「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2026.07.18
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2026年07月18日(土)曇


曇り空。東京では梅雨がまだ明けていない。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「雑司ヶ谷音羽絵図」のうち、現在の文京区大塚4~5丁目に当たる地区。07:40 護国寺西交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第115回 】を歩き始める。



大塚公園にある「住好稲荷社」を訪れる。江戸時代、この地には伊勢国桑名藩松平家(11.3万石 親藩)の下屋敷があり、その邸内社が稲荷社の起源と伝わる。桑名藩下屋敷が、切絵図には「松平越中守」とある。下屋敷跡に残っていた社は荒廃していたが、明治43年(1910年)地元住民によって再興された。



切絵図に「本傳寺」「波切不動 通玄院」とある。本傳寺の創建は元和年間(1615~24年)とされる。本傳寺の境内にある「波切不動堂」は、かつては少し離れた通玄院(本傳寺の塔頭、現在の大塚3丁目交差点付近にあったが、明治時代に本傳寺へ併合)と同じ敷地にあったが、明治時代末から大正時代頃に現在地へ移転した。通玄院は波切不動の別当寺だった。



切絵図にある「富士見坂」を下り、護国寺へ向かう。かつて坂上から富士山がよく見えたことに、坂名は由来する。「護国寺」は、生母である桂昌院の発願を受けた5代将軍徳川綱吉により、元和元年(1681年)に建立された。切絵図には「神霊(齢の誤字)山 護国寺」とある。



護国寺には江戸時代の建造物が数多く残っている。元禄10年(1697年)に建立された「観音堂(本堂)」、元禄4年(1691年)に建立された「薬師堂」、元禄14年(1701年)に建立された「大師堂」、江戸時代中期に建造された「仁王門」などがある。



護国寺の東隣り、切絵図に「筑波山 護持院」とある。元禄元年(1688年)5代将軍綱吉が神田橋門外(現在の千代田区神田錦町)に建立。享保2年(1717年)に起きた火災によって焼失したため、護国寺の隣りに移転した。



明治維新後、護持院は廃仏毀釈により廃寺。明治6年(1688年)跡地は皇族専用の墓所「豊島岡(としまがおか)墓地」となった。08:35 護国寺前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第115回 】はここで終わり。


護国寺西交差点 → 護国寺前 : 4.0 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 440.7 km )






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Last updated  2026.07.19 08:26:29
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