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若い頃読んで記憶がおぼろげになってしまった、外国文学をもう一度味わいたいと再読していて、まだ残っているのを思いつくまま書き連ねると『レ・ミゼラブル』ユゴー『モンテクリフト伯』デュマ『魅せられたる魂』ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン『パルムの僧院』スタンダール『大地』パール・バック『白鯨』メルビル『クレーヴの奥方』マドレーヌ・ラ・ラファイエット『ドルジェル伯の舞踏会』レーモン・ラディゲ『愛の妖精』ジョルジュ・サンド『ベラミ』モーパッサン『チボー家の人々』マルタン・デュ・ガールなどなどというわけで、この中のパール・バックの『大地』を読みつつあり、4巻の(一)を終わったところで、「あれ?こんなに通俗小説ぽかったけ?」と。恐れ多くもノーベル文学賞作家です、もっと重厚だったような気がしていたのですけど。ストーリー展開はまあまあ面白いですが、記憶っていい加減です。体力と気力がいつまで続くかわからないけど、こうしてぼちぼち再読本も進めていくつもり。
2022年11月24日
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前回の「ある分析したら!?」の詳細編です。ある作家のある作品を読み終わり次に何を読むか選び決めるのは何によってなのか?ネットの情報がなかった時には本屋さんに行って選び買う新聞や雑誌で情報を得る友人や知人、家族に薦められるか、話の中に情報がある学校や教育機関で知る(教科書に出てくるものなど)図書室や図書館に行って選んで借りてくるラジオの朗読の時間に聴き興味をもつ映画やTVドラマの原作に興味を持つTVのブックレビュー(これはネット社会になってから始まった印象)貸本屋はまんがを借りた記憶があるような無いようなこんなところがネット情報に浸る前のわたしの選択情報(アナログ情報)だった。で、物凄く情報が入ってきたネット情報以前とその後よって、読む作家や作品が変化しているのが、読書歴に表れており、また古書店で購入する程マニアではないのに、新中古書店が繁盛しだすと気軽にあれこれ選べて購入してしまい、これまた読書傾向に変化が現れたのだと思います。10~15冊読んだ作家を分けてみるとアナログ情報由来有吉佐和子 10冊井上靖 10冊犬養道子 12冊遠藤周作 12冊幸田文 14冊 メアリ・H・クラーク 15冊立原正秋 10冊高村薫 10冊コナン・ドイル 10冊バルザック 10冊ヘルマン・ヘッセ 10冊デジタル情報由来石田衣良 15冊恩田陸 15冊大沢在昌 12冊パトリシア・コーンウェル 12冊篠田節子 15冊田口ランディ 12冊林真理子 13冊三浦綾子 15冊吉村昭 12冊若竹七海 11冊林真理子さん、三浦綾子さんや吉村昭さんの作品はその前にも読んでいましたが、何冊もとなるとネットの情報や古書店(110円本)の力がありますね。わたしのなかではデジタル化ゆえ、紙の本を読まなくなったというのはありません。むしろ情報が多くなり、しかも瞬時にということと、ブログなどで発信出来る環境とが本好きを増幅させたのでしょう。
2022年02月12日
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物心がついたら本好きになっていて、趣味というよりは習い性のようなものでずうっと本を読むのをやめなかっただけ、それでどうするつもりもない。いったいわたしは何を読んできたのだろう?なんていう疑問がわいたこともなかったが、ある作家の作品を10冊以上読んでいるなら、その作家に興味を持ったのだろうということで、こんな風に初めて調べてみた。10~15冊有吉佐和子 10冊井上靖 10冊犬養道子 12冊石田衣良 15冊遠藤周作 12冊恩田陸 15冊大沢在昌 12冊幸田文 14冊 メアリ・H・クラーク 15冊パトリシア・コーンウェル 12冊篠田節子 15冊立原正秋 10冊高村薫 10冊田口ランディ 12冊コナン・ドイル 10冊林真理子 13冊バルザック 10冊ヘルマン・ヘッセ 10冊三浦綾子 15冊吉村昭 12冊若竹七海 11冊16~20冊五木寛之 18冊江國香織 17冊北村薫 17冊倉橋由美子 16冊 桜木紫乃 17冊瀬戸内晴美 16冊曾野綾子 20冊ドロシー・L・セイヤーズ 16冊田辺聖子 18冊葉室麟 17冊三島由紀夫 18冊宮部みゆき 16冊山崎豊子 18冊21~30冊 司馬遼太郎 23冊夏目漱石 23冊藤沢周平 22冊モンゴメリー 24冊31~40冊桐野夏生 37冊41~50冊山本周五郎 43冊 (すべて読んだはず)51~池波正太郎 55冊アガサ・クリスティー 57冊 (ポアロものなどに未読作品がまだある)松本清張 80冊早世され、生涯作品が限定される作家もあるし、書きまくり大量生産型の作家の作品に、わたしがつい波に乗ったのもあり、一概には比べられないけど、こんなところ。でも、面白いなあ、大好きな作品の作家を、必ずしも多く読んでいるとは限らないことがわかったのだ。今度は好きな作品を調べてみようかな。今年の冬はベランダ花壇で楽しんでいます
2022年02月11日
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このところ、読書感想やメモが少ないのは、読んでいるものが本ではないから。何を読んでいるかと言うと、わたしの過去の読書感想やメモを、なのだ。実は「ブクログ」というアプリに、この楽天ブログにアップした過去の読書データを転載している。当然読みながらの作業になる。なにしろこの楽天も長い(2003年の晩秋から)感想ブログ量もすごい、始めたころの今から思えば拙いブログだったり、おお、よく書いている、というのだったりおもしろいから、その作業に時間がかかるというわけ。たくさんの読了本を本箱に整理していたのを、東京へ腰を据えたきっかけに断捨離。けれども読んだ本を並べるという魅力を棄てることは辛い。本が本棚にあるという楽しみ、これは本好きならではの趣味。そこで見つけたブクログのアプリはバーチャルな本棚なのだ。なかよくできているアプリケーションだと思う。本の表紙写真があり、本のウエブ通販に連動しているから、新刊本や再版、改版、電子図書と進化していっている。過去の紙版もかなり網羅されているが、これからは紙の媒体がどうなるのか、わからない。そこで、わたしの読んだ本が紙の媒体から電子図書になってしまう前に、入れておこうとも思って急いでいることもある。スマホにもアプリがあるからいつでもわたしの読了本がわかる楽しみも増えた。読んでいない読みたい本も登録できるし、本の分類もできる。HPを作って自分の好きなように編集するのは大変な人に、ひとつのおすすめ。ブクログ「ばあチャルの本棚」わたしは「カテゴリ」を読んだ年代別に、「タグ」は作家名に分類しております。あと2003年の少しと2004年分の読了感想アップで作業が終わる予定。お借りしているこの画像!懐かしいこと
2021年09月14日
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「質素だがこぎれいにきちんと片付いていた」「床は掃き清められていた」「土間に草履や下駄がそろえれれていた」(時代物)「道具類が分類されてしまってあった」(例えば職人さんの部屋)「本棚が整然としていて、背表紙がそろっていた」「庭は箒の跡が残っていた」などなど上記はわたしが未知の作家作品を読むときに、共感しその作家その作品を好きになってしまう文節なんですよ。もちろん小説や物語にはどうしょうもない無頼者や破壊的人間、だらしがないひとも登場、乱雑でぐちゃぐちゃになっている様子も描かれます。でもね、室内描写などのところに「部屋が片付いていた」という一節があるとその作品を好もしく思い、信用してしまうのです。ま、ストーリーが全く面白くなければそれは問題外ですけども。おかしいですか?というわけで63歳のブリット=マリーはとてつもないきれい好き長年にわたり自宅を完璧に磨き上げていたが、の惹句にとても惹かれるスウェーデンの作家フレドリック・バックマン『ブリットマリーはここにいた』リンク友のTodoさんの感想を拝見して気になったのもあり、読み始めました。この惹句のつづきがこのたび浮気をした夫を置いて家を出た。わお!やりすぎると・・・
2019年02月17日
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モーリアックの『愛の砂漠』を読みたくて、その作品は絶版となっているので図書館で探し借りた。それが懐かしき「世界文学全集」の中に収録してあったのです。講談社1971年発行の「世界文学全集」。プルーストと組んであって『失われた時を求めて』の6篇部分「逃げ去る女」とモーリアックは『愛の砂漠』と『テレーズ・デスケルウ』これは見知らない全集だけども、わたしの若き頃は文学全集花盛り。講談社もそうだけど、筑摩書房新社、中央公論社、新潮社、平凡社、岩波書店、集英社・・・買ってもらったり、おこずかいで買ったり、働きだしたら給料日に本屋に飛んで行って集めた・・・もちろん全集全部集めたのではではないけれども・・・結婚してもずっと捨てずに残してあるのもあったのよ。日焼けして、しみがついて、ぶわぶわ膨らんだもの。それを去年あっさり断捨離。二段組だの時には三段組の活字が小さいのなんてもう読めやしない。そう、捨てたものは懐かしい。何がって、文学全集の付録的読み物がである。両作家の年表もそうだし、解説が詳しいのだ。モーリアックの作品には大原富江さんの素晴らしい考察が、モーリアックの主要作品解題(『癩者への接吻』『ジェニトリックス』『まむしのからみあい』『パリサイ女』)が興味深かったた。ひさしぶりに文学全集の付録が楽しかったの巻。
2019年02月14日
