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あれ? 日記と旅程が1日ずれてしまいましたね。なんでだろ? ま、いいや。3/30は11:30にストーン・タウンの空港を発つ飛行機に乗るため、9時頃、パラダイス・ビーチ・バンガローを発ちました。パジェ、パラダイス・ビーチ・バンガローは本当に素敵な場所で、できることならもう1泊したかったのですが、今回の旅行は、旅程を事前にJICAに報告する必要がありました。ちょうど村の電話線が盗まれ、ネットが使えない時期だったこともあり、タンザニア国内線と宿、サファリの手配を、すべて事前にダル・エス・サラームにある、日本人が経営する旅行社にお願いしました。日本にいた時の私の旅のスタイルは、往復のエアチケットだけとり、あとの行程や宿は、現地についてから決めることがほとんど。ホテルを事前に予約する必要のある時にはネットからで、日系の旅行社を通したことなどほとんどない私にとって、今回の旅行は未だかつてない、ゴージャスな旅でした。そんなわけで、すべて旅程が決まっていたため延泊もできず、泣く泣く出発出発前、Sさんとの記念写真をお願いしたところ、警備員のマサイの人たちも気安く、一緒に写真におさまってくれました。空港まで、バンガローから手配してくださったタクシー(マサイの人の後ろに写っているバン)で$40(Tsh 50,000)が、このタクシー、途中で人を乗り降りさせ、よく止まる・・・同行のCが見かねて、「私たちは急いでいるんだ」と運転手に言ってくれましたが、貸し切りタクシーがミニバス化?スペースが余っているから、小銭を稼いでいたのでしょうか?空港に着いたものの、私たちの乗るはずのPrecision Airのカウンターが開いていない。イヤな予感・・・奥から出てきた係員に「もう出発しちゃったから、明日おいで」と言われましたが、その時点で、10:30。「私たちが乗るのは、11:30発の飛行機だよ」と言ったところ、しばらく待たされた後、事務所に連れて行かれました。パソコンに向かっていた、偉そうな係員曰く「誰かが、君たちのフライトを変えた。 (パソコンの画面を指し)この通り、明日のフライトだ。 明日来なさい」私「誰かってどういうことよ? 私たちがそのパソコンをいじれるっていうの? 私たちは今日中にアルーシャに行かなければならない。 今日の飛行機に乗せてちょうだい」係員「リコンファームをしていない、君たちが悪い。 明日来なさい」まったくらちがあかず、係員に「スワヒリ語はしゃべれないのか?」と言われたため、この航空券を手配してくれた旅行社の担当者に電話してもらいました。旅行社「この航空会社はダブルブッキング等も多いため、 早めに空港に行くよう、注意しましたよね? フライトの15分前に来たため、乗せられないと言っています」私「いやいや、私たちは1時間前にカウンターに着きました。」旅行社「今まで言われたことないですが、リコンファームが必要だと言っていますね。 この航空会社、トラブル多いんですよね」私「私たちがこの航空会社を指定したわけでもないし、 なんとか今日中にアルーシャに行けるよう、 御社からもプッシュしてもらえませんか?」旅行社「手配したといってもツアーじゃなくて、個人旅行ですから、 基本的にご自分で対応していただかないと。 今日は日曜で、タンザニアンスタッフとも連絡とれませんし、 電話で依頼するより、現場で対応してもらった方がいいと思います。 もし、ザンジバルにもう1泊することになっても、 ホテル代等は当社の免責事項です」私にしてはかなりゴージャスな代金を支払った手配旅行だったのですが、なんだか残念な対応なのでした強引にお願いした結果、係員はしぶしぶ、同日、ダル・エス・サラーム乗継、アルーシャ行きの便を手配してくれました。二転、三転する、筋の通らない説明に、かなり頭に来ていたので、係員の気分を害する言動を私がしてしまったためですが、かなり感じの悪い対応でした。C曰く、「相手はそれなりのポジションの人なのだから、相手を立てて交渉しないと」とのこと。確かにそうだけど・・・ 反省。アフリカ生活の長いK専門家は、「アフリカは、怒らず、焦らず、あきらめず」とおっしゃいますが、なかなか・・・。これまで日記に書き連ねたようなトラブルの数々を通じ、アフリカ人に、人間性を鍛えてもらっているような気もしますが、すぐ怒ってしまう私は、まだまだ修行が足りないですね。チェックイン時に、フライトスケジュールを見てわかったことなのですが、私たちが乗るはずだった便は、フライトが早まっていた様子。それを一切説明せず、「フライトの15分前にカウンターに来た」「リコンファームをしていない」などと訳のわからない言い訳をくり返すタンザニアン・・・しかし、あなどれないリコンファーム。席の確保だけでなく、フライトスケジュールの変更もあるため、事前のリコンファームが必要なのですね。国内線であっても。そんなこんなでしたが、なんとかザンジバルを出発。機内から見たザンジバル アルーシャの空港での、機内預け荷物の受け取りはこんな感じ。自分の荷物を各々取っていく。これも初体験でした。これもアフリカでは、大したトラブルじゃないのかも。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 31, 2008

