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金山博物館の玄関入り口に置かれているウェルカムボードに添えられている「もうすぐ」は間もなく、今日(2016年9月30日)の閉館時までに消去されます。そう、明日から10月です。 10月からは、開館時間の冬モードにかわります。ご注目ください。具体的には、夕方の閉館時が18時から17時にかわり、最終の入館受付は16時30分となります。 天気の悪い日などには、17時というともう暗くなり、ライトが必要な頃となりました。17時近くのご来館の方の姿もほとんど見られなくなり、この衣替えに混乱はないとは存じますが何とぞご理解の上、ご協力をお願いいたします。
2016.09.30
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私事で恐縮ですが、内祝の品が届きました。開けてビックリ。金箔がのったカステラでした。金箔がのっているだけでとても高級感があふれているのですが、そのお味も最高・・・。とてもよいお品でした。金ていいよね・・・。 ちなみにこのお品、長崎は、和泉屋さんの看板商品、五三焼きカステラというものでした。ご関心の向きは、次のウェッブサイトでご確認ください。 五三焼きカステラに関する情報= http://www.n-izumiya.net/fs/eizumiya/c/gosanyaki
2016.09.29
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車を運転中、信号待ちでとまったとき、全開の窓からいい香りが・・・。キンモクセイの香しい匂い・・・。窓からのぞいてみれば、キンモクセイが庭に植えられたお宅の前での信号待ちだったことに気付きました。 秋の訪れは、色ばかりではないですね・・・・・・。
2016.09.29
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今日、2016年9月27日(火)の朝日新聞〈山梨版〉に、上に画像化した記事が目にとまりました。身延線沿線の地域興しをテーマに活動されているグループの紹介と、そこで編まれている「唱歌」のことを知らせる内容でした。 身延線という文字を見るとピクンと反応するようになりましたが、その反応の先には、静岡県富士宮市における地域活性化を担う興味深い取り組みにたどり着くものとなりました。記事にも紹介されていますが、グループの取り組みを紹介するwebサイトもあります。そのURLを次にmemoしておきます。 『身延線鉄道唱歌の会』 http://grandrock3.town-web.net/project/minobusen_tetsudo_shoka/kai/index.htm
2016.09.28
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本日、2016年9月21日(水)は、身延町立湯之奥金山博物館は休館(定期)です。 写真は、博物館の駐車スペースとなっている前庭に植栽されているケヤキとカエデです。ケヤキはまだあまり変化は感じられませんが、となりのカエデは、日当たりのよい南側の枝の先の方から色づきが始まったようです。 身延町立湯之奥金山博物館の周りでも、少しずつ 秋は、色や形に現れてくるようです。
2016.09.28
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午前11時頃の西の空でした。うろこ雲が広がっていました。前日の夕方の空に似ています。でも、そのほかでは青空も見えていました。 午後4時頃の西の空でした。だいぶ澄み切って、きれいな青空が広がっていました。 午後5時頃の西の空でした。日がだいぶ短くなり、もう少しすれば暮れていく、そんな感じの空でありました。 定点観測的に、西の空だけに特化して、今日の空模様を記録してみました。
2016.09.26
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湯之奥金山博物館の建物の南側はお山で、切り立った急斜面となっています。その崖、眺めているといろんな発見がありますが、今日の出遭いは、ジムちゃんです。 あまりシャープな画像ではありませんが、ジムちゃん、どこにいるかわかりますか。はじめは、対面してあいさつしていたのですが、カメラを取り出すと、ジムちゃんは恥ずかしがって頭を岩の隙間に隠してしまいました。 ジムちゃんって、だれか? ジムグリのお兄ちゃんでありました。少し前に紹介したアオちゃんの仲間です。 見つけたとき、すぐに浮かんだ名前は、「ジモグリ」でした。子どもの頃から、そう耳にしてきたからです。しかし、この蛇について詳細を確認するためにネット検索するもなかなか答えが見つからず、「ジムグリ」では、ということになりました。生き物の名前でも、標準語的なものと、ローカルな言い方とがあるということですが、日常の会話にのりにくいので、その差異が認識されないままになっていることもあるのだということに気付かされました。
