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フェリアです、こんばんは。本日、実に実に実に久しぶりに(20年ぶりくらい?)、アンサンブル=合奏、をしてきました。「バッハの森」にて。「バッハの森」はつくば市にある宗教学と教会音楽の私塾です。これまでにもオルガン、声楽、合唱および宗教音楽学などさまざまなコースがあったのですが、さきごろ弦楽合奏のコースができました。まだ人数が少なくて、指導の先生とヴァイオリンとチェロのご夫婦、それに私の4人でした。いいわねえ、ご主人がチェロ弾きだなんて。ああ、それに比べてうちの夫ときたら・・・!!憧れのエレキギターを「たったの2日弾いただけで」放り出す人ですからね~~~!!「おれ、やっぱ才能ないわ」って。あのなあ~~!!!2日でうまくなる楽器なんてないんだよ~~!!このお二人には4歳の男の子がいて、とってもかわいいの。私の顔を見るなり、にこっと笑ってきゅう~~っと抱きついてきたんですよ♪思わずほっぺをつまんでふにふにしちゃいました。・・・そういえば、幼児~少年期の男の子を好むのを「ショタコン」って言うんですって?「ロリコン」に対して。私の息子が、私のことを「カンペキ・ショタコンだよね、お母さんは」というのですわよ。・・・かもね・・・確かに・・・すんごくかわいいって思うもん、男の子のこと。本日はバッハのコラール2曲と、『主よ、人の望み喜びよ』(つか、これもコラールの一種ですか?)を弾きました。最初の2曲は簡単なメロディーなんだけど、合わせるとホント~~にキレイ~~!!練習会場が、これまたバッハの音楽がよく響くように作られていますから、ものすごく気持ちよかったです。12月のクリスマス祝会で、それぞれのコースで学ぶ人たちが発表しあい、そのときに弦楽コースも演奏を披露するそうです。いいかもね~~! バッハの森でクリスマスを祝うなんて、とってもステキ~~♪うちから車で片道45分はちと遠いけど、金曜の夜って翌日の心配がないからいいかもね。車の運転も気分転換になるし。個人レッスンで出される課題にかける時間を削られるほど、難易度の高い曲は(当面は)やらなそうだし、人数少ないから大歓迎ってカンジだし。超・前向きに参加を検討しつつあるフェリアなのであった・・・うふふ♪ なんかすごい幸せっ!!
2006.09.29
昨日、生まれて初めて「ブリ大根」を作ってみました。隣市のヨーカドーの中には、とっても品が良くて安い魚屋さん(ついでにお肉屋さんと八百屋さんも)が入っているのです。一昨日、そこでブリのあら、どっしりと重いのがひとパック580円!で売っていたのですよ~!もちろんマストバイですわよ。大根もそこの八百屋さんで買えば1本100円!だったのに、他にも大量の食料品を買い込んだので、大根まで手が回りませんでした。昨日、近所のスーパーで買ったら198円!もしました~! ああ、くやしい・爆!・・・そんなわけで、昨日の夜はブリ大根です、初めての。ネットで調べれば、どんなものでもすぐレシピが出てくるから便利ですねえ。分量どおりに作ったら、とってもおいしく出来上がりました。私は北海道出身ですので煮魚が好きです。つか、北海道の人ってよく煮魚を食べるような気がするんですがどうなんでしょう??6月に釧路に行ったとき、伯母が鮭のあらと蕗を煮たのを食べさせてくれたのですが、とってもおいしかった~~!!しかし「あら」ってのは、魚を食べるのが上手な人でないと「ろくに食べるところがない」ってことになってしまうのですね。うちは息子は北海道の血を引いているからか、魚を食べるのが上手で、骨がぴかぴかになるくらい、皮まで残さずに食べます。一方、関西出身の夫は、魚を食べるのがすご~~く下手!秋刀魚の塩焼きしたのなんか、たっぷり身をつけて残すから、思わず「あと始末」したくなるほどです。・・・昨日も食べ始めるなり「ねえ、なんか食べるとこ、ないんじゃない??骨ばっかりで」だとさ!!!それって自分の食べ方が下手なだけじゃないの??爆!!
2006.09.28
子どものころから好きだったことが3つあります。洋服買うことと、本読むことと、文章を書くことです。えんえん続く趣味だと思っていたのですが、実はここ1年くらい、まともに本を読んでいませんでした。引き金ははっきりしています。昨年夏に、領土問題に関する本の編集作業&一部執筆をしたことです。初めて手がける分野、それも非常に難しい分野だったので、ただでさえ働きの鈍った脳を酷使しすぎ、疲れ果ててしまったのです。領土問題の本の仕事を始める前は、けっこう読書欲に燃えていたりして、ロシア文学の古書を買い集め、トルストイの幼年三部作を読み、『戦争と平和』もちょっとだけかじっていました。でも「領土問題」ですべてが振り出しに。それどころか、私の人生でめったにないくらいの「読書空白期間」に突入したのですから、いやはや脳の老化というのは恐ろしいものです。・・・ところが、このところまたムラムラと本が読みたいのですわ。先日、佐藤愛子さんの『血脈』、上中下巻の分厚い3巻、一気読みしました。私はけっこう「家系モノ」は好きです。もっとも『血脈』に出てくる男どもはあまりにはちゃめちゃすぎて、一昔前の女性の苦労がしのばれ、単純に面白がることはできませんでしたが。ずいぶん前の話ですが、北杜夫の『楡家の人びと』も面白く読みました。もっと読書体験を積めば『カラマーゾフの兄弟』も読めるようになるでしょうか。最近、やたらと手が伸びるのが、音楽家の書いた本です。先ごろ亡くなった指揮者・岩城宏之さんのエッセイはとても面白いですね~。大昔、ヴァイオリンを始めたころに『楽譜の風景』という岩波新書から出ているのを読み、強い共感を覚えた記憶があります。岩城さんは小さいころから英才教育を受けて指揮者になった方ではなく、小学生のころ病気をして、親御さんが「ふとんでおとなしくさせておくために」買い与えた木琴によって音楽に目覚めたという方なのです。最初は半音を使わないハ長調だけで、耳から入ってくる曲を弾いていたのだけれども、やがて「半音」の存在に気づき、いわゆるピアノでいうところの「白鍵」だけでは弾けない曲があることに気づきます。そして半音つきのグレードアップした木琴を演奏しているうちに、ハ長調のように「ド」で始まる音階だけでなく、ニ長調やホ長調など、別の音階を使うと、音楽にハ長調とは違ったニュアンスが生まれることにも気づいていきました。氏はやがて芸大の打楽器科に入学しますが、なんと入試の日まで、本物のティンパニを見たことがなかったそうです。机に大きな円を二つ描いて、ご丁寧に調節のネジまで描き入れて、練習していたそうな。・・・隔世の観がありますが、今のように音楽は早期教育が当然というような時代にあっては、埋もれる才能も多いのかもしれないと考えさせられますね。それになんといっても「発見の喜び」を味わいながら、音楽に魅せられていく様子の描写がすばらしいのです。『楽譜の風景』はさすが岩波新書だからか、よくまとまっていますが、その後に出たものの多くは勢いにまかせて書いているのがよくわかります。話があっちに行き、こっちに行きするのですが、それがまた味があっていいのですわ。音楽を心から愛した岩城さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
2006.09.27
2週間前から1週間1万円生活を実行しているフェリアです、こんばんは。今日は夫の給料日でしたが、な・なんと4000円弱お財布に残っていました♪ 先週の火曜日あたりに1万5000円入っていて、そこから交通費1000円+飲み会3000円の臨時出費があったにもかかわらず!です!1万5000円-(1000円+3000円)-4000円=7000円。つまり一週間の出費が7000円、ってことですよ。これがすばらしくなくて、なにをすばらしいと言うのでしょう??残金4000円弱はそっくり貯金♪しちゃいますわ♪ひみつの500円玉貯金の残高も着実に殖えております。食料品を買うのが下手で、しかも「ちっとも楽しくない」私には、3~4日に一度の買出しペースは、思っていた以上に合ってるみたいです。毎日買物に出ないですむのって、ホントに楽~。ストレスがずいぶん軽減された気がします。それにですね、余計なおやつが家にないから、夕食時にはおなかがぺこぺこで、ごはんがおいしくておいしくてたまらんのですよ。今日なんか、自慢じゃないですけど、冷蔵庫にろくなものがなかったので●ピリ辛秋刀魚(釧路の親戚から送ってきた)●キャベツとハムのオリーブオイル・塩コショウ炒め●キュウリのナムル●じゃがいもとワカメの味噌汁これだけです。ところが空腹だったので、この質素な食事がおいしくて・おいしくて~~♪息子とふたり、いつものように「なんでこういう質素なものって、こんなにおいしいんだろうね~~!」と感激しながら食べました。幸せなふたりです。・・・ついでに週に1回「パスタの日」を作れば、もっと節約できるかもねっ!!明日は息子の睡眠時データ持って通院(息子の代わりに)、帰りにヨーカドーに寄って、食料品を3~4日分仕入れてきます。ヨーカドーの中には安くて品のいいお肉屋さんがあるんだ~♪そいでもって、明日は母が透析のない日なので、家に呼んで夕食ごちそうするザマス。彼女もまた、うちの息子と同じで、なんでも喜んで食べる人です。その点、食べさせ甲斐があるといえますわね。こう考えると、けっこうかわいい人かも~~♪
2006.09.26
ほほほ、露骨なタイトルですわねえ~!爆!!でもマジで考えましたですわよ。ほれほれ、一人息子が浪人中で、どこの大学に行くことになるかわかりませんのでね~。マザコンなので、私から切り離されたほうがいいのだろうなあとは、前々から思っておりました。でもね~、入れるのは私立大学でしょうから、学費のほかに仕送りはキツイです。おまけにアタシの仕事は、昨年の年収が一昨年よりも100万円!も減ってしまい、今年はさらに昨年よりも減る見込み。のんきに洋服買ってる場合か!と自分にカツを入れ、最近は(つか先々週から)1週間の食費1万円で生活しとります。そう、私、やることが極端なのです。でもやれるものですね~、びっくりよ。3日に一度、2000~3000円くらい食料品買えば、3日はもつものだったのですね。さてさて、息子に一人暮らしはさせたいし、かといって仕送りは大変だし・・・と思い悩んでいた私、とってもいいことを思いつきました。それを実行すれば、四方八方丸く収まる、という妙案です。それは・・それは・・息子が出て行ったら、私の母・スマコをわが家に住まわせその見返りとして、生活費をもらうというものです。なんつったって、母・スマコはアタシとこなんかよりよっぽど楽な生活してます。父親の年金が多かったですからね~~!ここ数年、木造一戸建ての寒さがこたえて仕方ないそうですから、このあったかいマンションで暮らすのはちょうどいいですわよ。私が寝ている和室を母に貸し与え、私は息子の部屋に移ろうではないですか。これを実行すれば、私は親孝行娘として評判が高まり、母・スマコは安心して毎日を過ごすことができるばかりか、身内や他人様に「娘が一緒に暮らしてほしがってねえ~」と見栄を張ることができ、息子は一人暮らしが可能になります。ついでに夫は、母・スマコの思いっきり昭和してる家が大好きだそうで「あそこで一人暮らしするのもいいよなあ~」と前々から申しておりましたから、好きにすればよろしいでしょう。どうぞあのあばら家をのっとってくださいまし。このプランを母・スマコに話したら、金ヅルにされるにもかかわらず(爆!)、実にうれしそうにニンマリしておりました。こうなったら、大学卒業するまで長生きしてもらわないとね~~!!大事にしますわよ、母・スマコをば。パートに出て、よそのお年寄りのお世話してる気持ちになれば、どうってことありませんわ。おしゃべりなので、きっとウザいと思いますが、もう背に腹はかえられません~~!!
