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某巨大掲示板で興味深い議論が有りました『ワイン福袋返品への是非』以下要約↓・11万円の福袋・アタリ付き・約15万円のワインが入っている・「ボルドー・イタリア・カリフォルニアのトップ生産者が手掛ける極上ワインのみ厳選」以上の謳い文句で入っていたのが・8万円台ブルゴーニュ・1万円台ブルゴーニュ・2万円台ボルドー・2万円台カリフォルニア・1万円台カリフォルニアこのワイン福袋を返品した事に対して、ネット上で是非が分かれました。-ボクは個人的に、ワイン業界の誇大広告にウンザリ例えばドラジェ福袋↓(https://plaza.rakuten.co.jp/aufheben16684/diary/201901210000/)なので、返品に肯定的でした。『ボルドー・イタリア・カリフォルニア』と書いておいて、メインのワインが『ブルゴーニュ』で、なおかつ、イタリアのワインが入ってない。クレームは当然という風に思っていました。でも、反対の意見が有りました。「そもそも『福袋』なんだから、期待と異なっても返品などもってのほか」「当たりくじ付き商品で返品は酷い」掲示板上ではお互いの主張は平行線。若干荒れ気味になってました。この一連の流れを見ていて思いました。視点・基準は人それぞれで、案外分かり合えないものだなと。-もう一つ実例を提示します。皆さんは『4時間待ち』耐えられますか?某地方病院での出来事。体調が悪く、病院を受診。予約などは無し。かかりつけでもない。問診・検査(採血・CT)で4時間経過し、次の段階⇒診察・処方・会計まで進まない。『4時間待ち』で、大激怒・クレームです。普通に考えると、至極当然です。例えば、ラーメン屋で4時間待ちはアリエナイ銀行で4時間待ちはアリエナイディズニーでも4時間待ちは無理(個人的に)しかも、『体調不良なのに』です。視点を変えてみましょう。病院において待ち時間を減らす方法は?答え:『完全予約制にする』『完全』です。かかりつけの患者が急に体調不良になっても、予約を取る所からスタートです。『当日、予約枠が無ければ後日』救急車だとしてもお断り。完全予約制にすることで、受付⇒事前検査⇒診察⇒処方⇒会計この流れがスムーズにいきます。『完全予約制』実現可能か?勿論、『無理』です。体調は突然悪くなるものです。それに対応するのが病院の使命です。ならどうするか?『予約の合間に急患対応を入れる』のです。予約患者側から見ると、「何故『予約』なのに待たされるのか?」「何故『予約』なのに先をこされるのか?」そんなクレームを言いたくなります。急患側から見ると、「何故調子が悪いのに待たされるのか?」そんなクレームを言いたくなります。『お互い様』なんです。待ち時間を減らしてほしいなら、急患一切お断り。急な体調不良にも対応してほしいなら、予約でも待ち時間が長くなるのを受け入れるそして、優先順位を理解する。優先順位=トリアージ優先度大↓①命の危機・一刻を争う:心筋梗塞、脳梗塞等↓②手術・緊急処置適応:腹膜炎、吐血など↓③入院適応:肺炎、心不全、腎不全など↓④予約患者↓⑤検査適応:採血、内視鏡、CT、超音波など↓⑥投薬適応:症状緩和、治療目的の投薬など↓⑦経過観察:自宅安静など優先度小今流行りのインフルエンザは⑤~⑦です。優先順位は明らかに低いので、つらいけど、待たされても文句を言わない。予約患者も優先順位は、さほど高くないので、緊急処置が入ると待ち時間急増。調子が悪いからと来た患者は、緊急性が無ければ、予約患者以下の優先度。(私見です)クレームを入れる前に、『何故こうなるのか?』その理由を考えられる様になったら、視界が広くなることに気付かされました。ただ、それって難しいことですよね。体調悪い時に周りを見る余裕なんてないもん。視点の違い、基準の違い、立場の違い、見えている世界が違うから、感じ方にも大きく違いがある。「何故こんな事で怒るんだろう?」という事でも、当事者には切実な事かもしれません。でも、きっと、わかってあげられないんです。『わかってあげられない』って事がよくわかりました。-さて、話は戻りまして、『ワイン福袋』納得いかなければ返品こんな方法が有るんですね。考えたこともありませんでした。ボクは良い事だと思います。ワイン業界の誇大広告は、酷いものに関しては抑制すべきと考えているので。それにしても、エノテカは何であんな書き方したんだろ?エノテカなんだから、ボルドーはいっぱいあるし、サッシカイア、ガヤも扱っていて、条件を満たすワインなんて、十分に在庫あるだろうに…・ラスカーズ・コス・デストゥルネル・サッシカイア・ガヤ・ナパヌックこんな感じでやればよいのに。というか、こんな感じを期待するよね。-『期待』は自分の気持ちの押し付け。だから、期待してはいけない。そう言い聞かせる毎日です。なので、今年は福袋買わなかったんです。
2020.01.22
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仕事で疲れすぎた日ワイン飲みながらテレビで癒されます。ここ半年ほどのドラマでは〇ノーサイド・ゲーム〇グランメゾン東京が群を抜いて良かったです。何度も繰り返し見ているのが、『グレート・トラバース』山の景色にワインが合う。ただ山に登るだけじゃない。迷い・悩みながら、歩き続ける一人の男の生き方に魅了されます。その流れで見るようになったのが、『グレート・レース』過酷な数百キロを1週間ほどで踏破する人間の体の限界その限界を迎えてから絞り出す『限界』人間って、限界を超えても死なないそう思う位、限界を見せつけられる。自分の大変さなんて大したことない。そう思わせてもらえると、今の辛さに耐えられる。
2020.01.08
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ボクのGW余暇は『アンナチュラル』に全て捧げました。ワイン×ドラマはめっちゃ合う。仕事ってやっぱり、人生の大きな部分を占めていて、その仕事にどう向き合うか?『人生の分岐点』だなと再認識出来ました。人生において大事な事。いっぱいあります。友人・恋人・家族といった人間関係好きな物事・趣味といった時間の過ごし方そして、仕事。人のために生きる、それもいい。趣味だけに生きる人生、それもいい。仕事だけの人生、それだって悪くない。自分はどう生きるか?どんな生き方をしたいのか?ボクは『全力疾走』したい。ボクはそういう姿がカッコイイを思うから。『アンナチュラル』のスタッフは、『プロフェショナル』が高いレベルで信頼しあっている。スタッフ全員が同じベクトルを持つ時、その『チーム』が羨ましかった。自分もそういう『チーム』が欲しい。やっぱり欲しい。ただそれは与えられるものじゃない。自ら創り出すもの。ならば、全力で走り続けるしかない。全力疾走についてきてくれるスタッフが、同じベクトルを持つ仲間。---『アンナチュラル』良いドラマでした。石原さとみさんの演技が好き。随所に良い表情。ここ最近の女優さんではNo.1久部六郎くんが迷い彷徨い、そして見つけた『道』に拍手を送りたい。中堂先生の様に暴言を吐きながら、我を通してみたい。理想の『プロフェッショナル』GWも今日も、あんまり変わらない。深夜にトラブル対応。早朝から仕事。身体も精神も辛い時あるけど、このまま走り続けよう。その方がきっと面白い事になる。立ち止まる事、ゆっくり歩く事、ボクはもう出来ない。多分、その時の退屈さに耐えられない。
2019.05.08
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やっぱり強烈なドラマだと思う。「わたし定時で帰ります」既に新人2人が辞める展開。それを4月に放送する度胸。今回は残る一人が辞めようとする展開。そして、そのきっかけが『大失敗』謝罪せず、「辞めればいんでしょ?」-このドラマを見て思う事を、ベテランスタッフと話しました。今と昔の『新人への指導』の違いに。今の新人は、時間外に働きません。『働かせてはいけない』きまりだから。今の時期、祝日に職場に行っても、新人は一人もいない。ボクが新人の頃は、休みなんて無かった。休日夜間問わず、常に仕事場にいました。休みたいなんて言えなかったし、休まないのが新人の常識でした。いつから変わってしまったんだろう?そして、心配してしまいます。ちゃんと成長できるのだろうか?ベテランだからといって、優秀じゃない人もいます。ベテランでミスをしても謝らない人もいる。だけど、やっぱりベテランは、なんだかんだで、いざという時は、良い動きを見せてくれる。それは、若い頃に鍛えられたからとボクは思うわけです。今の若者が中堅となる頃に、使い物になるんだろうか?そういう心配をベテラン同士でしているわけです。-「今の若者は…」これは江戸時代から続く言葉らしい。つまり、常に時代は流れており、常に状況は変化している。それについていけない人達の言葉、それが「今の若者は…」きっと、心配しなくても、若者は成長していく。そして、いつかちゃんと、「今の若者は…」と言ってくれるはず。自分がいつまでも「今の若者は…」なんて言っている様では、いつの日か何の役にも立たない、『老害』に成り果ててしまう。今の若者の目標となれるよう、更なるレベルアップ更なる精進若者を嘆いている暇など無い。追い越されることの無い様に、更なる高みに上っていこう。追い越される事無く、そして、手の届かない頂へ、それが、ボク達の役割。若者を蹴落とすのではなく、若者の視線を上げさせる、それがボク達の役割。---『過去の栄光』ボクには幸いにして、この言葉が有りません。ボクには『過去の栄光』が無い。過去の実績がまるでないのです。だから、ボクには今と未来しかない。過去の栄光に頼れない分、今やるしかない。今が崖っぷち。過去の栄光に甘えられないのは、今のボクには幸運な事です。さて、本日はAM仕事。昼からBBQです。外は熱そうなので、用意するワインはスパークリングにしました。キンキンに冷やした泡と、熱々に焼いた肉のマリアージュ。楽しみです!
2019.05.03
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昨日は朝から深夜まで働きました。本日も朝から仕事してました。GWなんて関係なし。休みたいという気持ちは有ります。でも、変わりはいない。そして、失いたくないものもある。-ドラマ「わたし定時で帰ります」凄いドラマです。タイトルだけ見たら、新時代の価値観が旧時代の価値観をやっつけるそんな印象です。だけど、ボクにはそうは見えません。ゴリゴリの『ブラック賛美』。まず、第1話で新人が二人辞めます。それを4月に放送する?(笑)その新人はあっという間に過去の人。そして、第2話。ボクは『共感』しました。共感し過ぎて、見るのが辛かった。産休明けの女性。認めてもらうために、残業、休日出勤を自ら志願し、そして、それを周りにも押し付ける。そうしてどうなったか?『そして誰もいなくなった』まさに一年前の自分を見る様。-定時で帰宅して、なおかつ、周りから認めてもらう、それはとても難しい事。ブラックな働き方をすることが、認められる一番『楽な方法』。だから、世の中からブラックが消えない。志願する人がいるんです。ボクの様に。-まともな休みはほとんどありません。熟睡出来たらラッキー。そんな状況を一年以上続けてきました。それでも、失いたくないもの。『仕事の充実感』一年前は、誰からも信頼されず。今は多くの信頼を得ました。その為にしたことは、・仕事を断らない・休日・夜間でも対応する。時々、「死ぬかもしれない」そう思う時が有ります。「それでも本望」そう思う事が多いです。信頼される仕事は本当に『麻薬』自ら志願しているところに、この状況の恐ろしさが有ります。---GWを休みだと思うから辛くなります。通常業務だと思えば、想定範囲内です。今日は通常業務なのに、昼休みをとる余裕が有って、なんだか楽だなー昼寝して、もうひと頑張り!