2016.09.26
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写真は、湯之奥金山博物館の展示室のジオラマです。中山金山での採金の様子を復元したものですが、今日、こうした金山から金を取り出す過程についてのTV取材がありました。 取材というかロケというか、時間の関係で、中山金山跡ではなく、茅小屋金山の跡と、それから博物館での粉成しからパンニングして自然金をとりだすまでの過程についてでした。 とっても教育的な番組になりそうですね。そう、あのイーテレだそうです。詳しいことは、いずれまた・・・。
2016.09.26
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この9月22日・秋分の日に中山金山跡の調査があったことは、すでにふれましたが、『身延町立湯之奥金山博物館』の公式HP内の「博物館日記2016」に続編が紹介されました。 前回にも申し上げたことですが、縮小して画像化していますので、元ページにお入りいただきお読みいただけましたら幸いです。
2016.09.25
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この日(2016年9月25日)午後3時のお休みに見た、館の西側上空の空模様です。久しぶりの青い空、雲がありますが、それでも青い部分が目にしみるようでした。(えっ3時のお休み?そんなのあるの?・・・ですか?! まあ、お客様をお迎えする館として 空模様は、大切な情報なのです。こまめに情報収集しています、ハイ) それから1時間して、日が傾き始めた西の空、うろこ雲が広がりました。空はすっかり秋バージョンとなったようです。
2016.09.25
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この朝(2016年9月25日)、国道52号の身延町八日市場地内を南進中、前のカーゴトラックが突然にゆっくりと停車、前方の状況がよくわからないまま、待つこと4~5分、少し動いては、また4~5分停車を繰り返すことがありました。 隣の身延町飯沼地区まで進んだとき、目の前にきた警察官が停車を指示、その時目前にあった光景が最初の画像です。4輪車と2輪車の衝突事故でありました。 2車線の国道を完全にふさいでしまい、国道の交通は事故現場の脇にあった町道を使っての交互通行になっていたのです。迂回路の町道も線形がきつく、復員も小さいので、大型車があると通行にとても時間がかかり、4~5分間隔の交互通行になっていたのでした(画面右手)。 後で知ったことですが、バイクのライダーが重傷を負ったそうで、最悪の事態にならなかったのは不幸中の幸いかと。でも、バイクも乗用車も大きく傷んでしまいました。 さて、現在、9月21日(水)から9月30日(金)までの間、秋の全国交通安全運動が展開されています。こうした事故が起こらぬよう、あらためて交通安全、事故防止に一段の注意をはらいたいものと再認識されたしだいでありました。
2016.09.25
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9月22日に実施された中山金山遺跡の調査のようすが、『身延町立湯之奥金山博物館』の公式HP内の「博物館日記2016」に掲載されました。こちらに揚げた画像は縮小されていますので、元のページで内容をご確認ください。
2016.09.24
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前日(2016年9月22日)は、雨の中、中山金山遺跡の坑道調査でした。この日も天気さえ許せば久間先生はお山に入りたかったようですが、残念ながら天気は身方にならず、室内調査、すなわち現地で取得したデータの整理などとなりました。 こちらは以前に取得した鉱山臼の3Dデータを3Dプリンタで出力したもの。樹脂なので、本物より軽く、2分の1ないし4分の1ほどの大きさなので、手にとって観察が出来ます。新しい研究手法として、これからいろいろと見えてくるものがあるだろうと期待されました。 それから極秘ですが、なんと、も~ん父さんにも3Dスキャンのレーザーが・・・。こちらはどうなる? お楽しみに!!
