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ついに、中華民族大移動の季節がやって来ました。地下鉄「人民広場」駅を始めとして多くの地下鉄駅で、トリコロールの巨大な”華僑バッグ”を持った人々をよく見かけるようになった。今日見かけた人なんて、机が入ってるんじゃ??と思うくらい巨大な華僑バッグを担いでいた。私もこの民族大移動の波に乗って?一足お先に帰国します(早っ!)よく考えたら、4カ月ぶりの日本。でもこの4カ月間、一度も帰りたいとは思わなかったような気がする。。。慣れた!? というのではなく(⇒強調)あまりにも色んなことがありすぎて帰りたい、などと考えているヒマがなかったというのが正直なところ。日本の家のオンボロPC(今にも壊れかけている)ではなかなか日記の更新もできないと思います。まあ、この日記はあくまでも上海でのことをメインに書くつもりなので。。今日、マンションの管理事務所の人に「旧正月は日本に帰るのか?」と尋ねられ、「そうだよ。」と答えたら、guo (字が出ないのだ)好新年!と言ってくれた。つい最近も書いたような気がしますが(笑)ここはこちらの習慣にならって、新年快楽!! guo 好新年!!<追記>中尊寺ゆつこ先生、、、、あまりのショックに言葉もありません。。。早すぎます。。日本にいる時の私は、友人達と競馬場に行くわ、(馬券も買ってました~)毎日会社で、深夜残業時に栄養ドリンクをガブ飲みするわ、(腰に手を当ててね)おっちゃん達と飲み屋でグチのこぼし合いをするわ、完全なる「オヤジギャル」でした。
2005年01月31日
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なんか昔、こんなタイトルの歌があったような、なかったような。相変わらず、夜を徹してゴスペラーズのCDを聴き続けています。このCD2枚組みは全26曲が入っている。どの曲も全て大好きだけど、最も気に入っているある曲の作曲者を見たら、私がゴスペラーズの中で最も好きな人だった。2番目に気にいっている曲の作詞、作曲もその最も好きな人だった。。。こういう感性の一致ってやはりドキッとする。恋は思い込みから始まる。完全に頭がイッテしまってます。
2005年01月27日
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待ち望んでいたこの日がついにやって来ました。そして今、感動のあまり脱力状態にあります。何から書いていいのか、、、、言葉が、、、出てこない。。。。。やはりライブで、しかも間近で(ステージまでの距離わずか5メートル位!だったかと思う)見て聴く彼らの歌は、1曲、1曲が一言、一言が胸にズンズン響きまくりました。早速、会場でCDを買い、そのCDのパッケージにメンバーの方から直々にサインまでして頂き、(しよたさん、色々有難う!!)もう声がでないくらいの感激です。今年の運をこれで全て使い果たしてしまったんじゃないかとまで思ってしまう。。。今も会場で買ったCDを聴きながら書いているため、なんだかトランス状態。それにしても、声だけでここまで人を感動させることができるなんて、やはりスゴイの一言。。。
2005年01月25日
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地下鉄1号線「徐家匯」駅には交通カード(上海に住む人ならだれでも知っている地下鉄、バス、タクシー全ての支払いOKの優れものカード)の自動充値機がある。ただ、この自動充値機、どこの駅にもあるわけではない。たまたま今日、徐家匯駅を通った時、見かけたので、50元充値することにする。係りのおばちゃんが座っている窓口の前には長い列が出来ているけど、なぜか、この自動充値機の前にはだれもいない。自動充値機は操作方法が中国語で表記されており、図も記載されているので、意外に簡単そうだ。万が一、機械にはさんだ交通カードがそのまま機械に”パックン”されたら。。。という不安もあったけど(だって、いかにもあり得そう、、、、、苦笑)あっさりと50元充値することができた。あら~~~ 簡単、簡単。窓口に並んでおばちゃんにお願いしようとすると、しょっ中、割り込みされるは、こちらがまだ終わっていないのに、横からいきなりお札やコインを窓口に滑り込ませてくる人いるわで、ムムムッッ!!!! と眉間にしわを寄せるのがいつものことだったのに、これならストレスフリー(^^)それにしても、相変わらず、おばちゃんのいる窓口の前は長蛇の列。自動充値機と自動券売機の前にはだれもいない。皆様アナログがお好きなようで。それともこちらは、異様に元気で声もでかく、体力がありそうな方々が多いので、何事も機械相手では物足りないのかしらん???はぁ~~ 何をするにもやはり体力勝負の大陸。体力のない私にはキビシイ環境です。なんとかせねばね。
2005年01月22日
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中国に住んでいて、一度は経験することのひとつではないかと思いますが、私も例外ではありません。以前、東京本社の方がこちらの企業訪問時の手土産として大量のお菓子を空輸された時も税関で停まってしまい、大騒ぎになった。最悪、そごうに代替品を買いに走ろう、と思っていたが、ギリギリのところでなんとか難を逃れた。荷物が会社に届いたのは、ナント訪問当日の朝!!(本当に毎日が心臓破りだ。)この時は税関の○○氏に顔がきく、という同じ会社のW小姐(上海人)に大活躍して頂いたが、今回は全くの個人用の荷物。W小姐をわずらわせる訳にはいかない。それにしても困ったもんだ。。。
2005年01月20日
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経ったのですね。10年前の1995年1月17日。未曾有の大震災、阪神淡路大震災が起こった日。あの日のことは忘れません。忘れることなどできません。一瞬にしてまわりの世界が全く変わってしまう怖さ、儚さ。なぜ、自分は生きているのだろう??ここにこうして生きている、ということは生きろ、という天からのお達しなのだろうか?などと柄にもなく考えた。明日は、この10年の重みをかみしめる日だ。
2005年01月16日
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現在、空腹だからこういうタイトルが浮かんだのか否か。。。もともと甘いものは好きだけど油っぽいものが苦手な私にとってケーキはさほど好きな食べ物ではない。よって、多くの女性が好むケーキバイキングなるものにも行ったことがありません。どんなに頑張っても2個食べるのが限界なので、大損してしまうからです(⇒あくまでケチな関西人)。でもひとつだけ例外があった。それは、毎年クリスマス時に生協で購入していたある牛乳屋さんが作るクリスマスケーキ(丸いやつね)。ジャージー牛のミルクからとる生クリームが絶品で、毎年クリスマスには欠かさず買っていた。このケーキを胸焼けがする位食べて、もう当分の間ケーキはいいです、となるのが毎年のことだった。あまりのおいしさに油っぽいものが苦手な私でもついつい食べ過ぎてしまうくらいだった。でも当然ながら、今年はこのケーキが食べれなかった。残念ながら、今の上海でこのケーキと同等のものを望むのは無理であろう(シクシク;;)こちらのケーキはどうやらバタークリームあるいはホイップクリームが主流らしい。会社で何回か配られたケーキはバタークリームだった。こちらの会社って、自分の誕生日にケーキ(ピースのやつね)を買ってきて、会社の方々にわざわざ配る習慣がある。こんな習慣ってこの会社だけだろうか??最初は本当にビックリした。本来ならば、お誕生日の人に周りがケーキをプレゼントするはずなのに、自分で買ってきて皆さんに1つずつ配るとは、、、、本当にもらっていいのだろうか?と恐縮してしまった。。。話が脱線しましたが。。。。。そこで配られたケーキは全て、今の日本ではまずお目にかかることがなくなったバタークリームのケーキだった。もらっておいて文句を言う気なんて毛頭ないけれどやはり、あのジャージー牛の生クリームケーキが懐かしくて懐かしくて仕方ない。夢に出てきそうだ。。。。。
2005年01月13日
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を目指している訳でもなく、まずは中国語と思って勉強を再開したのですが。。。先生は英語しかできないので、英語で中国語を教えてもらってます。もちろん、質問などは全て英語でのやりとりになる。ただ、当たり前のことだけど英語は私にとって母国語ではない。よって、日本語のように考えなくても即座に出てくるわけではない。先日も、ある文法の配置をめぐって、どうしてもクリアにならないことがあったので、色々質問してしまった。気が付くと、かなり長い間、先生と英語でああだ、こうだとやりとりしていた。授業全体を考えると、中国語より英語でしゃべっていた時間の方が長かったのではないか??と思ってしまう。これじゃ一体、何語の勉強に行っているのか。。。こんな調子なので、授業が終わるとグッタリ疲れ果てる。考えてみれば、外国語2カ国語を使って授業を受けているのだから、疲れるのは当たり前だろう。それにしても、、今の仕事では殆ど英語を使わないので、英語力の低下は甚だしい。目を覆わんばかり。日本に居る時、外資系企業勤務だったので、英語が仕事の重要ツールであったなんて、信じられないくらいの低下だ。会社の中国人スタッフも日本語がネイティブ並にしゃべれる人は多いのだけど、英語となるとダメな人が多い。よってたまに、香港あたりから英語の電話がかかってくるといきなり何の前ふりもなく、私に電話を転送してくるのには参ってしまう(苦笑)。
2005年01月11日
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ふとしたきっかけで人材紹介業に携わる方とお話する機会があった。2人とも関西人ということもあり、会話のノリ、テンポが同じで楽しかった。関西人以外の方とお話する時、なんとなくこちらのテンポの早さに相手がひいてるな、と感じてしまうことがあるけど、やはり同じ関西人同士、そこらへんは、あうんの呼吸で会話ができる。変に気を回さなくていいところが有難い。また偶然、その方も私も日本にいた時に携わっていたのが同じ業界の仕事だった、ということもあり、久しぶりに建設的なお話ができて、本当に有意義だった。やはり、せっかくお互いに貴重な時間を割いてお話する以上、こうでなくては。一方的に愚痴めいた話を聞かされる、なんて展開になるとやはりどうしても気持ちが滅入ります。そして、夜になってその方から電話が入る。ちょっとここに詳しいことは書けないけれど、休日にある仕事を手伝っていただくことは可能でしょうか?との打診の電話だった。その仕事は私には予想もつかない仕事だった。今まで興味を持ったことも正直なかった。でも、その方は私の経歴を詳しく聞いた上で、「これはいける。」と思って電話してくださったようだ。有難いことだ、と思う。自分からアピールしたわけでもなんでもないのに、わざわざ声をかけてくださるなんて。ただ、全く予想もしない仕事だっただけに私にできるのかあ??という気持ちは今でもあるし、詳しい話を聞いてみないことにはなんとも言えないだろう。でも人生、思わぬところで思わぬことがあるもんだ、とつくづく思う。