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タイトルは池波正太郎さんのパクリですが中身は池波流ではありませんこのごろは健康を兼ねて、夫婦であちらこちらご近所を探検のようにして歩いています。普段は地下鉄利用なのですが、山手線の内側に住んでいるのでかなり歩けば山手線の駅に行きつきますそんなわけでO駅という、新しく駅ビルが開発されたところに行ってみました。あのひなびたO駅がみちがえるように近代的になって「アトレヴィ」が出現。まあ、まあ!成城石井やユニクロなどなどにぎやかだこと。ほんと、近年どこも似たり寄ったりの駅ビル開発ですね、JRさんは。ま、その新しい「ドトールコーヒーショップ」でカフェオレを飲んで、書店の開店を待ちました。銀座にもある「旭屋書店」わたしのおきにいり書店 🎶やっぱり読みたい本がある『フランケンシュタイン』!今読んでいるカート・ヴォネガット『タイムクエイク』にフランケンシュタインは怪物ではない、それを作った科学者の名前、そして作者はメアリー・シェリーという、イギリス詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーの二度目の妻それが新潮文庫のスターコレクション新訳であったのだ、肖像画、美人だえ、え、えっ、、、面白いなあというわけで購入。しかしですな、散歩とて所持金が少ない、ところを持って来て「散歩の途中でなにかたべたくなって」お昼ご飯を食べようとわたしの小さなお財布と夫の小銭入れを覗いて(そうそう、本屋さんの前に靴下屋さんで夫のソックスを一足購入もしていてだから、夫には本購入を我慢してもらって)かき集めて約二千円あるかないか(笑)さあ、その駅ビルは近代化したけれども、古い街並みを歩き回ってありました、サラリーマン行きつけのチェーン店「ナントカ日高屋」ラーメンと冷やし中華と餃子、おまけに生ビール普通においしくてたっぷりでですからタイトルはお借りしたけれども、、、です(笑)
2018年07月09日
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有名人(?)の本を2冊読んだ高嶋秀武『高嶋ひでたけの読むラジオ』角野卓造『万事正解』「軽い読みものね」という感じは正解であるエッセイというより紙のブログというところか文学好きとしてはちょっとね、時間がもったいないかなあ(失礼!)スターたちの本とは違ってゴーストライターもいないのだろうが小学館という大手出版社が出してくれるのだからいいよね普通の人なら私家本?自費出版?というところよ(とやっかみ半分)貸してくれたとしてもこれからはこのような本読むのやめようかなあ活字好きはすぐ取り掛かってしまうから厄介なんだそして読み始めたら途中で放り出せない性格があだ(笑)
2018年05月10日
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先ずは去年の10、11、12月の読書を10月『失われた眠り』南部樹未子『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行『「暮らしの手帖」とわたし』大橋鎭子『おごそかな渇き 他』山本周五郎『儒教に支配された中国人と韓国人』ケント・ギルバート『花も刀も 他』山本周五郎11月『痛くない死に方』長尾和広『本当は怖ろしい韓国の歴史』豊田隆雄『朝鮮と日本に生きる』金時鐘12月『八月の光』フォークナー『正妻 慶喜と美賀子』林真理子『箱根山』獅子文六『似たものどうし』北原亞以子『利休の闇』加藤廣去年の秋、ブログ開始記念日がめぐってきたころ、まあ毎度のことながらブログを続けるべきかを考える。もやもやしたところをブログにアップ。ありがたいことに読んでくださった方がいいコメントを下さる。現金なもので調子よく元気になって、読書ブログの環境など整備し直してしまう。フリーページに今までに読んだ「作家別読了記録」索引を作ったり、なるべく読了本の感想なりメモなりをアップする!と決心する。読書ブログのお仲間も増やそうとしている。楽天ブログでない方は「サイト自由欄」にリンクを張らせていただく。「信兵衛の読書手帖」「トドの部屋」というところが今現在、わたしの読書ブログの環境。
2018年01月09日
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イタリーボッカチオ『デカメロン』スペインモルバンテス『ドン・キホーテ』イギリスデフォー『ロビンソン漂流記』スイフト『がリヴァー旅行記』フィールディング『トム・ジョウンズ』ジェーン・オースティン『高慢と偏見』スコット『アイヴァンホー』エミリ・ブロンテ『嵐が丘』ディケンズ『デヴィッド・カバーフィールド』スティーブンスン『宝島』トーマス・ハーディ『テス』フランスラファイエット夫人『クレーヴの奥方』プレヴォ『マノン・レスコオ』ルソー『告白録』スタンダール『赤と黒』バルザック『従妹ベット』フローベル『ボヴァリー夫人』ユゴー『レ・ミゼラブル』モーパッサン『女の一生』ゾラ『ジェルミナール』ロラン『ジャン・クリストフ』マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』ジッド『贋金づくり』マルロー『人間の条件』ドイツゲーテ『若きエルテルの悩み』ノーヴァリス『青い花』ホフマン『黄金宝壺』ケラー『緑のハインリヒ』ニイチェ『ツァラトゥストラかく語りき』リルケ『神様の手記』トオマス・マン『魔の山』スカンヂナヴィアヤコブセン『愛と死』ピヨルンソン『アルネ』ロシアプーシキン『大尉の娘』レーモントフ『現代の英雄』ゴーゴリ『死せる魂』ツルゲーネフ『父と子』ドストエフスキー『罪と罰』トルストイ『アンナ・カレーニナ』ゴーリキー『母』ショーロホフ『静かなるドン』アメリカポー『短編小説集』ホーソーン『緋文字』メルヴィル『白鯨』マーク・トウェーン『ハックルベリィ・フィンの冒険』ミッチェル『風と共に去りぬ』ヘミングウェイ『武器よさらば』ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』中国魯迅『阿Q正伝』緑太字が読了した本うーんと若いころ桑原武夫著『文学入門』を読んで、巻末の「世界近代小説五十選」を参考、忠実に読んできた結果がこれである。何しろ、この『文学入門』は1950年初版の岩波新書。67年の歳月は、お薦め五十選の内容をどう変えているのか?それに著者によっても違ってくる。わたしの思いつくところは池澤夏樹さん、高橋源一郎さん、あたりだが・・・。そういうことを考えるのも読書の楽しみである。
2017年11月19日
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「ああ、もう14年周期が終わるのだなあ」と数え、ブログの意義を思うのが毎年のことである。意義などという堅苦しいものではなくて、「何のためにこうしているのかなあ」という動機の問い直しのような思いだ。このブログを始めた動機はほんとにほんとに軽いものであった。知り合いがその頃は珍しいブログなるものを始め、読書感想をメールでやり取りしていた相手なので、読書ホームページを画策(おおげさ!)していたわたしは「あら、こんな方法もあるのね」と飛びついたのであった。あの始めた頃のブログ環境は、やっていらっしゃる皆さんが皆、この新しいブログというツール(手段)に情熱を傾けて内容が新鮮だったし、コメント欄も盛況だった。なんでもそうなのだけどいまや始まりの頃の勢いはないように思う。でもブログランキングやブログ村などを見ると結構たくさんあるので、決してブログ自体が衰退というわけでもないらしい。いやいや人のことではない、自分を振り返るのだ。新鮮味を失っている自分を知ろう(笑)本を読むのは相変わらず好きだし、よく読んでもいると思う。今、友人が貸してくれた山本周五郎の短編集『花も刀も』や『おごそかな渇き』(新潮文庫)を読んでいるが、周五郎は大好きでわたしのフリーページ「山本周五郎の世界」にあるように全作品を読みつくしているのである。むしろ読み過ぎて食傷気味なのであった。が、なんということでしょう~すっかりストーリーを忘れてしまっているのである。ほんと、まったく新しい作品を読んでいるのと同じなのである。カタルシス部分がわからないから、感動して涙する新鮮さなのである。こういうわたしが、わたしのフリーページ「山本周五郎の世界」にはどんなことを書いてあるのか、読んでみた。あら、あら、あら、なんという情熱(笑)一度アップした記事を、しばらく後で読み直すことはほとんどなかった。なぜかと言えば「はじ」である。「てれ」である。まあ、そんな自信のないことでよくブログをするよね。ひとつ、わたしが自分に課していることがある。同じ内容のブログは二度とアップしないようにしょうと思っているのだ。が、こう読書の内容を忘れるようでは信用が置けない。それに第一なんだか意味がないことにこだわっているようで、自分で自分をがんじがらめにしていたかもしれない。それだけの理由ではないだろうが、もっと自由に考えたら新鮮になるのかもしれない。ま、性格は変わらないというから、相変わらずきちんとを求める傾向が強く出るのは仕方がないかもしれない。しかし、読んだ好きな本の内容を忘れるのだったら、いくら矛盾が嫌いなわたしでも書いたことの整合性も怪しいものだね。と、ボケた頭に言い聞かせたのであった(笑)
2017年10月29日
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どんどんたまる本の整理を始めてしばらくたつ使わなくなった実用本や読んでしまった本でいらないものは処分したはずが一向に減らない書籍類の詰まった本棚を眺めて思案している「本ずき」は本そのものが好きと言うところがあるから読んでしまえばそれで終わり、いらないとはならない癖があるだからたまる、ああ~悩ましい~ただ、ただ「この本のここがいい文章だからとっておきたい」「感銘した本はいとおしい」「もう一度読み直したいから」「初版本で凝った装丁本だから惜しい」ところがこう齢経てきて、今ある量では多すぎるとわかっているそれでは何を残して何を処分するか?個人が所有する究極の本の選択、決めては何か?それは何冊か?よくある想定「無人島に持っていく○冊の本」「外国に住まう時の○○冊本の選択」愛読書か?未読本か?あれ?わたし、愛読書ってあったけ次から次へとおもしろい本を追いかけてきて、約70年子供の頃に夢中になって読んだ本は、確かにいとおしい大抵名作と言われている本が多いだが、そういう本は廃版にならないからいつでも売っているもう出版されていない本についても、図書館にはどんな本でもあるのである未読本・積読本は結構ある新刊本でも古本でもヒョイと手の取り、買ってしまったりするしかしながら手に入れたはいいが、何十年もおいてあるだけは、どーなのかな?そうすると結論は洋服や他のものと同じ(こんまり流拝借)読了本はときめき本を残す、積読本はこの一年読まなかった本は処分あとは「残す本は何冊に決めるか」を考えればいい200冊は多い?100冊では漏れる本がかわいそう(笑)
2017年08月30日
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強力な肩こりに見舞われたこの頃、憂鬱に過ごしていた。寝ていても体がこわばって目が覚めてしまうつらさは初めての経験。75歳のおばあさんだもの、仕方ないか。と、諦めてもいいがお定まりの「整形外科」通いとなるか瀬戸際になっていた。原因は? 曰く1. 夫の介護的世話に疲れた2. 畑仕事の筋肉痛から来た3. 全身の運動不足(経年による筋肉の減少か。)4. 息子たちの悩み事に付き合った5. 古い本の小さくて不鮮明な活字を夢中になって読みすぎた1~4は相変わらず継続しているが、5は解消している。古い本とはもう何年も前に105円で買った北杜夫『楡家の人々』のこと。読みたいと思いながら、積んであった本。昭和46年発行、平成元年40刷の新潮文庫版。茶色く変色した紙の450ページあまりの上下巻2冊。活字を測ってみたら縦横2ミリ、行間も2ミリでぎっしり並んでいる。見ただけで頭がくらくらしたのだ。ああ、昭和46年(46年前よ)ならわたしだってなんでもなく読めただろうよ。それを105円だからって、しかも12年前に買ってすぐに読まなかったのだからねえ。前にもそういう本は買いなおそうと書いた気がするが。そしてここが肝心、読み始めたら素晴らしい作品ではないか!面白くて、おもしろくてやめられない。しかし、上巻の三分の二まで来たら、どうにもこうにも肩こりが激しくてたまらなくなった。ま、肩こりにはいろいろの原因があるから、「これだ!」とは思えないが、ついにネットで調べて買い直しを決心した。平成23年発行、24年4刷、上中下と3巻になっており活字大きい(縦横3ミリ)行間も1ミリ広がり、もう断然読みやすい。こうして何日か過ぎたら、なんと今日、肩こりが消えたり。時代とともに本の体裁変遷はあるのだろうが、昔何でもなかったことが出来なくなる悲哀と写真まで撮ってこだわる本好きのサガであった(笑)
2017年05月25日
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連休中は息子たちや娘たちが来て賑やかであった。賓客ではない。家族ではあるけれども迎えるとなれば、窓ガラスなども拭いて、いつもより丁寧に掃除をし、気働きもする。ちょっとしたイベントが終わった感じ。そんな風なことでもないと、もうゴールデンウイークなんて意識しないだろう。ちょうど、庭の菜園も夏野菜の植え時でやっと終わってほっとしている。「あれから三ヶ月」って、夫が転んで大騒ぎして、その他入院手術などいろいろあって過ごした三ヶ月間の記憶が薄れていく。読んだ本の記録しておかないと記憶にならないのが、たまらないわね。「読書メモ」ウエブ・ログできなかった「一口メモ」は以下。。3月吉村昭『海の祭礼』・・・江戸時代の終わりごろ、アメリカの捕鯨船の船員がひそかに日本上陸。鎖国政策ゆえの大騒ぎ。そんなこと言ったって日本は四方八方海に囲まれているのだからなあ。相変わらずの読み応え。浅田次郎『赤猫異聞』・・・江戸の街が大火に見舞われるとて、牢獄解き放ち、決まった刻限にもどってくるか、罪びとたちの事情とこころの動き。スリルあり。パトリシア・コーンウェル『スズメバチの巣』・・・検死官ケイ・スカーペッタシリーズではない、一つの街を俯瞰するようなストーリーがとても面白かった。4月モンゴメリ『パットの夢』・・・モンゴメリ晩年の作品。夫のうつ病介護などでつらい時にこそ、なお空想を羽ばたかせた作品。三上延『ビブリア古書堂の事件手帖(7)』・・・ビブリア最終回。森村誠一『刺客請負人』・・・へえーこんな作品をお書きになったんだ。司馬遼太郎『三浦半島記』・・・この半島の近隣に暮らしていてもこんな歴史的な由緒あるところとは知らなかった。もちろん鎌倉はわかっていたのだけども。司馬遼太郎さんはやはりすごい。この本をお書きになった場所の高台にあった「磯子プリンスホテル」はもうない。マンション群になってしまった。カミュ『最初の人間』・・・未完の遺作だけれども感銘深い。フランスとアルジェリア地中海をはさんだ地勢的歴史的興味が湧く。
2017年05月08日
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「趣味は読書」というのはわたし、いまさらそれが何か?なんだが・・・。そう言えば『趣味は読書。』というタイトル、斎藤美奈子さんのエッセイを前に読んでいる。読書感想が2006年10月28日にアップしてある。斎藤さんによると、読書趣味にもいろいろの型に分類できるという、オタクな記事である。その記事を今回読み直してみると、つじつまが合わない、ちょっと変なところを発見してしまった、失敗ブログでもあった(恥過去ログを読んでくださっている方もいらっしゃるので、アップしっぱなしではなく、時々読み返した方がいいのかもしれないが、わたしはどうも一度アップすると、過去ログを読み返すのを嫌がっている。(その時には一応添削しているつもり)みなさまはどうかしら?そんなことはさておいて、なんで趣味の話かというと、相方、夫の趣味について、困っている。趣味というか、老後の楽しみ、暇つぶし、ボケ防止の目的、なんとでも言いようはあるけど、人間は何かしていなければ楽しく生きていかれない。それがゴルフだった夫、どうやら出来なくなりそうなのだ。目が悪くなったのが原因。まず第一にゴルフというスポーツが出来ているのだろうか。ゴルフって第一打は飛距離が命。夫はかなり飛ぶ。しかし、打ったボールの軌道が見えない、落ちた場所がはっきり見えない。へアウエーで落ちたらしい場所に着いても、ボールが見えない、見つからない。そこから気を取り直して、打とうにもグリーンの旗が見えない。キャディーさんに方向を指定してもらって、打つ。で、グリーンに乗っても、こんどはホールの位置が見えない、やたら勘どころでパターを当て転がす、だそうだ。う~ん、それじゃおもしろくなかろ。第二に車の運転は目が悪いためにとても危ない。車でゴルフ場行かれなければ、現在ほどの回数(年間100回)は出来ない。現役時代のたまにやるゴルフの時代は過ぎている。繁くやっているから老いても続いているのだ。左目が「ガン」の後遺症で視力は望み薄。健康な右目は白内障もあるけれども、それだけではない視力落ち。もちろん治療はしているし、希望は捨てていないのだが、見通しは遅遅たるもの。この懸案をもう2年持ち越しにしている。問題は他の趣味に転換することが出来るかどうかなのだ。はてさて、他に何があるでしょうかね、夫の趣味、生き甲斐。自分で見つけ出してもらうより仕方がないのだが。
2017年01月24日
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この楽天ブログがとても使いやすくなってしばらくたつわね、と思う。もちろん、長年にわたり利用させていただいているので、身びいきもあろうが、管理画面のシンプルな使い勝手も気に入り、表示ページのすっきり感も好きである。禁止用語の不便さも、わたしのブログコンセプトには関係ないので不自由はない。もう他では立ち上げる気もしないのは、ほんとう。あ、褒めすぎかな~(笑で、管理画面にある「アクセスレポート」についてアクセス数にかんしては右上の数字を見れば、ほかの人にも予想はつくけど、1日に幾アクセスあっただの、どの日の、どんな内容のブログが多く読まれているかは本人が言わない限り、ひとにはわからない。アクセス数を競う気持ちはないけれども、どんな記事にアクセス数が多いか、ちょっと興味がわく。過去の記事でも結構見てくださっているんだ、「へえぇ」と思ったりする。そんなものの中で「あらすじ『戦争と平和』その1」のアクセス数がものすごく多い。わたしのアクセス数は10桁かいってもせいぜい100桁なのに、昨日で5600超え。「何?」と不思議に思ったけど、ああそうだ!最近のTVドラマだ。トルストイ『戦争と平和』の小説もおもしろいけど、映像ばえする作品だものね。と、こんな感想を持ち、だけどもういちどあの本を読みたいな~(大作で大変なのだ)と思うやっぱりどうしょうもない本好きのわたしであった。
2016年11月29日
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読書友人がおはぎと本をどっさり持ってきてくれたこうしてお互いに読んだ本を交換するのはもう久しい「次、何を読もうかな」と自分の本棚を覗くのと同じくらい楽しいちようど司馬遼太郎の『関ヶ原』に引き続き『覇王の家』を読了して102円で仕入れた本や夫の読了済み本から探していてそれがちょっと飽きていたのだ積んである本って背表紙をいつも眺めているからね読んでいなくても見飽きてる(笑さて、ワクワクしてタイトルを見る宮下奈都 『羊と鋼の森』・・・本屋さんでちょっと気になった三浦朱門 『老年の品格』・・・ふむふむ井上章一 『京都ぎらい』・・・あらら、京都命の彼女(友人)が吉村昭 『漂流』吉村昭 『熊嵐』加賀乙彦 『高山左近』古川智映子『小説 土佐堀川』・・・前の朝ドラ「あさが来た」みてないけど司馬遼太郎『豊臣家の人々』磯田道文 『無私の日本人』・・・映画「殿、利息でござる!」ね葉室麟 『さわらびの譜』・・・ハイハイ、彼女は葉室麟ごのみだからね葉室麟 『潮鳴り』篠綾子 『山吹の炎』他人が選ぶ本をみるのは楽しいもの(笑サマセットモーム『人間の絆』を再読しようと思っていたがそれを置いておいて、どれどれ三浦朱門『老人の品格』もとい『老年の品格』にしよう
2016年09月22日
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自慢だけど(笑)わたしは整理整頓を得意とするだからまちがってもちまたにごまんと流布している「片付け攻略本」は買わないはず・・・しかしながら気の迷いにて坂岡洋子『老前整理』という文庫本を買ってしまったなぜ?本屋で「あれ、これちょっと前にブレイクしてた、文庫本になったのかい?」手に取り1ページ目「はじめに」を読み「最初におことわりしておきますが、この本は、モノをかどのように収納するかというテクニックや片付けのノウハウをお教えすることが主な目的ではありません。」にまんまと「気の迷い」がもろ合致してしまったようするに「それは考え方の問題」ってところにね作者の 坂岡洋子さんの経歴を拝見するとインテリアコーディネーターやケアマネジャーの資格をとりながら住まいのバリアフリーや生活家電のデザインを提案する仕事のうちに在宅介護の現場にモノがあふれ多すぎることに気づき「人生の節目にモノと頭の整理」を提唱するに至ったひとらしいまあ、老全整理コンサルタント会社設立の成功例みたいなものである(笑 さて、そこで本題この本には書いてない、わたしなりの「本の整理」を考えてみるなんだかこの話題、時々蒸し返しているようではあるほんとに本の整理がつかなくて困っている!前にもごちゃごちゃ言っていたが未読本の整理 読みたい本を手元におくのはせいぜい2~3冊いつかは読みたい本は読むかもしれない本ではない読まないと思った本は捨てること億劫だけど読まなければならないと思った本はすぐ読むこと所有本(読んでしまったけどとっておきたい本)整理最終的には、例えば介護施設の一部屋に居るとしたら何冊可能かと考える思い出の本、感銘を受け読み返したい本の厳選古典などのちょっと読み返したい本は電子図書館利用、タブレット利用 もちろん図書館利用も最終的にには10冊、今現在は100~80冊を目標になどと改めて考えるよすがにはなった『老前整理』 手前は洋アジサイ、奥のは「藍姫」(ちょっとわかりにくいね またこのつぎにアップするかも)
2016年06月09日
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ずっと月別読了本をアップしてきたのだが、今年はやめてみた気分転換と言ったところで、深い意味はないだからといって本を読んでいないわけではないしブログのタイトルが「やっぱり読書」なのだから何か触れるのもいいのではないかと思う節操のなさというわけでその何らかのかたちを語ってみたくなった最近の読書について パトリッシア・コーンウェルの「スカーペッタ検視官」シリーズと大沢在昌の「新宿鮫」シリーズ を読み継いでいるこの頃「スカーペッタ」は5、6巻~7巻『死因』「鮫島」は6、7、8巻~9巻『狼花』に至っている読み始めは古いのだが、1~2巻読んで数年を経て思い出したようにまた取り出す100円で売ってるのを積読本にしておいてあるので、そういう気の長い読み方になる 主人公が女性と男性の違いはあるが、どちらも派手なアクションが特徴だよむ側にまで痛みが感じられる痛烈な刺激と猛烈な暴力が満載そして「新宿鮫」はハードボイルドで一匹狼「スカーペッタ検視官」は女性であるがゆえの孤独を昔、シリーズものといえば池波正太郎の『鬼平犯科帳』や『剣客商売』が好きだったけど今やもう時代物には入り込めない気がしている時代物とて、その書かれた時代を反映しているから「 昭和は遠くなりにけり」か「ドンパチ」「イテテ」 激しい刺激を求めて今日も行く
2016年06月02日
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先日図書館に行ったら雑誌クレアの2月号に惹きつけられたあの頃の100冊特集人生のいろんなことに迷ったら「大人の少年少女文学。」『赤毛のアン』『若草物語』『ナルニア物語』『不思議の国のアリス』『トム・ソーヤの冒険』『長くつ下のピッピ』『秘密の花園』『大きな森の小さな家』『ふたりのロッテ』『モモ』『トムは真夜中の庭で』という惹句普段本屋へ行っても雑誌売り場に行かないしね新聞広告も見逃した図書館のソファに座って読んだ、見た、なめるように眺めた!(町の古い図書館に行き出して間が無いから、すばらしいソファがあることにも驚いたんたが)あるあるわたしのなつかし少女少年文学の記事と写真やらイラスト当時日本にはなかった草花・樹や、出てきた食べたこともない料理あこがれた家具や家の間取り、まあね、いくつになっても少女のこころを忘れられない「ろうば」男のひとにはにはわからないだろうねこのブログのフリーページにも子供の頃の読書というページを作っているしわたしの思い入れも深いのだ『アルプスの少女ハイジ』『小公女』『あしながおじさん』『家なき娘』『長い長いお医者さんの話』『星の王子さま』などなど我が意を得たりという雑誌の記事読み捨てるには惜しい、とうとうネットでこの雑誌買ってしまったというわけ
2016年02月07日
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1冊読み終わってさて、次は何を読もうかなと未読本の本棚を覘く、こんな時が一番楽しいそして井上靖『風林火山』に決めるなぜそれに決めたかというと活字が大きくなった新装版の文庫本出掛けるので持ち歩きに軽く車中で読むのに適しているから父と母方の祖母が山梨出身だから「武田信玄」を知ろう井上靖は今まで読んだものから好きな作家になりそうだからなあんていうお気軽な理由であるそこでわたしにはリンクさせていただいている「近代文学ブログ」があって(analog純文さんとおっしゃるのだけれど)こういう昔の作家の文芸作品を沢山、たくさん読んでいらっしゃるその感想とも、解説ともいえるブログをいつも興味深く拝見しているいえ、いつもいつもというわけじゃなくて、時々かな(笑井上靖はお読みになっているかしらんと探したら小説『後白河院』の記事があったで、その感想のお題が『「日本権力の二重構造」の哀愁』なんだか「宰相論」を読後のわたし、興味ひかれる感想『後白河院』も読みたくなった、と広がる楽しさは相変わらずだ
2016年01月15日
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たとえばいま鴻巣友季子新訳『風と共に去りぬ』を読んでいるのだが「あれ、この場面はこんな風だったのか?」わたしの記憶違いか、新訳のなせるわざか気になってきて長年読み継いでいた大久保康雄訳の古いのを見たくなったとしてもそれは50年前購入の読み古しのきたない本活字も小さく二段組みで印刷も悪いので、すでに処分してしまっているそんな折、本好きは後悔するのさがであってその喪失感や、いらいら加減が、なかなかおさまらないのに困っている他の断捨離の際には起こらないのに捨てられないひとシリーズをTVでやっているのがよーくわかるね(笑けれども断捨離や老前整理の極意はそこにあるのだから自分がいると思う本を何が何でも持っていることをあきらめる図書館に行けばいいと思うように努力であるでもねえ、すぐ調べたい時ってあるじゃないほんと本に関してはあきらめが悪いんだからねもう500冊ほどになったか新中古書店に売ったり、図書館に寄付したり売ることも出来ない古い全集など、長年愛読してきたボロ本も資源ごみに思い切って処分している日々ではある
2015年05月17日
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主婦業、50年も過ぎれば師走といえども暇であるベテランというものはこうであるというか、単に老化現象にてあきあきしてしまったのかあれもさぼり、これもさぼり、手抜きに長けるなりしずしずと通り過ぎるだけであるだから、せっせと本を読んでいる(笑山田風太郎『戦中派焼け跡日記』を読了したら風太郎さんの他の(読んでいない)作品を読みたくなりネット検索して数々の作品から、興味ある作品はこれであると『夜よりほかに聴くものもなし』『幻燈辻馬車』『警視庁草紙』『明治断頭台』リストアップしてみたり葉室燐さんの『星火瞬く』と『銀漢の賦』を続けて読みロマンチックな気分になりながらも藤沢周平さんや山本周五郎さんとの違いを考えたりTVドラマが最終回になる前にと宮部みゆきさんの『ぼんくら』を急いで読んでしまい昨夜の最終回には気が抜けてしまったり久しぶりに江國香織さんを取り出して『なつのひかり』を読了したのだけれどもあまりにもシュール過ぎて、入っていけないようなわたしには文学的なあまりにも文学的な小説はもう無理かも、ともでは思いっきりミステリアスでわかりやすい作品にいこうとメアリ・ヒギンズ・クラークの作品『リメンバー・ハウスの闇のなかで』をただ今、読んでいるというか、こなしている状態で元気なんだけども、では
2014年12月19日
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今、雨が横なぐりやらうずまいて降る風はまだそんなにひどくありませんからこれからかな10年前の当地襲来のものすごい台風を思い出すあの時は家ごと揺れましたものねそれに忘れられないのは台風後の後片付けで手首骨折の痛い目にあってるからね~学校やら出勤がないわたし達だから家に閉じこもっていればいいし避難勧告が出ているにしても幸い低地ではないから動かなくていいそんな中でのんきなことを言おう(スミマセン)先日書店で高野文緒『カラマーゾフの妹』の文庫版を見つけたドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の続編に挑戦した日本人作家らしいと、おもしろそう~~寡聞にしてわたし知らなかった!わたしは文学に関する情報を知っているようで、すっとぼけているんじゃねそれをまだ読んでいないのだが亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』を何回目かの再読で読みその時のにぎやかな話題で光文社新書版「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」を興味深々で読んだだから今回もわたしはわくわくしながら雨風の中で楽しもうかというところであるこんなにわくわくさせるなんて罪な作家であることよ、ドストエフスキー
2014年10月06日
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このところ出光興産を起こした主人公を描いた百田尚樹『海賊と呼ばれた男』明治大正昭和史をなぞるようなストーリーで従って太平洋戦争の始まりと終わりにも詳しいのやシベリアに抑留された兵士の喜劇的な物語井上ひさし遺作『一週間』を読んでいた折しも、つい最近のニュースで知る国立競技場がオリンピック再開整備のために、「学徒出陣壮行の地碑」が取り外され、ふたたびそこに設置されるか不明という恥ずかしながら、まず、そんな碑がそんなところにあったことも知らなかった**** 「出陣学徒壮行の地」碑 次世代への伝言-出陣学徒壮行碑に寄せてー 昭和18年(1943)10月2日、勅令により在学徴集延期臨時特例が交付され、全国の大学、高等学校、専門学校の文科系学生・生徒の徴兵猶予が停止された。この非常措置により同年12月、約10万の学徒がペンを捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった。世にいう「学徒出陣」である。全国各地で行われた出陣行事と並んで、この年12月21日、ここ元・明治神宮外苑競技場においては、文部省主催の下に東京周辺77校が参加して「出陣学徒壮行会」が挙行された。折からの秋雨をついて分列行進する出陣学徒、スタンドを埋めつくした後輩、女子学生。征く者と送る者が一体となって、しばしあたりは感動に包まれ、ラジオ、新聞、ニュース映画はこぞってこの実況を報道した。翌19年にはさらに徴兵適齢の引き下げにより、残った文科系男子および女子学生も、軍隊にあるいは戦時生産に動員され、学園から人影が絶えた。時流れて半世紀。今、学徒出陣50周年を迎えるに当たり、学業半ばにして陸に海に空に、征って還らなかった友の胸中を思い、生き残った我ら一同ここに「出陣学徒壮行の地」由来を記して、次代を担う内外の若き世代にこの歴史的事実を伝え、永遠の平和を祈念するものである。 平成5年(1993)10月21日 出陣50周年を記念して 出陣学徒有志***あの壮行の様子は映像でよく見かけるけれども一種のプロパガンダと思いわたしは批判的に見ていたが若き頃、光文社カッパブックス『きけ わだつみのこえ』を愛読していたしかし、戦場にかり出されて帰ってこられなかった若者がいたというその遺文集にはそれほど実感がなくて青春のさざめきのようなものだけを感じていたのだった最近のTVニュースでその学徒出陣の生き残りの老人(90歳台!)の姿その碑の前で最後の式典をする様子を見るにつけやっと実感がわいてなんと鈍感であったことかと今、浅田次郎の『終わらざる夏』を読書中で 戦争を経験していない世代の作家がこの時代を掘り起こすのも大切な作業であると思っている
2013年10月22日
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今読んでいる高村薫さんの『神の火』が終わらないので、今月の読了本は池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』と高村薫の『レディ・ジョーカー』だけになるもう一冊、アガサ・クリスティー『杉の柩』も読んだがまあ、いつも通り達者、なにほどか言うこともなしクリスティーは文庫本で約86冊あるが、そのうちの54冊目だということぐらいかな(全作品を読破したいということをやっているので)ところであのクイズ番組で有名な、しかも超読書家でも有名になって、TVで読書案内、文章も、ものなさっていらした亡児玉清さんはクリスティーを読まず嫌いだったそう、、、、ふぇ~~~!とびっくりそのわけは大学時代の大嫌いな先輩がクリスティーを大変にあがめていたらしいおせっかいにも、違うものを愛読していた彼を小ばかにしたものだそのことに反発して「読むものか!」と思ったのであるそして一冊も読まずに、半世紀もたってしまったとのこと「果たして読まずに死ぬのか」とエッセイ『寝ても覚めても本の虫』に記しているそうだったんだろうか??わたしは違う、読まず嫌いはしたくない!しかし身体は一つ読みたくても、読まずに死んでしまう本の数万冊のことを思うと(世の中に日本語になっているものだけでもこんな数ではないだろうが)死んでも死に切れないよ
2013年04月30日
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昨日の日経夕刊に「ローレン・ブロックさん 主人公が恋しく再び筆をとる」のコラムをみかける74歳にしてマット・スカダーシリーズ17作目『償いの報酬』が日本で刊行されたそうといっても9月の出版だからこのコラムは穴埋めか(と思う 笑)ま、それはともかくローレン・ブロックさんは 第16作『すべては死にゆく』以来6年ぶりでこの作で終わりにするつもりだったのを主人公マット・スカダーの目を通してふたたび世界をみたくなった恋しくなったからという…ああ、「みずみずしい気持」ちが伝わるではないか読んでいないので傑作が書かれたのかどうかはわからないが、その作家の気持ちがよくわかるし、エールを送りたいブロックさんだけでなく、とてもとても興味がわくことであるそのような気持ちは、自身が老境になってみないとわからないだろう「こと」作家の賞味期限ということはある晩年の作品がいいという作家もたくさんあるがそれは比較的若くして亡くなった作家の作品である(昔はこんなに皆が長生きではなかった)だから必ずしも傑作ではない「ああ、筆が落ちたなー」と思うこともあろうそれでもいいではないか!積んである『八百万の死にざま』(スカダーシリーズ第1作目)を読もうかなわが過去の感想は下記『死者との誓い』『泥棒は図書室で推理する』
2012年11月27日
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いやぁ、すさまじいのなんの、もうびっくり尖閣領有権を主張する「反日デモ」の中華人民共和国国民の行動日系企業に破壊、略奪の限りを尽くす様子これでは後進国のデモだ!ついこの間世界第二のGNPを誇る国になったのではなかったのか!品格がないねえまして、反日デモの人々が掲げる横断幕の文字「...再び、日本を一つの省として中国に組み入れよう」は、なに?いつの時代に日本は中国だったのか????ええ、ええ、漢字は貰ったよ漢詩や仏教関係の文字文化は色濃く渡ってきてむしろそれを土台にして美しい文芸文化の世界を花開かせたのが日本である源氏物語の作者紫式部は漢詩や漢文の素養が基礎にあったと考えきてここはわたしのブログらしく中国文学読書歴を見てみてみようけれども学生時代に漢詩や孔子や孟子の漢文をちょこっとだけ純粋の中国文学にわたしはほど遠いなぁ『三国志』や『紅樓夢』は訳本にしろきちんと読んでいない『論語』『西遊記』『水滸伝』はダイジェストだし『金瓶梅』『史記』『聊斎志異』など存在を知るのみ(東方書店のHPが参考になった)素養がないのがバレバレ唯一、岩波新書『新唐詩選』の昭和34年(1959年)版を持っているのが救いかなあじゃ、現代の中国関係文学をどれだけ読んだかというと古くはパールバック『大地』アメリカ人の作家 なつかしい~もう一度読みたいあるサークルで二十歳のころ読まされた『紅岩』と言う本 抗日運動の闘争史だった魯迅の作品群 全集を持っているが全部は読んでいないこの機会に読もうそして中国国内から出てしまった作家たちの作品ユン・チャン『ワイルドスワン』映画を見たので原作も読んだダイ・シージェ『中国のお針子』エイミ・タン『ジョイ・ラック・クラブ』山崎豊子『大地の子』うーむ、案外少ない昨夜、深田祐介の『新東洋事情』の中国の項を読んでみた1988年の発行だからドキュメンタリーとしては古いのかもしれないがわたしがその十年後1997年に観光旅行した時の広州や桂林の様子がそっくりそのままだった中国国民性を知るには結構普遍性がある
2012年09月19日
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『緑のハインリヒ』ゴットフリ-ト・ケラー(岩波文庫)という本、4巻もある読んでいない持ってもいないだけどずっと気にかけている本若いころいつも本屋でこの岩波文庫の本を手に取ってみていたドイツの小説らしい、風景描写の多い本だなーとぱらぱらみては、4巻もあるのと部厚いのとで「またこんど」と思ってしまうのだったすーっと本屋に並んでいると思ったがいつの間にか廃版になってしまったところが中年になったころ、母とのおしゃべりで亡くなった叔父が大好きな本であることがわかった美しい自然が細緻を極めて描かれていて、いくら読んでも飽きないと言ったらしい母が(叔父の姉にあたる)が「そんな本、どこがおもしろいのか?」とからかっていたのがわたしの気に障り「よーし、いつか読んでみよう」と思ってまた、何十年叔父は晩年になっても姪のわたしにさえ普通の会話ができなかった変わり者だったがわたしはその本のことを聞いた時からなおに好きになった叔父は帝大理学部出の物理学者、しかし戦中の学生時代と、戦後化研に就職してもうまくいかなく、ノイローゼになったり不遇な青春を過ごしたひと4歳のころ静岡の母の実家で白い煙のでる塊を持ってきてトマトを冷やしてくれたのを魔法みたいだと目を丸くして見ていた記憶が懐かしい叔父が学校の実験室で使うドライアイスを持ってきたのだろうがだまっているけどもあたたかい情感のこもった叔父だったというわけでずっと気になっていた本の情報が今読んでいる児玉清著『寝ても覚めても本の虫』の「夢ふくらませたスイスの物語」という項にあるではないかあー、ドイツの風景ではなくスイスだったのか教養小説、自己形成小説なのだたぶん学生だった児玉清さんら当時の若者に多く読まれたのだろうねとネットの情報も加えて今ごろになっていろいろと知ったのであったさて、1990年に改版として再版されたのもわかったが、それももう廃版古本としては値がついている図書館で借りていつか読めるかどーか、どーするか
2012年07月19日
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読みかけの本、梨木香歩『裏庭』について思うこと。ページが進むたびにあの本のあれと思うことばかり。レベッカ・レイチェルの名はイギリスの女性作家デュ・モーリアの小説の題名そのもの。ふしぎの国のアリスとムーミンがごっちゃになり、また、ダイアナ・ウイン・ジョーンズ『九年目の魔法』に似ているし、とぼやいてみてもしょうがない。終わりまで行けばなになんとかなるだろうか?話は変わるが『源氏物語』にはたくさんの和歌が挿入されている。さすが歌人与謝野晶子訳ゆえに原文のままの和歌であった。「胡蝶の巻」というところまできて「おや?」と発見したこと。(もちろんわたしが初めてではないだろうが)その巻は光源氏が位のぼりつめ、隆盛の極みにて春の宴を催し、六条院は豪壮な庭の池に浮かべた唐風竜の首の船にて管弦の遊び。その折の女房方の歌のひとつに春のうららにさして行く船は竿の雫も花と散りけりというのがあった。桜満開のすばらしく大きな池なの風景なのだろう。まさに♪春のうららの隅田川、のぼりくだりの船人が、櫂の雫も花と散るではないか!こういうのを本歌取りという(?)のじゃな。文学はそんなことを繰り返してきたのだと思う。
2011年11月09日
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自分は読書家というより本好きであることはまちがいないあの新しいページをひらく時の紙のにおい、インクの香りがたまらなく好きだかといって、新刊本ばかりが好きなのではない古本屋の本、図書館の本の手ずれて、何かの匂いが染み込んだのも好き集めるのが好きかというと本好きのブログを見て、上には上がありわたしは末尾に付くばかり新刊本を買いすぎるわけでもなく、古書集めの趣味もないただ自分の読み終わった本を書棚に並べてにんまりしたり、新しいの、中古をとりまぜて300冊ほど積んであるのをみるとやっぱり本好きなのかなーと思うって、いまさら何をかいわんやだやっとブログをやる気になって「やっぱり読書」が好きってことを思い出して、せっせと読んで感想を書いて、索引を整理して、たまには違うことも話していこうと思っているということを言いたいのだ。
2011年06月12日
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出先で持っていった本を読みきってしまった時 本屋に立ち寄っても買う本がない 、びっくりするくらい大型書店なのに、読みたい本が置かれていない並べてある古典的作品は殆ど読んでいるし、近年の作家は選ぶのが難しい。話題作はあやしいし~と迷う「欲しい本メモ帖」の記憶を呼び起こして必死に探せども無いときにはあせる家にはたくさんあるのだけどもな~と未練たらたらでそれでもなんとか一冊を買うその本がジュネ『花のノートルダム』このところ森茉莉の『恋人たちの森』に続いてワイルド『ドリアン・グレイの肖像』と禁断の園を覗いているような(笑)しかし、3、4、5月とほとんど読めていないのが実情ブログの名前が泣いているね
2011年05月20日
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中国の攻撃的外交と日本の弱腰と思える外交については、わたしも歯がゆい思いと不愉快な思いをしている。でも外交という点うを取り除くと、どうにもわからないのは人間性の普遍と言うこと。人間性というのは世界共通なもので、だから世界文学がおもしろくかつ共感出来、熱心に読むと思う。そんな共通の人間性があるのに、しかも近いアジアの国なのに中国人と韓国人の人間性がわたしには異なものと映る。地続きの大陸で攻めたり占領されたりの悲惨な歴史があることはわかる。日本は島国でのんきな性質になったというのもある。でも、日本人は元をただせば大陸と南方、北方から流れてきた民族である。DNAだって似ているのが入っていると思う。世界文学で感じるように中国、韓国の文学にも人間の普遍性を見ることが出来るのではないか。そこでわたしははたと考えた。中国文学韓国文学に感動したことがあっただろうか?『大地』?これはアメリカ人が書いた。韓流ドラマは本ではないがわたしにはなにがいいのかわからない。まあそういうほど観ていないからかもしれないが。魯迅の『阿Q正伝』や『狂人日記』はむかし読んだけれども忘れちゃったな。そういえばダイ・シージェの『小さなお針子とバルザック』はとてもよかった。しかしこれも英語で書かれている。むかし学校で習った漢詩にはいいのがあったのに。こんな風に考えるくるとわたしも本読みとして勉強不足だわ。とりあえず魯迅を読もう。全集をもっているのでね(あらら 笑)
2010年09月30日
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たった5畳の部屋、L字型に本棚を配し、ニトリで買った天板と脚だけの机を置いている。 その本箱も以前に使用していた書類棚、A4が平置できる棚を再利用。だから奥深い、文庫本なら3列入る。 読んでしまった好きな本を持っていった。 本は文庫本が多い、著者名であ行か行とボックスをつくり、日本作家と外国作家に仕分けた。な行姓名の外国作家が一人もいなかった、ありそうなのに。 ハードカバーの本も行ごとボックスに分けたが、見栄えのする古い文学全集は字が小さくてもう読まないだろう。こちらでダンボールに詰める時迷ったのだが、処分し切れなかった。 めったに買わない新刊のハードカバーはガラス戸棚に納めた。そのうちに100円になってしまうんだろうけど。 カーテンは茶色の重厚なもの、しかしまだ花瓶に黄薔薇が飾ってない。それが実現したら写真でおみせしよう。 まだまだ空きがあるから古本屋歩きも安心だが、こちらに読んでない本が300冊以上あるので、それが済んでからという我慢ができるかどうか。 こちら3、東京1の生活になると思う。図書室のためにももっと行っていたいのだけれども、コメントに書いたようにそれは第二ステージが実現したらばということで。
2010年05月24日
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たった5畳の部屋、L字型に本棚を配し、ニトリで買った天板と脚だけの机を置いている。 その本箱も以前に使用していた書類棚、A4が平置できる棚を再利用。だから奥深い、文庫本なら3列入る。 読んでしまった好きな本を持っていった。 本は文庫本が多い、著者名であ行か行とボックスをつくり、日本作家と外国作家に仕分けた。な行姓名の外国作家が一人もいなかった、ありそうなのに。 ハードカバーの本も行ごとボックスに分けたが、見栄えのする古い文学全集は字が小さくてもう読まないだろう。こちらでダンボールに詰める時迷ったのだが、処分し切れなかった。 めったに買わない新刊のハードカバーはガラス戸棚に納めた。そのうちに100円になってしまうんだろうけど。 カーテンは茶色の重厚なもの、しかしまだ花瓶に黄薔薇が飾ってない。それが実現したら写真でおみせしよう。 まだまだ空きがあるから古本屋歩きも安心だが、こちらに読んでない本が300冊以上あるので、それが済んでからという我慢ができるかどうか。 こちら3、東京1の生活になると思う。図書室のためにももっと行っていたいのだけれども、コメントに書いたようにそれは第二ステージが実現したらばということで。
2010年05月24日
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しばらく本のテーマからそれていましたので、戻ってと...。 最初のころは本のことが話したくて始めたといいましたが、さすが本好きのリンクさんはたくさん読む人たちで、ゆっくりめのわたしは目を白黒させました。 いま、楽天はお休み中のくりむーぶさん、七生子さん、読了本のみアップになってしまった読子さん、毎日のようにお読みになった本を更新するかつきねえさんを初めとして、柊さん、ばぐらさんたちはすごいですよ。 ばぐらさんは英語の本まで読んでいらっしゃいます。ですからたくさんアップした感想に索引をつけてほしいなんて、わがままを言ってしまいました。大変だったでしょうが、最初からのをこつこつとこの夏に仕上げてくださいました。わたしだけのためではありませんけれども(笑) 柊さんとは初めのころからおつきあいしておりますね。ありきたりでない工夫した感想にしたい!とお互い言い合っていましたね。柊さんは映画の感想もすばらしく沢山あります。 もちろん他のリンクさんたちも読書好きが多いので、だからわたしはしあわせです。(って最後のご挨拶ではありません 笑) たくさん読む方達といっても速読法を駆使していらっしゃるのではないですね。先日見たTVで、速読のひとは悲しい話も泣けませんのをやっていましたから。 いつかも言いましたように、わたしは家で読むときは辞書と世界・日本地図と世界・日本歴史年表を手元においています。 だから知らないことが出て来ると時間のかかること、掛かること。 今読み始めたピエール・クロソウスキー『ナントの勅令破棄』という題には、 「ナントの勅令、うーむどこかで覚えたような、はて、なんだったか?」 と世界史を紐解いてみなければわからないのでした。高校の世界史の教科書(娘のおさがり)を急いで読みました。 覚えている方は優秀か西欧に詳しい方です。 とこんな具合に時間が過ぎていきます。ナントの勅令なんて知らなくてもナントもないなんておっしゃらないでください。おおいに関係あるのですから。 alexさんのブログでこの作者の『ロベルトは今夜』という本のタイトルを見て、あ、気にかけていた本だと(どこでどうしてだかは忘れて)早速注文。読み始めたその前編です。 なかなか含蓄のあるえろくない本のようです(笑)
2009年10月26日
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古本屋さんに行く 昔の賑わいからいえば鄙というには惜しいが、寂れたといえば気の毒な、地元人にしてみれば、住みやすいいいところなのだが、中古書店さんが一軒しかない。あればいいほうなのかもしれないが。 最近ちょっと改装して品揃えもよくなったと思う。うれしい。本日、売りに行って買ってきたので、きのうのグチのストレス解消である。 売った本は夫の時代小説50冊くらいと、わたしの本棚を整理したもので、結構なお値段がついた。中古書店に貢献。わたしが買う本が少なかったけれども。 『女人平家』(上下)吉屋信子 『恋する女たち』D・H・ロレンス 『エミリー』嶽本野ばら みんなハードカバー、105円。 ロレンスの訳本は希少本と思うので嬉しかった。71年版の集英社世界文学全集の一冊であった。吉屋信子は文章がうまい。 本を整理したといったが、本を手放す決心はなかなかつかないものだ。売っちゃって惜しかったかもしれないなどといまもうじうじしている。 いらない本だ、と決めてダンボール箱に1年ほど寝かせておいたのにね(笑) 夢の図書室 自分専用のちいさな図書室をつくりたいと思っている。(本に囲まれた部屋というのがわたしの長年の夢である) 手持ちの本は雑多過ぎるので、それに向けて本を整理して、どんな本を残そうか、どんな本を集めようかと考えるのも楽しい。 好きな作家のものわたしが読んで好みだった本古典名作(わたしがOKしたもの)思い入れがあって買うのに苦労した本読んでいない本(積読本、これが多そう)辞書、世界・日本歴史年表、日本地図、世界地図若い時読んで感激した古い本 部屋の大きさは6畳くらい、壁一面に本棚を配置して、大きな机をひとつ真ん中に置く。すわり心地の良い椅子にほどよい読書灯。窓は一つ、厚手のカーテン(みどり色が基調)、レースのカーテン。花瓶が一個に黄色い薔薇(いつも薔薇ではなくとも匂いのいい生花にしたい)。ノートパソコン(読書ブログ用)、文具必要最小限。 案外小さい望みなのね、といわないで。とにかく一人の部屋を持った事がないので。いつもあっちこっちに本棚置き、夫のものとごちゃごちゃ、読書は食卓かソファ、TVの音に逃げ回り、文具やパソコンは仕事の続きみたいで落ち着かない。 そんな部屋を作ってしまうと案外こもらないで、いつもどおりなんてことになるかもしれないけど、いいの!本置き場でも。
2009年01月26日
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しばらく空いてしまい、何を書いたらいいか、困っている。 本は相変わらず『戦争と平和』をちびちび読んでいて第四巻、やっと最終巻になったがそんなことは皆様にはどうでもよい。 アメリカは新しい大統領を迎えて熱狂らしいが、日本のこのごろは平凡で暗い。従って生活も小さく動いているようで、経済の停滞、家庭ではまず食費の倹約に目がいく。 毎日のことだから、外食や中食の購買が減る。わが家も冷蔵庫の中身を整理する日が続く。去年は9万円、今年は6万円になるか? 節約、倹約は生活全般に及んで、ますます増える一方の医療費は仕方がないとして、光熱費、交通費、通信費、被服費、娯楽・教養費とくれば、本代も倹約せねばならない。 さいわい、わたしは積読本が山のようにある。よーし今月は本代0円にしようと思う。のは言い訳で本当は読むスピードが落ちただけか(笑) しかし、買わないとなると正直なもので新刊本の広告や、ブログの未知の本との遭遇もうっとうしくなるから困ったもんだ。いや悲しいもんでそこまで堕ちたくないから、寂しく眺めるとしよう。 わたしはいったん決心すると徹底してしまうたちで、何年か前に1年間絶対自分の衣類を(下着や靴下などをのぞいて)買わないで済ませた経験がある。 その動機は夫があれこれ洋服の買い物に口出しをしたので、腹立ち紛れにひそかに決めて達成したのだが、夫は何も気がつかなかったので意味がなかった。 1年間本を買わないという「本買い断ち」はなんのおまじないになるか?節約にはなるかもしれないが、わたしにとって犠牲が大きすぎる。わたしは自虐傾向かもしれない。これにはだれもわたしを被虐していないから。 だが、だが苦しい断念は効果があるのではと思いつつ、こればかりは、こんなに本が好きなのに1年は無理!という心持だ。 もちろん、図書館、積読本の山があるから、「本読み断ち」ではないので文化・教養・趣味が堕ちることではない。 けれども、ああ、やっぱりばからしいか? 全支出で節約を考えるのがバランスの取れた経済である。精神的にも安定した経済の節約には、文化・教養・趣味も充実させねば希望がない。やっぱり1月ひとつきだけで「本買い断ち」はやめよう。ブログのネタも不足するによって。
2009年01月24日
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今朝もうなされて叫び声をあげたようで、夫に起こされて夢から抜け出した。夢自体はたいした内容ではないが、恐怖にかられたことだけは覚えている。 今、わたしには頭から離れない悲しみがある。内容は控えるが、屈託があると本が読めないというのは本当だ。特に情緒的な文章は心に入ってこない。 仕方がないから、外でも見る。雪国日本海側の人には申し訳ないが、関東地方は寒いけれどもとても晴れている。ここもおだやかで青い海に透明な空気で、遠くの半島がよく見えるし、雲が白銀にひかっている。どこまでも青い空にとんびが輪をかいている(演歌ではないけれども)。 この瞬間はしあわせといえる。ぼんやりなにもしなくても、忙しく働いいても、なにも考えなくてすむなら、なんとしあわせなことだろう。しかし、人間はいろいろちまちまと思い煩う。 ああ、それなのに、次から次へと情報がはいってきて、勉強しないとわからないことだらけで、きりがないことおびただしい。 だから文学的な本をうちゃっておいて、硬い本を読まなければならない。硬いといったって新書がせいぜいなのだけれども、文学書のようには簡単でない。 好物の文学書もそぞろなのに、こむずかしい本が読めるか? 真摯に生きるのが好きだけれど、真面目っていうのも疲れる。
2009年01月13日
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スキってなんだろう→ メールだと平気なのに→ 会うとぜんぜんしゃべれなくて→でも並んで歩いているのはうれしくて→ このひとでいいのかなとか→ 嘘つかない人だよねとか→ また考えてたら→ 突然手をにぎられ→ びっくりして→ 汗かいてないか気になって→ 見つめられ→ えっウソ→ ヤバイどうしょう→ わたしいま変な顔してるかも→ めちゃくちゃ緊張して→ 本当に心臓の音が聞こえて→でもカクゴ決め→目を閉じて→ イケ マサツ ヲ オソレズニ→ もちろん、わたしが書いた文章じゃありません。今朝の新聞広告です。かわいらしい女性が目をとじて口を半開きにしている写真がバックにあって、その上にのせてある一面広告です。 NSKと言う会社の「マサツ」シリーズ。今年の5月から月の8日ごとに掲載していたようですが、わたしは初めて気がつきました。 とても印象深く見ました。「へー、これが携帯小説の形態かぁ」とね。この6回目がいちばんそうらしく思えました。なかなかに、生き生きとした文ではありませんか!
2008年12月08日
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当地も待望(↓)の大雨が続いています、ちょっとほっとしてます。 あちらこちらでの豪雨ニュースを聞きながら、カラカラ天気が菜園に困ったなー状態でしたので。 電車も一時ストップ、それで陸の孤島にも(おおげさ)なりました。災害の公平化でしょうか(!?)。 涼しくもなりました。でも、ガラス窓のつぶつぶ雨を見ながら萎えてます。やる気がいまひとつ。 暑い盛りには暑いからと言い、忙しい時(孫などが遊びに来て)は忙しいからと理由づけて更新をサボった、8月も!!です。 べつに義務ではないのですからいいようなものの、それも雨と同時に気になるこのごろでした。 とまえおきが長くなりましたが、ルブラン『奇巌城』はすぐ読み終わりました。けれどシャーロックホームズを初めて読んだ時のような興奮はありませんでした。 作家大沢在昌さんたら、名作鑑賞『私を変えたこの一冊』で「いまだ読んだことがないという人を、私は心からうらやましいと思う。」とおっしゃるので期待しすぎました。 「シャーロックホームズとルパンは推理小説の、探偵小説の登竜門、いや洗礼の儀式である、というのは常識だ。」と知りつつ、ルパンには手をつけていなかったわたしは時すでに遅しというわけでしょうね。 なぜならシャーロックホームズは中学生の時ですからね。しかたありません。読まずに死ななかっただけでもよしです。 読んですぐあとテレビで「金田一少年の事件簿」のひとつ(題、忘れた)を何気なく見てましたら、プロローグも高校生が謎解きをするのもほとんどそっくり。奇巌といわれる牙のような岩もストーリーに関係なくちらり登場、ああ影響受けてるなーと思いました。こんなことがわかるのは読んだからおもしろいのかもしれません。
2008年08月25日
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瑣事に明け暮れたあっという間の一年という月並みのなかで、やはり読書関係は忘れ難い。なんと言っても夏目漱石を読破したこと。私にとって時宜を得ていたと思う。漱石の小説が決して古くなく、今に通ずるものとわかったのが嬉しい。年間100冊以上読んだけれど、量ではない。幾冊、心に残ったかが問題。さて、何が心に残る一書か?指針になるような、自分の軸を回転させたり、ぶれを修正させ、何かが得られる本を読めたら最高。そして、ああ面白かったといえる本。わたしの初もの作家で興趣深かった小説は下記の通り。『慟哭』貫井徳郎『未亡人の一年(上)(下)』ジョン・アーヴィング(追加感想)『未亡人の一年(上)(下)』ジョン・アーヴィング『ねじの回転』ヘンリー・ジェイムズ『青の物語』マルグリット・ユルスナール『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午 『テロリストのパラソル』藤原伊織 『鯉浄土』村田喜代子『幽界森娘異聞』笙野頼子『ナイトメア』小倉千加子『上野千鶴子が文学を社会学する』上野千鶴子そして最近知った、『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』高野文子(アフタヌーンKC)というわたしにとっては異色のまんがも加えたい。行間を読むという言葉があるが、まんがも行間が読めるんだねとおどろきの一書。さあ、来年も再読と新しい本を求めていざ進まん!やっと暮れの闖入者どもも去り静寂のきわみ、いえ、第九のCDを聴きながら気持ちよくブログ収めをいたしております。読んでくださっているみなさま!今年もありがとうございました。みなさまもそれぞれによい来年でありますように。
2007年12月31日
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本好きの人ならたいがいお気に入りとしてリンクしているであろう「千夜千冊」は、松岡正剛氏が開設しているHP。わたしも昔読んだ本の内容を思い出す必要に迫られたり、ちょっと珍しい本の中味を知りたい時利用させてもらう。その氏が日経日曜日の「半歩遅れの読書術」のコラムを今月担当され、今日が最終回。「魔法のような書物」「失われた物語を再生」と題されて、「すでに消滅してしまったものが復元されいるところに」「本のおもしろいところ」がある。と言う。映像やCGで、近過去は復元できても、広い地域にわたっての、歴史の古いところの「出来事や人物や感情を」復元できるのは「書物にまさるものはない」と。「オス○ントルコ」「トルコ」の歴史や出来事。誰が見ても、ちょっと考えてもあの辺は複雑交流地域と思う、でも、書き物が残っているわけではないから混沌としている。それを物語や描写で復元されれば想像が拡がって興味が湧いてくるではないか。松岡氏はアンドレ・クローの『スレイマン大帝とその時代』(法政大学出版局)や林佳代子『オス○ン帝国の時代』(山川出版社)などを読んで「読めば読むほどオス○ンこそがヨーロッパを裏からつくったのだということが、伝わってきた」「オス○ン興亡史」をみると「ヨーロッパが『オス○ン潰し』をしたことが、今日のイスラム過激派の勃興を促したと言えるほどなのだ」と、今日のイスラム社会の過激な台頭を示唆する読み取りができるというお説に、うなずいてしまった。本を読む楽しみの後押。また「滔滔たる歴史の流れの復元」だけでなく、インド人サンガラトナ少年の日本での経験、インドへ帰っての半生『波乱万丈!インドの大地に仏教復興』(春秋社)をとりあげて、「いままさに進行しつつある出来事にも、一人の人物におこったことにも、書物にしておかなければ消えてしまいそうなことが、いっぱいあるはずだ。」とも。物語がよみがえる楽しみだと、大いにうなづく。立派な人たちだけでなく、わたしには昔「更級日記」を習った時、教授がおっしゃった「どんな些細な事も書いておけばきっと後世の記録に役立つかも」という言葉がある。へたでもいいから書けと、こんなブログでも続ける勇気にもなっている。ほんと、書いておくって不思議な魔法だ。*****○=マ(禁止ワードになるらしい、興醒め、不便!)
