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昨年家庭菜園に植えた枝豆が食べきれず、成熟してたくさん大豆となっていました。根っこから抜いて置いていたのを本当は昨秋のうちにさやから外しておくべきだったのですが放ったらかしになっていました。ゴールデンウィークでようやく時間が出来たので今日は、鞘からちまちま大豆を取り出す作業に没頭していました。黒いのあり白いのありきれいなのもありそうでないのもありですがナントカ全部マメをとりました分別・選別作業は次の休みにすることとします。ダッシュ村とかだったらこういうのから豆腐作ったりとかするんだろうけど家では炒り豆でおやつににしたり雑穀米に混ぜたりという感じになるかなぁ。煮るとしても甘いのはあまり好きではないので五目煮とかになると思います。
2008年04月29日
今朝、起きて朝の準備をしようと台所に立ったらなんだか太ももあたりに筋肉痛になる直前のようなだるさを感じました。「おかしいな、昨日は何にも足に負担のかかることしてないのに」と思って、ほどなく「そういえば一昨日」と思い当たりました。一昨日はおろしたてで履き慣れないヒールが高い靴を履いて歩いたのです。筋肉痛はまだ翌日に出るのですが、微妙な疲れが一日置いて出るというのは加齢の兆候かな・・・と、苦笑いしてしまいました。足のだるさは昼頃には無くなり一日仕事を終え車で家に帰る途中押しボタンの赤信号に引っかかりました。横断歩道をおじいちゃんが手を挙げて渡っていました。手を挙げて…といっても小学生のようにピンとのばしてではなく「いやいや止まってくれてすまんね」みたいな感じで軽く手を挙げ謙虚にそそくさ歩いていました。夕方のラッシュ時に車の流れを止めてしまったと申し訳なさそうに手を挙げて横断歩道を歩いていたおじいちゃんがなんだか可愛らしく思わず微笑んで和んでしまいました。なんだか面白い一日でした。
2008年04月28日
前回のブログで、読了した国分太一の本を紹介しました。ジャニーズの携帯サイトに毎日アップロードされている太一君のブログが本になった物です。そして、ただブログを活字化しただけではなく本を作るにあたり色んな企画を織り交ぜ、その中のひとつでケンタロウさんと一緒に料理を作ったのがきっかけで(初対面なのにかなり意気投合した様子が本の中に書かれていました)この春から太一君とケンタロウさんとの番組が始まります。太一君が毎日、28歳から32歳までブログをアップし続けたのは結構すごいことだと思います。でも、私も、このサイトを2001年から始めたから太一君のように毎日アップはしていないし、結構ブランクもあるけれど、28歳から現在34歳まで続けています。子供は0歳から7歳になりました。いつまで続くかわからないけれどぽつぽつとタイトル通り自分の生活感溢れる日常を語って行きたいと思います。
2008年04月18日
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ライ麦畑でつかまえて何年かけて読んだかわかりませんがようやく最後まで読み終えました。サリンジャー。非現実的、文学的、古い時代のアメリカ。異文化に触れ、読んでいるそのときは違う世界へトリップ。読書ってそんな感じかな。基本的に外国文学が苦手なのでやっと読み終えてやれやれという感じです。あと、TOKIOの国分太一くんがジャニーズ携帯サイトの日記を毎日更新して1300日を記念して作った「タヒチ タイッチのリゾート気分」という本も読みました。昨年9月発行ですが、なぜか楽天ブックスではもう取り扱っていないようです。私は、発行しすぐ買い約半年かけようやく読み終えました。本の「はじめに」から引用すると普通より少し不思議な生き方をしている1人の男の、28歳から32歳までの記録。 です。いまやテレビ全局の司会を制覇している生まれは平凡でも才能に秀でている団地魂溢れる彼の日常。仕事に一生懸命。オフにはマラソンや洗濯掃除、のんびり映画を見ながらもその生活を無邪気に楽しむ毎日の記録。何気ない出来事を流してしまわず心にとどめるその、生活の過ごし方とても素敵だと思いました。
2008年04月12日
4月になりました。娘は今日が春休み最後の平日でした。夫は年度末に国際蘭会議に参加したり、道内の蘭フェスタで講演をしたりと外に出ることがちょくちょくありましたが相変わらずお家で春休み中の娘の面倒を見ながらお花作りをしています。娘は同じ小学校でクラス替えも無く2年生となります。私は特に配置替えなど無く今までと同じ部署で同じ仕事を続けます。何も変わりのない新年度…の!はずが!!!!娘の特別支援学級担任、交流学級担任ともに転勤等で変わり放課後に通っていた学童保育も制度が変わって今までと違うちょっと落ち着かない環境のところとなり今まで週一度決まった曜日に通っていた療育施設のデイサービスも月に2回別の曜日に変わりました。私も、周囲の人事異動で関わっている職員が変わったり少しプレッシャーのかかる仕事が加わったりしています。昨日は子供の新担任に娘の障碍の特徴や配慮の仕方などを仕事を抜けて説明しに行きそのあと職場に戻り慣れない仕事に取り組んだりなど結構ここ最近ストレスを感じる場面が多く家に帰るとどっと疲れが出ています。チョッと早い5月病みたいな感じですね。早めに5月病になっておけばゴールデンウィークや桜の時期はチョッと落ち着いてたのしくすごせるかなぁ、ととりあえず今の怒濤のように変わった環境に慣れるまで家族でチョッとの間歯を食いしばって耐えることにします。実は私は食事を作ることも面倒な位参っていたりするけど、みんなが好きなおかず、作って元気だして行こうと思います。
2008年04月04日
私の仕事には世代も生活環境も違う人たちに接しその人たちの価値観を柔軟に受け入れ、認め「その人らしい」生活をコーディネートする役割があります。100人居れば100人の生活があり個人的には「え~」と思う習慣や考え方もあるけれど、本人がそれまでの人生のなかで培ってきたのならば本人や周りを取り巻く人たちを、それぞれ受け入れ尊重しようと勤めます。そのためには、たくさんの知識が必要になります。専門的な学問はもちろん雑学も身に付けなければその人に近づくことは出来ません。最近、仕事で関わっている80代後半の男性が太平洋戦争のさなか戦地に行った話をする中で「慰安婦のお世話にもなった」と微笑んでいました。従軍慰安婦問題については勉強不足です。慰安婦本人にとっては生き地獄を強いられたと聞きますが慰められた兵士にとっては、凄惨な戦地をかいくぐり精神的に追いつめられた中での本能的な癒しは忘れられない心地よい思い出になっているのかもしれません。それも歴史のひとつそしてそれを、自分の足で踏みしめていた彼のために私はどんな生活をコーディネートして行けば良いのだろう。こんな風にいつもまじめに考えしゃちほこばったサービスしか出来ない私ですが昨年、とある講演会でお話を聞いた先輩同業者の型にはまらず柔軟でかつ、器の広さを感じるお話にあぁ、こんな風にひょうひょう(?)と他人を受け入れられる人になりたいなと思った方がブログの中でタイトルの言葉を引用されていました。人生経験を重ねていくと厭世的になり老け込む人も居るけれど私は、色んな人生や観価値観を関わって行く人たちから学びたいしいっぱい本を読んだり、ばかばかしいことにもチャレンジしてみたいし経験を重ね、たくさんの引き出しを蓄えて時と場合でマッチした引き出しが出せるような器の大きい人間となりたいなぁと思っています。
2008年04月02日
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