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ああ、とうとう8月もおしまいの日になってしまいましたわねえ。今年の8月はさんざんでございました。お天気は悪いしねえ。その他、いろいろ・・・(意味深)ところで楽天リンクスというものが「友人だけに日記を公開する」制度を検討しているそうではありませんか!だったら、私も以前の日記を復活させられるかもしれませんわ~!つか、しますわよ、そうなったら!先日、ケータイからリンク先が全部わかってしまうのがヤバイかも、と思い、失礼ながらKさん以外の方のリンクをはずさせていただきました。復活したらまたよろしくですわよ~!この日記もいまや私の一部なので、大事にしたいですが、あっちもまた2年半の歳月がそのままに生きておりますのでね。それにあれだけばしばし書いていたものを、どうして放置できるでしょうか。私、実はミクシィというのもやっております。当初は愚痴を書いて、そのうちヴァイオリン日記になり、ふたたび仕事の愚痴になりというふうに、コロコロと内容が変化しております。でもやっぱ、ミクシィはヴァイオリン日記にしちゃおうかな。きたうさぎさん、ミクシィやりません? ヴァイオリン仲間がわんさかいて楽しいよ~!もし参加したい方がいらっしゃいましたら、お声をかけてくださいね。ご招待いたしますのでね。しかし、日記というのはハマるものですわね。正直なところ、2年半前、始めたときはここまでハマるとは思いもしませんでしたわよ。でも下地はありましたね。中学生のころからまめに日記書くオンナでしたから<私。恥ずかしいので結婚前に全部捨てましたが、妊娠判明したときから、また書き始めましたのですよ。妊娠ダイアリー・爆!出産後は出産&育児ダイアリー・爆!子どもへの愛が炸裂しておりまして、われながら感心しますわ。それでもやっぱり「私」だなあと思うのが、子ども2歳時の愛らしさ、いかに自分が幸せな母親であるか延々記述したあとで、必ず最後に出てくる言葉が「でも私は、自分のこともしてみたい」とか「自分らしく生きたい」とか、そんなやつなのですわ。三つ子の魂百まで、と申しますが、本当ですわね。あ、私、子どものころ、そう、4歳くらいのときから「字を書くこと」に非常に執着しておりました。小学校に上がってからは、クラス全員の名前、出席番号順に書いたりしてましたわ。なので、普通「目立つ人」と「目立たない人」という、人に対して自分なりの「区分」を持つようですが、私、そういうのを持ったことがありません。だって、何せ、年がら年中、クラス全員の名前を出席番号順に「えこひいきなく」書いてるわけですから、誰が目立って誰が目立たないかなんて、わからなくなるわけですわよ。いささか変わった子どもでございました。だれもほめてくれませんでしたけれどもね・爆!
2006.08.31
昔から飽きっぽくて、ものごとが長続きしないタイプでした。今でももったいなかったと思うのが、高校のときに入っていた合唱団を4ヶ月かそこらでやめてしまったことでございます。話し声は低い私ですが、歌声は非常に高く、新入生の中でただひとり上のソの音を出すことができ、先輩にほめられました。ヴァイオリンもそうですが、歌もまた、私には合っていたと思います。合唱団をやめた理由は「ダルかったから」夏合宿には行ったのですけれどもね。非常に厳しい合宿で、2年生の先輩が「指導不足!」ってことで3年生に叱られて、夜、布団の中で泣いたりしてました。合唱団としてのレベルは高く、私が入学する何年か前には都の大会(私は都立高校出身です)で優勝したりしていたのではなかったかしら。若いときにものごとに熱中するというのは、非常に貴重な経験でございますからねえ。私はそれを自分でつぶしたのですわ<このバカが!高校3年になるときに、ふと「このままではいけない」と思いました。部活もハンパ、恋愛もハンパ(爆!)、勉強もハンパな自分に嫌気がさしたのですわね。手っ取り早かったのが、勉強することでございました。部活は今更・・・ですし、恋愛は相手がいりますしね。勉強は自分の意志ひとつで始められますから。それまでまともな勉強ってしたことがなかったのですが、やってみたら思いのほか面白く感じました。私の脳は乾いたスポンジ状態でしたから、吸収力がよかったのですわね。そのうち成績が上がってきたので「こりゃ、いけるかもしれんわ!」と思い、ますますのめりこみました。そのうち受験の時期がやってきて、うまく大学に滑り込めたのでございます。あれは「やってよかった経験」だとつくづく思います。おそらく私の「チャレンジ精神」の基礎を形作るきっかけだったと思うのですわ。のちに25歳でヴァイオリンを始めたのも、35歳でライターになろうと思ったのも、38歳で国家試験受験を志したのも、あの18歳の日の「チャレンジ経験」があったからだと思いますわね、自分では。ただ、最初のチャレンジが「受験」という孤独な闘いだったためか、その後も結局私のしてきたチャレンジは全部、孤独なものだという点が残念です。高校野球などを見ていますと、自分との闘いと、チームワークによる連帯感の両方を経験できて、すばらしいなと思いますね。合唱を続けていたら、それを体験できたのかもしれません。惜しいことをしましたわ。子どもにはやはり「燃焼し尽くす」体験をしてほしいです。今、浪人生ですので、まずは勉強に燃えてほしいってのがありますけど、大学に入ってからもね。昨日、あれだけ親の口出しを批判したにもかかわらず、実は自分もやっております。「大学入ったら、音楽系のサークルに入りなよ」なんのことはない、ヴァイオリンとかヴィオラとかチェロとか、弦楽器をやってほしいのですわ。子どもは「不器用だから無理」と言いますが。歌のうまい子なので「じゃあ、合唱にしなよ」と言いましたら「それなら考えてもいいかな」と申します。中学生のとき、テノールからバスまで出すことができ、声域の広さで重宝がられていた子なのですわよ。ええ、中学が合唱が盛んで、クラス対抗音楽コンクールなんぞというのを、校内でやっていたのです。冒頭で述べたような、私の合唱団中途ハンパ体験と、それに対する後悔、の話をしてやりましたら、興味深そうに聞いておりましたわ。子どもが立つステージを見に行きたいものでございますねえ。楽しみです。
2006.08.30