2006.09.25
フェリアです、こんばんは。本日は、母親&息子を連れて、妹・Aの家に行き、夕食をともにしました。夫は飲み会だったので、食事のしたくが不要でした。ラッキ~!うちの息子は昔からよく食べる子です。産後6日目に退院するとき「よく飲む赤ちゃんよ~!一度に60CCもミルク飲むから、育てやすいわよ~。おなかいっぱいになると満足して寝るし」といわれました。新生児が一回に飲むミルクの量は20~30CCが普通なのだそうです。つまりうちの息子ちゃんは単純にいって「よその子の倍」飲んでいたわけですわ。私、本当に、この子にものを食べさせるのに苦労したことがありません。離乳食も大好きでした。口に運ぶのを待っていられなくて「うぉ!うぉ!」とわめいて要求するのです。私が食べさせるのを見ていた夫が「ペースが早すぎる。のどをつまらせるだろ!」とうるさいので、「じゃあ、アナタがやってみなさいよ!」と押し付けたことがありました。・・・夫も驚いてました。ホントだ。こいつ、スプーンに食らいついてくる~!それ見たことか!好き嫌いもなくて、カボチャのミルク煮でもキャベツのすりおろしにミルクまぶしたのでも、ちょっと月齢がいってからは、ひき肉団子のスープ煮でもなんでも食べました。1歳半すぎたころには、焼き魚だろうがひじきだろうがなんでもこいで、大人と同じものを食べていた記憶があります。めんどくさいので幼児食を作らなかっただけなのですが、ご近所の年長の奥様には「大人と同じものを食べられるようにしつけて、えらいわね~」とホメられましたわ・ほほほ♪小学校1年生のときには、名台詞を残しました。ママのつくるものも おばあちゃんのつくるものも ぜんぶおいしい。ママがしんだら あたらしいママがきて おいしいものつくってくれたらきっとあたらしいママのことも すきになるとおもう。・・・簡単に餌付けされる男である・・・今になると、ミルクをよく飲む子は育てやすいってのはホントかもね~、と思いますね。つまり気難しくないってことなんですよ。ものすごい親子喧嘩して、ぷん!とふくれてたとえ夕食を食べなかったとしても、最終的にプライドより食欲が勝つのですわ。絶対に自分の部屋からノコノコ出てきて、キッチンから夕食もってきて食べ始めます。「ね~、おいしいでしょ?」と聞いたら、もう仲直りですわ。「ふん!」と口では言っても、おなかが満たされた時点で怒りは解けてますからね~!外食に誘うのもいい手ですね。どんなに激しいケンカしたあとでも「食べに行くけど、来る~~???」って聞いたら、絶対について来ますから・爆!!・・・食の細い子は、どうやって機嫌直すのかしらん??不思議・・・
2006.09.24
昨日の日記にたくさんのコメント、ありがとうございます~♪あとでゆっくり返させていただきますね。・・・さてさて、玄関のカギをあける「カチャッ」という音がしたとたん、廊下に仁王立ちになって子どもを迎えた私。「大事な話があるから、こっち来なさい」と言って、ダイニングテーブルにつかせました。「怒ってるわけじゃないからね。事情を聞きたいだけだから」と前置きをば。私「どうなのよ?勉強のほうは?やる気でないの?」息子「いや、今はけっこうやれてる。 少なくとも、夏前よりはだいぶ」・・・意外じゃん!私「これを隠してたのはどういうこと?」息子「・・・あ・・・! だってこれはあんまりひどい成績だから・・・」確かに、一流大学受験する子が「偏差値50程度」になる模試だから、無理ないか。無駄にハイレベルな模試は受験するな、って言ったのにさ~!私「まあ、この模試はレベル高いからね。 この成績にこだわっちゃいけないよ。 がっかりすることないんだからね!」突然、励ます側に回る私・爆!私「だけど、今のあなたの生活ぶりは、どう見ても切羽詰った受験生の それじゃないよ。 どんなレベルの大学入れるかはわからないけど、そのたらんとした やり方のまま入ったら、間違いなく後悔する。 とことん力尽くして入りなさい。 そのためには、インターネットや漫画やテレビ見るのにかける 時間はどうしたってけずらなくちゃいけない。 お父さんの部屋のパソコンは、日中、私が隠します。 私のパソコンは、私の留守中、やはりコードを隠しておきますからね」息子「・・・うん・・・・わかった・・・」素直ないい子なんです、基本的に。私「ところで、書き込み式の予備校のテキストが 全部白紙ってどういうこと?? 勉強してないんじゃないの??」息子「だってノートに問題やってるんだもん」私「疑うようで悪いけど、じゃあそのノート見せて」見せてもらったらやってあったわ。けっこうまともに。頭に入ってるかどうかはわかんないけど。私「わかった。疑ってわるかったね。 古文と漢文は大丈夫?? 必要があったら教えるからね。 世界史や英単語の暗記するときも、誰か読み合わする 相手が欲しいときは遠慮なく言いなさい。 何を差し置いても協力してあげるから」息子「わかった。ありがとう」今、息子はマンガ本を紐で縛り上げてます・笑!本人の言うことを信じるしかないわよね~~~!!!!
2006.09.23
本日、うっかりと子どもの部屋をのぞいてしまいました。腹が立つのがわかっているので、なるべく見ないようにしていたのですが、うっかりと。・・・もう絶望的かもしれません。あれは間違っても受験生の部屋ではないです。勉強をやっている形跡がない。うすうす気付いてはいました。そもそも生活態度が受験生ではないことに。だいだい、うちの子どもは物事全般をなめすぎています。まだ社会に出たくないから大学行く、というのはまあいいでしょう。私だってこのバカ息子が(ああ!ついに言ってしまいました!)、世の中で通用するとは思えません。時間稼ぎは間違いなく必要でしょう。腹が立つのは、勉強もしたくないくせに大学受験するとほざき、親に余分な金を出させて予備校に通い、にもかかわらず少しも勉強してる様子がない!ことですよ!!!子どもっぽいというのかなんというのか、自分で道を拓いていこうという気概がひとつもない。予備校から保護者あてに送られてくるはずの成績表が、いつまでたっても届かないと思ったら、ベッドの上にありました。この成績じゃ、親には見せられますまい。子どもが帰ってきたら、この怒りを抑えて、とりあえず話し合いをすることにします。もうパソコンは一さわらず、漫画本は全部縛り上げて読めないようにするなど、本人が自制して、勉強だけに気持ちを向けるしか、解決策はないでしょう。残された時間はセンター試験まで4ヶ月弱。それがやれないなら、大学行こうなどと考えないほうがいいでしょう。受験料の無駄というものです。怒怒怒怒怒怒怒怒!!!!!!!!
2006.09.22
ここのところ、くだくだと解決のつかない悩みを吐き出していた私ですが、いやもう悩んでいる場合ではなくなってきました。いつもの仕事の修羅場で。今月末に締め切りのある本の原稿がまだ90ページ分、書かれないまま残ってるってどうよ??銀行の預金残高に頭を悩ませる前に、手を動かして書けよ、って話ですわね。変なところで集中力を発揮する私は、日ごろはほとんど悩みなく過ごしているのですが、一度考えだすと止まらなくなるのです。そして意外なことに「最悪の事態」を想像するクセがあるみたい。楽天的なんだか悲観的なんだかわかりゃしない・汗!いったん、好転の兆しが見えると、また調子こくのですが・笑!先日、お風呂に入っているときに、本の企画を思いつきました。音楽系の本の企画です。考えていたら夢がどんどん広がりました。あんな内容も入れよう、こんな内容も入れよう・・・♪本日、夫に話しましたら、たいていのことにケチをつける彼が「そりゃいけるかも!」と言うではありませんか!病気関係の本を書くのが私の使命!と思い、まず第一弾はそれでいこうと思っていたのですが、どうも健康な編集さんにはウケが悪いのですわ・・・病気してない人って、全然切実感がないのね。そんなものかもしれません。私だって、膠原病になる前は「難病??はああ~??」ってカンジだったもんね。潰瘍性大腸炎の患者さんの取材をしたことがあったけど、彼女のつらさを全然わかってあげられなかった・・・申し訳ないことをしました。なので、まずは「楽しい」音楽の本からやってみることにしますわ。病気の本は第二弾目ってことで。でも、その前に、手持ちの仕事終えろよ、って話だわね~!ああ~~、がんばります!!