2019.04.28
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匿名の掲示板で交わされていた、LGBTの議論を見てました。多分きっかけはこれ↓(https://www.huffingtonpost.jp/soushi-matsuoka/marriage-for-all-japan_a_23648089/)ボク自身は申し訳ないが他人事。関わった事が無いし、わざわざ積極的に関わろうとも思ってない。なので、このブログで書く事は、LGBTの是非や、差別についてでは有りません。『某掲示板の議論が面白かった』そういう話です。-始まりは『暴言』からでした。「マイノリティーがデカイ顔するな!」(のちに発言者が暴言だったと謝罪)「少子高齢化社会において、日本破滅の危機」日本社会においては、一つの意見です。そこからの議論の流れが面白かった。・LGBTは世界における人口爆発の結果。種の保存よりも個の保存に本能が傾いている・LGBTを認める事は、自己の存在否定につながる。「どうやって人は生まれてくるのか?」・種の保存に『愛情』は不要(笑)(笑)・世界人口は激増。LGBTの問題など些細な事・なんでも病名や名称を付ければ正当化される風潮はおかしい・大っぴらに否定できないけど、匿名でくらいはキモチワルイと言いたい。アメリカでトランプにこそっと投票した理由と一緒・LGBTも含めて、誰もが生きやすい社会を作る事が、少子化対策に繋がる・LGBTを気持ち悪いと思うのは自由。排除しようとするのは間違い。・増えすぎた種の自壊の過程・発達した一文明の内因的崩壊・LGBTは病気。脳の発達障害。脳の分化障害・『それぞれ』で良いのでは? 行き過ぎると『肉屋を襲撃するベジタリアン』になってしまう。・核家族、個人の自由、個人の権利という世界が子育てを困難なものにした-まだまだ議論は続きますが、抜粋はこの辺で終わり。色々な意見があり、見ていて面白い。こういう議論を見ていると、『捕鯨』の問題を思い出します。鶏を食べる。豚を食べる。牛を食べる。何でクジラはダメ?他人の文化はほっとけばいいじゃん。ただ一方で、犬を食べる。猿を食べる。それには眉をひそめる。ボーダーラインが人それぞれ違う。何事においても、人それぞれでいいじゃん。人に強要するのはヨクナイ。そう思う一方で、『正しい所に人を導く』そういう行為も良いと思う。(独りよがりではだめだけど)世界にはいろんな人がいて、色んな考えが有って、それを肯定したり、否定したり。LGBTに限らず、色々なディスカッションから、世界が見えてくる。面白いなー---先週はパニック的に忙しかったけど、今週はのんびり。本日ものんびりしてます。GWもパニック的な仕事は無いはず。休日が楽しみという思いもある一方で、『退屈』という感覚もあります。これは病気だな。『ワーカホリック・シンドローム』GWの予定が何にもありません。ルソー氏と2回飲むくらい。ダラダラ過ごす10日間?そういえば、『労務管理者』から、「今のままの働き方は認められない」と言われました。監査が入ったらまずいことになるらしい。働き方が異常という事です。かといって、対案が無い。自分自身だけではなく、対外的にも『サステイナブル』な働き方の構築。これを近日中に提出しないといけない。良い案が無い…。
2019.04.24
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手段は何であれ、相手に言葉が届けば勝ち相手に言葉が届かなければ負け『占い』信じるものには救いの言葉。どうやって信じさせるか?そこがきっとポイント。自分にしか出来ない仕事自分の存在価値それをどうやって見つけるか?『自分じゃなきゃダメな仕事』それって、実は無い。代わりなんていくらでもいる。それがボクの考え方。だけど、だからこそ、そこに留まらないといけない。辞めても、辞めなくても、いてもいなくても、何も変わらない。だったら、いればいいじゃない。そこが自分の居場所だと思って。そこが自分の居場所だと信じて。ドラマの中では、「仕事をする上で自分にしか出来ない事は結局は見つけるものでは無く自分で創るもの毎日働き続けて時間をかけてこつこつと創り上げていくしかない」この言葉、沁みます。-残念だけど言葉が届かない人っています。それは仕方がない。努力が必ず報われるわけじゃない。届かない人とは『それなり』に付き合えばいい。大人はそれでいい。言葉が届く人を大事にすればいい。その届く人たちを、毎日、こつこつと増やして、少しずつ自分のチームを作りたい。言葉が届く範囲を少しずつ広げていく。その為に必要なのは『信頼』言葉を届けるのに必要なのは『信頼』信頼を得るには時間がかかる。努力を続けて、果てしなく続けて、やっとの思いで得られるもの。信頼を失うのは一瞬。一度の失敗で失い、一つの言葉で失い、取り返しがつかないこともある。信頼が欲しければ、言葉を届けたければ、常に油断せず、常に全力で、妥協をしない。やるべき事をこつこつと積み重ねるだけ。いつまで続けられるでしょう?見ものですね!---松岡先生よりコメントを頂きました。一部抜粋↓↓追伸もう15年以上、懇意にしていただいている熊本の精神科の先生がいるのですが、その方が貴ブログをかなり熱心にお読みになられており、先生が柏屋に来られた件や二次会の話もしっかりと読まれておりました。さらに、その他貴ブログ私の知らないことまでいろいろとお伝えいただきました。ワインの縁って、面白いですよね。また『こーざ』で紹介されます。ただ、ちょっと賞味期限切れというか…2016年のブログは、さすがに新鮮味が無い。だけど、有難くこの話を受けます。そして、少しアップデートをします。また、熊本という遠い地で、ボクのブログを読んでくれる方がいるのは、ちょっと不思議な感覚です。本日も読んでくれていますかー(笑)今のボクのブログは、読者を大事にはしていません。それは申し訳ないです。自分を吐き出すだけで精一杯。そんなブログですが、熱心な読者がいると聞くと、やっぱ嬉しいものです。頑張らねば!そういう気持ちになります。ただ、今、このブログは『井戸』です。言いたい事を書くだけの井戸です。「王様の耳はロバの耳」そう言っているだけのブログ。井戸の周りの景色は、まだ目に入らない。
2019.03.10
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平成=ゆとり昭和=バブルどちらもマイナス印象の言葉。ゆとり:辛い事耐性が無く、すぐ逃げる。 地道・地味な仕事をバカにする。 怒られたら直ぐパワハラと言う。バブル:過去の栄光にしがみつく。 体罰、厳しさの限界がわからない。 「今時の若者は」という呪いの言葉。ドラマを見ていると心に刺さる。ボクは間違いなく昭和世代だけど、平成・昭和二つのイマイチな部分を持っている。大して仕事の成果が有るわけでもないのに、口だけは達者で行動が伴わず、イヤな仕事からは逃げ続け、信頼を得られなかった過去。一方で、愛が伴わない厳しさで、周りから引かれ、一人孤立していく中で放つ言葉は、「今時の若い奴は…」-「ハケン占い師アタル」現代の仕事関連の闇が凝縮している。その『闇』にかける『アタル』の言葉が、ボクの心には刺さりまくります。「携帯は希望みたいなもの よく無くすけど、案外すぐそばにある」「怒るには『資格』が要る。期待の持てない人間の言葉なんて誰も聞かない」「人を説教している暇が有ったら、もっと自分を磨こう」「あんたはいい顔してた。情熱とやる気に溢れてた」「失ったのは才能ではなく、その時の気持ち」「年寄りの三種の神器 自慢話・説教・愚痴」「過去の栄光を盛ってないで、今、手のひらに残っているもの大事にしようよ」「この世に一人もいない。自分だけで仕事が出来る人」---12月・1月に行った『勉強会』言葉が届けばリクエストがあるはず以前そう書きました。昨日、リクエストが届きました。来月もう一回『同じ内容』でやってくれと。以前は届かなかったボクの言葉が、少しずつ届き始めている。ボクはチームが欲しいのだけど、それは簡単じゃなくて、少しずつの信頼の積み重ねでしか、得られないのだと実感しています。その積み重ねは『努力』するしかない、痛くても、疲れていても。ボクには『伝説』の過去が無い。ボクに有るのは『今』だけ。だから、限度を超えた働き方で、目立つしか方法が無い。とっても疲れて、イヤになる時もあるけど、何もしてこなかった『過去』に戻るよりマシ。さて、明日から富士山廻り…のはずでしたが、雪?行けるのでしょうか?本日は久しぶりにフィットネス。1カ月ぶりかも…首、もう少しで完治します。
2019.02.09
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先週土曜、ただひたすらに家にこもり、ドラマ×ワイン三昧。今期のドラマ、イイですね。「トクサツガガガ」『オタバレ』という由々しき問題を描いたコメディ。オタバレ=オタクであることがばれる事ワインヲタクはバレても構わないけど、例えば、アイドル、アニメ、特撮、等は堂々とは表に出せない。好きなものを素直に好きと言えない。その切ない(?)心情を描いた快作(笑)-「ハケン占いアタル」内容そのものはありがちかも。でも、登場人物は現代の仕事の問題点を、『リアル』に凝縮。いるいる、こういう人ホントに。第一話は『薄ら笑い』仮面を外せない人。昔いた部署に、まさにいました。ボクは中身が無いように感じました。仕事の成長が無い、情熱が無い。勿論、実は違うかもしれません。だけど、薄笑い仮面のブロックがあって、その人の核は絶対に見えない。一度だけ激怒した事が有ります。仕事で大失敗をやらかしたので。だけど、その仮面は外れなかった。ボクには外せなかった。なにか、きっかけが有れば変わるでしょう。そして、変わった方が良い。その方が人間らしいから。あと、演出が好き。何も前知識がないと、主人公を間違えるかも。その位、主人公「アタル」は前面に来ない。最後の最後に大活躍。これは現代版水戸黄門か?(笑)早く日曜日になってもらって、全ての仕事を終わらせて、のんびりドラマみたい。---あと丸3日、仕事が厳しいです。ここさえ乗り越えれば…来週は体のメンテナンスに費やします。温泉や岩盤浴を検討しています。楽天が『送料無料』を目指すそうです。うーん…消費者としては有難いけど、「輸送という仕事は無価値じゃない」そういう意見を見て、「うーん…」となっています。楽天ヘビーユーザーとして、この話題は追いかけていきます。
2019.01.31
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現代版『ロミオとジュリエット』某皇室のお二人です。許されない結婚。ボクはお二人を知りません。話した事も無い。だから、人柄なんて知る由も無い。両家の事情、トラブルが白か黒か灰色か、部外者が正確な情報を知るはずもない。以上から、結婚に賛成も反対も無い。雲の上の出来事。それでいい。だけど、男性の方は完全なる『悪役』-凶悪な交通事故が有りました。煽って煽って、高速道路上で口論。それはしっかり法で裁かれました。その事件の場外乱闘。苗字が同じで住所が近い、ただそれだけの理由で、とある職場に、迷惑電話等が押し寄せたそうです。『風評被害』的事案です。事故の被害者でも何でもない第三者が、執拗に加害者周囲を『攻撃』し始めた。だけど、それは完全な見当違い。『正義』の旗の元に行われる『攻撃』これは許される行為ですか?-『社会的制裁』一定の意義は有ると思います。ただ、そろそろ考えるべき時です。『正義』が有れば、誰が何をしても良いのか?ボクは最近の風潮に警鐘を鳴らします。『正義』の旗のもとに、本当の意味の社会的制裁の為ではなく、『自分の気を紛らわすため』に、悪い事をした人たちを貶めようとする。これは、悪い意味での『マウンティング』人を貶める事で、自分を優位とし、そして、その結果、悦に浸る。その為に『正義』を用いる。『No』と言えることは大事な事。クレーム、文句を言わなければ変わらない、そういう場面は有ります。だけど、自分とは全く関係ない所で、誰かのためではなく、自分の為に文句を言う。それはダメだ。自省の為に書きます。クレーム・文句を言っても良いのは『当事者』・『関係者』まで。第三者は『直接』攻撃は慎むべき。自分の周りの人達と、議論するのは良いけど、その勢いで、抗議の電話をするのはお門違い。自分の枠の中で、冷静な議論をする。それが『第三者の役割』です。-悪い事をした人には何をしても良い。そういう風潮がある気がします。マスコミ・SNSだけではなく、日常でも起こってます。それが『イジメ』に繋がります。『イジメられている人はイジメても良い』こんな風に勘違いする人がいる。これは実体験です。結構いる。今のままの日本では、絶対にイジメは無くならない。確信しています。---最近いくつかコメントを頂いております。ありがとうございます。全例、返信は致しません。それでも、全例きちんと読んでおります。御了承下さいm(_ _)m本日より二週間ほど休みが有りません。(今までも休みが有りませんでしたが)その為、昨日は休みにしようとしましたが、結局休めませんでした。トラブルも多数あったよう…それでも、昨日は体を十分休ませました。そして、ドラマを見まくりました。『ハケン占いアタル』『特撮ガガガ』実に面白い。時間を見つけて、この番組についてのブログを書きたい所です。本日は『3年A組』が有ります。リアルタイムで見れるか?心配です…。
2019.01.27
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今期のドラマはこれしか見てません。ちょっと余裕が無くて…。先日放送の第3話では、『負の感情を明日への活力に変える』そんな『説教』が有りました。まさに『臥薪嘗胆』そして、そんな事を語るドラマは、『現代版3年B組・金八先生』-学校の先生になりたいって思ってました。人に教えるのが好きだから。人に教える行為って、一種の『マウンティング』です。より多くの事を知っているから教えられる。そうやって悦に浸れる。だけど、ボクはその先を知っている。『教える』事で気が付けることがある。『教える』事で自分が成長できる。それって、実に面白い。教師という職業は実に魅力的です。でも、今の世の中は、大変な事ばかり。生徒から挑発されたり生徒から舐められたり威厳を取り戻してほしい。切に願います。現代版金八先生に期待しています。---『臥薪嘗胆』好きな言葉です。悔しさは人が変わるきっかけです。「勉強しよう」そう呼びかけて勉強会を開いたけど、最終的には誰も来なくなった。そんな過去がありました。その悔しさを忘れずに頑張ってきました。先日、久しぶりに勉強会を自ら企画。集まった人数は会議室に入りきらない位。本当に大盛況。休みの日にわざわざ出てくれた人。参考書を自分で購入して自習する人。『誰もいなくなった日』を今なら乗り越えられます。『負の感情を明日への活力に変える』仕事の話。期待を裏切られると、怒りがわく。仕事でもそんな事を経験しました。勝手に期待して、過剰な期待をして、そして、期待を裏切られる。そこに『クレーム』が生じる。なるほどと思いました。例え話。ボクは福袋に期待をしていました。勝手に期待を膨らませていました↓(https://plaza.rakuten.co.jp/aufheben16684/diary/201901030000/)そして、大きく期待を裏切られました。ルソーのラヴォー・サン・ジャックに7万の値付けは許せません。ただ、ショップ側にも言い分があるはず。この『乖離』がクレームを生むわけです。消費者側の防御策としては、『勝手な』期待をしない。『過剰な』期待をしない。そして、なんといっても、『煽り文句に騙されない』福袋という夢を追いかけるには、リスクもある事を忘れてはいけない。そして、全ての『期待する』という行為には、リスクが有る事を忘れてはいけない。ガッカリは期待の裏返し。
2019.01.23
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久しぶりにノンストップで見れるドラマ。『他人事』『危機感の共有』この一年でボクが感じてきた難しさ。それがセンセーショナルに描いていて、実に共感してしまう内容です。「もっとやれ!(心の声)」-一方で、教師の描き方、あれで良いんだろうか…。バカにした様な描かれ方が目につく。教師は威厳が有った方が良い。フィクションなのはわかっていますが、最近の教師の威厳の無さが、いつか日本全体にしっぺ返しを喰らわすボクはそう確信しています。-悪い事をしたら、いくらいじめられても良い。それが日本の姿です。悪い事をしたら、マスコミは徹底的に、執拗に追いかけます。社会的制裁です。確かに意味が有る事もある。ただ、そのマスコミの姿から、我々は勘違いをしていると思う。『悪い事をした人をイジメても良い』と。全く自分に関係ない、きっと一生会う事も無い人を、匿名のSNSでバッシングする。面と向かって言わず、自分の名前を出さず、まるで自分が『正義』であるかの様に。一種のマウンティングだと思っていますが、これは歪んでいます。マウンティングは自分を上げる事だけで行うべきです。人をバッシングして悦に浸る奴は、人間として魅力が無い。---『3年A組』今後、何を見せてくれるのか?とても楽しみにしています。イジメは無くならない。ボクはそう思っています。今の日本では無くなりはしない。でも、その日本に、一石を投じる作品になって欲しい。良き内容であれば、また書くかもしれません。仕事的に、そろそろ、2019年本格始動なのですが、遂に静けさが終わりました。嵐到来です。だけど、1年前の嵐に比べたら、まるで『そよ風』の様です。-首が痛い。寝ていると楽です。座っているのがツライ。だからなのか、よく眠れます(笑)
2019.01.15
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先日、NHKスペシャル『人生100年時代を生きる』第2回「命の終わりと向き合うとき」が放送されました。思いっきり要約すると、人生の最期に『選択肢』があるという事でした。『延命するか?しないか?』という選択肢です。その番組を見ていて、そして、その番組のコメンテーターの言葉を聞いて、ボクは思いました。『死は他人事』でしかない。ゲストの言葉「わかるわけがない」その通りだと思います。わかるわけがないのに、ある日突然、家族の最期を突き付けられる。そして、もしかしたら、安易な選択肢に飛びついてしまう。人生100年元気で生きていられれば素敵な事。だけど、そうじゃないかもしれない。意識の無い、意思の無い状況で、生かされている100年で良いのか?そんな問い掛けがなされた番組でした。-そんな、番組を見た直後に起こったのが『鹿児島』『老人施設』『6人死亡』でした。詳しくは下のリンクから。要約すると、・鹿児島の老人施設で介護職員が全員退職。・残った理事長一人で、入所者の夜の対応。・そしたら、6人が亡くなった。何故、全員退職したのか?新たに職員を雇い入れなかったのか?色々な疑問は有りますが、ちょっと視点を変えて、この問題を見ます。その鹿児島の報道の『ヤフーコメント欄』そこに注目したいと思います。最もコメントが多いのが↓(https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20181121-00406008-fnn-soci)この出来事に事件性が有るのか?それはこのブログでは取り上げません。まだわかりませんし。ここでは、コメント欄から読み取れる事それを書いていきます。・『介護』の限界、綺麗事ではなく現実的議論を・全てを施設任せにして、クレームを言うな・人手不足、もう無理・これから増える出来事。老人は増え職員は減る・施設側の怠慢とするだけで本当に良いのか?・仕事内容と給料が釣り合ってない・預けっぱなしの家族が多い・理不尽なクレーマー家族・一刻も早く安楽死や尊厳死の制度を意外に『施設を責める』コメントが少ない。これがボクの注目ポイントです。報道のされ方によっては、炎上案件と思われますが、コメント欄はまともな姿だと思います。介護者がいない事に気が付いたら、『実の家族が介護をすれば良い』ただそれだけの事です。ただそれだけの事が出来るのか?それが今の日本の闇です。こんな日本において、『人生100年』なんて、ゾッとします…-その他の報道↓(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181121-00000055-kyodonews-soci)(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181121-00000148-jij-soci)---自分の死、家族の死「わかるわけない」まあ、そうなんです。日本には死を考える文化・環境が無い。だけど、そうやって問題の先送りをすると、『歪み』が出て来る。それが今回の出来事ではないか?そう思うのです。もしかしたら、・今回の施設はブラック職場かもしれない・今回の施設長はパワハラ野郎かもしれないだけれども、『現代版・姥捨て山』は実在している。その事実は、世の中に広まりました。この出来事の後追い報道がどうなるのか?注視していきます。綺麗事に終始せず、他人事にせず、死に向き合い議論する土台を作る。それが、ネットや報道の役割。すぐに立ち消える様ならば…日本の未来は危うい。そして、ワインの話。自分の死を自覚しているのか?そう問われたら、勿論、「自覚していません」だけれども、ワインの終活は考えています。2016年ボルドー・グランヴァンが長期熟成に関しては最後の購入ではないか?そう思っています。ボルドーのグランヴァンは20年じゃ足りない40年は必要ではないか?まだ入手していませんが『ペトリュス』どのVtでも、20年では足りなさそう。2014~2016年のボルドーこの辺でボルドーの終活を考えてます。40年後、生きていたいとは思うし、ワインを楽しんでいたいと思うけど、その『保証』は何もない…『区切り』2016年はSWE取得の年。丁度いい年です。ブルゴーニュはもう少し先です。2018は豊作の年。デイリーからグランヴァンまで、ストックを増やすVt。ブルゴーニュはあと20年は買い続けるかな←--のんびりノビノビ岩手の旅です。仕事関連の電話が今の所は少ない。墓参り位、許されると思うんです。どんだけ忙しくっても。岩手にいる人間に、何故電話をするんだろう?何故自分で判断して動かないのだろう?『自分で判断できない』これが我が職場の諸悪の根源と気が付きました。-今、外は雪です!!!