ザンジバル東岸のパジェ。 どこまでも遠浅で、私が今まで訪れたなかで、いちばんきれいな海ここで、日本人女性Sさんがパラダイス・ビーチ・バンガローを経営して16年になるそうです。http://www.geocities.jp/paradisebeachbungalows/ ベッドにお花のサービス事前に予約していた私たちのために、いかの塩辛とお魚の酢漬けを作ってくださっていました。タンザニアにはキリマンジャロ、サファリなどいろんな銘柄のビールがありましたが、このンドヴが、私はいちばん口に合いました。私、お魚の酢漬けってあまり得意じゃなかったのですが、Sさんの酢漬け、最高 久しぶりの塩辛も最高これらと、パジェの素敵なビーチをアテに、ンドヴを数本飲んだ後、赤ワインのボトルを空けてしまいました マサイと白人女性のカップル 砂浜を自転車でやってくるもの売りたち沖の方まで行くと、馬ふんウニが獲れると聞き、1kmくらい頑張って歩きましたが、延々ひざくらいの深さでした。近辺ではむらさきウニしか見つけられず、残念ランチは、ザンジバルで手に入る麺を使った冷やし中華とシーフードチャーハンをオーダー。両方ともむちゃくちゃ美味しくて麺好きな私たちは、冷やし中華をもう1皿注文してしまいましたランチの間に、赤ワインをもう1本空けてしまいどんだけ食べ&飲むねん、お昼間から・・・同行のCとは訓練所で同じ班で、週末よく飲みに行っていたのですが、マラウイに来てからは任地が極北と南にわかれ、たまに首都で会った時くらいしか話す機会がなく、のんびりランチをしながら、この間のあれこれを話しました。夜は、Sさんお手製のお寿司&お刺身。これまた、美味しかったですね~途中から、Sさんも席に加わってくださって、一緒に酒盛りいろんなお話しをさせていただきましたが、「朝のバスのドライバーたちは、 嘘をついているのではなく、言い訳をしているのよ」といった視点をはじめ、特に印象的だったのは、「(協力隊の)たった2年で彼ら(アフリカ人)を変えようなんて無理だろうけれど、 自分が変わることに意味があるんじゃないかな」というお言葉。16年、ここで生活してはる重みを感じました。塩辛や酢漬けだけでなく、お魚のはらわた、茄子の炒め物、出し巻き卵などのアテも用意してくださって、どれもこれも美味しく、すっかり話し込んでしまいました。風邪の私は2時過ぎに失礼しましたが、Cとは3時頃まで話していたそうです。Cは「新婚旅行でまた来たい」と言っていましたが、わかりますね~。とっても素敵な場所私もいつかまた訪れたい場所ですSさん、たくさんお世話になりました。胃と心の洗濯今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 30, 2008

この日、ザンジバル東岸で、日本人女性Sさんがロッジを経営されている、パジェへ向かいました。前日、オールド・アラブ砦のカウンターで、パジェ行きのバスを予約。朝、ホテルまで男の人が迎えに来てくれました。マラウイのアフリカンタイムに慣れきっている私たち。30分は遅れてくるだろうとのんびり朝食を摂っていたら、予想外に早く来てくれました慌てて荷物を取りに戻り、慌しく出発したため、前日買ったばかりのタンザニア国旗のビーズ細工を部屋に忘れてきてしまいました前日、ひいてしまった風邪がかんばしくなく、道中、眠りこけていた私突然、一緒に乗っていた男に起こされ、「パジェから、パラダイス・ビーチ・バンガローまで10,000シリング。 払わないなら、今、ここで降りろ」と言われました。前日、予約した際、すでに12,000シリング払ったと領収書を見せましたが、パジェからバンガローまで、さらに10,000シリングかかるのだと言います。ザンジバル西岸のストーン・タウンから島を横断、東岸のパジェまで約1時間の道のりと、パジェ内の移動(約5~10分)が、ほぼ同じ値段なんてあり得ない。