2016.09.23
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中山金山遺跡の調査を終え、登山道口に待機していた車に乗り込む際に見た渓谷のようすです。みんな雨の中でした。 だいぶ消耗が激しく、はやく体を温めたい・・・。冷え切った体にしみるように雨が降り、ススキの穂に出来た大粒のしずくは、渓谷の光景を逆さまに写していました。 「この状況で調査が出来たのだから、もう雨で中止というのはなくなるなぁ・・・」「私の辞書には《中止》はない」とまで、久間先生の口から出た言葉が、雨の中に吸い込まれていくようにが感じられました。
2016.09.22
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秋分の日の早朝6時過ぎ、公用ワゴン車は金山博物館を出発し、湯之奥地区を過ぎて、林道を進み、毛無山登山道の入り口までやってきました。 それぞれに雨支度をして国史跡・中山金山遺跡の中に残る坑道の調査に向かおうとしています。 雨の中、いくつかの坑道跡が集中するエリアに到着し、早速に坑道内の調査が始まりました。画面の左手は、坑口から身をかがめて侵入される久間先生(松江高専)です。 3次元レーザースキャナをセットし、計測開始を確認して退避される久間先生の明かりが坑口に向かってきたところです。 16時少し前に登山道の入り口まで下山。無事調査終了につき久間先生を囲んでの記念撮影です。
2016.09.22
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本日(2016年9月21日)の早朝より、甲府市の南郊にある畑で種まきをする若者たちの姿が観察されました。いったいどういうことなのでしょうか。 ここでまかれている種は、長禅寺菜と呼ばれる甲府城下にあって興味深い歴史を持つ葉物野菜のそれでした。ではなぜ若者たちが、朝6時に集まって種まきなどをすることになったのでしょう。 彼らは「甲府城跡のどこかに住んでいる妖精・くろちゃん」の仲間たちで、甲府城につながるいろんな事象の解明や伝統的な魅力の復元に取り組んでいる勇士たちです。 その日常の取り組みは、『くろちゃんの甲府城つづり2』というブログに、ほぼ毎日つづられています。長禅寺菜復活プロジェクトについても、そちらのブログに、折々につづられていますが、特にごく初期の「○○○○栽培日記」と題された2015年7月25日の記事に、それが何であるかがつづられています。ご参照ください。
2016.09.21
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本日、2016年9月21日(水)は、身延町立湯之奥金山博物館は休館(定期)です。 前回、本栖湖のライブカメラ映像の話題を取り上げましたが、台風の通過と秋雨前線の影響で天気は曇り、富士山は見えず・・・でありました。 そこで、天気だったらどう見えるか、手元の画像ストックをひっくり返してみました。出てきたのが冒頭の画像、2013年3月9日の撮影で、縦構図5カットがデータとしてあり、いましがた画像編集ソフトでつなぎ合わせ、1枚のパノラマ写真に仕立てたものです。 当該地は、世界文化遺産「富士山」の構成資産を調整する過程で、本栖湖の西にある中之倉展望地が、秀麗な富士山のビューポイントの1つとしてあげられたので、そこの安全を確保する課題から踏査した際に撮影したものでした。 曇りのライブカメラ映像からほぐれて、この画像が引っ張り出され、かすれていた記憶がもどってきたのでした。
2016.09.21
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湯之奥金山博物館のある身延町の近くを台風16号が通過しました。風はともかく、雨が警報レベルに達し、緊張が走りました。JR身延線に運休が出たりして足下の乱れがありましたが、大きな災いはいまのところ報じられていないようです。 初めの画像は、本日(2016/09/21)午前8時28分現在の本栖湖のライブカメラ映像で、世界文化遺産「富士山」を構成する富士五湖の1つ、本栖湖の西半は身延町域。その一角からのライブ映像ですが、曇りで富士山は望めていないようです。 最初の画像は、身延町の公式HPに貼り付いているライブカメラ映像のページから切り取ったものです。その画像に続いて、カメラビューの見どころなどを解説した記事が見られます。ご関心の際は、次のURLからご覧になってください。 身延町ホームページ・ライブカメラ映像: https://www.town.minobu.lg.jp/camera/