2018.11.23
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遂に仕事がパンクしました。昨日の話です。朝から立て続けに急な仕事の依頼。綱渡りの様に、ミスなく全てが上手く行けば、何とかこなせるはずでしたが、結果は最初の仕事で失敗…その後はもう無茶苦茶でした。『パンク』が最もふさわしい言葉。にっちもさっちもいかなくなって、頭の中で「パンッ!」って音がしました。目の前真っ暗です。でも、逃げるという選択肢はない。幸いな事に、ボクの中でその選択肢は無かった。だから、やるしかない。やり続けるしかない。そんな時、自分を奮い立たせる言葉が欲しい。切実なる願いでした。逃げない、辞めない。それは間違いない。だって、『楽しんでいる』から。楽しんではいるけど、パンクはします(笑)そんなボクにふさわしい言葉見つけました。それが『倒れるときは 前のめり』です。-ボクは仕事で行き詰ると本に助けられます。不思議な巡り会わせです。今回助けられたのはこれ↓有川浩さんのエッセイです。このエッセイを一言で表現するなら『言葉への覚悟』でしょうか。言葉を使う職業である小説家だからこそ、言葉の怖さに敏感。その怖さを自覚しながら、その怖さを内包した言葉を発する。そしてそれは匿名ではない。名前を伴った言葉です。そこには大きな覚悟が要る。-世の中には言葉があふれています。活字は少なくなりつつも、SNSで広がる世界は言葉の世界。言葉には様々な感情が紛れていて、言葉の暴力が目に余る様になりました。ボクの周りにいる人・人の批判ばかりする人・人に注意ばかりする人ホントにちょっとした事をすぐ注意する。鬱陶しい位に。これって多分『マウンティング』です。注意する事で『上下差』が生まれます。個体間の優位性の誇示その為の注意・批判ではないか?ネットでも同じです。スポーツなら監督の采配に対する批判事件なら犯人への辛辣な言葉。飲酒ひき逃げ事件犯人への辛辣な言葉、例えば『殺人罪』『死刑』。気持ちはわかりますが、無関係の一般人がどうしてここまで言えるのか?これも一種のマウンティングではないか?誰かを批判する事で、誰かを貶める事で、自分の優位性を確保している。最近はそれが行き過ぎてはいないだろうか?例えば『不謹慎狩り』大きな災害の時、日本全国が自粛しないとダメ?大地震の時には報道各社は地震の報道だけで、アニメなんて流すのは不謹慎?有川氏は自分の名前を出して、この『不謹慎狩り』にNoを発します。誰かの粗探しをするのではなく、誰かの素敵な所を探した方が生産性がある明確に表明しています。冷静に考えればわかる事ですが、これ、とても難しい事だと思います。大災害の自粛ムードの中、不謹慎狩りが横行する中、「災害地以外の人達は、ちゃんと楽しめ」この言葉を名前を出して本当に言えるか?「楽しめ」ですよ?これは本当に覚悟が要る。(この言葉の裏には、災害地以外の人は自粛などせず、やる事ちゃんとやって経済を回せという思いが有ります)言葉を扱う職業の方が、自分の名前を出して、自分の信念を言葉にする。その覚悟を表す言葉が『倒れるときは まえのめり』決死の覚悟です。---今年に入って、完全に仕事が無い日はありません。職場に行かないまでも電話対応したり、寝る時も、スマホは枕元。気が休まる日はありませんでした。昨日も朝5時に起こされました。体もヘトヘト、精神的疲労もあります。不運が重なれば一気に過労死そういう危機感も持っています。だけど、基本一人で働いているので、誰かに気付かれるわけじゃない。助けてもらえるわけじゃない。だけど、それでも良いのです。ボク自身は『楽しんでいる』ので。自分で言うのもなんですが、自分自身の成長は著しいです。今がボクの成長期。1年前と今とでは全然違います。技術的にも精神的にも経験的にも知識的にも。本当に成長を実感できています。それは何度も修羅場をくぐったから。深夜に、早朝に、休日に、常に一人で戦い続けました。ヤバイ修羅場も沢山ありました。だけど、ちゃんと乗り越えました。それが自分の糧になっている。明確に自覚しています。だから、パンクしてもいい。綱渡りでもいい。そんなヤバい働き方を、ボクはこのまま続けます。ただ、時々途方に暮れてしまうので、その時に自分になんて声を掛けよう?その時は自分にこう言えばいいのです。「倒れるときは 前のめり」人を批判して、人に注意して、そういう事でしかマウンティング出来ない人は、結局、自分に自信が無い人。自分を上げる事でマウンティング出来ない人。「自分は○○が出来る」「自分には◇◇が有る」そう言って自分の存在意義を出していくその為に必要なのは『努力』。暑苦しいけど、努力出来ない人は、自分の存在価値を創造出来ない。-マウンティング=個体間の優位性の誇示=『ドヤリ』ボクもこのブログでやっています。一つは『資格』シニアワインエキスパートを見せつけています。もう一つは『入手ワイン』『(ハーフ)ダース買い』、『仕入れ』などと言って、他の人は中々出来ない事をやっています。これはマウンティングです。なんて下品なんでしょう←でも良いのです。誰かを貶めてのマウンティングじゃない。自分を上げてるマウンティングです。これからもどんどんやっていこう←あ、明日から何回かにわたり、入手ワインのドヤリブログですm(_ _)m
2018.10.24
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今野敏さんの小説は、不思議と仕事の悩み解決につながる。今は碓氷弘一シリーズを読んでいます。「エチュード」は第4弾この本は、ミステリーファンには微妙なウケでしょう。リアリティに欠けます。説得力に欠けます。しかも、『最終トリック』は、読む前に気付いてしまった。それってミステリーでは致命的。だけど、ボクは惹きつけられてしまった。自分に無いもの・足りないものを碓氷刑事は持っている。碓氷弘一シリーズの面白さは『意外なパートナー』碓氷刑事がそのパートナーを『どう生かすか?』そこに面白さが有ります。刑事小説としてみるとイマイチです。第1弾は爆破物処理班でまずまずですが、第2弾はスパイ第3弾はオカルト第4弾は心理学第5弾が考古学ちょっとリアリティに欠けます。だけど、学ぶ事はあります。嫌々押し付けられたパートナーをどう生かしていくのか?そういう異端刑事小説。ボクは今、チームを探しています。そしてきっと、『立候補者はいない』そう思っています。だからいずれ、ボクのチームは、『強制配置』されるだろうと思っています。強制って凄く嫌ですが、それも致し方ない、そう思えるようになりました。無理矢理でも『一人』よりはマシです。『強制配置』でも生かし方次第では化けるかも?そう思えるようになったのは、碓氷刑事のおかげです。仕事で行き詰ると、不思議と本に出会う。幸運な人生です。---本日も忙しかった…『一人』で奮闘しました。だけど、一人にも終わりが見えてきた↓仕事関連シリーズボクのチームは『強制配置』そう予言しました。ところが昨日、立候補者が現れました。ボクの仕事上の予言って結構当たるので、完全に意表を突かれました。嬉しい誤算です。複数人集まったら、説明会を開かないと。ボクのチームの『軸』をしっかり伝えます。・他人事にしない・失敗を糧にする・やると決めたら徹底的にやる『チーム』で旋風を起こす面白い事が始まりそうだ!2日ほど前の『イイネ』が異常に多かった。最近、急に増えました。何が有ったか考えてみました。もしかしたら、『呼称試験一次』の結果と関係ありますかね?ブログの内容はさほどでもなかったので←-空気が『秋の気配』ですね。~あれが貴方の、好きな場所~~こんな事は今までなかった~~ボクが貴方から離れてゆく~
2018.09.11
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大人VS子供少年法VS私刑パワハラVS今時の子供昭和VS平成スパルタVSゆとりこんな事を考えさせられる小説でした。-小説の中身自体は『オカルト』で、正直、あんまり好きじゃない。だけど、不思議な事に、今ちょうど直面する問題に近い内容で、一気に読み通してしまいました。『パワハラ』今話題です。パワハラってダメですか?はい、ダメです。ただ、あまり騒がれ過ぎると、『牙を失った指導』しか出来なくなる。パワハラはダメです。だけど、騒ぎ過ぎは止めてほしい。それがボクの思いです。最近、同僚の女性(お母さん)とディスカッションになった事があります。『ストレスのある部活 是か非か?』ボクは是 その女性は非女性「楽しくない部活など辞めた方が良い」ボク「厳しさ・辛さの無い部活など意味無し」厳しさ・辛さを乗り越える経験を、子供時代に出来る部活に存在意義を感じます。一方で、その女性曰く、部活前にお腹痛くなったり、震えがきたり、そこまでの追い込まれてやるものじゃない。結局、『程度の問題』に帰結します。どちらも正しいのだけれど、行き過ぎてしまうと、間違いになる。厳しさを乗り越えられない大人は、社会では役に立たない。一方で、壊れるまで我慢すると、社会から脱落する。-働き方改革。必要な部分があるのは理解できる一方で、ゆとりのある仕事をし続けて、果たして一流になれるのでしょうか?パワハラまで行くとダメなのはわかりますが、『厳しさ』ってボクは必要と思います。が…、今はこの『厳しさ』が流行らないらしい。以前から言っている『チームが欲しい』。チーム作りにボクは厳しさを前面に出していきたいと思ったのですが、それにはストップがかかりました。『怒るな』『褒めろ』だそうです。ボクは今まで一匹オオカミだったので、指導の経験に乏しいです。今は怒らない指導が当たり前なんですか?どうも、納得できずにいます。最後に印象に残った一文を載せて今回のブログを締めます。「ガキが荒れるのは、大人がそういう世の中にしちまったからだ」「親も尊敬しなくていい、学校の先生も尊敬しなくていい、近所の大人にも挨拶しなくていい…。そういう社会を作ってしまったのは大人の責任です。(中略) だから、戦うしかない。実力で、再び子供に大人の恐ろしさを教え込まなければならない。」過激な文ですが、ボクは共感します。---厳しさを持つ事、怒る事、ボクは必要と思っています。怒られないと気付けない事が有るはずです。怒られないと届かない言葉が有るはずです。『怒りは愛情の裏返し』そういう一面もあるはずです。ボクは不器用ですから、怒るなら嫌われ役になるしかない。そういう役割の人がいてもいい。そう思っています。そういうやり方は流行らないらしいですが…。仕事関連シリーズ新しい事を始めるにあたり、古いものは整理しないといけません。13年お世話になった部署との仕事が、あと1週間ほどで終わりそうです。その目途が立ちました。一度『リセット』する。そして、新たなスタートです。ただ、やる事は変わりません。『馬車馬のように働く』やるかやらないかで迷ったらやる。やると決めたら今やる。やる時には徹底的にやる。仕事を他人事にしない。何度も自分に言い聞かせます。『今がラストチャンス』このチャンスを逃したら終焉。その覚悟を忘れずに働きます。
2018.09.05
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ボクにとって、久し振りの駄作です。映画化されたり賞も取ったりと、評価が高い小説ですが、ボクが求めるものではなかった。内容を端的に書くと、大切な人を信じきれなかった人達-『タイトル』って大事だと思います。それで作品を読むかどうか決めるわけです。この小説のタイトルは『怒り』です。このタイトルの意味するところは何だろう?そう思いながらずっと読み続けました。どんな怒りを書きたかったのか?最後までわかりませんでした…。色々な意味で読者をミスリードする小説これがボクの感想です。---この小説を買った頃、ボクは怒っていました。『何故やらないんだろう? 今がやるべき時なのに』そんなもどかしさを訴え続けていました。その怒りは今は『諦め』に変わりました。言っても無駄と諦めました。期待することを諦めました。諦めると『楽』です。今までの怒りは嘘の様に消えました。期待しなければ怒りはわきません。最低限の事さえしてくれればいい。そう思えたら、怒りのマグマは冷めました。だから、怒りは優しさです。人の本当の成長を願う心です。人を怒らないという事は、『関心が無い』と同義です。怒らない事は優しさじゃない。怒らない事は無関心でしかない。期待をかける人には、これからも怒っていこうと思います。諦めた人はには、これからは無関心でいこうと思います。仕事関連シリーズ以前いた部署とは一定の距離をとり、今は色々な部署と仕事しています。視界が随分広がりました。ボクを空気のように扱う部署。必要最低限の接触しかない部署。一方で、一緒に仕事をしている感が強い部署。この部署は、以前、ボクが尊敬する公家ちゃんとKAT-TUNがいた部署。彼等はちゃんと育てていたんだな…。以前ボクがいた部署とは、今でも多少の仕事が有りますが、一緒に戦っている感が希薄すぎます。全くトンチンカンな事しか言われません。次元が違い過ぎる部署です。本気で一度解散させた方が良いと思ってます。ここまでレベルを下げてしまったのは、過去の自分の責任です。仕事をせず、責任も取らず、ただただ怠けていた自分。そんな人間が働いている部署のスタッフが成長できるはずがない。この酷いレベルの部署は、過去の自分の姿です。だから、ボクが責任をもって、ぶっ壊してあげないと。これがボクの『怒り』です。
2018.08.09
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『かわいそう』の『ニーズ』を満たす児童福祉施設の物語です。文庫版の『解説』が大どんでん返し!仕事で行き詰った時、何故かいつも、支えとなる本に出会います。今の行き詰まりは『厳しさ』出会った本は「明日の子供たち」有川浩-『厳しさ』で悩みます。仕事において厳しさは必要。別に議論の余地はない。そう育ってきました。一方で仕事に厳しさを持ち込んで『怖い』と言われました。学ばないスタッフ勉強しないスタッフに苛立ちを隠しきれなかった。-ボクはとある出会いから、仕事に対する考えが一変します。出会いは今年の1月4日木曜日3日ほぼ寝ないで過ごしました。その時学んだ事は、『やるならば徹底的に』『やるやらないで迷ったらやる』『やると決めたら、今やる』それを身をもって教えてくれた後輩達がいました。彼等がいなくなった今、その教えを忠実に守ろうと一人奮闘しています。そういう時に、どうしても目についてしまう。スタッフの『甘え』以前は見て見ぬ振りをしてきました。今は激怒する様にしています。『仕事』をする様になって、甘やかす事はやさしさじゃないそう気が付いたからです。-相手に対して、①その時々で厳しさを持てる =やさしさ②いつも厳しい =ヒールとしては役に立つ③厳しさを持たない・持てない =相手に対する興味が無い =自分が楽をしたいだけ =最もやさしくない「明日の子供たち」には、『厳しさ』が描かれています。相手を想う厳しさです。この本を読んで良かった。迷いは捨てました。ボクは不器用なので、厳しさを使いこなせない。だったら、常に厳しくいます。『ヒール』ならボクにも出来る。突然変わってしまった周りはいい迷惑でしょうが、このままぬるま湯に浸かり続けて、何も出来ないよりはマシ。あるいは、さっさと辞めてもらって、別の職場で、もう一度ちゃんと鍛えてもらった方が、彼等・彼女等のためだと思う。---ボクは経済的困窮で苦しんだ経験は全くありません。親からの虐待で苦しんだ経験もない。常に選択肢には恵まれていて、自分の意志で選択できました。その決断をするための努力にも、何の障害も無く、日本社会にとって、これほどの『良い子』はそうはいないでしょう。ボクは恵まれた子です。なに不自由な暮らしてきました。そして、これからも、なに不自由なく暮らしていきます。世の中にはそういう役割もある。『かわいそう』の対極です。『ブレない軸を持つ』それはボクのポリシーの一つブレる軸は信用されない。『ヒール』は孤独です。スタッフ全てが避けていく。それでも『ヒール』を降りてしまったら、もっと信用されなくなる。-失ってしまったものを取り戻すのは本当に難しい。ボクの仕事への信頼の無さ。簡単に取り戻せないと知ってるけど、本当に厳しい戦いです。未だに、一人の信頼も得られない。仲の良い、ルソー氏ですらです。だからこそ、後戻りは出来ない。厳しい戦いだからこそ面白い厳しい戦いだからこそやり甲斐がある厳しい戦いだからこそ意味がある本当にたった一人。たった一人の戦いです。
2018.07.05
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『シリアルキラー』あまり聞き慣れない言葉です。もしも、シリアルキラーが日本にいたらという完全なるフィクションです。人を殺したいと思った事はありません。そういう欲求はボクには無い。シリアルキラーは『人殺し欲』があり、それを実行してしまった人。外国では沢山いるみたいです。-殺人欲そのままに生きる、欲に正直に生きることに関して、羨ましいと思う反面、両立しない欲もあります。社会的な長生きという欲です。捕まれば死刑ですから。欲には相反するベクトルがある。それ故、人は迷うのです。『欲の相反』が無ければ、ただ本能の赴くままになるだけです。-『SRO』を読んで思うのは、人間が生きるって、自分の欲望の達成なんだという事。『我慢する』実に人間的な行為です。食べるのを我慢するこれは健康でいたいから、つまり、長生きしたいという欲のため。逆に、食べるのを我慢しないこれは食欲の達成です。人間は、生きていれば、何らかの欲を達成している。人間とは、欲に満ちた生き物。そんな事を痛感させられます。どの欲を満たしながら生きていくのか?それが人間の『個性』なのです。---ルソー氏は北海道です。しかし、やはり変だ。お土産を食らう会を来週水曜日と決めたのですが、お土産を買う暇があるかどうかわからないとの事。それって、どんな旅行?ボクの母親が『東海道を歩く会』というツアーに参加してます。ただひたすらに東海道を『徒歩』で歩く。連続ではなくて、各週末に行われる様。そんな感じのツアーなら、お土産買う暇もないでしょうが、果たして、何しに北海道へ?今度の飲み会で、詳細を根掘り葉掘り!昨日は仕事お休み。朝晩にちょっとだけ。人には任せない。自分の仕事は自分で。それでも、のんびりした一日でした。故に楽天セールでお買い物今回のセールでは・うきうき福袋×2・TMP頒布会・お中元×4・文庫×2でポイントゲットです。TMP頒布会は、来週詳細報告します。今回も超こだわりの6本です。