2006.09.22
夕方、犬の散歩に出たとき、やたらと涼しいなあと思ったら、もう9月も終わりに近いんですわねえ。月日のたつのが、なんと早いことでしょう。昨日の私がしたことと言ったら、ヴァイオリンの演奏と添削と洗濯と食事のしたくだけ。それと犬の散歩ですか。特筆すべきは、まったく偶然にも、昔の知人ふたりの消息を知ったこと、でしょうか。ひとりはミクシィで。なんの考えもなく見に行ったところが、20年以上前の知人のところだったのですわ。いやはや、当時大学生だった彼も、立派な社会人でございます。もうひとりはテレビで。古●さんが司会を務めるあの有名なニュース番組で、大学教授としてお話をした人です。大学の同級生で、出世頭と言われている人。たまにテレビに出ているという話は聞いていましたが、見たのは初めてです。大学を卒業して以来、会っていなかったので、突然いい年したおじさんになって登場した彼に、唖然・呆然!中年太りしていなかったのは立派といえるかも。ああ、私もがんばろう!世間的にえらくならなくてもいいから、日々満足して「ああ、今日も幸せだった」と思いながら生活したいものです。
2006.09.21
フェリアです、こんにちは。昨日、銀行へ行き、お金をおろして記帳したあと、錯乱状態に陥った私ですが(爆!)、夜、心を鎮めて計算してみました。何をって??お金ですわよ、お金。お金の計算するのは久しぶりです。子どもが小さかったころはよくやったんですけどね。だってほら、幼稚園て、私立の場合、意外にお金かかるじゃないですか。私は当時、予備校の模擬試験の採点とか、作文の添削とか、あれこれ在宅で出来る仕事をしておりました。団塊ジュニアが受験のときにあたっていたので、多いときはけっこう収入になったと思います。私がライターの仕事を始めたのは、子どもが年長組になる年ですが、しばらくの間、生活費の計算をしては、収入額の目標を決めたりしてましたわねえ。その後、仕事が順調だったこともあり、まったく計算しなくなりました。しかし! 一昨年に比べて昨年の年収は100万円の減少です!今年はもっと少ないかもね~~!しかも、2年前、夫の親が相次いで病気したため、度重なるお見舞い等で、出費がかさむ・かさむ!昨日、銀行行って仰天した私、実に久しぶりにお金の計算をしてみました。・・・ギョッとするほどずるずる引き出して使っていました・・・こりゃ残らんはずだわ。でも、私の仕事が思いっきり減って、再び扶養家族に戻ることになったら、それはそれでやっていけることがわかりましたわ~。あ~、一安心。やっぱ、主婦の場合、ハンパに稼ぐのが一番ソンですね。国民年金と国民健康保険料だけで、毎月2万5000円は吹っ飛んでますからね。それに自分で払ってる生命保険&個人年金が2万円。いざとなったら、これも払い済みにしちゃえばいいか。ああ、もうデパートの「お買物券・お積み立て」もやめちゃおうかしら。でも贈答品買うのに役に立つのよねえ~~!
2006.09.20
こんばんは。一日に何度も更新しております。せっかく本日は上機嫌だったのに、銀行行ってお金をおろし、記帳したら、すっかりブルーになっちまいましたわよ。ああああああ~~~~~~!!!!!!誰か恵んでくれ~~~~~!!!!!!でもどんなに叫んでも「金のなる木」に応えてもらえない私は、やけくそになって名刺の束をひっくり返し、何軒かに営業電話をかけてしまいました。つか、こんなことするより、手持ちの仕事を終えるのが先決!なんですけどね~!まったくさあ~、フリーの仕事って、不断の営業活動してないと、仕事が減る一方だからいやになっちゃうよ~~!こんな落ち着かない仕事(収入的に)やってられないから、いっそのことパートにでも出たほうがいいのでは?という考えも頭をよぎります。とりあえずやれることは「必殺!節約生活!」ってやつですか~!そういえば、先週火曜日に友達のミサコさんと会ったあと、な・なんと私、一週間で1万円しか生活費を使ってません~!食料品の買い出しを2~3日に一度にして、外出しないで家でヴァイオリン弾いて仕事してれば、こんなにお金ってかからないものだったのね~~~!!!・・・・というわけで、本日も3日分の食料品を買ってきました。明日・明後日は買わないぞ~~!!!!私の購入ポイントは以下の4つ。●野菜は持ちのいい根菜類を中心に買う●魚は北海道から送ってきたのが2日分くらいあるので、肉を中心に購入●こんにゃくと厚揚げはそれぞれ2分の1にカットして、煮物2回分に使用する●お菓子は買わないっ!!!みなさんの節約ポイントも教えてね~~!!!
2006.09.19
おはようございます。フェリアです。就寝時刻が3時だったにもかかわらず、昨日、お昼近くまで爆睡したためか、あるいはこのところ多いように「死んだように」深く眠ったためか、案外、早い時間に起きられました。しかもうれしいのが、今日までに「送ります、必ず!」と約束していた単行本の「まえがき」&「第一章」が、たった今、終わり、ちゃんと担当さんのもとに送ることができた、ってことです~!あ~、よかった!! 今回のは第一章が最大の難関だと思っておりましたが、どうにかこうにか形になりましたわ。内容は明らかにできませんので、今イチわかりづらいかと思いますが、お許しを。久しぶりに空も晴れ上がり、お洗濯もできますわねえ~!つか、わが家は全自動乾燥洗濯機を使っておりますので、どんなお天気でも洗濯はしちゃうんですが、やっぱり外干しが気分いいですもんね♪さ、これからもうひとつの仕事=小論文の添削、を何枚かやって、お金おろしに行って、買物して、実家近くで借りてる駐車場の料金を払ってこなくては。そのあとはヴァイオリンのおけいこかしらん??とりあえず、再難関が形になって、気分はサイコ~!まだまだ書かなくちゃならないけど、がんばりまふ♪
2006.09.19
昨日、バカみたいにお昼ごろまで眠ってしまったので、こんな時間なのにち~とも眠くなりません。これがよくないのはわかっているけど、疲れると眠っちゃうんだもん。睡眠時間は確実に長くなってます。つか、ホント「むさぼるように眠って」ます。これはあんまり楽しい予測ではないけど、おそらく膠原病によるものでしょうね。私は自分の体のことがあんまりよくわかりません。たとえば「おなかのすき具合」について。バカみたいですけど、私、自分が「どのくらいおなかがすいているのか」食べ始めるまでよくわかんないんですよ。食べてみて初めて「すごくおなかがすいていた」ことに気がつくのです。疲労の度合いも同様です。むさぼるように眠り、寝起きがつらくて初めて「ものすごく疲れていたことがわかる」のです。もっと尾篭な話をしますと、お通じがいつあったか、とかいうことにも頓着していないので、よくわかんないんですよね。・・・ただの「バカ」ですか・・・???汗!!!ところで突然話は変わるんですが、昨日の日記にコメントしていて、子どもを生んだ30歳からこっち、必死で駆け抜けてきて、ほんとうに面白い人生だったよなあ、とつくづく思いました。何度も書いていますが、何しろ私、全然節約というものができない女で、しかも結婚相手が高給取りとは言いがたかったため(失礼!)、「欲望に財布を合わせる」をモットーに仕事を続けてまいりました。必然的に私の30歳からの人生は「どう生きるか=どんな仕事をして生きるか」となったのです。でもって、資格取ってみたり、営業してみたり、いろんな人と組んで、いろんな媒体で仕事をするようになりました。本当に悔しかったこともありましたし、実際、ガマンできずにブチ切れたこともあります。いわれのない侮辱を受けたこともありました。ぎりぎり崖っぷちに立たされたこともあります。仕事のないつらさも味わいました。でも、それも全部含めて、ものすごく面白い経験をしたと思いますね~。全然後悔はしていません。35歳からこっち、仕事!仕事!と思ってやってきました。でも今はちょっと方向が違ってきたかも。膠原病という持病もあることですし、40代初めのころのようにはやりたくてもやれないと思います。「できるだけ多く稼ぐ」ことよりも、無理のないようほどほどに、というやり方になっていくことでしょう。それにまた、私自身も仕事以外のことをもっと楽しみたいという気持ちが強くなってきています。ヴァイオリンを再開したのが大きいかも。これからの人生が楽しみです。・・・と思えるようになったあたり、先日よりもかなり元気になってますね<私。
2006.09.19
三連休の最後の日になりました。疲れは極致です。夫と子どもがいるから・汗!なんでこう、家の中に人がいるとうるさいのでしょうか。一人でセイセイしていられる平日の昼、私は本当に幸せでございます。明日、こやつらが出て行ったら~・ヴァイオリン思いっきり弾いて~・ついでに借りてきたビデオ「レッド・ヴァイオリン」を見て~・ユ~ガに一人でコーヒー飲んで~・思いっきりくつろいじゃうんだもんねっ!!ついでにお部屋もスカッ!と片付けるわさ!ところで、弦楽アンサンブルの団員を募集している「バッハの森」に電話してみました。主宰者の聖書学者の男性が、とっても丁寧に対応してくださって、感激・感激!今のところ、ヴァイオリンが一人、チェロが一人だそうですが、日本フィルのヴァイオリンの方(とてもいい方だそうです)が指導してくださっているそうな。バッハの森は聖書学と宗教音楽を学ぶ私塾ですが、キリスト教の信者であるか・否かは問われません。私はクリスチャンではありません。大学だけキリスト教でしたが、神を信じるか・信じないかはともかくとして(よくわかんない・汗)、「他者のために祈る」という点にはおおいに共感できます。つか、私がキリスト教系の大学に行って受けた影響としては「他者への祈り」がもっとも大きいものだったかもです。私が今のところ、いちばん好きな小説は、ツルゲーネフの「はつ恋」ですが、それも33年ぶりに読み返して「他者への祈り」にあふれていることに気がついてからのことですもん。「他者への祈り」は、私の人生のテーマでもあります。イコール、私のヴァイオリンのテーマってことでもありますわね。ああ、バッハの森、楽しみです~!今週は子どもの高校のママ友たちと飲み会(蛇皮線のあるお店でやるので、絶対に今度は弾いてやる~!)なので、デビューは来週になっちゃいますが。