2016.09.21
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くろちゃんのブログからの借用話題です。 下山とは、身延町の中ほどにある、古い歴史を秘めた地域の名前です。中世にこの地域に展開した下山氏や穴山氏にゆかりを持つ寺社や史跡などの歴史遺産が多く残されています。 その中の1つに「煙硝倉跡」というのがあります。 戦国時代の末期には、鉄砲を使った戦略の有効性が各地に浸透し、そのために玉薬、すなわち鉄砲玉発射用の火薬が重要視されるようになったのですが、ご承知のように火薬は取り扱いに注意が必要です。湿気からまもること、火気が現金なこと、もちろん敵に把握されて奪われたり攻撃されたりしてはたいへん、機密の保持や防御態勢の充実も必要です。 そうした課題をクリアするための施設が「煙硝倉」でありました。富士川流域ではほかに南部城山にも煙硝倉と伝承される場所が知られています。 なお、煙硝倉の理解をめぐって、まず戦国期末の鉄砲用の火薬をベースに話を進めましたが、鉄砲以前の時代にも、のろし伝達の課題から火薬類が使用されたと考えられ、そのための火薬類貯蔵の施設もあったようです。中世の城館や山城の跡を見るとき、時代の背景をきめ細かに見て、遺構の解釈を進める必要性についても付記しておきます。 さて、下山の「煙硝倉跡」ですが、具体的にはどこなのかといいますと、現在、富士川クラフトパークにアクセスする道路の、橋梁の下に保存されています。 詳しくはウェブで・・・。そう、凹座こと凹左衛門さんによるレポートが、くろちゃんのブログにアップされましたので、そちらをご参照ください。なお、下山に関する興味深いレポートには、続編もあるようです。いっしょに楽しみたいと思います。
2016.09.20
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少し前にヘクソカズラの花やミズヒキを見た環境で、アオちゃんもお見かけしました。フルネームでは、アオダイショウといいます。毒性はないといわれています。 アオちゃんは、まず蛇であること、それから飼っているニワトリの卵をとって丸呑みしたり、ヒトにとって、いろいろ不都合があるので嫌われています。一面で、屋根裏などの狭い空間でネズミを補食してネコに増して人助けをすることもあるのですが、それでも歓迎されていません。 写真を見せられただけで、もうダメ、という方にはたいへん失礼をいたしました。
2016.09.20
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前々々回に湯之奥金山博物館の「定礎」の石碑を取り上げましたが、そのまわりにこのようなものが見られました。建物基礎の近くの乾いた砂地に点々とすり鉢状の窪みが。 これは、一般に「ありじごく」(漢字で蟻地獄との表記も)と呼ばれるもので、ここにアリが誤って入り込もうなら、砂で出来たすり鉢の壁が、アリがもがくたびに中心に向かって崩れていき抜け出すことは難しい状況に・・・。そうこうしているうちに、すり鉢の底にじっと潜んでいるミニ怪獣がゴソゴソと飛び出して・・・the end。地獄とおそれられる由縁です。 ウスバカゲロウの幼虫は、家の軒下などの砂地にすり鉢状の窪みを作り、そこに入り込むアリなどの昆虫や毛虫などを補食して成長していきます。その姿は、翅を持ったトンボのようなかたちの成虫(うすい翅をもったカゲロウ)とは似ても似つかぬ、一対の大あごを武器にする怪獣のミニサイズといった様をしています。 生物は、いろいろな環境に適したさまざまな生をはぐくんでいます。多様なあり方のそれぞれに基本をおいて環境を見て考えていく、生物多様性ということに思いをいたしました。
2016.09.20
