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金沢でのお仕事 の後、時間があったので、金沢蓄音器館に行って来ました。 ここ、凄いんです ヴィクトローラのクレデンザ、HMVのモデル194、ヴァレンシアといった蓄音器の銘器がズラ〜リ。 総額、何億円 とかじゃないでしょうか。しかも、それらの聞き比べができるんです。 たまりませんよネ。蓄音器って、電気をまったく使用していないのに、ものすごく大きな音がするんですョ。上下の階にまで響いてくるくらい大きな音 なんです。蓄音器で、昔のジャズや、ヴァイオリンの名演奏、はたまた、オーケストラの録音など聴くことができて、もう大満足。 オーケストラは、ストコフスキーの指揮した、リストの『ハンガリー狂詩曲』でした。これ、とってもユニークな演奏。演奏を聴いただけで、「あ、これ、ストコフスキーだな。」ってわかりましたョ。 まあ、クラシック・ソムリエですから、当然ですネ。別な一角には、SPレコードのコレクションがズラ〜リ。ブルーノ・ワルター指揮のマーラーの交響曲第9番や、『大地の歌』もありましたョ。 これまでの音楽の記事は こちら
February 23, 2013
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今日は、都内の昭和女子大学で、クラシックソムリエ検定の試験でした。実際に、シニア・ワインエキスパート、ソムリエの資格も持っているワタクシ。何とかソムリエっていう呼び方に若干の違和感もありますが、大好きな音楽のこと、精一杯頑張ってきました。 それほど一生懸命勉強したわけではありませんが、それはこれまでの積み重ねってものがありますから。 おそらくパーフェクトに近い点数が取れたものと思いますョ。 結果がすっごく楽しみです。これまでの音楽の記事は こちら
September 30, 2012
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昨日に引き続き、今日も、サントリーホールで、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演を聴いてきました。今日は、オール・ドヴォルジャーク・プログラム。しかも、最後には、交響曲第7番が演奏されます。今までのゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演では、あまり考えられないプログラムですよネ。実は、自分…、とりたててドヴォルジャーク好きではありません…。普段からあまり聴きませんし、アーノンクールが積極的に取り上げて、珍しがられていたときにも、それほど聴こうとも思いませんでした。だいたい、TV-CMとかで、交響曲第9番『新世界から』なんかが聞こえてくると、なんか…、こっ恥ずかしい感じがして、思わず気が付かなかったフリをしちゃうくらい。 ドヴォルジャークの交響曲だったら、自分…、子供の頃からずっと、第6番しか聴かないです…。ブラームスの第2番をモデルに書き上げられたってこともあって、田園的なふんいきがあるので…。その唯一好きな第6番も、ノイマンかスイトナーの演奏でしか聴かないみたいな…。 相性悪いっていうか、テイストが合わないっていうか…。で、今回演奏される第7番…。なんだか、暗くて、ドロドロしてて…。音楽的にも、ちょっと複雑だし…。以前から、やや苦手な作品。はじめは、あ~、何で第7番なんだろうって、正直思いました。で…、せっかく聴きにいくわけですから…、スコアを買って勉強することに…。昨日のプログラムだったブルックナーは、以前からスコアを持っていたんですが、今回、ドヴォルジャーク3曲とも、ポケットスコアを一括購入 気合い 入ってるでしょ? 勉強していくうちに、第7番、だんだん好きになってきました~。 第1楽章などの複雑なリズム、早い6拍子の第3楽章なんかも、だんだん慣れてきて…。この作品、ブラームスの第3番が『ブラームスの英雄交響曲』と呼ばれたのにインスピレーションを受けて作曲されたんでしょうね。スラブの英雄伝説のような、懐古主義的な趣きがあります。馬に乗った英雄たちが、鎧の音をカチャカチャさせて駆け回り戦う武勇伝的なふんいきっていうんでしょうか。音楽的には、第1楽章のコーダで『ワルキューレ』の冒頭を彷彿とさせるフレーズが出てきたり、終楽章でグリーグを彷彿をさせるスラブ民族~北欧系のメロディーがでてきたりもします。第3楽章は、マーラーのグロテスクな世界を先取りしたような、たぶん『死の舞踏』的なニュアンスの音楽。こうした、ほの暗さの中に繰り広げられるスペクタクル。第1楽章の結びのフルートは、戦いの後、暮れかけた空に輝く一番星の輝きのような幻想的な美しさです。… どうですか、予習の効果。さて、当日の演奏。本日もまたすばらしかったんです。 まず、速いテンポで、圧倒的な高揚感を生み出した序曲『謝肉祭』。シャイーは、こういう躍動的な音楽、得意ですよネ。3曲のうち、一番よかったと思います。続いて、カヴァコスをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲。カヴァコスは、1692年製のストラディヴァリウスを弾いているらしいです。音の伸びはいいですが、少し線の細い感じの音色ですね。淡々としつつも、緊張感のある演奏っていったらいいのかな…。ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲、自分、ナマで聴くのは今回が初めてだったかもしれません。あまり頻繁に演奏される作品ではありませんよね…。しかし、録音では、マリア・ノイス、メンゲルベルク&コンセルトヘボーの名演や、日本人では塩川悠子さんがクーベリックと共演した名演などがありました。これらの録音を聴くと、もっと泥くさいというか、ノスタルジックな感じに満ちていましたよネ。そんなことを思うと、もう少しやりようもあるような気がしないでもないです…。そして、交響曲第7番。昨日のブルックナーのように、熱い演奏が繰り広げられました。 大活躍するフルート、クラリネット、とってもいい音色でした~。そして、ブルックナーのとき以上に、弦の音色の美しさが際だちました。ブルックナーは、グローバルな演奏だったとしても、ドヴォルジャークは、昔ながらのゲヴァントハウスのふんいきを満喫させる演奏だったのではと思います。ホント、待ってましたって感じ。 だから、時間が過ぎるのがものすごく早い! まさに、あっという間。もっと聴いていたい…。きっと、ホールにいた全員が思ったはず。で、アンコール。やっぱり来ると思いましたョ。 なんたって、オール・ドヴォルジャーク・プログラムですから、これしかないですよネ。『スラブ舞曲』。今回は第2番と第7番が演奏されました。第7番は、序曲『謝肉祭』の熱狂を思い出させてくれる、目の覚めるような演奏。本当にすばらしかったです。2日間のコンサート、終わってしまうと、心にポッカリ穴があいてしまったような感覚です。次回の来日では、どんなプログラムを演奏してくれるんでしょうか? マーラーも、前回の交響曲第1番以外に、第5番とかもぜひ聴いてみたいですし…。ぜひ次回も聴きに行っちゃいます。 ちなみに、今年5月のライプツィヒ国際マーラーフェスティバルでは、シャイー&ゲヴァントハウスは、第2番『復活』と第8番『千人の交響曲』を演奏するらしいです。この日の演奏と同じプログラム、今、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の公式HPで動画が公開されてま~す。 ドヴォルジャーク:交響曲第7番・第8番 アーノンクールドヴォルジャーク:交響曲第9番『新世界から』 コンヴィチュニー ドヴォルジャーク:交響曲全集 ノイマン ドヴォルジャーク:交響曲全集 スイトナードヴォルジャーク:ヴァイオリン協奏曲 塩川悠子&クーベリック
March 5, 2011
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久々のブログ更新で、申し訳ありません。 ここのところ、ブログ放置状態で…、本当に申し訳なく思ってます。本当に。 でも、頑張っているんですョ。本当に。 学会、原稿、研究、その他…。そんなわけで、仕事が終わるまでは、ブログを書く余裕が…なんていってるまに、今年も2か月が過ぎてしまいました…。言い訳はこのくらいにして…。さて、ワタクシにとって、一生ものの大イベントがまたやって参りました。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演。 ワタクシが、このオーケストラをどのくらい好きかについては、すでに以前のブログで熱く熱く語っておりますので、覚えていただいている方もいるかもしれません。とにかく、あの音色がたまらなく大好きなんです。チケットをインターネットで予約したので、いいのか悪いのか、今回も、シャイーが指揮してるすぐ後ろの席。ゲヴァントハウスの公式ブログの写真にも写ってますョ。わかりやすいように矢印付けてみました。今年のプログラムは、ブルックナーの交響曲第8番とドヴォルジャーク。詳しくは、明日のドヴォルジャークのところに書きますが、スコアで一生懸命予習していったんですョ。 で、今日は、てっきりドヴォルジャークかと思っていたら、ステージにはハープが3台。あちゃ~! 今日はブルックナーだったんですね。 でも、大丈夫。ブルックナーの交響曲第8番は、ほとんどカラダで覚えちゃってますから。 ちょっと心配だったのは、楽譜の版の問題。ブロムシュテットの演奏ではハース版が使われていたりするので、今回シャイーはどの版を使ってくるのかと思ってましたが、今回は通常のノーヴァク版。これなら安心です。さて、今回の演奏、とにかく、凄いっ!!のひと言に尽きました。冒頭、アンサンブルがちょっと不安な部分もありましたが、ほんの数分ですぐにパワー全開。凝集して、重心の低いサウンドがホールを突き抜けていきました。第2楽章の地の底からわき上がってくるような迫力、終楽章の神々しい輝き、涙を流している人もいましたョ。唐突で、座りの悪い、結びの最後の3つの音符も、クナッパーツブッシュなみの重厚さでした。金管楽器の壮麗さ、チューバやコントラバスの地鳴りのような響き…。ティンパニは、ここぞというところでは、ものすごく振りかぶって、ドドドド~ッっと叩くんです。あの叩きっぷりは、いいですね。弦楽器も、みんな、顔を真っ赤にしながら弾いているんです。正直、驚きました。 ゲヴァントハウスといえば、世界で2番目に古いオーケストラで、過去には歴代の偉大な指揮者が指揮台に上って…、そんなことがすべて吹き飛ぶような演奏。こんな、ド根性的な音を出すオーケストラだったのか…と目からウロコでしたョ。それでいて、腕力で押しまくるのではなく、弱音部などでは、ブルックナー晩年の一抹の寂しさが、フワッと漂ったり…。これは、明らかに、シャイーが奇跡を起こしているんだな、と思いました。シャイーのブルックナー、前回来日のときの交響曲第4番は、テンポなどで異論はありましたが、今回の第8番は、正統的な説得力がありました。オーケストラに奇跡を起こすと同時に、シャイー自身もますます著しい進化を遂げているような気がしました。少なくとも、CDのように、バランスがいいとか、色彩的とか、そんな甘っちょろい言葉は脱ぎ捨てた感じ。ホンネでオーケストラとぶつかって、獲得しているサウンドなのでしょうね。確かに、シャイーは、ゲヴァントハウスを指揮しているとき、とても楽しそうで、幸せそうな表情をしていますよネ。 オーケストラのメンバーからもきっと愛されているんではないでしょうか。これからのこのコンビの躍進、とても楽しみです。この日の演奏、3/18(金)のNHKの芸術劇場で放送されるそうです。お楽しみに~。帰り際、楽屋近くに、何だか存在感アリアリの人がいるなぁと思ったら、指揮者の井上道義さんでした。シャイーと仲いいんですかね。ブルックナー:交響曲第8番 ブロムシュテット&LGO
March 4, 2011
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今日は、少し余裕があるので、いままで書けなかったブログを一生懸命書きたいと思います。実は、昨日から、ココで、楽譜をいっぱい閲覧してしまいました。モーツァルト、メンデルスゾーン、それに、来年3月、ゲヴァントハウスの来日のときに演奏される、ブルックナーとドヴォルジャーク…。 楽譜でこんなに幸せになれるって…、僕って、変ですか??なかには、メンデルスゾーンが16歳のときに書いた名曲、弦楽八重奏曲の自筆譜も公開されてるんです。これ、感動しますョ。 ほかの楽譜でもそうですが、メンデルスゾーンの楽譜は、几帳面で、丁寧ですよね。人柄がにじみ出てるような気がします。あ~、今日はいい日ですね~。最高~!! メンデルスゾーン:室内楽曲全集(10CD) ゲヴァントハウス管弦楽団名演集(8CD)これまでの音楽の記事は こちら
October 2, 2010
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毎年楽しみにしている古川泰子さんのピアノリサイタル、今年も当然行ってきましたョ。 古川さんのリサイタル、去年は、オール・ドイツもののプログラムで、シェーンベルク、バッハ、ベートーヴェン、シューマンと、幅広い解釈をみせてくれました。一昨年はドビュッシー、リスト、ショパン、ラヴェルといったプログラム。ショパンの『葬送行進曲付きソナタ』は、いろいろなことを考えさせてくれる印象深い演奏でした。その前年のモ-ツァルトや、グラナドス、リストもすごかったですね。今年は、まず最初に、モーツァルトの『トルコ行進曲付き』のソナタ。続いて、ドビュッシーの『月の光』、『前奏曲集第2巻』から『月光に濡れる謁見のテラス』、そして、『喜びの島』。後半は、ショパンの『24の前奏曲 op.28』です。まず、モーツァルトのソナタ。ちなみに、この『トルコ行進曲付き』のソナタ、『のだめカンタービレ』の、のだめちゃんもドラマや映画で弾いてましたね。映画での吹き替えは、ラン・ランだったそうです。果たして、古川さんは、どんな風に演奏されるんでしょうか…。まず驚いたのは、そのテンポです。2007年のときの、『きらきら星変奏曲』を思い出させるような、思索的なゆっくりとしたテンポです。ひとつひとつのフレーズの意味を味わいながら進むようなモーツァルト。なんか、1952年以降のフルトヴェングラーの演奏なんかを思い出させるような深遠さなんです。聴いていると、モーツァルト本人でも、こんなに丁寧に弾かないのでは、というくらい、すごく丁寧なアプローチなんですよね。きっと、相当な時間をかけて、作品と向き合われたのに違いないと思いました。トルコ風の装飾音の大胆さと、エンディングの盛り上げは、さすが古川さんだと思いましたョ。続く、ドビュッシーは、古川さんの得意中の得意のレパートリー。ホントにすばらしかったです。まず、『月の光』、冒頭から、その色彩感には唖然としてしまいました。色に喩えるなら、濃紺と紫のグラデーションって感じでしょうか。とにかく、妖艶なまでに色彩的です。自分の音楽体験のなかで、10本の指に入っちゃうくらいの感動でしたョ。 続く、『月光に濡れる謁見のテラス』は、もっとドロドロしたドラマを感じる作品。古川さんは、「神秘的な夜の幻」と喩えています。確かに、なんか、ルソーの『夢』っていう絵をみているような、幻想的な作品ですね。『喜びの島』は、もう少し違う感じの作品です。古川さんによれば、「愛の女神ヴィーナスの島、そこには、微笑むニンフたちの姿」とのことです。確かに、ニンフたちの歌声のような旋律が聞こえ、誘惑してくるようです。自分のイメージは、ダリの『聖アントニウスの誘惑』って感じかなぁ。 うっかり誘惑に身を任せると、どこへ連れていかれちゃうのかなぁ…って感じです。後半は、ショパンの大作、『24の前奏曲 op.28』。自分がピアノを弾かないせいだと思いますけど、昔は、ショパンを聴くのは苦手でした。 でも、モシェレスとか、フィールドとか、ショパン以前の音楽を聴き、さらに、ショパンが生み出したものの偉大さを感じ、ショパンが後世に与えた影響の大きさを理解するにつけ、しみじみと畏敬の念を感じます。そして、ショパンの音楽を支える正統的な音楽の教養。ここが何よりすばらしいと思います。『24の前奏曲 op.28』は、こうしたショパンの教養とセンス、独自の感性、そして、チャレンジがすべてそろって完成された偉大な作品ですね。ショパンがこの作品を書いたのは、な、なんと、29歳ですよ~。スゴすぎます! そして、39歳ではもう亡くなってしまってるわけですから…。自分なんか、ショパンよりもずっと長生きしてるのに、これまで、何にもできてないような気持ちになります。この作品、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』などと同じく、24すべての調性を用いています。