2006.09.18
若いころにもどるなんてまっぴらごめん、という人が多いみたいですが、私はどちらかというと「やり直したい派」かもしれません。それもどうせなら中学1年くらいからやり直したいですね。小学生のころまでの自分についてはまったく反省がありません。野ザルのように、勉強のことなんか一切考えずに、ひたすら遊べたのは、幸せという以外のなにものでもなかったと思うので。実際のところ、中学時代も楽しかったですけどね。野山で遊ばなくなったかわりに、テニス部に入って、夏期はテニス三昧でした。夏休みなんか、9時にテニスコート行って、お昼に一度家に帰ってごはん食べて、また午後からテニスコート行って、帰宅するのは夜7時半、という生活でした。毎日50円くらいお小遣いもらって、ソーダキャンディー食べるのが楽しみだった~~!ガンガン日焼けして健康そのもの! 30年後に膠原病を発病して、日光に当たれなくなるとは、まったく想像もつきませんでした。当然のことながら、勉強はまったくしませんでした。中学2年の夏休み明けに、1学期に習った数学の「連立方程式」をすっかり忘れているのに気がつき、あせりまくりました。・・・ま、そんなふうに楽しい中学時代だったわけですが、今、もし人生をやり直せるとしたら、私は中学生になったころにヴァイオリンと出会っていたかったと思います。テニスはお遊びでやるにはよかったですが、何しろ私、運動神経はひどく悪くはないものの、それほどいいわけではないので、上達もしませんでしたし、体育会的な厳しさの中では続けられなかったのです。もっと勉強しっかりやっていればよかった、というふうにも思いませんわ、あんまり。頭使う仕事がそれほど向いているとも思えないし。やっぱり私にはヴァイオリンです、ヴァイオリン!ヴァイオリンとともに青春時代をすごすことができたら、どんなによかったかしら。ところで、私の家から車で(推定)40分の距離に「バッハの森」という聖書と教会音楽について学ぶ私塾があります。な・なんと!そこに弦楽アンサンブルができるそうで、メンバーを募集しているのですよ~!バッハ!! そして弦楽アンサンブル!どうしてこれを見逃すことができるでしょうか。一度、見学に行かなくては!!ふふふ♪ 青春をヴァイオリンとともに過ごすことはできませんでしたが、第二の青春はヴァイオリン三昧にしますわよ~♪
2006.09.17
今日はさわやかな一日でしたね~。私の心もさわやかです。朝起きて一仕事(原稿書き)したあと、お昼ごろに夫・子どもとともに、従弟の娘・小学校2年生の運動会へ行き、お弁当ごちそうになりました。「食い逃げ」する予定だったのですが(爆!)、なんかさわやかで気持ちよかったし、叔母や従妹たちとの話も楽しくて、そのまま午後の部を見ることに。小学校3・4年の子たちの「親子二人三脚リレー」は面白かった~!どの子も親としっかり肩を抱き合ってねえ。きっといい思い出になるのでしょうねえ。私が思い出すのは、子どもが小学生のころ、6年生の親子が出場することになっていた「親子対抗・かけっこ綱引き」かな。その名のとおり、親と子が対決する競技で、校庭の対角線上の端と端から走って綱のところへ行き、そのまま綱引きに突入する、というものです。あわせて3回行うのですが、親の先頭集団を父親・母親・父親、という順番で入れ替えて行うことになっておりました。小学校6年生というと、かなり体がしっかりしてきていますから、母親が先頭集団になった回は、子どものほうが勝つのですよね。父親が先頭集団だと、まだ親のほうが強いので、結局、毎年、その競技は親の勝ち、となるのです。自分の子どもが5年生のときまで、私はその競技を見るたび「大人気ないなあ。親が子どもに勝ちをゆずってやればいいのにさ~」なんて思っていたのですが、ところがどっこい、自分たちが子どもと対決するとなると、そんな気持ちは吹っ飛ぶのですね・爆!もう必死!!!母親が先頭集団の回は負けたけど、父親が先頭集団になる回は2回とも勝利を収めたため、結果として親が勝ちました。「ほ~ら、見てみなさい。まだまだあんたたちには負けないよ!」みたいな気持ちでしたわ・ははは~!5・6年生の組体操のテーマは「地球の生命」地球の誕生~海ができて生物が登場~恐竜時代~人類の誕生までを、表現したものですが、「えらい!よくがんばったね!」と声をかけてあげたくなるくらいの出来でした。退場するとき、ひょうきんな男の子数名が、ピースサインや投げキッスをして走って行きました。かわいいね~!最後は運動会の花形、紅白対抗リレーです。みんな感心するくらい早いのよねえ~!アンカーは6年生男子です。1位の白組の男の子に10メートルくらい差をつけられて2位でバトンを受け取った赤組男子に見覚えがありました。犬の散歩で通る公園で、友達とサッカーをしているハーフの美少年です。組体操を終えて退場するとき、投げキッスをしていったのも彼でした。顔がかわいくてスタイルがいい上に、運動神経もよかったのですね~。そして走り始めたら早い・早い!!50メートル過ぎたあたりで1位の子に追いつき、あっという間に抜き去って、1位でテープを切りました。小学校最後の、サイコーにすてきな思い出になったことでしょう。彼のように学校のスター的存在の子もいれば、目立たない子もいます。でもどの子もみんな、元気で大人になってもらいたいな。そしてそれぞれに幸せな人生を歩んでもらいたいものです。子どもが一生懸命になる姿を見て、なんだか私も非常に「熱い気持ち」になりました。若い力っていいものですね~♪ 今日は本当にいい日でした♪
2006.09.16
人の力、正確に言えば人と接することで得られる力というのは、侮れないものですね。私、昨日の夕方、母と子どもを連れて、妹・Aの家へ行ってまいりました。妹・Aの家はうちから車で早ければ5分で着く距離です。頼みたい仕事もあったし、姪っ子(中学1年)の顔も見たかったし、何よりも、母が妹に夕食をご馳走になりたそうだったので。で、彼女の作ったクリームシチューをご馳走になりました。めっちゃおいしかったです♪そしてですね、このところの不調(仕事をめぐる)ですっかりブルーになり、こんがらかっていた私の気持ちが、近親者であるところの彼女らと接することによって、するするとほぐれて、明るい方向に向いてきたのですわよ。そういえば、子どもがまだ幼稚園に通っていたころ、よくそんなことがありました。私は何しろ昔から「自己実現病」にとりつかれた女ですから、子どもが幼稚園に行っていたころ、採点の仕事などをしながら、いつも自分の将来について考えていました。でもそんなに簡単に答えなんて見つかりはしないのですよね。当時は今より集中力がありましたから、必死になって、集中的に考えるわけです。私は何をしたいのか、どうありたいのか、どう生きていきたいのか。考えると疲れてきます。・・・でもって、ちょうど疲れたころに「バスのお迎えの時間」がやってくるわけですわ。バス停には同じマンションや近所のママ友がお迎えを待っていて、自然と雑談になりますわね。これがものすご~い気分転換になったのです。さっきまで「自分の将来!」なんて思いつめていたのが、ふっと楽になるのですね。私はこれを「人が運んでくる気の流れ」と呼んでおります。人と接するのってホントに大事。だって煮詰まった状態から、解放されるきっかけになるんだから。別に「自分の将来」についての悩みではなくても、ちょっと気持ちが沈むことってありますよね。でも買物に行って、ママ友に会い、ちょっと立ち話をしたあと気分が変わってた、なんてこともしょっちゅうです。私も人と会ったときはさわやかに接して「ああ、あの人に会ってよかった。どうってことないけど、気持ちがすっとした」って思ってもらえたらすごくうれしいです。昨日はありがとね~、妹のAちゃん♪
2006.09.15
