<1>よりつづく
「西蔵仏教宗義研究」
〈第3巻〉トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章 <2>
平松敏雄 1982/03 東洋文庫
★★★★☆
ふと気付いてみると、当ブログ、ひとつのカテゴリに108エントリーづつ書いてきた結果、「バックデータ」や「索引」を除けば、今まででちょうど20個のエントリーが走ったことになる。現在進行形なのは5つのカテゴリだが、やがてこれらのカテゴリが埋まれば、最終的には21個目のカテゴリへと収束していくだろう。そのせいか 、その 「21th カテゴリ」 としての、とりあえずの結論めいたところへと、当ブログの流れが向かい始めたようである。
当ブログの根幹になるべき 「OSHOagarta/mmp/gnu0.3」 カテゴリだが、やがては 「 osho@earthspirit0.4」 というカテゴリに進化していくだろう。 「オーム・マ・二・ぺ・メ・フゥン」 の観音のマントラはまだ50数回しか 唱えていないが、早晩108回まで達することになるだろう。そして、その後のことはわからない。まずはそこまで行って様子を見ることにする。
さて、 ナムカイ・ノルブ
の一連の本を読んでいて次第にわかってきたゾクチェンだが、「ダライ・ラマのゾクチェン入門」などという本を店頭でパラパラめくってみたが、あまりに注釈が多すぎて、本としてはまったく台無しになってしまっているのではないか、とさえ思った。後日、読み返したい。
今は 「チベット<歴史>深読みリスト」
の「ニンマ派をよく知るために」リストの再読モードに入り込んでいる。日本にチベット密教ブームをもたらした、と一部で言われる中沢新一の著書からスタートしたのでそうなってしまったということもできるが、20世紀に欧米で巻き起こったチベットブームの立役者が 「チベットの死者の書」
で、それもまたニンマ派に属している本だとすれば、この部分からおさらいしていくことも必要なことである。
そのゾクチェンとやらも、一時はエキゾチックなムードに包まれていたが、実は、それって、マハムドラーや、禅の大悟とかなりの近似値であることがわかってきた。マハムドラーは、まさにOshoが日本で最初に紹介されたときに、「存在の詩」で語りかけてきたテーマだった。「マハムドラー 最後の、そして究極の体験」。すこしづつこちらも読み返し始めている。
そして、Osho「タントラ セックス・愛・瞑想への道」もまた、新しい感覚で読みなおし始めている。こちらでOshoは「新人類を創造できるのは、タントラ以外にはない」p152とまで断言している。それぞれの用語や文脈に違いがあるので、いきなりあちこちを継ぎ木はできないが、意味的にはかなりの部分が重なってきた 。
ニンマ派の教法を形作っている要素は、三つある。第一は、前期弘通時にインドからもたらされた密教。第二は、前期弘通時に禁教されつつも正統仏教圏外で広がり、正統なラマがいないままに、密教聖典が表面的に解釈され、インド密教の意図するところとは異なった危険な方向へ趣いたもの。まさに、禁教の理由になったところの方向へ傾いたものである。この傾向はランダルマ王の破仏とそれに続く吐蕃王朝の崩壊によって助長され、チベット土俗神やボン教とも混淆して、まったく異端的な密教となる。第三は、中国禅宗系のものである。これらの三要素が、非統制と如来蔵思想と頓悟志向とをその共通の軸として、まとめられたものが、ニンマ派である。
チベットや密教という言葉に惑わされがちになるが、その本質は、理解を超えた世界ではない。むしろ、よくよく見てみれば、ごくごく当たり前の、自らの傍らにある世界であると受け取っても、決して間違いではない。
悟りへの階梯 2008.10.27
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