ただし、バッハとは違い、ハ長調から始まって、長調と、平行調の短調を組み合わせ、5度上の属調に転調していくという、とても美しい構成になっているのは有名ですよね。前半はシャープ系の調、後半はフラット系の調ですが、本来、ちょうど真ん中で区切るとすると、13曲目は、変ト長調となるはず。しかし、ショパンは、あえて嬰ヘ長調としています。ここが、ショパンのこだわりなんでしょうね。古川さんに訊いてみると、同じ鍵盤を弾くわけであっても、変ト長調と嬰ヘ長調では、全然イメージが違うそうです。バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の場合、嬰ニ短調を変ホ短調に書き換えた楽譜もあるんだそうですョ。知りませんでした。でも、ショパンでは、そう単純にはいかないかもしれませんね。今回、古川さんは、それぞれの曲に対するオリジナルのイメージを、解説に書いていらっしゃいます。例えば、第21曲変ロ長調では、「暖かな日差しを浴びながら、2人乗りのカヌーで川下り」。なんで2人乗り?と思ったら、メロディーが、ちゃんとデュエット風になってるんですね。 この『24の前奏曲 op.28』、アルフレッド・コルトーらが標題を付けていることでも有名です。さきほどの第21曲変ロ長調は、「先祖のもとへひとり淋しく帰る」となっています。ちなみに、ハンス・フォン・ビューローも標題を考案していて、「日曜日」だそうです。受け取る人によって、随分イメージは変わるものですね。 有名な『雨だれ』(第15曲変ニ長調)は、ハンス・フォン・ビューローによる命名だそうです。興味深かったのは、第2曲イ短調。古川さんは、「砂漠を一人歩む旅人に照りつける太陽。砂漠に日が沈み、静寂が訪れる」。アルフレッド・コルトーは、「郷愁の想い 遠くひらけた海のような」。ハンス・フォン・ビューローは、「死の予感」。ここは、質感というか、皮膚の感覚まで生々しい古川さんに1票!って感じですね。前半の曲目を弾いてから、このショパンの大作、かなりハードだったそうです。しかし、会場のお客さんはみな、後半のショパン、とても感動していましたョ。 最後の第24曲ニ短調は、ショパンが命がけでたたきつけた思いを、渾身で表現したような壮絶な演奏。「本当に涙が出た」といっていた方もいました。古川さんは、この『24の前奏曲 op.28』ほかを、最近CD に録音したそうです。会場で、さっそく買ってきましたョ。もちろん、サイン入りです。 これから、聴いてみようと思っています。このCD、できたてのホヤホヤだそうで、聴いてみたいという方は、こちらでお問い合せいただくと購入できるようです。 古川さん、来年のリサイタルも楽しみにしております。それに、機会があれば、ぜひ、沖縄でも弾いてくださいね。これまでの音楽の記事は こちら
June 13, 2010
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今日は、サントリーホールに来ています。もちろん、昨日に引き続き、ゲヴァントハウスを聞きに。今日のプログラムは、メンデルスゾーンの交響曲第5番『宗教改革』と、ブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』です。しかも、メンデルスゾーンの『宗教改革』は、通常演奏されている版とは違う、ホグウッド改訂による『初期稿』だそうです。楽しみです。ネットで予約したからでしょうか、席は、思いっきり前で、2列目。 コンサートマスターの足もとって感じです。実は、昨日もこんな感じの席で聴いていたんですが、この席、実はとても正解です。 今回のゲヴァントハウス管弦楽団は、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを昔ながらの対向配置にしてありました。この場所だと、第1、第2、それぞれが立体的に、完璧に聞き分けられるので、聴いていてものすごく楽しいんです。さて、メンデルスゾーンの交響曲第5番『宗教改革』、『初期稿』は、ずいぶんと違っているんですね。最後の終わり方も違いますし、第4楽章の冒頭、有名な『神はわがやぐら』のメロディーが出てくるところも、フルートのソロがより長いフレーズを演奏します。それがとても美しいんです。 ここを聴くだけでも、この『初期稿』、充分価値があると思いますョ。これは、ぜひCDになってほしいですね。以前、音楽学会の記事のときにも書きましたが、今後は、メンデルスゾーンの作品も、ブルックナーの作品のように、演奏時に『18・・年版』みたいな表示が行われるようになっていくのかもしれませんね。ゲヴァントハウスの演奏ですが、とても熱のこもった、すばらしいものでした。今日のコンサート・マスターは、また、ひときわ激しい演奏をするんですね。『宗教改革』の第1楽章が終わったときに、すでに弓の毛が2本くらい切れてましたョ。 シャイーと、コンサート・マスターの熱気がメンバーに伝わるのか、今日は昨日以上に燃え上がっている 感じでした。正直、こんなゲヴァントハウスは聴いたことがないくらいですね。彼ら独自の音色が、焼けた鉄のように熱を帯びたそのニュアンスと、『宗教改革』のニ短調という調性がとてもマッチして、他では作り出せない見事なサウンドを生み出していました。これは一生ものの体験でしたね。ブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』も、たいへんな熱演。第1、第2ヴァイオリンのトップも、体をのけぞらせるようにして掛け合っていたり、それはそれはエキサイティングな演奏でした。終演後、シャイーもとても満足そうでしたが、しかし、しかし…、どうなんでしょうか、あのテンポ。 ブルックナーにしては、テンポが揺れ過ぎではないでしょうか。それに、箇所によっては、妙にセカセカと速い。ピリオド奏法的な解釈だったら、違和感はあるものの、納得できる可能性もあるかもしれませんが、今回の解釈は明らかにモダンで、あまり根拠を感じさせないものだったような気がします。そこが少し残念でしたね。そんなブルックナーの交響曲で、アンコールもなく終わってしまったのは、かなり消化不良的な終わり方でした。何で、今回のツアーはアンコールをひとつもやらないんでしょうか?? 2回のコンサートを聴いてみて、シャイー時代になって、ゲヴァントハウス管弦楽団は、昔ながらの個性を維持しつつも、本当にフレキシブルで、グローバルなオーケストラになったように思いました。ブルックナーでみせたパフォーマンスや、マーラーの交響曲でのベルアップによるパフォーマンスなどもそうです。また、メンバーが若くなっていることもありますが、以前に比べてとてもエネルギッシュになりましたね。それに、今回の『宗教改革』にしろ、CDで発売されている『スコットランド』や、マーラー版のシューマン:交響曲全集など、シャイー得意の「発掘系」のレパートリーも増えています。これからのゲヴァントハウス管弦楽団、とても楽しみですね。シューマン: 交響曲全集(マーラー版) メンデルスゾーン・ディスカヴァリーズ
November 2, 2009
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今日は、京都に来てます しかも、ゲヴァントハウス管弦楽団を聴きに さっきまで有楽町の国際フォーラムにいたっていうのに ここまで来ると、もう完全に「追っかけ」ですね。 しかしながら、ゲヴァントハウスのモーツァルトやマーラーを、わざわざドイツまで行かなくとも、京都でナマで聴けた ということで、ファン心理としては、ドイツまでの飛行機代 、宿泊 、パスポートの再発行申請料 、その他…、かなりトクしたって思ってたりします…。なんてオメデタい これをお読みになったみなさんからのどよめき が聞こえるような気がしますが、いいんです 何言われても ファンですから しかも、昨年、主席指揮者のリッカルド・シャイーが、急病で入院してしまったため、来日が中止となってしまったこともあり…。ファンとしては、どれだけ歓んでも、歓びたりない くらいの心境なんであります。ご存知のかたもいるかもしれませんが、ワタクシ、インターネットが普及し始めた1990年代より、ゲヴァントハウス同好会なるものを立ち上げておりまして…。 しかも、その中で、恥ずかしげもなく、ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏法の特長なんかを論じてたり…。 オリジナル楽器による演奏がまだまだ賛否両論だったあの時代に、ゲヴァントハウスの演奏法について、あのように考察したのは、自分ながらGood job って感じですが、しかし、今では、お見せするのも恥ずかしいようなページでございます…。前置きが長すぎました。さて今日のプログラムは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番とマーラーの交響曲第1番『巨人』です。どちらも、このオーケストラとしては珍しいプログラム。しかも、後半のマーラーは、シャイーが、もとコンセルトヘボー管弦楽団の指揮者をしていた頃のマーラーへの取り組みを考えても、とても期待できるプログラムです。前半のモーツァルトも、第5番の『トルコ風』ではなく、より典雅な趣をもつ第3番が選ばれているのはうれしい限りです。さて、いよいよ前半のモーツァルト。ソリストはアラベラ・美歩・シュタインバッハー、楽器はストラディヴァリウスだそうです。演奏が始まると、ゲヴァントハウス独特の弦楽器の音色がホールいっぱいに広がりました。いやぁ~、たまらないっ。丁寧に、みずみずしく演奏されたモーツァルト。特に、第2楽章の音色の美しさは、天国的でした。 フワッとした羽毛のようなテクスチャー。今思い出しても、鳥肌が立つほどすばらしかったですョ。 それにしても、シュタインバッハーのソロ、完璧ですね~。テクニックもしっかりしていますし、表現も的確。しかもとても情感豊かで、かつ、緊張感があります。こんなに説得力のある若手ヴァイオリニストは珍しいような気もします。将来が楽しみですね。後半は、マーラーの交響曲第1番『巨人』です。はじまるやいなや、弦楽器の音色の美しさに完全に悩殺寸前 です。あの羽毛のような音色で、マーラーの甘美なメロディーを演奏されたら、もう抵抗のしようもないって感じですよね。 とくに第3楽章。この音色で、『さすらう若者の歌』の第4曲「道に、一本の菩提樹が立っていた。」のところのあのメロディーが流れてきた瞬間、もう涙が出そうになりました。そして、第4楽章の夢をみているような、天国的な美しさの第2主題。思い出しただけでも、ウルッときますね。 そのほか、第1楽章のいきいきとした演奏もよかったですし、第2楽章スケルツォの彫りの深いリズムと一糸乱れぬアンサンブル、フィナーレの圧倒的な興奮も忘れがたいですね。今回、ゲヴァントハウス管弦楽団は、マーラーのベルアップの指示もきちんと実行して、際だった音色を作り出していました。はたして、マズア時代、ブロムシュテット時代にも行われていたんでしょうか?? ノイマンやマズアのマーラー作品の録音を聴く限り、とってもコンサーバティヴな演奏で、そういったパフォーマンスはあまり行っていなかったように思えます。これも、かなり印象的でしたね。この日とは違う日の演奏ですが、マーラーの『巨人』は、NHKのBS2(11月16日1:00am~)とBShiのハイビジョン ウイークエンドシアター(11月21日23:00~)で放送されるようです。 マーラー:交響曲全集 シャイーこれまでの音楽の記事はこちら
November 1, 2009
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今日は、久しぶりに日本音楽学会の関東支部定例会に行ってきました。 このブログを読んでるみなさんは、知らないか、忘れている かもしれませんが、ワタクシ、れっきとした日本音楽学会会員なんでございますョ。今回は、東京芸術大学、いわゆる「芸大 」が会場で、『ライプツィヒのメンデルスゾーン』というタイトルでのレクチャーコンサートが開催されました。しかも、会員は無料!なんです。今年はメンデルスゾーンの生誕200年。世界各地でメンデルスゾーンに関するイベントが開催されています。日本でも、講演会やコンサートなどが多々企画されているようですが、今回の音楽学会の企画、ひと味違いますョ~。メインは、今回初めて校訂されたヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1838年初稿版)の校訂報告と演奏会。その前に、ブライトコプフの新メンデルスゾーン全集から、メンデルスゾーンがバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに伴奏を付けたものが演奏されました。あのシャコンヌなんか、メンデルスゾーンによる伴奏に加え、フェルディナンド・ダーフィトによって演奏された際のヴィルトーゾ的な加筆などもあって、まるで別な曲のようです。和声的で華やかなピアノ伴奏、現代の常識とはまったく異なるアクセント、まったくニュアンスが異なるフレーズの解釈、そして、ところどころカデンツァ風に伴奏なしで演奏されたりするあたりも、バッハの作品を当時の音楽のスタイルとの重ね合わせで、何とか甦らせようと苦心したメンデルスゾーンの姿が垣間見えます。興味深いですね。これらの曲の間に、ブゾーニ編曲のバッハのプレリュードとフーガや、メンデルスゾーン作曲のプレリュードとフーガ ヘ短調なども演奏されました。メンデルスゾーンのプレリュードとフーガは、相当難しそうな作品ですが、この曲を、クリスティーネ・ショルンスハイムさんは、実に見事に弾ききりました。ちょっと鳥肌ものでしたね。休憩の後、ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調の1838年初稿版、1839年改訂稿版(ともにベーレンライター)、それに、メニューインによる1953年校訂版の3種類の楽譜の抜粋をみながら、今回1838年初稿版を校訂した星野宏美先生による校訂のいきさつ、メンデルスゾーンによるヴァイオリン・ソナタ作曲の経緯と改訂の様子、校訂上の問題点などの報告がありました。こうして3種類の楽譜を見比べてみると、メンデルスゾーンがあれこれと悩みながら作品を作り上げていった様子が伺われて、なんか親しみが持てる感じもします。 メンデルスゾーンは、自分の作品を、初演後もかなりネチッこく改訂したことが知られているそうです。今後は、ブルックナーみたいに、一つの作品でも、18**年第~稿とかいうのがいくつもできてきて、演奏ごとに表記されるようになるのかもしれませんね。それにしても、こうして何度も改訂するのって、メンデルスゾーンの性格的な特性もあるんじゃないでしょうか? モーツァルトなんかは、自筆の楽譜に訂正した跡すらほとんどないそうです。だから、一つの作品に複数の版があるというのはごくごく限られた場合ですよね。ベートーヴェンも、『フィデリオ / レオノーレ』などを除けば、最終稿は1つのものがほとんどです。偉大な作曲家たちと自分を比較するわけではありませんが、自分なんか、一回書き上げて出版された文章や図なんか、もう一回手を入れようとか、まったく思いませんものね。一回終わったら、もう次を書くのに専念するって感じ? メンデルスゾーンやブルックナーみたいに、何度も何度も書き直す人って、ホント、尊敬しちゃいます。完璧主義ってことなんでしょうかね??ところで、メンデルスゾーンのこのヴァイオリン・ソナタ ヘ長調は、長らく忘れられていた作品で、名ヴァイオリニストのイェフディ・メニューインによって再発見され、校訂され、作曲から100年以上も経った1953年に出版されました。メニューインは、1838年初稿、1839年改訂稿の自筆譜、あるいは、パート譜を両方とも見ながら校訂を行ったようで、一部の部分では1839年改訂稿、別の部分では1838年初稿を採用するなどしているようです。この辺も、演奏家としてのメニューインの感性が感じられ、大変興味深かったです。 メニューイン自身が演奏している録音なんかがあったらいいのにと思ったんですが、自分も探しましたが、みつかりませんね。残念です。星野先生の解説のあとは、いよいよヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 1838年初稿版の演奏です。今回のコンサート、ヴァイオリンは1773年に作られたもの、ピアノは1839年頃のコンラート・グラーフという、メンデルスゾーンが活躍していた時代に使われていた楽器が使われているのもすごいですよね。 ヴァイオリンを演奏されていた平崎真弓さん、ピアノのクリスティーネ・ショルンスハイムさんとも、オリジナル楽器も、モダン楽器もこなせる演奏家のようです。平崎真弓さんは、バッハはよりバッハらしく、メンデルスゾーンはメンデルスゾーンらしく、より現代に近いスタイルで演奏されていました。こうした使い分けができるというのもすばらしいですが、欲を言えば、バッハに関しても、メンデルスゾーンやダーフィトが弾いていた様子を彷彿とさせるようにもう少しモダンに弾いてもらってもよかったような気もしました。すべての曲目とも、早めのテンポを好んだメンデルスゾーンにちなんで、さっそうとした早めのテンポと、歯切れのいいスタッカートぎみの奏法が設定されていたのはすばらしかったです。アンコールには、シューマンがバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに伴奏を付けたものが演奏されました。メンデルスゾーンの華やかで趣向を凝らした伴奏に比べると、シューマンの伴奏はとてもおとなしいものでした。きっと、少人数のサロンコンサートなどで、手を痛めて作曲と指揮に転向していたシューマン自身のピアノで演奏されたのではないかなぁ? などと想像力を膨らませて聞かせていただきました。今回のレクチャーコンサートを企画された山梨大学の荒川恒子先生は、プロ、アマチュア問わず、「作曲家の意図」とか、「楽譜に忠実に」とか、「楽譜に書いてある通りに弾きなさい」と何の疑いもなくいっていますが、いったいそれはどういうことなのか? 作曲家自身がこんなに揺れ動いているし、それを校訂する作業にもこれだけの問題があり、では、いったい何をどうしていったらいいのかという点を、ユーモアを交えて力説され、とても考えさせられた定例会でした。 バッハ:チェンバロ協奏曲集 ショルンスハイム