2018.06.21
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「脳死は人の死か?」高校生の頃、真面目に考えました。その頃色々考えました。・環境問題・いじめ・戦争等々どれも『小論文対策』として。要は受験勉強です。真面目に考えたといっても、所詮、高校生の綺麗事でしかなかった。それから『脳死』と関わることなく、知識もアップデートされぬまま、現在に至ります。で、出会った小説が「人魚の住む家」「脳死」を題材にしたフィクションです。東野圭吾はミステリー作家という認識がありましたが、この小説はミステリーというよりは、フィクションの方がピッタリきます。-この小説を読み終えて、思うことはただ一つ。『脳死は人の死か?』という議論は不毛であったという事。引用はじめ(P352~)「臓器移植には脳死が人の死かどうかは関係なかったとでも?」「まさに、そうです。」(中略)「何をもって人の死とするか。そんな哲学的な問題を持ち込むべきではなかった。どういう条件を満たせば臓器を提供できるか、そこにポイントを絞るべきだったのです。しかし、生きている人間から臓器を摘出することを法律で認めるのは、やはり困難だった。まずは、『その人はもう死んでいる』ことにする必要が有ったのです。」引用終わり日本人はおそらく、『死』について議論が出来ない。綺麗事しか発言できない。死×医療経済という議論が出来ない。”神聖なる命”を前面に出し過ぎて、医療経済をロジカルに議論できない。感情論に流されて終わり。そして、何よりも、『脳死』は他人事でしかない。自分の身に降りかかるまでは、関係のない『忌事』-日本では移植が出来ないので、お金をかけてまで海外に行く。自分達=日本人で解決できない問題をお金で解決する。日本人らしい解決法です。だけど、綺麗な事じゃない。歪な事です。では、どうすればよかったのか?『脳死は人の死か?』という議論をするのではなく、『脳死以後は医療保険不適応 という制度にして良いか?』を議論するべきだった。-残念ながら、ボクは高校時代に「脳死は人の死か?」を考えてしまいました。そして、出した結論は、『脳死とは移植のために創られた死。 それは人の死ではない』なんとも青臭い結論です。若い頃はドナーカードを所持していました。『臓器は移植しません』に丸を付けて。ボクの頭の中を変える気は、今更ありませんし、ボク一人が変えたところで、日本はもう変わらない。臓器移植後進国として、日本は歩んでいけばいい。どうせ、ボクの周りでは、脳死患者も出なければ、臓器移植が必要になる人も出ないだろうから。所詮、他人事だから…---『人を導く』その役割を負うべき人がいます。学校の先生は生徒を導く医師は患者を導く政治家は国民を導くそして、大人は若者を導くボクはちゃんと導いてもらえたのか?そして、今、若者をちゃんと導いているのか?仕事関連シリーズ『チャンス』が来ました。だけど、時期尚早。今、動いても、誰もついてこない。しかし、その『チャンス』は一度きり。逃したら、再びは無い。それならば、立つしかない。-小さいながらも『チーム』を作る。そのチャンスがきました。しかも、組織上層部からの依頼。ボクの方からの嘆願ではない所が、非常に大きいポイントです。まだ、正式決定ではないはず。だから、ボクが今やるべき事は、失われた信頼を、少しでも取り戻す事。チームに召集されたメンバーに、信頼してもらえる仕事・実績を、今はひたすらに作る事。『導く』その為に必要な『信頼』地道に取り戻します。
2018.06.14
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自分の死期を決められるのは羨ましい事です。死ぬことがわかって死にたい。現実においては、癌が一番わかりやすい。交通事故、心臓系、脳血管系は最悪です。『死期を知りたい』その理由は『やれることをやりつくしたい』から。しかし、現実はそうはいかなくて、ボクは自分の死期を知りません。「百年法」は、『永遠の命を得られた』という仮想世界のお話。でも、不思議なことに、永遠の命を得られたのに、人は死を意識しなければいけない。人は死を考えなければならない。死は他人事です。ボクも多少は死を意識していますが、今日死ぬとはこれっぽっちも思ってはいません。どうしても、死はタブーで、アンタッチャブルです。でも、死を意識するからこそ、生が輝くという主張は、ボクは受け入れやすい。この小説の凄さは、『永遠の生』を題材にしながら、向かい合うべき『死』を描いている。-漠然とはしていても、『死』に向かい合う時、一つしかない自分の『命』をどう使うのか?どんな人生にしたいのか?何か成し遂げたい事は無いのか?そう考えずにはいられません。死に向き合う事は、生に向き合う事。---皆さんは何歳まで生きたいですか?ボクは年金を貰うまでは生きたい。何故なら、ボクのポリシーが、ギブ&テイクだから。今払っているものを無駄にしたくない。ただその一念のみで、ボクは年金を貰うまで生きます。その為にフィットネスしているし、検診も受けています。年金のために長生きボクらしい目標です。仕事関連シリーズ自分の命をどう使うか?成し遂げたい事は?最近、ボクは見つけてしまった。仕事で成し遂げたい事を。最終ゴールは『後継者の育成』ボクは一人で働いているので、後輩、部下がいません。そろそろ誘致したいという気持ちがわいてきました。その為には、今いる職場を魅力的なものにしないと。具体的には『実績』です。実績を作り、その実績を元に、新たな部署を立ち上げ、新たな人材を確保し、『チーム』を作る。最高の環境を作って、後継者を招聘する。最高の環境が有れば、ド田舎の不人気の職場でも、誰か来てくれるのでは?そんな期待を持っています。新部署の設立チームの育成その為に自分の『命』を使う。多少の無理は想定範囲内。完全に『綱渡り』の業務内容。もしも、うまく行かずに、何らかの形でボクが去ったとしても、『業績』と『剛腕』があれば、部署が成り立つように『策』は仕込んでいます。合言葉は『俺の屍を越えてゆけ』命をかけた特攻でしか、『策』は効果が無い。-自分の死の間際、人生を振り返った時、やり遂げられていたら、ボクは死を恐れずにいられる。だから、今ある生を、大事に使いたい。『生き切って死ぬ』そう思えているから、今が楽しくて仕方がない。
2018.05.24
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”目には目を 歯には歯を”有名な言葉です。これは本当は、「目には目で 歯には歯で」『償え』という意味だそうです。目をケガさせたら、自分の目で償い、お金で損をさせたら、お金を償う。命を奪ったならば、自分の命で償う。ただしこれは、『だから気をつけろ』という意味に繋がります。戒めになるわけです。でも、今は違う使われ方です。『目には目を』と言えば、同害報復法=やられたらやり返せになります。-自分の大事な人を殺された時、誰もが犯人に死刑を望むでしょう。だけど、望み通り死刑になっても、大切な人は戻らない。『報復』からは癒しは得られない。「死刑は無力」確かにその通りです。ただ、それでも、ボクは思います。目には目を 歯には歯をイジメにはイジメをパワハラにはパワハラを裏切りには裏切りをギブ&テイクそれで良いんじゃないか。-ただ、それでは成り立たない事も存在します。例えば、交通関連死亡事故車vs車で過失割合5:5で一方の運転手は死亡一方の運転手は無傷この場合の5割分の過失を命で償う?例えば、医療ミス。故意ではないにしても、助かる命を助けられなかったら、医療者は命で償う?”目には目を”は簡単に頓挫します。古代では無かった文明により、現代社会においては成り立たない。時代遅れの『法』なのです。-ただ、感情としては多くの人が”目には目を”と思っているはず。例え、交通事故だとしても、(殺意が無かったとしても)命を奪われた側の気持ちとしては、命で償えという感情は理解できます。ボクはそれが自然と思います。それが『感情』です。理屈で動くものじゃない。だったら、ボクは”目には目を”で良い。『マホカンタ』を行えばよい。イジメられたらイジメ返す。パワハラを口実に上司を閉職に。裏切は切り捨てる。同様に、恩義には礼を尽くす。期待には成果を。信頼には誠実を。これもボクの”目には目を”自分の感情に正直に、『ギブ&テイク』-”万物は流転する”似た戒めになります。自分の行いは、廻り廻って、いずれ自分に返って来る。努力は報われます。逆に、怠けると痛い目を見ます。この万物は流転するという法則に当てはまらないもの、それが『理不尽』。理不尽を如何に乗り越えるか?人に課せられる大きな試練の一つです。---読んだ本の紹介をしようとしたのに、全く紹介になってなかったので、『読書感想文』のタイトルにしました。昔は超絶苦手だった感想文。ただあらすじを書くだけで、自分の考えを書くなんていう発想は、当時のボクには無かった。不思議なものです。今では毎日文章を書いている。-お気付きの方もいるでしょう。この本は都内でワインを飲みながら楽しみました↓読書×ワイン×チーズ=至福この土日はノンビリなはずが…超絶忙しくなっています。ラスボスが登場しました。夜も眠らせてもらえません。一人で立ち向かっています。でも大丈夫。ちゃんとロトの剣は装備してます。
2018.05.13
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不思議なもので、何かに行き詰った時、出会う本が有ります。『隠蔽捜査』『ビブリア古書堂の事件手帖』『海賊と呼ばれた男』『フリーター、家を買う』『県庁おもてなし課』『ラプラスの魔女』そして、『神様のカルテ』-ボクはピエロでした。観客を笑わせるためのネタを沢山仕込んでいました。いざ、幕が開くと、そこには誰もいなかった…観客のいないピエロ滑稽なことこの上ない。-危機感を共有するチーム。ボクが求めたものです。その為に絶対に役立つ知識と経験それをボクは持っている。その知識と経験を教えてあげようそういう『傲慢』な態度と、今までの『ツケ』のおかげで、『観客』は見る見る間に減っていき、『無観客試合』が続いて、心が折れました。-屋久杉君の言葉です。「だからドクトル」「地動説を突き付けられたんなら、ヘコんでちゃいけないっす。エキサイティングになるべきっす。こんな面白い話は無いんだって。」少し解説すると、自分が天動説信者だったとして、それを根本から覆されたとしても、地動説を怒り、攻撃するのではなく、「喜ぶべき」「嬉しくなるべき」何故なら「まだまだ世界は広いってこと」だから。-今、自分が伝えたいことが、なかなか伝わらなくって、正直ヘコんでいますが、人生ってそもそも、思い通りにはいかないもの。だからこそ、『エキサイティング』簡単にクリアーできるミッションは、すぐにツマラナクナル。-これからどうするか?どうやってチームを作るか?五里霧中×暗中模索ですが、また一から出直します。実にエキサイティングな試練です。---『隠蔽捜査』⇒職業人のあるべき姿『ビブリア』⇒ヲタクのあるべき姿『海賊』⇒指導者のあるべき姿『フリーター』⇒就活のあるべき姿『県庁』⇒プレゼンのあるべき姿『ラプラス』⇒君臨者のあるべき姿そして、『神様のカルテ』⇒困難に立ち向かうもののあるべき姿最近は再読が多いです。神様のカルテはたぶん3回目。ボクの優れた特徴は、読んだ本の内容を、ほぼ完璧に忘れる事が出来る。なので、いつも新鮮な気持ちで読書が出来るのです。(犯人やトリックすら忘れます)でも、不思議なことに、読むたびに感想は変わります。神様のカルテは昔はツマラナイと思ったんですよ。なのに、今は全然違う想いです。本当に不思議なものです。
2018.05.03
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『飲酒運転は悪』です。説明の余地はありません。悲惨な事例が繰り返される中、厳罰化、社会的制裁の流れが出来上がりました。それで良いと思います。今日ブログに書く事は、自分の中でモヤモヤしている事。『飲酒運転の線引き』です。よくよく考えてみると、非常に曖昧な『自己判断』をしているに過ぎない。その辺の所を今日は書いてみます。-ボクは飲酒運転したくありません。失うものが多すぎますから。だから、飲酒運転しない様に、日々気を付けなければいけません。仕事が終わり、家に帰って、毎晩ワインを飲んでいます。翌朝通勤で車を使います。この時、ボクは飲酒運転をしていないだろうか?『100%』飲酒運転じゃない、そう確信できるものがボクにはありません。だって、毎朝アルコール血中濃度を計っているわけじゃないですから。この疑問あるいは不安にボクはモヤモヤしてます。最近のボクは仕事が忙しすぎて、日が変わる前に就寝します。翌朝は8時過ぎに車に乗ります。これは十分な間隔なのでしょうか?『100%』大丈夫でしょうか?アルコールチェッカーを使えば良いそういう意見もあるでしょう。一方でこんなことも有るのです↓(https://plaza.rakuten.co.jp/aufheben16684/diary/201412260000/)要約しますと、公務員が夜飲酒し、翌朝アルコールチェッカーで陰性を確認して車で通勤。途中、検問でチェックを受け、警察の検査では陽性となり、酒気帯びで『懲戒免職』市販されているアルコール検出器は信頼できないのです。-飲酒運転は厳罰が科せられます。その割に、自分で酒気帯び状態を確認するすべは無い。曖昧な自己判断なのが、全ての人の現状です。ここがモヤモヤの一番の根底です。飲酒運転はしたくない。だから、明確に飲酒運転じゃない事を証明するものが欲しい。⇒100%のものは存在しない。じゃあ、どうしたら良いのでしょう?現状ではどうにもなりません。それがボクのモヤモヤです。飲酒運転は悪です。であるならば、飲酒する全ての人は、警察が使う精度の高いアルコール検知器を自分で用意すべき?個人でやる分には良いでしょうが、一般化は出来ないと思います。-そんなモヤモヤの中で、ボクが『とりあえず』やってる事。それがこれです↓『オルニチン』宣伝の意図は無いので、メーカー名はモザイクです。ボクはただの一消費者です。普通にワインを楽しみたいだけ。勿論、飲酒運転は絶対にしたくない。だけど、何を拠り所にすれば良いか、明確なものが無い。だけど、『何かしなければ』以前からそんな想いでいました。・深酒したら翌日職場まで歩く・アルコール分解能を上げる一般人にはこういった対策が、現実的だと考えています。特に『アルコール分解能を上げる』これは、二日酔い対策も含め、かなり前から試行錯誤していました。・大量飲水・飲酒後風呂に入る・ウコン・ヘパリーゼ・ソルマック・OS-1 …色々試してきました。『個人差』が有りますので、全員に効果的とは思いませんが、『ボクの場合』は『オルニチン』が劇的に効果が有りました。二日酔いにはならなくなりました。深酒しても、翌朝スッキリです。しかも驚く程に。-効く、効かないには個人差があります。鵜呑みにしないでください。ただ、通勤等で車を運転する層ならば、『分解能を高める』そういう試行錯誤はやるべきじゃないかとボクは思うわけです。それにしても『飲酒運転』対策が、『オルニチン』です。ショボすぎる…orzこんな曖昧な事しか出来ないのが、非常に残念ですが、何もせず、ただモヤモヤしていてもしょうがない。何かやらなければ。自分が出来る何かを。-SWE・Sake Diplomaとして、お酒を賛美するだけではなく、アルコールの問題点も考え、発信する姿勢が必要ではないか?そんな理由で、時折こういうブログも書いています。このブログを書きながら思い付いた事ですが、アルコールチェッカーはあてにならないと書きましたが、参考にはなるのかなと気が付きました。そんなに高額ではないので、何種類か購入してみて、運転の判断基準にするのではなく、アルコール分解能の優劣を検討し、飲酒運転をしないために、一般人がどういう対策を取ればよいか?その『マニュアル』作りをしてみます。---『個人差』何においても存在します。ボクの二日酔いは、飲酒後24時間後から出現します。主な症状は頭痛。翌夕方から出現し、数日続きます。珍しい症状だと思います。(二日酔いの症状かは不明ですが)アルコールの分解能も同様で、個人差が有ると思います。一般にグラス一杯のワインは分解に4時間かかると言われます。でも、2時間に人もいるだろうし、逆に12時間かかる人もいるでしょう。そういう『個人差』が有る中で、お酒を飲む人全員が、飲酒運転にならない方法は本当は存在しているべきです。(実現可能かつ明確なな方法で)なぜなら、飲酒運転は悪であり、厳罰・社会的制裁が待っているから。資格保持者として色々考えてみます。最近、ダイエット目的で職場まで歩いています。これって一石二鳥で、絶対に、100%飲酒運転にならない。(当たり前)ガソリン代も節約できて一石三鳥。脱車通勤、イイネ!