前日、カウンターで、予約をすればこの値段だけど、予約なしで当日乗ろうとすれば、値段が上がると言われ、私たちは予約したと説明しましたが、「お前らは予約していない」「じゃあ、なんで、ホテルまで迎えに来られたの?」と聞き返しても、訳のわからない説明をくり返すばかり。運転席の隣に座っていた男がカウンターに電話し、同行のCがその電話に出て、カウンターの人と話し、とにかくロッジまで行ってもらうことになりました。到着後、10,000シリング払えと、バスの後部座席に積んでいた私たちの荷物を渡そうとしません。やむを得ず自分たちで荷物を出しましたが、Cが鞄の外ポケットに入れていたお土産の絵をとりあげ、物色しながら、「返して欲しければ、10,000シリング払え。 さっきの電話でカウンターの人と話し、払うことに同意したはずだ。 払わなければ、警察につきだすぞ」と脅す始末。同意などしていないし、10,000シリングは法外だ。荷物をとりあげるなんて泥棒かと、Cと二人で彼らと格闘していたところ、バンガローの人たちが出てきてくれました。Clove Hotelからバスを予約するとTsh 16,800、Sさんのロッジから彼らに依頼するとTsh 19,200、私たちが依頼したカウンターはTsh 12,000だったため、おそらく、カウンターの人間が彼らへのリベートを払うのをこばんでいるのだろうというSさんのとりなしもあり、Tsh 5,000を支払うことになりました。まったく納得いきませんでしたが、Sさんにご迷惑をおかけするのも忍びなく・・・彼らの言い分は二転、三転し、なんとかお金を巻き上げようとする彼らは本当に気分が悪かった。オフ・シーズンで客が少ないこともあり、小銭を稼ぎたかったのでしょうね。日本円にしたらたった1,000円ほどのことで、真剣にけんかする私たち金額の問題じゃないんですよね。例えば、今はオフシーズンで客が少ないから、料金は倍と、最初に言ってくれていたら、納得して支払ったと思う。道中、儲けが少ないことに気づいたのでしょう。突然、契約を変え、筋の通らない理屈をとうとうと並べ、お金を巻き上げようとする彼らの根性に腹が立つ。アフリカらしいといえばらしいのですが、そんな彼らの生き方、主張を受け入れること、私は困難です。私たちが利用したのは旅行者向けのバス(と言っても、バン)でしたが、ザンジバルの人たちの交通機関ダラダラなら、2~3時間で行けるそうです。ダラダラ マラウイではマトラと呼ばれるこのタイプの乗り物、トラックの荷台に直接、人が乗り込みますが(写真はこちら→★)、タンザニアでは、屋根も座席もついている。さすがタンザニア空港のタクシーはパジェまでTsh 35,000と言っていましたし、人数が多ければ、タクシーがいいかもしれませんね。ピーク時ならいざ知らず、オフ・シーズンのパジェ行きバスはおすすめしません今朝のマラウイは小雨。この時期の雨は珍しいです。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 30, 2008

大聖堂を見学した後、かつて浴場として使われていた建物へ。 世界遺産の建物だと、入り口にいたおじさんに勧められ、入場料2,000シリング払いましたが、ん~、室内も狭く、これで2,000シリングは高いと思う。($1≒Tsh1,200、2008年3月現在)その後、この日のお宿、Clove Hotelへ移動。急遽、ストーン・タウンを2泊に変更したので、コーヒー・ハウスに連泊することができませんでした。オランダ人女性が経営するClove Hotelは、最上階のテラスで、ドリンクを飲みながら海を眺めることができ、かなり気持ち良かったです。ダブル$60(朝食付)http://www.zanzibarhotel.nl/Clove Hotelに置いてあったビラを頼りに、白人女性が経営、ザンジバル女性がしてくれるオイルマッサージを受けに行きました。オイルマッサージが終わった後、薬草をお湯につけたもので全身プッシュしてくれたのですが、その後、突然、マッサージ嬢がいなくなってしまいました。まだサービスが続いているのかなと思い、扇風機ががんがんまわっているなか、全裸でびしょぬれで5分以上。別室でマッサージを受けていた同行のCが着替えて部屋に入ってきて初めて、サービスが終わったことに気づかされました。そのお店を出る頃にはすっかり声変わりし、本格的に風邪をひいてしまったのでした夜ご飯は、ビーチサイドのおしゃれなカフェの砂浜に置かれたテーブルで、ろうそくのもとででも風邪のためふらふらで、味もよくわからず夜中も咳が止まりませんでした。同行のCは暑くてたまらなかったそうなんですが、風邪の私に気を使って扇風機を回さず、彼女は最上階のテラスで寝たそうです。申し訳ない、C。風邪を治したくて入ったマッサージで今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 29, 2008