October 10, 2009
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毎年楽しみにしている古川泰子さんのピアノリサイタル、今年も行ってきました。去年はドビュッシー、リスト、ショパン、ラヴェルといったプログラム。ショパンの『葬送行進曲付きソナタ』は、いろいろなことを考えさせてくれる印象深い演奏でした。一昨年のモ-ツァルトや、グラナドス、リストもすごかったですね。今年は、オール・ドイツもののプログラム。冒頭はシェーンベルクの『6つのピアノ小品 作品19』です。この曲は、シェーンベルクが十二音技法を確立する以前に書いた作品で、完全に調性を放棄した最初の作品だそうです。演奏もさることながら、今回、古川さんのプログラム・ノートには非常に感激しました。この曲の冒頭は、「自由を求め、もがいているかのように、音が飛び回り、逃げ回る。」 そして、6曲目は、「弔いの鐘の音。調整音楽の弔いか?」 なんか、シェーンベルクが新しい世界を見いだすために彷徨った過程を垣間見せてくれるような解説と演奏。どうしてこうした作品が生まれてきたのか、深く考えさせてくれます。新しい音楽というと、思い浮かぶエピソードがあります。フルトヴェングラーが、自作の交響曲第2番を初演した際、ブルックナーの様式感の漂うやや時代遅れ的な作品に、それを聞いたヒンデミットが、思わず、「あなたの作品といったら…」と批判をしかかったところ、ついつい有頂天になっていたのと、若干耳が遠くなっていたために、フルトヴェングラー本人は、賞賛されたと勘違いして、大喜びしてしまったという話は有名ですよね。古いものをぶち壊して、新しいものを造りだそうとするのは、本当に大変なことなのだと思います。古いもののなかに良さを見いだすことを意図的に破棄して、新しいものを作っていく。古いものの良さは、充分知っているけれども、そこには依存しない。厳しいですね。そうした厳しさを、ヒンデミットはフルトヴェングラーに投げかけたかったんでしょうね。続いては、バッハの『フランス組曲 第5番』。これ、バックハウスなんかも、シブ~い名演を残してますよね。シェーンベルクとバッハを続けて演奏するのは、とってもいいプログラム配置。十二音技法の確立には、バッハの対位法の影響なしではあり得なかったですからね。演奏は、ちょっとしたアクシデントもありましたが、第3曲『サラバンド』など、静かに、深く、瞑想的な演奏で、とっても感動しました。前半の最後はベートーヴェンの『ピアノソナタ第28番』。古川さんは、これまでもベートーヴェンのソナタをいくつか取り上げています。しかし、今回の第28番は、ベートーヴェンが、弟子の女性ピアニスト、ドロテア・フォン・エルトマンに捧げた作品ということで、古川さんの思い入れも深かったようです。解説もすてきですよ。 第1楽章冒頭の有名な旋律は、「懐かしく、回想そのものを愛おしむように、彷徨い流れていく」 なるほど~。「回想を愛おしむように」っていうのがいいですね。 そして、この作品は、ベートーヴェンが複雑な対位法などを多用するようになった後期様式の入り口の作品でもあるんですよね。後半は、シューマンの『クライスレリアーナ』です。古川さんは、さきほどのベートーヴェンの『ピアノソナタ第28番』が、この『クライスレリアーナ』に大きな影響を与えているといいます。しかも、この曲も、作曲家が愛する女性に捧げた作品。のちに結婚するクララ・ヴィークに捧げられているんだそうです。なるほど、今回のプログラム、つながってますね~。すごい、すごい。しかも、シェーンベルクにしろ、ベートーヴェンにしろ、シューマンにしろ、何かを模索し続ける作曲家の迷いや、ひたすら前に進もうとする力を感じる作品なんですよね。こうした選曲にも、古川さんの思いが感じられるような気がしました。終演後、今回のプログラムは、ご自分にとってチャレンジだったというようなことをおっしゃっていた古川さん。自分の本質を見つめるようなチャレンジ、すばらしいですよね。あ”~ 、自分も、このままじゃいけないってことがいっぱいあるんですが、解決するための努力もしてないどころか、その勇気もなかったりするんです。いつか見習えたらいいなと思います。古川さんは、アンコールの2曲目に、リスト編曲によるシューマンの『献呈』を演奏されました。これが、ゾクゾクするほどすばらしかったです。 古川さんご自身も、「これはぜひ弾きたかった。」とおっしゃってましたが、ホント、すごくいいですね~。「Du meine Seele, du mein Herz, Du meine Wonn', O du mein Schmerz.(きみはわが魂、きみはわが心、きみはわが楽しみ、そして、ああ、きみはわが苦しみ。)」という歌詞を持つこの曲、ベートーヴェンのソナタ、『クライスレリアーナ』の流れともマッチしていて、とても印象深かったです。特に、「Schmerz」のところの短三和音はググ~ッときますね~。古川さんのリサイタル、来年はどんなプログラムになるんでしょうか。今からとても楽しみです。これまでの音楽の記事は こちら
June 28, 2009
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『YouTube Symphony project』っていうのがあるんですね。すでに有名なんでしょうか?? 自分は、今日知りました。何でも、世界中の人が演奏したYouTubeの動画を集めて、1つの演奏を作るプロジェクトだそうで、演奏する曲目 は、今回のプロジェクトのためにタン・ドゥンが作曲したインターネット交響曲第1番『英雄』だそうです。タン・ドゥンといえば、『グリーン・デスティニー』や『HERO』のための映画音楽や、北京オリンピックの音楽などを作曲している超大物。すごいですね。タイトル、なんで『英雄』なのかと思ったら、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』のモチーフが使われているんだそうです。しかし、車のアルミホイールなど叩いたり、かなりユニークな作品になっているようですョ。4月には、ニューヨークのカーネギーホールで、マイケル・ティルソン・トーマスの指揮するYouTube Symphony Orchestra(YouTube交響楽団)が、この作品を演奏することになっているんだそうです。YouTube、やるもんですね~。これまでの音楽の記事はこちら
March 8, 2009
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先日、名古屋に行ってきたついでに、コンサート に行ってきました。な、なんと、木管楽器28人、トランペット9人、ホルン9人、弦楽器32人、打楽器2人、総勢80人 という大編成のオリジナル楽器オーケストラによるヘンデルの演奏。もちろん、日本初上陸です。今回聴いたのは、エルヴェ・ニケ指揮コンセール・スピリテュエルのコンサート。ヘンデルの『水上の音楽』と『王宮の花火の音楽』が、初演時さながらの大編成で演奏されました。18世紀の時代の楽器を、これだけの数集めるのだって大変。コピーの楽器を使用したとしても、実際に、これだけの楽器と奏者を一堂に集めるのは、容易ではないと思います。しかも、こうした楽器はとってもデリケート。ちょっとした温度や湿度の違いでも、音程が変化してしまうこともあるようです。実は、以前から、この団体がこうした演奏を行っているのは、CD を通じ知っていたのですが、実際に生の音を聴けるなんて、またとない機会です。いやぁ、すごかったです。 『王宮の花火の音楽』なんて、ステージ左側にトランペット9人、右側にホルン9人、ティンパニは左右に1人ずつ、トランペットとホルンの掛け合いがとっても立体的です。実際には、こんな雄壮な音で鳴っていたんですね。トランペットは、飾り紐がついていて、奏者は左手を腰にあてて吹いています。カッコよかったですョ~。ずら~っと並んだ28人の木管楽器奏者たちのアンサンブルも、とにかく見事でした。指揮者のエルヴェ・ニケさんは、なかなか個性的な指揮ぶりです。アンサンブルはオーケストラ任せのようにもみえます。きっと、創立以来いっしょに演奏してきている信頼感なんでしょうね。最近は、シューマン、ベルリオーズ、グノー、シャブリエなんかも指揮しているんだそうです。ぜひ聴いてみたいですね。 ニケさん、なかなか気さくな方のようで、サインをいただいた後、「写真撮っていいですか?」と聞いたら、OKしてくれた後に、こんなお茶目な表情をしてくれましたョ。この後、10月28日の東京公演もあるようです。都内・近郊の方で、ご都合の付く方はぜひ聴きに行ってみてくださいね。これまでの音楽の記事は こちらヘンデル:『水上の音楽』、『王宮の花火の音楽』 エルヴェ・ニケヘンデル:『水上の音楽』、『王宮の花火の音楽』
October 26, 2008
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最近、ずっとミュンシュの録音を聴いています。もともと、ミュンシュの録音は大好きで、ボストン交響楽団とのサン・サーンスの交響曲第3番『オルガン付き』や、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』をはじめ、フランス国立管弦楽団とのライブ録音で、ブラームスの交響曲第2番やベルリオーズの幻想交響曲などはよく聴いていましたが、先日、1947年にニューヨーク・フィルと録音した『オルガン付き』を聴いて、1950年前後のミュンシュはおもしろそうだなぁ…と思ったのがきっかけです。この1947年の録音、1959年の録音のイメージとはずいぶん違う演奏なんです。ミュンシュの本当の姿って、わかってるようで、実はわかっていない、そんな気がしたんですよね。で、さっそく、West Hill Radioというレーベルから出ている、ミュンシュ&ボストン響ライヴ録音集5枚組(WHRA6017)を聴いてみました。 このセットには、シューマンの交響曲第4番や、ブラームスのヴァイオリンとヴィオラのための二重協奏曲、交響曲第2番、ルドルフ・ゼルキンをソリストに迎えたピアノ協奏曲第1番などに加えて、R・シュトラウスの『英雄の生涯』が入っていました。ミュンシュの『英雄の生涯』って、結構珍しくないですか?さて、実際の演奏ですが、これぞミュンシュといった感じで、すごくエネルギッシュです。演奏中、少なくとも3回はミュンシュが「ヘ~イ!」と叫んでいるのが聞こえます。絶好調だったんでしょうかね。 しかし、叫んだそのあと、英雄のテーマが再現され、『ドン・ファン』や『ツァラトゥストラはかく語りき』、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のテーマが登場する部分は、脱力感が漂ってしまうなんていう微笑ましい部分も。なんか、とっても人間らしくていいんですよ。EMIから出ている、ブラームスの交響曲第1番の1960年東京でのライヴの映像(オーケストラはフランス国立管弦楽団)でも、フィナーレの有名な主題なんか、ホント、無表情に何気なく流しちゃってるんですね。で、その主題が展開されると、とたんにテンポをあげて、テンションをあおったりしてみる。途中で、興奮のあまり、オーケストラと1拍ズレてしまって、手を動かすのをやめてしまう場面なんかもあります。気まぐれというか、ハチャメチャです。 でも、こんなところがおもしろいんですよね。これって、変ですか?? ミュンシュは、興奮してくると、よく、右手をグルグル回す動作をしますが、このブラームスの映像を観ていると、まるで、オーケストラを引っかき回すだけ引っかき回しているようにも感じます。それにしても、ボストン交響楽団にせよ、フランス国立管弦楽団にせよ、ミュンシュのハチャメチャにきちんと答えているところが凄いですよね。巨匠だから許されるんでしょうか?? まさか、奥さんがネスレの社長令嬢だからってわけではないでしょうね。そんな大らかな時代だったってことでしょうか。 先日、TVで、パーヴォ・ヤルビの指揮も、本番中何が起こるかわからないといっていましたが、ミュンシュのハチャメチャに比べたら、「別に 」って感じかもしれません。最近NHKのアーカイヴからリリースされたベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』は、エネルギッシュで、猛烈に輝きのあるサウンドですが、「立派な演奏」でとどまってるんですよね。自分は、ハチャメチャなミュンシュの方が、やっぱり聴いていておもしろいかもしれません。探したら、こんなおもしろい録音、まだまだあるのかもしれないですよ。そんなミュンシュですが、知る人ぞ知る『指揮者という仕事』という著書があります。これは、「キャビン・アテンダントになりたい」とか、「パティシエになりたい」といった夢見る子供たちのための「○○という仕事」シリーズの1冊だそうですが、そのなかで、指揮者の心構えをあれこれ語っているのがシビれます。ミュンシュ本人は、指揮をすることに対して、結構ストイックな考えも持っていたようです。説得力があるのか、ないのか、よくわからないですけどね。 興味のある方はぜひ読んでみていただきたいと思います。原題は、確か『Chef d'orchestre』。フランス語で指揮者のことはこういうそうですが、ミュンシュには「シェフ」という言葉がとてもよく似合うと思うのは自分だけでしょうか。サン・サーンス:交響曲第3番『オルガン付き』 ラヴェル:『ダフニスとクロエ』ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、ラヴェル:『ダフニスとクロエ』第2組曲これまでの音楽の記事は こちら
September 6, 2008
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指揮者のホルスト・シュタインさんが、27日に亡くなったそうです。ホルスト・シュタインさんといえば、NHK交響楽団との演奏が思い浮かびます。ベートーヴェン・ツィクルスや、ワーグナーの『パルシファル』の名演などは忘れがたいですよね。大きな体をユサユサさせてステージに出ていらっしゃる様子も印象的でした。メタボリック症候群なんていう言葉が氾濫して、「太っていたら長生きできない」「太っていたら、早死にしても自業自得」という風潮の昨今、80歳まで天寿を全うされたのですから、大往生といっても差し支えないのかもしれませんが、ベームや、朝比奈隆が80歳を超えてからも名演を残していることを考えれば、まだまだすばらしい演奏を聴かせてほしかったという気持ちも隠せませんね。ホルスト・シュタインさんは、ウィーン国立歌劇場第1指揮者、バイロイト音楽祭指揮 者、バンベルク交響楽団首席指揮者としても活躍されていました。ご冥福をお祈りします。 ワーグナー:管弦楽曲 シューベルト:交響曲全集これまでの音楽の記事は こちら
July 29, 2008