私も気分にムラがあるときがありますが(だいたいツイてないときだけどね)、私の子どももかなりのものです。今、浪人しているので不安なのでしょうねえ、きっと。昨日は強気な発言をして、私をうれしがらせてくれたと思ったら、今日は「もうダメな気がする」そうです。あ~もう~~!!いちいち口に出すんじゃな~~い!!!!よく人のことを「あの人は強い」とか「あの人は弱い」とか言いますが、そういう見方って合ってるのでしょうかねえ? 私はちと懐疑的です。というのも、私は長いこと、自分の母親を精神的に非常に弱い人だと思い込んでいたのですが、ところがどっこい、とてつもなく強いことにここ数年で気がついたからで。それも父が亡くなってから、です。父が非常にマメで、ガンを発病しているのがわかるまで、完全な「健康体」だと本人も周りも思っていたくらい、よく体の回る人だったのです。母はずっと糖尿病・高血圧だったので、体調が悪かったため、父は70歳で完全に引退してからというもの、掃除・洗濯・食事のしたく、全部やっていました。母は一度も外で働いたことがなく、世間知らずで、父がいなくなったらどうなるだろう?と思っていたのですが・・・・・・強いっ!! 何よりも「自分のせいで夫が早くに亡くなった。自分が弱かったから、満足に看病もしてあげられなくて、かわいそうだった」とまちがっても思ったりしないところが強いっ!!私だったら、自分を責めてウツっぽくなりそうな気がするんですけど。私は父親っ子だったので、父が死んだらどうしよう!泣いて泣いてすごいことになるわ!とずっと思っていました。父が死んだときは本当に悲しくてショックで、わーわー泣き、その後、半年間、毎朝寝起きにしくしく泣いてました。ここだけの話、死んだのが母だったらこんなに泣かなかったかもね、と思ったくらい←内緒!・・・しかし、今ではあの強い母が生き残ってくれてよかったと思いますねえ。何せ気楽ですわ、遺されたのがあの母だってのは。彼女は一人でガマンなんかしやしませんからね。してほしいことは要求してきますから。彼女の気持ちを「忖度する」とか「思いやる」とかいう必要はないし、必要以上に胸を痛めることもないのですわよ。父はガマンする人でしたから、母に先立たれていたらかわいそうだったかも。話はがらっと変わるんですが、昨日、いつもの病院、つか正確には病院の隣にある薬局(私は持病を持ってます<膠原病)に薬をもらいに行って「ここで使ってくんないかしら?」なんて思っちゃいました。確か前のパートさんたちもワークシェアリングしてたみたいだし・・・これまで見かけた方たちは私より年上っぽいし。ってことは「勤務は毎日でなく、年齢制限はゆるい」ってことだもんね。薬剤師さん3人はみんなすごくいい人だしさあ~!同じ病気の患者さんとお話するのも楽しそうだし。・・・いろんなこと思いついて困っちゃう・・・汗!でも、まず、手持ちの仕事を片付けてからにしよう・・・・
2006.09.14
ああ、言い尽くされていることですが、人生、山あり谷ありですわねえ~!ここんところの私、仕事運が今イチでございます。アテにしていた仕事がぽしゃったりね~。でもこれは「本当にしたいことを形にせよ」という神の思し召しかしら・・・と思ったりして。とりあえず手持ちの仕事が終わったら、今度は企画持ち込みをしてみますわよ。サンプル原稿書いた上でね。お天気も今イチだし、アテにしていた仕事は決まらないしで、すっかりくさくさしていた私ですが、ヴァイオリンの練習はいい感じに進みました。今、大好きな♪無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番ジーガをやっているのですが、この後半部分に臨時記号がやたらと多く、なかなか思うように弾けずに、ここ数週間、足踏み状態が続いていました。それが、今日は「かなり形になってきた」のですわよ~!ヴァイオリンは湿度に敏感な楽器で、晴れた日と雨の日では響きが違います。晴れて湿度の低い日はよく鳴り、雨などで湿度の高い日は音が曇ります。先日あたりの晴れにもかかわらず思いっきり湿度が高かった日、音は思うように出ないは、うまく弾けないはで、くったりしておりました。エアコンつけっぱなしで、ずっと除湿していても、外気の湿度がわかるほど、ヴァイオリンは敏感なのです。・・・でも今日はどういうわけか、調子よかったですわ。つい夢中になり、2時間くらい練習しちゃいました~♪もっともっと上手になってレパートリーが増えていったら、どんなに楽しいことでしょう。ヴァイオリンの何が好きといって、自分の心を投影できるのがいちばん好きです。いえ、投影ではないかもしれません。「自分の心の曇りをとって、透明にしてくれる」といったほうが正しいかも。たとえばささくれ立った気持ちで弾いたとき、それが音に出るというよりも、弾いているうちに気持ちが静まって、もとの自分にもどることができるのです。弾けば弾くほど、心は澄んでいき、最後は「ああ、よかった」というところに行き着きます。この場合の「ああ、よかった」というのは、今日もヴァイオリンが弾けて幸せだったという気持ち、ですかしらん・・・??こうして今日も私は元気を取り戻し、また明日もがんばろう、という気になるのでした。ああ、明日もジーガ弾くのが楽しみだな~~!この曲が終わったら、来年の発表会に向けて、パルティータ第3番のプレリュードに挑戦するつもりです。イェイ!
2006.09.13
今日は友達と銀座で会い、久しぶりにキハチ・チャイナに行きました。ランチ、とってもおいしかったです~! でも10月15日で閉店してしまうんだって。あんな立派なビルにしちゃったから、採算取れなかったのかなあ・・・雰囲気もいいのに・・・残念!友達はここ数年、ヴィンテージ・アクセサリーにはまっています。今日もとってもステキなのをつけていて、彼女が銀座にくるたびのぞくというアンティークモールに連れて行ってもらいました。いいわあ~~! ホントにすてきです~! ヴィンテージのアクセサリーやバッグ。1950~60年代のアメリカのものはヲサレですわね~。私はマイ・ブライス(注・着せ替え人形)に振袖を作ってあげたくて、古いはぎれを買いました。紫色に花模様よ♪・・・でも作れるのかしらん??? 型紙さえあればOKなんだけどね~! 探さなくちゃ。ホテル西洋銀座でマカロンとコーヒーで一休みしたあと、三越でふたたびウィンドウ・ショッピングをしました。・・・でもさあ~、たいして欲しいものもないのよねえ・・・私は昔から「着る」のが好きで、服が欲しくなかった時期なんてなかったはずなのに・・・気がついたらあなた、私、ここんとこ「何を着るか」考えるのがめんどくさくて、犬の散歩&買物に出るときに「5日間連続同じ服」着てましたわ~~!この夏、出した夏服の20%くらいしか着てませんわ、たぶん。1回着たら、いやでもしまう前に洗濯しなくちゃならないから、それもめんどくさくて~~!同じくらいの年齢の友達が「最近、どんな服買っていいのかわかんない」ってよく言ってますが、私も次第にそうなりつつあるのかしらん・・・洋服の管理に時間とエネルギー使うなんて、バカくさいという気持ちが芽生え始めております。今日見た中でいちばん欲しいと思ったのは、鳥獣戯画の絵が描かれたご飯茶碗です。1575円(たしか)。最近の私はお洋服よりも、器に目がいっちゃいます。銀座三越の食器売り場はさすが!品のいい器がそろっておりました。ああ、こんないい器使って食事して「生活の豊かさ」ってやつを実感したいものだと思いました。さあさあ、明日からまた「普通の毎日」を楽しもうっと♪
2006.09.12
セクハラ・無能オヤジの仕事がぽしゃり、土日が入ったらすっかり気抜けしましたわ。この土日、私と敵同士のように口げんかする夫も留守でしたしねえ。当面、いつもの仕事で食いつないでいくようにしますわよ。ちょうど、また単行本の仕事が一冊入ってることですし。9月はこれに専念しろってことでしょう、きっと。今、手持ちの単行本が終わったら、いよいよ自分の本の準備ですわねえ。構想はできあがっております。高校生の小論文の添削は、ちょっとの間仕事がなかったのですが、また出てきました。新聞広告に募集が出ていたところを見ますと、この市場は今後大きくなりますわね、きっと。なんたって、大学全入時代(大学の定員と志願者数が、数の上で同じになる)ですから、どこの大学も学生集めに躍起です。息子が高校在学中、早●田大学見学、というのがPTA行事でありましたが、昔はたいそう強気だった同大学が「ぜひぜひ受験してください。入ってください」という姿勢で、驚いたそうです。もちろん「受ければ入れてくれる」わけじゃないすけどね・汗!まして地方の中小私大においてをや。早い段階で学生を確実に確保したい大学は、当然のようにAO入試を含む推薦入試に走りますわよねえ。勢い、小論文の需要が高まるというものですわ。一枚あたりの単価がもうちょっと高いといいんだけどね~! やっぱ他の仕事とぶつかったとき、しんどい思いをしないですむ程度の枚数を、こなしていくべきかしらん・・・やめるのはもったいない気がするし。セクハラ・無能オヤジにこき使われるわけじゃないんだからさ←根に持ってる??・爆!・・・日記友達のところへ遊びに行ったら、受験期の子どもさんがのんきで腹が立つ、とありましたが、いやもうそのお気持ち、と~~~ってもよくわかります!!!ご立派なこと言って浪人させてもらって、あの生活態度はどうでしょう??私なんか大学受験のときは、目の色変えて勉強しましたわよ~! 学校群制度下のろくでもない都立高校(ぷんぷん!)で、おまけに親が高校2年の夏にこんなど田舎に家を買ったものですから、通学時間の片道が2時間!ですわよ!そのろくでもない、ちっともアテにならない都立高校に通いながら、もちろん予備校なんか行ってる時間の余裕はありませんから、全部ひとりで考えて計画立てて、目の色変えて受験勉強に専念した私は、はっきり言って、今の息子よりも「ずっとエラかった」と思いますわよ。少なくとも目標を持ち、実行したことに関してはね。でもこういうのってよくないんだってね。自分を引き合いに出しちゃいけないんだってさ。だけど言いたくなるよ!絶対に言いたくなる!! 声を大にして言いたくなるね!!「少しは自分の恵まれた環境に感謝しろよ!!」ってね!
2006.09.11
1本目の日記のタイトルが「お気楽だったころ」となっておりますが、今も相変わらずお気楽な生活をしておりますわ。子どもの将来が、当時よりは気にかかるようになった、というだけの話で。昨日は母&母の妹=私の叔母のふたりを呼んで、夕食会をいたしました。きょうだいってのはいいものですわねえ、母と叔母を見ていると思います。10歳違いですが、このふたり、よほど縁があったのか、私が子どものころ、東京に住んでいたときに、叔母は社宅から5分とかからない距離に住んでいた人と結婚したのです。まったくの偶然でございました。その後、私たちは札幌に転居しましたが、6年後、再び東京に転居することになり、前回と同じ社宅に入ったので、またまた叔母とは「ご近所さん」になりました。さらにその2年半後、父の勤めていた会社が売り出した不動産物件を、私の親&叔母夫婦が購入したので、とにかくもうずっと・ずっと・ずっと!叔母とは近くに住んでおります。私の家では3年前に父が亡くなったのですが、叔母が母の家の2軒裏に住んでいてくれるので、ホント~に心強いですわよ。毎晩、なにがしかおかずを作って持っていってくれているみたいです。昨日は私の夫が不在だったので、身内の女三人で、ベタな身内話を堪能いたしました。やはり母と叔母がふたりそろうと、母たちきょうだいが生まれ育った故郷・樺太の話になりますわねえ。昔の話というのは、何度しても飽きることがないのでしょう。私も最近、非常にこのふたりに似てきまして、妹・Aに会うと子ども時代の話、それも心に残る札幌時代の話になります。今後、ますますその傾向は強まっていくのでしょうねえ。ああ、樺太、サハリン!最近、サハリンツアーなんてのが出回るようになってまいりました。一度は行ってみなくてはなりますまい。昔の北海道が残っているそうでございますからね。
2006.09.10
昨日、子どもの小学校時代の同級生のお母さん仲間に、近所のスーパーで会いました。たぶん4年くらいは顔をあわせてなかったのではないかしらん?そいでもって今どうしてる、とか、これまでどうだったとかいう話になったのですが、いやはや、私、子どもが中学生のころまでは、全然心配らしい心配をしたことのない、とってもお気楽な母親だったのよねえ、ってしみじみ思ってしまいましたわよ。きっと同じ状況でも心配する人はするのでしょうけれども。私の子どもは昔からプーちゃんだったし(太ってたってことよ)、運動神経は今イチだし、成績も取り立ててよかったわけでもありませんからねえ。でも私はホントに心配してませんでしたわ、なんにも。そりゃ不満はありましたわよ。高いお金出して塾にやってるのに、宿題を何ひとつとしてしない、とかね。ワークブックその他、学校の宿題を提出せずに、いつも先生に叱られる、とかね。でもそれらは私にとっては瑣末なことでした。私は子どもが、そうはなはだしく学力的に劣ることなく、元気に楽しく学校に行って、友達と仲良くやってくれさえすれば、それで満足だったのです。が、子どもの高校時代にそれは崩れ去りました。子どもが進学した高校は、大して勉強しないでうまくすべりこんだプチ優等生(決して本当の優等生でははありません!)、が入るような高校で、たぶんいちばん青春を謳歌しやすいところだったのではないでしょうか、客観的に見ると。先生も生徒もそれなりのプライドを持ち、生徒の家庭環境は問題なく(たぶん)、ガラは全然悪くなく、部活は盛んで、トータル的に見ると進学先はたいしたことはありませんが、やる気を出せば先生がどこまでも面倒を見てくれて、それなりのところに入れる、という、学校群時代の「どうでもいいような都立高校」出身の私からは、考えられないくらい恵まれた環境でした。しかし、その理想的ともいえる学校環境に、私の子どもはなじめなかったのですわよ・・・呆然・・・きっかけは同級生のとある男子のいじめだったのですが、私の子どもの処世術の下手さ、というのもかなり影響していると思います。昨日、その彼女に「お宅の息子さんは何の心配もなかったでしょう」と言われ、思わず来し方を振り返って話してしまいましたわよ、プチ不登校について。あれを経験したら、もうこわいものはありませんわ。それだけがよかった点かしら?今、子どもは浪人していますが、もう私は進学先についてつべこべ言いますまい。最終目標は社会人としてしっかり自立すること、ですからね。大学で勉強でもサークル活動でもアルバイトでもなんでもいいですからひとつことをきちんと続け、人との信頼関係を取り戻し、前向きな姿勢で生きることを学んでくれればそれで本望でございます。
2006.09.10
みなさまこんにちは~。フェリアでございます。今日は夫が富士山に登るとやらで朝早くに家を出て行き、八合目の山小屋に泊まって明日帰宅するそうです。こんなこと言っては罰あたりなのでしょうけれども、なんつ~か夫のいない休日ってのはせいせいするものですわねえ・ハハハ~!わが家は夫と私、浪人生の息子の3人家族ですが、この「男二人」ってのははっきり言って「場所ふさぎ」ですわ。ついでに「目につくところにいられると落ち着かない」ざますね。私は基本的にひとりでセイセイしているのが好き。なのに息子が浪人してからというもの、家にいる時間が圧倒的に長くなったので、落ち着かないったらありゃしない。別に人嫌いってわけでもないのですが(むしろ好きなほうだと思う)、会社勤めも大の苦手でした。自分のペースで物事を進めたいので、人と時間と空間を共有しながら仕事をする、というのが性に合わないのですわ。毎日、同じ場所に、同じ時間に出かけていく、ということ自体、私には恐怖です。昨日・一昨日の日記に書いた例のセクハラ・オヤジの仕事も、セクハラとわかったのは最終段階で、それ以前に「拘束される時間が長すぎる」のが私にとってはもっともネックでありました。私の妹・Bは、私とは正反対で、会社勤めが苦にならないタイプです。若いころ、彼女が「新聞の求人欄見ると、夢が広がる」と言うのを聞き、心底、驚きました!というのも、私は逆に、新聞の求人欄を見るたびに、監獄行きの気分を味わっていたからです。「9~5時半。土日祭日休」なんていうのを見ただけで、指先がつめた~くなりますわよ。どうしたら会社に行かなくてすむか、私の20代はそれを考えて終わったといっても過言ではありませんわ。20代の終わりに結婚したときは「これで毎日会社に行かなくてもすむ」とほっとしました。妊娠するまでは派遣会社に登録して、週に2回の仕事に行っておりましたです。ペース的にはよかったのですが、前任者が派遣先担当者の心証を悪くするようなことをしたらしく、なんとな~く居心地は悪かったですわ。結局、切迫流産で行けなくなってしまったのですが、私が扱っていた切手の数が合わないとかで、電話がかかってきたことがありました。着服したんじゃないか、と疑っている感じでした。その担当者、私と同じ年で、同じころに結婚したのですが(男性)、神経質そうな人でしたわねえ。仕事はできそうだったので、今頃出世してますかしらねえ。当時、私たちは20代終わり。あれから長い年月がたってしまいました。・・・ああ、こうして昔のことを思い出すと、今は幸せですわねえ。自分に合った働き方(フリーランサー)ができているわけですから。この仕事以外、私にはできないでしょうね、きっと。文句いわずにこの道をきわめますわ、私なりにね。
2006.09.09
夕べは非常によく眠ることができ、すっきりしました。いやはや、人間の直感ってのはやはりバカにできないものですわねえ。昨日書いたセクハラ・無能オヤジには、面接&打ち合わせ2回の合計3回会いました。最初、面接に行ったときは全然悪い印象はなかったのですが、最初の打ち合わせ時にすでに暗雲立ち込めておりましたからねえ。私が聞いていた段階よりも、ずっと手前の段階でモタついていることがわかり、こりゃあ私が思っていたのとはだいぶ違う、下手するととんでもないめんどくさいことになるかもね、との懸念を抱きつつも、いやいや、それは考え方ひとつ、何事も新しいことを始めようとするのは大変なものだ、と自分に言い聞かせてきたのでした。今日、セクハラ被害にあった女性が電話をくれて、彼女も昨日をもってやめることにしたそうです。そりゃそうよね~! 一度セクハラしてきたやつとなんか、二度と一緒の事務所にはいられませんわよ、気持ち悪くて。彼女を事務員として紹介した、彼女の友人であるデザイナーさんもおりたそうです。よかった・よかった。デザイナーさんがいちばんソンをするのでは?と心配していたのです。これまでの作業にかかった分は、払ってもらうということで話がついたとか。安心しました。これであの社長、また一から振り出しです。取引先のある仕事だから、今回3人全部抜けたのはかなりな信用失墜につながると思うのですが、身からでたサビですから仕方ないですね。ところで人間の直感ですが、最初に「この人とはトラブルかも」と思った人とは、必ずトラブりますね。本当にバカにできないものだと思います。私はこれまでにも2回、仕事で変わった人につかまりそうになったことがあります。共通しているのは、精通していない分野で「わかったふりして」手を広げようとする、という点と、人望がないのに人を集めて何かやりたがる、という点でしょうか。妙に強引なところも似ています。要するに、人を使うのが下手なくせして、人を安く使ってもうけたい、と考えるのが間違っているのですわね。実力に関してはわかりませんが。ちなみにこれまでとっつかまりそうになったのは、ふたりとも女性でした。一人は特定の分野に関してはある種の実力があったのかもしれません。いやはや、仕事を通じて、いろんな人と出会ってきました。振り返ってみるとトラブルも含めて、非常に面白かったように思います。トータル的に考えてみて、私はやっぱり一匹狼が一番合っているのだと思いますね。こつこつ自分のやれる範囲の仕事を、自分のペースでやるのがいいのでしょう、きっと。さあさあ、次にどんなエピソードが待ち構えているのか、楽しみですわ。・・・こう考えられるようになったということは、かなり元気回復してますわね<私♪
2006.09.08
いやはや疲れ果てました。先日から、新しい分野の仕事の挑戦しようとしていた私。みごとに出鼻をくじかれましたわ。なんだかあやしいな~とは思っていたのです。中年男性が一人でやっている会社で、やたらと打ち合わせしたがるのです。そのわりにいつも(といっても私が参加したのは2回だけど)何にも決まらず、行くたびに時間が無駄になった気がします。あがってくる収益よりも、デザイン料のほうが上回る、つまりこの会社にはもうけがないのでは?と素人の私でも思いました。こりゃあ打ち合わせの回数ばっかり重なって、さっぱり進まんわ、この仕事はきっと立ち上げてもすぐにポシャる、どこで身を引こうか、先日からそればかり考えておりました。決め手は今日の、事務の女の子からの電話です。な・な・なんと!バイトに来るようになって3日目の彼女に、中年男である社長が抱きついた、と言うのですわ! セクハラじゃ~~ん!!! ソツがなくて、とてもかわいらしく、グラマーな彼女。同性の私から見ても、とても魅力的なので、惹かれる気持ちはわかるのですが、それにしたって相手の気持ちも考えずに、仕事中にいきなりそういうことってしますか???!!! どう考えたってしないだろ~、フツ~!彼女は毅然として立ち向かったようです。「こんなことしたら訴えられることになるんですよ。わかってるんですか?」社長、平謝りに謝って外出し、外からメールをよこしたそうな。「さっきはどうもすみません。いい片腕ができてよかったと思っていました。 そして個人的にも好きになり、つきあいたいなんて考えてしまったのです」・・・き・き・きもくない??!! 仕事関係で会ったばかりのオヤジにこんなこと言われたら・・・???彼女は近々、バイトをやめるでしょう。私もきっぱり身を引くことにしました。ああ、よかった。面倒に巻き込まれる前に抜け出せました。2回分の打ち合わせに行くのに要した交通費は払ってくれるそうです。これまでの自分の仕事先が、いかにきちんとしていたか、痛感できました。結局、受験産業&いつもの分野、に戻ってしまうのですわねえ・・・きっと私には一番そこが合っているのでしょうね。もう文句たれずに頑張りますわ。ああ、本当にほっとしました。胸のつかえがおりたような気がいたします。
2006.09.07
フェリアでございます。こんにちは。昨日は愚痴ってしまいましたわねえ。つか、最近の私、愚痴が多いような気がいたします。いけませんわねえ。しかし、まじめな話、今、生まれて初めて「自分の限界」を感じてますわ。今までですか?? 感じたことありません。だいたい、好きじゃないことはしないほうですし、無理もしないほうですからねえ。無理もしないので、限界もわからなかったのですわ。あんまり「大望」を抱くタイプでもないですし。もともとが、野ザルのように遊んでいられれば満足、っていう人間ですのでね。本日、ヴァイオリンのおけいこに行ってまいりました。私より4歳年下の美人の先生に、コドモ時代、裏山で野ザルのように遊んでた話をしましたら、えらくウケましたわ。「ええ~~! 全然想像できな~~い!」とおっしゃってましたが、そうですかしらん?ちと意味がわかりませんが。親が教育熱心どころか、コドモの宿題までやってやるような人(父のことですが)だった、という話もウケまくってました。先生はお母様の夢であったヴァイオリンの道を、言われるがままに歩んできたそうです。今になって「親が敷いたレールを歩いた」ことを自覚するようになったので、ご自分のコドモさんたちには、何も強制したくないのだそうです。そういうものですかしらん?親に何かを強制されたことのない私には、よくわからんですわ。野ザルにしておいてくれたことについては、深く感謝しております。最近、自分でも変化が起こってるのを感じるザマスよ。以前は楽勝でできたことが、できにくくなってますわねえ。限界、というよりも「容量が小さくなった」と言い換えたほうが正しいかもしれません。こうしてひーひー言っているのは、明日締め切りの原稿3本があるからですわ。ああ、明日、どれほどせいせいすることでしょう!午後にはDVD見まくりますわよ~~!!