2007年11月25日
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野分のせいか残暑が厳しいですねーだからせっかく向学心に燃えているのにぎみ。何の向学心って「近代文学」なんていうふるぼけたもの。働き始めた20代の頃、買いまくった本に阿部次郎『三太郎の日記』がありまして、夏目漱石の弟子ということで読み始めたんですが、それこそ古ぼけていて挫折しそう。ごちゃごちゃした文章も難儀ですが、本そのものも40年前の廉価本なので印刷は薄くなるわ、活字は古いわ、漢字は旧いわ、紙が破れそうなんです。でもネットで調べたら絶版なんですって。持ってるって事はですが、読みこなせなければ「宝の持ち腐れ」。ところが思い出しました岡野宏文&豊崎由美『百年の誤読』。ムッときまくり『三太郎の日記』と思いっきりぶちまけていらっしゃいますんです。くさすこと、くさすこと、これでもか、これでもかいわく、「とめどもない能天気野郎」「”俺は俺が好き”タイプだ」「へりくだったふりしながら実は自慢したくて仕方ないんだよね」「敵に回すとヤなタイプ。ていうか、敵に回さなくてもヤなタイプです」しかし、あたっているんですなー。15ページぐらい読んだんですけどね。おまけに漱石先生ひとがよすぎるこんなひとを門下生にして、この本よんだから胃がわるくなったんだと切り捨てられてますあーあ、参考文献として読むべきかいや、読めるのでしょうかねぇ
2007年09月18日
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図書館は久しぶりです。せっせと買ったのを読んでいました。それでもまだ積んであるのが沢山あります。それも気になりますが、せっかく漱石のほとんど全作品を読んだのだから、もう少し突っ込んでみようと借りてきました。『漱石論集』江藤淳(新潮社)『漱石の東京』武田勝彦(早稲田大学出版部)『漱石に見る愛のゆくえ』清水忠平」(グラフ社)江藤淳は漱石論の第一人者ですね、『…東京』は散歩の時の参考に、『…愛のゆくえ』はちょっと軽くおさらい。しかし、まあ、あること、あること漱石関連の本が。引いては寄せるブームの文豪ですね。予想外に急に秋めいてきて、街も歩きやすくなりました。せみの声もいくらか減ったよう、網戸のむこうから「さよなら」です。
2007年09月04日
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4月に『翳りゆく夏』赤井三尋(講談社文庫)、最近『七回死んだ男』西澤保彦(講談社文庫)を読んだ。この2作品は全く関連がないのだけれど、私としては「けっこうおもしろかったけど、それで?」というところで繋がっている。お勧めでもあったし、読みたかったのだし、読み終わってそれでお終いでいいのである。であるのになんだか物足りない気分なので…。といってすぐ忘れてしまうような、ちゃちなストーリーでもなく、よく出来ているミステリとSFタイムトンネルもので、ちゃんと読み応えはあるのだけど。つまり、よく出来たドラマをテレビでいっぱい見ているような、飽きがくる贅沢なのである。読書は趣味である。その読むジャンル選択も本人次第、本人の自由。文学性の色濃い、なんだかぐるぐるまわっているようなのに飽いたから、軽くおもしろく口直しっぽいのでもというわけにはいかない、私の文学好きのサガよぉぉぉ!
2007年06月07日
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小川を船で流れるロマンチックなシーンを演じているうち、船に穴が開いてアンがとんでもない目に遇い、しかし、ギルバートに助けられほんとのロマンスになるという、「赤毛のアン」の中のエピソードのひとつ。アンとギルバートの印象的な場面で、なかなかよい。ちょっとおおげさでくさいかなーとも思うけど。この演じているのが「百合の乙女エレーンが船で川を流れる」シーン。テニスンの詩「王国牧歌」をアンたちが習ったばかりだった。「王国牧歌」とは5~6世紀イギリスはブリテン島の「アーサー王伝説」を元にしている叙事詩。その「アーサー王伝説」を最近、有名なトマス・ブルフィンチの「アーサー王物語」(角川文庫)で読んだ。散文的なのでちっと盛り上がりに欠けるが、うーむ「アーサー王伝説」とはこうだったのかとよくわかった。「百合の乙女エレーン」の章もばっちりあった。「アーサー王伝説」は様々な物語の題材になっているという、よく知らないけどゲームもあるようで。そして、夏目漱石読破中の私は、短編「薤露行(かいろこう)」に行き当たった。これも「アーサー王伝説」を題材にテニスンやマロリーが書いた本の影響を受けて、漱石がものした美文調短編。登場しました「百合の乙女エレーン」。そして完璧にその叙情的な内容が伝わってきた。「百合の乙女エレーン」は円卓の騎士ランスロットにかなわぬ恋心をいだき、恋焦がれるのあまり死んでしまい、身内によって小船に乗せられ川に浮かべられ、ランスロットのいる都キャメロットに流れ着くのである。そのランスロットもアーサー王の妃ギネヴィアに恋慕していてと複雑なのである。松本侑子新訳「赤毛のアン」の詳しくて有名な注釈を読み返したら、夏目漱石の「薤露行(かいろこう)」も興深いと出ていた。ああ、おもしろい。夏目漱石もどきに言うと余人は知らず、これが無上の楽しみである。
2007年05月28日
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本は表紙にあらず中身(本文)にある、というのが本読みの心情。だけれども本屋さんで手に取る本の装丁、表紙に惹かれてしまうのも本音。中身と表紙がぴったりなのが好きである。昨夜、NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀「誇りは自分で創り出す~装丁家・鈴木成一」』を見た。『装丁家・鈴木成一』というひとは知らなかったが、年間700冊も手掛けているそうで、私が見かけたり読んだりした本が多いのでびっくりした。そして装丁の職人技をくいいるように見てしまった。「次の注文がくるのが評価」というコメントにはおおいに同感。自営業の極意である。それにしても文庫本にも浸透してきた装丁技、読者にとって楽しみなものである。決して邪魔なものではない。
2007年05月23日
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漱石の作品をちゃんと読み始めて気がついたんだけど、桐野作品と共通なところがあるのよね、と思ってしまった。とっぴかなー。特に『メタボラ』の「ニート、フリーター」と『三四郎』や『それから』そしてこの『彼岸過迄』の「高等遊民」振りが似ているのだもの。筋がないのも、終わりがないのも同じ。おもしろくないと言ってるのではないよ。変化がある小説と言う点では優れている。読ませるのも同じ。階級があった明治の終わりと、平等のような現代という違いはある。だから漱石の「高等遊民」はまだまだ甘い、経済的にもゆとりがある。「ニート、フリーター」も甘ったれのところもあるにはあるが、経済格差、貧困になってしまうのが切ない。要するに自分の居場所がなくてうろうろするのは同じ。居場所を求めて旅をするというとかっこいいが、内面は深刻、原因はもっと辛辣。人の世で結論が出ないのは知っている。でも小説、物語では結末があるのが多い。ミステリなど謎が解けなければおもしろくもなんともない。でも、夏目さんと桐野さんの終わりのない小説は、今の私にはなんともおもしろくてたまらないところ。もちろんぜんぜん方向は違うよ。ということで『彼岸過迄』夏目漱石(新潮文庫)を読んだ。
2007年05月14日
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じゃーん!ついに出ました!桐野夏生の最新刊『メタボラ』。待ちに待ったので、さっそく昨日買ってまいりました。おととしの10月に『アンボスムンドス』のハードカバーと『冒険の国』の文庫で新刊が出て以来です。読みつつあります。破壊されつくした僕たちは、〈自分殺し〉の旅に出る。なぜ〈僕〉の記憶は失われたのか?世界から搾取され、漂流するしかない若者は、日々の記憶を塗りかえる。孤独な魂の冒険を描く、まったく新しいロードフィクション!日本の社会に未来はあるのか? ニート、請負労働者、ホスト、バックパッカー……。〈自分探し〉の果て、下流社会を漂流し続ける若者たち。記憶を失くした青年は、ゼロからの〈自分探し〉=新しい〈自己創造〉の旅に出る。桐野夏生が新境地に挑んだ最新長編小説。メタボラ……「メタボリズム(METABOLISM)」からの造語。そもそもは生物学用語で「新陳代謝」の意味だが、都市を生物体としてとらえようとする建築家たちの運動でもある。他人の夢の中で、ニート、下流社会、ピサラ、ホスト、記憶喪失、ドメスティック・バイオレンス、剥がれ落ちる僕の細胞、請負労働、やんばる元年、安楽ハウス、集団自殺、ワーキング・プア、見届け屋、ヨルサクハナ、行徳、バックパッカー、沖縄知事選挙、ガーブ川、パラダイス・マニア、安里、ばびろん、スイートホームミヤコ、独立塾、イズム、宮古島、デストロイ、ボラバイト、柏崎、ヤンキー、イエローランプ、フリーター、慈叡句、オトーリ、ズミズミ、上等(楽天ブックスより)
2007年05月09日
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