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情報元のブログをキャプチャーした画像が、だいぶ長くなってしまいました。 さて、今回の話題ですが、縄文王国山梨実行委員会による連続ゼミの11月27日実施予定の講座の情報です。 テーマは、「黒駒地域に花ひらいた縄文パワーに迫る」 そのお知らせは紙ベースのチラシで湯之奥金山博物館にも並べられています。しかしながら、数的に少なく見逃されてしまいそう。 そこで、このほどくろちゃんのブログに掲載された、11月27日の講座のお知らせをここに取り上げたしだいです。 縄文王国山梨とは、そもそもどういうものなのか、知る人ぞ知るではこまりますので、ご存知でない方のために少しだけ解説させていただきます。 山梨のエリアには数多くの縄文時代遺跡があります。そして、これまでに目を見張るようなすぐれた出土品も多く知られています。とくに縄文時代中期(そよそ5~4,000年前)に盛りを迎え、地域的に見ても山梨は成熟度が高いと自負するものがある、それをアピールしたい・・・、そうした意気込みをもった取り組みのことを指しています。 縄文王国山梨実行委員会は、縄文文化にふれる、山梨県内の7つの博物館がつくるネットワークで、これまでに毎年様々なイベントを開催してきていますが、2016年の呼びものの1つとして、この連続ゼミが位置づけられています。 すでに4つの館での講座が終了していまして、今後のこりの3つの館で、10月23日(日)、11月27日(日)、12月23日(金・祝)の日程で、3つの講座が予定されています。 今回の話題は、このうちの11月27日の講座に焦点を当てたもので、開催館・会場は笛吹市にある山梨県立博物館で、講座のテーマも笛吹市内にある黒駒地域のいくつかの著名な出土品について、そこに見られる縄文パワーともいうべき、文化エネルギーの高さにふれるもののようです。 金山博物館と黒駒地域は、御坂山地の山々でつながっているところでもあり、参考に耳を傾けるのも面白かと取り上げてみました。詳細は上記にリンクがあるweb情報で・・・。
2016.09.19
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9月3日に一度ご紹介がありましたが、そのときは地域面(峡南)での扱いでした。今回(9月17日)は文化欄で、一段の踏み込んだ取材記事となりました。 タイムリーな話題として、リオのオリンピック・パラリンピックがあり、そこでの日本選手の活躍がめざましく、テレビ等で紹介されたことは記憶に新しいと思います。選手のインタビューの中で、しばしば「一番いい色のメダル」というのがありました。ご承知のように金メダルのことなのですが、なぜ「金」が一番いい色なのかな・・・。古今東西、「金」が一番いい・・・ということは普遍的なことのようです。 今回の記事のための取材をうける中で、このことを枕にしながら、普遍的な金へのあこがれから金山博物館への注目度アップを抑えたかったのですが、果たしてそうなっていたでしょうか。 ともかく、こうした紹介記事で、湯之奥金山博物館へのご訪問が増え、甲斐の地で金を産んだ金山遺跡のことについてのご理解が広がりましたら幸いと考えております。
2016.09.19
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今日(2016年9月17日)、あらためて定礎石をじっくりみました。この写真の湯之奥金山博物館の「定礎」石は、館の正面玄関の左手の脇に設置されています。「平成9年3月吉日 / 下部町」とありました。今回はこれをちょっとほぐしてみます。 まず「下部町」についてですが、平成16年9月13日に合併により新「身延町」が誕生するまで存在した自治体であり、この湯之奥金山博物館が建設されたのは、旧下部町時代ということが理解されます。 この博物館は、博物館建設に先立ち、1988年(昭和63)の予備調査を経て、1989年6月から3年をかけて実施された湯之奥金山学術調査の成果を踏まえ、それを保存し、展示公開する役割を担うこととして誕生しました。 さて、「定礎」に戻りますが、昔は建物を建てる際、地ならしをして最初の礎石を置く、そのタイミングをとても大事にしてきました。「定礎」のもともとの意味も、こうした最初に「いしづえ」を定めることをいったものだそうです。 博物館の開館の日が、平成9年(1997)の4月24日ですので、定礎がなされた3月から一月ほどしか経っていません。いま見る博物館の建物が、たった一月で出来てしまうなんて考えられませんね。 では、どういうことか。現代の建築の世界では、建設工事の完成段階に「定礎石」を据えるのが一般的なのだそうです。 つまり、この湯之奥金山博物館の建物は、1997年3月に完成をみて、その翌4月に開館にこぎ着けたのです。博物館の建築からオープンまでちょっと期間が短いように思えますがいろいろな方々のご努力ご尽力で博物館はできあがったという歴史を、この定礎石は静かに語りかけてくれています。
