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男 の 詩 男はいつでも考える 男はいつでも呼びかける 君もお前も男なら まっすぐ進もう人生を 男はいつでも迷いつつ 男はいつでも悩みつつ 生きているなら男なら それを咲かそう人生に 男はいつでも情熱を 男はいつでも正しさを 秘めているなら男なら 燃やして行こう人生に
2005年03月13日
愛 の 玉 手 箱 あなたにあげたい物がある 男から女へのプレゼント それは愛の玉手箱です さあ~”ここで。・。・ 僕の目の前で開けてごらん 何かしら開けてみるわ たった1枚の紙切れ 何が書いてるの? 「死ぬまであなたに永遠の愛と誠を捧げます」 「死ぬまであなたを守ってあげます。」 「あなたには日本一の幸せをあげます」 美しい愛の玉手箱をありがとう うれしくって涙が出てきたわ 私は日本一幸せな女になります
2005年03月12日
誰よりも地球を愛す 地球を愛することは自分を愛すること 誰よりも誰よりも地球を愛します 夫婦愛よりも家族愛よりも恋人よりも 地球を先に愛することにします この地球を愛していますか そう問われると人間は何も言えない かけがえのないこの地球(星)は 人類をはじめ万物すべての宝物です 素晴らしい地球にしたいなら。。。 美しい地球にしたいなら。。。 誰よりも地球を先に愛することです
2005年03月12日
喫茶店のマスター いつもよく行く喫茶店「樹林」 この店に入ると真っ先に「おつかれぇー」 と声をかけてくれるマスター 頭髪を短く刈り上げたきさくなマスター コヒーを飲んで帰る時は「おきばりや~す」 と言ってくれるマスター 本当にあたたかい気持ちになれるから また行きたくなる喫茶店「樹林」 マスターいつもありがとう。
2005年03月11日
帰 省 の 唄 黄色くうるむ街灯り 涙ににじむ家灯り 今は列車の中だけど飛んで行きたい家灯り 俺の育った懐かしの駅に降り立つ夜明け前 帰ってきたんだよ 帰ってきたんだよと ささやけど淋しくゆれる家灯り ああ故郷の家灯り 駅のホームはひっそりと昔なじみの駅だった ひとり歩いて泣きながら行けば優しい父母の 顔が瞼にやきつくよ いま帰ったよと叫んでも淋しくゆれる家灯り
2005年03月11日
勝 利 の 道 勝利信じて男は生きる つらい試練に耐えていく 男はこの世にいるものさ 意地が根性がこの俺を 磨くこの技この力 勝利の道をいくならば よそみするなよまっしぐら 鍛えよ心とこの体 いじめていじめていじめぬけ それが男だ勝利の道だ 雨にうたれて男は生きる 明日を信じて突き進む 男はこの世にいるものさ 握る手の平こぶしの中に 強い闘志がわいてくる 勝利の道をいくならば 愛だ恋だは関係ないぜ 流せよ汗と血の涙 くじけちゃならぬ最後まで それが男だ勝利の道だ。
2005年03月10日
若 い 二 人 に 乾 杯 友よ この素晴らしい門出を共に祝おうよ 友よ この目出たさをみんなでわかちあおう 生きる若者のために二人のために みんなで歌をうたおうよ 幸せに喜びにさあ乾杯しょう おめでとう おめでとう 若い二人の未来を拍手で送ろう 二人の幸せ祈りつつそっと静かに見送ろう この二人の人生の晴れの門出を この胸の高鳴りを この友のあたたかさ 忘れないでほしいいつまでも いつか逢ったその時は 懐かしい今日の門出を想いだそう
2005年03月09日
急 行 列 車 の 歌 走れ 走れ 走れ 急行列車 希望の旅さ つっぱしれ 夢もある 喜びも 窓に頬よせ 歌うたい 走る列車の楽しさよ もっと もっと 飛ばせよ 走れ あてなどなくていいさ きままなものさ 好きなところで降りるがいいさ 雨が降り風が吹いても 走る列車のすさまじさ 希望が飛ぶ 夢も飛ぶ そんな愉快な旅に向かって 走れよ走れ走れどこまでも 急行列車は今日も行く
2005年03月09日
青 い 星 青い星を見つめれば 幸せいっぱい飛んでくる 僕はうれしく声あげて 幸せ歌に酔いしれる だけど星は知ってる あの娘のことを 思いよせて苦しめば 胸が痛むよこの胸が
2005年03月08日
お お 人 生 おお人生 生きることの楽しさ 歌を歌い口笛吹いて おお人生 素晴らしき人生よ 生きるふたり 目指すは遠い果て 素晴らしい喜び 愛しい人 可愛いい人 生きているみんな おお人生 素晴らしき人生よ 生きる喜び 君と生きる おお素晴らしき人生よ おお人生 素晴らしき人生 おお人生~ おお人生~
2005年03月08日
星 は 天 に 咲 く 人 々 の 群 れ 天に星あり 星は天に咲く人々の群れである その星の光はその人の個性であり 生命の輝きである。 みんな宇宙生命体の人達である その人々を地上人は見上げ星座など といいて観察し宇宙の神秘にうたれ 星占いや星座にまつわる物語を語り 遠大深遠な宇宙の星に感動するのだ 星の降るロマンチックな夜の あの星の中に人々がいる
2005年03月07日
男 の 魂 風に吹かれて花は散る 花は散れども実は残る 俺の命が消えようと あとに残るさ魂が 俺を想って生きた奴 俺を信じて生きた奴 きっと気づいてくれるだろ 正義に生きる男なら あいつもこいつも知っている 俺の気持ちを知っている 花と咲かせよその心 俺の分まで咲かせなよ きれいな花をこの世の中に
2005年03月07日
春 の 光 寒い冬のしじまから一条の光 春の太陽が輝いて四方を照らす わが身天下に躍動して見目うるわしき されば野に出でよ 山に出でよ 春の光の中に出でよ うれしうれしと胸をはれ 春の光に包まれて恋の病に落ちてみよ 落ちて悲しむ人よりも落ちて楽しむ人となれ 春の光に包まれて恋の病に落ちてみよ 恋に悲しむ人よりも恋を楽しむ人となれ
2005年03月02日
人 間 の 眼 人間の中心は眼である。 眼は口ほどにものをいい・眼は心の窓・ 眼は社会の窓とも言われる。 母親の胎内にいるとき人間は 眼が一番最初にできる。 自然の草花は普通、芽がでて 葉が散っておわる。 人間の一生も眼(芽)ができて 歯(葉)が抜けておわる。 人間の中心(眼)がしっかりしていれば 中身もしっかりしている。 男には男としての眼が、女には 女としての眼というのがある。 若者には若者としての眼というのがある。 この眼を養うことが大切かと思う。 弟に電話した。 力強い男らしい声だった。 落ち着いたゆとりある声に私はあせった。 私は早口になり一段と語気を強めて話をした。 声だけ聞くとどちらが兄かわからないだろう。 そう思うと私は少しおかしくなった。 なにか誇らしげな話し振りにたのもしさを 感じ、私は自信をなくしつつあった。 弟に何をいおうとしているのか、自分から 電話をしたのにわからなくなっていた。 「あのなあ~なんの用件で電話したんか忘れた!!」 「また電話するわ!!」 なんのこっちゃ へへっ ああ~この呼吸!! 生なる呼吸!! 空気のうまさを肺で感じ。。。 五臓六腑に満ち満ちていく血の流れよ ヘモグロビンに乗って爪・髪の末端に 生を与えよ わが呼吸!!