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今年も、東京・四谷の紀尾井ホールで、古川泰子さんのピアノ・リサイタルを聴いて来ました。今年は、ドビュッシー、リスト、ショパン、ラヴェルといったプログラム。難曲ぞろいです。まずはドビュッシー。『ピアノのために』は、古川さんが「ドビュッシーのピアニズムを確立した記念すべき作品」と位置づける作品で、「科学的に音程やリズムを構築する書法」や「ドビュッシー自身が、”ハンマーのない楽器”に聞こえるように演奏すべきと主張した」演奏技法などにスポットをあてて演奏されました。バロック以来の音楽の上に、これほどまで個性的な音の世界を構築したドビュッシー、やっぱり天才ですね。続いて、ショパンのピアノソナタ第2番変ロ短調『葬送』です。自分は、やはり保守的な人間なのか、「ソナタ形式」が好きなんですよね。 今回のリサイタルのなかでも、この曲が一番楽しめました。第1楽章、古川さんは、「突破口を求め、運命に挑んでゆくメロディー」と評されています。激しい濁流のような時代の流れに負けじと、必死で戦っているような、壮絶なメロディーですよね。嘆きとか、悲鳴とか、あえぐようなフレーズも随所に聞こえます。古川さんは、第1主題冒頭から、激しくテンポを揺らして、たいへんスケールの大きい、濃厚な表現を聴かせてくれました。1小節のなかでも大きくテンポが変わる「アゴーギク」という手法です。近年、ここまで濃厚な表現を聴かせてくれる演奏家は少ないかもしれません。自分は、指揮者でもメンゲルベルクなどが大好きなので、こういう演奏、ストライク・ゾーンなんですよね。 そして、古川さんの重厚で、飽和したサウンドが、壮絶な音のドラマを描き出していました。第2楽章、スケルツォに続いて、第3楽章は有名な葬送行進曲です。マーラーの交響曲第5番の第1楽章も葬送行進曲ですが、マーラーの場合は、もっと現実離れしているというか、架空の人物の葬送で、地獄の光景も垣間見えてしまうような幻想的なニュアンスがあります。ショパンの場合は、身近な人の葬儀に立ち会っているようなリアリズムがあります。中間部の追想するような美しいメロディーは、愛する人の在りし日を偲ぶような感動的な瞬間でした。この曲の結び、通常のフィナーレとはかけ離れた、漠然、朦朧とした第4楽章。ショパンはなぜこんな曲を書いたんでしょうか。マーラーの交響曲第5番は、葬送行進曲から始まって、フィナーレでは晴れやかなコラールが演奏されますが、ショパンは、とてもそんな楽天的な音楽は書けなかったに違いありません。マーラーの音楽のなかには、「都会の生活からの逃避」としてのロマンティシズム、野生への回帰のようなものがあったのかもしれませんが、ショパンの場合、祖国ポーランドの厳しい現実に日々心を痛めて、もっと現実的な死の悲しみが目の前にあって、そこから逃げることができなかったのかもしれません。自分は、葬送のセレモニー(第3楽章)の後、地獄の蓋が開いて、亡霊たちによって魂が連れ去られるような、そんなイメージも感じます。そう思って聴くと、亡霊たちが、最後の悲劇的な和音で曲を閉じる直前、去り際に、我々に向かって、牙をむいて、軽く威嚇しているようにも聞こえます。ちょうど、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』も、合唱とオーケストラの激しい動きをともなったパッセージとともにドン・ジョヴァンニが地獄に堕ちていった後、悲劇的な和音が決然と鳴り響きます。どことなく似てるなぁと思うのは自分だけでしょうか。リサイタル後半は、リストの『エステ荘の噴水』や、ラヴェルの『水の精』といった「水」にちなんだ作品が多く取り入れられていました。そういえば、今回の古川さんの衣装、人魚みたいなデザインでしたね。リストの『エステ荘の噴水』は、水のきらめきと、背景に響く賛美歌がとても美しかったですよ。これまでの音楽の記事は こちら
May 11, 2008
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今年は指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの生誕100年なんだそうですね。それを記念した242枚組のCD全集やドキュメンタリーのDVDなども続々と発売されています。今日は、NHK-BSで特集番組『まるごとカラヤン』が放送されました。放送時間は全部で11時間! ビックリです。しかも、それを全部通して見てしまった自分にもビックリ。前半で放送されたカラヤンのドキュメンタリー、興味深かったですね。クリスタ・ルートヴィヒが「カラヤンがあまりに無理をいうので、本番で声が裏返ってしまい、以後出演を断り続けた」と語ったり、ルネ・コロが「カラヤンとけんかしたらもう音楽界にはいられない。レストランでもやろうかと思っていたら、バーンスタインがイスラエルで『大地の歌』をやるといわれて、そっちへ走ったんです。」って暴露してましたね。バーンスタインの『大地の歌』、いわれてみれば、ルネ・コロとクリスタ・ルートヴィヒがソロを歌っています。そんなことがあって、この組み合わせが実現したんですね。この『大地の歌』、リハーサルの映像も見たことがありますが、バーンスタインはバーンスタインで、ものすごく早いテンポを要求したりして、カラヤンから逃れても、バーンスタインでもまた災難。一難去ってまた一難だったというのがよくわかりました。グンドゥラ・ヤノヴィッツでしたか、「カラヤンに、お元気で、といわれたので、もう次はないんだなと思った。よい別れができました。」なんて語っていたのもとても切実な感じでした。クラシック・ファンのみなさんから袋だたきに合いそうですが、実は自分、昔からカラヤンはあまり好きではなかったんです。ですから、カラヤン生誕100年といっても、すっごく冷めてたんですが、先日WCPEを聴いていたら、カラヤンの『メタモルフォーゼン』が流れて、「悔しいけど、やっぱり美しいなぁ。」と思ったわけです。カラヤンの『メタモルフォーゼン』、本当に美しいんですよ。 晩年のR・シュトラウスによって書かれたこの曲、ヴァイオリン10人、ヴィオラ5人、チェロ5人、コントラバス3人という23人のソロのために書かれた作品です。さっそく楽譜を取り寄せてみたんですが、ごらんの通りすごく複雑です。この作品を、カラヤンは、ソロの美しさを活かしながら、完璧なアンサンブルで演奏しています。そして、ここに表現された寂しさと悲しみ、あきらめなどがひしひしと迫ってきて、聴き終わった後は何も言えないくらいの深い感動に包まれます。 こんな経験もあって、「もしかすると、自分もオトナになったので、カラヤンに対する考えが変わるかも…。」と考え直して、この11時間という長時間、ひたすらカラヤンに浸かってみたんです。その結果、カラヤンがこだわった「レガート」の美しさは理解できたものの、やっぱり、肌が合わないんだなぁというのが正直な感想です。これは、自分の肌に合わないというだけで、「いい」とか「悪い」という話ではありませんよ。ベルリン・フィルとの映像、チャイコフスキーの『悲愴』や、『第九』のスケルツォ以降はまだついて行けるのですが、ブラームスなんて、クライマックスは派手でうるさいだけのような印象。ブラームスは、ベームが「自分の生涯で最高の演奏」と語った1975年NHKホールでのライヴなども映像で見ることができるので、どうしてもそちらの方が勝ってしまうんでしょうかね~。カラヤンは完璧主義で、ストイックで、あまりに客観的、しかも、音楽を恣意的にコントロールしようとするので、どこか人工的な感じもして、なんか響きが無機的になってしまうように思えてなりませんでした。音楽の自然な呼吸が感じられなくなってしまうというんでしょうか。喩えるなら、「昔の日用品がピカピカに磨かれて、博物館に飾られているのを見たときの違和感」みたいな感じでしょうか。昔の人がふつうにご飯食べてたお茶碗が、ガラスのショーケースに入って、ライトを当てられて、飾られてるのを、タイムスリップしてきた昔の人が見たら、きっとビックリしますよね。そんな感じです。 カラヤンのベートーヴェンは、ベートーヴェン自身の中に息づき、響いていた響きとはまったく違う響きのように感じました。実際、ベートーヴェンが考えた以上に完璧に鳴っていたのかもしれませんが…。自分は、下手でも、自然な呼吸の感じられる演奏の方が好きなんですよね。今回は、ベルリン・フィルとの演奏、しかも、カラヤンがバリバリ元気だった頃のものが多かったのですが、カラヤンの晩年の演奏、例えば、ウィーン・フィルとのチャイコフスキーや『ドン・カルロ』、『ドン・ジョヴァンニ』、『ばらの騎士』といった、もっと普遍的な魅力のある演奏も取り上げられていれば、もっと感じ方が違ったかもしれませんね。 メタモルフォーゼンほか カラヤンの遺産5 チャイコフスキー後期交響曲集 『ドン・カルロ』 『ドン・ジョヴァンニ』 『ばらの騎士』
April 5, 2008
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今年も、ピアニストの古川泰子さんからリサイタルのご案内をいただきました! 昨年のリサイタルでは、独特の重心の低い響きで、グラナドスの原色的な色彩、あでやかさなどを見事に表現された古川さん、今年はドビュッシー、ラヴェルなどのフランスの作曲家の作品に加え、ショパンの『葬送行進曲付き』ソナタを演奏されるそうです。楽しみですね。古川さんのプロフィールetcは、過去の日記をごらんください。古川泰子 第15回ピアノ・リサイタル2007年5月11日(日) 14:00~ 紀尾井ホール(東京・四谷)プログラムドビュッシー:『夢』、『ピアノのために』、『前奏曲』 『サラバンド』、『トッカータ』ショパン:ピアノソナタ第2番変ロ短調『葬送』グラナドス:組曲『ゴイェスカス』からリスト:『エステ荘の噴水』ラヴェル:『夜のガスパール』、『水の精』、『絞首台』、『スカルボ』主催:アルページュ 後援:日本ベーゼンドルファー紀尾井ホールチケットセンター:03-3237-0061これまでの音楽の記事は こちら
March 31, 2008
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今日は、NHKホールで、ゲルギエフ&マリインスキー劇場の『イーゴリ公』を聴いてきました。歌劇『イーゴリ公』は、ボロディンの代表作の一つですが、未完成のオペラで、現行では、リムスキー=コルサコフとグラズノフによって完成された版などで演奏されています。しかし、この版は、やや冗長な部分があり、ストーリーの展開にも問題があり、これまで様々な改訂版の上演が試みられています。今回のゲルギエフ&マリインスキー劇場の上演も、そうした試みの一つですが、すでにCDやDVDで発売されているバージョンとも違うバージョンとのこと。とても期待して聴きにいきました。バレエや舞台背景などは、1909年頃の上演のものが使用されているとのことで、これはこれで、興味深いものではありました。しかし、聴いてみると、やや冗長な部分をカットして、幕の順序を入れ替えた上演。これで、おもしろさがアップしたか、というと、ちょっと疑問です。そもそも、このオペラは、ボロディン自身によって完成された部分の比率が少なく、あの世のボロディン本人だって、まさか自分の死後、こういった形で上演されているとは、思いもよらないはずです。今回の上演で、むしろ、この作品の上演の難しさを実感することになったと思うのは自分だけでしょうか? 今回の上演に比べると、数年前、ボリショイ劇場が来日した際の上演で、最後の最後に『ポロヴェッツ人の踊り』を配置して、世界平和を歌ってしまうという、かなり楽天的な上演の方が、ずっと説得力があり、感動したのを思い出します。何より期待していたゲルギエフの指揮ですが、今回は、エネルギッシュなサウンドは炸裂するものの、『ポロヴェッツ人の踊り』では、オーケストラがついていけなくなってしまうハプニングなどもあり、歌手も、全然セクシーさのないコンチャコーヴナ、後半は立ち直ったものの、重要なアリアがヨレヨレだったヤロスラーヴナなど、全体にパッとせず、わざわざ沖縄から聴きにいった自分としては、やや物足りない感じでした。まあ、彼らは、この公演の直前に、ロッシーニの『ランスへの旅』を演奏してきているのですから、仕方ないかもしれませんね。アウェイで、1日のうちに、違うオペラを立て続けに演奏してしまう彼らのパワーの方がビックリって感じですね。 ボロディン:歌劇『イーゴリ公』これまでの音楽の記事は こちら
February 2, 2008
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来月、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演が予定されていましたが、主席指揮者のリッカルド・シャイーが、急病で入院してしまったため、来日が中止となってしまったそうです すべてのプログラムを聞けるように、チケットを準備してずっと楽しみに待ってたんですが…。すごく残念。急病の詳細は、調べてもわかりませんでしたが、早く元気になってほしいですね。これまでの音楽の記事は こちら
January 18, 2008
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先日、クーベリック&BPOのヘンデル『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』のCDを買いましたが、このCD、ブックレットがベーム&BPOのモーツァルトのものになっていました。メーカーの不良品でしょうね。大手ドイツ・グラモフォンとしては、珍しいかも??クーベリック&BPOのゴージャスなサウンドのヘンデル、オリジナル楽器録音が多くなってきた昨今では、むしろ貴重な存在ですよね。とてもおもしろかったです。 ヘンデル:『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』 クーベリック モーツァルト:交響曲第40番、第41番 ベームこれまでの音楽の記事は こちら
November 26, 2007
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せっかく岩手県に来たので、紫波町にある『野村胡堂・あらえびす記念館』に行ってきました。野村胡堂といえば、『銭形平次』の作者として有名ですが、実は、「あらえびす」のペンネームで、世界発のレコード評論家としても活躍した人だったんです。20000枚以上のSPレコードのコレクション! 当時はかなりの財産だったようです。往年の音楽ファンは、あらえびすの書いた新聞の音楽欄や、『蓄音機とレコード』、『名曲決定盤』などを読んで、議論を戦わせていたそうです。自分も、ニキシュ、ワインガルトナー、ワルターなどの往年の名指揮者の研究をする過程で、当時の日本での受容はどうだったのかという観点から、何度か、こういった文章を拝読する機会がありました。この記念館では、野村胡堂の所持していたレコードや、名曲喫茶『あらえびす』から寄付されたレコードを所蔵していて、リクエストすると、聴かせていただくことができます。今回は、ドビュッシーの弦楽四重奏曲を選んで、蓄音機で聴かせていただきました。 やっぱり、アコースティックの音って、いいですね~。 しばし、時を忘れました。その後、『あらえびすホール』で、アンセルメの指揮したラヴェルの『ラ・ヴァルス』も聴かせていただきましたが、広いホールを貸し切りで、アキュフェーズのアンプ、タンノイの『ウェストミンスター・ロイヤル』という王道の組み合わせから流れてくる豊かな音楽を楽しめました。やはり、音楽ファンなら、「ぜひ一度訪れたい場所」ですよね。これまでの音楽の記事は こちら
October 13, 2007