目覚めのコーヒーか紅茶を、お部屋まで届けてくれるサービスのある、ザンジバル・コーヒー・ハウスやはりここは、ホテルの名前にもなっているコーヒーをオーダー。が、残念ながら、ぬるくて美味しくない・・・おしゃれなパッケージに入ったコーヒーを、1階の喫茶室やダル・エス・サラームの空港でも売っていましたが、買う気になれなかった。このサービス、しない方がいいんじゃ??朝食は、最上階のテラスにて。このテラス、イエメンのサナアで泊まったホテルの最上階にあった、カートと呼ばれる噛み煙草を楽しむ、男性の社交場とよく似ていました。 2005年8月、イエメン、サナアにて。左のおじさんが持っている草が噛み煙草、カート。噛んだ後、その葉っぱを頬がはちきれんばかりにぱんぱんになるまで詰め込みます。人によっては酔っ払ったりするそうで、近隣国では禁止されているそうです。話をザンジバルに戻し、朝食はジュース、フルーツ、菓子パン、シリアルは自由にとることができ、カフェ・ラテやエスプレッソなどのコーヒー類か、紅茶と、卵料理かパンケーキ、ワッフルから、オーダーできました。この日、ワッフルは選べませんでしたが・・・朝食では、アイスランドから来ていたご家族とご一緒になりました。奥さんは経営を大学で教えているそうで、1980年代に日本に来たことがあるそうです。小学生のお子ちゃまたちも、流暢な英語を話していたのですが、公用語はアイスランド語、学校の授業もアイスランド語、英語は学校の教科で習うだけなんだとか。なのになぜお子ちゃまたちは、私以上に流暢な英語を操る??朝食を摂っていたところ、またも大雨3月のタンザニアはやはり大雨期です朝食後、風邪気味の私を気遣い、同行のCが街まで傘を買いに行ってくれました。その傘を持って、大聖堂、Cathedral Church へ。かつての奴隷市場跡に建てられた教会です。ちなみに前日、入り組んだ路地に迷ってしまい、「Cathedral Church」への行き方を何度か尋ねたのですが、「Roman Catholic Cathedral」を教えてくれる人がほとんど。「Slave Market」の方が通じるようです。Roman Catholic Cathedral 『地球の歩き方’06~’07』(ダイヤモンド社、252、254頁)によれば、 アラブの奴隷商人は、東アフリカ全域より捕らえられたアフリカ人をザンジバルに運び、この場所に奴隷市場を造った。売り場は46m×27mの長方形で、三方はヤシの葉、一方は石に囲まれていた。市は16:00に開かれ、男の奴隷は土の上に、女の奴隷は離れた所に立たされていた。 奴隷と買い手の数はしばしば600人を超えるほどだった。アフリカ全体では奴隷船で毎年数十万人ものアフリカ人が運ばれたが、新大陸まで生きてたどり着いた人は1500万人、途中で亡くなった人はその5倍といわれる。 ↑アフリカの探検を続けたリヴィングストンが生涯を終えたジンバブエ北部Chitamboから運んできた木材で作られたという十字架奴隷を収容していた地下室も残っていました。身長158cmの私が、かがまないと歩けないほどの高さの部屋がコンクリートで2段に仕切られており、奥行きもさほど広くなく、ここに何人、収容されていたのでしょう?奥まで入ってみましたが、沖縄の平和祈念館やひめゆりの塔に似たぞくぞく感が若干あり、とても写真を撮る勇気はありませんでした。↑スウェーデン人の彫刻家が、1998年に作った奴隷の像残念ながら、説明書きがほとんどなく、詳しい説明は、本のコピーからなる、このボード1枚。他の観光客は英語、スペイン語?それぞれガイドに案内されていましたが、その方が、この地のことをよりよくわかるのでしょうね。↑Cathedral Churchの左奥の、白い尖塔はモスク。ムスリムと教会が共存した街。哀しみ、憎しみを乗り越えるつよさを、私も身につけたい。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 29, 2008