自分にも強固に存在するくせに、人様の話を聞くと「なんじゃ、そりゃ?」と思うことがあるものでございますねえ。何がって「思い込み」のことですわよ。抽象的な話をしてもわけがわからないでしょうから、具体的に申し述べましょう。ざっくり言って「学歴とステイタスは高いほうが幸せだ」という思い込みでございますわ。私も受験生の母でありますゆえ、率直に申しまして、子どもがいわゆる「いい大学」に入ってくれたらうれしいだろうなあ、と思います。ひとつにはどうせお金出すなら、優良株に投資したいという気持ちね・笑!残るひとつは、ずばり言って「見栄はりたいから」でございましょうね。子どもの手柄は私の手柄・・・母子同一視がそう思わせるのでございますね。これは非常に間違ったことです。子どもと自分は別物ですから、子どもを使って見栄を張ろうというのは間違いでしょう。つか、見栄張りたいなら自分ががんばればよろしい。ところが日ごろは自分のおかしさというものには気がつきません。人の話として聞いたときに、初めてその「奇妙さ」に気がつくのでございますねえ。先日、友人から聞いたのですが、Aくん18歳は、この春、C大学法学部に進学したのだそうでございます。司法試験合格率が高いので有名な大学です。そりゃうらやましいこと、と私は思いました。が、Aくんの母上は悲嘆に暮れていたそうです。なぜならば、Aくんの父上は非常に社会的ステイタスの高い専門職に就いており、ひとり息子であるAくんにも同じ職業に就いてほしいと思っていたらしく。で、今年は仮面浪人して来年、当該職業に就くための唯一の道である学部を受けなおすのではないか、というのですが・・・・・・私、全然意味がわかんなかったです・・・。なんで親がそこまでしゃしゃり出なきゃならないのでございましょ?Aくんが納得して選んだ道なら、たとえ親だって口出しする権利なんかひとつもありゃしないじゃないですか。つか、逆に自分で決めて入った大学中退して、親の言いなりになるようじゃ、そっちのほうが見込みないですわよ。というのは、人様のことだから言えることなのですわねえ。私もわけわかんないこと、たくさん口走ってきたと思いますわ。ママが行った大学行きなさい、とかね。ただ単に自分の後輩になってほしかっただけですが。それにしたって余計なお世話でございました。私は今になって問い直してしまいますですよ。なぜ私は子どもに「それなりの大学」を望んだのか。明らかに、それなりの大学に行けばいいことが待っている、と思っているからですわね。が、現実はどうでしょう?私には中卒から東大卒まで、実にバリエーションに富んだ友達がいます。でもみんなそれなりに、自分の置かれている状況の中で、満足を見出して生きてますわ。東大出の子なんか、逆に「なんで頭いいのに、あんな普通の仕事してんのかしら?」とか言われて、逆差別ってこともあるものだと思ったりしましたわよ。中卒の子は中卒の子なりに「私、学校出てないからあ~!」なんてケロリとしたもので、コンプレックスなんかもってませんでしたわ。よく親は「それなりの大学出れば、将来の選択肢が広がる。それに無名大学出てコンプレックスもつようになったらつまらないし」と言います。選択肢については否定はできません。が、あえて言えば、広い選択肢を与えられないと力を発揮できないようでどうする?というふうにも思いますわね。そりゃあ「生きていく力」とは別物でありましょう。そしてコンプレックスもつのは子どもじゃなくて親のほうですわね。人様に聞かれたときに口ごもりたくない、という理由で。子どもがコンプレックスをもつとしたら、親である私たちがもっているコンプレックスの反映として、でしょう。本当は「自分のため」なのに「子どものため」にすりかえるのは、欺瞞というものでございましょう。ついでに言いますれば、子どもの出来がいいことを自慢するのも、単にうれしいからだけというわけでもないように思いますね。子どもの出来のよさ=私の秘められた優秀さ、と言いたい部分もあるんじゃないですかしらん?・・・ああ、今日書いたすべての言葉が、全部、自分に跳ね返ってきますわ~。私は今のところ、どういう結果になっても受け入れる心づもりでおりますけれども、現実にはどうなるかわかりませんわねえ~。
2006.08.29
日記のお友達にお褒めの言葉をいただきましたが、結局、どれもこれも全部ハンパだった気がする私です。子育ても仕事もです。もちろん家事は思いっきり手抜きしてきました。平成10年にバセドウ病、14年には膠原病になりましたが、これも仕事と無関係ではなかったことでしょう。もともと丈夫でないところへ、国家試験だのなんだの、無理をしてきましたからねえ。いえ、まったく後悔はしておりませんが。よく「奥様仕事」という言い方をしますが、今の私、それはそれでいいではないか、そこからしか生まれないものだってあるのでは?と思いますわね。と申しますのも、私のヴァイオリンの先生およびその周辺の方々のお仕事ぶりを見ますと、経済的に困っていらっしゃらない方たちだからこそ、これだけ懇切丁寧に教えることが可能なのだ、と思うからです。こういうと、私の友人ではなはだしくたくさんの生徒さんを持っている音楽教師は「生活に困ってないからでしょっ!」とバツン!と一言で終えますが(汗!)、やはり質は高いですよ、採算を度外視して懇切丁寧に教えてくださる先生の指導は。つか、生徒の上達の仕方が違いますって、粗製濫造で教えられている生徒とは。私は今の先生について、初めて「ゆったりと音楽を楽しむ」ということを教えられました。先生に発表会前に指摘され続けたのはただひとつ。「フェリアさんはちゃんと弾ける人なんだから、とにかくあわてないこと!」でございました。普通にしていると「あわてる」のですね<私。ビンボー性でございますゆえに・汗!思うに、先生自身がゆったりと音楽を楽しんでこられた方なのでしょう。そういう方に指導を受けて、私も目覚めたわけでございますよ。ただただ上達だけを目指すのではなく、ゆったりと楽しむヴァイオリンの弾き方を。私だけでなく、子どもの生徒さんも同様でしょう。彼らはきっと、先生からヴァイオリンを楽しんで弾くことを学ぶでしょう。先生はこうおっしゃいます。「私、不器用だから、30分のレッスンでぱぱっと上手に教えることができないの。 だからあんまり生徒さんを増やせないのよね」コストパフォーマンス的には合わないでしょう。まことに失礼ですが、先生の教育に投資された金額と、先生が回収できる金額を勘案した場合には。いつぞや私は(前の日記ですわね)、教育のコストパフォーマンスについて書きました。あれは予備校についてでしたかしらん?かかったコストは「成績の上昇」という形で回収されなければ困るのだ、と。しかし、あれはやはり私の間違いであったかもしれません。「成績の上昇」は単に目に見える価値にすぎません。私の先生のように、目には見えないけれども、生徒の心に「音楽に触れることの豊かさ」という形で反映される場合だってあるのですわよね。それは金銭に換算するのが不能なものでありましょう。「目の前の一人」のために全力を尽くす仕事というのは、尊いものですわねえ。楽器の先生などもそうですが、医師・看護士などもね。不肖・私も毎日、高校生の小論文の答案に赤ペン入れながら「この子の役に立つこと」を念じておりますわよ。
2006.08.28
禍福はあざなえる縄のごとし、とはよく聞くことわざでございます。本当にそのとおり!と、私、昨日はしみじみ思いました。トラブルによってがっくりうなだれた私に、新しい仕事が決まったからでございます。それもいまどき願ってもないことに、毎月定額のレギュラー仕事ですわよ~!思えばフリーになって13年、レギュラーで確実にお金が入る見込みがある仕事を持っていたのは、平成8年から13年までの5年間でございました。あれはよかったですわ。某相談窓口で一日、つか正味四時間お客さんを待っていれば、5万円、がいただけたのでございますからね。月2回行けば10万円、3回行けば15万円、相談者が来ようが来まいが、確実にいただけたのです。なんとありがたいお仕事だったことでしょう。他にフリーの仕事がありましたので、当時の私は、結婚している女、それも個人のフリーで仕事をしている女としては、そこそこ稼げていたのではありますまいか。つか、生活費にかなり回しても、お小遣いもけっこう使えましたわよ。が、おごれるものは久しからず。そんなおいしい仕事は平成14年でなくなりました。