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モーツァルトの残した名曲の中には、先輩の作品から素材を借用した、いわゆる「パクリ」作品があることは、よく知られています。著作権のない時代、別に悪いことではありませんし、そんなことだったら、バッハも、ハイドンも、ベートーヴェン、ブラームスもやっています。でも、現代の我々にとっては、オリジナルの作品を知らないので、天才が初めて作った作品と思っていたものが、「パクリ」だと知ったときは、ビミョーな感覚ですよね。先日、ミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』が、モーツァルトの『レクイエム』のオリジナルだったと知ったときも驚きでした。そのCDには、ミヒャエル・ハイドンの変ロ長調の交響曲も入っていて、こちらがモーツァルトの交響曲第29番とそっくりだったりして、これまたびっくりという感じでした。そして、そして、今回も大物の「パクリ」疑惑が発覚です。今回は、ヴァンハルの交響曲ニ長調D17。先日以来、すっかりヴァンハルにはまっているんですよね~。今回の、ヴァンハルの交響曲ニ長調D17の第1楽章は、な、なんと、モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』とそっくり。 また、ヴァンハルの作品カタログを作っているDr.ブライアンにいわせると、冒頭の部分は、モーツァルトの交響曲第36番『リンツ』の第2楽章のオリジナルだというのです。これは驚きでした。ヴァンハルの交響曲ニ長調D17の第1楽章は、全曲のニ長調という調性に反して、ニ短調、アンダンテ・モルトの導入部で始まります。このメロディー、そのまま長調に直すと、ヘ長調。あれま、確かに『リンツ』の第2楽章ではないですか オーケストレーションまでそっくり。そして、輝かしいアレグロ・モデラートになると、調性は違うものの、弦楽器のアインザッツや、トランペットとティンパニーの付点リズムなどが『ジュピター』の第1楽章にそっくり。提示部後半には、『ジュピター』の命名のもととなった、弦楽器の稲妻のようなグリッサンド(確か、このグリッサンドをシューマンが「ジュピターの愉快な稲妻」と評したんでしたよね。)も目白押しです。このグリッサンドを展開部で何度も繰り返すあたりも、まったく共通のコンセプト。これは、「パクリ」以外の何者でもないでしょ。と、考えて見ると…、『ジュピター』の前作で、ほぼ同時に作曲された有名な交響曲第40番は、かつてヴァンハルの名を世界的な有名にした交響曲と同じ、ト短調で書かれています。う~ん、もしかして、もしかしてですよ、モーツァルトの一対の交響曲、第40番と第41番『ジュピター』は、仲良しだった先輩作曲家、ヴァンハルへのオマージュとして書かれたんではないでしょうか。奇しくも、この時期、2人ともウィーンに住んで、ともに逆境に苦しんでいたわけですよね。何か、自分には、モーツァルトからヴァンハルへの、「ヴァンハルさんよぉ~、俺も辛いことあったけど、頑張ってるぜ。あんたも、また一緒に、シンフォニーやろうぜ!!」っていうメッセージを感じたような気がしています。真偽のほどはわかりませんけど。第2楽章では美しいオーボエのソロが活躍するこの交響曲ニ長調D17を、Dr.ブライアンは、ヴァンハルの交響曲中の最高傑作と評しています。自分も、ヴァンハルの作品全てを聴いたわけではありませんが、そう思います。モーツァルトやハイドンの作品に比べ、規模は小さいですが、内容ではまったくひけを取りません。これから、主要オーケストラの定番レパートリーとなってしかるべき作品だと思います。というか、そうしなければいけない! "must"、"have to"、いや、"should"、"strongly recomended!"かなぁ。 ぜひ聴いてみてください。 ヴァンハル 交響曲集Vol.1 NAXOS 8.554341 モーツァルト 交響曲集Vol.1 モーツァルト 交響曲集Vol.2ともに、カール・ベーム&VPOこれまでの音楽の記事は こちら
October 4, 2007
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久々に掘り出し物のCDを見つけました ヴァンハルの『スターバト・マーテル(悲しみの聖母)』(ORFEO324941)です。しかも、演奏者がスゴイ。指揮がヴァーツラフ・ノイマンです こんなCD、あったんですね~。ヴァンハルは、チェコ出身の作曲家。1739年生まれなので、モーツァルトより17歳年上。ヨーゼフ・ハイドンより7歳年下です。実は、この3人、かなり仲良しだったとのこと。一説には、当時ウィーンで活躍していた作曲家、ディッタースドルフを加えた4人で弦楽四重奏曲を演奏したこともあるんだそうです。すごいカルテットですね。誰がどのパートを弾いたんでしょうか?? ヴァンハルは、サリエリとも仲良しだったらしく、サリエリをウィーンに連れてきたのもヴァンハルだったとのことです。さらに、意外なことに、ヴァンハルは、サリエリとともに、ベートーヴェンの師匠だったといわれています。『スターバト・マーテル』というと、ロッシーニ、ドヴォルジャーク、ヴェルディなども作曲していますが、まず頭に浮かぶのは、ペルゴレージの作品です。ヴァンハルの作品はこれより50年近く後に書かれているんですが、ペルゴレージと同じヘ短調で開始するところや、ソプラノとメゾ・ソプラノのソロを用いているところなど、共通点も多いそうです。しかし、ペルゴレージはやはりバロックの響きですよね。ヴァンハルは、それとは一線を画す、ハイドンやモーツァルトの若い頃のような古典派の響きが感じられます。そして、ほの暗いヘ短調で開始する冒頭の合唱の美しさといったら 一瞬で音楽の中に引き込まれてしまいます。全曲は12の部分に分かれていますが、中には、いきいきとしたアリアや、華やかなコロラトゥーラ、合唱によるフーガなども盛り込まれ、非常に完成度の高い作品となっています。ヴァンハルは、若い頃、交響曲作家としてセンセーションを起こしたといわれています。しかし、パトロンとの金銭的なトラブルなどがきっかけで、うつ病のような状態となり、世間から引きこもり、以後、宗教音楽を中心に作曲するようになったといわれています。この『スターバト・マーテル』も、そのような経緯で作曲された宗教音楽の一つ。冒頭の部分などを聴くと、そんなヴァンハルの心境が伺われるような気がします。ヴァンハルはもともと、短調の作品を得意としていて、『シュトルム・ウント・ドラング』の代表的な作曲家ともいわれています。メランコリックな性格も大きく影響しているのかもしれませんね。実は、自分も少しだけ辛い思いをした期間があったので、今、とってもヴァンハルに親近感を覚えるんですよね。このCDの余白には、やはりヴァーツラフ・ノイマンの指揮で、ヴァンハルのニ長調の交響曲が1曲収められています。この交響曲、第3楽章のアレグロの後、壮麗なメヌエットで全曲を閉じるという変わった構成。トランペットが華やかに活躍して、祝祭的なふんいきが感じられ、それでいて、ホッとさせるような自然さと素朴さを持った作品です。オペラでいえば、グルックの作品のような存在感とテクスチャー。とてもいいですね。 巨匠、ヴァーツラフ・ノイマンは、若い頃からチェコ出身の作曲家を積極的に取り上げています。ヴァンハルの作品も、1970年代からチェコ・フィルを指揮して録音したりしているようです。この『スターバト・マーテル』と同じ時期に、やはりヴァンハルの『ミサ・ソレムニス』(ORFEO353951)も録音しています。こちらも、とってもいい演奏でしたよ。ペルゴレージ『スターバト・マーテル』 ロッシーニ『スターバト・マーテル』 ヴェルディ『スターバト・マーテル(聖歌四篇より)』 ドヴォルジャーク『スターバト・マーテル』これまでの音楽の記事は こちら
September 29, 2007
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昨日は、一昨日に引き続き、『パレルモ・マッシモ劇場』の公演を聴いてきました。 昨日の演目は、マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』と、レオンカヴァルロの『道化師』。『カヴァレリア・ルスティカーナ』も、シチリアを舞台にした演目、しかも、実際にあった話をもとに作られていて、主人公たちの住んでいた家や、居酒屋などがそのまま残っているということ。日頃、物語を身近に感じる環境で演奏している彼らが、どんな演奏を聴かせてくれるのか、とても楽しみですよね。しかも、指揮は、シチリア出身の巨匠、マウリツィオ・アレーナです。アレーナは、1935年生まれということなので、今年で72歳! しかし、72歳とは思えないエネルギッシュな指揮ぶりでした。とくに、『道化師』は、後半で乗ってきたためか、もともと好きな作品なのか、身振りも激しく、迫真の演奏でした。最近でも、各地のオペラハウスで活躍中で、アレーナ・ディ・ヴェローナなどにも登場しています。アレーナ・ディ・ヴェローナでの、『蝶々夫人』や、『ナブッコ』のDVDでも指揮をしていますね。それにしても、70歳を越えても、この気迫! ホント、カッコいいですよね。アレーナの指揮は、一昨日のランザーニとは違って、いかにも巨匠らしい、線の太い音楽を作り出していました。アレーナの指揮を聴いた後で、ランザーニの指揮を思い出してみると、ランザーニの場合、細部まで非常に緻密に計算されたバランスが設定されていたように思います。とてもよくコントロールされていた感じ。しかし、アレーナの指揮では、合唱も、パーカッションもボリューム全開。もちろん、ソリストも、どんどん彼のペースにはまりこんで、壮絶な歌唱を聴かせていました。『道化師』で、ネッダが殺される直前の、カニオとのやりとりなどは、本当に壮絶でしたよ。一昨日の『シチリアの夕べの祈り』で、圧倒的だった舞台装置。今回はどんな演出になっているのか、開演前からすごく楽しみでした。 『カヴァレリア・ルスティカーナ』の幕があくと、透けるカーテン越しに、巨大な階段と、提灯を模したライトで十字架が浮かびあがりました。この階段は、『道化師』でも、ちょっとふんいきを替えて登場。こちらでは、客席の役割を果たしていました。『カヴァレリア・ルスティカーナ』で、復活祭の情景が描かれていくなか、キリストと聖母マリアの御輿なども登場、とてもゴージャスなセットです。演出ノートによると、『カヴァレリア・ルスティカーナ』は黒を基調にした舞台、『道化師』は共通の素材を使いながらも、白を基調にした舞台になっているんだそうです。復活祭の模様や、女性たちの華やか衣装と、ヒロインの衣装などに使われた黒、劇団の小道具の華やかな色彩と、主人公の顔のおしろいや、舞台背景や衣装にさりげなくさしはさまれた白といったコントラストも見事でした。世の中のお祭り騒ぎとは隔絶された、一人の人間としての苦しみ、というんでしょうか。何か、とっても哲学的でさえありました。今回も、『衣装を付けろ』など、有名なアリアの部分で、会場からすすり泣きが聞こえていました。今回は、女性よりも、男性が泣いている方が多かったようです。美しい女性を巡って、男が、決闘したり、殺人を犯したり…。男のロマンをくすぐるところがあるんでしょうね。 『蝶々夫人』 『ナブッコ』これまでの音楽の記事は こちら
July 2, 2007
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昨日は、初来日の『パレルモ・マッシモ劇場』の公演を聴いてきました。 演目は、ヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』。シチリアの劇場による、シチリアにゆかりのある演目、これは観るしかないでしょ!そもそも、『シチリア島の夕べの祈り』は、とても有名な序曲以外は、めったに演奏されない作品なんです。日本で上演されるのは、びわ湖ホール プロデュースオペラで、若杉弘さんの指揮で日本初演されて以来、2度目なんだとか。思うに、ヒロインのエレナ公女の役が難しすぎるのと、ストーリーが二転三転して複雑、そして、エンディングが、フランス人大虐殺という、あまりに唐突で虚しい結果…、そんなことから上演回数が少ないんでしょうかね~。でも、美しい音楽に満ちた、すばらしい作品。今回、ミラノ・スカラ座のDVDや、マリア・カラスが歌ったエーリヒ・クライバー指揮の全曲盤CDで予習して、もうすっかりメロメロにハマッた状態で聴きにいきました。今回の上演、幕が開くと、キラキラ輝く青い海がバック全体に現れ、ビザンチン様式の、中世風の巨大なアーチが配置され、その美しさに、会場から思わずため息がもれていました。中世風のアーチは、それぞれの幕でデザインを替えて登場。最後の幕では、キリストの肖像の書かれた巨大な壁も加わり、本当に圧倒的でした。シチリアというところは、ローマ帝国や、アラブ、スペインなどの統治も受けた時代もあったため、こうした独自の文化があるんですね。そうした独自の文化をド~ンとぶつけてきて、我々を圧倒するあたり、沖縄(もとの琉球王国)の持つ誇りと伝統なんかとも共通するのかぁ、なんて、勝手に考えていました。この劇場の演奏、聴くのは今回がまったく初めてだったんですが、演奏も実にすばらしいものでした。序曲から、オーケストラがすばらしい! 特に、弦楽セクションは、明らかにスカラ座より上です。ニュアンスのある、とても音楽的な表現。アリアの伴奏でも、役の心情にぴったり寄り添って、ものすごく音楽的な演奏です。そして、合唱もすばらしくうまい! 明るめの音色で、圧倒的なパワーと、見事なアンサンブルを聴かせてくれました。オペラを知り尽くしたランザーニの指揮は、ホント、見事なものでした。キャストでは、ヒロインのニッツァがやや重く、暗い印象がありますが、役柄もありますし、何しろ、彼女自身、「役になりきっているとき、私自身も生きるか死ぬかの苦しみを味わっている」といっているくらいですから、その迫真の演技には、心を打たれるものがありました。総督モンフォルテの暗殺に失敗した場面や、死刑に処せられそうな場面では、会場からすすり泣く声が聞こえていました。テノールのヴェントレも、ヌケのいい、美しい声で拍手喝采でした。モンフォルテ役のアガーケとの緊張感ある二重唱はとても印象的でした。全身から力が抜けるような悲劇的な結末を迎え、なかなか席が立てないでいるお客さんも少なくなったようです。自分も、終演後、ガックリ力が抜けて、ドッと疲れが襲ってきましたよ。ホント、ものすごいパワーの凝縮された作品ですね。今日は、巨匠アレーナの指揮で、『カヴァレリア・ルスティカーナ』と『道化師』です。これもまた楽しみ。 『シチリア島の夕べの祈り』 ムーティ ミラノ・スカラ座これまでの音楽の記事は こちら
July 1, 2007
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今日は、紀尾井ホールで、古川泰子さんのピアノ・リサイタルがありました。ちょっとだけおしゃれに、アスコット・タイなんかをして、出かけて参りました(右の写真:開演前、ホワイエのモニターに映るステージをバックに1枚。)。まずは、モ-ツァルトの『きらきら星変奏曲』、正しくは、『「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲ハ長調 K.265』です。誰もが、子供のころから親しんでいるこの曲、古川さんは、思索的なゆっくりとしたテンポで弾き始めました。何か、別の曲を聴いているのではないかと思うくらい、豊かで、広がりのある表現、そして、ブリリアントな速いパッセージ! 自分は、この曲、ピアノを教えている生徒さん、それも、年少の生徒さんのために弾くのかなぁ、くらいに考えていたので、こんなに「聴かせる音楽」に磨きあげられているとは、実は予想だにしなかったわけです。しかし、いわゆる『きらきら星』の、あのシンプルなメロディーゆえに、変幻自在の変奏が施されているこの曲、弾き方によっては、これほどまでの表現になるのだなぁ、と冒頭から本当に感動しました。もし、モーツァルトを現代に連れてくることができたら、「あんなシンプルなメロディーから、これだけの音楽を作った俺って、すごい~??」って、ウインクしながら、古川さんとハイタッチしているに違いありません。これまでもお知らせしていたように、今年のメインは、グラナドスです。自分にとって、これまであまり接する機会がなかったものの、今回の予習ですっかり虜になってしまった感じ。期待で、胸ワクワクです。 「人間の腕は、右と左の2本しかないのに、この曲ったら、楽譜が3段になってるんだけど! どうするべき~??」っていうくらい難しい曲ですが、古川さんは、原色的な色彩、恋愛にまつわる濃密なかけひき的な表現、レースの裾が翻るような、あでやかな装飾音などを、見事に、熱~く描き出していました。そして、何より、古川さんのファンが待ち望んでいる、あの重心の低い響きが炸裂! 続いて演奏されたリストもそうでしたが、ホールが丸ごと共鳴して響いているような迫力のあるサウンドで、場内が満たされていました。こういう響き、なかなか聴けるもんじゃないと思うんですよ。グラナドスの3曲で、最後に演奏された『わら人形』などは、本当は、もっと軽いタッチの曲だと思うんですが、本当に重量感たっぷりで、壮絶な響きでした。通常の演奏だと、確かに、若い女性が4人くらいで、わら人形をポンポン投げて遊んでいるという、ちょっとしたおふざけ的なニュアンスを感じさせる曲だと思うんですが、今回の古川さんの『わら人形』は、生身の人間が、バンジー・ジャンプを飛んでいるというくらいの高低差と、重量感、加速度、そして、爽快感を感じました。最後の曲は、リスト『スペイン狂詩曲』。この曲も、きわめて高度なテクニックを要する作品で、グラナドスと同様、スペインの風物を題材にした作品ですが、そこは、ネイティブなグラナドスと、ハンガリー生まれのリスト、グラナドスの色彩的な華やかさとは両極端で、内側に向かって、どんどん凝縮していくような複雑さがあって、この違いがとてもおもしろかったですよ。この凝縮感というか、音の塊り具合が、古川さんのピアノで見事に伝わってきたような気がしました。それにしても、リストを弾く古川さん、カッコよかったですよ~。冒頭のところなど、見事に、ズバッとキマッたって感じでしたし、スペインにゆかりのあるメロディーが展開されていく部分のスリルも最高、後半の盛り上げもすばらしかったです。来年は、何にチャレンジされるんでしょうか?? 今から楽しみですね。 モーツァルト時代のピアノで聴く『きらきら星変奏曲』ほかこれまでの音楽の記事は こちら
June 10, 2007