2006.09.07
意欲が湧かないことを書いたのですが、あまりにも後ろ向きなので、我ながらうんざりし、すぐに削除してしまいました。言霊・言霊! 悪いことは書かないに限りますわねえ。億劫で仕方なかった「新しい分野の仕事」ですが、原稿書いてみたら思っていたよりすらすら行ったので「なにごとも最初は億劫。でもチャレンジが大切!」と思いなおすことにしました<単細胞!この年(子どもが大学受験生です。お察しください)になってなお、自分が固まってない、つか、仕事のことで迷うってのもどうかしてると思いますが、仕事を始めた年齢が35歳と、人様より遅かったため、10歳は割り引いて考えてもいいのではないかと思っております。なので今、私は50歳手前、ではなくて40歳手前、なのですわ・ほほほ♪昔、孔子様が「四十にして立つ」とおっしゃいましたように、40歳になったときにどうにかなっていればいいわけですから、まだちょっと間があるってことで、それまでさんざん迷うことにしたいと思います。ああ、それにしても楽してお金がざくざく入ってくるようなことって、ないものですかしらねえ。ついそう思ってしまいますですよ。ざくざく入ってきたら、自分のためだけでなく、人様のためにも使いますから、って念じているのですが、念じるだけではお金は入ってこないのですわ・しくしく。いえ、なにも「ざくざく」でなくてもけっこうです。「さくさく」程度で・笑! 子どもを大学入学後、一人暮らしさせても困らないくらい&私と夫の老後が心配ないくらいで・爆!欲をいえば、あともう一軒くらい家が欲しいですわねえ。そらもう「人を泊められる家」ですわよ~! どんちゃん騒ぎして「泊まってって~~!」って言える家、ね!ついでに言えば、あちこち旅行できるような余裕も欲しいです。私は12年前、南アフリカとジンバブエに旅行したとき、えらく感激して決めたですよ。「これから仕事がんばって、世界中、どこにでも行く!」とね。だって・だって・だって!見たこともない風景がそこには広がっていたから。世界は広く、美しいところがいっぱいあることを実感できたから。・・・しかし、その後、行ったところといえばセブ島と韓国と和歌山と大阪と北海道と沖縄くらいですわよ。つべこべ言わずに、来た仕事はありがたくいただき、がんばってまたアフリカでもどこでも行きますわ。がんばります!
2006.09.06
昨日もまたたくさんのコメントいただき、ありがとうございました♪いやはや昔話ってのは、いつも面白いものですわ。つか、年取ってきた証拠??札幌時代の遊びのほうがスケール大きいみたいですが、東京でもぐわぐわ遊んでましたわよ。親がまったく教育熱心でなかったので、それをいいことに、ほうけたように遊び暮らしておりました。子どものころってのは、ただそこらへんの道路を歩いているだけで、楽しかったですわ。私は実は、植物の名前って、よほどメジャーなもの以外、全然覚えられないのですが、植物が身近にある状況は好きなのです。なのでどういうわけか、私の幼少のころの思い出は「植物とともにある」のですね。東京に最初に住んだのは、昭和38年~42年、二度目が昭和48年~50年ですが、ちょうどお屋敷町と下町の中間にあたる場所で、坂が多かったので、非常に陰影に富んでいる気がしましたですね。とくに二度目に住んだときは、お屋敷町と下町では家のたたずまいはもちろん、住んでいる人たちも全然違っていて、そうでなくても進路によって人生変わってくることがなんとなくわかる年頃でしたから「社会階層」ってのを感じさせられましたです。なんつ~か住んでいたのが、湿気っぽい土地だったことも「陰影」を感じさせたのかもしれません。おっと、植物の話でしたわね。札幌では本当に自然が「体のすぐそば」にありましたが、東京でもそれなりに残っていましたね。小学校低学年のころ、大きなアジサイやひまわりに驚いた記憶があります。たぶん5歳まで住んだ釧路では見たことがなかったのでしょう。大きなアジサイには必ず大きなカタツムリが止まっていて、道路工事のおばさんが「おじょうちゃん、これあげる」とくれたものでございました。そう、当時は道路工事のおばちゃんがいたのですよ。思うに戦争未亡人だったのかもしれないですわ。ひまわりは小さな私にとっては本当に背が高くて、いつも「感心して」見上げたものでございます。今でも目に浮かぶようですわよ。お気に入りだった母のお手製の水色のワンピースを着て、麦藁帽子をかぶり、照りつける夏の日差しの中、ひまわりを見上げながら、スキップで坂をおりていく8歳の私の姿が。あのころの私には「今」しかありませんでした。昨日も明日も、過去の釧路時代も、これからくる時代に思いをはせることもなく、ただひたすら「今」の楽しさをむさぼっておりましたですねえ。朝、起きると、祖母が顔を洗う手伝いをしてくれて、ご飯を出してくれて、髪を三つ編みに結ってくれます。友達と学校へ行き、授業を受けます。私は勉強がちっとも好きでなかったので、たいてい考えごとをしていました。昨日読んだ物語の続きとか、あるいはとりとめのないことを考えていたのでしょうねえ。学校が終わると友達と一緒に帰り、遊ぶ約束をして、ランドセルを放り出して、友達とどこかへ遊びに行きます。夕方になると家に帰り、妹をいじめて親に叱られたりしてね(汗!)のんきで楽しい時代でございました。私は気弱な少女だったので、学校では男の子にいじめられたりして、それなりに胸を痛めていたのですが、基本的には何の悩みもなく、実に子どもらしく単純明快に生きていたのですわねえ。それにしても、大きなカタツムリはどこへ行ってしまったのでしょうか。
2006.09.06

先日、東京出身のお友達と、子ども時代の話をしていて驚きました。と申しますのも、あまりに「放課後の時間」の過ごし方が違っていたからでございます。私は5歳から小学校2年生まで東京、その後、小学校3年生から中学2年までを札幌で過ごしました。東京時代も、放課後は頭をからっぽにして近所の公園などで遊んでおりましたが、札幌に移ってからは「遊び場」のスケールが東京とは違うのを、子ども心にも実感いたしました。だって、目の前の山(藻岩山)全部が「遊び場」なんだもん・爆!とはいっても、毎日、放課後に標高531メートルの山に登ることなどできませんから、山のふもとで遊ぶのがせいぜいでしたが、それでも当時の札幌は自然がたくさん残っていて、まあ何しろすがすがしかったですわ。学校からの帰り道、わんさかたんぽぽが咲いていたり、アカシヤの並木道が、歩道に濃い影を落としたりするのが、東京から移った私にはとても新鮮でございました。夏の夜、母に連れられて、山のふもとを流れる小川(つか用水路??)のほとりを散歩して、ハマナスの花のはかなげなたたずまいに心惹かれたりしてね。秋になるとナナカマドと銀杏ですわね。私は基本的に木の実が好きです。木の実モチーフがデザインされたものとかもね。ナナカマドの真っ赤な実の愛らしさったらねえ~~!東京で木の実なんて見たことがありませんでしたから。学校へ行く途中に、大きな銀杏の木がありました。札幌で初めての秋、その木の下に黄色く色づいた葉が大量に落ちているのが、まるで「黄色いじゅうたん」が敷き詰められているように見え、たいそう興奮したものでございます。妹・Aと「わあ~~!!黄色いじゅうたんだ~~!」とはしゃいだ、少女のころ<遠い目なつかしゅうございますわねえ。冬になると、吹雪のすごさに驚かされましたですね。みなさんは経験がございますでしょうか。吹雪の日というのは、静かなのでございますよ。本当に静か。学校からの帰り道、友達と別れてひとりで吹雪の中を歩いていると、自分が今、たったひとりだということを痛感するのでございます。あまりに静かで。でもそれも「寂しい」というよりも「すがすがしい」思い出につながっておりますね。これは私の勝手な思い込みですが、披露させていただきますと、北海道の人はあの吹雪の中での孤独感を年中味わっているから、逆に人といる時間を楽しもうとするのではないかしらん?北海道人=人なつこい、と言われるのは、あの風土と無関係ではないと思います。事実、私も、吹雪の中、孤独をかみしめながら(大げさですが)家に帰り着くと、そこには温かい部屋があり、母や祖母や妹たちがおやつのジャガイモなど(ははは~!昭和40年代の北海道ですわねえ~!)を食べているのを見ると、ほっとしたものです。私はそのようにして、小学生~中学生の多感な時期、常に自然とともにあって、自然の中で野ザルのように遊んで過ごしました。本当に、頭を空っぽにして「今日、何をして遊ぶか」それしか考えておりませんでしたねえ。冬ですら、孤独をかみしめて家に帰りついた後、おやつのジャガイモ食べ終えたら、スキーかついで裏山に行ってスキーしてましたからね~!爆!・・・東京のお友達は私よりいくつか年下ですが、昭和40年代の東京では、すでに「放課後はおけいこまたは塾」という生活パターンが定着していた、と言います。いやはや地域によって違うものでございますわねえ。そういえば、もともとあまり体の丈夫でない私ですが、札幌の野ザル時代に非常に丈夫になりましたですね。きっと北海道の風土が体に合っているのでしょう。ああ、やはり私は北海道に帰りたいですわ。↑札幌・藻岩山ふもとの石段 冬になるとここから山のふもとのお寺へ行き、お寺と墓地の間にある スロープで、スキーをして遊んでいました。