2016.09.18
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もうすぐ秋の彼岸になりますね。この時期に、里山の少し暗めの環境でよく見られるこれ、ミズヒキの花です。花といっても、えぇーこれが?? と思ってしまいそうですが、立派な花です。今回はうまく撮りきれませんでしたので、いずれまたチャレンジ。そのときに、なぜこれが「ミズヒキ」と呼ばれるのかも確かめていきたいと思います。
2016.09.17
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湯之奥金山博物館の南側は山が迫り、博物館の敷地と急ながけで接しています。そのがけに面した部分では、自然が豊かで、いろいろなものが観察されます。その1つが、このヘクソカズラです。 ヘクソカズラの花は、手元の図鑑のデータでは8~9月が花期となっています。花の影には、先行して咲いた花が終わり、実になっているのが見られます。ヘクソカズラの花は、薄く赤みを帯びた白の筒状の花で、先が5裂し外に開き、内側は暗い紅色をしています。 中央下部の下向きの花は、よく見ると、4裂しています。図鑑の説明の5裂が一般的ですが、こうした4裂のものや6裂のものも、現実には見られます。 ヘクソカズラは、名前にカズラとあるように、つる性の植物です。そのより根元の方には実だけになったのも観察されました。これを見ていると、季節は夏から秋に移っているなと感じさせられるのでした。
2016.09.17
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この日(2016年9月16日)、2名の韓国からのお客様がありました。威徳大学の博物館館長の朴先生と、同行の千先生で、お二方とも古代韓国の金についてのご専門のようす、特に朴先生は谷口前館長と電話でやりとりをされておられたご関係で本日わざわざ湯之奥金山博物館にお越しいただいたとのことです。 谷口先生はもうおられないので、がっかりされていましたが、展示室をご覧になりながら素晴らしい展示だと、賞賛の言葉をいただきました。 ありがとうございました。またお越しください、と お昼の電車に間に合うようお見送りをしました。
2016.09.17
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湯之奥金山博物館は、身延町立ですので、その身延町がいつ、どのように誕生したのかはとても大事なお話です。身延町の公式ホームページの中に「身延町について」というサイドメニューがあって、その下位に「合併の経緯」というページをたどると、上に示したような図説が見られ、これによって身延町の誕生の経緯が一目でわかるようになっています。 それによると、旧3町が合併して新「身延町」が誕生したのは、2004年の9月13日。おっと、9月13日は、新「身延町」のお誕生日じゃないですか。かたく言えば「町制施行記念日」ということになりますね。満12歳、おめでとう。
2016.09.16
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金山博物館の前庭、というよりも駐車場といった方がいいでしょうか、その中程にある大きなケヤキの木の根元を囲う縁石に沿って、ヤブランが植栽されていて、いまひっそりと紫の花を咲かせています。 こんなにかわいく、きれいに咲いています。ちょっと目をかけて、愛でてやってください・・・。 こちらは、少し前の記事に使用した写真の再掲ですが、この写真に写る中央やや左手の樹木、ケヤキの木、その周りでのヤブランの花です。見つかるかな・・・。
2016.09.16
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今日は、旧暦で8月15日。だから十五夜です。中秋の名月、お月見です。でも、昼から夜にかけ曇り空。名月が見られないかもしれないと、気をもみながら夜が進み、雲がとれることを待ちました。 午後7時30分頃、黒い雲からまあるいお月さまが顔を出しましたが、あいにく手にしていたデジカメでは、こんなものでありました。 名月を取ってくれろと泣く子かな(一茶) 午後10時頃、雲が薄くなり、月がかなりよく見えるようになりました。なので、あわててデジタル一眼に300mmまでの望遠ズームというのを持ち出して撮ってくれちゃいました。ちなみに撮影地は、甲府市下向山町。金山博物館では、どうだったかな・・・。
