「無水無月」
ノーウォーターノームーン<1>
Osho /マ・アムリッタ・テジャス 1998/12 市民出版社 単行本 433p
Vol.2 No.0047 ★★★★★
「
哲学者、ブッダに問う」
哲学者がブッダのところに来るのは、とても珍しい。まず、あり得ない。だがそれが起こるとき、それは哲学者の革命、変容になり得る。なぜ、哲学者はブッダのもとに来れないのだろう?哲学と宗教は、非常に相容れないものだからだ。その取り組み方は、まったく正反対だ。
哲学者は思考を信じるが、宗教は信頼を信じる。考える者にとって疑うのはやさしいが、信頼するのは難しい。疑うマインド、非常に懐疑的なマインドは、哲学者に必須のものだ。宗教的であるには、深い信頼が必須となる----まったく懐疑的ではなく、疑うことも知らず。哲学者は、論理から生きる。宗教的な人は、愛から生きる。愛と論理の出会いを助ける方法は、まったくない。全然ない。それらが出会うことは絶対にない。その道が互いに近づくことは、けっしてない。それらは平行線を走っているのだろう----ちょうど線路のように----けっして出会うことがない。かなり近いかもしれないが、走っているのは、つねに平行線だ。どこかで出会うように思えたとしても、それは幻想だ。
ノーウォーターノームーン、Oshoの中でも代表的な一冊だ。Oshoを語るなら、この本をはずすことはできない。いや、この本というより、ノーウォータノームーンというシンボライズされた状況が、OshoとZenを一体化するなにかである。Oshoはこの話を愛してきたし、私たちも愛してきた。
愛と論理の出会いを助ける方法は、まったくない。全然ない。それらが出会うことは絶対にない。その道が互いに近づくことは、けっしてない。それらは平行線を走っているのだろう----ちょうど線路のように----けっして出会うことがない。かなり近いかもしれないが、走っているのは、つねに平行線だ。どこかで出会うように思えたとしても、それは幻想だ。
p350
最近は、Pune2の 「Osho最後の講話録・ZENシリーズ」
にひととおり目を通してから、他の時期へと移っていこうと思っていたのだが、この「無水無月」が傍らにあったものだから、つい手をだしたのが、運のつき。これはこれですごい。Pune2となんの違いもないではないか。その語意の強さ、そのテーマ、そして 「TAKE IT REALLY SERIOUSLY」
などのジョークに変わって(というか、もとことこちらが元祖だが)ムラナスルディンが活躍している。
いろいろな策謀をめぐらしつつ、ついにはお釈迦様の手のひらの上を飛び回る孫悟空にも似た当ブログのいとなみではある。
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