2017.11.02
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結論の一つを最初に言うと、『事前に宣言』すれば問題無しです。『発覚』したものは『悪』です。-ボクはソムリエ協会の資格、取れるものは全て取りました。(素人なのでソムリエは無理です)2011年ワインエキスパート2016年シニアワインエキスパート2017年Sake Diploma(いきなりドヤリ始めました←)ボクは資格に関しては敏感です。資格にこだわってきましたから。そんな中で、最近のニュースで日産、スバルの無資格検査問題が大きく取り上げられています。ボクはこの問題を『悪』だと思っています。その理由を書いていきます。-実際の所、無資格検査員でも、安全上、問題は無いであろう事は、結果としてわかっています。スバルは30年前からやっていると。その間、無資格検査が原因と思われる、重大な事故は起こってなさそうです。(推測でしかないですが)資格の有無と安全性は無関係という『言い訳』も聞こえてきます。しかし、それでも無資格検査は『悪』であると断罪します。『資格』とは『信頼』だからです。-『資格』とは『憧れ』『資格』とは『信頼』『資格』とは『ブランド』例えばの話↓ワインバーでバイトの学生の接客とソムリエの接客、どちらが嬉しい?ソムリエの方が良いに決まってます。それは何故ですか?ボク個人の考えとしては、ボクはソムリエに対する憧れがあり、結果として信頼へと繋がります。そんなソムリエが選んだワイン、何の説明も無く出されるワインよりも、きっとおいしく感じます。『信頼』はワインの価値を上げます。つまり、資格=ブランドという事です。ソムリエを名乗っていた方が、実は『詐称』だったとしても、『ワインの評価』は変わりませんか?ボクは変わってしまうと思います。客への裏切りは店の信頼を損ね、ワインの評価すら下げる、ワインがどれだけ『健全』であっても。『資格を汚す行為』は信頼を失います。『事実上安全』は言い訳に過ぎない。-本当に資格が無意味であるならば、発覚前にちゃんと宣言すべきでした。『安全上何の問題も無いので、資格の有る無しは関係ない。我社では無資格検査員でも、30年間問題なくやってきた。今後も無資格検査員の検査を続ける』と。事前に宣言したうえで、その資格の意義を問えばよかった。やってきたことが間違いではないなら、その軸がブレない様にすべきでした。多少、ごたつくかもですが、少なくともリコールまでは行かなかったのではないか?ボクはそう思います。-ソムリエの例えで言うなら、『私のワインの知識、技術はその辺のソムリエに負ける事は絶対に無い。そして、ソムリエ協会の試験は、私にとって完全に無意味なもので、私を縛るものではない。私は、私の意思でソムリエと名乗る!』こういう方がいても良いと思います。それを信じる信じないは、あとは我々が個々で判断すれば良い。口先だけの奴と判断されれば、店は潰れるでしょうし、実力も伴えば、認められるでしょう。軸が有るのであれば、『事前』に表明する事です。指摘された後からでは、『言い訳』にしか聞こえない。・事前じゃなければただの言い訳--少し話を変えて、資格の意味を考えます。ボクは『資格取得がスタート』そういう考えを持っています。教員免許を取った先生は、その時点で教育のエキスパートですか?違いますよね。そこからの成長の方が、取る前の成長よりも遥かに大きいです。そして、もう一つ思うのが、資格取得者だけが見える『景色』ボクは今まで何度も、その景色に圧倒されています。資格取得には多大な労力が伴います。資格取得=エキスパートではないけど、その労力、経験、成長は貴重です。資格はリスペクトされるべきで、逆に、リスペクトされるように、資格所有者は資格の価値を高めないといけない。『資格取得がスタート』まさにボクです。ワイン飲み始めが2010年ワインエキスパート取得が2011年シニア取得が2016年で、この時、日本酒の知識の無さを反省そして、2017年Sake Diploma取得何かを始めよう、あるいは、何かが始まった時、ボクがまずやる事は資格取得でした。そして、資格取得後は、その資格の価値を高める事、そこを意識して行動する。『資格』=『憧れ』これを維持するのは資格取得者=ボク達です。(これもある種のドヤリです←)・資格取得はスタート・取得後はその資格の価値を高める・資格は憧れでなければならない---なんで急に資格の話なのか?私事ですが、近いうちに仕事上の資格を『取らせる』立場になります。(出世という意味ではありません)そういう話が急ピッチで進んでいます。ボクが資格を取るのではなくて、職員が資格を取る手助けをボクがすることになります。これまで培った受験テクニックを、今度は『誰かのため』に役立てます。実にワクワクしています。ボクは昔、先生になりたかったのです。教えるのが好き。遂に夢が叶うのか!現在、岩手にいます。岩手と言えば?『南部杜氏』です。資料館的な所にこれから訪問です。
2017.10.29
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本日は駄文にお付き合いくださいm(_ _)m-ワインネタはまだ沢山ありますが、ちょっと時事ネタを。東電の元偉い人方が、起訴されました。(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170630-00000526-san-soci)(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6245282)偉い人たちの裁判の行方に、ボクは興味はありません。ボクが気になっているのは、『結果がわかってから批判する人々』です。東電の件に関しては、素人も玄人も、沢山批判しています。原発事故前に批判していた方は、立派ですし、批判のあるべき姿です。でも、結果がわかってから=後出しジャンケンは絶対に勝てます。『その批判ってズルくないですか?』誤解しないで頂きたいので、もう一度書きます。原発事故の責任の有無を議論したいのではなく、『後出しジャンケン批判』はズルいんじゃないか?を議論したいのです。東電の件では、結果があまりにも重大なので、東電の旧経営陣を断罪するコメントが並んでいます。旧経営陣は事故前は良い地位と、良い報酬をもらっていたわけで、何かあった時の責任を問われるのは、仕方がありません。それが経営トップの役割です。その話とは切り離して、事件後に『対応がまずかった』と当事者が『反省』をすることは、次につながる必要な事と思いますが、事件後に『対応がまずかった』と誰かを『批判』をすることは、何か良い事を生み出すでしょうか?-そして、後出しジャンケン批判に、ボクは別の側面が見えてます。以下、汚い言葉を書きます。事後の批判=後出しジャンケンは、『自分の言葉』を優位にして、『満足感』、『優越感』、『征服感』等を得たいだけの自慰行為ではないか?事後の批判はエゴとしか見えない。東電の社長、会長を批判するわけです。事件前はスーパーエリート。一般人では上がれない雲の上の人。そのエリートをこき下ろすわけです。痛快なんでしょうね。『結果責任は必要』=『後出し批判を是とする』そういう方もいるはずです。本当はブログではなく、実際にディスカッションしてみたい。『後出し批判はズルイ』もっと過激に、『後出し批判は自慰行為に過ぎない』を皆さんはどう思いますか?-別の例を出します。スポーツの試合後の批判コメントも全く同じです。監督批判、選手批判。『あの時のあの采配はダメだ』『あのシュートを外すのはプロ失格』後からならなんとでも言えて、絶対に正解です。その批判コメントは正解故に絶対優位です。ズルいって思いませんか?絶対優位のコメントを出して、自分は悦に浸り、鬱憤を晴らす。その行為、自慰にしか映らない。---綺麗事かもしれませんが、批判は事件が起きる前に。起こってしまったら反省を。がボクの考えです。事故が起こる前に問題点を探し『批判』する姿勢が理想です。それが出来なかったら、事後に批判ではなく反省をする。ボクは原発事故は、東電だけの責任とは思っていません。政府の責任も大きいでしょう。そして、事故前、原発の事など頭の隅にもなく、便利な世の中を謳歌していた関東の大多数の住民。勿論、そこにはこのボクも含まれます。(北関東在住)ボク達にも責任はありますよね?ボクは自分の責任を棚に上げて、東電の責任を追及するなど、恥ずかしくて出来ません。しかも、後出しジャンケンで。-まず、反省しませんか?原発がこんなに怖いもので、それを知らずに生活していた自分達を。センセーショナルな話題で、恐怖を煽るばかりで、原発の怖さをちゃんと伝えられなかったマスコミ。そして、東電、政府は、どうしたらこの事故が防げたのか?そこを真剣に議論すべきです。誰に責任が有るか?は今更遅いし、次には何もつながらない。これは北関東民としての考えです。福島に住む方はまた別の考えでしょう。そことは混同しないでください。ボクなりの反省として、電力は自力でまかなってます。太陽光+エネファーム+蓄電池素人考えの対策ですが、何もせずに『原発反対』と言う『だけ』よりマシです。-こんな駄文にポチポチは付けづらいでしょうが、一生懸命書きましたので、よろしくお願いしますm(_ _)m
2017.07.01
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利益相反宣言このブログは楽天ブログですが、ブログを利用している以外、楽天とは利害関係はありません。また、アフェリエイトもしていません↓-ボクは楽天のヘビーユーザーです。必要なもののほぼ全てを、楽天で購入しています。それ故、ポイントが結構な額です。最近、こんなキャンペーンが有り、ボクも参加しました↓ポイントが0.5倍になると。条件は『楽天ウェブ検索』なるツールを使用すること。ボクレベルになると、0.5倍でも、結構な額になるので、やってみることにしました。検索ツールをヤフー⇒楽天としました。トップページもヤフーから楽天へ。そのトップページはこれ↓(https://websearch.rakuten.co.jp/)で、ちょっとビックリしたわけです。トップページは『ニュース』が並んでいるわけですが、その『タイトル』がヤフーとは随分違うのです。二つを比較してみると、ヤフーのニュースタイトルは、中身を読まなくても、大体の内容がつかめる。(勿論例外もあります)楽天infoseekではタイトルを見ても、何の記事かさっぱり見当がつかない。ヤフー以外のトップページは初めての事だったので、違いがありすぎて驚きました。そして、もう一つ驚いたことが。ヤフーでは大体の記事に『コメント欄』が有ります。これが、楽天では有りません。今の時代において、情報の鵜呑みは非常に危険です。それ故ボクは、記事を読んだら、必ずコメント欄を見てました。情報の鵜呑みの危険性の一例↓(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170529-00051781-gendaibiz-soci)ボクは以前頭痛持ちで、無理すると頭痛が出るので、『ロキソニン』を愛用してました。記事によるとロキソニンは副作用が多く海外では使われないと。あらま、そうでしたか。と思ってコメント欄を見ると、これが面白い。この記事に真っ向から対立するコメントばかりです。コメント欄を要約すると、アメリカでは、ロキソニンは『処方』はされてないけど、ドラッグストアでは山の様に有ると。ジプレキサ(という薬)は「アメリカでは処方されず、日本では処方されている」と記事にはありますが、これは間違いで、アメリカでは、ジプレキサの特許切れ⇒ジェネリックへ移行のため、『見かけ上、売り上げが落ちた』というカラクリのようです。-最近のメディアは、『センセーショナルで目を引く話題を創り上げている』。情報があってようが、間違ってようが、センセーショナルであればそれでいい。確かに記事が読まれなければ、書く意味はないわけですが、間違いの垂れ流しが蔓延っている。先日、超有名プロゴルファーの『逮捕』のニュースが流れました。どうやら、飲酒等の犯罪ではなく、内服薬の副作用の様ですが、今、検索しても不正確な記事が、いつまでも読めます。一度、記事を世の中に流すと、それはもう消せない。にもかかわらず、不正確でセンセーショナルに煽るだけの記事があふれています。ボク達、情報の受け取り手は、あふれる情報を鵜呑みにせず、見極める賢さが必要です。その賢さの第一歩を、『コメント欄』から得る、ボクのやり方です。勿論、酷いコメント欄もあります。差別的発言に溢れる事もあります。今の世の中は、『報道された時点で犯罪者』推定無罪などありません。コメントから世の中が透けて見える。---ワインの情報も同様です。パーカーポイントの悪用が目立ちます。詳しくは語りませんが、『釣り記事』にボクも引っかかります。消費者を引っかけようとする文章は、消費者を見下しています。騙されないようにしないと!そう思い、楽天のポイント0.5倍増の詳細を見に行ったところ、0.5倍になるのは、一カ月の購入額。そうなると、ボクのポイントは相当額になりそう。ヒョー!ただし!ポイント上限300ポイントグヘッ…orz月300ポイントで、コメント欄の無い楽天をトップページで使い続けるか否か、これは検討の余地ありです。ちゃんちゃん!(笑)
2017.06.02
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今期のドラマはこれしか見てません↓受験で人生が狂う人もいれば、受験で人生が開花する人もいる。ボクは後者です。面白い人生には試練が無いとね。で、今年も受験を考えているので、(後述します)受験ネタは気になるわけです。-このドラマは基本的には、受験のテクニック的なものはあまり描かれていなくて、どちらかというと、受験を軸とした人間模様をドラマとしています。そんな中、出て来た印象的な用語↓『エビングハウスの忘却曲線』これは忘れやすさの指標です。ランダムなアルファベットの列をどれだけ覚えていられるか?そのグラフです。『一日後には74%忘れる』そして、復習をすると、忘却率が低下する↓暗記の為には復習が大事、わかり切っている事ですが、改めて数値として出されると、説得力があります。確かに、今なら覚えています。SWE試験、超難問世界ソムリエコンクール優勝者は『ジョン・アーヴィッド・ローゼングレン選手』初見では覚えられませんでした。何度も見たり書いたりするうちに、覚えてしまいました。無意味な言葉の羅列の暗記には繰り返しの復習が効果的という事を学びました。コツコツやるのが強いという事です。自分に言い聞かせておきます。-他にも暗記法としては、『より深く根本を理解する』『他の領域との関連付ける』『語呂合わせ』等々をボクは使っています。---さて、大変迷っています。『J.S.A Sake Diploma』を受験すべきかどうか。受験するとなると、予定がタイトです。3月からSWE対象の、テイスティング講座も始まります。Sake Diplomaのスクールも検討しなければいけません。ボクは日本酒は完全素人ですから。ワインよりも厳しい戦いです。情報が無さ過ぎて、踏ん切りがつきません。あと10日程で出願が始まります。しっかり悩みたいと思います。