それでもまだフリーの仕事が順調でしたので、それほどダメージはなかったのですが、いやはや去年はまいりましたわ。前年に比べて100万円の減収!でございますよ!月8万の減収、ですよ!月8万たらあなた、子どもと自分の定期預金2万円×2人分、プラス私の国民年金保険料および国民健康保険をあわせた金額くらいになるのじゃございません??その分そっくりなくなったら、私の経済計画はどうなるのでしょう??さらに私は生活費の一部を負担しておりますし、もちろんお小遣いなどもそこから出しておりました。・・・というわけで、私、昨年から気が気じゃなかったのですわ。これをどこから取り戻すべきか?とね。とりあえず、今年7月から高校生の小論文の指導、というのを始めました。思っていたより面白いですわね。いまどきの高校生の考えていることがわかって。文章が拙くはあっても、ハートのある子の書いたものはいいものです。でもペイの点ではそりゃあライター仕事にはかないませんわ。8万円埋め合わせるところまではいきません。そこでもうひとつ!と思っていたですよ。今回採用になった案件は、これまでやってきたことの延長線上にありましたので「こりゃいけるかも」と思って応募したら、うまい結果になったのでした。しかし、いつまでこんなことが続くのかしら・・・と思いますわねえ。生き残りをかけるのもしんどいものがございます。いえ、仕事はなんでもそうでしょうけれども。最後に残るのは、7月から始めた小論文の指導と、むか~しからやっている予備校の模試採点の仕事でしょうね、きっと。あのふたつはよほどなヘマさえしなければ、ばあさまになってからもやれるでしょう。
2006.08.28

言霊、というのは確かにあるのでしょうね。一昨日から「疲れる」とか「運勢低下してる」とか口にしておりましたら、ますます疲れてまいりました。やはりよくないことを口にしたり、考えたりするのはやめたほうがよさそうですわねえ。そういえば私、若い時分は気難しい小娘でしたので、年がら年中、不平不満を口にしていたような気がしますが、当時はやはり「いいこと」はあまりございませんでした。子どもを生んだあたりからバカみたくノーテンキになり、生まれてきた子は世界中でいちばんかわいくて、その子を産んだ私は世界一幸せな母親、みたいに考えるようになってから、間違いなく運勢は好転したような気がいたしますね。そう考えるとアレですわ、子どもには感謝・感謝!ですわねえ。今はさんざん心配させられておりますが、あの子どもをきゅ~っとだっこして、まる~いほっぺにチュッチュとキスしたら、それだけで幸せ♪みたいな時代が、相当長く続いたのでございますからね。私が2回目の国家試験に失敗したとき、子どもは小学校5年生でした。1年間の努力が水泡に帰し、がっくりとうなだれる私を見て「ママがかわいそう」と泣いてくれたものでございます。今、子どもがまた「どうにも意欲が湧かない」と部屋から出てまいりまして、ひとしきり愚痴り、「ちょっと外出する」と出て行きました。「Mちゃん(子どもの名)のおかげで、ママはすごく幸せだったんだからね~!自分がそういう価値のある人間だってことを忘れちゃいけないよ。楽しんでおいで」と出してやりましたわ。大げさですが、今の本当の気持ちでございますよ。バ●でもデ●でも、私にとっては大切な大切な子どもでございます。
2006.08.27
怒るのも悲しむのも嘆くのも、エネルギーを消耗するものですわねえ。もう私、ぐったりです。怒ったというのは、銀行の「ご相談窓口」で。バカみたいですが、もうすぐ3年固定ローンの期間が終わるので、10年固定を選ぼうとしたら「1ヶ月足りない」といわれ(残りの期間10年1ヶ月以上必要なのに、10年ジャストだったため)、キ~ッとなったのでした。悲しみと嘆きは、あれですわよ、昨日書いたあれ。ネットをめぐるトラブルのことですわ。もう過ぎたことですが。ついでに言いますれば、子どもの心配をするってのも、えらくエネルギーを消耗するものでございます。でもうちの場合は、去年の心配(プチ不登校)があまりに大きすぎたので、今年は「最後の大学受験であとがない!」(予定では)とはいえ、かなり気は楽です。でもやはり、昨日のように、本人がナーバスになり「不安で眠れない」などと言われると、不憫やら心配やらでねえ・爆!不憫というのは、子どもがあまりに不器用だからです。生き方全般が。もう少し要領よくやれないものかしら。そして「せめて人並みに青春を謳歌してほしい」という感情に悩まされるのですわ。この「人並みに」ってのは何なのでしょうねえ・・??昔は「人並み」なんていう言葉を、(おそらく)軽蔑していた私ですのに。でも子どもを持った今、切実に思いますわよ。「せめてよその子どもさんと同じくらいは、楽しんでほしい」と。激しく。・・・しかし、先日、夫の郷里への旅に出まして、子どもが小さくて、どちらの親もみな元気だったころのことを「あの時代が花だった」と思ったように、いつの日か、今現在のことを思い出しては「あんなふうに、自分の仕事や子どものことで頭を悩ませていた時代が花だった」としみじみ感じるのかもしれないですわね。いえ、きっとそうなるのでしょう。それまでは茨の道を「ああ、たいへん!あああああ~~~!!!」と思いながら歩いていくしかないのでしょう。みなさま、一緒にがんばりましょうねっ!いろいろありますけれどもね。きっと、その「いろいろ」が人生に彩りをもたらしてくれるのでありましょうから。
2006.08.26
タイトルどおり、朝の寝起きから「なんだかなあ」な気分でございます。昨夜は非常に寝つきが悪かったでした。というのも、私が例のブログを中断せざるをえなくなったきっかけ、というのがございまして、そのきっかけを作ってくれちゃった人が(匿名の人物・女性だそうです)、「ブログ中断することまでしなくてよかったのに。なんだか気の毒」とやら言っていたというのを聞いたからでございます。(私に否があったのは間違いのない事実なのですが)・・・なんなのよ・・・私はてっきり、私を陥れようとしている人がやったことと思いこんでいたのですが、実は「なんにも考えていない人。自分がしたことで、どのような事態になるか、まったく考えていない人」だったのですね。いえ、私も何も考えていなかったので、人のことは言えませんが。そこまで考えていなかったために、自分の責任にされたくない、という感情が湧いてきたのでしょう。でもそこまでいかざるを得なかったのですよ、実際問題としては。でもどういうわけか、強い怒りとか、憎しみとかいう感情が湧いてきません。まあ、そういう運命であったのだろうと思うのみで。それにいいかげん、プライバシーを明かすのにも疲れておりましたしね。いいところで切り上げられたという思いも、正直なところあるのでございます。あのまま続けていたら、私はどんどんサービス精神を発揮し、あれこれあれこれ次から次から、なでもかんでも書き続けたでしょうからね。そうですわ。すべては運命。そう考えましょう。・・・さて、わが家には、逃れられぬ運命により、現在、浪人している子どもがおります。この子どもは率直に申しまして、私の「自己実現病」の犠牲になりました。私はこの子が小さいときから「自分の将来」のことしか眼中にない母親だったのでございます。私にとっては、子どもの将来よりも、夫の将来よりも、自分の将来のほうが、ずっとずっとずっと大事でした。しかし、愛情はかけたと思います、私なりに。それは間違ったやり方であったかもしれませんが。私は子どもを「鍛える・しっかり育てる」ことなどまったく頭になく「ただひたすら甘やかす」ことを選んできたのでした。つか、それ以外、思いつかなかったのです、愛情を表現する方法が。甘やかされた子どもは、今になって苦労しております。そりゃそうですわ。勉強のプランひとつ、立てたことのない子ですから。私が先回りして急場をしのいでまいりましたので。・・・ホントにどうかしてますわね、書くのも恥ずかしいような。正直者なので書いてしまいますが。昨日は私も眠れませんでしたが、子どもも眠れなくて、悶々としておりました。なんでも大学受験まであと5ヶ月しかないのに、勉強に対するモチベーションが維持できずに、非常に苦しんでいるのだそうです。・・・んなもん、無理やり机に向かって、石にかじりつくみたいに勉強すれば、自然発生的に出てくるんだよ!と怒鳴りたかったですが、こっちが怒鳴ると先方も感情的になるのが目に見えておりましたので、私は「優しく出る」方を選びました。甘やかして育てた子ですので、このやり方が有効なのです。●5ヶ月しかない、ではなく5ヶ月もある。●2ヶ月基礎をみっちりやれば、3ヶ月で仕上げることは可能。●人のことなど気にしてはいけない。大学は「自分が一定以上の成績」を取れれば合格できる。●勉強のやり方で行き詰っているのなら、明日、一緒に検討してみよう。●モチベーションアップのためには、大学見学が一番。一日くらい勉強ほったらかしにしてもいいから、大学見に行ってみたら?まったくこれが大学受験生に親が言うせりふでしょうか・・・高校受験と違うんだからさ。これが現実。夫の言う「お前が甘やかした罪」とやらは、非常に重いのだと、今、自覚しております。
2006.08.26
今年の夏ももうすぐ終わりですわねえ。昨日の日記にも書きましたが、私は子どもが生まれた年から、父が亡くなった年を除いて、毎年夏には、夫の実家に長逗留しておりました。多くの女性にとって、そうでありますように、私にとっても夫の実家というのは、決して居心地のいい場所ではありませんでした。となりますと、アレですわよ、体はここにあっても心はあっち、みたいにトリップしてしまうのですわね、精神的に。なので私、夫の実家に滞在中は、ほとんど頭の中で「これまでの人生の総括および今後の展望」について考えておりましたです。その中身といえば仕事のことが99%を占めておりましたわ。夫婦仲とか子どもの教育方針などについてはほとんど考えませんでした。私は完璧にジコチューなのです。今の仕事に就こうと考えたのも、夫の実家滞在中でした。国家試験を受験しようと決意したのも、帰省中のことです。国家試験は真夏(当時は7月末)でしたので、2回連続して失敗した(自己採点の結果)あとの帰省はどんより暗い気分でした。いえ、1回目はなんということもなかったのですが、2回目は本当にこたえましたわ。大きな仕事の締め切り直後の帰省中に、担当者から電話でガンガン怒られたこともありました。ご本人は休暇中は一切仕事にはノータッチという方針をお持ちなのに、人の休暇を侵害してくることに理不尽なものを感じましたが、こちらは常に弱い立場ですから文句ひとつ言えませんでした。ワープロ時代にはワープロ、パソコンに変わってからはパソコンを車に積んで、仕事の続きをしたこともありました。・・・しかし、今、子どもを持ってからこれまでの夏を振り返ってみますと、やはり小さかったころ、つまりまだ仕事をしていなかったころの思い出のほうが、はるかに色濃く胸に迫ってまいりますね。義母の家には長らくクーラーがありませんでしたので、暑くてむずかる子どもをうんざりしながらあやしていたあのころ。一日が途方もなく長く、早くこの状況から逃れたい(夫の実家から脱出したい&さっさと子育て終えたい、の両方)と、いつもいつも思っていました。自分はこれからどうなるのか、このままでは終わらないぞと強く思ってもいましたね。夫の実家という「究極の思い通りにならない場所」というのは、奮起するにはかっこうのジャンピングスポットだったのでございます。あのころは何しろ元気と勢いというものがございました。いえ、今でも十分元気ですけれども。しかし、当時持っていた私なりのギラついた野心のようなものは、いささか影をひそめつつあるのを感じます。要するに「もうそんな年じゃない」ってことですかしらん。ずっと仕事!仕事!と思ってきましたが、今はどういうわけか、仕事しようがしまいが人生そう変わらないよという思いが頭をよぎりますわ。それは「人生、どう生きてもどう死んでも大差ない」とか「生者と死者を隔てるものなどない」とか、もっと卑近な例ですと「学歴が高かろうが低かろうが大差ないよ」というふと頭をよぎるものと、根っこの部分では同じような気がいたします。今はもう、外的な評価だの価値だのよりも、自分の心の中にあるものを静かにひそかに育てていくことのほうに「満たされるもの」を感じますわね。具体的に言いますと、ヴァイオリンの技能を向上させて、思い通りの演奏をするということと、自分にしか書けない、世の中の人(それも病気の人)のためになる一冊を世間に送り出す、ということでございます。前者は限りがありませんが、後者に関しては、それが実現できれば、もう書くことを仕事とするのはやめてもいいような気がいたします。あとは高校生の小論文の指導をしながら、静かに暮らしてまいりますわ、私。
2006.08.25
なんと、今朝4時に自宅に戻ってまいりました。深夜には着く予定でしたのに、こんなにも遅くなったのは、夫が「山登り」をしていたためでございます。なんでも子ども時代に登りかけたのに、暗くなって下山せざるを得なかったことがくやしくて、リベンジしないことには気がすまなくなったのだそうです。夫は最近、どういうわけだか、山登りに目覚めたのですわ。私にも「行こう!行こう!」としつこいのですが、一応、私、これでも膠原病患者(病名は全身性エリテマトーデス)ですので、登山はいかがなものでしょうかしらねえ? でもなんだかOKな気もいたしますわね。旅行の最終日の昨日、アウトレットで5時間遊び、大阪から車で帰宅し、帰り着いたのが朝の4時でもぴんぴんしておりますのでね。紫外線対策ばっちりするのと、よく眠って疲れをとるようにしさえすれば、軽い登山くらいはできそうな気がいたします。ところで、今回の帰省は実に久しぶりに「お見舞い」目的でない帰省でございました。夫の母が平成12年に倒れ、昨年死去いたしましたので、4年の間、私たちの帰省のメインイベントは「義母のお見舞い」だったのです。なんだか不思議な気がいたしますわねえ。去年までいた人がいなくなるというのは。義母は非常にしっかりした人で、48歳で義父と離婚した後、一人暮らしをしておりました。うちの夫は、帰省して義母の家に長逗留することを親孝行と思っている人でしたので、私は子どもが0歳のときから、夏というと、義母の家に1週間泊まっておりましたのよ。当時、義母は仕事を持っておりましたし、一人暮らしで自分の生活ペースが確立されていたため、私たちが行って3日もすると、イライラしてくるのが、手に取るようにわかりました。最後の日になると、お互い上機嫌になったりいたしましてね・苦笑。しかし、平成12年に脳梗塞で倒れたあとは違いましたわ。倒れた年の夏は入院中だったのですが、翌13年に自宅に戻り、介護の人のお世話になりながら一人暮らしをするようになりました。元気だったときは、半ば迷惑そうだった義母ですが、倒れてからは、私たちが行くことを、本当に楽しみにしてくれておりました。中でもいちばん喜ばれたのが、平成13年と14年の帰省のときに、温泉旅行に行ったときのことでした。女湯に入るのは、当然のことながら、私と義母ですわね。「私がちゃんと支えてあげるから行きましょう」と誘い、決行したわけですが、あとからしみじみと「フェリアさん、私はもう一生、温泉は無理だと思っていたけれども、また行くことができて本当にうれしかった。ありがとう」といわれたときは、私も心からうれしいと思いました。その義母も亡くなり、今年はお見舞いのない帰省となったわけでございます。気も楽ですし、体も楽ではございましたが、なんだかやはりさびしゅうございますわね。子どもがまだ小さくて、私たち夫婦の親も全員元気だったことが、人生の花でございました。まあ、そのような時期がもてただけでも、感謝すべきなのでしょう。
2006.08.24
三泊四日の旅も、本日でおわります。旅の終わりというのは、いつも寂しいものですね。今、ホテルのフロント脇のビジネスコーナーで書いているのですが、環境が安定していないのか、先ほど書いたものが全部消えました。ショックでした・・・なので、一番書きたかったことだけを、今、この勢いに乗って書いてしまいますわ。さて、父が亡くなった3年前から、私には「生者と死者は常にともにある」という感覚があります。旅に出るとそれをよりいっそう強く感じます。いつか死者が見て心を動かされたであろう、このような海・このような滴る緑・このような夕焼けを見て、私も心を動かされるとき、人間、どう生きてどう死んでも同じではないかと思えます。それはけっして投げやりな感情ではありません。そして死者が生前に抱いたであろう数々の思いや、来世での幸福を祈って、天上に届くような音で楽器(私の場合はヴァイオリンですわね)を弾きたくなるのです。昔、25歳でヴァイオリンを始めたころにはけっして抱くことのない感情でした。さあ、明日からまた練習です。本日、深夜に戻りますので、またよろしくお願いいたしますね。
2006.08.23
月日がたつのって、なんと早いのでございましょうか。8月19日だって~! ついこの間、今年が始まったばかりかと思っておりましたのに。夏の疲れが出たのですかしら。私、今日はくたばっておりましたわ。疲れると胃にくる、と書きますと、また妹Bが「絶対におかしいから、一度、胃カメラ飲んだほうがいい!」と騒ぎ出しそうですわね・ほほほ。さて、普段、ちょっと離れたところにすんでいる妹Bが17日夜、妹Aのところへやってきて、一泊していきました。17日は妹Aの手料理をごちそうになりましたが、昨日・18日は「どらどら、ねえさんの料理の腕前でも見せたろうじゃないか!」と思い、お昼のおかず作りをいたしました。それはごぼうと豚肉の甘辛煮お友達のさえさんから「レシピのせて」のリクエストをいただきましたので、ご紹介いたしますわね。<材料>ごぼう1本、豚肉200g、唐辛子1/2本、ゴマ油・出汁の素・醤油・みりん・砂糖<作り方>1.ごぼうは厚さ3ミリ程度の斜め切り、豚肉は細かく切る。 唐辛子は輪切りにしておく。2.フライパンにゴマ油を熱し、輪切りにした唐辛子と ごぼうを入れ、軽く炒める。3.ゴマ油がぜんたいに回ったら、フライパンに水を入れ (適当に)、ごぼうを煮る。 うちのクッキングヒーターだと強火で10分くらいかな。 ガスでもそれくらいだと思います。4.ごぼうがやわらかくなったら、フライパンのお湯を 捨て、さらに油と豚肉を加えて炒める。5.豚肉の色が変わったら、出汁の素(粉末のやつ・ 私は2・5グラムくらい使います)・醤油・ みりん・砂糖で味付けをする。 醤油じょぼじょぼ(たぶんお玉にひとつ半くらい??)、 みりんは大匙1杯くらい、砂糖は 大匙2杯ってところかな。 味見しながら作ってるので、よくわからんのですわ。6・中火で5分煮たら出来上がり。ごぼうの香りがプーンと立って、とってもおいしいですよ~。さて、わたくし、明日・20日から3泊4日で旅に出るザマス。明日は京都、そのあとは夫の郷里に泊まります。ちょっと留守にしますが、みなさま、お元気でね。かえってきたらまた遊んでくださ~~い!!!
2006.08.19
昨日から妹Bが妹Aの家に来ておりまして、私も行ってまいりました。よく女のきょうだいがいていいわね、とうらやましがられますが、確かに母には感謝いたしております。あ、父にも感謝すべきですわね。種の提供者でございますゆえに・ほほほ。私と妹Bはけっこう似ているそうでございます。キャラ的に。でも妹Bのほうが、私よりも大物のような気がいたします。つか、オトナってことですかしらん??私のほうが無邪気で人を疑いませんわね。妹Bは「私は人に期待してないから、なにかあってもショック受けにくいのよぉ~。こんなもんか、って思うくらいでえ~」と申しております。妹Aは、人をあんまり信じないようでございますわね。身内しか信用しないところは、母と似ているかもです。私は人を信用するとかなんとかいう以前に、そもそも人が信用できるかどうかとかいうことも考えませんわね。つか、頭悪くて、そこまで考え及ばないです。それでも最近は少し進歩しました。少なくとも人に会ったときに意地が悪いか・悪くないか程度のことは考えるようになりましたからね。長足の進歩、というやつでございます。よく世の中では「女性は意地悪で、男性はさっぱりしている」と言われるようでございますが、あれって本当ですかしらん??心底意地が悪いのは、男性のほうに存在するような気がいたしますけどもねえ。いえ、男性全般が意地が悪いというのではなく。際立って意地が悪いのは、男性の比率が高い、というだけで。ま、数の上では女性のほうが意地悪なのが多いのかも知れませんわ。あんまりそういう方とはおつきあいがないのでよくわかりませんが。私は女系家族の育ちをしております関係か、女性の中で浮くとか、うまくやっていけない、とかいった経験があまりありません。自称・女性が好みそうなものをほとんど好むという「模範女性」ですので、比較的どの集団に入っても共通項が見出せるのですわね。・・・思い出しました。なぜこんな話をしたくなったのか・爆!!!昨日、とある非常に優秀な女性・30代半ばから仕事の電話を受けたからでございました。国家資格を取得して、都心の一等地にオフィスを構えてばりばり仕事をしている女性ですが、私、いつも彼女と会うたびに「この人、一般的な女性の中では浮きまくってきただろうなあ~」と思うのです。言ってみれば「きっぱりしすぎ」無駄を許容しない。あいまいさを許さない。甘えははねつける。人生、無駄とあいまいさと甘えで成り立ってるんだからさ、と考えるような私の目から見ますと、そりゃあもう行き詰るようでございますわよ、奥さま~!私なんか「あのさあ~」「アタシさあ~」などと、どうでもいい話をするのが大好きなので、あんなにはりつめて大丈夫なのかいな?と思ってしまいますわ。・・・でも私、実は知ってるんです。彼女、私のこういうところにほっとしてるってこと。意外にパーフェクト・ウーマンにウケる私でございます。
2006.08.18
昨日は、夜8時から、麹町にある某予備校に仕事で行ってまいりました。四谷の駅前を歩いていましたら、東京でしか見かけることのないタイプの、たいへんおしゃれな老婦人(ビル前の植え込みに腰掛けていらっしゃいました)に、突然、上智大学で英語を教えていらっしゃる先生ですか?と声をかけられ、大変気をよくいたしました。んまっ!そんなふうに見られたのは初めてです。英語なんて教えるどころか、満足に話すこともできやしません。昨日の私の服装は、まりも羊羹色(つまり緑ってことよ)のヴィヴィアン・タムの、牡丹の花の刺繍入りチャイナトップスでございました。髪は先日、矯正パーマをかけてまっすぐにし(下だけワンカールしてます)、へナで黒く染めたので、一見すると「チャイニーズ???」かもしれません。まして上智大学付近ですと、外国人の方がわさわさいらっしゃいますからね。黒髪の中国系アメリカ人の語学教師、などたんまりいそうですわね。私はアジアに対して強い憧れがあります。あ、韓国にはあまり憧れないかも。中国大陸とかベトナムなどが大好き。なので、チャイニーズやベトナミーズに見える、というのは、私にとってたいへん名誉なことなのです。さあさあ、かの有名な女子校、双葉学園(字が違ってますがご容赦を!)の前を通っていきます。四谷のこのあたりって、本物のお金持ちが住むところですわねえ。以前、その付近の自費診療を行っているクリニックに仕事でうかがったことがございます。ホテルのロビーみたいでしたわ、待合室が。予備校について、またまたたまげました。ここは・・・・シティホテルですか??トイレの鏡もすごいです。しわがふっとんで女性が美しく見えるよう、下からこうこうとライトがあたるようになってます。大学受験ってば、18歳から20歳くらいの小娘がするものですわね、ふつう。お肌のパツパツしたきれいな小娘たちに、こんな照明は不要なのではないかしらん??打ち合わせ会で、普段使わない頭を使いましたら、すっかり疲れました。いよいよ来年は「大学全入時代」ですわね。大学の定員と、受験生の数が同じになる、という。大学がいくらレベルをキープしたいからといっても、定員に満たずに、経営困難になっては、お手上げです。大学は倒産よりは、レベルダウンして、大学を維持するほうを選びますわよ、そりゃ。大学生の学力が低下しているそうですが、それはもっともなことです。だって受験がラクになっているのですから。もちろん一部例外はありますが。上位校では熾烈になっているようですわね。私の子どもはどこに入れますことやら。以前は、知名度などにもこだわる気持ちがあったのですが、今はどこでもいいから、入ってから楽しくやってほしいと思っております。そりゃ、親としては見得のひとつも張ってみたいし、どうせお金を出すなら、それなりのところ、という気持ちもございますけれどもね。しかし、子どもが「有名大学で楽しくなく過ごす」か「無名大学で楽しく過ごす」か、どちらがいいか、と問われたら、私は一も二もなく「無名大学でいいから、楽しく過ごして~!!!」と叫んでしまいますわ。ええ、子どものことでは本当に胸を痛めてまいりましたので。なんでもいいから、本人が、自分の人生は楽しいと思ってくれればいい、それだけでいいと今は思っております。これ、本音です。
2006.08.17
ある方の日記を読みにまいりましたら、地域と人、つまり県民性のようなことが書いてあって、とても興味深く感じました。というのも私も生まれ故郷、東京、それに現在住んでいる場所を比べてみますと、やはり人が違うなあと感じるからでございます。私の生まれ故郷はみなさんご存知ですわね?あえて書きますまい。その中で育った私にとっては、裏表がなくてざっくばらん・明朗快活、なのですが、どうやらこれは関西地方の方からしますと「その笑顔の裏に何かある??」ということにつながりかねないらしく。そういえば、うちの夫も関西人でありますが、やはり驚くことがあるみたいです。「単細胞である」と言うのですね。一方で、私の生まれ故郷の人間は、もの言いが「怒っているみたい」と感じられることもあるようです。それは言えてるかも。言葉の出し方(発声、というのでしょうかしらん?)に勢いがありますし、とっつきが無愛想な人が多いので、誤解されやすいかもしれません。が、夫の郷里である関西のある県の女性の言葉、というのが、私にはぶっきらぼうできつく感じられて仕方ありません。私は完全な標準語ですが、夫に言わせますと「その標準語が冷たい」のだそうです。悪かったね!さて、東京の方たちですが、中学3年のときに2度目の東京転勤で移り住んだときは「東京の人ってすごくあっさりしてる」と思いました。余計に干渉してくる、ってことがない。実にクールで「垢抜けしてる」感じがしました。人付き合いもスマートな感じ。高校生になって最初にできたボーイフレンドが、まさに都会のインテリ家庭の子息であったわけですが、バックグラウンドが北海道の田舎育ちの自分とはあまりに違うので驚きましたわ。最初に銀座の和光に連れて行ってくれたのは彼です。当時、15歳だった彼。しょっちゅうお母様のお供で行っていたのでしょうね。子どものくせに一級品およびハイクラスな世界を知っている、というのは、私にとって想像もつかないことでありました。これが横浜あたりになりますと、また違うのですわね。もっと野性味が加わるというか。素朴になるというかね。今、住んでいるのは、戦時中、食べ物に困ることがなかった、農村地帯でございます。ここの人たちは、知的なものに価値を見出しません。人生の価値は、日々を「常識的にやり過ごし」「財を蓄積すること」にあるというふうに思っているみたいです。私のように浮ついたことばかり考えている人間とは肌合いが違う感じはしますが、概して人はいいような気がいたします。素朴でね。私の子どもの担任だった音楽の先生は、ここの地元の出身で、非常にピアノのうまい、音大出の男性でした。年のころは30代半ば。このお土地柄で、今から何十年も前、男の子がクラシックの世界に没頭するというのは、非常にレアなケースであったのでは?と思われます。気の合う友達はいなかっただろうなあ、なんて考えてしまいますわ。
2006.08.16
1件目の日記に、すがすがしき人たちのことを書きましたら、いろいろ思い出されました。私自身が「すがすがしき季節」にあった日のことが。しかし、残念なのは、自分自身のことを思い出すと、少しも「すがすがしいとは思えない」ことです。私がひねくれた娘だったからでありましょう。どちらかというと、どころか、いえ、完全に恵まれて育った私です。物質的、というよりも周りの人々に。おそらく「愛情」と呼ばれるものに。私は非常に人の感情というものに淡白な子どもでありました。人の思惑を気にせずにいられたということは、とりもなおさず、大人の顔色をうかがう必要がなかった、ということなのでありましょう。自分が親にとって重荷であるとか、親が機嫌よくしていてくれれば、とか、親を疲れさせてはいけない、とか、とにもかくにも、親に対して一切の思いやりを抱かずにいられるくらい、安定した環境におかれていたのです。それに比べますと、私の子どもは、常に私の愛がどこに向けられているか、気にしているように思われます。私にはたったひとり、その子どもしかおらず、しかも私は小さなころから私の子どもに、はっきりと口にして愛を伝えてきたにもかかわらず。しかし、これは単なる個人差でしょうかしらね? 思えば、私の子どもは生後3ヶ月のとき、すでに「やきもち」という感情を知っておりまして、私がお友達と話していて談笑すると、腕の中で「ふえ~~ん!」と泣き声をあげる赤子でした。話は飛躍しますが、どうも私の「男運」は直系男子(および配偶者もプラスしときますか)に使い果たされたように思われてなりませぬ。だいたいが恋愛下手なのも事実でありますが、父親および子どもとの愛の絆が強すぎるために、よその男の入り込むすきがなかったのですわね。話はぐっと元にもどりますが、人に対して淡白であった私は、自我の目覚めというのが非常に遅い娘でありました。しかし、遅い目覚めというのは、ときとして強烈な力を発揮いたします。そうそう、加えて言いますれば、私は一事が万事、おくてな娘でして、勉強に関しても、自分の進路に関しても、趣味に関しても、認識が生まれたのは、人よりもかなり遅かったと思います。それがある時期から、私を突き動かす力となったのは、間違いのない事実です。さてさて、遅くに自我に目覚めた私は、要するに自分と外界をつなぐのが何であるのか、非常に混乱してしまったのでした。考えなくてもよかったのにね、そんなどうでもいいことは。どうしてあんなことばかり考えていられたのか、とっても不思議。考えない今のほうが、ずっと幸せです。私の子どもはここ数年、低調ですが、あの子も私の子ですから、私と同じような「どうでもいい悩み」に突入しているのかもしれませんわね。今の私は、こう考えますよ。「愛すればいいのだ」と。いえ、「愛する」という言葉はおおげさすぎますわね。「愛を抱けばいいのだ」と言い換えましょう。「愛情を感じる」のほうがもっとライトでしょうかしらん。愛情を感じさえすえば、たいていのことはオッケーです。許せます。楽しめます。このような知恵が身につくまで、私には何十年の歳月が必要であったことか・・・・そのようなわけで、今は幸せだと思います、自覚的には。
2006.08.15

まったく夏らしい空でありました。手でつかめそうな雲でありました。そしてすがすがしき青年たちでありました。・・・僕は二十歳だった。それが人の一生で一番美しい季節だなどと、だれにもいわせまい。 『アデン・アラビア』ポール・ニザンいいえ、やはり二十歳は美しい季節です。フランスの作家、ポール・ニザンはそれを反語的に表現しましたけれども。逆に言えば、反語的に表現せざるを得ないほど、二十歳は美しい季節です。伸びていく若木のような。広がる青空のような。雨に打たれて色の濃さを増す新緑のような。すがすがしき青年たちと、ひとときをともにできたこと、そして人生の春に逝ったあの愛情深き人のご両親と、ふたたびお会いできたことに、深い感謝の気持ちを捧げます。
2006.08.15
意外でした。自分はなじんだところでないと書けないものと思い込んでおりました。そんなことありませんね。別にいろいろなことを明らかにしなくても、書けることはたくさんあることがよ~くわかりましたわ。ええ、昔からけっこうおしゃべりでした。子どものころ、学校では「無口な子」と言われていましたが、それはただ単に、5歳までほとんどきょうだい・いとことしか会ったことがなかったので「よその子どもがたくさんいる状況」になれていなかっただけの話なのですね、きっと。初対面の人とすぐに打ち解けられるようになったのは、高校を卒業するころからですかしらん?初めて顔をあわせる人同士の集まる席で、一番先に口を開くのは多くの場合、私です。だってみんな気まずそうにしてるし、自分自身も気詰まりなので。そういう場では、便利な人間だと思います。基本的に人と話をするのが好きなのだと思います。人の話はけっこう面白いですね。自分が経験していないことを経験しているから。身内に話の上手な人が多かったので「人の話=面白い」という先入観(というのですかしらん?)があるのですね。知的レベルが高かったとは思いませんが、会話の楽しさレベルは高かったと思います、父方・母方ともに。話下手な血統、というのがあることを知ったときは、けっこうなカルチャーショックでした。人間というのは、自分の育った環境が、価値観のベースになるものですわね。私の場合「会話が楽しいかどうか」というのが非常に重要であるかもしれません。人によってはこれが「社会的地位」であったり「頭の程度」であったり「運動神経」であったりするのでしょう。「音楽的才能」とか「稼得能力」などもありますね。そうそう「容貌のよさ」というのもあるでしょう。そうした、生まれながらの環境によってもたらされる価値基準となるものは、当人にとっては「あって当然のもの」なので、それを他人がうんぬんするというのは間違っているのかもしれませぬ。おっとまたどうでもいいおしゃべりをしてしまいました。お風呂に入った後、一仕事しなくては。それでは皆様、お休みなさいませ。ごきげんよう。
2006.08.14
傷心で始まったこの日記ですが、すでに非常に居心地のいい場所となりつつあります。やはり以前のは、規模が大きくなりすぎていたのですね。バカだからいろんな人に宣伝してしまい、自分で自分の首を絞める羽目になっておりました。さてと、私、最近また映画を見始めました。あ、映画といっても劇場で、ではなくビデオもしくはDVDですが。ミーハーなので、わかりやすいのが好きです。・・・・こう書けるのがうれしいわ。以前は映画通の方などがいらして、下手なこと書けない雰囲気がありましたからねえ。昨日、アメリカ版『Shall we dance?』を見て、楽しみました。ついでに夫婦のあり方とか、大人文化とかいうものについて、考えてしまいましたわよ。なぜ「大人文化」なのかというと、端的に言って会話がこじゃれてるからですわ。ウィットに富んでますものね。日本映画じゃ絶対に出てこない台詞回し。今からもう10年以上前になりますが、とある欧米系の植民地であったところへ旅し、すり鉢状の野外劇場で原住民の方たちの踊りを見たことがあります。客席に多くの人が着いており、もうすぐショーが始まろうとするとき、欧米系の老婦人(エリザベス女王のように貫禄のある)が、ゆったりとすり鉢の底にあたるステージを横切って、反対側の客席へ向かいました。当然、客席にいる人たちの目は彼女に集まります。すると彼女、おもむろに鷹揚に、大きく手を振るではありませんか。まさにエリザベス女王のようにです。なんたるウィット! 客席は大いに沸き、彼女はその場のスターとなりました。ああいうことって、日本人女性ではまず思いつきませんわね。でも私、機会があったら、やってみたいと思っております。というわけで、私の中では、大人文化=ウィット、なのです。リチャード・ギアとスーザン・サランドン演じる夫婦もよかったです。スーザン・サランドンって美人じゃないけどかっこいい。私はたまに海外旅行はするものの、欧米文化というもの、とくに人間関係についてはまるで無知です。が、見聞きしたところ、どうも欧米の夫婦関係は日本のそれとは大きく異なるようですね。映画からもそれは垣間見えますものね。お互いが「個」の人間であり、「個」の人間として尊重しあい、高めあい、いつまでも男女として愛し合うのが当然、みたいな。neaさんは詳しいよね、このあたり。教えてくださいませ~。唐突ですが、私も今から英語やろうかしらん。よその文化を知らずに「こんなものか」と思っているのが、なんだかとってもつまらないことのような気がしてきました。
2006.08.13
