「ウェブ進化論」私的検証011---序章 ウェブ社会 その3
さて、 玉石混交の膨大な量のコンテンツの中から「石」をふるいよけて「玉」を見出す技術
ということだが、ごく最近、こういうことがあった。
SNSのmixiのマイミクさんも100人足らずなのだが、彼(女)達が発信してくる情報も、ひとつひとつリンクを追いかけていけば、永遠に時間が過ぎ去り、とどまるということはない。飽きずに眺め続けることもできる。単なるジョークやタイプミスによる誤情報から始まって、極めて貴重なプレゼントとか、期間限定のお知らせとが入ってくる時がある。ところがおうおうにして、そのジャンク情報の山の中から貴重な「玉」情報を見つけることができないことがよくある。
先日、マイミクさんの日記から、私の住んでいる地区のすぐ近くで行われた、無料のイベントがあった、ということが分かった。そのイベントは、もともと僕が関心をもっていたものだが、いままでは、いくばくかの入場料が必要であり、また、会場が遠くでは、なかなか時間がとれないなぁ、と思っていた。しかし、すっかり見逃していた情報によれば、2月某日、それは私のすぐ近くの会場で、しかも「無料」で行われていたのである。
もし、私が、「イベント名 and 地区名 and 無料 」というキーワードで検索していたら、この催し物に僕は参加できたはずなのだ。
しかし、もう少し考えてみると、まずは、そのようなイベントに対する自分の要求は必ずしも顕在化したものではなくて、そういう話を小耳に挟んだら、行ってみようかな、という程度のことだった。ぜひ、この地区で、とピンポイントで検索するようなものではない。
もし新型検索エンジンが私のキャラクターを正確に把握していて、なんらかの形でメッセージなり情報なりを告知してくれるシステムがあるとすると、すごく便利だと思う。そして、それをスケジュール表などに打ち出しておいてくれるとありがたい。ある日のある時間、ある地域で、ひょんなことであき時間ができてしまった。その時、そこから簡便に参加できるイベントはないか、というのを優先順位を付けて、リストアップなどをしてくれていると、なおありがたい。
ただ、ここで、例えば、私がこのイベントに参加すること自体が、「石」だったりした場合、仮に私が要求しても、決してそのイベントに参加しないよう、働きかけるシステムがあったりすれば、なお、凄いと思う。私にとって「玉」になり得る情報だけをピックアップしてくれたら、と、なんだか秘書機能的なことまで要求してしまう自分がいる。
そしてまた、もう一つおまけがあって、この日、この時間帯に、実は、私の親戚が突然亡くなり、葬儀に出席しなくてはならなくなってしまった。当然、私にとっては、そちらの方が順位が上となり、そちらへの出席がより上「玉」となる。そのような我々の日々の日常も監視し、管理してくれるシステムがあったら、すごいなぁ、と思う。思うとともに、もしそのシステムがかなり高度に構築された場合、どちらがロボットで、どちらが主人なのか、分からなくなってくる時代も、そう遠くないのかなぁ、と懸念もしてしまうのだ。
運送業者の走行記録を残すタコメーターや、タクシーの配車システムなどのようなものが、ナビシステムや携帯電話システムと総メディア・コラボレーションを起こした場合、人間を管理する、ということが限りなくできていくのだなぁ、と思う。
学童や徘徊老人にPHSを持たせて、その行動を把握したり、独居老人の電気ポットに発信装置をつけて、その生存を遠隔から確認したりするシステムが稼動している現代社会である。今後、未来に向けて、無限の利用技術が生まれてくることは、当然想定しうる。
この時、うまく言葉にはならないが、自分という人間を見る鏡として、その検索エンジンをつかえないだろうか? 現代は、アイディンテティ・クライシスの時代だ。自分が何者か、わからなくなっている現代人は、自分を含めて限りなく存在する。その時、早々と、ある範囲内の可能性に気付かせてくれるシステムがあれば、面白いなぁ、と思う。
私のクライエントに、高校中退の40代のブルーワーカーがいる。彼は、時に、今から東大に入ることを夢み、テレビタレントと結婚することを夢想している。(守秘義務のため、デフォルメした言い方だが) それは一般的には、無理でしょう、あんた、そんな考えは病気だよ、と、笑って言い放っていいのか。本人は、結構マジだったりするのである。
しかし翻って、そういうことが仮に、私自身にもないか、もうすこし検討してみる余地がある。今は、たとえ話で、梅田氏の嫌うアナロジーな話になってしまうが、具体的に、こういう問題をもっと的を絞って検索しアドバイスして行くシステムができあがるとすれば、それは凄いことだと思う。
もちろん、このようなコンサルティングともコーチングともいえるような役割は、人間が行ってきたのであり、自分自身や、目上のひとや、周囲の協力者がやってくれていたことであった。しかし、きたるべき総表現者時代には、まんざら、このようなシステムができあがってこない、とは言えない。いや、もう、できているのかも知れない。
フューチャリスト宣言 <1> 2007.06.06
ウェブ仮想社会「セカンドライフ」 2007.06.05
Web屋の本 2007.06.05
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