2017.02.19
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正月休みに読んだ「日本人の死に時」今日、やっと消化できました。まずは思いっきり要約します↓ 死とは生きるものにとって、絶対に避けられない事実です。ところが、今の日本人にとって、死はタブーになっています。「縁起でもない」、「不謹慎である」、あるいは、「怖い」、「不安だ」、そんな理由から、死を考えず、意識されずにいた結果、『生かされている』状態に陥ってしまう。日本人は平均で男性約6.1年、女性約7.6年『寝たきり生活』となります。寝たきりの大変さ、悲惨さ、死ねない事の、死なない事の悲惨さを、現役の医師である筆者が語ります。「何事にも頃合いがあって、買い時、勝負時、踏ん張り時、潮時、死ぬのにも死に時というのがあると思います」。 人の死とは避けられないものです。だから、目を逸らさず、見つめなければいけない。そして、前もって死に備える。死に逝く時、自分の人生を振り返り、十分生き尽した、そう思えたならば、人生の最期、死を前にしても、落ち着いていられるのではないか。筆者はそう教えてくれます。死を意識する事で、どう生きるのかを考えるきっかけを貰いました。『十分生き尽す』具体的にはどういうことなのか?考えていました。そんな中、ある記事に出会いました↓(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170212-00000004-pseven-life)感銘を受けた箇所を抜粋します。-「誤解を恐れずにいえば、私は患者が望めば、延命治療を中止する尊厳死だけでなく、薬で死に至らせる安楽死も認めていいと思っている」-今の日本では随分極端な意見です。ところが、この発言をしているのは、86歳の医師です。ボクもぶっちゃけますが、片足を棺桶につっこんだ医師が、死について語っているのです。誰も文句を付けられない(笑)ボクは初めて思いました。86歳まで生きたいと。86まで生きて、ぶっちゃけの事を言いまくりたい!長生きしたいと思った事は、今まで無かったのですが、今回初めて思いました、『長生きしたい』と。---ボクは『死』に興味があります。ただ、安心してください。『自死』には興味が無いです。そうではなくて、死を意識する事で、今有る『生』を大事にしたい。そういう意味において、理想とする死は、金子哲雄氏の『僕の死に方』壮絶ですが羨ましい。
2017.02.13
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ワインを飲んでる奴が、中学受験は出来ませんが、思うところは有ります。TBSドラマ『下剋上受験』を楽しみにしています。自分も試験を受ける故、こういうネタは気になるわけです。今のところは受験テクニックはほとんど描かれてなくて、家族の想いがメインです。それでも、印象的な事は有って、『受験のために仕事を辞める』信じられない事だけど、受験に仕事がジャマなのは、なんとなく理解できます。そして、そこまで受験にかける、潔い!-ボクは秋田県出身です。中学受験なんてありません。ただ、大学の同級生には中学受験者が非常に多かった。その彼らの優秀さは、本当に自尊心を傷つけられました。それなりに自信が有ったボクの、遥か上の次元に彼等は存在しました。何事においても、『早くに始める』これが如何にアドバンテージがあるか、ボクは知っています。スタートが早ければ、本気のスタートが早ければ、受験だけではなく、その後の学生生活においても、大変有利です。-3月から2017年の呼称試験の願書出願が始まります。そこをスタート地点にするのが、ボクは良いと思っていますが、もう既に始めている人たちもいます。松岡先生の講座『ちょっとまじめに…こーざ』(http://koza.majime2.com/)は既に18回を数えます。まだ、2017年の教本は発売されていませんが、この『こーざ』は既に全行程の1/10を過ぎています。-ボクも今年、受験を考えてます。『Sake Diploma』取り敢えず、申し込んではみます。現時点で、どんな試験が、全くわかりません。それならば、飛び込んでみればいい。無謀な考えですが、今のところはそんな考えです。スタートは3月中旬でしょう。一次試験が8月。今年も『熱い』夏になりそうです。---受験には辛い思い出もありますが、基本、良い思い出が残っています。それ故、また挑戦するのでしょう。受験の『熱さ』ボクは好きみたいです。
2017.02.04
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最近アクセス数が伸びなくて、ちょっと変化を付けるために、とても珍しい政治ネタです(笑)ボクは戦後すら知らない世代です。そして、受験では『地理』を選択。正直、歴史を知らずに育ちました。それ故、『南京大虐殺』『慰安婦』なんのこっちゃ、です。大人としてよろしくない。だけど、どうでしょう?ボクはそれなりに勉強したし、新聞もニュースも見ます。それでこのレベルです。もっとぶっちゃけましょう。自分で言うのもなんですが、そこそこインテリジェンスは有ります。にもかかわらず、この程度です。日本人の中で、ちゃんと知識として『南京大虐殺』『慰安婦』を理解している人は、どの程度いるのでしょう?たいしていないと思います。-今の報道を見ていると、ただ煽るだけにしか見えません。まあ、落ち着きましょうよ。どうせ、日本人の大多数が、この問題を理解できてませんから。そして、ボクという何も知らない日本人が思っていることは、既に過去のものでしかない、第二次世界大戦の事で、いつまでウダウダ言われるんだろう?という事です。もうこの世にいないじいちゃんよりも上の世代が起こした事。いつまで言われなきゃいけないの?あー、面倒臭い。『南京大虐殺』『慰安婦』が本当に有ったのか?わかり易く明確に教えてもらえるなら、まあ、聞いても良いのだけれど、自分で一から調べようとは思わない。だって、ボクが悪いわけじゃないもん。-こんな日本人が出来上がったのは、愛国心の無さ故です。日本という国は好きです。日本人に生まれてよかった~だけど、いわゆる『愛国心』は無い。日本という国のために、命をかけられるか?ボクは無理(笑)そういう人間だから、今回の騒動は冷めた目で見ています。煽りの記事はもういらない。虐殺、慰安婦は本当のところ、有ったの?無かったの?意見の食い違いがあるのは何故?事実よりも国益優先のため?ただの感情論?被害者ビジネス?知識が無さ過ぎて、どこから手を付けて良いかわからない。知りたいのは『真実』。知りたいのは『根本』。---少し次元を落としましょう。客:このワインはブショネです。ソムリエ:いえ、還元的なだけです。この議論は平行線をたどります。理由1ブショネは可視化できない。感覚的なもの故。理由2わずかなブショネまで交換したら、店が潰れる。それゆえ、ブショネの許容範囲が、客とソムリエでは違うから。また別の『例え』で言うと、加害者と被害者の言い分の違いなのかもしれません。いじめる側はいじめられる側の気持ちは理解できない。とするならば、日本、中国、韓国を巡る騒動、平行線をたどると思います。解決しようと思わないのが、案外良い様な気がします。無理に着地させても、歪みが出るだけです。それは、誰が悪いじゃなくて、立場、視点の違いなのでしょう。白黒はっきりさせず、グレーなままで良いんじゃない?「なあなあにする」「触らぬ神に」
2017.02.02
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ボクはポケモンGoはやっていません。そもそも、住んでいる所が田舎過ぎて、ポケモンがいないそうです。ただ、職場のとある方が、こんな事を言っていました。「車でポケモン探しまくってます!」これを聞いた時は、特に何も思いませんでしたが、後日、ポケモンGoをやりながら運転で死亡事故が起きたと聞いて、ヤバいゲームが出て来たと思いました。-この件に関して、相反する二つの意見に、どちらにも納得出来たので、皆さんに紹介します。ディベートのタイトルは『ポケモンGoは運転中の制限をかけるべきか?』です。色々な意見があると思いますが、ボクがなるほどと思った意見は、以下の二つです↓-一つ目は規制賛成派の意見です。スマホながら運転がダメなのは言うまでもありませんが…ポケモンGoは移動が必須のゲームで、運転しながらのポケモンは、ゲームをする上では『便利』(らしい)この点がLINEやメールといった、アプリとは大きく違います。『スマホながら運転が良くない』は言うまでもないことですが、『便利』という要素があると、その『誘惑』に勝てない人が、存在しても不思議ではありません。この『誘惑』が問題なのです。-次に、規制反対派の意見です。飲酒運転の事故で、加害者に批判が集まる事は有っても、『お酒』に批判は集まらない。ポケモンGoにおいても、あくまでルールを破る『運転者』が悪いとすべき。-ポケモンGoを規制すべきかで、二つの相反する意見、どちらも納得しました。どちらも正しいと思います。これらの意見は対立ではなく、最終的に同じ方向を向けば良いなと思いました。テーゼVSアンチテーゼ=アウフヘーベンその為にも、正しい議論を望みます。亡くなった子のためにも。-話を変えます。ポケGo運転と飲酒運転は似ている構造があると思います。一言で言えば『誘惑』です。ポケモンGoには『便利』という『誘惑』。飲酒運転には『お金』という『誘惑』です。ポケモンGoは車で乗りながらが『便利』らしいです。飲酒して車に乗るなら、代行運転が必須ですが、お金がかかりますよね。どちらにも『誘惑』がある。この点において、ポケモンGoと飲酒運転は似ています。二つの違いは法的な罰則です。飲酒運転は『危険運転』が適応されうる要項です。ポケモンGoはそこまでじゃない。でも、起こしうる結果は一緒です。人の命を奪う。そして、自分の人生も終わる。刑罰は違っても、絶対に、この先幸せにはなれない。自省の意味を込めて、ここに書いておきます。---ワインエキスパート等有資格者は、ワイン普及の草の根運動という役割があると思うのですが、飲酒運転の抑制という役割も担っていいと思います。プラス面だけでなく、マイナス面にも目を向ける。そういうバランスが有った方が、発する言葉に重みが出ます。以前に書いた飲酒運転関連ブログをまとめました↓『睡眠とアルコール分解』(http://plaza.rakuten.co.jp/aufheben16684/diary/201506250000/)『無意識の飲酒運転』(http://plaza.rakuten.co.jp/aufheben16684/diary/201412260000/)『いつから運転OK?』(http://plaza.rakuten.co.jp/aufheben16684/diary/201608080000/)飲酒運転は厳罰化の流れですが、飲酒後いつから運転しても良いのか?明確な基準がありません。厳罰な割に曖昧なんです。お酒を飲むものとして、考えなければいけない課題です。
2016.11.19
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労働者として自分を客観視した時、ボクは我儘な労働者です。やりたくないことはやらない。納得できないことはやらない。とは言っても、組織にいる以上、歯車にはなっているわけです。ただ、『都合のいい』使われ方はされない様にしようと思っています。そうなると、傍から見たら、『働かない人』です。口だけうるさくて、行動が伴わない。それは自覚しています。そんなボクに【朗報】です!『働きアリ』の集団において、一定数の『働かないアリ』の存在が判明しています。集団によってその割合に違いがある様です。働きアリの集団の働かないアリを排除すると、働いていたアリの一定数が、働かないアリに変化するそうです。となると、働きアリの集団の中の、働かないアリには何らかの『存在理由』がありそうです。その『理由』とは何か?以下にヤフーの記事を載せます↓(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160216-00000074-mai-soci)要約すると〇働きアリはいつまでも働けない。 いつかは休む時がある。〇その休みに働かないアリが働き出す。〇みんなが同じように良く働く集団と、それぞれの働き度合いが違う集団では、勤勉アリだけの集団では、一斉に働けなくなる事態に遭遇し、コロニーが滅びるのが早く、働かないアリが多い集団の方が、コロニーは長持ちすると。某准教授によると、「働かないアリを常駐させる非効率的なシステムがコロニーの存続に欠かせない。人間の組織でも短期的な効率や成果を求めると悪影響が出ることがあり、組織を長期的な視点で運営することの重要性を示唆する結果ではないか」とのことでした。 -そうだよ、まさにそうだよ!ボクは皆が疲れて働けなくなった時、ヒーローのように登場して、皆を救うのさ! --- ボクは良く『おめでたい』と言われますね。あとは、『しぶとい』、『ずうずうしい』。 なんとなくわかって頂けたでしょうか?働かない理由をここまで正当化する人も、なかなかいないでしょう。 - 真面目に話すなら、要は多様性が集団には必要だと。カルトは滅びる。そういう事なんだと思います。 『働かないアリ』を内包できる集団はポテンシャルがあるからこそ、という見方が出来るという事です。 組織としての余裕、皆さんの周りはどうですか?
