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自分好みの人間をつくり出す。そんなことを企んでいる者どもが教育を無償化すると言い出せば、そのうさん臭さは限りない。
何しろ、 「教育勅語」の教材利用を実施しようと考えたりする連中 である。そのような集団が、無料で提供してくれようとする。 そんな教育の内容は、想像するだに身の毛がよだつ。 そのような教育の世界とは、可能な限り、あるいは不可能を可能にしてでも、はるか彼方に遠ざかりたい。
いみじくも、教育というテーマは、2012年末の現政権(第2次安倍内閣)発足直後、安倍晋三首相が行なった初の所信表明演説(13年1月28日実施)の中でなかなか大きな位置づけを占めていた。この演説の中で、安倍首相は4つの危機というのを上げている。「日本経済の危機」。「東日本大震災からの復興の危機」。「外交・安全保障の危機」。そして「教育の危機」である。
「教育の危機」について、この演説の中で彼は次のように言っている。「‥‥‥国の未来を担う子どもたちの中で陰湿ないじめが相次ぎ、この国の歴史や伝統への誇りを失い、世界に伍していくべき学力の低下が危惧される、教育の危機」。いじめは確かに大きな問題だ。そこに懸念の目を向けることには異論がない。だが、 その後に続く部分と、いじめへの懸念との間に、あまりにも脈絡がない。 どうも、いじめ問題は単なる枕詞でしかないように読める。
本当に訴えたかったのは、子どもたちが「この国の歴史や伝統への誇りを失」うことへの懸念と、「世界に伍していくべき学力の低下」に関する嘆き節であるようにしか読めない。 歴史も伝統も重要だ。だが、それらをただ単にひたすら誇りの対象としかしないのは、危険な国家崇拝につながる道だ。 むしろ、そのような 単純思考から子どもたちの知性を解放することこそ、教育の役割 だろう。「世界に伍していくべき学力」とはいったい何か。世界に伍していようがいまいが、そんなことはどうでもいい。物事の本質を見極めることができるような、探求精神。それをどう身につけてもらうか。それを考えることが、教育に託された使命だろう。
お国の伝統を崇め奉る愛国心に依りながら、世界に伍して、世界に勝っていく。そんな青少年の育成。それが教育の仕事だ。そのように思い込んでいる人たちが、教育の無償化を唱えている。こんなに怪しげなことはない。
タダほど怖いものはない。教育無償化というテーマが持ち出されてきたことで、改めてつくづくそう思う。「教育の危機」というテーマを掲げた時、国家への誇りの喪失と国際競争力の低下しか心配にならない。そのような人々が、「カネは出す。だから口も出させてもらう」と言い出したら、何が起こるか解らない。いや、解りすぎるほど解るから怖い。
はま のりこ・エコノミスト。「アホノミクス」という言葉の生みの親。『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)など著書多数。
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