2005年02月11日
★ ★ー 父 と 母 ー★ ★ 母の辛苦 父の辛苦 それを見てわれは育ちし 熱き泪ながれそいし時 男ならば男ならばと 思って生きてきた 父を見よ 母を見よ なんに表せど表すものなし 美しき絆の愛の力よ 朝も昼も夜も二人で寒い心を 温めながら生きてきた父と母 それはすべて私の心に今も生きている ああ父よ母よ 美しきダイヤモンドよ 今私にみなぎる熱情はみんな父のための 母のための生きる印なのである ★ ★ー 日 本 の 乙 女 たち ー★ ★ 強き使命に微笑を いつも心に抱いてる ひかる瞳のやさしさよ 若き乙女が乱舞する愛国の花よ 美しき日本の花よ 日本の花よ やまとなでしこ日本の乙女たち ★ ★ー 髪・ 爪・ 目・ 歯 ー★ ★ 髪長ければ心くらく 髪短ければ心はつらつ 爪長ければ心さびし 爪短ければ心きよし 目美しきは心やさし 目汚れれば心にくき 歯美しきは心かがやき 歯汚くは心にごりし ★ ★ー 昼 の 眠 り ー★ ★ 昼に眠ることがこれほどいいものであろうか 休息がこれほどいいものだろうか 太陽がいつもと違う輝きでそれは 幸せの光に思える 雀たちがいつもと変わらずエサを拾って いるがそれさえも新鮮に感じられる。 私が健康で美味しい空気を毎日すえるように 冷たい風が素晴らしい 淋しい星空がすきだと いえるように 平凡でもそれが幸せといえる ような人でありたいものだ 新しい時がひとつづつ流れては 消えていく静かなる冬の日の午後 私は部屋ソファーの上でひとり 昼の眠りを楽しんでいる。
2005年02月10日
故郷の夢をまくらに余寒かな 寒が明け、立春がすぎれば余寒になります。 大阪城公園などでは紅梅や白梅が見ごろかな? 日ごとに春に向かって暖かくなっていくんですね。 ★ ★ー 故 郷 の 夢 ー★ ★ 山がある 川がある 美しく輝いていた故郷は今も 色あせず心の中に生きています 都会生活でいろいろと挫折感を 味わっても私には大切な故郷が ありました 古いアルバムをとりだせば そこには子供時代の友の顏があります 時代の中でみんなやさしく微笑んでいます 幼いときの故郷の景色が今よみがえる しいの実やどんぐりをひろったよ 山ぶどうやぐみの実も食べました 柿の実を竿でもいで食べました 栗を拾うとイガが痛くて足で踏みつけた ニッキの木の皮もかじりました ニッキの味は舌のなかに今も覚えているよ わらび・ぜんまい・いたどり採りました きのこ狩りにも行きました 名も知らぬきのこ見つけて喜んだ 昼寝すると風鈴がひとつ鳴りました 目が覚めればスイカ・もろこし食べました 田んぼには、メダカ・おたまじゃくし・ 源五郎・アメンボウもいてました 田植えや稲刈りもしましたよ ヒルが怖くてゴム長靴はきました つきたてのホカホカ餅も食べました ああ故郷の想い出は走馬灯~ 脳裏を自由に駆けめぐる レンゲ畑に寝ころんで白い雲をながめたよ 蝶やミツバチいろんな昆虫がいてました とんぼもセミも網をもって追いかけました 蛍狩り・魚つり・潮干狩りもしましたね かくれんぼ・縄とび・おしくらまんじゅう・ チャンバラ・ケンケン・カンカラけりもしました ころんですべってつまずいて小さなすりきず いっぱいあったけどそれでも元気に飛び跳ねた かごめ~かごめ・あんたがたどこさもやりました トランプ・かるた・双六・花札もしましたよ ミゾレのかき氷を食べて頭ズキ~ンとなりました 花火大会・盆踊り・金魚すくいも子供心で楽しんだ お化け屋敷・きもだめしもやったよな 秋まつりには太鼓たたいて夢心地だったよね 雪が降れば雪合戦!!あの娘ばかりに雪つぶて 校庭に大きな雪だるまつくったね 凧あげ・竹馬・竹トンボ・ アッハ~みんな無邪気な子供たち ああ~みんなみんな山や川や自然の緑に 抱かれて自由きままに遊んでいたよ 故郷をはなれ何年たったことだろう。・。・。・ あの頃とはずいぶん風景も変わったことでしょう。 でも私の心の中にある故郷の風景だけは今も ずっとあの頃のままです。 あの頃の少年少女にはもどれないから懐かしい 故郷の夢をみながら私は生きていきます。 故郷は遠くにありて想うもの。・。・ 可愛かったあの頃の子供の世界へ 旅をして故郷まくらに眠るだけ。。。 故郷の夢をみながら眠るだけ。。。 故 郷 兎追いしかの山~♪ 小鮒釣りしかの川~♪ 夢は今もめぐりて~♪ 忘れがたき故郷~♪ 故郷に一度帰ってみてぇなぁ~ もう何年帰っていないんだろう
2005年02月07日
北 へ 行 く 君 よ 北へ行く君よ ああはるけき旅立ちよ 遠い北の大地に行く君よ 君に祈らん尊き旅の尊き命を われだけに伝えきらむに死ぬなと 君の枕辺に一抹の赤き血潮を流さむか それがわれの君したう証しとするを君は喜べしか ああ遠き旅立ちよ その広漠さゆえに君への夢はさめては 見つつ見つつはさめて幾度なりし ただ平和な夢だけに心はおさまりしものを ああわが信ずべき友は去りし ひとつの大きな重圧がわれにせまりし 君を失くせばわれのゆくてに涙ありしを 人は何といおう君への愛 君への真実 君のみ知ろう われのみ知ろう その気高き青春に生けし二つの命の交流を それに酔いながらわれも君と同じ道を行かむか ああわれら真の友といおう 真の男性といおう その怒涛の人生にわれらの誠を高く掲げて 一路の青年の雄叫びあげることを欲す 君の心もわれと同じか 違えども何の末路もなくその道を行こう ああ君の去りし青年の心の空洞は 君は知らむものと思えども君の辛苦に 比べればそれは小さきものと思えし 北の果てに立てし君の勇姿を脳裏の奥底に 深くとどめるやそのりりしき風采に涙も生まれん 君の立てし北の果てはわれまた立てし今の道か 君の声が静けき闇にながれわれはそれに答えし 来たるべき時われも立つ 君にまためぐりあいし時にわれも立つ その時まで君もわれも荒野に生けし ひとつの雑草にならむと ああ君ゆえにはるけきわれの生涯もまた はるけき尊き美しきものにならむと欲す 君も生きよ 一つの小さな雑草として 白き荒野に燃える青き雑草として その雑草の青き羽毛が輝ける時 われらの栄光ありしとしかと心に 誓えしか しかと心に誓えしか 雑草はいう われら地底に眠る震源のごとく天空に 飛びかう電波のごとく生きん われら雑草といえども小さくも花を咲かせ 実をならせ白き荒野を突き破って天に伸びよう その雑草は高き天を仰ぎてわれの道はるけきを 知るも何のためらいもなく真っ直ぐ伸びること を願わん その雑草はいつか春の道に咲くものや 身をもって寒風に立ちて進めし ああ北へゆく君よ わが身の力を信ずるや 山川変わることなき人また変わらず生けしものを 君の顔も性もわれみな知りて生まれし 深く根をはり固い絆の雑草となりしものか 君に告ぐ君はわれのみに生きよ 地底に雨のしむごとくわれを感ぜよ その心必ずやわれに通じん われもまたそのようにするをやめなむ まさにわれら二人は眠る獅子王かいや虎か猫なのか その真価は問わねどただ辛苦に克てし信念あるのみ いざ進めよ その体躯を北の果てに向け一歩を刻め 命あるかぎり北の荒野の雑草になりて真に進め われの弾痕はすべて君のために捧げしものを だから君よ北に行け だから行け北へ 青き羽毛を北に向けよ 君にとって北は勇躍の道 眼光鋭くいますぐに北へ向かえ たくましい君よ 北の寒風に立て たくましい君よ さあ早く行け 北へ 北へ 北へ さあ早く行け
2005年02月05日
春 立 ち ぬ 春立ちぬ 春はまだよと思えしも 少しうれしさこみあげて 外(と)に出て風に身をさらす 梅のつぼみのふくらみに 小さな春をみつけたよ 春の風はまだ来ぬも 知らぬところで蠢いて 何かが違うそんな気持ちがしたんだよ あの空もこの雲もみんな春へながれたり みつめれば花咲く春がすぐそこに 目をとじて早春の歌ききたれば 恋しい風が吹きたるよ 地は動き季節ふくらむ野や山に 春立ちてなにふくらむや風の音 ★★ーーー☆☆ーーー★★ーーー☆☆ーーー★★ まだまだ寒くて春は遠い感じです。 でも外にでると梅のつぼみがふくらんでいる。 そんな小さな春をみつけました。 梅一輪の暖かさが心にしみましたねぇ~ 北国や雪国は真冬で雪の中です。 暖かい季節が待ちどおしいことでしょう。 早く春が訪れますように。・。・。
2005年02月04日
わ が 旅 立 ち 緑の山の又山の山 深き山のすそのひと村 小さき川の淵あおく 山むらさきの野や畑 古きわが家の瓦屋根 椿にうもれ春来たり 夏は過ぎゆき秋の風 冬の風に戸をひらき わが家跡にし世にいでし 夢多かりしあの頃の 遠きわが家の母の顔 さらば朝霧夜は明けて 峠を越えていざゆかん 天は晴れて白雲の 雪は残りし丘の上 わが故郷の眺望に 母に祈りし幸せを 心で告げるさよならは 涙こぼれて止まざるよ 明日への夢を胸に秘め 幸へ向かえし若者の わが故郷のひと村の わが人生の旅立ちは かくてはじまり 田舎育ちの男にとって人生の旅立ちほど 心の底に残っているものはない。 都会育ちの人にはわからないかも知れない。 母と妹や弟に見送られバスにゆられて 故郷を出てゆくのだから。。。 あれから何年たったことだろう
2005年01月31日
白 い 家 海が見える 潮風が舞う そんな丘の白い家 愛しいふたりなら 住んでみたい白い家 青い海にはカモメが飛び 朝日がまぶしく輝いて 小鳥がないて蝶が舞う 潮風がちょっぴり吹いて 青い空には白い雲 ふたりに愛があるなら 暮らしてみたい白い家 夢のあふれる部屋から ながめよう バラの咲いてる庭を 夕焼け空と輝く星座に 奏でよう愛の歌を 愛があるならふたりなら 手をとってながめよう 素晴らしい明日を 愛があるなら一緒に 住んでみたい白い家
2005年01月30日
冬 の 小 さ な 手 小さな手が動く まん丸お手手がのびてゆく 紅葉のような手がのびる ほらこれが雪なのよ あなたの手で触れてごらん 風はつかめない 雨もつかめないけれど 積もった雪ならつかめるわ ほらこれが汚れなき白雪よ そっとつかんでごらんなさい 汚れなき小さな手がのびて はじめて雪に触れた赤ん坊 すんだ瞳が笑っているよ 汚れなき白雪と汚れなき紅葉の手 美しき雪の白さと美しき赤ん坊の 白き手が握手した 母のぬくもりに抱かれて 雪の冷たさ感じたことだろう あなたが大きくなれば雪よりも もっと美しいものをつかむのよ この雪も春になれば消えてしまう でもあなたの未来には消えない 幸せ見つけてほしい 小さな手がうごく 紅葉のような手がうごく まん丸お手手がのびてゆく 冬の小さなお手手だよ 赤ちゃんの手は、紅葉のように小さく かわいい汚れていない手です。 いつも手をまん丸く握ったままでいます。 そしていろんなものを見るたびに小さな手で つかもうとするもんですねぇ。 白い雪も雪とは知らずただ触れるだけ。 赤ちゃんの手は美しい 汚れていない手というのはいいなぁ~
2005年01月29日
