帝国陸軍好きの読書ノート

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2009.09.21
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佐々木春隆『B29基地を占領せよ―10個師団36万人を動員した桂林作戦の戦い』(光人社NF文庫,2008) その1


総合評価  ★★★★★

前著『華中作戦―最前線下級指揮官の見た泥沼の中国戦線』(光人社NF文庫,2007)と時間的に連続しており、その続編にあたる作品です。

『華中作戦』が衡陽攻略作戦の途中までで終わっているのに対し、本書は衡陽攻略作戦終期(昭和19年7月頃)から桂林攻略(同年11月)までを、当時第四十師団歩兵二百三十六聯隊作戦主任であった自身の立場からの回顧録として描いています。

対象としている期間が前著に比べかなり短いのですが、その理由は、著者の所属した歩兵二百三十六聯隊が、衡陽攻略作戦では側面援護が任務であったのに対し、桂林攻略作戦においては桂江の敵前渡河による城内突入を実施した所謂一番乗りの部隊であり、その準備や軍司令部との桂林城突入に関する経緯が詳述されている事によります。

その結果、本書においては全363頁中200頁以上が桂林攻略作戦に関する記述に充てられており、中でも100頁ほどが桂江を敵前渡河しての桂林城内への突入に関する記述となっています。
特にこの部分においては、実施部隊側で渡河攻撃の計画を立案したという著者の立場からする公刊戦史の記述の誤りの指摘が多くなされており価値があるものではないかと思われます。

一方、本書はあくまで歩兵二百三十六聯隊作戦主任の視点から描かれており、桂林作戦や桂林城攻防戦に関しての全般的な記述や解説と言う点には力点は置かれていません。
基本的には個人、若しくは実施部隊の視点からの戦記ということができるかと思います。


 ◇ 著者について

熊本県出身、陸軍士官学校卒業(54期)後、第四十師団歩兵二百三十六聯隊に配属。そのまま第四十師団に属し支那で終戦まで転戦していたようです。

図書出版社から『華中作戦』などの著者自身の従軍経験に基づくと思われる一連の戦記を出している他、朝鮮戦争に関する大部の著作もあるようです。


 ◇ 本書について

文庫で363頁。平成元年に図書出版社から単行本として刊行されたものの文庫版とのことです。
はしがき、あとがきともに著者自身による単行本刊行時のものとなっておりますので、単行本と同一のものと思われます。

著者はしがきによると、衡陽攻略作戦終期(昭和19年7月)から桂林攻略(同年11月)迄を、当時第四十師団歩兵二百三十六聯隊作戦主任であった自身の立場からの回顧録として『軍事研究』という雑誌に連載したものをまとめ補筆訂正を加えたものである、とのことです。

前著である『華中作戦―最前線下級指揮官の見た泥沼の中国戦線』(光人社NF文庫,2007)と時間的に継続しており、実際のところ続編と言っていいものではないかと思われます。


 ◇ 内容と雑感


戦史叢書と言うのもかなりいい加減なものなのだなぁ、と言うのが本書を読んで一番強く感じたことです。

著者が別の本で、戦史叢書の自分が参加した作戦に関する記述を読むほど腹立たしいことは無いと言われている、というようなことを書いていたという記憶があるのですが、本書を読んでみてその理由が理解できたような気がします。

それくらい、本書においては著者の一連の戦記の中でも戦史叢書における記述の誤りの指摘が最も多く記されているのではないかと思います。

その理由は単純で、著者が作戦主任を務めていた歩兵二百三十六聯隊が桂林攻略作戦において桂江を東側から渡河して城内に突入するという作戦の一番スポットライトが当たる部分を担当したので、それだけ戦史叢書で取り上げられることが多かった、と言うものに過ぎません。

これだけ公刊史と部隊側の記録や著者の記憶との食い違いを示されると、単純に戦史叢書を信じられなくなりそうです。
やはり、個々の作戦について調べる際には部隊記録や戦記などもきちんと調べる必要があるという事でしょう。特に戦史叢書の高級将校の証言の部分には信頼できないところが多々あるようです。




・ 桂江渡河による城内突入に関して聯隊作戦主任であった著者は予令を受けた覚えが無いと主張しているが、戦後に著者が確認したところ佐方師団参謀長は予令したはずだと主張、戦史叢書の記述もそれに沿っている

・ 著者は桂林北門攻撃命令を受けたと主張しているが、公刊史ではその記述が無い(どうやら師団長が功を焦って、北門は他師団の割り当てなのに命令したのではないか、と著者は疑念を抱いている模様)

・ 砲兵の渡河支援砲撃とそれに対する敵の砲撃に関する師団長の回想と実施部隊側の回想の大きな食い違い

など、主観的な砲撃の激しさなどという点だけではなく、どのような命令が下されたのか、という点についてすら記述が食い違っているのですから驚きます。


次に考えさせられたのが、衡陽攻略作戦終了後、洪橋会戦に始まる一連の作戦で、兵站(補給)能力を心配した総軍が軍に干渉した事により、最終的な目標が桂林である事を部隊に示さず、逐次次の作戦目標を示す形をとった事で逆に実施部隊に強行軍を強いてしまう結果となり、運悪くその直前に部隊に到着した(比較的)高齢の補充兵が大量に落伍し損耗した、という著者(並びに他の士官)の指摘です。



帝国陸軍については、独断専行による歩兵の突進に対して批判がなされる事が多いのですが、このような逐次の前進は敵に打撃を与える機会を逃しやすく、また足で行軍する部隊側としても大きな目標地点だけを示される場合に比べ計画が立てにくいという問題がある、と言うのを、私としてははじめて意識させられたように思います。







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最終更新日  2009.09.22 00:02:54
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