかりやる。一律千円にすることで、一つのコンサートのついでにほかにも3つ4つ行ってみようかという思わせる。ちょうど、100円ショップに行くと、目的のもの1つだけを100円で買うのではなく、要らないものもあれこれカゴに入れて気がついたら2,3千円買ってしまうように。そして、出演者へのギャラの交渉も、スポンサーアプローチもすべて「一律千円」から出発する。なるほどなーわかりやすい説明だなー説得力あるわーああいうふうにしゃべるんだーと心から感心した。3つ目は、こういう企画を打ち出す目白バ・ロック音楽祭のユニークさである。フォーラム終了後は、参加者による立食パーティがあり、本日のパネラーをはじめ、音楽祭にかかわるさまざまな人に会うことができた。まさに、目白バ・ロック音楽祭が提唱するところの「ロック」(=先鋭的な、挑戦的な)人が集まる「バ」(=場)である。実行委員長は長髪をかきあげながら語った。「デジタルの時代は確かに便利で素晴らしいけれど、やっぱり、人と人が直接出会って共感するというアナログな世界も大切だと思います」帰りがけの挨拶で、「同世代として、あの部分にとても共感しました」と話したら、「アナログとデジタルの両方の良さを知っている僕らの世代が何か言わなきゃだめですよね」という力強い言葉が返ってきた。会場に入った時には、参加者の少なさに、正直言って拍子抜けしたのだが、今日の話を直接聞いた数少ない人間の一人になれたとは光栄である。さらに、立食の席上でも直接話せた人が多くて収穫大であった。もっと大勢のパーティでは無理なことだ。かなり得した気分♪音楽の力が持つポジティブな可能性を信じられる気がするイベントだった。
2008年05月31日
和訳は非公開とさせていただきます。ご興味ある方は個別にメッセージをください。元の記事をwebで読むこともできます→The Japan Times Online目白バ・ロック音楽祭は今週末からです!
2008年05月27日
元の記事をwebでお読みいただくこともできます。ご興味ある方はどうぞ→The Japan Times Onlineなお、和訳は非公開とさせていただきます。
2008年05月26日
先週は金曜日に記事が2つ載ったので、〆切までなかなか大変だった。1つは音楽面に、もう1つはイベント告知欄に。もともとは一緒の予定ではなかったのだが、紙面の都合で片方が今週にずれ込んだのだ。毎度、自分が出したものが最終的にどのような文章になるのかを見るのは面白い。日本語の媒体だとどの程度変えられるのか知らないが、なにせ、どこまで行っても母国語ではないし、私のような駆け出しだとそれこそ「これは誰の文章か?」と思うほどのケースもある。日本語で書かれたプレスリリースを読んだのは私だけ、実際に取材に行ったりインタビューしているのも私だけ、という誇りは保ちつつも、まず、語学チェックを受ける。記事のまとめ方についても、字数の制約の中でどんどん削られ練り直され、勉強になる。ま、これは、日本語で書く記者でもきっとそうだろう。この頃は自分が書いたものがかなり残っているので、ちょっとは進歩したと思いたいが、段落の順序が大幅に入れ替わっていたりすると、なるほどーと感心するし、同じ内容をもっとこなれた英語の言い回しに変えてくれたりすると、まずは辞書で確かめてから(!) そっか、いいねえ!Thank you!・・・なんて、やっぱりまだまだ未熟者。。たとえば、His performance, featuring passages like repeating waves and melancholic melodies, reminds us the idea of eternity and reveals our inner feelings which are hidden in our everyday life.(寄せては返す波のようなパッセージやメランコリックなメロディーを特徴とする彼の演奏は、私たちに永遠の感覚を思い起こさせ、また、日々の生活で隠されている内なる思いを明らかにする)と、無理無理書いてみた部分は次のようになっていた。The performances feature passages that resemble the steady crashing of waves along with melancholic melodies that can reveal feellings we harbor deep inside.いつもの音楽担当エディターが休暇中のため、今回は外信部の若いエディターが助っ人に来てくれたのだが、「永遠の感覚が必ず思い起こされるんですか?