ふ る さ と 山がある 川がある 海がある あなたにはふるさとがありますか 桜咲く校庭の片隅に男がひとり ふるさとを歩けば浮かんでくるよ いろんな友と遊んだあの頃が。。。 小学生・中学生時代のふるさとが 心の中に今も生きているよ あの家もあの人も思い出のひとかけら 私の過した家はないけれど ここは心のふるさとよ まぶたに残る人生の 半分はここにある 父がいる 母がいる あなたにはふるさとがありますか 月も星もきれいな空がある ふるさとを訪ねれば無邪気だった あのころが見えてくる 小学生・中学生の頃がなつかしい ああ~ふるさとがなつかしい 田舎育ちの僕にとっての故郷は心の中で いつも思っている懐かしい場所なんです なかでも小学生や中学生の時代に過した 友だちとの思い出は一生忘れられません もう一度子供になって遊びたいなあ~ 身も心も童心にもどって遊びたいです でももどれないんだよ!! ああ~~もうあの頃には 二度ともどれないんだね
2005年01月28日
松 葉 杖 松から生まれた松葉杖 命ささえて松葉杖 松葉杖つく冬の道 ゆっくりゆっくり ふたつでひとつ松葉杖 命ささえて松葉杖 冬の道ゆく松葉杖 松葉杖なんていう言葉だれが作ったんだろうか。 いい表現だなぁ~松葉杖 見事なネーミングだよねっ あの姿をじっくり思い浮かべて見ると まさに「 松 葉 」ですよね。 木製の松葉杖をみるとよけい松葉の 形に似ているように思うなぁ~~☆ 近頃は金属製の松葉杖も多くなったけれど。・。 ★ 枯れても落ちても二人連れ ★ 体に障害があって使うものなのに・・・ めでたさのシンボルのマツの名をあてて 不運や不幸を和らげようとしている。 そんな気がするんですが。。。 日本の松の代表は、アカマツ・ クロマツの二葉松です。 枯れても落ちても、ニ葉は離れないんですね。 ひとつだったらただの杖で歩けないわ。 二つあるから松葉杖として 歩くことができるんです。 男と女の二人の杖かもしれないなぁ~ 男も女も力をあわせて生きて行くんだぞ!! 松葉杖がそう言っているようだよ。。 あははっ 考えすぎかも知れないなあ
2005年01月27日
新年も25日。 2005年も早いものである。 時の流れは、平穏に過ぎていく。 ここで私は宣誓することにした。 私は今、雪野原を眺めている。 白い白い雪野原のはるか彼方に 輝くような夢と希望がある。 光輝く命がある。 ★★ー 宣 誓 ー★★ 私は、日本人である。 男としての本分を忘れず生きる充実感と意気 と若さをもって貧ずれども恐れず病魔に負けず 生かされていることを知り自己のもつ個性(カラー) を発揮して、いかなる仕事にも適応し努力して 心身を磨き兄弟・親に孝を尽くし誠をもってあたり 愛をもって言葉を発し和を第一として接す。 つらくとも苦あれば楽あり、夢とロマンを 達成しこの人生の道に美しい男の花・ 日本の花を咲かせたい。 肉体を磨き知性を磨き自己のおかれた仕事と 立場に全力を尽くすことをここに誓います。 何の宣誓やねんと言われそうだなぁ~~(爆) この宣誓は自分の心に対しての宣誓ー☆ 人にわからなくてもいいんですょぅ いいんだってばぁ~ もう~ 変な宣誓だといわれても。。。はははっ
2005年01月25日
新年も21日。 ふきの芽がでる頃だそうです。 ふきの花が咲く頃だそうです。 ☆☆ーふ き の と うー☆☆ いつごろだったろう ふきのとうを見たのは。。。 裏の山に登るとふきのとうがあった。 湿った土の中から芽が出ていた。 さ緑のやわらかい葉はかわいかった。 寒風の中に春のきざしがあった。 裏山に鳥がきて啼いていた。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ふきのとうをいつ見ただろう。 いつ見たか思いだせない。 ただ小さい頃、裏山で見た。 これだけはハッキリ覚えている。 それ以外は見たような見ないような・・・ 都会で生活しているとなかなか見れないわ。 もう一度ふきのとうの花を見たいなぁ~
2005年01月21日
新年も20日。 極寒に見舞われるという大寒である。 夜 の 灯 り の 夢 の 中 窓のカーテンを開けた 大寒の夜の闇に街は眠っている 夜のしじまに街の灯りがゆれている。 ゆれる灯りには人々の明日への夢がある 深い闇の中で人々はぐっすり眠っている 心も凍るような寒々とした部屋の中で 明日の人生を夢みる男がひとり。 夜の灯りの下で花咲く夢を描いている 冷たい部屋で春を待つ男がひとり 夜の灯りの夢の中で花咲く 未来を描いている
2005年01月20日
雪 合 戦 一枚のセピア色の写真のなかに 小学生たちのあどけない顔がある。 あれからいくつ、時は流れたことだろう。 雪が積もれば裏の田んぼで雪合戦をした。 小さいながら好きな女の子がいた。 好きな女の子にばかり雪のつぶてを 投げていた すべって転んで泣きべそかいて。。。 みんな雪と戯れた。 好きだった女の子はもういない。 幻の遠い街に行ってしまった。 あんな無邪気な雪合戦が恋しいよ。 雪のつぶてを投げる好きな人も 今はいないから雪合戦は夢の中!! 好きだった女の子に雪のつぶてを 投げてみた。 遠い故郷の空に雪のつぶてを投げてみた。
2005年01月18日
手で触れられないところ 手は何かをつかむためにある。 手は何かに触れるためにある。 幸せをつかむ手であるかも知れない。 人肌のぬくもりに触れる手であるかも知れない。 人間の体の中で触れられないものがある。 頭にも顔にも腰にも膝にも足の裏にも 手は触れることができる。 右手は左手に、左手は右手に触れられる。 しかし、手で触れられないものがある。 瞳は確かに触れることはできない!! これは瞼が邪魔をするからである。 ここで言っているのは、純粋な体表面で 手が触れることのできないところである。 背中には触れられないかも知れない。 でもよほど腕の短い人でない限り 背中の一部分には触れられるだろう。 触れられないところ・・・? それは、手の甲であり腕(肘)である。 右手は右手の甲に。。。触れられない!! 左手は左手の甲に。。。触れられない!! 右手は右腕(右肘)に、左手は左腕(左肘) に触れられない!! 腕の付け根、肩の部分を除けば 絶対に触れることはできない 新年の手にも触れることが できない手の甲と腕(肘)がある
2005年01月15日
新年も13日。 今日は、天気もよかった。 新 年 の 手 今年になって私の手はどんなものに 触れただろう。 右手は右手だけで触れたもの。 左手は左手だけで触れたもの。 あるいは両手十本で触れたもの。 いろんなものにどんな形で いくつ触れたことだろう。 触れたことで時は進む。 触れたことで進歩する。 触れた密度によって成長する。 触れたものによって人生が変わる。 新しい年にあなたの手は 何に触れたましたか。
2005年01月13日
寒の入りからやはり寒さが厳しくなった。 冬本番だよぅ。。。今日はチラホラ雪が降った。 降ったといってもほんの数分でしたが。。。 「アッ雪が降ってきた!!」そういって 数分後に外を見ると消えていた。 冬 の 手 寒い日は手もかじかむ 右の手も左の手もかじかむ 寒いからポケットに手を入れる 寒いから右手と左手をあわせる 寒いから手に息を吹きかける 寒いとき手は温もりをほしがる それはあなたという手の温もり あなたの手にそっとふれたい あなたの手の温もりがほしい あなたと手をつなぎたい
2005年01月12日
今日は成人式が各地で行われました。 みんな今日から大人としての責任と自覚を もって夢見る人生へスタートする日ですねっ。 いいねぇー。このはちきれんばかりの若さ!! 澄んだ瞳の清清しさってうらやましい!! 長いこれからの人生という舞台で何を奏でて 何を演じるのか ひとりひとりの夢舞台への20歳(はたち)の 旅立ちです。 天も晴れてその旅立ちを祝っているようです。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 2 0 歳 の 掟 煙草吸わないで~ 髪を染めないで~ マニキュアしないでね~ アイシャドウしないでね~ お酒飲は飲まないで~ ああ~~あなたは20歳です 20歳になると煙草も吸えるしお酒も飲めるしねぇ。 大人のスタートは煙草の味やお酒の味を覚える ことからはじまるものです。 大人になって粋がって煙草を口にした。 大人になって興味津々バーに行って酒を飲んだ。 男は20歳を過ぎると急にそういうことを やりだすものです。 お金もなく足も地についていないのに。。。 上に掲載した20歳の掟は、人生を 生きていく基本的生活のスタイルには 煙草も酒も髪を染めることも マニキュアもアイシャドウも必要が ないということを書きました。 20歳になったらこのことについて よく考えてほしいですね。 自分の生活スタイルとして これからの生活に何が必要なのか! 何が必要でないのか! 自分で決めていってほしいと思います。 自分の生活スタイルにいらないものは いらないとハッキリとノーをいいましよう。 煙草は吸わない!!酒は飲まない!! 人が何と言おうが一度決めたら 貫きとおすこと、 これもあなたの生活スタイルです。 僕は、煙草は吸わずお酒はほどほどに。。。 これが最高の生活スタイルかなっ。 煙草プカプカお酒ガブガブはだめだからねっ。
2005年01月10日
新年も5日になった。 今朝は、ちょっと寒かったですねぇ。 なるほど小寒なんですかぁーwww 寒の入りといって本格的な冬の到来なんだ。 二十四節気の一番はじめなんですね。 今日から仕事はじめの人も多いんでしょうね。 頑張ろうと決意に燃えて自然と手にも力が 入っているかも知れません。 今年の夢と目標に向かってのスタート!! 前進あるのみですねっ。 文楽は11日が仕事はじめでもう少し 仕事を忘れて寝正月を楽しめるんです。 ハイッ!!☆ー☆ うれしゅうございます・・ (*^^)v ☆☆ー 男 の 手 ー☆☆ 手を見ればその人の人生がわかるんだそうです。 手を見ればその人の仕事がわかるんだそうです。 女性の手より男性の手の方がわかりやすいそうです。 それは激しい仕事をしているか 優しい仕事をしているか” この二つの点で女性より男性の方が わかりやすいのだという。 きれいな手ときたない手という見方でも 男性の手の方がわかりやすいかも知れないね。 デスクワークの男性であるかどうか。 汗水をたらして働いている男性なのか。 汗水をたらさないで働いている男性なのか。 手を見ればその仕事が大体わかるようです。 もって生まれた親の遺伝というのも 確かにあるんですが、職業的な生きざま みたいなものが手にでるんでしょうねぇ。 いずれにしてもきれいな手でありたいもんです。 男には男のきれいな手というのがありますから。 きたない手でいる人はそれだけ美に 対しての関心度がうすいのでしょう。 手にも教養があらわれる” そういうことなんですねっ。 男としてふさわしいきれいな 手をもちたいなぁ~ 世の男性諸君!!(大きくいっちゃいます) 今年こそ自分の手をしっかり 磨いてきれいにして下さい!! 女性に嫌われることのないようにしないとね!!^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 手 男にも女にも二つの手がある。 この両手が幸せになるキーポイントです。 両手をいつもブラブラと手持ちぶたさに していては幸せになれない!! 5本の指が10本の指があなたに幸せを呼ぶ。 そのためには、手ぶらでいては絶対にいけない。 いつも何かをつかみ握りたたき開き打ち はさみ常に動かすことで人生は充実します。 寝るときと休憩のほかは何かをつかみ持て!! 紙切れ1枚・鉛筆1本をつかみ持て!! パソコンも両手を使ってキーボードを打つ。 ピアノを弾くのは10本の指だ!! 一日に何回手指で仕事をしたかによって あなたの人生は確実に変化する。 その変化は幸せへの扉を開く変化だ。 それを知った者が人生の勝利者となれる。 両手を遊ばせてはいけない!! 両手を動かしている限り幸せは近づいてくる。 動かさなければ幸せは遠のいていくのだ。 両手の使い方がうまく力のある人は強い。 両手を使い仕事をすれば人生の道は開ける 両手を遊ばしておくのはもったいない。 さあ今日からあなたは両手を動すのだ。 10本の指をうまく使いこなせ。 それがあなたの幸せにつながる 永遠のパスポートです。
2005年01月05日
輝かしい新しい年の幕があけた☆ 今年も、しっかり仕事をして元気に暮らそう。~♪ 自分の夢や希望の実現に向かって頑張ろう。~♪ 新年は人それぞれ今年1年に思いをはせて、 いろんな計画や決心をするものですね。 新 年 の 手 と 指 人間には手があり指がある。 人間という体は神秘である。 人間は世に生まれる時5本の指をいただく。 両手があるから10本の指をいただく。 新年の自分の手と指をじっくり見つめよう。 詩人石川啄木もじっと手を見た。 去年はこの手で何をつかんだことだろうか。 5本の指は何をつかみ何に触れたことだろう。 両手10本の指で何をしたことだろう。 光輝く新しい年ー☆ この手は何をつかみ何に触れることだろう。 今年はどんなものに触れ何をつかもうか!! 10本の指を1本づつじっくり見つめてみよう。 この手とこの指で何ができるか考えよう。 もし手と指がなかったら何もできなかった。 手と指があったからこそいろんなことができた。 右手と左手に5本づつの指があるのはなぜか。 そのことについてじっくり考えてみよう。 手と指の働きによって生まれてくるものは ひとりひとりそれぞれみんな違うものです。 あなたの10本の指は何を奏でることでしょう。 新年の手と指を大切にしてあすの夢を見よう。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 新 年 の 手 と 指 この体は不思議である。 未曾有の不思議な生命体である。 人はなぜ右手と左手に5本づつの 指をもって生まれてくるのだろう。 人はこの手と指を生かしどれほどの 幸せをつかんできたことだろう。 いやいや手と指も明晰な頭脳があってこそ 思うままに動き触れつかみ握りひっぱり その手と指は機能するのですが。。。 明晰な頭脳と手と指が明日の 幸せをあなたに届けるでしょう。 その手でわが子を抱きしめた。 その手でわが子にミルクをあげた。 その手でわが子を叱った。 その手でわが子をなぐった。 その手でわが子を見とどけた。 その手で料理を作った。 その手で洗濯も掃除も縫い物もした。 その手で重い荷物をかつぎ働いた。 いま自分が生きているのは母親の手と指から 生み出される深い愛情によるものだった。 輝くような新年はスタートした。 今年はこの手と指から何が生まれるだろう。 この手と指から生まれた自分の幸せの一部は 今日まで育ててくれた母にあたえよう。 新年の手と指が親子の絆をつかむ。 母の手をそっと優しく握ってあげよう
2005年01月04日
う れ し 涙 新年も二日となった。 天気もいいから気分も爽快である。 女は涙をためている。 「どうしたんだい!!」 「悲しいことでも。。。」 女はいう。 「 幸せなの。とってもうれしくて。。 」 「 こうして今年もあなたと一緒に暮らせると 思うと、うれしくって涙がでてきたわ!! 」 男はいう 「 うれし涙というやつか!!初泣きなんだなっ 」 「 くやし涙やつらい涙はもうコリゴリだよ!! 」 「 今年は、たくさんの夢を見させてあげるからなっ 」 ううっ。 女はまた泣いた。 新年二日目の初泣きであった。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 魂 の 里 帰 り 誰にも新年は訪れる。 そして、人はみんな故郷を思う。 自分の生まれ育ったところを思う。 美しい山河や町並みを思う。 めぐりめぐる時節を思う。 今ある自分の過去を思う。 父母を思い祖父母を思う。 兄弟姉妹や親族のことを思う。 友達や恋人のことを思う。 男は女を思い、女は男を思う。 誰にも新年は訪れる。 新年に魂は生まれ育った ところへ帰るのです。 わが魂の里帰り。 誰にも新年は訪れる。 男と女の魂の里帰り。 魂は、生まれ育った町や 村や故郷に帰るのです。 新年は魂の里帰りです。 新年の魂は、父と母そして 自分の生地に里帰りします。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 初空や 凡人なれど夢一つ ☆☆ー 今 年 の 暮 ら し ー☆☆ 窓を明けた。 新年の澄んだ初空が広がっている。 寝正月というありふれた時間が過ぎていく。 六甲山は、雪が積もっていることだろう。 今年の暮らしを考えている。 凡人なれど夢ひとつ。 窓を閉めた 新年の澄んだ空気が部屋にあふれている。 寝正月というわがままな時間が過ぎていく。 大阪湾は、夕焼けに染まっているだろう。 今年の暮らしを考えている。 凡人なれど夢ひとつ。 1 ★ いつも部屋をきれいにすること。 2 ★ 洗濯は、こまめにすること。 3 ★ 無駄な買い物はやめること。 4 ★ 靴は、一足はきつぶしてから買うこ ★ 通販には、よい商品がないことに気づくこと。 6 ★ いらん不要な本は、処分すること。 7 ★ 人間として常に反省すること。 夢は夢として、今年の暮らしを考える前に 妹との「★ 七つの約束 ★」を実行する ことが先ですわ。(爆笑) あははははっ またまた今年も凡人の暮らしですか でも私には、ひとつの夢がある 妹さえも知らない大きな夢がある 凡人なれど夢ひとつ
2005年01月02日
絶 壁 赤ん坊だった私は大人になった。 大人になると世の中が見えてきた。 男と女の営みもわかった。 見えてくると絶壁に登りたくなるものだ。 人生という絶壁に私は手をかけた。 しかし絶壁は、私を人生のどん底に たたき落とし苦しみをあたえ続けた。 無策なるがゆえに何もできなかった。 私は勉学に励み教養をつけた。 人生修業に努め経験を積んだ。 そしてまた人生の絶壁を ひとり登りはじめたのだった。 明日を夢見てただひとり 人生の絶壁を仰ぎながら おそるおそる登りはじめた。 しかし登れないのだ。 人生という峻厳なる絶壁に 私の力不足で登れなかったのだ。 私はさらにさらに勉学に努めた。 私は絶壁を登るロープを手にいれた。 ロープをしっかり握りしめ人生の 絶壁にふたたび挑戦したのだった。 しかし絶壁の頂には到達できなかった。 ロープが切れて私は地上に叩きつけられた。 大きな痛手を負って涙にくれる私であった。 私は、どうしたら人生の絶壁に登れるか。 毎日それを考えながら暮らした。 そしてついに人生の絶壁に登る方法を知った。 私は絶壁に登る魔法を手に入れたのだった。 人生の絶壁を立方体としてとらえるのではなく、 平面的にとらえれば頂に到達することがわかった。 私は、絶壁を仰ぎつつ魔法の言葉をとなえた。 人生の絶壁を仰ぎながら無心にとなえた。 そのとき絶壁はゆらぎ傾きはじめた。 だんだんと絶壁は傾きだした。 大音響とともに崩れだしたのだ。 そして絶壁は、完全に崩れた。 ただの平地になったのだった。 私が獲得した魔法は、言葉であった。 古来からある大和言葉であった。 その言葉をとなえると奇跡が起こった。 美しい言葉には、力があった。 人生の絶壁を壊してしまう すごい力があったのだ。 大和言葉を知った私には自信が生まれた。 あれほど登れなかった絶壁は平地として 私の前に横たわっている。 人生という絶壁を私は、登るのではなく 軽々と歩いていけるのだ。 大和言葉知りそれを使うことで道は開けた。 私の前に夢と希望の世界がひろがった。 私は歩く。軽々と歩く。 天を仰ぐような人生の絶壁はもうない。 立方体の絶壁は崩れ平地になった。 そして私の前には新しい道が生まれた。 2005年の輝かしい道ができた。 2004年に別れをつげた。 2005年の新年の道に私は今、 健やかにさわやかに立っている。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 年 越 し 蕎 麦 年越し蕎麦を食べに行った。 本格的な手打ち蕎麦です。 来ているお客さんには、 みんな笑顔の語らいがあった。 新年を迎える希望の声があった。
2004年12月31日
舞 妓 さ ん いよいよ2004年もあと少しでおわりです。 12月の京都は、一段と寒さが厳しくて大変です。 師走の舞妓さんたちも何かとお忙しいことでしょう。 美しい舞妓さんが連れ立って歩いています。 寒々とした京都の街に舞妓さんがいるだけで 人々の心がどれほど華やぐことでしょう。 淋しい時でも舞妓さんに出会うとうれしくなります。 舞妓さんありがとう あなたを見ているだけで心が元気になります。 華やいだ気分になり、とても幸せになってきます。 ありがとう舞妓さん ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ * ご 参 考 * 舞妓さんの花かんざし 12月の花かんざしは、まねきともち花です。 12月のまねきは南座の顔見世のまねき (役者名の看板)のミニチュアで顔見世総見 の折、お気に入りの役者にサインを入れてもらう そうですよ。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 寒 風 の 愛 寒風をついて路上で働く人がいる 夫婦でたこ焼きを売る人がいる 寒風は吹きすさび身は凍える 手は冷たくて震える その手をこすりながら、 たこ焼きを売る 深夜だからお客さんは一人もいない それでも二人は、たこ焼きを売る お客さんが買ってくれるまで 夫婦は寒さに耐えながら働く 愛あればこそ共に働く 寒風をもろともしない 強い夫婦の契りがある 愛あればこそ働く 寒風の夜空に、二つの星が輝く 二つの愛の星がまたたく 愛の契りが冬の夜空で 美しい光を放っている
2004年12月26日
聖 夜 聖夜は静かに家で過す。 どこにも行かず母と過す。 母は聖夜に無知である。 それは無理もない、 古い女だから。 小さいとき母は、サンタさんは 煙突から入ってくるといった。 でも家には煙突などなかった。 靴下を枕元に置いて寝ると朝起きれば サンタさんのプレゼントが届いているよ。 そういいながら靴下にプレゼントを 入れてくれたことは一度もなかった。 今のようなイルミネーションもなかった。 美味しいクリスマスケーキもなかった。 片田舎の故郷の聖夜は、都会にある きらびやかな聖夜ではなかった。 あったのは、家族というぬくもりだけであった。 家族という1本のローソクの灯りだけだった。 私は今、年老いた母とふたりで聖夜を過ごす。 お互いのぬくもりを感じながら。 母は蜜柑を食べ、私は赤ワインを 飲んでいる。 たったふたりで過ごす母と子の聖夜、 深い絆で結ばれたひとつの愛がそこにある。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 聖 夜 雑 感 クリスマスイブー☆ クリスマスー☆ 久しぶりにラジオを聞いた。 「クリスマスイブ、あなたはどこで どんな素敵な夜をすごしますか?」 アナウンサーがリスナーに問いかけている!! 変じゃないのかこの問いかけ? いや和の世界に遊ぶ僕としては少し カリカリ来たフレーズだよこれは。 新潟地震ではまだ避難生活を送っている 人もいるというのに。。。 仮設住宅にやっと入れるようになった ようですが。。。 はぜなイルミネーションの飾りもとりやめて 静かになくなった方々の鎮魂の聖夜にして お祈りのクリスマスにしょうというのに。。。 それがやれ素敵なレストランを予約しました。 やれ豪華なディナーで二人だけのパーティー をやりますだの。。。。 やれスペシャルメニューの食事後は、彼氏と 一緒に素敵な一夜を共にしますだの。。。 イブの夜だって寒風をついて働いている人も いるというのになんて問いかけをするのかねぇ イブの夜も仕事で自宅に帰れない人もいるのに。。。 病気で苦しんだり災害で大変な目にあっている 人だっているのわからんのかいなぁー そんな人は、イブどころやおまへんやろがあ~ あなたはどこで誰と素敵なイブの夜を 過しますか?。。。だって。。。ケッ 素敵な夜というフレーズが 気にいらんのじゃ~ぃ イブの夜の素敵な過し方を詳しく説明しろいぃ!! (かなり素敵なイブの夜にこだわっていますぅ) そんなくだらん問いかけせんといて。。。 もうそんな問いかけは止めにして。。。 いいかげんにしぃ ぴしっ!!ぴしっ!!(ムチでたたいてます) な~んもわかっちゃいないんだから~ほんと。。。 日本のクリスマスって少しおかしい 方向に行っているんじゃないのかい!! まあ1年に一度のお祭りなんだからいいかも なんて思わないでもないんだがね。 理屈っぽい男は嫌われるんだが 言わずにおれないんだよう。。。 適当にクリスマスを楽しめばいいジャーン!! なんて言われそうなんですがねっ。。。 でもねっクリスマスというのは欧米の風俗でしょ。 欧米人は、日本人のクリスマスの過し方。。。 キリスト教の信者でもないのに大騒ぎして。。。 いや一部の日本人ですがね。 クリスマスを過す無節操ぶりに外国人は 驚愕し笑っているかもしれないねっ。 いやクリスマスいいですよ 華やいだ気分になるし、人の優しさや温かさを 感じることができるから。 また、えらそうなことを言ってごめんなっ。 悪く思わないでくださいよ!! いや「聖夜雑感」の日記だからいいよねぇ~ 若者たちは、イブの夜を大切な人と過す夜 なんて考え方をしてるみたいですが 大切な人がいない人はどうなるのぅ? 彼女や彼氏のいない人もいるってえ~こと 忘れているんと違うノン?? ひとりでやけ酒でも飲むんかいなあぁ~ クリスマスイブを一緒に過す女性が いない人はどうしたらいいんじゃぁ イブの夜にデートにお誘いのない男と女は、 寂しいイブになるということわからへんのかあ 彼氏とどこで過すやとか彼女とどこで過すやとか クリスマスイブのラジオはそんな話ばっかりや!! もうウンザリするわ!! もうええーかげんにしてほしいよ!! まあ~変な方向に行っているよ!! 日本のクリスマスは。。。。 和の世界に遊ぶ僕は、やれ誰とどこで 過すなんていうことは一番嫌な質問だよ。 また答える方も答える方だと思うなあ~ それからねっ”25日を過ぎるとクリスマスの 飾りつけをすぐに片付けてしまうでしょ。。。 ほとんどの人は、クリスマスは25日で終わりと 思っているけど違うんです。 25日以降も外国では、クリスマスシーズンが 続くのですからねっ。 これは、海外で暮らした方から聞いた話です。 いつまでと聞かれたら。。。 確か年が開けた1月6日までではなかったかと?? ではこの辺で「聖夜雑感」を終わります。 メリークリスマス
2004年12月24日
舞 妓 さ ん 舞妓さん。 あなたはいま日本で一番きらびやかな存在です。 舞妓さん。 あなたの一挙手一投足が日本の美を奏でるのです。 舞妓さん。 私は、あなたが好きです。 あなたが体現する日本の美が好きです。 舞妓さん。 私は、あなたが好きです。 あなたの心の中にひそむ美の心が好きです。 舞妓さん 京都の師走の街をゆくあなたは とっても美しいです。 その美しさは、世界に誇れるものです。 探していた日本の美そのものです。 舞妓さん あなたの純粋な美に魅かれあなたを愛します。 あなたの洗練された美に魅かれあなた愛します。 天皇とイエスキリスト12月 カレンダーを見ると23日の今日は 天皇誕生日で祝日です。 日本の象徴である天皇陛下71回目の誕生日です。 心から天皇誕生日をお祝いいたします。 そして明日24日はクリスマスイブ。。。 25日は、クリスマスです。 12月のカレンダーに日本の象徴第125代 今上天皇とイエスキリストの生誕が同列にイブを はさんであるというめずらしさ・めぐり合わせに 気づくであろうか。 世は、クリスマス一色であるが。。。。 このことに思いをいたす時私は思う。 いわゆる元号という暦と西暦という暦と・・・ 日本の伝統と西洋の伝統の融和を感じるのです。 あまり元号について、また天皇については 語ろうとしない風潮があるようですが。。 でも元号というのは、和の世界なんです。 12月のカレンダーに天皇とイエスキリスト が並んでいるということを知って個々に何かを 感じてほしいなあ~と思うのです。 簡単なことを言えばつぎのようなことを。。。。 明治元年 ーー 1868年 大正元年 ーー 1912年 昭和元年 ーー 1926年 平成元年 ーー 1989年 平成の時代もいよいよ16年を 過ぎ平成17年も目の前です。 そして2004年も過ぎ 2005年も目の前です。
2004年12月23日
絶 壁 私は今、絶壁を仰いでいる。 人生という絶壁を仰いでいる。 人生には多かれ少なかれ 人それぞれの絶壁がある。 いかにしてよじのぼりいかにして 絶壁を制覇しようとかとみんな いつも考えている。 しかしながら絶壁を仰げば私は赤ん坊になる。 どうしょうもない人生の絶壁に対峙していると 絶望的悲観から私は今、赤ん坊になる。 何も出来ないひとりの赤ん坊になってしまう。 絶壁の前で立ちすくむ赤ん坊になる。 泣きじゃくるだけの小さな赤ん坊になる。 泣きじゃくる私という赤ん坊の 上には青天井の冬の空がある。 青天井を見て笑わない私という 小さな赤ん坊がいる。 ひとりの赤ん坊が今、 人生の絶壁を仰いでいる。
2004年12月22日
断 崖 私は今、断崖にいる。 断崖に立ち冷たい冬の海を見ている。 あかね色の夕日が空一面を染めつつ 海の向こうに沈んでいくところだ。 水平線は大きな円弧を描いて横たわり、 地球は球体であることを知って驚愕する。 私は今、断崖にいる。 断崖に立って海を眺めているとこの海は どこへ繋がっているのだろうかと考える。 アメリカか、カナダか、南米なのか。。。 海の繋がりはそれでいいだろう。 ただ夕日が落ちていくのを見ると夕日は 想像もつかない世界へ繋がっているようだ。 大宇宙というとてつもない別世界へ。。。 断崖に立ち沈みゆく夕日を見る男がひとり。 古来からわれわれの祖先達も連綿として この沈みゆく夕日を見つめてきたことだろう。 夕日でも朝日でもどちらでもよい!! 陽が昇り陽が沈みゆくこれのくりかえしを 見つめてきたことだろう。 もうすぐクリスマスである。 イエスキリストも夕日を見たのだろうか!! 断崖に立って沈みゆく真っ赤な夕日をひとり 眺めたのだろうか。
2004年12月21日
流 れ 星 喫茶店のマスターが言った。 「昨日の夜は流れ星を見たよ」 「Bさんは見なかったか?」 コーヒーを飲んでいる私に聞いた。 流星群のことを言っているのである。 「きれいやったなぁ~♪」 「すぅ~と青い星が流れてなぁ~」 「ゆっくり流れて消えたんだ!!」 「夜の9時半頃、ウオーキングをしていて 運よく空を見上げるとふたご座流星群なんだ。」 「ふわ~としたような弧を描いてなあ~」 「見れてほんと幸運だったよ!!」 「今夜も見れるからBさんも見たらええ」 マスターは笑いながらそう言った。 「星は青い色だったの?」と私は聞いた。 「ああ~青いきれいな星だったよ。」 「ほんと青い青い星だった。」 マスターはそう言ってフウ~ため息をついた。 そして昨日の夜のことを思い出していた。 *マスターの話 スローモーションを見るように ゆっくりと流れた。 手で受け取れるようだった。 青いネオンのような色の星だった。 夜空にスーットと光線を描いて小天体が流れる。 あたかも星座の中の星の一つが、突然、星座 から離れて流れたように見えるので「流れ星」 または「流星」と名づけられたようだ。 流れ星は澄んだ星空では、1時間に 平均10個は見えるといわれる。 流れ星には、毎年同じ時期に、星座の ある一点から群れをなして飛ぶのがある。 これが流星群である。 しし座から飛ぶしし座流星群のうち、 特に1883年と1966年のものは共に 北米で毎時10万個以上も流れたという。 流れ星のうち、大気中で蒸発し切れずに 地上まで落下したのが隕石である。 大部分は岩石でできているが、 鉄やニッケル分が多いのもある。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ち っ ぽ け な 生 物 星空を眺めていると自己のちっぽけさが身にしみる。 地中には地震があり地上には風雪雨や台風がある。 そして天上にはカミナリがあり星空には流れ星がある。 われという存在は地上のちっぽっけな生物である。 生物だから生物として生きるのが妥当である。 凡人は凡人として平凡にこの世に生きる生物 としてこの地上に生まれてきたのである。 地上の星にも天上の星にもなれない ちっぽけな生物として生まれたのである。 凡人は凡人としてちっぽけな生物として 生きて行くのがこの世の定めなのである。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 詩 魂 一 滴 星うまれ星流るるは 詩となりぬ 星眺め星飛びたれば 詩となりぬ 詩魂一滴詩となりて 今うまれては歌になり 星からうまれて本となり 詩集となりて飛翔せし 詩魂一滴詩となりぬ わが魂の詩は読まれ 人の心の詩となりぬ
2004年12月14日
新 生 の 道 君は行く大きな野望と夢を抱き現実の 安楽さを捨ててあえて苦渋の道へと 君の脳裏にうずまく心情いかなるも 君は行く淋しく遠い試練の旅へと 東に行けば君の身たつば われは案ず君の行く手を 時に幾度か君の夢を見て君に手紙を書く 新たなる君への示唆がわが筆をはしらせ 少なからずも愛あるわれの温かき心なるを いかに生きていかに過さん 汗と涙の中のひとときに憩いあるやなしや 安楽の夢の中に遠隔のひとりの 友の顔を君は思い出したまえ かの過せし君の町になんの残像なくもわが部屋の 君の本にぞ夢のような淋しき想い出のあとなり 夜を明かして語りしすべは誰が人にも黙すべし 君の進路にいま光見い出せねどいつか君の命が はじけ飛翔する時をわれは予感するものなり ああ君は何を欲し何をすべきに村を出て 索漠としたビルの喧騒の中で君日々の 労苦に小さくなりて生きることなき こよなくも愛すべき里をはなれ父母のぬくもり の中で育てしかの地を今はじめて優しきわれを 醸成した原点と知れり 君はただ一人小さき部屋で一日の疲労をいやし 胸の痛みをこらえて一服の煙草を吸えり われを想うすべなき日夜の精魂この時にこそ 軽やかなまどろぎとなりて次の日も次の日も また君は一人何に楽しき何に悲しき知らねども 確かに時は流れていくものを されど君生命ぞ世の変容になんら臆することなき 新生の道に向かい一人荒野にたてり 君は行く君は行く新生の道に一人たつ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 満天の 星も鎮魂 ルミナリエ ルミナリエは、阪神淡路大震災の鎮魂と街の復興・再生 を願い、平成7年にはじまった神戸の冬の風物詩です。 そして13日の今夜18時ごろ点灯式が行われた。 22万個の光が神戸の街に輝いた。 今年で10回目のルミナリエ。テーマは「神戸光の都」 26日まで大勢の見物客でにぎあうことでしょう。 私も去年ルミナリエに行ってきました。 日帰りバスツアーで六甲山に行きそのあと コンチェルトという船に乗って早めの夕食を すませルミナリエを見物しました。 ルミナリエも阪神震災忌も俳句の季語になっています。 あの震災から来年1月で早いもので10年になります
2004年12月13日
わ が 弟 石原慎太郎の小説「弟」を読んだ。 そしてテレビの五夜連続ドラマ「弟」もみた。 ドラマは、高視聴率だったようである。 私は、いま弟のことを思い出している。 窓からは、プラタナスの街路樹が見える。 枯れ葉が風に舞い落ち、ゆきかう人も車も 忙しそうな昼さがりの師走風景である。 私と弟の関係は、今とてもいい関係だ。 常に心にかけて弟を思い兄を思うという 交流が続いているからいい関係なのである。 しかし若い一時期に弟といい関係を結ぶことが できずに兄弟関係に悩んだことがある。 きまずい兄弟の関係というのが 私と弟の間にはあったのだ。 兄弟といっても性格も趣味も嗜好も 兄と弟では、ずいぶん違った。 弟は、バスケット・ゴルフ・スキー などをやり、酒も強いし煙草も吸う。 兄は、弟のやれることは何もできない。 酒を少し飲むことだけが弟に対抗できる 唯一の嗜好といってよい。 そして弟の身長は185センチもある。 育った環境や教育などにより同じ血を 分けた兄弟であってもずいぶんと違った。 一言でいえば若さゆえのきまずさであった。 二人とも若かった20代と10代の兄と弟の なんとなくきまずい人間関係だった。 どちらも世間のことがよくわかっていない。 兄と弟という関係をうまくとりもてないで 深い溝を作ってしまう。 心の中で憎みあっているというわけでは ないのになんとなく二人の関係がよくない。 どちらも無口になり会話がなくなってしまう。 お互いに何を話していいのか言葉が見つからない。 そういう兄と弟の関係をいま私は思い出している。 兄と弟ばかりでなくきまずくてうまくいかない 関係というのは姉と妹という関係においても あるんでしょうね。 そしてきまずい関係であっても時という月日の 流れが二人をいい関係へと導いてくれるのも また事実なのである。 しかし血を分けた兄弟関係も十人十色ですね。 きまずい関係ならまだしも犬猿の仲という のもあって、時を経ても修復できない兄弟関係 もあるようですね^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ☆ 弟 は シ テ ィ ー ボ ー イ ☆ 弟よ!! お前はなぜ笑わないのか 俺の弟であるというのに 弟よ!! なんで自ら俺に語りかけないのか。 年齢差なのか。俺が無口であるからか。 ユーモアとペーソスにかける兄のせいなのか。 こんな兄をもつお前は幸せではないだろう。 弟よ。俺はお前にもう以前ほどの期待も 魅力も 男としての力も感じなくなった。 俺とは、タイプ・思考力・環境・交友・趣味が あまりにも違いすぎるのだ。 弟よ。お前は若い19歳のシティボーイだ!! あまりにも若いシティボーイだ。 心の中にしっかりとした男らしい思考力 がありながら、なぜ黙してお前は兄に 語ろうとしないのだ。 よく考えてみようお互いに。。。 きまずい空気がお前と俺の間には漂っている。 それは、金銭であり車であるかも知れない。 そんな関係がきまずくさせているのかも 知れない。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ☆彡 心に残る日本のうた ☆彡 弟 よ 作詞 橋本淳 作曲 川口真 唄ーー内藤やす子 1 ひとり暮らしの アパートで 薄い毛布に くるまつて ふと想い出す 故郷の ひとつちがいの 弟を 暗い 暗い眼をしてすねていた 弟よ 弟よ 悪くなるのは もうやめて あなたを捨てた わけじゃない 2 かれこれ二年ね あの日から 夢がないから 恋をして 今じゃ男の 心さえ 読めるおんなに なりました。 遠く 遠く離れて暮らすほど 弟よ 弟よ ささいなことが 気にかかる あなたを捨てた わけじゃない * 暗い 暗い眼をしてすねていた 弟よ 弟よ 悪くなるのは もうやめて あなたを捨てた わけじゃない^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ☆ 忘 年 会 ☆ 今日12月12日は、勤務先の忘年会であった。 まだ仕事はするのだが早くやろうということで 17名の「テッチリ忘年会」だった。 1500から1800まで3時間の宴会でした。 コース料理を食べ飲み代もいれて17万円 くらいかかったようだが個人負担はゼロです。 けどふぐ鍋の中をつつく時は、みんな早い早い まるでフグ戦争状態であった。 なくなるのが早~~い。 てっさもキモもうまかった。 最後は雑炊にして食べたが私は4杯のおかわり をして腹いっぱいになってしまった。(*^^)v そのあとフグの寿司をみんなもらって帰った。 今年の忘年会は、おいしいてっちり料理で 終わりました。
2004年12月12日
赤 ん 坊 の 笑 い 乳母車に乗せられニッコリと微笑む笑いは、 純白の笑いであり大人のように汚れていない。 汚れていないから清らかな笑いとなる。 無邪気でそこにはなんの打算もない 真っ白い真っ白い笑いなのである。 やわらかいきれいなホッペの こぼれるような乳児の微笑みは 純白の天使の微笑である。 冬のとある陽だまりの。・。・。・ 乳母車の中には、天使のような真っ白い 真っ白い「純白の微笑み」がこぼれていた。 澄んだ瞳の赤ん坊の真っ白い笑いがあった。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 地 主 に な っ た 女 ? 私、「じぬし」になったのよ。。 女は、そういって笑いながら自己紹介した。 えっあなたは、「地主」なんですか!! それはそれは、うらやましいことですねぇ。 それで、あなたは「大地主」なんですかい? 男は、興味ありげに女に聞いた。 ええぇーまああ、大きな「じぬし」になりました。 「じぬし」になって悩むことが多くなったわね!! それはそれは、貧乏人にとっては うらやましいかぎりの悩みですなぁ~ そんな悩みなら出来るものなら喜んで 変わってあげたいくらいだよ 変わってあげてもいいけど 時々痛い目にあうわよ。 時々は、血をみることだってあるわ。。。。 えっ!!なんですってぇー??? 痛い目にあったり血をみたりだって、 まさかやばい「地主」だったり。。う~む? あのう~私は、「痔主」なんですぅ。 ゴホン・ゴホン!! ありゃ~りゃあ~ なんかいなあ~ 地主と痔主の間違いでしたんかいなぁ 字(地・痔)のまちがいでした。 ごめんなさいねっ。うっふん!! 私、痔になっちゃつたの。 地主じゃなくてゴメンネッ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 悩み多き女性たち・・・・3人に1人は痔である。 ★ 女性の3人に1人は痔である ★ ロート製薬(大阪市)は12月2日全国の20代 ~40代の女性約1万人を対象に9月に実施した 「体の悩みアンケート」で34.5%が 「痔を経験したことがあると答えた」と発表した。 対処法としては、「何もしない」(34.5%) が「市販薬を使う」(33,1%)を上回った。 病院に行くは、わずか4.7%であった。 同社広報調査室は、「冬場は、痔になりやすい季節」 病院に行ったり薬を買うのを恥ずかしがらずに、早め の治療を」と呼びかけている。 経験者のうち、「今も痔だ」と答えたのは、20代 が最高で66.%「慢性的に痔になる。」というのも 20代がトップ(23.5%)で若い女性ほど深刻な 実態が浮かびあがった。 ミニスカートなどの着用で下半身を冷やすことも痔に なりやすい生活習慣のひとつだといいます。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ★ 5 杯 の ビ ー ル ★ 大阪の梅田にある居酒屋で男は 先ほどからイライラしていた。 何回言ったらわかってくれるのかなぁ~~ 店は、週末の客で混んでいた。 男は、思い切って店員を呼びつけた。 「いったいオイラがたのんだビールは、 いつ持ってきてくれるんだい!!」 「もう5回も注文してるんだぞ!!」 「早く持ってきてくれないか。。・・」 かしこまりました。お客さん!! ただちに持ってまいります。 店員は、店の奥に向かって叫んだ。 「ビール5杯!!」 「ビール5杯すぐにたのむよー。」^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ★ ホ ー ム レ ス ★ 私は、年老いたひとりのホームレスなんです。 家もないし、お金もないし食べるものもない!! 毎晩家々をめぐり残飯などを頂いているんです。 みんなに助けられて生きているホームレスです。 ホームレスがあわれっぽく主婦に懇願した。 奥様ぁ~4日前から食い物にありついていません!! 何か私にも恵んでくださいませんか。 残飯でもいいんですがねぇー。 本当に残飯でいいの? 前日のものでもいいんですよね。 ああ~そりゃ~もう もちろんお腹に入るものでしたら 前日の食べ残しで結構ですから。。。。 それじゃ~また明日いらして下さいなっ。 それはないよ!!奥様あぁ~~ 前日のでもいいってはっきり言ったじゃないの!!^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ★ 帽 子 ★ ーー夫 この帽子はどうだい。。。 う~むこの帽子をかぶると少しアホにみえるが。。 おまえはどう思うかい!!ーーーーー妻 いいえ。 とってもよく似合ってますよ。あなた。
2004年12月10日
