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25日は奇跡的に5時半に目がさめたので、万博公園へ出かけた。早朝観蓮会&象鼻杯という催しに参加。蓮はまだほとんどつぼみで、広い蓮池のなかでも10輪も咲いていたかどうか、という状態。新聞のカメラマンは「来週、出直しや」と言ってさっさと帰ってしまったけれど、私はつぼみのエネルギーとその姿が大好きだなあ。これは、清里の植物達の新芽に魅了された春の記憶やお友達のねねやさんの影響も大きいかも。大垣の和響というイベントで知り合った彼女が、ライブで話していた「薄墨桜のつぼみ」の話はとっても素敵だった。これから咲くで!ここで生まれるで!というみずみずしいエネルギーにみちたつぼみたちは、顔を出した赤ん坊のように純粋で勢いがある。ということで、そんな蓮の花をページの表紙にしてみました。この写真が、むぅ~~っと暑い夏をほんの少しすずやかにしてくれるといいなあ。そしてそして!前の表紙で紹介していたキャンドルナイトイベントin吹田『キナリの昼とくらやみ夜会』は、昨日おこなわれ、大好評のうちに終了しました。来て下さったみなさま、ほんとうにありがとう♪詳しくはイベントブログのほうにてご報告しています。『キナリの昼とくらやみ夜会』http://candlenightwest.ameblo.jp/
2005.06.26
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最近お知り合いになった、すごく素敵なお茶の先生に誘っていただき、浜屋敷(吹田市歴史文化まちづくりセンター)の「茶ちゃChaの会」に参加しました。「なにも知らないんですが。。。」と、しりごみする私に「大丈夫、気取らない集まりですから」とおっしゃるのでおばあちゃんを道連れに出かけてきました。浜屋敷は、古民家を改造した町の施設で、イベントなどに使用することもできます。和室やスタジオを貸し出していて、ひろびろしたお庭やお釜の並ぶ土間なんかも心地よい空間。前の席のお客さまたちの様子を見せていただいたのですが、お茶って個性が出るな~、と感心してしまいました。流れるような時間のなかに、先生のコメントやアドバイスがぴしっぴしっと挟まっていくのも小気味がいいのです。というと、なんだか余裕なコメントですが、見るのとやるのは全然違うのだということを、身をもって実感。その日は、上級者でもなかなかやらないという「花寄せ」をやらせていただきました。床の間に人数分の花器が用意してあって、自分の気に入ったお花をそれぞれが生ける、というものなんですが、私のはなんともいえないボリュームたっぷりな花寄せになってしまいました。先生方が「お花は食べもの。夏のお花があるだけで、満たされる」とおっしゃっていたのが、印象的でした。色とりどりのお花がシンプルな空間を、鮮やかに満たしていました。山桃の葛まんじゅうと、お抹茶も(おかわりまで!)とてもおいしくいただき、大満足のお茶会でした。緊張感がありつつも、楽しませる達人の先生方のおかげです。おばあちゃんを見習わなくちゃ!と感じたのも偉大な収穫。ひとつひとつのしぐさが丁寧だということは美しいということ。写真は、家に帰ってからおばあちゃんと「リベンジ花寄せ」をやったときの写真です。今日の花寄せで、おたがいに「あのときはあれが精いっぱい。だけどまたやりたい」と盛り上がり、うちにあった花器で再チャレンジ。何回やっても飽きない素敵な楽しみがうまれました!
