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「気付かなかったというより、やはり自分を甘やかし、人にも甘えていたのかもしれない。」というのは友人のメールから無断引用。ここから「甘え」について、頭がゴチャゴチャ考えだした。確か「甘えの構造」って本、持っていたなぁと探したけど、処分したみたい。「甘える」のと「自分を甘やかしている」のと「人に甘えている」のは、どうも微妙に違う気がする。今回、引っかかったのは「人にも甘えていた」という点。この「人」とは、私も含めてだと思うから、まぁ簡単に私としておこう。うむむむ。う~ん、なんて書こうか。とりあえず、理屈は横に置いておこう。つまり「私の意志を無視して、勝手に甘えんな!」というような気持ちが最初に来た!そういうことだ。以前は「私は友人に甘えられる存在なんだ。気を許してもらっているんだ。信用されているんだ。」と、前向きに良いように思おうとしていた。私は、私の意志を無視して私を利用する人に、それは止めて不愉快よ、と言っていいんだ。むしろ言わなきゃいけない。そういうことだ。まだまだ未熟だけど、だいぶ健全になって来た気がする。「人に甘える」のと「人に甘えていた」いうのは、違う。「人に甘えていた」というのは、相手が「NO」と言わないからずっと荷物持ちをさせていて平気な感じがする。「重いかなぁ」「そろそろ変わろうか」みたいな相手への思いやりが感じられない。私は(他者優先はほとほどに)私自身への思いやりを大切にします。
2012年07月26日
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件の友人と何通かメールのやり取りをしました。返事は私が返信した2日後でした。早いな、と思いました。そして、次は一週間たっても来ないので、やっぱりなぁと思いました。返信が来たのは9日後。忙しかったのだそうです。心の余裕がないそうです。これからすごく忙しい季節になるそうです。彼女は最初に、今年になって状況が変わったのでメールを再開しようと思った、と書いてきたのです。それならば、忙しいのが一段落して心の余裕ができてからでもよかったのではないでしょうか?と、思うけれど、そうストレートには伝えられないなぁ。久しぶりに私にメールすることが、良いことだと思ったんだろうなぁ。その時は。昔の事ですが、思えば、彼女は遅刻をする人でした。家を出る前に、洗濯物が気になって取り込んでいたら遅れた、とか。遅刻ではないけれど、最近人間国宝になった方の舞台を二人で観に行こうとした時、チケットを失くしたとか。時間を守らない。(自分の分だけでなく相手の)モノを失くす。当時の私には考えられない事でした。そして、意識にのぼらないようにしていたけれど、みかんなら、遅刻してもかまわない。みかんとの観劇なら、チケットも大したことない。そう思われているのかと感じていたのでしょう。内心キリキリと怒っていたと思います。10代~20代だったし(^^:今回も、彼女にとってやはり私はその程度なんだと思いました。でも、そうなのかな?ともっと彼女にフィットする考え方はないかと探ってみました。それで思いついたのが風見鶏です。もしかしたら、彼女は風によって向きをかえる風見鶏なのかもしれません。今目の前にあるものだけに意識が向く、のです。待ち合わせの時間は、目の前にある洗濯物の向こうにあるのです。舞台のチケットは、「今日じゃない」というのが繰り返されて、その向こうに埋もれてしまった。自分の誕生日を祝われるのは嬉しいけれど、友人の誕生日はその日の用事のその向こう。パソコンを使わなければいけない状況、という風に吹かれて、私へのメールが手前に来ただけ、なのかも知れません。彼女は、私へのメールの為だけには、パソコンの電源は入れないということです。風見鶏にこっちを見て!というのは、無理難題。風見鶏に吹く風の向きを、風見鶏も知らないし、わからない。私も知らないし、わからない。だから、気にしないことにします。風見鶏の向きが、私の方に向いた時に、手をふればいいのかな。風見鶏に穏やかな風が吹くことを願っています。
2012年07月23日
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2011年02月15日 友情の水やり上記の日記に書いた友人からメールが来ました。ご無沙汰してましたがまたメール交換しましょ、という内容でした。私から見れば、なぜ?それはどういうこと?と突っ込みどころ満載のメールでした。その謎や疑問を問うたら、相手は責められていると感じるだろうなぁ、と思いました。疑問を問うて、答えを得てすっきりしたい私。その奥に、いつもの「私をわかって!」という叫びが見えました。私を友人と思ってくれているのなら、私をわかってくれているなら、そんな文章は書かないでしょ!と私は相手を責めているのです。推測するに、友人はある種のぐちを言う相手を探したところ、私を思い出したのでしょう。”あぁ、こんなことAさんにもBさんにも言えないなぁ。そうそう!みかんにやったら言えそう!久しぶりにメールしてみよう”という感じでしょうか。そういう気持ちのところに、なぜ?それはどういうこと?という攻撃的な返事をもらっても相手は閉口するだけ。件の友人は、そんな返事は欲しくないでしょう。楽しいメール交換がしたくて、メールをしてきたのですから。わかりました。件の友人は、私のことを思ってもいないし、わかってもいないのです。友人にとって、私はその程度の存在なのです。私はそれを認めます。認めなくてはいけません。事実なのですから。私は、この先、その友人とどういう関係になりたいのか、まだ答えはでていません。ただ決めていることはあります。自分を大切にすること。相手に振り回されないこと。がんばります。
2012年07月10日
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