日本食レストランまで往復してくれたタクシーの運転手さんに私たちが泊まったYWCAから空港までの所要時間を聞いたところ、「15分」とのこと。しかし前日、3時間かかったことから、念には念を入れ、9時15分発の国内線に乗るため、同じタクシーの運転手さんに7時にYWCAに迎えに来てもらいました。が、早く着きすぎてしまい、チェックインカウンター前の荷物検査を受けられる部屋に入れてもらえず、1時間近くベンチで待つことに・・・ダル・エス・サラームから、飛行機でたった20分でザンジバルに到着空港での待ち時間を考えれば、船で行った方が安く、早いかもしれません。かなり揺れるそうですが。空港からホテルまではタクシーしかなく、交渉の末、10,000タンザニアシリング 。($1≒Tsh1,200、2008年3月現在)ここで簡単にザンジバルの歴史を。1499年、バスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れて以来、ポルトガル人が支配していましたが、彼らはアラブ人に追われます。1832年、オマーンの王、スルタンがザンジバルに宮廷をおき、その後、起こった奴隷貿易の反対運動の影響を受け、1890年にイギリスの保護領となるまで、その支配下にありました。1963年、イギリス連邦から独立、国連に加盟したものの、スルタンやアラブ人に不満を募らせていたアフリカ人によりクーデターが起こり、1964年ザンジバル人民共和国として独立。同年、タンガニーカ共和国と合併、タンザニア連合共和国となりましたが、今もなお、ザンジバルをひとつの独立国として考えている住民も多いとのこと。(『地球の歩き方’06~’07』、ダイヤモンド社、250、256頁)今もなお、住民のほとんどがムスリムで、顔立ちもアフリカ系ではなく、アラブ系の人がほとんど。ザンジバルの中心は、世界遺産ストーン・タウン。アラブ風の建物と入り組んだ路地が、その特徴です。 この日のお宿はザンジバル・コーヒー・ハウスという、ストーン・タウンの内陸部にある素敵なホテル。バス、トイレは専用だけど、部屋から離れた場所にあるツイン$75(朝食付)に泊まりました。バス、トイレが室内にあるお部屋は$90のようです。Tel : 255-(0)24-2239319http://www.tanzania-adventure.com/zanzibar-coffee-house.htmhttp://www.zanzibarcoffeeshop.co.uk/index.html素敵なホテルで、まずしたことと言えば、シャワー、洗濯 前夜、停電、断水でしたから・・・電池を切らしていたカメラを充電して出かけたので、この日の写真、ありませんウェルカムドリンクは、1階の喫茶室のメニューから選べました。ホテルの名前に「コーヒー」が入っているのですから、カフェ・ラテをチョイス、一緒にチョコレートケーキをいただいたのち、街を散策に出かけました。観光地のため、お土産やさんも多かったです。動物がくっついてたり、描かれている食器とか、柄が動物になっているサラダフォーク&ナイフとか、デザイン豊富な布やアクセサリー、マグネット、キーホルダーなど、きっとね、日本から直接来たら、しょぼく見えたと思うんですよ。所詮、アフリカですからね。でも1年半、世界最貧国の1つマラウイで暮らしている私たちにとって、久しぶりにふれる文明心わき踊り、入り組んだ路地に誘われるまま、お土産やさん巡りになってしまいました。まだ2日めなのにお土産やさん巡りで歩き疲れたため、18世紀、要塞として使われた、オールド・アラブ砦のなかのレストランで、ビールを飲みながら休憩。片言の日本語を話すお兄ちゃんに話しかけられ、同行のCは、彼を相手にスワヒリ語の練習をしていました。夕方、1883年にスルタンが式典用に建てたという驚嘆の家をようやく観光。夜は、オールド・アラブ砦と驚嘆の家の間の、細い道に連なる屋台街で、先ほど、砦で話しかけられたお兄ちゃんと再会。彼が働いている屋台でえび、いか、まぐろ、ロブスターなど、シーフードの串焼きを食しました。ん~。私は、シーフードは生が好きかな。特にロブスターは、時間が経っていたのか、いまいちでした。屋台は他にもいろいろあって、「ザンジバルピザ」という看板の食べ物、売り子たちは日本語で「お好み焼き」と言っていましたね。一銭洋食みたいな感じかな?アジアでよく見られる、さとうきびジュースもありました。ザンジバルはスルタンの支配時代、スパイス産業が発展したそうですが、屋台のさとうきびジュースもジンジャーたっぷりで、風邪気味の私にはぴったりでした。ムスリムの町ですから、屋台でビールを売っていない、飲めないのがツライ。屋台の客引きのお兄ちゃんに、食べ終わったらビールを安く飲めるお店に行こうと誘ってもらっていたのですが、なんだか風邪がひどくなりそうだったので、お誘いをお断りして、早めに宿に戻ることにしました。そう、この頃から、風邪気味だったんですよ・・・さとうきびの搾り器、マラウイにもあればなと思うのですが、マラウイではひたすら、さとうきびをかじる。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 28, 2008