そうじゃないですよね?それに、仮に思い起こされたとしてもそういうのって口に出しませんよね?だからこんな感じに変えてみました」と言った。で、見ると、revealの前にcanが入って断定するのを避けているし、feelings that we harbor deep inside という言い方になっている。なるほど~そういうふうに言うんだねー。harbor=港 だが、動詞として使う時には、何かをかくまうとか、何かに隠れ場所を与えるという意味になるのだ。深く内に秘めた思い、なんですね。。また、「寄せては返す波」を私はrepeating wavesとしか書けなかったが、the steady crashing of waves という言い回しに変えてくれている。美しい!さすが、ネイティブだ。感謝!いや、私ももっと英語の本をたくさん読んでこなれた言い回しをいろいろ仕入れなければ…!まず最低でもエディターに伝わる英語でまとめることが肝心である。以前は、What are you talking about?なんて言われてしまうこともあった。なんのことだかわからないというわけだ。この頃は、少なくとも「なんのことだかはわかる」ようだ。拙くとも。。最終的には、読者になんらかの魅力ある情報やアイデアを伝えることが目的であるから、ネイティブのエディターと協力して記事をまとめあげ、所期のメッセージを発せられていたら幸いである。
2008年05月26日
4月9日のオープニング・ナイトからスタートした東京交響楽団の今シーズン、サントリーホール定期演奏会に再びマエストロ スダーンが登場した。今シーズンは徹底してシューベルトの交響曲を聴かせてくれるスダーン、今夜はまず1番と4番というシューベルト10代の作品をダブルで。その間にプロコフィエフのピアノコンチェルトでちょっと新しい時代にもワープ、という面白いプログラムである。ウィーン少年合唱団の前身である宮廷少年合唱団の一員として、思春期の5年間をコンヴィクトと呼ばれる寄宿学校で過ごしたフランツ・シューベルト。息子が堅実な教師になることを望む父親は、音楽の学校には入れたものの、音楽家になることには猛反対だ。作曲なんかしていたら成績が落ちる。作曲禁止!それでも、どうしても音楽家になりたいフランツ少年は、兄や友人の助けでなんとか五線紙を手に入れて作曲に励む。ゆたかなメロディに美しいハーモニーは泉から溢れる如く、誰にも止められない。そんなフランツ少年16歳の初々しい作品が明るいニ長調の交響曲1番。そして、父との決定的な軋轢から家を飛び出した18歳の頃に書かれた4番「悲劇的」。父の反対を押し切ってわが道を行こうとする青年の心を映し出すような短調のメロディがどんどん展開してたたみかけてくる4番が特に印象的だった。ゲルマン魂の一番美しい部分を汲み取った美しいメロディやハーモニーがちりばめられ、しばしば琴線に触れてくる。作曲当初は、どちらもコンヴィクトの学生オーケストラが演奏したらしく、マエストロによれば、「シューベルトは演奏のクオリティには満足しなかった」そうだ。今日みたいなプロの見事な演奏を聴いたらシューベルトはさぞや感激することだろう。バイオリンやビオラが歌えば、チェロとコントラバスが答える掛け合いも見事だった。そして、毎度感心するのは管楽器の安定感。4番は1815年作曲か・・・江戸時代だ。幕末にもまだ遠い。最近シューベルトに「フランツさん」みたいな親しみを感じていたので、そんな昔の人だったんだと改めて気づくと、ちょっと驚き。そういう意味ではプログラム2曲目は1921年作曲。大正10年だからぐっと現代に近い。プロコフィエフと言えば、「ピーターと狼」とかバレエの「ロミオとジュリエット」ぐらいしか知らないが、難解な現代曲になる手前の「まだメロディのある音楽」というイメージがある。ピアノコンチェルトを聴くのは初めてだったが、なかなか迫力のある曲だった。なにしろピアニストが素晴らしかった!!!モスクワ生まれのリーリャ・ジルベルシュタインはロシア人にしては小柄な女性で、黒のドレスに黒のジャケットというシンプルな装いで、長い栗色の髪を豊かに波打たせて登場。スッとさりげない一礼に、地味な人なのかな…と思いきや、ピアノを弾き始めたらもう凄い凄い凄い!まず、圧倒的なテクニックと信じらないパワーで鍵盤を端から端まで駆け巡り、「鋼鉄のピアニスト」とも呼ばれた作曲者のプロコフィエフ自身がソリストとして初演した「目の詰まった音塊を強烈に叩きつける」ようなこの曲を完璧に弾きこなす。