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今日の沖縄は、梅雨の晴れ間。明るい日差しが注いで、とってもいい天気。昨日ほど湿度も高くなく、さわやかです。もうすぐ6月。6月10日の古川泰子さんのピアノ・リサイタルも近づいて来ました。今回のメインは、グラナドス。スペインの作曲家です。『ゴイェスカス』などの作品が有名ですが、実は、自分は、何度かは聴いたことはあっても、あまりのめり込んで聴いたことはない作曲家でした。ということで、今回は、まず、楽譜と、アリシア・デ・ラローチャのCD、それに、上原由記音さんの『粋と情熱 スペイン・ピアノ作品への招待』という本も購入して予習です。ラローチャは、グラナドスの愛弟子マーシャルから教えを受け、マーシャル音楽院の学長も勤めている、本家本元。『ゴイェスカス』は、どうやって弾くんだろうと思うような、超難曲ですが、さすがに、目の覚めるようなすばらしい演奏です。そういえば…、何もラローチャのCD買わなくとも、もっと本家本元、グラナドス自身が演奏したCDがあったかも、と思って、物置部屋をゴソゴソしたところ、ありました! コンドン・コレクションのCD。コンドン・コレクションとは、いわゆる自動演奏ピアノである『ピアノ・ロール』のために残された演奏記録を集めたもの。当時、名ピアニストとしても知られていたグラナドスは、1908年から1916年にかけて、かなりの数の「録音」を残しているようです。もちろん、『ゴイェスカス』の第1部も残されていました。これを、再生装置で再生し、CDに録音したものが、このCDです。現在は、分売で販売されているようですが、自分のは、32枚組の全集版です。 2つの録音、聴き比べてみると、ほとばしる情熱から、装飾音の細部の繊細な表情まで、すこしのごまかしもなく、見事に描ききったラローチャ盤に対して、グラナドスの演奏は、作曲者自作自演ならではの、表情豊かで、自在な演奏とでもいうんでしょうか。基本は、ラローチャよりはやや遅めのテンポで、ルバートを巧みにいかしながら、ときにネットリと情感を表現していきます。いずれにしても、めくるめくスペインの情熱! 連綿と散りばめられた装飾音は、時には、ギターをつま弾く響きとなり、時には、女性がレースのついたスカートを翻して踊る様子となります。その中に流れる、開放的で明るいメロディー。あ~、スペインだぁ。すばらしいですね~。ついつい、スペインの南国の日差しを思い浮かべてしまいます。ところで、話はそれますが、今日の沖縄の日差しは、やはり南国的。湿度の違いこそあれ、どこか、スペイン音楽とマッチするふんいきがあります。こんなとき、やっぱり沖縄に来てよかったぁと思います。この『ゴイェスカス』、テーマは、愛と苦しみ、人生と死、きっとそんな感じです。いたるところに、満たされない切なさ、口説き口説かれる男女の間の緊張感みたいな感覚が織り込まれているんですよね。たまらなくセクシーです。もう、完全に洗脳されました。粋と情熱 スペイン・ピアノ作品への招待 グラナドス 自作自演集これまでの音楽の記事は こちら
May 30, 2007
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今夜は、うるま市民芸術劇場・響ホールで、名ピアニスト、イェルク・デームスによる『ベートーヴェンの夕べ』が開催されたので、聴いてきました。 日中、那覇で用事があったんですが、その後、急いでうるま市に向かいました。響ホールは何しろ遠いので、聴きに行くのもちょっと一苦労です。でも、今年78歳を迎える、大ピアニストの演奏を、しかも、沖縄で聴けるチャンスはめったにないので、ここは聴きに行くしかありませんよね。今夜のプログラムは、オール・ベートーヴェン・プロ。しかも、ソナタ第1番から始まって、最後の作品となった第32番で終わるという、総括的な選曲。期待が膨らみます。演奏は、ソナタ第1番の第2楽章あたりから、美しい豊かな音色に引き込まれました。続く、『月光』ソナタの第1楽章は、和声の変化を一つ一つ丁寧に描き分けていくような、味わい深い演奏。本当に感動的でした。そして、何といってもすばらしかったのは、最後の第32番。冒頭から激しいタッチ。入魂の演奏です。第2楽章の長大な『アリエッタ』では、あたかも、ベートーヴェンが、死後、天国へと昇っていき、神様の愛に包まれているような幻想を思い起こさせる演奏で、聴いていて、涙が出そうでした。78歳を迎えたデームスさんは、この曲、どんな思いで演奏されていたんでしょうね。モーツァルト:ピアノ四重奏曲デームス、ウィーン室内合奏団 シューマン:ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲デームス、バリリ弦楽四重奏団これまでの音楽の記事は こちら
April 18, 2007
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ピアニストの古川泰子さんの、今年のピアノ・リサイタルの案内が届きました! 3月には、つくば市でもリサイタルを開催され、大好評だったとのこと。これからも、どんどん活躍の場が広がりそうですね。今回のプログラムの中心は、スペインの作曲家、グラナドスの組曲『ゴイェスカス』。なかでも、1曲目の『愛の表示』に強いインスピレーションを感じて、取り上げることにされたんだそうですよ。古川さんの「スペインもの」というと、もう何年も前に聴いた、ファリャの『火祭りの踊り』の鮮烈な印象が忘れられません。今回も、どんな演奏になるのか、今からとても楽しみですね。古川さんのプロフィールetcは、昨年の日記をごらんください。古川泰子 第14回ピアノ・リサイタル2007年6月10日(日) 14:00~ 紀尾井ホール(東京・四谷)プログラムモーツァルト:きらきら星変奏曲ベートーヴェン:ピアノソナタ第18番変ホ長調op.31-3グラナドス:組曲『ゴイェスカス』から 『愛の表示』、『嘆き、または、マハと夜うぐいす』 『わら人形』リスト:スペイン狂詩曲主催:アルページュ 後援:日本ベーゼンドルファー紀尾井ホールチケットセンター:03-3237-0061これまでの音楽の記事は こちら
April 6, 2007
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今日は、沖縄芸術大学のみなさんを中心に結成されている、弦楽アンサンブル、アンサンブル響の第3回定期演奏会が、那覇久茂地のパレット市民劇場で行われたので、聴きに行ってきました。曲目は、モーツァルトの『ディヴェルティメント K.137』と、ドヴォルザークの『弦楽セレナード』のほかに、オリジナル・アレンジによるジャズのナンバーでした。ジャズのセッションでは、メンバーの方は、みな、アフロのカツラを被って登場です。会場内からは、笑いと拍手が。 そして、指揮者の大勝秀也さんはというと、顔全体、黒塗りです!! すごい~! そこまでやりますかぁ~って感じ。大勝さん一流のサービス精神ですね。きっと、このキャラクターが、海外でも愛されているんだろうなぁ、なんて思いました。やっぱり、沖縄は、ジャズですね~。ジャズ専門のミュージシャンの方々も参加されていたとはいえ、コンサート・マスターの金城さんのソロも、すっごくイケてましたよぉ~。 コンサート会場にいるのを忘れて、「泡盛か、シングル・モルト、持ってきて!」っていいたくなるくらいでした。ドヴォルザークの弦楽セレナードの後、バッハの『管弦楽組曲第3番』から『アリア』(いわゆる、『G線上のアリア』)が演奏されましたが、これが、とってもすばらしい演奏でした。余計なものを削ぎ落としたようなシンプルな楽譜から、これだけ心に強く訴えかける音楽が響くんだなぁ、と思いながら、自分の生き方、コンセプトについても、深く考えさせられるものがありましたよ。アンサンブル響の今後の公演5月3日 モーツァルト:『フィガロの結婚』(抜粋)9月1日 モーツァルト:『魔笛』 ともに、久茂地・パレット市民劇場 電話:(098)869-4880また、大勝さんのカツラ姿が見られるかも!?モーツァルト:ディヴェルティメント ドヴォルザーク:弦楽セレナードこれは珍しい! ドヴォルザーク&チャイコフスキー:弦楽セレナード作曲者自身によるピアノ連弾用編曲版(世界初録音)これまでの音楽の記事は こちら
March 14, 2007
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最近、というか、今月~来月いっぱい、ホントに忙しいんです。パソコンに向かっている時間も長いんです。そんな今日このごろ、BGMで聴いているのが、WCPE。アメリカの、クラシック専門のFM局ですが、インターネットで聴くことができるんです。Today's Musicをみると、結構おもしろい曲目をやってるんですよ。最近聴いたので、良かったのは、ケーゲルが指揮した、モーツァルトの『ミサ・ブレヴィス K.275』や、ジョン・ベイレスの弾いた、プッチーニの『トゥーランドット』のピアノ編曲版などです。どちらも、仕事しながら、ゾクゾクするほど感動しちゃいましたよ。他にも、サリエリの『フルートとオーボエのための協奏曲』とか、フィビヒの『交響曲第2番』など、マニアックな曲目も放送されます。隠れた名曲との思わぬ出会いがあるかもしれませんよ。「欧米」で、しかも、クラシック専門局なのに、ミョ~にニヤけたお姉さんのアナウンスも、なんとなく不思議な魅力。 結構ダラダラやってますって感じ。フレンドリーといえば、そうかもしれないけど…、なんなんだろ。 モーツァルト:ミサ曲集 ケーゲル プッチーニ・アルバム ベイレスこれまでの音楽の記事は こちら
February 20, 2007
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今日は、東京オペラシティで、マゼール&ニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートを聴いてきました。プログラムは、ヴェルディの歌劇『シチリア島の夕べの祈り』序曲、チャイコフスキーの『ロココ風の主題による変奏曲』と、ショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調『革命』でした。ここのところのブロードキャストでも、マゼールとのコンビの良さがひしひしと伝わってくるニューヨーク・フィル。聴く前から、期待でワクワクです。 しかも、今回は、な、なんと、最前列の右側の席。第2ヴァイオリン越しに、コントラバスと、チューバ、トロンボーンなんかが並んでいます。バランスは悪いですが、すごい音が聞けそう。 コンサートが始まると、最初の『シチリア島の夕べの祈り』から、ニューヨーク・フィルのパワー炸裂です。特に金管楽器の豪快さはすごかったですね。マゼールは、こういったノリのいい曲の盛り上げ方、とっても上手いですよね。 とってもベーシックで、シンプルな指揮なんですが、ポイント、ポイントの指示が上手いんでしょうか?最も期待をしていたのは、やっぱり、ショスタコーヴィチです。先日まで、この曲の定期公演での録音がブロードキャストでも流れていたので、お聴きになった方もいるんではないでしょうか。マゼールが、この曲を、実際にどんな風に指揮しているのかと、とっても楽しみにしていたんですよね。マゼールの指揮の動作は、この曲でも、いたってベーシックで、シンプル。指先まで使って、細かく指示を出すゲルギエフのようなタイプとはまったく違う芸風ですよね。しかし、オーケストラは、マゼールの思い通りに、実に雄弁に、かつ、繊細に演奏するんです。巨匠中の巨匠とは、このことですね。今回のショスタコーヴィチ、迫力もすごかったですが、不安なムードの漂うシーンなんかは、映画音楽的なリアルさが印象的でした。それに、ノスタルジックな旋律や、感傷的なモチーフは、とっても繊細で美しく演奏されていて、ショスタコーヴィチの新しい一面を見せられたような気がしましたよ。これまでの音楽の記事は こちら ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調『革命』ほか
November 11, 2006
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夕べは、うるま市の『うるま市民芸術劇場響ホール』で、『アンサンブル響(ひびき) 2nd Concert 「響」Sound of Strings』を聴いてきました。指揮は、沖縄県立芸術大学助教授の大勝 秀也さん。実は、先日の『泡盛“楽”』の講義でお世話になった、沖縄大学の奥山先生の娘さんが、ビオラを弾いていたんです。以前に行った、『シュガーホール』も素敵なホールでしたが、今回の『響きホール』もとってもいいホールですね。音質を重視した細長い箱形のホールで、波を象ったような壁面の装飾なんかも、とってもおしゃれな感じでした。指揮の大勝さんが、オペラに造詣が深いからか、ロマンティックなオペラのナンバーの方がウチナンチュのフィーリングに合うのか、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲や、荒川静香でおなじみの『トゥーランドット』の『誰も寝てはならぬ』などは、いきいきとした表現で、すばらしかったです。それから、モーツァルトのソナタの『トルコ行進曲』を弦楽アンサンブルで弾くと…、といった楽しい企画もありましたよ。 これ、とっても新鮮な響きでした。でも、ちょっと寂しい。そうそう、『ピツィカート・ポルカ』で登場した打楽器の人に、トライアングルとかで参加してもらったらよかったと思いましたョ。モーツァルト自身『後宮からの誘拐』などで、シンバルやトライアングルを入れてるじゃないですか。あんな感じで。この日の最後のプログラムは、偶然にも、『シュガーホール』でも聴いた、チャイコフスキーの『弦楽セレナード』。第3楽章は、優しい表情で始まっておきながら、途中で奈落の底に落とされるような、壮絶な音楽ですよね。この日の演奏も、ここの部分、入魂の響きが聴けたような気がしました。これまでの音楽の記事は こちらモーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」チャイコフスキー:交響曲第4番&弦楽セレナード
October 28, 2006
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最近聴いた超マニアックな音楽、『イエス・キリストの受難』。原題は、『ラ・パシオーネ・ディ・ノストロ・シニョーレ・ジェズ・クリスト(La Passione Di Nostro Signore Gesu Cristo)』 舌噛みそうです。 クリスチャンでもないっていうのに、自分のあまりの宗教音楽ファンぶりに、周りの人は、すっかりあきれ果てているようです。これ、メタスタージオの台本に作曲した、いわばオラトリオです。同じ台本に、パイジェッロ、ヨメッリ、カルダーラなどの作曲家も作曲しているんだそうですよ。ってことは、聞き比べができるわけですよね。サリエリといば、映画『アマデウス』でモーツァルトを暗殺してしまう悪名高い?作曲家ですよね。 実際は、暗殺はしていないのではという話ですけどね。でも、そのサリエリがどんな作品を書いていたのかは、興味が尽きないでしょ?聴いてみると、今回の、サリエリとミスリベチェクの作品、実は、とっても対照的。洗練された技巧で、シャープで確信犯的、ちょっとモーツァルト風のミスリベチェクと、壮大なモティーフを次々と繰り出すサリエリ。ベートーヴェンが、モーツァルトの弟子ではなく、サリエリの弟子だったというのも、とっても頷ける話です。 サリエリ『イエス・キリストの受難』 ミスリベチェク『イエス・キリストの受難』これまでの音楽の記事は こちら
July 14, 2006
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ただいまネットで公開中のニューヨーク・フィル定期公演のWebcastは、マゼール指揮のマーラーの『巨人』です。これが、ものすごい演奏になってます マゼールの『巨人』、彼の情熱が炸裂してしまったときの演奏は、凄まじいものがありますね。特に、フィナーレ。以前、ウィーン・フィルとのライブ(FMで放送されたもの)で、自在にテンポを変化させ、弦を「まるで戦前の巨匠の演奏!?」と思うくらい連綿と歌わせて、しかも、エンディングでは、とんでもない程の高揚まで登り詰めた忘れがたい名演を聴いたことがありました。以降、マゼールの『巨人』は、自分にとってスペシャルな印象があるんですよね。ところが、ところがです マゼールの『巨人』のCDが出るたびとか、ライブが放送されるごとに聴いてみても、そのときのような高揚感まではたどり着いていないことがあって、というより、すごく大人しく終わっちゃってることの方が多く、「おいおい、マゼール、どうしたんだよ。」と、つぶやいておりました。今回は、そんな自分の期待にバッチリ応えてくれる演奏でしたよ。前半に演奏した、ベルリオーズの『イタリアのハロルド』がよかったのかも。気取らずに、ガンガン技を仕掛けて、実に鮮やかな演奏になっています。ここでのニューヨーク・フィルのレスポンスの良さに、マゼールも、「これなら行ける!」と、【マゼール節】を炸裂させたのでは? というのが、自分の勝手な「読み」です。ぜひ、聴いてみてくださいね。これまでの音楽の記事は こちら マーラー:交響曲第1番『巨人』