そんなこんなのAIR MALAWIですが、定刻通り、タンザニアの首都、ダル・エス・サラームに到着。 かなり大きな都市であることが、機内からもうかがえます。空港も、マラウイよりもかなりイケてます。事前にタンザニアJICA事務所から届いた注意事項を守り、カウンターでタクシーを依頼し、ブリーフィングのため、事務所へ向かいました。空港では曇天だったのが、道中、突然の激しい雨 雨はますますひどくなり、みるみる道路が浸水。途中でタクシーが動かなくなり、たまたま近くにいた、別のタクシーに相乗りさせてもらうことになりました。先客は、タンザニアで1年半働いているアメリカ人。「ザンジバルに行くなら、東岸のパジェで、日本人女性がバンガローを経営しているから、そこでゆっくりするといい」と、薦めてくれました。道路浸水はますますひどくなるばかり。 飾られているのはタンザニア国旗停電のため、信号も機能せず、大渋滞。通常なら、空港から15~20分で行ける事務所まで、3時間かかりました。「新記録ですね」と、タンザニア事務所のボランティア調整員の方に言われました。彼らも「赴任以来、初めてのこんな大雨」だったそうです。その他にも大きなトラブルがあり、かなり焦ったものの、なんとかクリア。ようやくその日のお宿、YWCAにチェックインしましたが、大雨のため、停電、断水・・・とりあえず荷物だけ置き、タクシーで、韓国人が経営する日本食レストランOSAKAへ向かいました。数ヶ月ぶりのお寿司、お刺身、揚げ出し豆腐、海老のから揚げ、海鮮鍋、日本酒などに舌鼓。(カメラの充電を切らしてしまって、写真がない)食べ過ぎましたトラブル続きの旅の始まり今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 27, 2008

3/26(水)~4/5(土)まで、タンザニアに行ってきました。私たちは2年で20日間の任国外旅行が認められており、マラウイ隊員が現在、許可されているのはタンザニア、ザンビア、モザンビークの3国です。ザンジバルやキルワ、ンゴロンゴロ、セレンゲティなどの世界遺産、観光名所の多いタンザニアの場合、40日前までに旅程を提出して、マラウイ、タンザニア両JICA事務所の許可を得なければなりません。さらに到着後、安全情報などのブリーフィングを受ける必要があるため、JICA関係者の受け入れは1ヶ月につき30人までと決められています。(2008年3月現在)タンザニアは7~8月がベストシーズンと、先輩隊員から聞いていました。でも、その時期は現職教員の再訓練プログラムが入る可能性があり、3~5月はタンザニアの大雨期のため、直前まで迷っていましたが、8月には見られない、ヌーの大群が見られるということで、思い切ってこの学期休みに行ってきました。 2008年2月のインフレ率が16万4900%というジンバブエの隊員が、利用を許可されないAIR MALAWI。でも私たちがタンザニアに行くには、安全上、陸路は認められておらず、ケニアも南アも経由できないため、AIR MALAWIしか手段がありません。今まで手書き、自由席、いろんなエアチケットをもらいましたが、会社名の入っていない、白紙のチケットはこれが初めてです。出国審査では、女性には女性の係官があたり、財布や化粧ポーチの中身まで、鞄の中ほぼすべて開けられます。「プライバシー」などという言葉は存在しません。マラウイクワチャの持ち出しがMK 3,000までに限られているからだそうですが、隣国にもっていったところで紙くず同然のマラウイクワチャ。係官が物色しているとしか思えない。私の化粧ポーチから、アイブロウライナーを物珍しげに確認、「これは私(=係官)のものか?」と聞かれました。同行のCは、ライターと防虫スプレーを2本とられ、マラリア予防に不可欠だから、未開封の防虫スプレーを返して欲しいと訴えたところ、あっさり返してくれましたしね。安全対策の荷物検査とは思えない・・・機内から見るマラウイ湖 朝の機内食。オムレツか目玉焼きか選べました。↑写真を見て、おかしな点にお気づきになりましたか?「朝からビール」、確かにそれもおかしいんですけどビール瓶が配られるのですよ。ビールだけでなく、ファンタやコーラ、いずれも瓶。がっしゃん壊せば、たやすく凶器となり、ハイジャックしようと思えばできてしまうのではないか?「荷物検査」に意味があるのか、ますます疑ってしまうのでした。AIR MALAWIなぞハイジャックしたところで、発言力にはなり得ないということでしょうか?帰りにフルーツを持っていたら、「私の分は?」と聞かれました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