まあ、プロのピアニストなら、そういうテクニック自体は珍しくないのかもしれないが、音色の美しさやメリハリ、そして、緩やかなところでは情感たっぷり、といった表現力。これはテクニックだけでは到底出せないものである。これまでの人生経験に裏打ちされているのか、あるいは、ロシアの情念というものだろうか。「こんな演奏、若いコには絶対できないわ~ やっぱり女は年じゃないのよね~」と妙に励まされるのだった。このあいだ聴いたジャズメンの達人技にも感服したが、今日のピアノにも度肝を抜かれた。どんなジャンルでも、優れた才能を長年の修練で鍛え上げてきた達人の円熟の境地は素晴らしい。ただただ仰ぎ見る。パンフレットによると、「長年にわたりマルタ・アルゲリッチとのデュオ・コンサートをおこない世界各地で好評を博している」とのこと。アルゲリッチとのデュオか~~どんなに凄いことだろう!聴いてみたいもんだなあそんな一流ソリストの渾身とマエストロ以下東響チームのハイパーコラボレーションであった。コンチェルトだけではない。これまで、リハーサルも含めて何度か聴いているが、スダーン&東響はいつも熱い。スダーンは指揮棒を使わない。でも、全身を使う。しばらく背を丸めて両手を胸元に寄せて小さく動かしていたかと思うと、パッとボールを投げるようなしぐさでトランペットに指令を出し、コントラバスのほうには槍を突くような仕草で合図。バイオリンに向けては左肘が回る。確か左利きだったっけ?リズミカルな曲想になると、マエストロ自らが一番踊っている。動作の一つ一つにパワーが満ち満ちている。そんな熱血指揮者にオケが一丸となって食らいついていく様は、熱血監督の指導の元、快進撃を続ける中高生のサッカーチームとちょっとダブる。やっぱり、人間の持つ可能性を最大限に引き出すのはポジティブな「情熱」なんですね。そして、コンサートホールのよさを改めて感じた。音響のよさももちろんだが、これがクラシックの適正規模なのだと。フォルジュネの時の国際フォーラムの大ホール2階席の後ろでは残念ながら遠すぎた。今日は、指揮者やピアニストやオーケストラの気迫がビンビン伝わり、大切なメッセージを受け取って帰った気がする。お客さんの惜しみない拍手に何度も応えるマエストロの笑顔がとてもよかった。オケのメンバーもそそくさと立ち去ったりせず、今夜のコンサートマスター、高木和弘さんが客席ににこやかに一礼して、いい雰囲気だった。「クラシック音楽は、ロックのコンサートのように、何万人も集めることはできませんが、ホールに来てくださった2,000人のお客様の心に届くことはできるのです」日本オーケストラ連盟の理事長がおっしゃっていた言葉が思い出された。それでいいのだ。
2008年05月17日
クラシックでもポップスでもミュージカルでも演歌でも子どもの合唱でも、ジャンルを問わず心に響く音楽にはウルウルしてしまうが、実際に出かけるのはほとんどがクラシックのコンサート。そんな私が、誘われて昨日初めてジャズのライブを聴きに行った。毎週金曜日掲載のコンサートリスト作成の際、ブルーノート東京のステージをしょっちゅう載せていながら、実物を聴いたことがなかった。夜の青山。骨董通りをしばらく南下して左折すると、HPにあったお洒落な建物が見えてくる。おそるおそる入口のドアを開けて踏み込むとなんだか別世界。受付で待ち合わせの旨を告げ、階段で地下へ下りると、また案内のカウンターがある。スタッフも妙に洗練されてて、クラシックのコンサートホールとは違った緊張感がある。(こりゃ慣れてない客だと丸わかりだな。。)案内されたテーブルに某広報女史の姿を見つけてホッとした。同席のジャズジャーナリスト氏と名刺交換する。(やっぱりこういう場所はよくわかってる人と一緒でなきゃ無理だわ。よかった!)ようやく辺りを見渡すと、結構広いフロアである。ステージ正面はもう一段低くなってて、その四角いエリアに20卓ほどテーブルが並ぶ。ほぼ満席。ああいう真ん中のエリアは常連さんのジャズ通が占めているのだろうか。それを囲む柵のすぐ外側にも、両サイドに数卓ずつある。私達はステージに向かって右サイドの外側席だった。ドラムがよく見える位置だ。さて、今夜のステージは、「ウンブリア・ジャズ関連イベント第2弾! イタリアの人気ベテラン・ドラマーが実力派メンバー達を率いて初登場」初めて聴くブルーノートのジャズ・ライブがイタリアンとは、よくよくヨーロッパにご縁があるんだなあ。。なにしろ、ジャズのことは全然知らないので、イタリアのジャズと言われても??だが、もらった資料によると、ウンブリア・ジャズというのは、1973年に始まったヨーロッパでも有名な音楽イベントで、イタリア内外の世界的なジャズ奏者とジャズファンが州都ペルージャに結集するそうだ。