2016.02.15
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ドラマ表参道高校合唱部が最終回。良いドラマでした。『歌』って良いなって、改めて思いました。歌にサイドストーリーが付いて、想い入れが強くなって、何も知らないで聴くよりも、心が大きく動かされる。まるで、ミュージカルを観ている様なドラマ。主題歌の使われ方も素敵でした。一番良い所で、タイミングもピッタリ。Little Glee Monster 『好きだ。』久しぶりに心に残ったドラマ。続編を切望します。あるいは、舞台「表参道高校合唱部」--最後に、心に残った台詞を。「言葉で表現できなくなった時、 『音楽』が始まる。 byドビュッシー」---ワインも人の心を魅了してるけど、音楽には敵わない。
2015.09.22
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アレンジした曲が好きです。カバーとかも好きです。ドンピシャなドラマが始まりました。「表参道高校合唱部」楽曲にストーリーを重ねて、それぞれの想い重なって、ハーモニーが創られます。歌うことが苦手なので、こういうの憧れます。そして、なにより驚いたのが、『TBSオンデマンド無料見逃しキャンペーン』最新話だけですが、1週間動画で見られる。てことは予約録画も不要で、いつでもどこでも見られる。これは大変助かりました。実は1話2話とも見逃したので(笑)で、現段階で思ったこと。いい意味で『バカ』な方が強い。先頭を歩く人はそれ位でちょど良い。頭良すぎて、色々考えて何もできないよりは、思うがままに突き進む方が、強いし面白い。特に若い人達ならなおさら。 このドラマからはエネルギーが貰える。---自分に無いものに憧れる。自然な心の動きです。
2015.07.24
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実に懐かしいです。ドラマ『デスノート』漫画持ってました。設定が少し違うらしいですね。でも、原作忘れているので、新鮮な気持ちで観ています。『新たなる、対決』『新たなる、結末』ということで、きっと賛否で大荒れになるでしょうが、個人的には『アレンジ』が好きなので、デスノート・アナザーワールドが楽しみです。--デスノートの面白さって何でしょう?ボクは『ゲーム性』だと思います。『ある限定された設定内での 知的戦略ゲーム』ということです。 『デスノート』には厳格に決められたルールがあります。そのルールを学び、そして、遵守しながら相手(L)の攻撃をかわし、目的を達成させる。まさに『ゲーム』です 人を殺すなんて残酷。ところが、いつしか殺人はただの『記号』になり下がります。でも、僕達は気付きません、殺人に慣れていることに。それは『ゲーム』だから。- アレンジとかリメイクとかカバーとか、ボクは大好きです。そこには『違う視点』が存在するから。 人を殺す事への葛藤、そこをもっと強調したリメイクがあれば、新しい『死神』像が見えてきます。 リメイクされる素晴らしい『設定』には、様々な枝分かれが見えます。まだ始まったばかりのドラマですが、是非再リメイクして欲しいと、今から願っています。---ワインのブログなのに、たまに入ってくる時事ネタ等はワインのネタが尽きた時に出てきます。飲む量が多くないので了承ください。
2015.07.11
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『高齢者の地方移住論』最近報道等で知りました。第一印象としては『原発問題と一緒』。電力は都会へ、核廃棄物は地方へ。要るものは都会へ、要らないものは地方へ。若者や役立つ人は都会へ、働けない老人は地方へ。 『きれいなものは都会へ』『汚いものは地方へ』-まさに姥捨て山。なんとけしからんからん政策か!と思っていたら、既に始まってた orzそれが読売新聞で『終のすみか』という特集になっています。 年とって、都内に残れるのは一部だけ。『金が無いものは去れ!』『身寄りが無いものは去れ!』そういうことです。 でも、冷静になって考えてみると、それでいいんだろうと思います。この『高齢者移住』の政策は、確実にブーメランとなって、自分に返ってきます。自分が年寄りになった時、役に立たない人間なら、身寄りが無い人間なら、姥捨て山に排除されるということです。 それがイヤなら、今、頑張れってこと。自分の未来を考えて、次世代を育てるなり、充分な資金を育てるなり、それが出来ないなら、捨てられろ!そういうことです。 国に余裕が無くなった時に、切り捨てられるのは『力無きもの』。当たり前です。高齢者の移住という政策は、高齢者切り捨てというより、『力無きもの』の切り捨てと思います。 『力』とは、金だったり、頼りになる身内だったり、社会的影響力だったり。まあ色々ですが、『今、頑張れ』、『さもなくば』そういうメッセージだと思うことにします。---ボクは基本的に尻を叩かれて働く人です。だけど、褒められないとダメな人でもあります。ぽちぽちという御褒めの言葉、待ってますm(_ _)m
2015.07.02
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ヤフーでこんなアンケートがあります。『救急車の有料化、どうおもう?』(http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/17264/vote)救急要請が増え続け、到着までの時間、病院収容までの時間が伸び続け、悪影響が出てきました。それを改善させるための案が、『救急車の有料化』です。この案の根拠は、搬送者の半数が『軽症患者+不適切利用』だから。有料化すれば、これが減るだろうというもくろみです。これに対するアンケートが上記です。選択肢は4つ(”その他”は省略)。1:無料のまま、啓発活動。2:無料のまま、救急車を増やす。3:全て一律有料化4:重症患者だけ無料(その判断は医師)一つ一つ検討します。1に関して。無料化継続派、最大の主張は、『ためらい』。救急車を呼びたかったけど、有料化のせいで躊躇してしまい、それで失う命が出てはいけない。そういう主張です。2に関して。救急車が足りないなら増やせばいい。単純な考え方です。その場合、救急隊も、収容する病院も、医師も、看護師も増やさないと。2は間違った考えではありません。でも、この議論のスタート地点は、実は『社会保障費の抑制』です。社会保障費の無駄を省きたいという思惑で出てきた議論なので、この選択肢はあり得ない。3に関して。ボクはこの選択肢を選びました。理由は後述します。4に関して。『圧倒的に』この答えが一番多かった。重症患者以外は有料化。重症患者かどうかは医師が判断。この選択肢は死をタブーとして忌避するという側面があります。『命の間際に関わりたくない』という深層心理が読み取れるのです。『軽症患者のせいで救急医療が困窮するのはけしからん事。だから、有料化という議論は歓迎。ただ、”躊躇して命取り”は問題で、有ってはならないこと(綺麗事)一律有料化を選択してしまうと、この問題を考えなければいけない。自分は、そんな小さな命も見捨てられない(綺麗事)お?、4番ならその判断は不要で、厄介な問題は医師に丸投げ出来る。これなら、有料化の問題に一応の解決が見られるので4番だ』 他人の死に関われない、あるいは、他人の死に関わる議論では、『綺麗事』しか言えない。そうやって死をタブーとしたままだと、問題が先送りされるだけで、議論が成熟しません。---救急車有料化の本質は何でしょう?スタートは『社会保障費抑制』でした。それならば、ゴールは?ゴールは『命の価値の有限化』です。--今、ギリシャ経済が大変です。ギリシャ経済が破綻すれば、ギリシャの社会保障は崩壊します。お金が無ければ何も動きませんから。この究極の状態で、ギリシャ国民の『命の重さ』は明確に可視化されます。可視化=有限化です。”命は何物にも代えがたい”は戯言と化します。お金が無いから失われる命が間違いなく増えるでしょう。 その命は、その足りなかったお金より、軽いのです。-- 救急車の有料化は、『命は何よりも優先されるべき』という聖域の破壊です。救急車の有料化は、有料化によってもたらされる小さな不幸よりも、経済の方が大事という宣言なのです。 そして、ボクはここで敢えて言いたい。『救急車は有料化すべきである』と。もっと言うと、一律例外なしの有料化をすべきです。命よりも大事なものがあって結構!-救急車を有料化するうえで、デメリットなどありません。 有料化という現実を突き付けられた時、人は初めて考え始めるでしょう。『もしも、自分が急病になったら』と。というか、考えなければならないのです。『自分の命の重さ』をです。有料化によって救急車を呼ぶことをためらってしまう様な軽い命なのか? 救急車を呼び、命を救ってもらったら、いくら払っても、惜しくありません。間違って軽症なのに呼んでしまったら、申し訳ないという気持ちで、お金を払えばいい。日頃から『自分の命』を意識すること。そこから生まれるものは、かけがえのない自分の命の大切さです。 自分の命を大切に出来ない人が、他人の命を大事に出来るのか?自分の命について考えない人が、他人の命を考えるのか? 命は大事なものです、間違いなく。それなら真正面から向き合うべきです。そのためには、逃げ道など作るべきではありません。命にかかわる事柄を、他人に任せたり、他人の意志が介在するような事態は避けるべきです。自分の命に関わることは、自分の意志が反映されるべきです。 救急要請という命の間際において、人(医師)の判断を意識するようなそんな事態は、自分の命に真正面から向き合えていません。 『死』をタブーとすると、『命』に真正面から向き合えない。 聖域なき構造改革。『命』という難しい事態の解決には、『死』に向かい合う事が必要なのです。---私は死神。死を司る神。そんな恐ろしい名前を戴いていますが、ワインは大好きです←
2015.06.17
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6月16日クローズアップ現代より。『そのパソコン遺して死ねますか?』~デジタル時代の新たな遺品~(http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3669.html)たまたまテレビを付けていたら、目に入ってきた番組でしたが、最後まで見てしまいました。ブログをやっている人間として、考えておかなければいけない問題です。放送では多岐にわたる問題を取り上げていましたが、ここでは『ブログ』についてのみ、言及したいと思います。 ブログという場所は不思議なもので、タダで提供してもらっています。少なくとも楽天ブログはタダです。(楽天には相当つぎ込んでるいるからまあ、いいよね?←)楽天ブログの管理者が(このブログならボク)不幸にも亡くなったとして、その後ブログはどうなるのか?データという遺品の扱いはどうあるべきか?という事なんです。いずれ、全てのデータ(ブログ)は遺品になります。 楽天ブログの利用規約(http://portal.faq.rakuten.co.jp/app/answers/detail/a_id/5547/kw/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%80%80%E8%A6%8F%E7%B4%84)には何の言及もありませんでした。まあ、当たり前のことです。まだあまり考えられていない事柄です。現状では消えることなく、いつまでも存在し続けるのでしょう。ただ、利用規約によると、楽天側は、ブログを消したければ、事前通告の上、消しても良いとのこと。楽天が潰れたら、ブログは消えるってことです。--更新やログインが一定期間無いブログやSNSは、通告の上、消滅させることが出来る。そんなプログラムを発動できるシステムを構築すれば良いと思います。ブログ等の管理者が、自分で期間を設定し、一定期間放置されたデータは消えてくれるならば、安心して死ねます←あるいは消滅させないという選択肢もあっていい。---と、色々書きましたが、これらのシステムをボクが作れるわけはないので、素人が出来ることは、『意思表示』だと思います。ブログ内のどこかに、万が一の時の意思表示を書いておけば、遺された側に親切です。ということで、ボクはここで宣言することにします。ある日突然更新が止まっても、このブログは消さないでください。ワインという存在は、おそらく、今後も消えることはありません。そして、ワインに言及した文章は、ワイン界隈においては財産になるはず。ワインという時の流れは、ボクの様な素人文章にも、価値を与えてくれると信じています。---死というものは本来身近なもので、日頃から語り合っていいはずですが、『偽善』がまかり通っていて、今の日本ではタブーに近いものに。この話は長くなるので、またいつかお話します。死はタブーではない!そう思った皆さんはぽちぽちしてみて!
2015.06.15
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この小説は警察小説ではあっても、ミステリーではないでしょう。誘拐事件が扱われていて、驚愕の展開が待っているけれど、『謎』が物語の軸ではありません。ボクが思うこの小説の軸は、『言葉の向き』です。仕事でも、プライベートでも、人の心を動かしたい時、どこに向かって言葉を発するのか?何を意識して言葉を発するのか?その言葉の向きの重要性がこの小説では描かれています。警察組織内の軋轢、警察とマスコミの軋轢、警察と犯罪被害者との軋轢、警察官とその家族の軋轢。様々な軋轢が描かれ、その全てが酷い事になっていきます。悪循環に入り込む中で、改善へのきっかけが生まれます。『戦略なき戦略』警察VSマスコミ刑事局VS警備局警察VS被害者いずれの状況でも、様々なしがらみに絡まって、不要な対立を生んでいました。この対立が限界まで高まった時、解決に導いたのは、人間VS人間の構図でした。そこには何の戦略もなく、ただ誠実に『相手に向かって』言葉を発する。簡単な様でいて出来ない事です。人を動かしたい時、権力を振りかざしても、『動かされる』ことはあっても、能動的な動きは生みません。 保身から生まれる言葉に、誰も心は動かされません。 物事を成し遂げられる人物は、何事にも真正面から対峙できる人。 簡単な様でいて、出来ないから、小説の題材になりうる。 自分を省みて、自分の周りを見回して見て、 思い当たる節は無いか?自分の言葉が、ちゃんと相手に届いているのか? 『戦略なき言葉』 『言葉の向き』 これが自分自身の軸となるよう、 日々是精進。 --- ワインのネタが切れると、時折、書評的ブログや、時事ネタブログになります。風邪が治らず、ワイン飲んでません。そんな訳でネタ切れです←皆様も御自愛ください。
2015.06.01
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一言で表現するなら『寄生獣』小説版。ただ、ミギーが出てくる訳じゃなくて、ちゃんと脳を奪い取れた寄生獣です。この小説は2003年に文庫化され、当時一度読んでいます。今読み直しているのは、最近になり、続編が有ることを知ったからです。『指し手の顔 脳男2 上・下』2010年文庫化です。-『脳男』のボク的注目ポイントは、1:寄生獣並みの超人類の登場。ある意味スーパーヒーロー。2:自我とは?普段意識する事が無い『自我』を考えさせられます。読み返してみて思ったのですが、『脳男』は完結していません。続編は当然の展開と感じました。ただ、江戸川乱歩賞へのエントリーとしては、異質かなとも思います。-続編の存在を知って読む『脳男』。気になる所としては、1’:『寄生獣』のその後と未来。2’:『自我とは?』に対する答え。です。続編にその辺がどう描かれているか?これから読み始めることにします。
2015.05.06
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このブログが1万アクセスを超えました。こんなブログ誰が見てるんだろ←1万には非常に大きな意味があります。楽天ブログでは、1万アクセスまでは、ブログに載せる写真の容量制限があります。たったの50MB!1万以降は、アクセスが増えるたびに、1人あたり5KB容量が増えます。-この制限を知った時は愕然としました。かなり初期に既に20MB以上使っていて、いずれ画像をブログに載せらない事態でした。 その事態に気付いてからは、まず、載せる写真を縮小し、容量を減らしました。その手間が面倒くさかった。あと、写真をでかく載せられませんでした。小さい写真では、ワインのラベルの文字が読み辛いのです。--そんな事態に変化が生まれます。ここ最近になって一日当たりのアクセス数が、以前よりもだいぶ増えてきたのです。当初20前後のアクセスでした。今では50~70と以前の2~3倍です。アクセスが増えた要因として、ボクが推測したのは、『連日の更新』です。毎日1回の更新を心がけてから、アクセス数が伸びた印象です。そういう推測があったので、最近はネタが無くても、ブログを書き続けました。そして、257回目のブログで、1万アクセスとなりました。-1日当たり大体50~70アクセスなので、1日250~350KB程容量が増えます。これは画像を縮小しない場合の2~3枚分です。そう、つまり、今後画像の容量は気にしないでいられるのです。これが1万アクセスの意味。------何故ボクはブログを書くのか?ブログを書くことで、世の中を見る目が変わったから。色々な角度から物事を見るようになりました。これが一番大きな理由。『書く』という行為には、〇物事を観察する。〇物事を解釈する。〇物事の発展を考える。〇物事の結びつきを考える。などなど、色々な要素が必要になります。これが、物事の『本質』に迫れるように感じています。そういう感覚が好きで、ブログを書き続けています。他にも、生活のスタイルがアクティブに変わります。ブログネタを求めて、活動的になりました。『オタク』=『お宅』だったわけですが、ワインヲタクは随分家にいません(笑)『お宅』という由来はもう遠い過去。現代において、ヲタクほどアグレッシブな人種はいないんじゃないですかね。これも、ブログのおかげです。 そんなこんなで順調に軌道に乗った『タイムマシーン・プロジェクト・プルミエ・クリュ』これからもどうぞよろしくお願いします。
2015.04.19
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この現実をなぜもっと報道しないのか?現実をもっと世の中に見せつけるべき。まさに現代の『姥捨て山』=『療養病床』。紙面で某病院の紹介あり。-約200床の病院。入院患者のほとんどが寝たきりの高齢者。多くが認知症。8割が口から物を食べられない。人工呼吸器を付けられたまま他院からの転院が約20人。意志疎通も困難。平均入院期間は200日。看取りが大半。そして、『生きている間、誰も見舞に来ない』-何のために生きるのか?もっと言えば、生きている意味は?目の前にある現実から目を背けてはいけない。命は平等とか命は美しいなんていう綺麗事、この現実を見て、なおその言葉が言えるのか?