2005.06.23
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「死ぬ自由もない」わたしは、自殺したいと(まだ)思ったことがないオンナ少しずつ死ぬということも一瞬で死ぬということも想像してみるだけで、試したことも味わわされたこともないただなにが私を生かすのか、なにが私を殺すのかどうしたらシアワセか、それを広げていくにはどうしたらいいかそれを自分なりに探して実践していきたいと思う今日、書架に置きっぱなしにしていた本『母さん、ぼくは生きてます』をふと手にとって読んだ。2001年8月1日にタリバン政権の抑圧をのがれてアフガンからやってきたアリ・ジャン青年が、日本の入国管理局に7ヶ月拘束され、自殺をはかって入管職員に見つかり、失敗した。「ぼくは死ぬ自由も、生きる自由も奪われていた。」もし彼がそのとき死ぬのに成功していたら、わたしがこの本を手にとることはなかった。わたしはこの日記を書いていなかった。本の中に出てきた日付けに驚いた。6月20日、つまり今日は、国連の提唱する「世界難民の日」だった。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の援助対象者は 2004年で1920万人と発表された。その人たちが紛争の続く母国へ強制退去を命じられる前に、わたしは気づくことができるだろうか。彼らの存在に。彼らの現実に。あるいはいつか「世界難民の日」がなくなるような日を作れるだろうか。日本での就職と勉強(海洋学や津波による災害研究)を希望しつつ、就労ビザがおりずにスリランカに帰国した友人がいる。彼は(まだ)難民ではない。けれど「環境難民」という言葉もある。地球上に生きる限り、開いた社会と閉じた生態系をどんなふうにシェアできるのかわたしたちはきっとチャレンジしつづけることになる。たとえば「今日は何の日?」というシンプルな問いからも、あるいは、ふと手にとった本の中で出会う、絶望と希望の言葉からも。世界は目の前にふと現れる。わたしが目をそらさずにその姿を捉えることができるといい、ちょっとずつでも。*関連リンク*国連難民高等弁務官事務所http://www.unhcr.or.jp/index.htmlアリ・ジャン プロジェクトhttp://alijane.org/
2005.06.20
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今夜はおばあちゃんとピースローソクな夜を過ごした。「キャンドルナイトしようか」「え」「キャンドルナイト」「うんうん」「電気消すよ~」「はいはーい」なんだか、きゅうに夜が、ぶあつくなったような気がした。「きれいだねえ」「きれいだねえ」「ハワイに行ったことあるかい」「うーん、小さいときに行ったらしいけど覚えてないなあ」「おばあちゃんがね、友達とハワイに行ったとき、友達が娘にたっくさんローソク買っていったんだって」「ふうん」「娘さん、すっごくよろこんだって」ハワイでどっさりローソクを買い込むおばあちゃんたちを想像してみる。なんだかキュートだ。力をこめて強調するおばあちゃんの声が、すぐそば。「デンマークではみんな食事のときロウソクをともすんだよ」「なんでおばあちゃん知ってるの?」「だって、みんなでお食事会したんだよ。おかあさん(私の母)が、せっかく素敵な料理たくさん作ったのに、うすぐらい中で見えやしない」「え~そうなん?」「でもね、なれてくるんだね。なれると人間って見えるもんだね」「うん、そしたらね」「そう、きれいなんだよね。電気よりずっと。」「料理も、おいしく感じたりね」「昔はみんなロウソクだったのにね」むこうの部屋で、弟がパソコンに向かって、煌煌とした電気の部屋に座っているのが見えた。私の日常が、鏡のようにそこに映しだされているみたい。ふと、めったにさわらないピアノに触りたくなった。へたくそがなんだ。鍵盤が私を呼んだ。夜だから少しだけ。夜だからちっちゃめに。ローソクがつぶやく。はいはい。私はほほえんでつたない指先に集中する。おばあちゃんに、デジカメの使い方を教えてあげたらローソクの前にかじりつくようにして、アングルを決めかねている。しばらくスイッチに触らないと消えてしまうようになっていて、何回も電源をいれなおす、おばあちゃんがかわいい「あのね、一枚だけとってみたよ」ぼんやりにじんだロウソクのあかりは、おばあちゃんの今夜の一枚きりの写真。「すてきな夜をありがとね」「こちらこそ」「こちらこそ」
2005.06.19