ラ イ オ ン の 顔 動物園に行って来た。 パンダも冬日をあびて、相変わらずの人気者。 でも私が、一番長くみつめた動物はライオンであった。 何に惹かれたたかというとライオンの顔であった。 いやあ~~ライオンはいい顔してるよ。 百獣の王にふさわしい威厳のある顔であった。 堂々として何事も恐れないような立派な風貌だ。 ライオンのオスの顔は、たてがみがあってほんとに よく見たら男のの中の男そんな感じでしたねっ まあ~動物の中の動物だあー!! そんな気がしたなぁ~~ 厳しい近づきがたい凄い面相をしている。 百獣の王の王とは、ライオンの顔のことなんだ。 パンダと比べたらわかるよねぇー。 どちらが凄い顔をしているか。 しかしなあ~ライオンの眼は何か遠くを 見ているようだったなあ~。 アフリカの原野・草原を思ってるような眼で。・。・ 何か人間を恨んでいるような眼であった。 ライオンも日本に来たことを恨んでいる!! 動物園の動物なんてみんなそういうものかも しれないねぇ。。。 せまいオリの中でライオンは右にいったり 左に行ったり。。。 アフリカの広い大草原に帰りたい!! 百獣の王もそう思って嘆いているみたいだったよ。 これから寒い冬がくるしなあ~~ ライオンだって寒がりだよ。 百獣の王だって冬は苦手だよ。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ☆ くもりガラスの向こう側に ☆ もういいよ。 泣くのをやめて笑ってごらん。。。 まあ人生にはいろいろあるよ。 心配するな。くよくよするな。 失敗なんて誰にもあるよ。 仕事には、失敗はつきもの。 たいしたことはない。 いいからもう泣くなよ。 泣いてもどうにもならない。 やってしまったことは、 しかたがないよ。 人間だから失敗もあるさ。 とにかく涙はふけよ。 ほらくもりガラスを 二人でふいてみようか。 ほらくもりガラスふいたら 向こう側に何が見えるかなあ~ 二人の顔は本当にどうしょうも ない顔してるよねぇー。 少し笑ってみようか。 ほら笑ったらいい顔になったよ。 ああ今。 メロディーが流れてる~♪~♪ くも~りガラスを手でふい~て あな~た~明日が見えま~すかぁ~♪~♪ 誰がうたった歌だった? え~と。・。・大川栄策だった? いいメロディーだよねっ。 ああ~そうだね~ぇ。。。。 二人のくもりガラスの向こう側には 明日が見えるかなぁ~~???
2004年12月06日
誘惑の暮れの秋なり鳥のこえ 地上は誘惑にあふれている。 秋も終わりに近づくと街はクリスマスとか 年末大売出しとかでにぎやかになる。 地上は誘惑の市場だ。 人はなんらかの形において何者かに 誘惑されている。 人は誘惑なくては淋しくて生きていられない。 街のネオンや騒騒しさの中に身をおいて 孤独の淋しさを忘れようとするものだ。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 山を見れば紅葉が目に入り、街を歩けば銀杏並木が 人を誘惑して心の中まで赤や黄色に染まるようだ。 人は紅葉という誘惑の中でたたずみ至福を得て悦ぶ。 一葉そして一葉と落葉して風景を変えていく山。 その変容する山の姿を自分の目で確かめるため 人は紅葉見物にでかけるのだ。 美しい紅葉の木々に鳥がきて幸せのさえずりで 人を山に迎え入れ人は紅葉の中に埋もれる。 晩秋は紅葉という誘惑があなたを待っている。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ ☆ 仕 事 ☆ 人生に七つ仕事を変えるのが正しいといった人がいる。 一つの仕事も2年目には大方覚え3年目に手に入れ 4年目にいくらかの創意を入れてその仕事をほんの 少し5年目の爛熟期、6年続いて7年目に飽きがくる。 女の7年目の浮気とほぼ同じである。 そこで7年目のあたりから次のやりたい仕事に 切り替えの準備をし8年目に職を変える。 一つの仕事に生涯をかける人。 仕事を転々と変える人。 仕事もしないで暮らす人。 人は仕事をしにこの世に生まれたのか 圧倒的に仕事をする人が多いこの世の中で この現実の中で人は汗を流し幸せを得るのだ。 冷たい風のなかで働く人がいる。 夜を徹して働く人がいる。 人は仕事の中で人生の 希望と夢をみる。 希望があるから働く。 夢があるから働く。 仕事があるから希望がわく。 仕事があるから夢がわく。
2004年11月29日
暮の秋ブルドーザーの土の音 12月の師走まであと少しである。 秋という季節もいよいよ終わって また新しい季節を迎えるのか。 街はすでになんとなく年の瀬いやいやクリマス の雰囲気がして人は男も女もせわしく行き過ぎる。 秋から冬へ季節は一気に流れていくようだ。 この間まで咲いていた紫苑もホトトギスの花も 枯れまた草も種を残して枯れてしまった。 今日街に出てみると取り壊された建物の跡地に ブルドーザーやクレーン車が入り新しい建築工事 がはじまっていた。 コーンコーンという大きな音がして土の中へ鉄柱 を打ち込んだりブルドーザーが土を掻いている。 「 大きなマンショが建つらしいよ 」近くで見て いた数人の女たちが暗い表情でそうつぶやいた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 頭 出 し 小 説 ☆ 小説の書き出しは作家の命です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を 西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。 双子縞の着物に、小倉の細い角帯、色の褪せた 黒の前掛をしめ、頭から濡れていた。 さぶ(山本周五郎)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 作 品 の あ ら ま し ☆ 江戸下町の経師屋芳古堂に住み込みで働くぐずで お人よしのさぶと男前で器用な栄二。 辛さを噛み締め、心をわかち合って生きる二人の 心温まる友情を描きながら「 人間の真実とは何か 」 を探る。 黒 い 瞳 と 黒 い 髪 欧米人たちは青い瞳があり、 茶色の瞳があり。 赤毛あり茶髪や金髪あり。 これはうれしいことである。 何がうれしいのか。 言語や宗教や民族性の違う各民族の 融合性を考えてしまうからうれしいのだ。 地球家族という未来の姿を考えた時 雑多な民族のDNAがいい形で融合されて 新しい地球家族が生まれていく予感がして 私はうれしくなってしまうのです。 日本民族は単一民族なのか? 黒い瞳と黒い髪。 日本民族としての誇りあれど黒い瞳と 黒い髪は集合体としての美には悲しい しいけれど劣るかも知れない。 真の国際人とは何なのか。 そういう欧米人の色彩美の中でひときわ 光る日本人のもつ黒い瞳と黒い髪。 真の国際人とは、日本人が生まれもつ 黒い瞳や黒い髪の色をもって世界の 人々と語ることではないのだろうか。 美的にも精神性においても今あなたが持っている 黒い瞳と黒い髪は素晴らしい日本人の証である。 黒い瞳と黒い髪はこれからの時代に真の国際人 として活躍する日本人の素晴らしいパーツで あるといえるのではないだろうか。 またわけのわからないことを書いてしまった。 あなたは黒い瞳と黒い髪の日本人が嫌いだと いうかも知れない。 でも生まれてきた赤ん坊は黒い瞳と黒い髪を しているではないか(大部分) あなたはそんな赤ん坊が嫌いなのだろうか。 私は黒い瞳と黒い髪がすきだ
2004年11月27日
南天の道にあふれし赤き実よ 南天の赤い実がいよいよさえて朝日に輝いている。 赤い実があふれ今にもこぼれるような光景である。 そんな光景の前で私はひとり南天を見つめている。 朝日がまぶしくて目が痛く見つめられない。 そんな朝日が南天の実の一点を照らしている。 南天の赤い実が光輝いて今にもこぼれ落ちそうだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 南天は難を転ずる語呂から古来より縁起木として 個人庭園などに多く植えられている樹木である。 6月ごろ白い花をつけ梅雨や夏の日照りを乗り 越えて今やっと鮮やかな真っ赤な実に熟れて輝く。 なぜ赤く色づくのだろう。 それは鳥に食べてもらうために赤くなる。 実が赤くなるのは鳥の目に映りやすくするためだ。 山に行けば南天が自生している。 南天の実を食べた鳥が運んだものだろう。。。 人から聞いた話だが南天を床柱にしている 家もあるらしい。。。 幸福を招く縁起木として500万円もする 南天の木を使っているとか。。。 床柱にするような南天の木はどこにあったのか。 ある人が山の中に自生していた3本の南天の木を 発見しそのうちの1本が床柱になったそうである。 南天のど飴で知られるとおり南天は喘息に効くそうだ。 それも白い南天に。。。白南天に効き目があるという。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 頭出し小説 ☆ 小説の書き出しは作家の命です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 和服の老婆が真っ昼間、繁華街の電柱によじ登って いるのを見たら、たいていの人はびっくりして、 煙草を咥えていた人ならその煙草を、包みを持って いた人ならその包みを、取り落としてしまうに 違いない。 たそがれやくざ(井上やすし)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 作品のあらまし ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 真っ昼間、場末の街の電柱に突然老婆がよじ登った ものだから、人だかりはできるわ、救急車にパトカー まで到着するわの大騒動が起きてしまう。 有線放送の女社長が繰り広げる奇想天外奮戦記。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 頭出し小説 ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ぼくは草の茎を一本折って口にくわえこみ、 そして口腔の中にたちまち拡がる未成熟な 青い汁を感じとめ唾液とともに草の茎を 外に吐きとばした。 灰色のコカコーラ(中上健次)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 作品のあらまし ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「ぼく」はいつも薬をやり、いつもラリって いつも吐き気を感じている十九歳の少年だ。 フーテンというアイデンティティーが確立 されていた稀有な時代の青春像。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 美しい女 ☆ 受身の女はいたいたしい 自由にさっそうと歩いている女の 表情にはいきいきとした美しさがある。 何にもとらわれず心に張りのある女。 人生の楽しみのアンテナを一本でも 多く持っている女は美しい。 情緒と論理性がほどよくバランスの とれている女は美しい 既成の女らしさではなく自分らしさを 大切にしている女は美しい 知性をファッション化しないで自分の 価値観で生きている女は美しい つまりふたつのジリツ(自立・自律) をものにして生きている女は美しい けれどこれ見よがしではなくごく 自然に生きているの女人は清清しい 心の弛緩した女・受身の日々を送って いる女の表情はどこか物欲しげである。