March 26, 2008

Bingu Mutharika、みなさんはご存知でしょうか?歌手? スポーツ選手? いえいえ、マラウイの大統領なのですよ。御年75歳。こんなこと覚えたところで、日本で行われるどんな難関試験にも、マニアックなクイズにも、出題されないと思いますが。来年が大統領選のため、積極的に遊説に出かけているようです。この日は同じ敷地にある、教員養成カレッジの卒業式にも出席。(この卒業式、去年は5月だったのが、今年は3月。 カレッジのスケジュールがよくわからない・・・)にぎやかな歌声に誘われ、9時ごろカレッジに行ってみましたが、8時半到着予定の大統領はまだ到着しておらず彼の顔がプリントされた、おそろいの衣装に身を包んだ政党支持者とおぼしき女性たちが歌い、踊りながら、彼の到着を待ちます。 写真を撮っていたら、警備の警察官に怒られてしまいました。カレッジからの卒業式への招待状を提示したところ、「学長に許可を得てくるから、ここで待ってて」と言われ、大統領の到着までは撮影してもいいけど、大統領の写真は撮ってはいけないと、厳命されました。スーパースター、Luciusより厳重だわん。大統領のお歩きになる場所には、赤じゅうたん 婦人会?だけでなく、民族衣装?を着た子どもたちも踊っていました。時間が経つにつれ、ギャラリーも続々と増え・・・赤じゅうたんの先に、カレッジスタッフたちが整列。 ハリーポッターみたい。左の青いマントの方は博士号を持っており、他の方たちは学士、ここには写っていませんが、黄色のマントの人たちは3年で得られるディプロマという資格と、マントの色で、その人の資格がわかってしまうのだそうです。アメリカ人ボランティアたちも、それぞれマントを羽織っていました。私はマントを持っていませんから、なんとなくうらやましかったです。ヘリコプターで、大統領到着。 007みたい。結局、彼が到着したのは11時すぎ。卒業式の開始時刻も遅れました。分刻みで、そのスケジュールが新聞に書かれる、某国総理大臣とは大違い。しかし、ヘリコプターで2時間遅れって、当日の朝、首都を出発したのでしょうか?彼は教育省のトップでもあり、その彼が2時間あまり遅刻って・・・生徒に「時間を守りましょう」という指導は難しいなと思いました。数メートル先に見た彼は、恰幅が良く、年よりお若く見えました。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気blogランキングへ
March 22, 2008
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またまたすっかりご無沙汰してしまいました。月刊になりつつありますね 私のブログ。この間、マラウイは出場できなかったサッカーのアフリカンカップとか、(1~2月ガーナで開催、エジプト優勝、カメルーン2位)時機を逸してしまったネタもいくつか・・・活動等でばたばたしていたのもありますが、2月上旬に盗まれてしまった村の電話線、1ヶ月あまりかかってようやく復旧したのもつかの間、4月上旬にまた盗まれてしまったそうで、今もまた、家からネットができなくなっています「電話線を盗んだ人は、それをどうするの?」とマラウイアンに聞いたところ、「自分の村につなぐんじゃない?」と言っていました。のんびりした国です。同じ敷地にある教員養成カレッジには高速? LANが走っていますが、2月はカレッジがプロバイダーへの料金未納のため、使えませんでした。が、今回はカレッジのLANが使えるのが救い。少しずつ、この間のできごとをupしていきますね。 この日は私のお誕生日でした。昨年は、携帯電話会社が火事のため、携帯が使えず、(こうして書いてみると、次から次へと、 日本ではあり得ないことが起こってますね、マラウイ生活。)イエ電のプリペイドカードを切らしており、まったく一人きりの誕生日でした今年はお誕生日前日に、家族と、かつての教え子からお祝いメールが届いたのに始まり、日本からお祝いメールやカードも何通かいただきました。携帯にも、当日早朝、飲み友達イッサから、その後、同じ敷地に住むアメリカ人たちからもお祝いメールをいただきました。お昼は、韓国流にわかめスープで、自分のお誕生日を祝いました。夕方、イッサとダグラスがうちに来てくれたため、特別な日のためにとっておいた、家族や日本の友達が送ってくれた芋焼酎とおかき、チゲ(トッポギ入り)を奮発してお祝いそのおかきは、うに入りだったため、普段、シーフードに接する機会の少ない彼ら、とりわけダグラスは大はしゃぎ。