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2017.12.28
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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比売久波神社の大きな社名石標のところまで戻ると、唐院の集落を横切って西に向かい、 唐院の交差点のところで飛鳥川に架かる橋を渡ります 。橋の傍には、史跡案内の標識が整備されています。

しばらく堤防上の道を北進し、 川西町大字保田を西に横断して曽我川を渡ります。



曽我川をわたり、今度はこちらの堤防上の道を北進します。 川を渡ると、河合町です
地図をみると、このあたりは 大字川合 です。

佐保川が初瀬川と合流し、大和川となった後、東から順に寺川、飛鳥川が大和川に合流し、さらにこの曽我川が大和川に合流します。


曽我川が大和川に合流するところ、 大字川合の北端部に「広瀬神社」があります
まさに、川が合う交通の要衝地にこの神社が位置します。
比売久波神社から広瀬大社への行程はこちらの地図(Mapion)をご覧ください。



それでは、広瀬神社のご紹介です。こちらも 正式には「廣瀬神社」です
この神社は、『延喜式』による「広瀬坐和加宇加売神社」に比定されています (資料1)

広瀬神社の杜の入口にある大きな朱の一の鳥居をくぐると、幅の広い参道を真っ直ぐに本殿まで向かうことになりますが、結構距離があります。参道に沿って、境内社が幾つも祀られています。参道に沿って眺めてみます。
境内図は「廣瀬大社」ホームページに掲載のものをご覧いただくと、イメージしやすいでしょう。こちらからご覧ください。 (資料2)



日の丸社(日の丸大明神の額が鳥居に)と日吉社




参道の途中に配された狛犬像
 参道を挟んで、 祖霊社と祓戸社 (はらへどしゃ)


祓戸社は、諸人が知らず知らずの内に犯している罪穢を祓い清める神が祀られているそうです。


二の鳥居に行くまでに、参道の左手に古めいた大砲と砲弾が据えられています。
砲弾の台にある銘板によれば、日露戦争における戦利兵器の奉納だとか
今回の探訪で、明治時代の歴史の一端が色濃く残る遺物を繰り返し見ることになりました。



二の鳥居の傍に、広瀬神社についてのかなり具体的な説明が記された案内板があります。




二の鳥居をくぐると、 手水舎が左手に あり、 その先に社務所 があります。


    社務所の先の境内に、火焚きの神事で使われると思われるスペースが見えます。 



逆に、右手斜め前方には馬舎があります。


二の鳥居近くから見た「拝殿」とその左側手前にある「おみくじ結び所」の木。

拝殿




本殿  春日造
主祭神は、若宇加能売 (わかうかのめのみこと)
相殿として、櫛玉命 くしたまのみこと) 穂雷命 (ほのいかづちのみこと)

若宇加能売命は、山谷の悪水を良水に変え、さらに河川の氾濫を防ぐ神であり、五穀豊穣の神でもあるそうです。奈良盆地において総ての河川が合流するこの地において、治水と五穀豊穣を祈り、農耕祭祀の原型である穀霊神として信仰されていた神社です。
天武4年4月10日、天武天皇は「小柴美濃王・小錦下佐伯連広足を遣わして、風神 (かぜのかみ) を竜田 (たつた) の立野 (たつの) に祭らせた。小錦中間人連大蓋・大山中曽禰連韓犬を遣わして、大忌神 (おおいみのかみ) を広瀬の河原に祭らせた。」と『日本書紀』に記されています (資料3) 。この「広瀬」がこの地であり、広瀬神社につながります。
「大忌神とは朝廷に御饌を供する神」。若宇加能売命、広瀬大忌神ともいわれるのです。 (資料1) 古来、同じ神が様々な名称で信仰されてきているようです。
つまり、広瀬神社の大忌祭が天武朝以降、五穀豊穣を祈念する国家祭祀に高められたといえます。4月と7月に祭事が行われてきました。大忌祭の中で行われていた行事が、現在は 「砂かけ祭」 として継承され、毎年2月に行われています。 (資料2)

現在の本殿は、春日大社若宮の用材によって、正徳2年(1711)に造営されたものです。
社伝によると、
 文永3年(1506) 兵火により社殿焼失
 天文14年(1545)  復興
 寛永4年(1627) 造り替え   という経緯を経ているようです。 (資料1)


境内の西側に、 「広瀬橋」 が架けられています。
 この反り橋の上から見た 北方向の景色
南方向の景色



この後、再び巨大古墳の探訪が続きます。

つづく

参照資料
1)  REC講座「奈良盆地の中央低地部の巨大古墳と寺院と神社」 当日配布のレジュメ
   (講師:龍谷大学名誉教授 岡﨑普明氏作成)
2) ​ 廣瀬大社 ​ ホームページ
3) 『全現代語訳 日本書紀 下』 宇治谷 孟 訳  講談社学術文庫 p268

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
廣瀬大社 ​  :ウィキペディア
大忌祭 ​ おおいみのまつり  :「コトバンク」
広瀬大忌祭 ​ ひろせおおいみのまつり :「コトバンク」
延喜式祝詞(広瀬大忌祭) ​ :「~新川の社務所から~」
大忌祭・風神祭 ​  :「神道・神社資料集成」
砂かけ祭り ​  川の歳時記  :「奈良県」
町指定文化財第5号 砂かけ祭り ​  :「河合町」

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Last updated  2017.12.28 22:41:27 コメントを書く


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