「歩きつなぎの旅」の記録

「歩きつなぎの旅」の記録

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

Calendar

2026.06.06
XML
2026年06月06日(土)曇


予報によると来週の東京では、曇りや雨が続くらしい。梅雨入りが近い。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「雑司ヶ谷音羽絵図」のうち、現在の文京区目白台1~2丁目に当たる地区。08:00 胸突坂下 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第112回 】を歩き始める。



胸突坂の西側、「水神神社」を訪れる。創建年代は不詳。神田上水の関口大洗堰を守護するため祀られた。切絵図には「八幡宮 水神社」とあり、かつては椿山八幡宮と水神神社の2社があったが、現在は水神神社だけが祀られている。



切絵図に「細川越中守」とあるのは、肥後国熊本藩細川家(54万石 外様)の抱屋敷と下屋敷。寛永9年(1632年)加藤家2代藩主忠広(初代藩主清正の3男)が改易となり、細川忠利(忠興の3男)が熊本へ入封。廃藩置県まで12代に渡り細川家が熊本藩を治めた。



切絵図の細川屋敷前に「鶴 亀」とあるのは、2株の老松(鶴の松・亀の松)。一帯の旧町名「高田老松町」は、この松に由来する。明治15年(1882年)細川侯爵家は抱屋敷跡地に本邸を構えた。現在は肥後細川庭園・和敬塾(旧細川侯爵邸がある)・永青文庫(細川家伝来の文化財を収蔵展示)などになっている。



目白台運動公園がある辺りには、江戸時代、播磨国安志藩(あんじはん)小笠原家(1万石 譜代)の下屋敷があった。切絵図には「小笠原信濃守」とある。安志藩は享保元年(1617年)の立藩から廃藩置県まで、7代に渡り小笠原家が治めた。



「清土(せいど)鬼子母神堂」を訪れる。雑司ヶ谷(豊島区)の鬼子母神堂に祀られている鬼子母神像は、永禄4年(1561年)にこの地で掘り出され、境内にある「星の井」という三角形の井戸で清められたと伝わる。切絵図には「鬼子母神出ケン井」とある。



「清戸坂(きよとざか)」を上る。中清戸(現在の清瀬市)に御鷹場があり、将軍が鷹狩りに通う道が造られた。これが清戸道(現在の目白通り)で、護国寺から清戸道へ上る坂というのが、坂名の由来とされる。切絵図に「雑司ヶ谷清土村百姓町」とある。



「幽霊坂」を上る。かつて坂の西側に本住寺があり、坂道から寺の墓地が見えたことに、坂名は由来するという。切絵図に「ユウレイサカ」「本住寺」とある。江戸時代、坂の東側には旗本屋敷が建ち並んでいたが、明治34年(1901年)その跡地に日本女子大学が開学した。






胸突坂下 → 肥後細川庭園前 : 3.2 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 426.1 km )






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.06.07 08:33:05
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: