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今年もクリスマスの日がやってきました。我が家ではシャコバサボテン(クリスマスカクタス)が一斉に華やかな花を咲かせました。いつも思いますが、この時期に、どうしてこのような鮮やかな花が、いっぱい咲くのか不思議でなりません。クジャクサボテンやカランコエなども花のない時は全く地味な存在ですがそれが時期が来ると大輪で強烈な色彩の花や原色の色を塗りたくったような小花を群花させ他の花を圧倒させる個性をもっています。シャコバサボテンは6月の梅雨前に水苔を主体とした床に葉を挿しカランコエもバーキュライトを混ぜた土に茎や葉を挿すといくらでも面白いように増やせ、管理も楽で大好きな植物です。 家の中では玄関番のサクラさんが作ったぬいぐるみのニャン君にリンゴのついたリボンの首飾りがかけられ横にクリスマスに関連した小物が置かれました。 夜帰宅時に途中にある教会の側を通ると植木や教会の玄関にイルミネーションが飾られさらに道路に面した照明付きのショーケース内にキリストの誕生の様子を示した人形が置かれていました。 その他こちらは昨年、町中で見かけたクリスマス飾りを載せてみました。リーマンブラザーズ証券の破綻に端を発した米国の金融不安は過去に例を見ない規模と早さで世界中に広がりました。日本はさらに円高の影響もあり、外貨の稼ぎ頭であった自動車や半導体産業を始めとする生産品を輸出に頼っていた企業はかってない早さの生産調整に追い込まれました。このため、近頃大幅に増えたこうした企業で働く派遣労働者は職を追われ、住んでいる家を出なくてはならない人が増えますます社会不安と経済の萎縮が心配される世の中となりました。一部の自治体に新たな雇用を設けたり、期限付きですが安く住宅の提供を申し出るところが出てきたことは喜ばしいことです。政府はこうした状況下で一時的にせよ給付金を出すのもよいがこれからいつまで続くか分からない不況の時代を考えるとこうした時こそ、今後の超高齢社会や地球温暖化や食料不安対策に取り組む絶好のチャンスと捕らえ、これらに対する積極的な施策を望みます。超高齢社会対策としては介護手当を大幅にアップし介護を魅力的な職場としてこの方面の雇用者を増やし地球温暖化対策としては、さらなる省エネルギーとリサイクルをそして太陽や風やバイオマスといった自然エネルギーの有効活用を促し食料不安対策としては、今後ますます高齢化し減少しつつある農林業や漁業従事者に若者や元気な定年退職者や今回のリストラで職を追われた人が働くための魅力のある職場を提供するための施策を望み、併せて外国に頼り切っていた食料を自給率が向上する施策を望みます。 最近見たテレビで特に印象に残った番組について触れたいと思います。1つは12月22日にNHK総合で放映され、23日にも再放送された「さよなら新宿コマ劇場・涙と笑いの50年」です。新宿コマ劇場は今年いっぱいで幕を下ろしますが、昭和30年前半から今日まで日本の大衆文化を築きあげてきました。この間の長い歴史を振り返りながら劇場で公演された貴重な記録が放映されました。江利チエミ、美空ひばり、春日八郎、村田秀夫、北島三郎、八代亜紀、都はるみ、森進一、石川さゆり、森昌子、山口百恵… そして最近の氷川きよし、松平健 といった過去に座長を勤めた人たちの貴重な映像や秘話が紹介されました。歌手が座長を続けている間は、本人の体調や観客の反応もいろいろいろあったでしょうが紹介された記録を見ると、何よりも自分が主催する公演で舞台で目の前のお客さんと接しながら歌ったものだけにその歌はテレビの歌番組で見たものに比べはるかに気合いが入っていて、感動を覚えるものでした。またナレーターは山根基世さんが担当していました。彼女は私が関西にいた時、夕方のFMラジオ番組を担当していました。初めはよくとちったこともありましたが穏やかな語り口と、声に潤いがあり、気に入っていました。その後美術家を訪ね対談する番組「美の朝」でお顔を拝見、「ラジオ深夜便」でも長い間、聞いていました。