2015.04.17
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前回の群馬大のブログに関して、ボクは門外漢。頓珍漢な事を書いていたらゴメンなさい。-とはいっても、読売新聞によると、群馬大は『特定機能病院』が取り消されるようです。特定機能病院とは高度な医療を提供する。高度な医療技術を開発する。医療研修を行う。という病院です。この指定が無くなると困るのは、ぶっちゃけ金銭面のようです。診療報酬が減るらしい。この件以外でも、国からの補助金が凍結されているようです。群馬大はイケてない病院の烙印を押されました。-こんな群馬大ですが、こんな群馬大を『素晴らしい病院』と評価した所があります。そんな畜生が『日本医療評価機構』です。これがその証拠。この認定書の発行日は2014年4月4日。問題の死亡事故は既に起きています。特定医療病院やら他の指定やら、色々なものが取り消されるほどの病院に、『日本医療評価機構』は『群馬大学付属病院』を『素晴らしい病院』と認定しました。----この機構の事を色々調べてみましたが、どうやら、認定を得るには『重箱の隅をつつくような』『官僚目線の』(現場の働きやすさを無視した)『仕事を犠牲にしてまでの対策が必要な』『何の役にも立たない調査』を受ける必要があるようです。こんな認定をなんで病院側は欲しがるのか、ボクには理解できません。そして、この機構にはキナ臭い闇が見えます。『官僚の天下り』『巨大な利権』どうも、カネのにおいがプンプンする。--ちょっと話を変えます。最近、『接遇』とか言う名前の、新しいルールが幅を効かせています。ちゃんと現場の声を聞いたうえで、あるいは、現場をよく知る人が考えたのなら、その『接遇』に従いたいとも思いますが、現場を何も知らない『接遇コンサルタント』が現場も見ずに作ったルールを、おバカな上層部が、何も考えずに、導入してしまう。仕事がしにくい事この上ない。--似てるんですよ、『接遇コンサルタント』と『日本医療評価機構』は。一言で言えば、どちらも『本質を見ていない』。そして、どちらも『マニュアル化』を推し進めています。 『マニュアル化』は危険な事だと思います。何故なら、自分で考える力を無くすから。-最近になって、ボクが働く組織で、いくつかの制度改革がありました。そのうちのいくつかは、『接遇コンサルタント』から提示されました。この改革は、現場での働きやすさを奪いました。働きやすさが唯一の長所である組織なのに、その働きやすさが無くなろうとしています。その悪の根源が『マニュアル化』です。マニュアルを作ってしまうことで、現場の人間が困惑していても、柔軟に対処することなく、バッサリ切り捨てる事例が出て来ました。こちらの事情を説明しても、聴く耳持たずです。『そういう決まりですから』の一点張り。はたらきにくーい!--ボクの組織で起こっている働きにくさ、『マニュアル人間』の台頭は、なにかデカい失敗を引き起こすと思います。なぜならば、『マニュアル人間は本質を見ていないから』。そう、まさに日本医療評価機構がやらかしたような大失敗をしでかすと思う。-日本医療評価機構の大失態から学ぶべきことは、本質を見ていないマニュアル化は、その組織の実働部隊にとって、無意味どころか、邪魔でしかないということ。また逆に、マニュアル化を推進する側は、本質からは目を背ける。その理由は、『本質はマニュアル化できない』から。 本当に『医療』や『組織』を良くしようとする勢力って誰なんでしょう? 利権まみれの『日本医療評価機構』でしょうか?現場を知らない『接遇コンサルタント』でしょうか?ボクはどちらでもないと思う。本質を見る目は現場でしか育たない。 『外部評価は不要、役には立たない』ただし、代わりに必要なもの、それは、『自分を省みること』 誰のために仕事をしているのか?何のために仕事をしているのか?勿論、その答えは、『自分のため』『お金のため』『生活のため』であるのだけれど、例えば医療ならば『患者のため』に仕事をしているか?あるいは『患者のための仕事になっているか?』それを自省する必要がある。----このブログは誰のためでもない、自分のために書きました。自分への自省のためのブログです。『お前の仕事は何だ?』
2015.04.16
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ボクは読売新聞読者ですが、群馬大の件を読売は追いかけてます。事件詳細に関しては、ググってください←去年あたりに新聞に載って、紙上で目にする機会が多いです。他の新聞社はどうなんでしょ?ここまで追いかけるのは、読売は群馬大に恨みでもあるのかと勘ぐっちゃいます←まあ、半分冗談です←とはいっても、こうやって掘り下げていくのは大事です。群馬大の事件をこのブログで取り上げます。ただ、これは『次回ブログへの前振り』です。ボクが本当に書きたいことは次回のブログ。そんな今回のブログは、素人の戯言にお付き合いください。------群馬大の事件では8人亡くなったそうです。では、何人救われたのでしょうか?8人死亡という数字は良く出てきます。公平な報道の為には救われた人も書くべきでしょ?93人手術を受けて、8人死亡だそうです。であるなら、85人の人を救ったわけですね。-この数字を全国平均と比べます。比べ易いので率に直すと、群馬大の死亡率は8.6%全国平均は0.49%200人手術したと仮定して、全国的には1人亡くなるくらい。群馬大では17人亡くなります。擁護的論調で書き始めましたが、これはやばいでしょ。以前、金儲けで、やったことない手術をして、患者を死亡させた場末の病院がありました。でも、群馬大は天下の大学病院ですからね。全国平均から大きく劣る成績を出しちゃダメ。-こんな状況になった根源は何なんでしょう?そこが議論されるべきです。千葉でも似たような事が起こっています。千葉県がんセンターでの腹腔鏡手術の問題です。こちらは対象臓器が違うようなので、まったく同じではないのですが、『根源』の構造は似ていると思いました。その千葉の記事から推測したのですが、『功名心』ではないかと思っています。『学会でスタードクターだった』千葉の記事ではそんな書かれ方でした。つまり、難しい手術をやっている、それを何件もやっている。そんなことが学会でもてはやされる。 『功名心で、分不相応の手術に手を出した』これがボクが推測するこの事件の根源です。--医療は人の命の犠牲の上に成り立つものです。これは否定のしようが無い。新しい技術開発は、人の為になる一方で、その導入では、実験的段階は避けられないわけで。だから、医療において予期せぬ人の死は、『ある程度』は許容しないといけない。しかし、群馬大の件でダメなのは、医師達が向かい合ったのは患者の命ではなく、学会での功名心だったというところです。医療での予期せぬ人の死は許容されるべき。ただし、それは医療が患者に向き合っている時に限られる。
2015.04.15
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『リーダーの資質』が描かれている小説です。-極端ではあるけれども、組織を統率するにあたり、主人公(=国岡鐡造)は組織末端の人間を大事にします。なにか仕事を成し遂げる時、徹底した『現場主義』をとり、その現場の人間のモチベーションを如何にして高めるかを考え、 長期的視点で社員を育てることで、実現した『理想組織』。それが国岡商会(=現出光興産がモデル) 人が財産。社員を家族として扱い、会社全体で大家族。家族だからリストラはしない。タイムカードは無い。それは社員を信頼しているから。労働組合もない。だからストライキもない。そこには信頼関係しかありません。 『リーダーの資質1』=互いの信頼を得られるか。----主人公は軸がブレません。『玉虫色』は大人の世界では必要です。『取り繕う』組織のまとめ方もあるでしょう。が、国岡は組織を牽引します。口先だけではなく、行動で示すことにより、自らが模範となります。その主張、行動ににブレがありません。これぞ『カリスマ』。『カリスマ』とはブレない軸と強大な牽引力。 『リーダーの資質2』=カリスマ性----国岡商店の成功のカギはなんでしょう?一言で言うと店主国岡の『先見力』です。国岡は社員の教育にも非常に力を入れました。与えられた仕事をこなすだけの『部品』ではなく、自分で考え行動できる独立性ある社員を育て上げました。人を育てることにおいて大事なことは、その人の先を見てあげること。その人に何が必要で、その為に何を与えればよいのか。 そういう『先見の明』が国岡にはありました。 先を見る力はもちろん、教育のみではなく、商売にも生かされるわけです。 『リーダーの資質3』=先見の明----他にも沢山のリーダーたる要素があります。『名言力』=人を惹きつける、人を動かす言葉。『独創性』=組織にとって唯一無二の存在理由。『反骨精神』=出る杭は打たれるへの対抗心。『大和魂』=日本人であることの誇り、愛国心。などなど。 世の中の流れに任せて、ふらふら生きる方が、一人風を切って生きるよりも楽です。でも、やっぱり店主国岡の生き方に、ボクは憧れをもちます。 今の世の中で、このすべてを取り入れるのは、とても難しいことだけど、何か一つくらい、ちょっと欲張って二つくらい、出来れば三つか四つ、店主国岡を見習って、心の中に留めておいて、そして、一生涯をかけて、何かを成してみたい。-今のところ、パッと思い浮かぶのは、『自分の言葉を残したい』です。言葉を残すには、何か成果が必要ですよね。世の中にインパクトを与える何かをしたい。そんな野望を持っています。
2015.04.10
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2015年4月9日読売新聞が50000号を迎えたそうです。ボクは読売をとっていますが、別に特別思い入れは有りません。むしろ、地方新聞に変えたいくらいです。でも、田舎過ぎて読売しか勧誘こない orz-さて、読売は記事の私物化を平気にやるので、全く信用していないし、記事の掘り下げ方も不十分で、本質に全く迫れていないと思っています。だけど、50000号は立派です。『継続力』は立派です。-『表現をしなければ始まらない』ボクが常に思うことです。心の中で思うだけでは、世界は変わらない。言葉として表現する、そこから世界はスタートします。そして、言葉を文字にする時、言葉に重みが出ます。文章を書く時、その対象の理解度が如実に表れます。ボクのワインのブログにおいて、内容が薄いブログは、そのワインの理解度が低かったということです。ただ、ブログを書いていて思うのですが、自分の考えを、文章で伝えることって難しい!頭ではわかっていても、いざ文章にしようとすると、筆が止まることは良くありました。じゃあどうすればいいのか?最近ボクが気付いたこと、それは、『沢山表現し続ける』ということ。一つのブログでは伝わらなくても、沢山書いていく中で、ジグソーパズルのピースのように、少しずつ大きな絵を描くことが出来る。1回のブログでは伝わらないワインの魅力も、何度も書いていくうちに、形が見えてくる。そんな風に思って、最近はブログを書き続けています。
2015.04.09
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「図書館戦争」は全6巻+α。大作ですが、あっという間に読み終わります。そこは有川さんの文章力の賜物です。見習いたい!-『検閲』がストーリーの軸として存在します。ただ、最初から『検閲』は悪の枢軸です。そこに議論はありません。まあ、小説としてわかり易くするために、それは仕方のないことかもしれません。ただ、僕は今のマスコミには逆に、『検閲』があってもいいと思っています。酷いくらい低レベルで、世間を煽るだけの意味しかなく、現場を混乱させるだけの報道に、辟易しているからです。勿論、ガチの『メディア良化法』はいりませんが。-この小説を再読して、今回一番心に残ったこと、それは、『善意は正義!』にカモフラージュされた悪意でしょうか。人のために良かれと思いやった行為が、相手には、実は大迷惑って事はありえます。そうなってしまうのは仕方のない事。そういう事もありますよ。 でも、『実は迷惑』に気づくことなく、親切心を押し付け、善意に自己陶酔している場合には、善意を盾にしている分、厄介な事態です。-自己陶酔が伴う『善意(の様なもの)』はただの厄介、むしろ悪意である。自戒の意味を込めて、ここに記しておきます。
2015.02.28
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ヲタクというものに憧れています。憧れと言うか、目標と言うか。もう既になれているかもしれませんが、ヲタクでありたいと思っています。-最近テレビを見ていても、ドン引きするようなネタに惹かれます。最近だと、「怒り新党」内の定番コーナー『新・三大〇〇調査会』は毎週チェックしています。あまりに狭く深い世界に、全くついて行けないのだけれど、その突き抜けた感じが、羨ましいのです。-というわけで、『ヲタク』を楽しむのが、マイブームとなっています。そんな中で見つけたのが映画「キサラギ」これはアイドルオタクの映画です。いわゆる『ドルオタ』です。もうこれだけで拒否反応な方もいるでしょう。でも、ボクはそのドン引きするような所に、とてつもなく惹かれてしまっています。-『ドルオタ』映画なんてどうせチープな?そんな偏見を持ってしまいそうですが、この映画をいざ観てみると、ちょっと意外でした。まず出演陣。小栗旬、小出恵介、ユースケ・サンタマリア、香川照之、塚地武雅。正直、豪華すぎでしょ。中途半端な映画ではないことに、すぐに気付かされます。そして、ストーリーは完全にミステリーです。また、場面転換がありません。ほぼ、一つの部屋の中の出来事です。この映画はミステリー的ストーリーと、役者の演技だけで勝負しています。舞台にしても面白いんだろうと思いました。-この映画に僕が感じた事、それは、『心の拠り所』です。イジメられ、辛い状況にある時、それでも逃げずにいる。その支えとなる『心の拠り所』。アイドルに限らず、自分が夢中なもの、『オタク』であることを『心の拠り所』にして生きていく。そんな姿が描かれた映画です。ヲタクがやることって一緒で笑えますアイドルのレアな写真を自慢する=レアなワインを自慢する。入手困難をコレクションしている優越感。明確な『物』があると、それは自信になります。ヲタクとしてやっていくための自信です。物に頼るしかないというのは、ある意味情けないのかもしれないけど、それが凡ヲタの限界なのかもしれません。 この映画は、まるで自分が描かれている様で、非常に共感できました。ワインで同じような映画が作れたらいいのに、そんなことを思ってしまいました。そんなわけで、ワインヲタな台詞を考えてみました(笑)「ワインは飲んでなんぼでしょ、マジで!」「このワインは脱帽して、 ひざまずいて飲むべきだと思わないかい?」「そんなにワインを手荒な扱わないでくれたまえ。 澱が舞ってしまうじゃないか。」「このワインは前日抜栓するべきか? それともデキャンタージュするべきか?」「蔵出しと言っても空輸かい?船便かい?」「ブルゴーニュとはテロワールなのだよ」舞台『アペラシオンにようこそ』(笑)
2015.02.21
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第51回江戸川乱歩賞受賞作この小説はミステリーの醍醐味を味わえます。謎が提示され、それを解明していく過程、そして、すべてが集約する時の『爽快感』この小説では謎が全て解明されます。なぜ?どうして?がすっきりした形で解決します。フィクションはフィクションであるが故にリアリティが必要です。ここで言うリアリティーとは『共感』。なぜ殺さねばならないのか、なぜ死ななければならないのか、読者が納得する形で提示しなければなりません。それがフィクション。現実とは違うところです。そして、この小説では『少年法』が扱われます。昨日のブログでは『死刑の是非』を書きました。そして、この小説を読んで確信しました。少年法も含めて、『法』とは誰のためのものか?『法は国家維持のためのもの』その恩恵は間接的に国民に還元されますが、直接ではない。犯罪において『法』があっても、被害者の『被害』は消えない。『法』があっても、加害者の『罪』は消えない。『法』があっても、本質的な『救い』は得られない。「虚ろな十字架」「天使のナイフ」この両作を読んで僕が気付いたことです。『法』は不要ではない。だが、『法は人の前に無力である』。
2015.02.13
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