2005年01月08日
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ちょっと遅れて書いてますが、1月4日が初出でした。ボヤけた頭と体をひきずりながら、会社が入っているビルに到着。すぐに会社までのエレベーターに乗らず、1Fのトイレに入ると。。。。。なんと、洗面所で頭を洗っているおばさんを発見。頭を洗った後、ハンドドライヤーの下に頭を突っ込んで髪を乾かしている(@@)一気に目が覚めました。い、一応このビルって日系企業が多く入っているそれなりのオフィスビルなのですがねえ。。。。絶句気を取り直して、席にたどり着くと、いくつかクリスマスカード兼新年の挨拶状が届いていた。中には、昨年一緒に仕事をした某政府系外郭団体のお偉い様(日本に帰ったら○○省勤務のお役人だろう)からも届いており、また一気に目が覚める。な、なんだか恐縮の限りです。。。。昨年、多くの時間を割き、土日もずっと家で作業をし、眠れない日々を過ごしながら作成していたこの某政府系外郭団体様ご依頼の報告書(全112頁)が冊子になって印刷所から届いていた。自分が苦労を重ねてやったことが、こうやって確固たる形になって残る、というのはやはり嬉しい。手にとって何度も頁をめくってしまった。。。。修士論文を書き上げ、それが形になった時の気持ちによく似ていた。また、目が覚めました。
2005年01月04日
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上海の街を歩いていて、不思議なのは、いまだに至るところにクリスマスツリーやリースやらオーナメントがあちこちに飾ってあること。それに加えて、クリスマスソングをあちこちで耳にする。不思議ワールドです。今日、街を歩いていたら、国籍不明のおじさん達にいきなり「Oh! Japanese!!Change Money, Change Money !!!」と声をかけられた。これっていわゆる歩く街角両替屋。昔、自由化直後のハンガリーに行った時、ちょっと街を歩いているだけであちこちからおじさん達に「Change Money!! Change Money!!」と声をかけられ、逃げると追いかけられて、そのしつこさに閉口したことがあるけど、当時のことを思い出してしまった。まあ、あの当時の東欧は外貨獲得に血眼だっただろうからある意味で仕方がないこと、と半分あきらめモードだった。しかし、上海に来て、この手のChange Money おじさん達に遭遇したのは初めてで、かなり驚いた。いるのね、上海にも。でも、一言もしゃべっていないのに、私が日本人だ、とわかっていたことに、ちょっと安心したのもしょーもないことだけど、また事実。
2005年01月03日
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確か、昨夜見る夢が初夢だったはず。どんな初夢になるのか密かに期待して眠りました。がっっっ。。。。。。。。よりによって仕事の夢を見てしまい、うなされて目が覚めました。うわーーーーーーーー!!!!こ、これって、今年を物語っているのでしょうか???考えるだけで気が滅入ります(ゾゾゾッ 鳥肌(゚Д゚))気分を変えるために、午後は外出することにします。
2005年01月02日
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ついに2005年。昨日は、紅白歌合戦を見ふけってしまいました。昨年は、K1と紅白を交互に見ていた記憶がありますが、今年はそういう訳にもいかず、ずっと見てしまいました。そして年明けとともに、「爆弾が落ちたのか?」と思うほど大きな音で花火が外灘と新天地で上がりました。外灘側の花火はよく見えなかったけど、新天地の花火はしっかり見ることができました。こちらの花火って1回に上げる量が半端じゃないのです。一気に昼が来たかのようにまわりが明るくなり、音もまさに爆弾級でした。2005年、目標というほどではないのですが、「あまり自分が苦痛と感じるようなことはしないこと。」を挙げたいと思います。今までの私は、自分に苦痛を与えることが、苦痛に耐えることが仕事だ、と思っている節が確かにありました(M気質?)。自分の好きなこと以外は見向きもしない、無関心、といった風潮に内心反発を感じていた部分もありました。でも、多くの方々に迷惑をかけた一連の年末の事件?を通して、気づいたことも多々ありました。今年は、少し仕事のスタンスも変える方向で考えております。自分にとってはターニングポイントの年となると思っております。2005年が皆様にとって素晴らしい年でありますように!
2005年01月01日
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