久しぶりの登場でこちらも大変懐かしく思いました。もう一つは今年の1月にNHK土曜ドラマとして放映されたテレビ番組の再放送「フルスイング」とそのドキュメントで3日間で6話が12月23日~25日に放映されました。このドラマの主人公のモデルとなった故高畠導宏氏は現在、日・米のプロ野球界で大活躍をしている打者を育てた”伝説の打撃コーチ”と呼ばれる人だそうです。その人が59才で高校教師に転身しました。そしてコーチ時代に培った指導力を発揮し生徒に夢を持つことの大切さをフルスイングで語り続けたものでした。私は映画やテレビの大河ドラマや朝の連続テレビ小説やこのようなドラマは観ることにより、自分にいろんな世界を疑似体験させてくれ、自分をスケールアップしてくれる感じがいたします。ましてやこれを演ずる人はさらに大きな人生体験をしたと思います。朝ドラのヒロインや篤姫役の宮崎あおいもドラマの進行と共に芸の深みが増し、人間が作られていく感じがしました。今回主人公役の高橋克美、吹石一恵、里見浩太朗をはじめとして出演者の演技とドラマの演出は私に大変感動を与えてくれました。高橋にとっては妻役の伊藤蘭は憧れの女性だったそうでその人が自分の妻役になってくれるとは…、正に夢心地…、それがいっそう彼を奮い立たせたのかもしれません。またフルスイングドキュメントを加えたことによりドラマの厚みが増し、テレビドラマ「北の国から」や映画「幸せの黄色いハンカチ」を彷彿させてくれました。 冬の日も夢に向かって我は行く フルスイング夢のボールをかっとばせ政府は最近亡くなった作曲家の遠藤実に国民栄誉賞を検討していると聞きます。確かに彼の作曲した曲は親しみやすく「北国の春」は中国でも盛んに歌われていると聞きます。イチロー選手はかって受賞の打診があった時、辞退したことも聞きます。私は彼に賞を与えるのであれば、作詞家の阿久悠と高畠導宏にも賞授与を検討して欲しいと思います。阿久悠は詞をとおして時代を的確に捉え、いろんな人生模様を伝えてくれました。高畠導宏はプロ野球コーチとして名選手を育て、あるいは教師として夢を持つことと何事にも気力をもってあたることの大切さをあらためて我々に、身をもって示してくれました。フルスイングドラマ概要:http://www.nhk.or.jp/drama/archives/fullswing/html_ful_midokoro.htmlフルスイング感想掲示板:https://cgi2.nhk.or.jp/drama/drames/dodra/180/page_001.html毎日が暗いニュースばかりの中、2つの番組が私に安らぎを与えてくれました。 フルスイングDVD、甲子園への遺言(原作本)あの花のように(主題歌)に関心のある方は上の画像をクリックして下さい。
2008.12.24
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晩秋に入り晴天のある日平塚海岸に出てみました。(livedoor 地図情報)西方には半分程冠雪した富士山が青空に映えていました。海岸には釣り人が2人、のんびりとキスの投げ釣りをしていました。海上には大島の島影を見ることができました。22年前、三宅島→大島→伊東沖と火山噴火が北上し大島では1ヶ月にわたり全島民が避難したことがあり冬の夜空にここからも大島の赤い溶岩流がはっきり見えたことが思い出されました。ビーチパークには長いウッドデッキがあり波打ち際を裸足で歩いた後、そのままここまで来て砂を落として裸足でこの上をウォーキングしました。足裏には心地よい木のぬくもりが感じられました。 以前、ぶらり旅でとりあげた「駿河健康ランド」は設備の良さにすっかり気に入り、皆で再度行こうということになりました。息子の運転する車でサクラさん、息子、下の娘夫婦と孫で出かけました。途中沼津の魚市場に寄り、昼食をとりました。(livedoor 地図情報)市場内にはいろんな魚のパネルが並べれれているところがありました。昼食は市場近くの食堂でちらし寿司と駿河湾名物の桜エビのかき揚げ金目鯛の煮付けを美味しくいただきました。