2016.09.16
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昨日よりは雲も多く、青空に見える部分もちょっとだけぼんやりしていました。お昼休みに、そんな博物館の上空を通過する飛行機をつかまえました。いまは、飛行機も小型化して運用の効率性を高めているようで、望遠レンズを通してもとても小さく写り、どこのエアラインかまでは突き止めにくくなっています。機体は、きっとB737でウイングレットが付くのでは・・・と思われます。
2016.09.15
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天気の週間予報をみると、この先、曇りや雨が続くとか。そんな中で、湯之奥金山博物館の上空には、きれいな青空が広がりました。 白い雲が一筋見られますが、これは上空を通過した飛行機の落とし物。そうです、ここはよく飛行機が通過していきます。主に西行きの・・・。大阪かな、はたまた福岡かな・・・。
2016.09.15
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地元の小学校のF先生。旧知の方でしたが、あらためてよろしくと、名刺交換をさせていただきました。 で、いただいた名刺の裏には、このような情報が・・・。 う~ん、いろいろとがんばっていらっしゃるんだ。なんか、博物館活動とうまくリンクできるといいなぁ・・・。
2016.09.15
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前々回に取り上げた9月2日付けの館長就任のご挨拶のHP公開のことが、身延町の魅力を発信し続けている『身延Life』といウェブサイトに紹介されてました。ありがたいことでございます。感謝・・・ こちらの画像は『身延Life』のトップページの冒頭部分を切り取ったものです。これは「まち楽」という全国展開のウェブサイトにリンクする、身延町のスタッフによって維持されているもので、様々な情報が発信されています。 また、載せていただいてPRが進むよう、がんばらなくっちゃね・・・。
2016.09.14
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当館リーダーが朝から下部川に面したリバーサイドパークの目立つ部分を対象に除草作業を実施。とてもきれいになりました。写真は、途中のいっぷくの状況でのものです。館のスタッフは、館内のおもてなしの外、こうした除草作業や駐車スペースの白線の引き直しペイント作業など、さまざまに活動をしています。お疲れさま・・・。
2016.09.14
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身延町立湯之奥金山博物館の公式ホームページの中に、「博物館日記」というページがございますが、9月2日付けで新館長就任の挨拶がのせられました。 そのページの挨拶部分を画像にしてみたのですが、実際よりもずっと小さく、これでは読むのがたいへん。 もし直にお読みいただける方がいらっしゃいましたら、「博物館日記」の中の9月2日の書き込みによってご覧いただけますようご案内いたします。
2016.09.13
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本日、3回目の出勤。その途上、富士川を渡る富山橋からの眺めです。遠方の左手に見える一部に雲がかかる高山は、金山遺跡の所在する毛無山です。一番手前に左右に伸びる欄干は、富山橋のそれ。中央のポール状のものも富山橋の夜間照明灯のポールです。その欄干の向こう側に、欄干上部に沿うように見えるのが中部横断自動車道の高架橋でして、赤白塗装のタワークレーンが作業をしている部分で、最後の1径間の桁がまだのっていない状況となっています。でも、この状況だと常葉川渡河地点での高架橋がつながるのは、間もなくのこと、中部横断自動車道の建設工事は、一日一日と進捗しているようです。 この日は、古文書の勉強会がありました。
2016.09.13