さらにダグラスが、芋焼酎の水割りを「うすい」と言うので、焼酎を足すと「濃い」と言い、水を足すと「うすい」と言うので、さらに焼酎を足す・・・という、往年の花紀京さん(吉本新喜劇)のネタを、素でしてくれたため、一人、大爆笑吉本新喜劇 ギャグ100連発 保存版(DVD) ◆20%OFF!帰り際も、何度も「もう帰る」と言いながら、グラスを差し出し続けていましたダグラスは、日本でもコメディアンになれるに違いない。「バンダ(=ダグラスの名字)センセイワ、カッコイイ~、オモロイ~、デキル、オトコ」「I’m not ヨッパライ」「I’m not ナンパ」などと、怪しい日本語を操りますしね。チゲを食すダグラス 彼らがHappy Birthdayを歌ってくれました。こちらの歌詞は、Happy Birthday to you Happy Birthday to you Happy Birthday dear ○○ Happy Birthday to you~の次に、 How old are you? と続くのですよ。聞かんでよろしい、そんなこと・・・イッサ・ミシェック 素敵なお誕生日でした♪久しぶりにぽちっ↓とありがとうございます
March 5, 2008

またまたすっかりご無沙汰してしまいました。先輩隊員たちから、1年を過ぎた頃から時間が経つのが早く感じるようになると聞いていましたが、ほんまにこの半年、終わってみればあっという間でした。特にこの3ヶ月は精神的にかなり辛くて、眠れなかったり、食べられなかったりしました。一人で考え込む時間を作らないため、活動に没頭し、次から次へとすべきことを自ら作っているうちに、あっという間に経ってしまいましたね。2月上旬には村の電話線が盗まれてしまったため、ネットができない環境でもありました。そんなマラウイ生活最大、人生でも数えるほどのピンチを抜けたと実感できたのが、このLucius Bandaのライブでした。Lucius Bandaは私でも知っているほど、マラウイでは超有名な歌手そのライブが3/3/月、近くの町ゾンバでありました。ちなみにこの日はMatyrs’dayといい、独立のために闘った闘士をしのぶ祝日でした。Luciusのライブは、マラウイ最大の都市Blantyreでは入場料MK2,000(約2,600円)くらいするそうですが、旧首都ゾンバではMK400(約520円)也。会場へと続く道 開始時刻よりも2時間ほど遅れて行ったのですが、まだ前座のバンドが歌っていました。小1時間ほどして、ようやくLucius ダンサーズの登場。 メインダンサーのこのおなかが、私はとても気になりました。マラウイでも近年はスリムがもてはやされ、無理なダイエットをする若い女性もいます。このメインダンサーの脚とおなかは、やばいんじゃないかと思い、マラウイアン(30代、男性)に確認したところ、彼は彼女のことを太っているとは思わないそうです。ん~。マラウイなら、私でもダンサーになれるかもそして、Luciusの登場。ダンサーに見劣りしない巨漢です。そんな超有名人の写真を、こうしてバシャバシャ撮れてしまう、マラウイの大らかさが素敵↑私の飲み友達、同じ学校でチチェワを教えているChatha先生と、隣村の学校でフランス語を教えているIssa先生。踊ってます。会場で一緒になったご夫婦。この奥さんのご陽気さにも助けられ、彼女と抱き合い、踊りまくっていた時、なぜか涙がこぼれましたもう、大丈夫。私は生きていける、と私が突然、泣き出してしまったため、ChathaとIssaに心配をかけてしまい、申し訳なかったですその後も閉演まで、踊りまくりました後日、ゾンバのレストランや、隣村のボトルストアで、見知らぬ人たちから、「こないだLuciusで、踊ってたね~」と声をかけられました。私ってば、目立っていたのね お気づきかと思いますが、久しぶりに日記に写真を添付することができました。それも日本からカメラを運んでくださった、先輩隊員Mさんのおかげ ありがとうございました。そして申し訳なかったけれど、心底、心配してくれたChathaとIssaにも、本当に感謝いろんな人に支えられて、私はマラウイでの生活を続けられています。ありがとうやっとマラウイのことを好きになり始めました。久しぶりにぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
March 3, 2008
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