「駿河健康ランド」には上の娘も電車で駆けつけ3室に分かれて宿泊しました。孫はプール温泉でお父さんの背中に乗り移動するのが大層気に入っていました。 翌日は朝食後も入浴し、11時にチェックアウトしました。興津には西園寺公望の別荘「座漁荘」があります。(livedoor 地図情報)以前松本清張の「草の径」で「座漁荘」のことを読んだことがあり、立ち寄ってみました。ここにあった別荘は犬山市明治村に移築されましたがその後こちらにもできる限り忠実に復元したものだそうです。そして清水の魚市場内の海鮮料理屋さんで食事をし東名高速自動車道を使い帰路につきました。 12月に入り以前の職場のOBが湯河原のホテルに集まる会があり私は友人と宿泊する前にウォーキングするつもりで湯河原にJRで向かいました。この日は天気もよく、10時にJR湯河原駅に着いた時にはリュックを背負った年配の人々でいっぱいでした。駅の観光案内パンフレットを見て秋の紅葉を楽しむべく奥湯河原までバスで行き、そこからゆっくり景色を見ながら宿泊ホテルまでウォーキングすることにしました。バスもかなり混むのではと思いましたが乗ってみると私達以外は4・5人で空いており拍子抜けしました。ところがバスが走り出し沿道を見るとおびただしい人々がリュックを背負って途中の万葉公園を目指して歩いていました。終点奥湯河原のバス停からパンフレットにある池峯「もみじの郷とお茶室」を目指しさらに北上しました。(livedoor 地図情報)すると途中に「重光葵(まもる)記念館」があり、立ち寄りました。重光葵は上海事件で片脚を失いつつも昭和の激動期に外交官・政治家として活躍し、困難を乗り越え軍部を押さえポツタム宣言受諾に尽力し、ミズーリ号上で日本の降伏文書に調印した人物で私にとっては石橋湛山とともに、この時代に活躍した人で尊敬する人物でした。目指したお茶室はそこからさらに上がったところにありここに来ると人が集まり、お茶席でもみじを愛でることができました。そして途中もみじの郷までは一部上り坂がありましたが後は下り坂、万葉公園まで来ると、伊藤屋旅館元別館の「光風荘」を改修した「2・26事件記念館」が目にとまり、こちらに立ち寄りました。襲撃目標とされた牧野伸顕とたまたま居合わせた牧野伯爵の孫であり吉田茂の娘で麻生首相の母の麻生和子は危うく難を逃れ無事救出されました。麻生和子が殉死した警視の遺族に宛てた手紙も保存されていました。また記念館の題字は麻生太郎が書いたものを石に刻んでありました。万葉公園は何度も見ていましたので、こちらはパスしてさらに下り千歳川沿いに歩いて16時頃宿泊ホテルに到着、温泉に浸かりました。この会は毎年この時期に実施されましたが、私は父母の介護があり3年ぶりに皆さんに再会、懐かしい昔のことや近況を話し合いました。湯河原から帰ると叔父の逝去の知らせを受けました。故人の妻が私の母の妹で私が高校の時、父が札幌に転勤になりしばらく下宿させていただいたことがありました。テニスを愛し、オシャレで快活な話しぶりは私にとっては加山雄三や石原裕次郎を彷彿させる、カッコよい憧れの人でした。葬儀会場は都内の紅葉降りしきるお寺の集会所で行われました。お寺の境内には可愛らしいお地蔵様が立ち並んでいました。凩(こがらし)や笑顔素敵な叔父逝かんお通夜では故人が愛した唱歌が流れる中で焼香が行われ息子さんから最近の故人の生活ぶりが紹介されました。叔父さんはいつも時間をかけ念入りに歯を磨かれ92才で亡くなるまで1本の虫歯もないことを自慢され最近まで合唱団にも入って皆さんと歌っていたそうです。翌日の告別式でも唱歌が流される中で焼香がおこなわれ女性のお孫さんでピアニストの方が弔辞を読まれました。また彼女が弾いたドビッシーの曲を録音したものが流されました。その後で今度は男のお孫さんがギターを弾きながら「見上げてごらん夜の星を」歌われました。そして出席した皆さんで飾られたお花を納棺しお見送りをしました。大変心温まる家族葬でした。
2008.12.14
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