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「TIME」2011.2.10の記事"Singularity"に関する2度目の投稿です。(1度目 Do you know "Singularity"?12月5日の投稿から日が開きましてすみません)”Singularity”とはコンピュータの能力が想像を絶するほど高度化して、人間の能力をはるかに凌駕して、人類史上かつてない大きな変化が起きること、そしてその時を指す。Kurzweil氏はこの説を信奉する人たちの代表格である。発明家として輝かしい経歴の持ち主である。We will successfully reverse-engineer the human brain by the mid-2020s.By the end of that decade ,computers will be capable of human-level intelligence. Kurzweil puts the date of the Singularity at 2045.2020年代の半ばまでに人間の脳を設計することに成功するだろう。その年代の終わりまでには、コンピューターは人間並みの知力を持つだろう。KurzeweilはSingularityの起きる年を2045年としている。In Kurzweil's future, biotechnology and nanotechnology give us the power to manipulate our bodies and the world around us at will, at the molecular level. Progress hyperaccelerates, and every hour brings a century's worth of scientific breakthroughs. We ditch Darwin and take charge of our own evolution. The human genome becomes just so much code to be bug-tested and optimized and, if necessary, rewritten. Indefinite life extension becomes a reality; people die only if they choose to. Death loses its sting once and for all. Kurzweil hopes to bring his dead father back to life.Kurzwelの未来においては、我々はバイオテクノロジーとナノテクノロジーによって、分子レベルで肉体と世界を意のままに支配する能力を得る。進歩は加速して・・・・(訳せない)。我々はダーウィンに暇を出して我々は我々自身の進化を管理する。人の染色体はバグテストされ最適化され、必要によっては書き換え可能の大規模のコードに過ぎなくなる。無限の寿命が現実になる。人々は死ぬことを選択した時にだけ死ぬ。死はそのとげを失う。Kurzweilは亡くなった父親を生き返らせることを望んでいる。We can scan our consciousnesses into computers and enter a virtual existence or swap our bodies for immortal robots and light out for the edges of space as intergalactic godlings. Within a matter of centuries, human intelligence will have re-engineered and saturated all the matter in the universe. This is, Kurzweil believes, our destiny as a species.我々は意識をデジタルデータ化してコンピュータに取り込み(it seems very very crazy 、インテグラル)、仮想的な存在になることができる、または肉体を不死のロボットに取り込んで銀河系間の神として宇宙の果てを目指すことができる。数世紀のうちに、人間の知性は宇宙のすべての物質を設計することが可能になり(その意味で)、宇宙のすべての物質に浸透する。これがKurzweilが信じる我々の種族としての運命である。次のところは筆者自身の見解だが、筆者に限らず人工知能に関する最大の疑問だろう。Underlying the practical challenges are a host of philosophical ones. Suppose we did create a computer that talked and acted in a way that was indistinguishable from a human being — in other words, a computer that could pass the Turing test. (Very loosely speaking, such a computer would be able to pass as human in a blind test.) Would that mean that the computer was sentient, the way a human being is? Or would it just be an extremely sophisticated but essentially mechanical automaton without the mysterious spark of consciousness — a machine with no ghost in it? And how would we know?