July 9, 2006
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昨日は、東京の紀尾井ホールで、古川泰子さんの第13回ピアノリサイタルを聴いてきました。(右の写真、角度のせいで、自分の方が古川さんより大きく映っちゃってますね。古川さん、ごめんなさい!)曲目は、ベートーヴェンの『創作主題による32の変奏曲』と、ピアノソナタニ長調Op.28『田園』と、ショパンのノクターン2曲、最後に、ラフマニノフのピアノソナタ第2番変ロ短調。今回も、古川さんは、冒頭からすごい気迫。『32の変奏曲』では、分厚いハーモニー、激しいアタックで、あのパワフルな演奏が炸裂です。ここのところ、『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2006』などで、「ソースというよりは、しょうゆ」、「赤ワインというよりは白ワイン」、といった感じの演奏が多かったので、久々の「赤ワイン」、しかも、「ブルゴーニュというよりもボルドー」といった感じの演奏は、たまらなくうれしかったですね。続く『田園』ソナタでは、ダイナミックなだけではなく、おおらかな歌、自然を愛するベートーヴェンの優しさが見事に表現されていて、聴いていて、牧場を吹くそよ風すら感じるくらい豊かなニュアンス。本当に素敵な演奏でしたヨ。最後のラフマニノフは、あまり聴いたことのなかった作品でしたが、ものすごい難曲 そして、熱い作品ですね~。濃厚なロマンティシズムには、圧倒されました。今回のリサイタルのパンフレットには、古川さん自身が書いた曲目解説が掲載されていました。演奏家の方がどんな風に感じて演奏されているのかを知ることができるのは、とってもいいことですね。「ああ、なるほど。ここはこういう風に弾きたかったんだぁ。」という発見がいっぱいでしたヨ。機会があったら、ぜひ沖縄にも弾きに来てくださいね。これまでの音楽の記事は こちら
June 19, 2006
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共同通信によると、指揮者の岩城宏之さんが、心不全のために亡くなったんだそうですね。具合が悪いといううわさは聞いてましたが、こんなに早く亡くなってしまうとは。ご冥福をお祈りします。岩城宏之さんといえば、日本の指揮者のなかでも、いち早くウィーン・フィルの指揮台に登場し、日本にも優れた指揮者がたくさんいるということを、世界にアピールしてくれた日本の音楽界の大恩人です。岩城さんの著書、『フィルハーモニーの風景』には、ウィーン・フィルでベルリオーズの『幻想交響曲』だったか?を指揮したとき、ウィーンの老紳士がやってきて、「あなたは、いつもこんなモダンな音楽を指揮しているのか?」っていわれて、「『幻想交響曲』ってモダンなのかぁ??」みたいな話が載っていたような気がします。岩城さんは、もともと、打楽器出身なんだそうですね。なので、「リズミカルな音楽は得意なんだけれども、古典派の音楽はずっと苦手だったんだよね~。」といった話をされていたのを、懐かしく思い出します。これまでの音楽の記事は こちら 岩城宏之著『フィルハーモニーの風景』 ベートーヴェンの1番から9番までを一晩で振るマラソン
June 13, 2006
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ここのところ、ノイコムの『レクイエム』のCDを聴いています。「ノイコム?? 何か、新しいIT企業みたいな名前。 何か、奇抜なテクノ系の音楽??」と思いきや、1778年、ザルツブルク生まれ。モーツァルトの後輩なんです。1814年、ルイ16世の死を悼んで、各国の王侯貴族の列席で演奏されたというこの作品。残念ながら、オーケストラの譜面は失われてしまっているそうですが、厳粛で、高度に洗練されたすばらしい作品です。そのまま聴いていてもいいのですが、ここはこういったオーケストレーションになっていたのかなぁ、などと、勝手に想像しながら聴いても楽しいんです。楽譜が手に入るんだったら、オーケストラ用に編曲とかしちゃいたいくらいです。どうして、そんなにノイコムにハマッちゃったかというと、きっかけは、マルゴワールのモーツァルトの『レクイエム』のCDです。実は、先日行われた、『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2006』で、モーツァルトの『レクイエム』や、ミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』なんかを聴くための、予習用に買ったCDのうちの1枚なんです。これ、ノイコムが補筆し、最後に『リベラ・メ』を付け加えた『1819年リオ・デ・ジャネイロ版』による演奏。世界初演のライブ録音なんだそうですョ。 ノイコムの『リベラ・メ』は、モーツァルトの作曲した部分を引用したり、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』っぽいテクスチャーなども見せることによって、それ以前の部分との調和を図ろうとした形跡も見えるほか、ノイコムが、ミヒャエル・ハイドンやモーツァルトと同じバックグラウンドを持った作曲家の1人であることを強く感じさせました。各方面では評判が悪いようですが、自分的には、この『リベラ・メ』自体単独のポテンシャルと完成度もなかなかのものと思いますよ。 モーツァルトの『レクイエム』は、繰り返し演奏されていて、我々の耳にも染み込んでいるので、一見、違和感がないように思えますが、生まれて初めてモーツァルトの『レクイエム』を聴いたとき、何とも表現しがたい異様な感触を感じはしなかったでしょうか? それは、この作品が未完成で、弟子による補筆がなされたという以外の部分にも由来しているように、自分には思えます。ノイコムの『リベラ・メ』は、当然、モーツァルトの作品と同一のキャラクターということは不可能としても、ノイコムなりに、そこへ近づこうとした、なかなかの力作と評価してあげたいと思います。仮に、ジュスマイヤーでなく、ノイコムが最初にモーツァルトの『レクイエム』の補作を担当していたら、また違った形のものができていたに違いないと思いました。これまでの音楽の記事は こちら ノイコム:『レクイエム』 エディット・マティス(S)イェルク・エーヴァルト・デーラー指揮草津アカデミー合唱団 25CM555 モーツァルト:『レクイエム』1819年リオ・デ・ジャネイロ版(ノイコムの『リベラ・メ』付き) ジャン・クロード・マルゴワール指揮ラ・グランド・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ K617180
June 10, 2006
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今日は、南城市文化センター・シュガーホールで開催された、『ウィーン弦楽ゾリステン』のコンサートに行ってきました。これは、『ウィーン弦楽ゾリステン・ジャパンツアー2006』の一環で、「南城市誕生・うるま市誕生1周年記念合同企画」なんだそうです。実は、自分は、シュガーホールでコンサートを聴くのは初めて。木の質感を活かした、素敵なホールですね。響きもとってもいいみたいですよ。ウィーン弦楽ゾリステンは、1974年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーを中心に結成されたアンサンブル。ウィーン・フィルのコンサート・マスターで、リーダーのライナー・ホーネックさんを中心に、これまで世界中の賞賛を浴びてきました。自分も、これまで、何度か、実家近くの益子町民会館でコンサートを聴かせていただいていましたが、ホーネックさんが多忙となったため、現メンバーでの来日公演は、今回が最後になってしまうんだそうです。残念ですね。今回のプログラムは、モーツァルト: ディヴェルティメント 変ロ長調K.137 セレナード ト長調 K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』チャイコフスキー : 弦楽セレナード ハ長調ヨハン・シュトラウス2世: ペルシャ行進曲レハール: ワルツ『金と銀』モーツァルトの『アイネ・クライネ』あたりから、ミニ・ウィーン・フィルといってもいいような、しなやかさとチャーミングさが全開です。 音色の美しさと、一糸乱れぬアンサンブル、そして、音楽が体に深く刻まれているからこその、圧倒的な説得力に、うっとり。そして、チャイコフスキーの『弦楽セレナード』 すばらしい演奏でした。特に第3楽章 実は、第3楽章は、他の楽章よりテンションが下がるので、ノリのいい音楽が好きな自分としては、いつもまじめに聞いてないんですよね。 ところが、今回、この楽章が表現したい本当の意味みたいなものが、やっとわかったような気がします。静かに、沈み気味に始まるこの楽章。中間部では、次第に高揚し、夢中になって、絶唱するようなクライマックスを迎えます。そして、ふたたび、冒頭の沈んだふんいき。突然に訪れる寂しさ、抑鬱、無力感…。コントラバスが、不安、死の影を暗示します。この部分、交響曲第6番『悲愴』の終楽章なんかと近いニュアンスを感じました。今まで、まじめに聴いてなかったから、こんなこと意識しなかったなぁ…。切れ目なく演奏される終楽章は、とっても快活な音楽ですが、あの第3楽章のあとでは、それまでの寂しさ、抑鬱、不安、死の影が現実なのか、終楽章の浮ついた空騒ぎが現実なのか、もう見分けがつかない感じです。う~ん、チャイコフスキーの『弦楽セレナード』って、とってもシュールな作品だったんですね。泣きそうでした。 というわけで、この音楽が、こんなに感慨深かったのは、今回が初めてかな。 そして、第3楽章中間部のクライマックスでの絶唱が、このコンサート自体のクライマックスだったような気もしてなりません。それ以降の部分は、お家へ帰るための、あるいは、現実へ戻るためのクール・ダウンって感じ今回のコンサートでは、アンコールに、ヨゼフ・シュトラウスのポルカだけでなく、沖縄民謡の『てぃんさぐの花』や『芭蕉布』を演奏してくれました。どんな曲でもすばらしく美しく演奏しちゃうんですね。会場のみなさんも、大満足だったようですよ。終演後は、「お約束」のサイン会&握手会。毎年だけどな、とは思いましたが、今年もCD買って、サインいただいちゃいました。 ウィーン弦楽ゾリステン ディスコグラフィー ドヴォルザーク : 弦楽セレナード ホ長調 op.22チャイコフスキー : 弦楽セレナード ハ長調 op.48FOCD3499 モーツァルト:セレナード ト長調 K.525 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』ディヴェルティメント ニ長調 K.136ディヴェルティメント 変ロ長調K.137ディヴェルティメント ヘ長調K.138FOCD3413 ヨハン&ヨゼフ・シュトラウス:ピチカート・ポルカヴォルフ:イタリアのセレナード ほかFOCD3285これまでの音楽の記事は こちら
June 7, 2006
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有名な作曲家、メンデルスゾーンのお姉さん、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの伝記、『もう一人のメンデルスゾーン』が出版されたそうです。山下 剛さんの力作。すばらしい本に仕上がっています。 本日、著者の山下 剛さんからお送りいただきましたョ(右の写真)。本文も読み応えありますが、貴重な写真や、年表、人名索引など、女性ゆえに歴史に名を残すことができなかった、天才音楽家の生涯を再発見する資料としても大変充実しています。山下さんによると、ファニーの才能は、有名な弟をしのぐものだったとか。実際はファニーの作品なのに、弟の作品として発表されたものもあるんだそうですよ。この本の発端にもなったのかもしれませんが、3年前に、ファニーの作品を集めたコンサートが開催されたんです。このときに、自分も聴きに伺っておりました。『ゲテモノ・クラシック』に、そのときのコメントなどがあるので、そのまま引用してみましょうね。 『ゲテモノ・クラシック』風に、バックもブラックにしてみます。 3年も前の文章なので、今の自分とはずいぶん感じが違いますね。 もしかして、昔の方が表現力は上 ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの夕べ (仙台) 2003年5月16日(金)19時開演 <= 大盛況のうちに終了! 仙台市青年文化センターコンサートホール (東京) 2003年6月1日(日)14時30分開演 <= 大盛況のうちに終了! ハーモニーホール(地下鉄中野坂上駅正面) 曲目;ピアノ四重奏曲変イ長調、『五月の夜』、『和音』、 『いったいなぜ薔薇たちはこんなに色あせているの』その他 出演;佐藤桂子さん、山下剛さん、その他のみなさん M'sコメント;ファニーは有名な作曲家フェリクスの姉。このコンサートは、ファニーの曲だけによって構成される、いわゆる『オール・ファニー・プログラム』! 企画された佐藤さんは「姉ファニーの才能はフェリクスに劣らないが、女性である為に正当に評価されなかった。男性中心の音楽史の陰にあったもう一つの流れに光をあてたい。」と語っていらっしゃいました。Masahideは6月1日の東京の公演にお邪魔させていただきました。多くの曲が本邦初演。最近ファニーに関する論文を発表された山下さんの解説で、ファニーの作曲の変遷や、ファニーの抱えていた苦悩などに思いを馳せつつ、ファニーの歌曲や、ピアノ曲、ピアノ四重奏曲を集中的に聴く、貴重な機会でした。 ファニーの作品の大半を占める歌曲は、メランコリックなふんいきを湛え、メロディー、伴奏とも、甘美で多彩な音型を自在に織り込んだ、当時のロマン派歌曲のなかでは、かなりオリジナリティーの強いもの。ピアノ曲などでも共通して感じられたことは、かなり音域が広く、ときに劇的な表現力を持っているということです。これは、弟の芸風にはないかもしれません。もしも、ファニーが管弦楽を用いて劇音楽などを書いていたら、すごいことになったかもしれませんね。ピアノ四重奏曲はファニーの初期の作品で、完成されたものではないそうですが、ピアノが華やかに活躍する、大変センスの良い作品でした。ヴィルトーゾたちが登場しはじめる時期に活躍したファニーですが、もし、彼女が本格的に活躍していたら、ピアノのヴィルトーゾの歴史も少し変わっていたかもしれません。 今回ファニーの作品を紹介された佐藤さんはじめ、演奏家のみなさんは、準備に相当の時間を費やされたそうです。佐藤さんは、「ファニーと親しくなるにはとても時間がかかった。」とおっしゃっていました。それだけあって、『竪琴弾きの歌』や『調和』などの歌曲の熱演は非常に感動的でした。最後にアンコールで、ファニーの死を悼んでフェリクスが作曲した弦楽四重奏曲第六番の第一楽章が演奏されました。すばらしい作品ですが、非常に難曲。今回の出演者の方々は、実に見事に演奏されていました。今後、ファニーやその他の女性作曲家の作品を取り上げた第二弾、第三弾を楽しみにしたいですね。 これまでの音楽の記事は こちら 山下 剛著『もう一人のメンデルスゾーン』 ファニー・メンデルスゾーン 歌曲集(CD) ファニー・メンデルスゾーン ピアノ作品集(楽譜)
June 2, 2006