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先日参加した、みんぱく研究フォーラムで「アーレント」という名前が出てきてすごく気になっていた。そういうときは、出会えるものだ。図書館の新着図書のところで「ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所」(矢野久美子著)を見つけた。『全体主義の起原』も『人間の条件』も読んでいないけれど、わたしがアーレントから学べることがいろいろある気がする。まだ読破していないけれど、彼女がずっと交流していたカール・ヤスパースの言葉が載っていて、びびび、ときた。「過去の虜にも、未来の虜にもならぬこと。まったく現在的であることが重要である」「人間がどうなるかは人間にかかっているのであって、暗い宿命にかかっているのではない」 ヤスパースことばは器のようなものだと思う。意味は、その器へ自分で注ぐものだと思う。だけど、ちゃんと聞く耳があってちゃんと語る口があれば、意味の半分くらいは受け渡すことができるかもしれない。半農半エックスの塩見さんのMLに触発されて、私がいままでに出会った大切な言葉を書き出してみよう、と思ったのだが、そうこうするうちにどんどん素敵な言葉たちに出会うので、ちょっとずつでも記録してみることにした。そんなわけで、今度はヤスパースが気になりはじめた私です。
2005.06.16
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ファラデーのクリスマス講義第一講。「いろいろのものを支配している法則のうちで、ロウソクの話のなかへ出てこないものは一つもありません」文系のわたしには「ファラデー」と言われても、理科の授業で聞いたような???程度の方ですが、岩波文庫から出ている「ロウソクの科学」という本が妙に気になって図書館で借りてみました。ロウソクの炎がなぜ燃えるのか説明して、「このように見た目には美しいがよく燃えないロウソクなんかを見ますと、品物または細工は外観よりも実用の方が大切なことが知られます。」「予期に反した事情や失敗のおかげでそれなしではおそらくえられなかったところの教訓をうることがしばしばあります。このようにして私たちは自然の研究者になるのです。」「金銀の美しさ、金剛石や紅玉その他の宝石のすばらしい輝きも一つとして炎の輝きと美しさに比べられるものはありません。」目の前にいろんな国のいろんな材料でできた不思議な形のロウソクを並べて、親しみをこめてロウソクの科学を語る研究者の熱い気持ちが伝わってくるようです。第一講に出てくる、日なたでロウソクをつけてその影を観察する実験はすぐできそう。キャンドルナイトにこんな科学者があらわれて、宇宙の不思議と目の前でゆらめく炎の関係をわかりやすく話してくれたら、楽しいなあ。そんなことを想像したりしてみた。第二講以降も「水のできること」「燃えて水になる」「ロウソクからのもう一つの産物」「呼吸とそれがロウソクの燃焼ににていること」などなど、おもしろそうなお話がもりだくさん。つづきが気になる方はキャンドルナイトWESTのページでちょっとずつアップします。よかったら遊びにきてくださいね↓キャンドルナイトWESThttp://candlenightwest.ameblo.jp/
2005.06.15
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『聖地のフィールドワーク』という講義をうけてきました。もと関西大学教授、植島啓司さんによる「鞍馬の火祭りと天龍寺」をテーマにした講義。4回シリーズの第一回ということで、北浜のworkroomというカフェへ出かけました。workroomがあるのが、オフィスビルの立ち並ぶ土佐堀通り。あまりに目立たないので、ちょっと迷いつつ。ビルの6階のそのカフェは、ミニマルなインテリアで、都会の夜景を見下ろせる素敵な空間でした。おもしろそうな本やビデオがそろった本棚、ポストモダンな香りの雑貨類。どれも気になるアイテムでした。といっても、大変人気のある講座のようで、広くない空間にざっと50名ちかくひしめいていて、身動きとれるカンジじゃなかったのですが。学生、サラリーマン、もしかして主婦?いろんな人が集まっていたけれど、若い女性が多かったような。。講義を受けるにあたって、植島さんの『宗教学講義』『聖地の想像力』という2冊を読んでいきました。とっても読みやすい本なので、興味がある人にはおすすめ。講義にも出てきた持論「聖地には石組みがある」「恐ろしいものを恐ろしいもので封じる」というお話もおもしろかったのですが。わたしにピンと来たのは「くらやみ」の話。くらまの「くら」は、神の坐(くら)。魔物の住む場所、追われたものの逃げ込む場所。くらやみの中で無言で「もの」と交流する。というところ。