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1つの言葉。それに対して異口同音に「わかった!」の声。「わかった!」を発した本人たちは、皆それぞれわかったつもりだし、確かに皆それぞれにわかった。でもその「わかった」を持ち寄れば、十人十色。それは、自分自身でも同じ。今の自分と、数時間前の自分とでは、別人のことがある。同じ言葉に対する、自分の「わかった」も時間とともに色合いがかわる。正直、自分の中で色合いがかわる事を「軽薄」とか「考えなし」とかと思っている面があった。そうならないために私はとても「意固地」だった。昨日の「ほぼ日」の「今日のダーリン」というコラム。過去の文章は残さない主義らしいので、ここは一部引用とさせてもらう。引用:ここから--------------------------------あなたから「誇り」を奪い取ってしまおうとするのは、実は「誇り」を持てないで苦しんでいる人間だろう。「誇り」をなくさないでいる人は、他の人の「誇り」を奪ったら、じぶんの「誇り」が失われることを知っている。引用:ここまで--------------------------------この類のことは、いろんな本で何度も読んだと思う。何度も出会って、何度も「そのとおりだ」と思った。そして昨日も、改めて「そのとおりだ」と思った。でも、「そのとおりだ」と思う自分自身の色合いが違う気がする。以前は、誇りを奪う人はそういう人だから、と思って、耐えようとしている感じ。今回は、自分の誇りを維持する姿勢に、「なるほど」と思った。自分の感じ方が変わること。自分の中の「意固地」が緩むと、小さいことだけれど、そういうことが面白いと思えるようになった。
2012年09月17日
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ほぼ日の「おとなの小論文教室。」Lesson603 なけなしを差し出す途中から胸がつまって、泣けてきた。その場にいた人はなおさらだろう。「真摯」という言葉が浮かんだ。環境にもよると思うけれど、この「真摯さ」や「真面目さ」「一生懸命さ」がバカにされる雰囲気が、子どもの頃にあった。きっと今もあるだろう。「ずるさ」が「賢い」こととされる雰囲気。「得をする」ことが「正しい」こと。「わがまま」が「自由」。何かおかしいのに、図々しさとセットなそんなモノがまかり通る。それに対抗する強さもないのに、不平顔な私。ズーニーさんが紹介してくれた彼女の真摯さと強さ。それに涙した自分。自分を好きで居るためには、不器用でも、損でも、かっこ悪くても、彼女のように真摯な道を選ばないといけないんだろう、と思った。でも、柔軟性も忘れずに、かな。
2012年09月13日
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前回の日記を書くまでに、影響を受けたこと。発言小町。「友達に気になっていた事を指摘したばかりに音信普通に・・・。」友人関係でスルーされた立場が同じ(^^;;色んな人のコメント、参考になりました。それからほぼ日の「おとなの小論文教室。」「Lesson602 恐れを伝染させない言葉-4.憶測をやめる」引用:ここから-----------------------昨年、忙しくてメールの返事をため込んだ期間があった。その時ムッ! としたメールが、「お返事がないんですけど、 どうされたんでしょう? いえ、私はゼンゼン急いでないんですよ。 でも、ズーニーさんがどうかなったんじゃないか、 ご病気でもされたんじゃないかと心配で メールしました。」困ってるのはどっち?引用:ここまで-----------------------相手のことを心配する呈でいながら、その実、自分の都合を匂わせる。あぁ、耳が痛い。ここまで露骨じゃないにしても、これ、わたし、やっちゃっています。「返事ちょうだいよ。なんでくれへんの?」と書くと自分が自分本位のわがままな人間に感じるので、コトバを弄するんですね。京都の「ぶぶ漬け」の喩えみたいな感じ。「そろそろ帰って」と言えないから、「お茶のおかわりお持ちしましょうか?」と言うような…。…そうなると関西圏の言い回しになって許容される気もするけれど、ちょっと考えてみて、意識して使うようにしたい、と思う。そんなことを思ったのでした。
2012年09月06日
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粘着質をお許し下さい。過去にするといいながら、まだ書きます。多分、スッキリするか、忘れるまでモヤモヤするんだろうと思います。友人とのことを過去にすることは決定です。悩んでいません。友人からのメールがストップして3週間を過ぎ、もうすぐ1ヶ月。今回のやり取りの途中で、忙しくて返事がかけない時は一文でいいのでそう知らせてと伝え、向こうも了承していた。その上でのメールストップ。私のメールを不愉快に思い腹を立てたとして「なんで、そういうこと言うの!」と怒りのメールを返すのではなく、放置というかスルーされたということは、本当に「あ、もうやってられへんわ」と見放されたのだと思います。彼女の性格で振り回されていたというより、彼女にとって私はその程度だったから振り回されていたのかもしれません。それを彼女の性格の一部としてしか見ていなかった私。つまり、その程度に「軽く見られている事実」を私自身が認めたくなかったのですね。それを認めたくないために「友人」である彼女にしがみついていた…。私の母親が私に「娘」役を求め「私自身」を見ていなかった構図と同じかもしれません。あぁ、ショック。私は言葉に支配されるタイプなんです。「○○をしてはいけません」と言われれば、しない。「○○をしましょう」といわれれば、するように心がける。なぜそう言われるのかは考えるけれど、心からそれがしたいかしたくないかという私自身の感情は棚上げにしがち、ということを再認識。(^^;;;「友達100人できるかな?」とか「新しい友をつくろう、古い友も忘れず。新しい友は白金、古い友は黄金ぞ。」とか、「友達は大事」という金科玉条。私は、友人自身を見ていたんだろうか?それとも「友達は大事」という言葉を見ていたんだろうか?いや、今回の件はチョット違う。私は友人自身を見ていたかった。知りたかった。だから何度かアプローチした。でも、彼女は「現在の山野みかん」を見たいとは思っていなかった。私はそれに腹を立てていた。そして、それが今回の流れになった。彼女が「現在の山野みかん」に興味がないのなら、それは仕方ないこと。モヤモヤしていたのは「友達は大事」というコトバに私が縛られていたから。高校からの友人は彼女が最後だったから。嫌な思いをさせてごめんなさい。楽しい思い出をありがとう。元気で、笑顔で過ごせることを祈っています。
2012年09月06日
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