もうすっかり夜更かし・朝寝坊の癖が定着して困ってます。昨日なんか泥のように疲れ果てて、とってもたくさん眠ってしまったため、こんな時間になっても目が冴え冴えとしておりますわ。学生時代、私は大学から離れたところに親と住んでおりましたので、友達の下宿にしばしば厄介になりました。今でも気の合う友達となら、いくらでもしゃべり続けることができる私ですが、当時は20歳かそこらで、今よりはるかに体力もありましたので、朝までノンストップでおしゃべり大会!なんてことをよくやりましたねえ。本の話だの、男の子の話だの、自意識の話だのが中心でしたかしらん。映画は見ない小娘でしたし、当時はブランド品も興味がなかったし、人間関係も狭かったし、社会経験なかったしで、今よりはるかに話題に乏しかったことは確かです。世間知らずで、自分と異なる世代の人と交流するということもありませんでした。どう考えても、あまりとりえのない娘だったように思います。若いときに年上の人に好かれ、かわいがられるというのは、その後の人生において大きなメリットがありますね。私に欠けていたのはまさにその部分でありましょう。自分でもいちばん変わったなあと思うのは、異性に対する関心が非常に薄れたことでしょうか。やはり恋愛というのは若い人がするものですわね。率直に申しまして、もういいかげん生殖年齢が終わりに近くなっているので、生物学的に見ても、異性に関心を持つ、というのは「無駄なこと」なのでしょうねえ。つくづく自然の摂理というのは、うまくできているものだと思いますね。若い人と話すたび、いかに彼らが異性・恋愛に関心が高いか思い知らされ、とっても新鮮に感じます。人生の春と夏に、人は異性を求めるのだと、改めて思うのです。まあそうでなくちゃ、次の世代が生まれてきませんからねえ。種の保存の法則にのっとった、本能的な行為なのでしょう。おっと、こんな時間です。そろそろお風呂入って寝なければなりませぬ。どんなに遅い時間になってもシャワーでは満足できない私です。
2006.08.13
またトップページ変えてみました。前のはシックでいいかも、と思ったのですが、やはりここはひとつ、すかっと元気なイメージを大切にするのが正解かと。多くの人に「元気な人」のイメージを持たれている私ですが、子どものころはかなりおとなしいほうでした。というのも私、5歳で故郷を出るまで、親戚以外の子どもを見たことがなく、それゆえに幼稚園や小学校に入ったとき、たくさんの子どもたちの中で、自分がどうふるまっていいのかわからなかったのですね。先日、お友達のサイトで、その方の子ども時代がどんなふうであったか、書いているのを読みました。彼女は非常に正義感の強い、利発な(というのは私が感じたことで、ご本人はそのようには書いていらっしゃいません)少女だったようです。ご自分では「寛容でなかった」というふうに表現していました。私の場合、寛容とか非寛容とかいう問題以前に、ほとんど「何も考えていない子ども」であったといえると思います。はっきり言って批判力というのはゼロでした。小学生も高学年くらいになりますと、子どもも先生の好き嫌いを口にするようになります。あるとき友達とそんな話になったとき、私は友達が先生のどういうところが好きで、どういうところが嫌いか、先生はどんな人か、などなど批判・分析するのを聞いて、心底驚いたものです。なぜなら私は、それまで大人のことを好きとか嫌いとか、どういう人であるかなど、まったく考えたことがなかったからです。同級生に関しては、自分に意地悪をする人はいやで、しない人はいい、という程度の認識でした。「嫌い」という感情はあまりなかったような気がします。「好き」という気持ちは人並みにありましたが。こうして思い返してみると、私という人間は、子ども時代、けっこう人に対して淡白であったといえると思います。今、私の子どもが非常に人間関係に淡白で「なんなんだ??こいつは?」と思っているのですが、実は私の子ども時代によく似ているのかもしれません。昔ばなしをしだすときりがないのですが、今日はこのへんで。皆様はどんな子どもでしたか?
2006.08.12
昨日はこの日記の立ち上げに際し、たくさんの激励のお言葉、ありがとうございました。思うに、前の日記は大きく広げすぎた観がありました。いろいろな方が立ち寄ってくださるのがわかっていたので、書きたいことが書けなくなった部分、できるだけたくさんの人にウケそうなネタを選んで書くようになってしまった部分があります。そのわりに言いたいことを言って、舌禍事件なども引き起こしましたけれどもね(汗)一昨日、心配して電話をくれて、昨日、わざわざ遊びに来てくれた友達に言われました。「サービス精神が旺盛」なのだと。それはある一面、真実を突いていると思います。書くことで「人に楽しんでもらいたい」という気持ちは非常に強くありました。ある意味、その部分が突出していたかもしれません。それにしても前の日記を始めたのが2年以上前のこと。おずおずとPCに向かい「何をどう書けばいいのだろう」と頭を悩ませた日が懐かしく思い出されます。悩んだのは最初の数日で、そのうちどんどん書けるようになりました。友達の一人は、私より早くに日記を始めていますが「不特定多数の人に向けて、何を書いていいのか、今でもよくわからない」と言います。彼女は非常に人付き合いの上手な人で、対面するといくらでも話が出てくるのですが、それは「相手が特定されているから」なのだそうです。私は果たして相手を特定していたのでしょうか・・・そんなこともないような気がします。「あの人がこれを読んだら気分を悪くするかも」と思い、書くのを控えたテーマはありますが、ほとんどの場合、何も考えずに書いていました。「読む人に楽しんでもらいたい」という思いは、常にありましたが。公開日記という性質上、誰に見られても可、という前提に立っていますが、ここではプロフィールも公開せず、テーマ投稿もしないで、昔なじみの方や、新たにお知り合いになった方で、気にいってくださった方だけが読んでくださればいいかなと思っています。この日記がどういう方向へ進んでいくのか・・・楽しみです。
2006.08.12
フェリアです、こんにちは。ブログは以前もやっていたのですが、とある事情で削除しました。今度は長くつづけたいと思っています。自己紹介をしますと日本在住の、一応大人と言われる年齢の女性、仕事内容は秘密で、趣味は楽器演奏です。性格的には明るいと思います。あんまりくよくよしません。最近、実感しているのが「友達っていいな」ってこと。先日、ちょっとした悩みが起こったとき、友達ふたりが電話をくれました。今はメールでなんでもやりとりできる時代ですし、私の場合、ブログが伝言板というか近況のお知らせみたいになっていました。数年前まで月に数万円もかかっていた電話代ですが、ここ数年、めっきり電話する回数が減っていました。でも先日、久々に友達ふたりと長話し、慰められて、本当に救われた思いがします。「癒されるとはこういうことか」と思いました。人の声はいいですね。私は楽器演奏をしているので「音」に興味があります。自然の音は人の心の慰めになりますが、声もまた自然のうちのひとつなのですね。彼女らの友情に感謝しつつ、また新たなスタートを切りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2006.08.11
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