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ここのところ、ニューヨーク・フィルのWebcastにハマりっぱなしです。オーケストラの定期公演を世界のどこからでも高音質で、しかもタダ(無料)で聴ける、なんてサービス、他にはなかなかないですよね。 先日のヴェンゲーロフ&ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチとか、ゲオルギュー&マゼールの『New Year's Eve Gala』に続いて、現在聴ける、内田光子さん&コリン・デイヴィスのモーツァルト&シベリウスも、とっても興味深い内容ですよ。今回は、演奏もさることながら、演奏に先立つインタビューがおもしろいです。特に、内田光子さん NHKなどのインタビューでも、「私、ウィーンでバックハウスは何度も聴きましたが、さっぱりいいとは思わなかった。」なんて過激な表現をされる彼女。今回は、モーツァルトのピアノ協奏曲第26番『戴冠式』と、この曲にワンダ・ランドフスカが付けたカデンツァについて、熱~く語っています。「この曲は、未完成とか批難されてきたけど、明晰な対位法がすばらしいし、コリン・デイヴィスのおかげでだんだんわかったんだけど、突然訪れる心の闇みたいなドラマがあるのよ。」みたいな感じ? (訳が間違ってたら、ごめんなさい…。)それにしても、内田さん、ほんとに表情豊かに、すごいテンションで語りますよね。協演のソプラノ、イソコスキも、リハーサルの段階から、内田さんのテンションに巻き込まれて、かなり上ずったみたいです。 このインタビューだけでも、聴く価値ありですよ。(英語がわからなくても、テンションだけでも楽しめます。) 内田さんのインタビューは、開始から24分のあたりです。ちなみに、ニューヨーク・フィルがモーツァルトのピアノ協奏曲第26番『戴冠式』を初めて演奏したとき、ソリストはワンダ・ランドフスカ、指揮はウィルヘルム・フルトヴェングラーだったんだそうです。これまでの音楽の記事は こちらモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番『戴冠式』・第27番 内田光子(P)モーツァルト:後期ピアノ協奏曲集(第20番~第27番) 内田光子(P)
May 31, 2006
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仲良くさせていただいている、ピアニストの古川泰子さんの第13回ピアノリサイタルが、6月18日(日)14:00から、紀尾井ホールで行われるそうです。去年は仕事が忙しくて、聴きに伺えなかったんですが、今年は何とか行きたいなぁ。曲目は、ベートーヴェンの『32の変奏曲』と、ピアノソナタ第15番『田園』、ショパンのノクターンop15-1&2、それに、ラフマニノフのピアノソナタ第2番だそうです。ベートーヴェンの『32の変奏曲』やラフマニノフのピアノソナタ第2番は、すでにアメリカでも演奏され、大好評だったようですし、古川さんは昨年ロシアに勉強に行かれたばかりとのことなので、ラフマニノフでは、その成果が思う存分発揮されると思います。楽しみですね~。古川さんのピアノは、毎年毎年、音楽のスケールも大きくなって、解釈にも強い説得力が加わっています。すごいことですよね。 古川さんは、いまや海外でも大人気で、アメリカのコロラドスプリングスでも、ちょくちょくリサイタルをされたり、コンチェルトのソリストとしても活躍されています。また、2004年には、ブルネイとの国交成立20周年式典にも参加され、ブルネイ王室のみなさまのところで演奏されたんだそうですよ。これまたすごいですよね。チケットのお問い合わせは、アルページュさんのHPで。全席自由で、\4,000だそうです。ちなみに、古川さんをネットで検索していたら、沖縄県立芸術大学音楽学部 奏楽堂演奏会にも「古川泰子」という名前が でも、ピアノじゃなくて、バリ島のガムラン音楽のコンサートでした。これって、同姓同名?? マーラー 『大地の歌』(ピアノオリジナル版)西松甫味子(S)、伊達英二(T)、古川泰子(P) かつて、畑中良輔氏より「カツァリスに充分対抗できる音楽性と技術を持っている。」と評された名盤です。これまでの音楽の記事は こちら
May 24, 2006
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ニューヨーク・フィルのWebcast、先日のヴェンゲーロフ&ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは本当に壮絶で、すごかったですが、今放送中のプログラムは、コリン・デイヴィスのモーツァルトと、アンジェラ・ゲオルギューが登場した『New Year's Eve Gala(大晦日ガラ)』です。『New Year's Eve Gala』の指揮は、ロリン・マゼール。ヴェルディのオペラのアリアや、プッチーニ、マスカーニなどのヴェリズモ・オペラからなど、おなじみのナンバーをたっぷりと楽しめますよ。イタリア・オペラのスイートでゴージャス、そして、胸キュンのメロディーを思いっきり堪能しましょ。ゲオルギュー 『プッチーニ・オペラ・アリア集~ある晴れた日に~』ゲオルギュー 『柳の歌~ヴェルディ・ヒロイン』これまでの音楽の記事は こちら
May 23, 2006
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この日記をお読みのクラシック・ファンのみなさん、もう、ニューヨーク・フィルのHPで聴ける、定期公演のライブはお聞きになりましたか? まだの方は、ぜひ大至急聞いてください ヴェンゲーロフがショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第1番』を弾いています。すごい緊張感。鬼気迫る感じです。彼は、この協奏曲を理解するために、様々なアプローチを繰り返したんだそうで、その熱い思いを語ったインタビューも聴けますよ。2曲目の、ロストロポーヴィチの指揮する『交響曲第10番』も、冷徹なムラビンスキーなどの演奏とは対極となる、暖かく、ヒューマンな音楽。スコアに対する深い理解が感じられるすばらしい演奏です。これは、歴史に残る名演となること間違いなしですよ。この演奏が聴けるのは、本日いっぱい(日本時間では明日の午前中?)です。お急ぎください!これまでの音楽の記事は こちらショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第1番』 ヴェンゲーロフ
May 17, 2006
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今日7日まで、東京・丸ビルでは、モーツァルト生誕250年を記念した『モーツァルト展』が行われています。この展覧会は、世界的に著名なモーツァルト研究家で、日本モーツァルト協会第3代会長の海老澤 敏先生が所蔵する、モーツァルトや、同時代の作曲家、モーツァルトゆかりの人物の肖像画、モーツァルト直筆の楽譜、モーツァルトや同時代の作曲家の初版の楽譜などなど、貴重なコレクション全122点を展示したもの。個人で、こんなコレクションがあるなんて、スゴいですね~~。自分的には、ミヒャエル・ハイドンや、グルックといった作曲家の肖像画(グルックのものは、よく本にでてくるものとは別のふんいきのものでした。)が見られたのと、モーツァルトの自筆の楽譜(パート譜。しかも、ファクシミリではなく、本物)が見られたことは何よりでした。会場には、『モーツァルトの頭蓋骨』や『モーツァルトのデスマスク』の写真なども展示されていましたが、説明によると、これらは贋作ともいわれているようです。期間中は、展示されているモーツァルト時代のフォルテピアノを用いたミニ・コンサートも行われています。自分が行ったときには、モーツァルト最初期の作品&モーツァルト最後のピアノソナタK576を含むコンサート。モーツァルトのピアノ作品すべてを聴くのはすっごく大変ですが、最初と最後を聴くと、「ああ、これでモーツァルト通!」って満足感にひたれるような気もちょっとしますね。 沖縄ローカルの、アンティーク家具の『Classic館』のTV-CMで流れている音楽(メヌエット ト長調 K1;ケッヘルによる作品番号1! 5歳前後の作品でっせ~)も演奏されましたよ。 ←ちょっとマニアックすぎ??モーツァルトのひそかな噂、おもしろエピソードなどを集めた本で、『モーツァルトおもしろ雑学事典』っていうのがあります。あなたもこの本でモーツァルト雑学博士を目指してみては! モーツァルトおもしろ雑学事典モーツァルトだけじゃなく、いろんな作曲家のおもしろエピソードを知りたい方は、 5分で読める 作曲家おもしろ雑学事典モーツァルトのピアノ作品全部を聴きたい方は、こちらを。名盤! モーツァルト:ピアノ作品全集 イングリット・へブラーこれまでの音楽の記事は こちら
May 7, 2006
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東京国際フォーラムで行われている『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2006』では、今日も各会場で熱い熱いモーツァルトが演奏されていると思いますが、自分は一足早く、夕べ沖縄に帰ってきました。今回、最後に聴いた演目は、ペーター・ノイマンの指揮、ケルン室内合唱団&コレギウム・カルトシアヌムの『ハ短調ミサ』でした。このグループ、もう10年以上前に、『モーツァルト;ミサ曲全集』を録音していたそうなんですが、実は、自分、CDを含め、このグループの演奏、初めて聴きました。聴いてみて、いやぁ、すばらしいの一語です。 文句なしに、手放しで楽しめましたョ。コレギウム・カルトシアヌムは、オリジナル楽器のオーケストラ。通常、オリジナル楽器の演奏は、繊細さや、音色の美しさなどが前面に出されがちですが、この団体は、アグレッシブで、かなり突っ込んだ、前のめりの演奏を聴かせてくれました。弦楽器は、歌うところは歌い、速くて強いパッセージでは、荒々しささえ感じるほど激しいアクセント。ここぞというところでの、ティンパニーや、金管楽器のバランスよいインパクト。とってもニュアンスとメリハリに富んだ演奏でしたョ。ケルン室内合唱団は、バリバリの古楽スタイルの合唱団。それにしても、完璧なアンサンブルです。フーガなどでは、通常より速めのテンポで、緻密で、しかも、迫力のある演奏を聴かせてくれました。思わず興奮!! オーケストラともども、ノン・ビブラートのすがすがしい美しさもひときわでした。最後に、アンコールで、前の晩と同じく、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』を演奏してくれました。ソリストたちとも気心が知れているのでしょう。ノイマンさんが、「ソリストのみなさんもどうぞコーラスと一緒に。」と促すと、ソリストたちも、コーラスの列に混じって歌っていましたよ。自分のこの音楽祭の最後を締めくくる、最高のアンコールでした。(この日、まだ演目は続いたので、ホント、偶然だったんですけどね。)『アヴェ・ヴェルム・コルプス』ほか(モーツァルト:宗教作品集)これまでの音楽の記事は こちら
May 6, 2006
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予習までして楽しみにしていたミヒャエル・ハイドンの『レクイエム』、ついに聴いてきましたぁ。指揮は、井上道義さん、ビルバオ合唱団&都響の演奏です。思っていたより、大きな編成。しかも、井上道義さんの指揮。どんな演奏になるのか、開演前からとってもワクワクしていました。井上道義さんというと、やっぱり、マーラーなんかを指揮している印象が強いですよね。演奏は、やはり重量感と迫力のある、立派な演奏でした。特に、合唱団の重厚なハーモニーが印象的でした。井上道義さんの指揮も、遅めのテンポで、思い入れを込めた「ロマンティック」なアプローチ。特に『サンクトゥス』などは、とてもゆっくりで、堂々と聞こえました。(演奏のニュアンスはまったく異なりますが、キングズ・コンソートの録音もテンポがむちゃくちゃ遅いですね。速度表記の解釈の問題でしょうか??) 今発売されているCDの録音では、小編成での演奏が多いので、こういった感じの演奏が聴けたのは、とってもいい経験でしたね。作曲年代のわりに、かなりエモーショナルな面を持っているこの作品の一面を垣間見せてくれたような気がします。ミヒャエル・ハイドンは、今年が没後200年に当たっているそうです。今回の演奏は、そうした意味でも有意義だったでしょうし、これを機会に、この作品がもっと演奏されるようになるといいなぁと思います。井上道義さんというとマーラー…、たとえば、こんなCDで↓。マーラー:交響曲第5番 井上道義&ロイヤル・フィルマーラー:交響曲第4番 井上道義&ロイヤル・フィルこれまでの音楽の記事は こちら
May 5, 2006
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『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2006』、今日も自分の朝イチは、0才からのコンサート。しかし、ナ、ナント ソロには、クラリネット奏者のカール・ライスターが登場です すごくゴージャスですね。 会場には、この公演、しかも、『クラリネット協奏曲』だけが聴きたくて来た人もたくさんいるみたいでしたョ。あいかわらず、お子様たちの声がこだまするホール内。 今回は5000人以上も入るホールAなので、そのノイズ、いや、「声」のボリュームも、桁違いです。指揮の沼尻さんも、「2楽章は、音が弱いところもあるので、おしゃべりしないで聴いてくれるとうれしかな…」と、前もってビミョーなお願いをされてましたが、何せ相手は「0才から」! そんな話が通用するはずはありません。 第2楽章でうっかり眠ってしまった大人はたくさんいても、ガキンチョ、いや、「お子様がた」はいたって元気。モーツァルトの音楽は、結局、「大人の子守歌にはなっても、子供には効かなかった」ということでしょうか しかし、今回は、前日のように、「ステージの前を左から右に駆け抜けるというミラクルを達成するガキんちょ」もなく、公演は無事に終了しました。そんなザワついたホール、聴いている我々は、「機関銃の弾が乱れ飛ぶ戦場でたばこを吸うくらい」シンドい環境でしたが、ライスターさんも、沼尻さん&トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズのみなさんも、豊かで暖かい音を奏でていましたよ。さすがプロですね。モーツァルト:クラリネット協奏曲・クラリネット五重奏曲カール・ライスター(クラリネット)これまでの音楽の記事は こちら
May 5, 2006
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今日の『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2006』、自分の朝イチは、0才からのコンサートでした。曲目は、モーツァルトの『セレナータ・ノットゥルナ』、『皇帝ティトの慈悲』序曲と、『2台のピアノのための協奏曲』です。赤ちゃんを抱いたお母さんや、小さいお子様連れの方が大勢です。大好評みたい。 しかし、最初はお利口にしていたガキんちょ、いや、もとい、ちびっこたちも、3曲目の児玉姉妹の弾く『2台のピアノのための協奏曲』が始まる頃には、至るところで騒音、いや、声もかなりアップ! 第2楽章では、演奏をかき消すほどに! 第3楽章では、ステージの前を左から右に駆け抜けるというミラクルを達成するガキんちょ、いや、お子様もいて、予想通り、いや、予想以上の展開に、抱腹絶倒、児玉姉妹もびっくり モーツアルトもびっくり のコンサートでした。生誕250年企画 モーツァルト大全集・第5巻~ピアノ協奏曲全集(12枚組)そういえば、モーツァルトの2台のピアノのための作品は、「頭がよくなる」と評判なんだそうですね。 頭が良くなるモーツァルトこれまでの音楽の記事は こちら
May 4, 2006
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コルボ指揮のモーツァルトの『レクイエム』、聴いてきましたぁ。期待以上のすばらしい演奏でした。まず、自筆譜通りの演奏が始まりました。『ディエス・イレ』から『ホスティアス』までを演奏。絶筆となった『ラクリモーザ』は、7小節目から通常通りクレッシェンドして、8小節でややアクセントを付けピタッと止めてました。自筆譜には、その後のソプラノのパートも書いてあったような?気がしますが、そこは演奏していませんでしたね。何せ、未完成の作品。オーケストレーションのない部分は、通奏低音というハーモニーだけが書き込まれています。これをハルモニウム(小型のオルガン)で伴奏してました。このように未完のままのスコアで演奏されるという機会はめったにないんですが、実際に聴いてみると、とっても透明感のある響きで、厳粛な演奏でした。その後、続けて『バイヤー版』で全曲が演奏されました。コルボの大らかでナチュラルな音楽性、ローザンヌ室内合唱団の、純粋で色彩感のあるハーモニーがすばらしかったです。それに、オーケーストラが、ものすごく緊張感のある響きで、とっても彫りの深い表現が印象的でした。コルボのCDとはひと味違う、まさに一期一会の演奏ですね。ソプラノのソロは日本人の方でしたが、オーセンティックなスタイルも感じさせる、すばらしい歌唱でしたよ。明日はこの組み合わせで『ハ短調ミサ』です。これまた楽しみ~これまでの音楽の記事は こちら
May 3, 2006
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