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私の友人K氏は小田原風鈴の音色と蟹や昆虫の精密鋳造品に魅せられ彼が小田原の工業高校に転勤になったのを機に小田原鋳物の研究を始め(http://www.scn-net.ne.jp/~kami27/rekisi.html)小田原の鋳物師や日本各地の鋳物師を訪ね教えを請いその成果を「炎の匠・小田原鋳物」(夢工房)に纏め出版しました。一方同僚のY先生と夏休みには勤務校で一般の人を対象とした伝統的な小田原風鈴を作るコミュニティスクールを実施しました。こちらには小田原鋳物を愛好する熱心な受講者が集まりました。講習終了後も同好会を作り鋳物製作を継続したいという要望がでました。2004年にはY先生が借りていた南足柄市の田んぼの中の空き家を改装しK先生の私費で購入した鋳造設備を設置し、鋳物製作を開始しました。私も何度か応援に出かけ、部屋の改装や、鋳型作りを手伝い昼食は女性会員が作った味噌汁をいただき、コンビニ弁当を食べました。すぐ近くを小川が流れ、芹やコゴミを摘んで帰ったこともありました。2006年にはボランティアでこちらの鋳造設備や材料を車で運び平塚市内の小学校で実習を伴う出前授業をしたことがあります。(http://blog.livedoor.jp/toragorou88/archives/50253588.html)この時記録係として私も参加しましたが、OHPを使った説明に続き屋内での鋳型製作と屋外で実際に行われた鋳造作業を真剣に見入る子供達の姿がとても印象的でした。その後両先生は定年退職されましたが、この活動を発展させるため現在活動している地に工房の建設を開始し鋳造設備を移転2007 特定非営利活動法人小田原鋳物研究所を認証・設立登記しました。場所はJR国府津駅から北に5kmの曽我梅林の一画で(http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/__filemst__/7935/kozusato09.pdf)工房内にも立派な梅が植えられていて毎年梅祭りが実施されます。(http://www.geocities.jp/huurin_ume/syasin/home.html)大学と提携し人の心に心地よさを与える“癒し音”の研究がされ(http://www.scn-net.ne.jp/~kami27/ot1.html)工房で製作した精密鋳物やロストワックスの作品を紹介し(http://www.scn-net.ne.jp/~kami27/saku.html)風鈴の設計制作と特注品の製作も請け負っています。(http://www.scn-net.ne.jp/~kami27/sekkei.html)学校への出前授業継続と工房内での公開講座も開設しています。(http://www.scn-net.ne.jp/~kami27/gakou.html)平塚市異業種研究会と提携し七夕風鈴を製作販売したこともありました。6月下旬、私は会員として総会の案内をいただき、でかけました。JR国府津から御殿場線に乗り換え下曽我が最寄り駅ですが国府津での乗り換え時間があったため、歩くことにしました。国府津駅から菅原神社横を北上、新幹線と小田原厚木道路をくぐりやがて別所梅林が現れ、蛍の里入口、東光院横の工房に到着しました。総会では事業報告、会計報告、事業計画が承認されました。私は父・母の介護で足が遠のき、こちらに来たのは久しぶり工房内の設備や作品を写真に撮らせていただきました。そして出前でとった昼食を食べながら歓談後戸締まりをし、K氏にJR二宮駅まで送っていただきました。NHKの連続テレビドラマ「ゲゲゲの女房」を見ています。水木氏の漫画にかける一心不乱の仕事ぶりと水木夫妻の貧乏を乗り越えていく逞しさに心打たれます。漸く漫画が認められ、テレビにも登場、… ここまで長かったです。昔は貧しい人が沢山いて、それを乗り越え生活していました。物資が溢れ世の中が便利になる中で昔と異なる不満が広がっています。政府が福祉を手厚くし、生活弱者に手をさしのべることは必要だがその前に一人一人が自分の健康維持に十分気を配り、しっかりした生活を送ることに努めて欲しいと思います。夏はすぐクーラーにあたることを控え、しっかり汗をかきビールや炭酸水を沢山飲む事を控え、麦茶やお水を飲みましょう。異常気象や地震や景気の低迷や… これから予想される困難にも逞しく耐える体力と気力を養いたい… と思うこの頃です。
2010.07.28
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下北半島の旅3日目は斗南温泉のホテルを8:00出発しました。バスの席は前に移動、ガイドさんの話をよく聞くことができました。天候は曇天でいつ降ってもおかしくない状態でした。しばらく走ると津軽海峡の海岸沿いの道に出ました。東北出身の人として石川啄木の話もガイドさんが話されてましたがインターネットで調べてみると昨日行った大間崎沖の弁天島のことを「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」と詠んだものと考えられているそうです。9:08 下北半島の北東端をなす岬にある尻屋崎灯台に到着しました。岬の北側は津軽海峡、東側は太平洋。潮の変わり目で霧がよく発生する場所、この灯台の明るさは日本最大級といわれ、光度200万カンデラでレンズの大きさは大人の身長を超すそうです。灯台から少し戻った所に馬の親子がいたのでバスは停車、足が短くずんぐりした感じの寒立馬がゆっくり草を食んでいました。10:42 カルデラ湖である宇曽利山湖近くの恐山奥の院に到着しました。日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)の一つで、862年に天台宗を開いた最澄の弟子の慈覚大師 が開山したと言われています。火山岩に覆われ立ちこめる硫黄臭の荒涼とした「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖「極楽浜」との対比はまさに異空間、地獄と極楽を垣間見れます。寺名は恐山菩提寺、本尊は延命地蔵菩薩、境内には薬湯に入る設備もありました。イタコは厳しい修業を積み、死者の霊を呼び出すことができるとされる女性で7月下旬にはに全国のイタコが集まる「大祭典」があるそうです。12:21 宇曽利湖の外輪山の一つ釜臥山(879m)展望台に到着しました。近くには覆いをつけ建設中の巨大な自衛隊のレーダーが見えましたがあいにく眼下に見えるはずの陸奥湾は雲に覆われていました。釜臥山下山後陸奥市内ドライブインで昼食、一路来た道を南下16:59八戸市内の八食センターに立ち寄り買い物をしました。海産物のお店が並び、ねぶたや手工芸品も展示されていました。18:57 八戸駅発「はやて30号」に乗り込み22:08 東京駅に到着しました。3日目夕方まで見学してもその日のうちに自宅に帰れるようになり今回の旅行は本州は入梅宣言された後で雨も覚悟していた中バスで移動中は降ることもありましたが見学中は降られず幸いでした。
2010.07.21
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(画像は残念ながら削除しました)7月11日参議院選挙が実施され、その日の夜から開票が始まり翌日の0時半頃には大勢が判明いたしました。結果は自民党とみんなの党が躍進し、民主党が大幅に後退、菅総理は記者会見を開き、選挙活動中に十分な説明のないまま消費税についてふれたこともマイナスに作用したとしていました。最終結果は翌日のテレビ放送画面をハンデカムで撮ったものです。参議院で与党は半数割れとなり、今後の国会運営は多難が予想され菅内閣も短命に終わるのではないかと懸念されます。そして第19回サッカーFIFAワールドカップは7月10日(土) 3位決定戦 ウルグアイ2 - 3ドイツ7月11日(日) 決勝 オランダ0 - 1スペインという結果となり、世界中を熱狂させた大会も終了しました。決勝戦は日本時間で12日の3:30からテレビ中継があり息詰まる試合は延長の後半にスペインがゴールを決めました。こちらの写真もテレビの中継画面を写真に撮り、編集しました。下北の旅2日目は8:00宿泊ホテルを出発、一路北に向かいました。この日ガイドさんは東北出身の下記の人の話をしました。宮沢 賢治(1896- 1933)、現・花巻市出身、詩人、童話作家。新渡戸 稲造(1862- 1933)、盛岡市出身、農学者、教育者。太宰 治(1909-1948)、現・五所川原市出身、小説家。宮沢賢治については子供の頃から鉱物に興味を持ち晩年は石灰肥料普及などで農業改善にも貢献したこと、五千円券の肖像に使われている新渡戸稲造については国際連盟事務次長になったこともある… 等参考になりました。下北半島は斧の様な形をしていますが八戸は柄のさらに先の部分そして柄の中央の握り部分に横浜町があります。レストハウス前にホタテ観音があり、陸奥湾が眺められました。近くに日本一の菜の花畑(東京ドームの約160倍)があり「菜の花フェスティバル」には大勢の観光客が訪れるそうです。11:47、斧の刃の先端部で本州の最北端の大間崎に到着、こちらは北緯41度32分、東経140度55分、NHK連続テレビ小説の『私の青空』でも紹介されました。明るく逞しく生きるヒロインの北山 なずなを 田畑智子が、大間一のマグロ漁師で彼女の父親を伊東四朗が、そして母親を加賀まりこが演じていたことが思い出されました。重さ400kgのマグロの実物大と言うマグロのモニュメントや大物を釣った漁師の家を元気のいいかっちゃんが案内しました。採りたてのウニを買い求め、その場で割ってスプーンですくい、生干しのタコ足もビールを飲みながら美味しくいただきました。昼食後佐井港に移動、こちらから観光船に40分乗りました。14:22、斧の刃の中央部に位置する仏ヶ浦に到着、白っぽい巨大な奇岩群を案内人の説明を聞きながら眺めました。帰りの船で後方の甲板で写真を撮っていると同じツアーの人から水上勉原作の推理小説『飢餓海峡』の映画の話を聞きました。サクラさんも今回の旅行にあわせ丁度本を読んでいたこともあり旅行から帰った後レンタルのDVDを借り一緒に鑑賞しました。小説は現実に起きた洞爺丸事故や、北海道の岩内町大火を題材にして執筆されていましたが、時代設定は実際より7年遡って昭和22年とし、物語をより劇的なものにしていました。白黒映画で三国連太郎、左幸子、伴淳三郎、藤田進、高倉健…が登場遭難と救助現場や恐山信仰と垣間見るイタコの口寄せシーンや三国が演じる善良に生きようとしながら人を殺ってしまった犯人役、左が演ずる律儀で純な気持ちを持ち続ける娼婦役は見応えがありました。16:58、陸奥市郊外の丘の上、斗南温泉の宿泊ホテルに到着、ホテルロビーには小形のねぶたが飾られていました。肌がつるつるになる風呂に入り海鮮料理の夕食をいただきました。
2010.07.14
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(画像は残念ながら削除しました)第19回サッカーFIFAワールドカップは6/11-7/11、一ヶ月にわたってグループリーグ48試合、決勝トーナメント16試合、計64試合の激闘が繰り広げられており残すは決勝戦と第3位決定戦を残すのみとなりました。日本が対戦した試合結果は以下の通りでした。6/14 (月) 日本1 - 0カメルーン 本田圭佑(39')6/19 (土) オランダ1 - 0日本 Wesley SNEIJDER (53')6/24 (木) デンマーク1 - 3日本 本田圭佑(17') 遠藤保仁(30') Jon Dahl TOMASSON (81') 岡崎慎司(87')6/29 (火) パラグアイ0 - 0 (5 PK 3)日本ブルーのサムライジャパンは予選のデンマーク戦では前半本田と遠藤のフリーキックが鮮やかに決まり、後半終了間際に1ゴール決められた後もすぐに本田のパスを岡崎が決め圧勝しました。決勝トーナメントでは惜しくもPK戦でパラグアイに敗れましたが日本チームの結束力は素晴らしく大変見応えがありました。6月のぶらり旅はクラブツーリズムの下北半島の旅に行ってきました。東北新幹線とバスを組み合わせた2泊3日のツアー旅行でした。3回に分け、実際に見聞したものにガイドさんから聞いた話をインターネットで確認しながら投稿したいと思います。東京駅日本橋口に9:30集合、9:56発の「はやて13号」に乗り込みました。12;22盛岡着、バスに乗り込み二戸市にある天台寺に向かいました。ガイドさんの説明により、この地方には四戸を除き一戸から八戸までの地名があることを知りました。天台寺は奈良時代の神亀5年(728年)、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が開山したと伝えられています。(http://www.city.ninohe.iwate.jp/kanko/joboji/tendaiji.html)しかし何ゆえにこの僻北の地にかくも大きな寺が造られ、永年に渡って信仰心に支えられてきたのか、深い謎と神秘に包まれています。また明治維新政府による廃仏毀釈や昭和28~31年にあった霊木伐採事件を檀家の努力により乗り越え、昭和51年(1976年)には今東光が住職に就任、今は翌年に急逝するものの、その遺志は今の弟子瀬戸内寂聴に受け継がれ瀬戸内は寺の復興に注力し、天台寺を岩手有数の観光寺院に押し上げました。(瀬戸内寂聴は1987~2005年住職をされ、現在の住職は菅野澄順)参道入口付近に桂清水があり「みろくの森」の中の石段を登りましたが道沿いや境内のあちこちに配置された多数の豆地蔵が出迎えてくれ、本堂には菩薩形座像が安置され、奉納額や大絵馬が掲げられていました。今年も5月の春の例大祭時に名誉住職の瀬戸内寂聴さん(87)が青空法話を行い5000人の聴衆が命の大切さなどの話を聞き、胸に刻んだそうです。再びバスに乗り込み八戸市鮫町の漁港近くにあるウミネコ繁殖地として国の天然記念物に指定されている蕪島に移動しました。面積約1.8ha、高さ約17mの小島は砂州で陸続きになっています。ウミネコ(カモメ科)は雌雄同型、頭頚部が白色、胴部は淡黒色の優美な色彩で生存年数(寿命)は20年余、2~8月にかけて蕪島で生活し、冬季は四国や九州あるいは中国大陸南岸に移って過ごすといわれています。到着すると繁殖期は4万羽といわれるウミネコに取り囲まれました。鳥居をくぐり石段を登ると頂上には蕪嶋神社があります。参拝者は糞の飛来を避けるため傘をさしていました。島の片側は断崖と白い砂浜があり、まさにウミネコの別天地でした。そして八戸市の繁華街にある宿泊ホテルに到着、青森県名産の倉石牛と地場産ウニなどの山海膳をいただきました。
2010.07.09
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