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1945年3月10日、米軍による無差別爆撃で、およそ10万人が虐殺された。歴史教科書に記され、広く知られているだろう。一方、犠牲者の中に多くの朝鮮人が含まれていたことは、さほど知られていないのではないか。
私は4年前にこの追悼会を知り、参加した。その後、空襲体験者や遺族の証言、先行研究などからさまざまなことを学んだ。犠牲者は、追悼会を主催する「東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会」が氏名を把握しているだけで188人。1万人以上との研究もある。実数の特定は困難だが、東京には41年末時点で朝鮮人10万4156人が暮らし、後に空襲で壊滅的な被害を受ける本所・深川地区に2万人、荒川・城東地区に3万人がいた(朝鮮銀行の調査)ことから考えると、死者は相当な人数に及ぶだろう。
追悼する会は「犠牲者の尊厳を回復するために」と、氏名を特定するための史料調査やフィールドワークを進めている。「日本の植民地支配がなければ、亡くならなかった人たちです」。今年の追悼会の後、調査に参加している若い学生が私にそう話した。
◆村山談話の舞台裏
第二次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が亡くなった。あの戦争は今日に至るまで、「対等」とは到底言えない日米関係など、国際社会における日本の地位にも大きく関わってきた。「日本史上最大の事件」であり、負の遺産を広く長く深く残している。二度とそんなことがないように、世代が変わっても省みて、体験と記憶を継承していかなければならない。 しかし、そうした「反省」は容易ではない。
94年6月、社会党と自民党、新党さきがけの連立政権が誕生した。3党は「過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する」国会決議の採択を目指すことで合意した。しかし内容を確定する作業は難航した。社会党とさきがけが近隣諸国への「侵略」や「植民地支配」を盛り込もうとしたのに対し、自民党の案はこれらの文言を入れず、犠牲者への「追悼」を前面に出すものだった。
それでも95年6月9日、衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が採択された。「不戦決議」とも呼ばれる。「戦後50年の節目に、決着していない問題にけじめをつけようと決意していました。社会党が政権に入ったからには、これはぜひやらなければならない、と」。党委員長として首相に就任した村山富市氏(1924~2025年)は13年、私のインタビューに、そう語った。
妥協の結果、「決議」は「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」などとなった。「世界の近代史……」のくだりは「日本だけが植民地支配、侵略をしたわけではない」といった「釈明」のような響きもある。
村山氏はこの決議の文言に「本質をゆがめられた。これでは逆効果になってしまう」と思った。その危機感が、日本による過去の植民地支配と侵略を謝罪した95年8月15日の「村山談話」につながった。
◆高市氏と「反省」
村山氏が納得できないほど妥協した「不戦決議」であっても、議員の抵抗は強かった。賛成したのは衆議院の定数511のうち、半数に満たない230人。野党の新進党のみならず、与党からも欠席者が出た。参議院では決議すらできなかった。
高市早苗首相は当時、新進党の若手衆院議員で、強硬な反対派の一人だった。決議に先立つ同年3月16日、外務委員会で「不戦決議」を取り上げた。「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と述べた。
私も当事者世代ではない。アジア諸国・地域を侵略していないし、現地の人たちに危害を加えてもいない。「直接的な加害者」としての反省を求められたら戸惑う。また「他人がしたことの反省を求められるいわれはない」という感情は自然であり、説得力もあると思う。
だが、別の意味で戦争を「反省」し、「戦争責任」を感じることはできるはずだ。
過去につながらない未来はない。自分には直接関わらない過去を知り、誇るべきは誇り、反省すべきは反省する。近現代でいえば、日本はなぜ植民地支配や戦争をしたのかを考え、それによって苦しんだ国・地域の人々の気持ちを想像する。そこから教訓を得て、未来につなげる。それが日本の歴史に連なる者としての責任だと、私は思う。
(専門記者)
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