「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2026.08.29
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2026年08月29日(土)曇


曇り空。今日の東京は、午前8時の気温が 23.9℃ 。秋のように涼しい。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「東都小石川絵図」のうち、現在の文京区春日1~2丁目に当たる地区。07:25 小日向交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第118回 】を歩き始める。

切絵図に「大久保長門守」とあるのは、相模国荻野山中藩大久保家(1.3万石 譜代)下屋敷。荻野山中藩は、相模国小田原藩大久保家(11.3万石 譜代)の支藩として、天明3年(1783年)に立藩した。現在、跡地には国際仏教学大学院大学・茗台中学校などがある。



国際仏教学大学院大学の入口脇に「徳川慶喜公屋敷跡」標柱がある。「最後の将軍」15代慶喜は、明治34年(1901年)かつて荻野山中藩下屋敷があった高台に移り住み、大正2年(1913年)に76歳で亡くなるまで、この地で余生を送った。



徳川慶喜屋敷跡の東側、「今井坂」を上る。かつて坂上に旗本屋敷があり、邸内の兼平桜(平安時代末期の武将で、木曽義仲に仕えた今井兼平の名に因む)と名付けられた桜の大木に、坂名は由来するという。切絵図では、坂名が「シンザカ(新坂)」の別名で記されている。正徳年間(1711~16年)新たに開かれた坂道だったことに由来するという。



「金剛寺坂」を下る。かつて坂の西側にあった金剛寺に、坂名は由来する。建長2年(1250年)金剛寺は相模国に創建され、のちに小日向へ移転した。切絵図には「金剛寺」「コンカウシサカ」とある。地下鉄丸ノ内線の建設に伴い、昭和29年(1954年)金剛寺は中野区へ移転した。



切絵図の「安藤坂」を上る。坂の西側、「安藤飛騨守」とある紀伊国田辺藩安藤家(3.8万石 譜代)上屋敷に、坂名は由来する。元和5年(1619年)徳川頼宜(家康の十男)が紀州藩(55.5万石 御三家)に入封すると、安藤家は紀伊徳川家の附家老に任じられ、所領と田辺城を与えられた。



附家老とは、幕府が御三家・御三卿に遣わした家老職。施政を監督・補佐させることにより、御三家・御三卿が幕府の意向に沿うことを期待されていた。田辺藩初代藩主の安藤直次は、徳川家康に仕えた武将。安藤家の歴代藩主は、紀伊徳川家の附家老として紀州藩政に参与した。



「牛坂」を下る。かつて坂下にあった牛石と呼ばれる大石に、坂名は由来する。切絵図に「牛サカ」「牛石」とある。牛坂の南側、「牛天神 北野神社」を訪れる。切絵図には「牛天神 別當 龍門寺」とある。明治維新後の神仏分離により、龍門寺は廃寺となった。






小日向交差点 → 春日町交差点 : 3.2 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 449.1 km )






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Last updated  2026.08.30 08:17:45
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