2004年11月26日
秋蝶の行方知らざり陽の光 昨日も今日も秋の蝶を見ない。 太陽が今日という希望の光を とどけてくれる素晴らしい朝。 そして一段と気温があがるころ いつも見かけた秋の蝶はいったい どこにいったんだろう。 いつも輝く光の中で舞っていた あの秋の蝶はどこにもいない。 太陽の光だけが燦燦と輝いている。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 頭 出 し 小 説 ☆ 小説の書き出しは作家の命です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 浦和町は根戸川のもっとも下流にある 漁師町で、貝と海苔と釣場とで知られていた。 町はさして大きくはないが、貝の缶詰め工場と 貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春に かけて無数にできる海苔干し場と、そして 魚釣りに来る客のための釣船屋と、ごったくやと いわれる小料理屋の多いのが、他の町とは 違った性格をみせていた。 青かべ物語( 山本周五郎 )~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 作 品 の あ ら ま し ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 沖の百万坪」の風景が気にいってうらぶれた漁師町 浦粕に住みつき「蒸気河岸の先生」と呼ばれてい「私」。 その眼を通して眺めた、住人たちの生活の 狡猾さ、おかしさ、質朴さ、真面目さを描く小説。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 頭 出 し 小 説 ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 木ノ内冬子が、生理の前後にかすかな異常を 覚えはじめたのは、いまから三ヶ月前の六月の 初めのころだった。 もともと百五十五センチと小柄なうえに、 四十キロそこそこの痩せっぽっちで、 身体にあまり自信はなかったが、 それでもこの数年、病気らしい病気は しなかった。 くれない( 渡辺淳一 )~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 作 品 の あ ら ま し ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 28歳のある日、子宮筋腫の摘出手術を 受けた帽子デザイナーの木ノ内冬子。 それ以降、四年間の愛人関係にある貴志祐一郎に 抱かれても満足することができずに思い悩み、 ついに別れを決意する。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 日 本 男 児 ☆ (bunraku) 日本人の顔は なでこうも醜くなったのか いい男がいない 知的日本男児がいない 日本文化ををこよなく愛す 日本の男がいない 和洋折衷のくらしの中で 男は磨かれ知的日本人は 誕生するのです~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 母 よ ☆ (bunraku) 母よ母よ母よ愛あれど悲し 母の眼差しはまさに仏さまの ような慈愛と美にみちみちている。 その眼光をみるたびに悲しい その慈愛にみちた我に対する 愛が悲しい 愛あれど悲し 母よ 僕いや俺はもろくなった。 枯れた竹筒のように 心のなかは空洞だ 悲しい空洞だ 青々と天にのぼる 若竹のような勢いはもうない それだけが母に対する過ちとなった いろんな人々の中で俺ほど バカでまぬけなヤツはいない それが母への痛みとなっている 俺は悲しい 愛すれど悲しい 母よ母よ母よ愛あれど悲し 愛すれど俺は悲しい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 日本人としての歩き方 ☆ (bunraku) 歩き方は、個人としてよりも、むしろ 国家的見地から大切なことではないかと思う。 旅人が見知らぬ新しい国にいくとき、 眼に映るのはその町を歩く人々の姿である。 旅人は自分の眼に映じたもので新しい国を 視察する。 もしその国の人々がうなだれて、のろのろと 歩いているのならば、その街は生活力に 乏しいと思われるであろうし、せかせかと 下駄の歯を踏みならしているならば その街の住人は気が荒いと思われるだろう。 ゆったりと胸をはって人々が同じ一定の リズムをもって歩いている国は、豊かな 感じがする。 若い人が明るい顔をしてまっすぐに歩いて いる国は、健康と秩序を思わせる。 一国の性格は、その国の首相の演説よりも 街を歩く一青年の姿の方がはるかに、 はっきりと感じられる。 私たちが街を歩くとき決して1人が 歩いているのだと思ってはいけない 私たちは、常にその背後には大きな 日本の姿を背負っているのである。 私たちの責任は重大である。
2004年11月25日
MYHP開設6か月・勤労感謝の日 今日は勤労感謝の日。 今日はMYHP開設6ヶ月 開設185日 サイト名「 文楽2004 」 日記件数:181件 日記記入率97・8% リンクした数32件 リンクされた数18件 サイトの紹介文は 「 文(ふみ)は楽しい凡人文楽夢綴り 」 PCレベルは1のまま。 日記を書いて夜光虫。 この世界に飛び込んで 右も左もわからずに はや6ヶ月になりました。 脱線迷走数知れず 行く先知らずわれ知らず。 何をしにきた何をする。 どこへ行こうとするのかな? 自問自答してみても 何も答えはでてこない 写楽・歌麿泣いている。 舞妓さんも泣いてる。 ある日突然PC故障。 ヘルプさんを呼べばいい。 塞翁が犬さん呼べばいい。 ウイルス発生したならば みんな悲しく全滅だ。 楽天日記は消滅し わがサイトはジ・エンド。 何がおこるかわれ知らず。 これからいつまで綴るのか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 空 気 は 神 の 力 か ☆ もしこの世の中に空気がなかったら もしも大切な空気がなかったら この世の中で一番大切なもの 天空にひろがる大宇宙から 地球をつつみ空も山も海も 万物を目にみえずして覆い そして生成した命の素を 均等に人に分け与える。 そういう空気のすごい力 想像すれば神の力か。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 遠 い ふ る さ と の 風 ☆ 遠いふるさと想いだす 心にありしふるさとの 懐かしきかなわが友よ 川がある空がある 山がある海がある 想い出すよふるさとの 友と遊んだあのころの 幼き日々のあのときの 山川草木 青い空 わがふさとの キャンパスの 春夏秋冬花が咲く 遠いふるさと風吹けば 人は誰でもふりかえる ああふるさとに夢追いて~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 心にのこる日本のうた ☆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 風 作詞・北山修 1 人は誰もただ一人 旅に出て 人は誰もふるさとを 振りかえる ちょっぴりさみしくて 振りかえっても そこにはただ風が 吹いているだけ 人は誰も人生に つまずいて 人は誰も夢破れ 振りかえる 2 プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で プラタナスの散る音に 振りかえる 帰つておいでよと 振りかえつても そこにはただ風が 吹いているだけ 人は誰も恋をした 切なさに 人は誰も耐えきれず 振りかえる 3 何かをもとめて 振りかえつても そこにはただ風が 吹いているだけ 振りかえらずただ一人 一歩ずつ 振りかえらず 泣かないで歩くんだ 何かをもとめて 振りかえつても そこにはただ風が 吹いているだけ 吹いているだけ。。。。。。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 鏡 ☆ 鏡は私の心を映す 春夏秋冬の私の姿 鏡はすべてを知っている 鏡よ鏡 教えておくれ 明日の私はどうなるの 何もいわず鏡は笑っている~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 私 は 生 き て い る ☆ ああ私は生きている 美しい花に囲まれて 蝶は舞うよ鳥は鳴く ああ私は生きている 夢と希望の人生に 明日を夢見て生きている~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ マンホールはおもしろい ☆ 街を歩いていて、気にもかけないものの一つに 何があるか? それはマンホールのふたである。 でもよく見てみるとちゃんと模様がついていて それなりにおしゃれだったりして。。。 また文字も刻まれいておもしろいものです。 最近はマンホールのデザイン化が流行している。 県や市の花模様だったり中には鳥であったり その模様は結構楽しめます。 今度街を歩くときはマンホールを観察して みて下さい。 新しい発見があるかも。・。・。・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 本はアクセサリー ☆ 私は本が好きである。 本を読むかといえばあまり深く読まない。 本屋にはよく立ち寄る。 そしてウロウロと本を見て いいなと思う本は買う。 どんな本を買うかというと小説の書き方 についての関係本を買うことが多い。 本棚には「文章読本」とか「新人賞の獲り方」とか 「直木賞・芥川賞はとれる」とか「文章作法」とか こんな本が並んでいる。 そういう関係の本は何冊あるだろう。 文庫本も含めれば約90冊はあるようだ。 まあこの手の本の収集家といえるかも知れない。 だからこういう文章読本などの本の発刊を 見逃さないように本屋を訪ねるのです。 そして新しい情報も新刊本の コーナーで見定めるのです。 でも本は読まないそして読んでいない!! 読まないから読んでいないのである。 ただ本棚に並べているだけである。 90冊の本のうち読んでいるのは10冊 程度じゃなかろうか。・。・。 なぜ読まないのかときかれたら 読む気がしないし読む時間がない というのが理由である。 本は背表紙で買います。 本は私のアクセサリーです。 読まないから背表紙を眺めて 悦にはいっている。 本は飾っておくだけのアクセサリー となっているのだ。 それを私は本好きですといっているのです。 私は本が好きだが読書家ではない。 あえていうなら愛書家である。 本を収集をするために本を買いアクセサリー として本棚にただ並べている。 それが私の本棚である。
2004年11月23日
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