実用的な問題の下には多くの哲学的な問題が横たわっている。人間と区別できないほど話して動くコンピュータを作ったと仮定しよう。そのことはそのコンピュータには人間のように意識があるということを意味するだろうか。またはそれは極めて洗練されてはいるが、本質的には神秘的な意識の発火を持たない機械仕掛けの人形ーその中に幽霊はいない機械ーにすぎないのだろうか。そしてどのように私たちは知るのだろう。以下は私の感想 人間と区別がつかないロボットならば、区別がつかないのだから人間だと錯誤するだろう。問題はそれがロボットだとわかった時、あくまでロボット=自動人形に過ぎないと思うか、ロボットでもあらゆる状況で人間と変わらない振る舞いが可能であるから、ロボットだとしても新たなヒトとして対応するか。人によって分かれると思う。私はロボットはあくまでロボットであり、いかに人間らしく見えても超高度なシミュレーションだと思う。しかしだとすれば、ここでさらなる問題にぶつかる。機械たるロボットが意識を持つことを否定するなら、(物質である)私たちの脳が意識を生み出すことも自明とせずに、疑問視すべきではないか。多くの科学者たちにとって脳が意識を生み出さないことは都合が悪い。だからその説を主張する本は多いが、証明されていない。
January 31, 2012
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田中直紀防衛相は15日のNHK番組で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設のための埋め立て工事について「年内に着工できるかどうかが当面の手順になっている」と述べ、年内に名護市辺野古の埋め立てに踏み切る考えを表明した。野田政権は着工時期を明言してこなかったが、担当閣僚が時期を明らかにしたのは初めて。 田中氏は24日の通常国会召集前に仲井真弘多知事との会談を申し入れる考えも示した。その後、田中氏は年内着工について「沖縄県民の納得がなければ手順は進まない。できないこともあるし、断定しているわけではない」と記者団に語り、発言を修正した。 田中氏は番組の中で、PKO参加5原則と武器輸出三原則を混同する一幕もあった。PKOに派遣された自衛隊の武器使用は、5原則で要員防護のための最小限に限定されている。田中氏は武器使用基準の緩和について聞かれたにもかかわらず、「PKOで使った建設機械などを置いてこられるよう検討している」と説明。昨年末の官房長官談話で、重機をPKO派遣先に残せる範囲などを広げた輸出三原則の新基準を繰り返した。(asahi.com)着工時期に言及したからと言って、望み通りに事態が進んでいくと当の田中氏が思っているはずもない。着工への最大関門は年末に提出された環境評価書を知事が審査した上で政府の埋め立て申請を承認するか否かだが、現状では承認を得られる見通しはまったく立っていない。その心配が逆にこの発言を生んだのだろう。県民が納得するとは政府が県内移設を断念することである。田中氏=政府は「県民の納得(理解)がなければ手順は進まない」と話し合いの姿勢を強調するが、彼ら側の「県民の納得」とは、政府の圧力に屈して反対派が音を上げることであるから、県内移設を反対する大半の県民を愚弄する物言いである。アメリカに背中を押されている限り、たとえ流血の事態が起きても、同じことを言うだろう。田中氏は今日(16日)件の発言を修正した。「沖縄県の理解を得ていく必要がある。具体的な期限を設ける話ではない」この言質がありながら、沖縄の反対の姿勢が変わらないなかで、埋め立て申請するか否か注目である。県民は申請はしないだろうという甘い期待はしないほうがいい。
January 16, 2012
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「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのである。」という格言がある。これは幸せになりたければ幸せであるかのように振舞えばいいということだ。もっとエッセンシャルに言えば(私のバージョンでは)「本当の幸せ」と「幸せであるかのように振舞うこと」との違いはないということだ。だいたい本当に幸せだと思う人がいるだろうか。メディアを無視しない限り、世界には悲惨なことが限りなく起きていることがわかる。それなのに自分は幸せですなんて言えるだろうか。幸せそうな人たちも、本当のところは幸せなふりをしているだけじゃないのか。別の角度から言うと、「本当の幸せ」=「心の底から幸せ」であるが、「心」とは何かーほとんど「人間とは何か」と重なるーが人間には分からないからである。「心」とは何かわからない人が「あなたは幸せであるかのように振舞っているだけではないか」=「心から幸せなのか」と分析することは何かおかしくないか。「心」とは何かを習慣的に考えている人は現代人のかなりの少数派である。幸せなふりをするとは具体的にどういうことか。落ち込んでいると思ったら意識的に気分を高揚させることである。テンションが下がっていると思ったら意識的に上げることである。なでしこジャパンの佐々木監督が家族との関係改善のため気分を意識的に高揚させることをがけたと言う記事を読んだ記憶がある。気分を高揚させるため、テンションをあげるため具体的にどうするか。私はハミングしたり歌ったりすることが私的には最も効果的だと実感している。(カーぺンターズの「Sing」はこのことを説明してくれる。)私が不幸なのは無職とか会う人がいないからではない。シャイなため対人的に緊張するからである。だが肝に銘じなければならない。ハミングしたり歌ったりして何か先にいいことがあると思わないことである。そのときそのとき、落ち込んでいるか否か、テンションを下げすぎているか否か、変に緊張するか否かその選択をしているだけである。
January 13, 2012
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