むかしの人は、そんな感性を持っていたとか、いないとか。「友達とぺちゃくちゃ話しながら行くなら、どんな場所でも一緒」「なにかを感じたいなら、それなりの心構えが必要」ちょうど、うちでひとりキャンドルナイトをしながら、くらやみで開かれる感性について、いろいろ実験をしていたところ(怪しいよなあ)だったので、「くらやみ+静けさ」の大切さがとっても腑に落ちたりしました。また、ビデオで見せてもらった原田美枝子さんとアベック座禅な天龍寺も、とても心ひかれました。岡倉天心の「茶の本」を読んで、禅寺のミニマルアートにぐっときた私ですが、山全体が天龍寺、というマクロな視点にまたまたぐっときちゃいました。自分の中の多様性に気づき続ける、人類学と瞑想の共通性ってそんな部分にあるような気がしました。workroomhttp://www.workroom.co.jp/この講義にさきがけて、みんぱく主催の「ジャン・ルーシュ回顧上映会」で「狂気の主人公たち」と「ライオン狩り」を見たのですが、こちらはかなり衝撃的でした。どちらも宗教儀礼や文化の記録に留まらない、ジャーナリスティックな作品でした。自文化の鏡としての他文化、ドキュメンタリーという手法への疑い、「民族誌」の可能性、などなど。いろんなインスピレーションにあふれていました。みんぱく映画上映会『ジャン・ルーシュ回顧上映会』http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/movies0506.htmlえー、ぜんぜん違う話のようですが、ほのかに関連しております。キャンドルナイトWESTのイベントが今日発売の関西Walker 152ページに載ってます。あとイベントブログも、じみちにアップしております。れっつごー♪http://candlenightwest.ameblo.jp/自らのくらやみとひかりにフォーカスするキャンドルナイト、ぜひぜひご参加くださいね。そいじゃまた。
2005.06.07
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じつは阪神タイガースファンです。といっても隠したことは一度もないけれど。ゆうべは清里のゆかいな仲間たちと甲子園に応援にいきました。ひさしぶりのこゆ~い面々に、居心地のよさを感じてしまったり。清里からわざわざ来たのに、雨はふるわ風は寒いわ試合にゃ負けるわ(あ、ひとりソフトバンクファンがいたんだった)明日はシゴトだわはたから見たら、よっぽどふんだりけったりなのになんだか、ほんとうに盛り上がって楽しい試合観戦&飲み会でした。お世話になった清里猛虎会会長(83)の退職祝いにみんなでプレゼントした復刻ジャンパー。まだまだ寒い清里の風に吹かれて、83の肩をあたためるといい!またみんなで集まって、タイガースファンのばか騒ぎができるといい!勝っても負けても愛される、そんな人たちにまたすぐ会えますように。たのしかったでーありがとう。できれば逆転サヨナラ勝ちしてほしかったけどね。
2005.06.03
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自宅のちかくに「ほたるがり」に出かけました。あかるい時なら5分もかからない道を母とふたり、くらがりのなかをゆっくりゆっくり歩きました。ヒメボタルたちは、その数100匹はいたでしょうか。そしてときどき響くウシガエルの重低音。薮のなか、竹林のかげ、池のうえを、音楽のように照らすほうたるたち。この宵、わたしと母が出会ったのは力強いいのちのウタ。「ほたる」と聞いてはかないいのち、はかない光を思い浮かべませんか?けれどその光は、想像するよりずっと明るく、闇を照らしていたのです。その点滅は、生々しいいのちの息吹きを連想させました。案内版にのっていたヒメボタルの雌雄のイラストは、外国でみた不思議な色のごきぶり、と言ってしまえば信じるかもしれません。夏の悪役をかばおう、というつもりはないけれど、虫に優劣があるでしょうか?できればそうっとしておいてほしい、人間も虫もそうじゃないかとそれでも関わるしかないのだと、複雑な気分になったりします。セミを幸福の象徴としてインテリアの柄にしている南仏の雑貨やさんを思い出して、人間はよくよく自然に意味を求めるな~と人のふりみて我が身をふりかえりました。そして、大好きな昆虫マンガ「虫けら様」をおもいだして、虫たちの生きざまを、美化しなくても、意味をあたえなくてもそのままで美しいのだと気づくことのできる感性がこの夜ばかりは、ほうたるの光に照らしだされたようでした。おしまい
2005.06.01
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