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今日は館長OFFの日です。そこで、少し時間をかけて、このブログ『二代目館長日記』をスタートさせました。 細かいことを申しますと、「就任前のメモ(過去記事)」というカテゴリが存在しますがだいぶ前から別テーマで作成していたものをリニューアルした形になっています。 いくつかのカテゴリをご覧いただくと、どんな性格のブログなのか検討がつくかと思うのですが、元来、分裂気味にあちこちに目がいき、話が飛びますので、身延町立湯之奥金山博物館を中心に、館長のONとOFFのようす、通勤中のスケッチなど順次記事をアップして参ります。 どうぞ、じっくりお楽しみいただき、またその先には、ご来館をいただけましたら幸いでございます。よろしくお願い申し上げます。 写真は、昨日のお昼休み、下部温泉駅前の郵便局に用事に出かけ、帰途に、博物館の下部川(富士川支流の常盤川のまた支流)を挟んで対岸から、博物館のある下部リバーサイドパークを見たもので、縦構図の写真10枚を使ってパノラマ合成したものです。ちなみに、この写真と同じ素材を使って、ブログタイトルのバックにしています。
2016.09.12
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9月3日の土曜日、この日、東京はお茶の水界隈で受験がありました。どんな試験を受けたかといいますと、公益社団法人・日本文化財保護協会が所管する埋蔵文化財調査士の資格認定の試験なのでありました。 年甲斐もなく、緊張しました。 写真は、試験が終わり、お茶の水をあとにするために乗った中央特快の運転席から前方を眺めたもの。2枚の写真をむりやりつなげたものですが、画面の右手には、乗車中の電車とほぼ同じ空間に、外に2つの電車が走っている様子が写り、左手には、女性の運転手の姿が写っているのです。東京の交通網の欄熟度を想い、また女性の社会参画の高まりを強く認識した・・・そういうものでした。 その先の日程として、16時から酒折駅前で、山梨県考古学協会のミーティングがありましたので、高尾で松本行きの普通列車に乗り換え、トコトコと電車の旅。時間があるっていいなと思いながら、読書などして移動した次第です。
2016.09.12
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実は、9月1日の辞令交付の折、地元紙の記者さんが別件取材で役場に見えており、成り行きで就任の取材を受けました。 地元紙は、当地においては、たいへん浸透力があるので、顔写真入りの記事にはとても気恥ずかしい思いが先立ったのでしたが、これも館のPR・・・。 どこの家でも朝刊に目が通されるくらいの時間からしばらくおいて、メールなどで反応が寄せられました。あらためて、よろしくお願い申し上げます、と。
2016.09.12
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今年6月に急逝された谷口一夫先生のご家族のみなさまが、湯之奥金山博物館にお見えになり、しばし思い出に浸られる時間がありました。 開館から19年目を迎えていますが、谷口先生の湯之奥金山遺跡との関わりは、当館開館の前段の金山遺跡の考古学を中心として総合調査の時から・・・。この地に、長い時間が流れてきたので、時々の思い出が数え切れないほどです。 写真は、館の中のショップの一角に掲示されている1万人ごとの節目に撮影された、記念写真をご家族の皆様が眺められている場面です。 先生は、鬼籍に入られてはおられるものの、いつも高いところから、館のにぎわいをご覧になっていることでしょう、と話しながらの心動く時間でありました。
2016.09.12
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二代目館長として、本日初出勤。午後、役場にて辞令をいただきました。博物館は、いまは9時開館・18時開館となっていますので、勤務が終了し、帰途につくともうライト点灯という状況になりました。 写真は、国道52号と国道300号が接続する上沢交差点を、300号西進して右折というタイミングで信号待ちの場面でありました。 位置的に整理すると、このマップのようになります。
2016.09.12
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