中世の建物が並ぶ旧市街の広場が人でびっしり埋まっている写真があった。今夜のブルーノートに登場したロベルト・ガットはイタリアを代表するジャズ・ドラマー。早めに寂しくなった頭髪(ヨーロッパ人によくある)は潔くスキンヘッドにして、エネルギッシュな男性に多い太い猪首にがっちりした体格というイカツイ風貌だが、ドラムを愛おしそうに叩き回しワイヤーブラシで撫で回す姿がなかなかセクシーで、ややうつむき加減の顔をしょっちゅう左方に向けては最前列のキレイなお姉さんに流し目を送るなんとも茶目っ気たっぷりのチャーミングなおじさんだ。トランペット、テナーサックス、ピアノ、ベースの面々もやはりベテランらしく、うち2人はスキンヘッド気味、3人が猪首という共通点があり、イタリアのおじさん達は中高年になってもステキと思わせる(ホントかな)オペラやカンツォーネの伝統を感じさせる感情豊かな歌いぶりに、思わず、ピアノを習っていた頃、先生によく言われた「もっとエスプレッスィーボに…♪」という言葉を思い出した。音楽用語ってほとんどイタリア語なんだもんね。いや~実にエスプレッスィーボ!なのだった。ジャズって楽譜を忠実に再現する音楽と全然違うんだと思った。もちろん、基本のメロディやリズムや和音のパターンがあるのだろうが、そういうものは既に記憶のデータベースに蓄えられて、いつでも検索可能な状態でスタンバイ、一瞬一瞬にもっともふさわしいものを、これまた血肉となっている超絶テクニックによって、次から次へと繰り出してくるという趣である。メンバーのソロ・パフォーマンスをしばらく見守っている場面があったかと思えば、ふっと絶妙の合いの手が入り、そのうちまた5人全員で怒涛のセッションを繰り広げるのだ。ジャズジャーナリスト氏は、薄暗がりの中でなにやら熱心にメモをとっている。取材か。時折、いろいろ解説してくれるのだが、広報女史と私は次々出てくる人の名前がさっぱりわからず、ジャズ通の知識に敬服しつつ、ただただ目の前の演奏に感服するばかりであった。イタリアン・ジャズは上品、という話を聞いたが、確かに音がとてもきれいだった。ピアノもトランペットも。そして、ドラムスのロベルト・ガットの超人技は目を疑うばかり。ドラムセットが身体の一部と化し、痙攣しているかのような足の動きにつれて、ハイハットシンバルがパクパク上下して、スーンスーン・ツ・ツと鳴り、バスドラムも法則性が把握できないほど複雑なリズムでドスドス響く。手のほうは、2つのシンバルとスネアドラムとタムタムドラムの間を2本のバチが高速で飛びまわってスイングスイングスイング!!リムショットにも何種類も違った響きがあるし、あ!いつの間にかワイヤーブラシに持ち替えてるし、あら、今度はスネアをオフにしてタムタムの音みたいにしているし。まさに変化自在の手さばきに、惚れ惚れと見とれるのであった。ついにはバチを放して、素手でたたき始める。ボンゴやコンガのように! ほとんどサルの境地だ。そうなのだ。原初の本能を全開にして自己を解放できる(=サルになれる)人でないと様にならない。ドラムスではそれがハッキリわかる。羞恥心や理性が邪魔するとできない。(そこが高校時代のブラスバンドでの私の大ネックだった)「マイルス・デイヴィスに捧ぐ」ということで、次々演奏される曲の冒頭部分を聴いただけで、正面エリアの席からは「ヒュー」という喜びの声と拍手が沸き起こる。ジャズファンなら誰でも知っている有名な曲なんだろうな。。マイルス・デイヴィスの名前ぐらいは聞いたことはあるし、ジャズ版「枯葉」のメロディは私にもわかったけれど、たとえば今演奏されている曲がジャズ史の中でどれほど「かの有名な」ものかわからなくて、やや場違い感を抱きつつ、知らなくてもなんでもスイングスイングスイング! で、いつの間にか一緒に身体が揺れだして、それなりに楽しめたのであった。9時半から1時間以上ぶっ通しで、最後のほうでやっとメンバー紹介があるまで、ノンストップで演奏が続いた。いや、この人達、ほっといたら一晩中でもセッションを続けるのかも。昔ちょっとだけドラムスをやったことがある身には信じられないことだが。(だってバチを握る手が疲れて、そのうち言うことをきかなくなるんです)余分な力が抜けてるんだろうなあ。。達人鉄人名人達だ。人の身体から直接出てくるようなジャズの即興。音楽って本当に不思議。。今夜のステージに感謝します♪
2008年05月15日
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