2006.09.05
やはりみなさん、同じような経験をお持ちだったのですわねえ。それだけ世の中には意地悪な人が多いということですわね。私は小学校に上がったときから、なんとな~くそのことには気付いておりました。私、今でこそ気が強いですが、子どものころはホント~に気弱で、よくいじめっ子にいじめられていたのです。最初に入った小学校に2年生までいて、その後、親の転勤で転校し、中学3年になるときに同じところに戻ってきました。驚いたのが「いじめっ子」が意地悪でなくなっていたことです。成長するにしたがって、意地悪な子の割合というのは、減るのですわねえ。・・・だとしますと、ですよ!大人になっても「意地が悪い」って相当レアなケースってことですねえ。おお、冒頭の「世の中、意地悪な人が多い」という発言とは、矛盾しておりますが<見逃してくだされ。つか、成長遅い??たしかに大人になってから、私に意地の悪いことを言ったりしたりした人のことを思い出すと「幼児性」という共通した性質があったように思います。昨日の彼女も、もともとは私に対するプライベートな嫉妬心に端を発していたようですし。仕事上での意地悪をしてきたのは圧倒的に男性が多かったですが、どれもこれも「お山の大将でいたい」やつらでしたわ。たいしたこともないくせにね・けっ!つか、たいしたことないから、私ごときをいじめて喜ぶのですわね。ところで、私、人に意地悪をしたり、言ったりする人はいやですが、「意地悪なものの見方をする人」というのは決して嫌いじゃありません。むしろ面白いのでつきあいたいかもしれませんわ。実際の意地悪は罪悪だと思いますが、「意地悪な見方」というのは、それとはまったく別物で、ある意味、尊重すべきものという気がしますね。というのも、私自身は、全然人の裏が読めないからです。私の妹・Aなんぞは、おとなしそうな顔してるくせに妙に意地悪な見方をするところがあり、話しているとはっとさせられます。「あ~、なるほどね~!そういう見方もあるのか~!」なんて・爆!私の夫もそのタイプかもしれません。子どももそうかもね~。私は子どもに言わせますと「偽善者」なのだそうです。そうかしらん? 偽って「よく見せよう」と思っているわけではないのですが。発言がおおげさなので、実際よりも「いい人かも」と思われる要素はなきにしもあらずかも。意地悪な見方をする人から見れば、私のようなのは「偽善者」になるのですわね・しくしく。
2006.09.04
「言霊」というものがあるのだから、自分にとってマイナスになりそうなことは口にしないほうがいい・・・と思ってはいるものの、そりゃあ生きてりゃいろいろあるし、思わず弱音も吐きたくなりますわねえ。はい、今、まさに私がそのスポットにおりますですよ。と申しますのも、ある人物が発した「負の力」に負けているからでございますね。世の中には知恵が働いて、思い通りに人を動かそうとする人がいるものです。いいほうに働かせる分にはかまわないのですが、こういう人って、人にプレッシャーを与えたり、不安にさせたりすることもうまいのですわねえ。私の母の姉、つまり私の母方伯母に、その手の「知恵者」がおります。自分に気に食わないことがあると、妹たちの仲を引っ掻き回しにかかるのですわ。従妹のひとりなぞ「あの伯母ちゃんは、意地悪で頭がいい」と申します。彼女いわく「だから頭が悪くて意地の悪い妹を、思い通りに操作するのなんか朝飯前」だそうで・汗!私に「負の力」を発揮してきた人も、頭がよくて意地が悪いタイプですわ。しかし、こういう人って、手玉にとった相手に自分がどう思われているか、とかって考えないのでしょうかしらん?どうせ単細胞なバカだから、ちょっとやそっとの意地悪には気がつかないだろうと思っているのか?それとも「意地悪されている」という自覚を持たせつつ、ねちねちといじめて楽しみたいのかしらん?そのあたりがイマイチよくわからんのですわ。私も子どものころ「フェリアはいじわる」と周りの大人から言われたものですが、いや、あれは「意地悪」ではなく、たんに「ケチだった」だけでしょう。だって「持ってるお菓子、●●ちゃんにひとつあげなさい」と言われると「本当に『たったひとつ』しかあげなかった」というのが「フェリア=意地悪」の根拠なのですからね~!意地悪ってそんな単純なものじゃないって、大人になった今では思いますわよ。そう!私は「意地悪」ではなく「ケチ」だっただけです~~!さて、意地悪な人についてですが、もし、こちらを「完全に鈍感なやつ」と踏んでいるのなら、こっちもそれになりきって、逆にいろいろ相談しちゃって、相手がどんなプレッシャーを与え「ひっそりした意地悪」をしかけてくるか、見たいような気もするのですわよ。自虐的すぎますかしらん?それにしても、女性にこのような形で意地悪されたのは初めてです。たいてい仕事上の意地悪をするのは「男」なのですけれどもねえ、私の経験ですと。どのような意地悪か、具体的にお話できなくてすみません。ちとここに書くのはヤバすぎまして。重要な考察を忘れていました!それは、この手の「意地悪さん」は、人の心を操作することに長けているので、根性が悪くても案外、男にモテるということです。決して美人ではないのですが、人の心に確実にダメージを与えることを知っている分、プラスのイメージを与えることも上手なのですね。男を自分のほうに振り向かせるなんてお手のもの。ああ、女性はこわいですわねえ。なんで男性って、そういうのを見抜けないのでしょうか・・・??ああ、メゲずに元気出しますわ。ではでは~♪
2006.09.03
9月3日、いいお天気でございますわねえ。昨日は土曜日でしたが、仕事で外出しましたら、暑くてたいへんでした。先日、フランス映画『コーラス』を見ました。久しぶりに映画を見て、だくだくと泣いてしまいましたわ。フランスの問題児や孤児が集まった男子校で、教師がコーラスを通じて生徒たちの心をつかんでいく、という感動作でございました。主演の美少年は、実際にフランスの少年少女合唱団のソリストを務めていた子で、3000人のオーディションの中から選ばれたそうです。いやもう本当にすばらしい歌声で、私、彼の独唱を聴いていたら、マジで泣けてきたざますよ。少年が主人公の音楽映画といえば『北京ヴァイオリン』ですが、あれも主人公の少年は、コンクール5位の入賞歴のある子で、劇中の音は他の有名なヴァイオリニストのものが使われたていましたが、その男の子自身も、全曲弾くことができたそうです。やはり音楽映画の場合、演じる人に素養がない見ていてシラけますね。『宋家の三姉妹』では、長女がヴァイオリンを弾ける、という設定だったのですが、満足に持つこともできないずぶの素人だったので、興ざめでした。私は映画に関しては、ホラーがダメ、サスペンスがダメ、戦争ものはもっとダメ(こわくて見てられん!)、見るものが非常に限られます。後味が悪いのもいやです。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』みたいやつ。不幸すぎて救いがないのは見たくありません。こってりした恋愛ものも苦手。うっとうしくて。「官能」とかいわれても、なんのことかよくわかりませんわ・汗!そういえば、以前の日記でヴァイオリンのことを書きましたら「自分がヴァイオリンを弾けるとしたら、官能的に弾きたい」とコメントを寄せてくださった方がいらっしゃいました。官能的なヴァイオリン・・・考えたこともない・・・昔はアパショナータに弾きたいと思っていましたが、今の私のテーマは「鎮魂」です。官能的である、ということは今の私にとっては、アウト・オブ・眼中、ですね。今日ももう一本、DVD見て、またツタ●で半額レンタルやってるから、借りてくるつもり。どんなのにしようかな♪
2006.09.03

本日は関東大震災があった日ですわねえ。この日はたいてい暑いのに、今日はたいへん涼しゅうございました。残暑も切ないものですが、一気に秋めいてくるのも寂しいものです。さてさて、本日は私の父方祖父・高山孫太郎の命日でもございます。昭和38年9月1日、父・孫太郎は70歳で死去いたしました。死因は胃癌でございました。祖父は私が5歳のときに亡くなったのですが、その面影はしっかり覚えております。人好きのする人で、祖父が存命中、家には年がら年中人が集まってきておりました。つか、昔の釧路では、人とのつきあいというのは、レジャーとしてかなりな力を持っていたのかもしれませんわねえ。こんなことを言うと年寄りじみているようですが、本当に昔は今よりも人付き合いがまめでございました。祖父は福井県大野郡大野村の名家の生まれだったそうですが、その父親の死後、家督を相続したのち、北海道に渡りました。北海道は十勝郡池田町、ドリカムの吉田美和さんの出身地です。そこで和菓子屋に弟子入りし、その家の娘であった祖母・カナといい仲になって駆け落ちしたそうでございます。ところがこの祖父、人柄のいい面白い人ではあったのですが、今イチ、どころか今サンくらい仕事熱心でなく、いい腕をもっていたにもかかわらず、ちょっともうかると遊びに走ったそうです。遊びといっても女遊びやお酒、賭け事などではなく、放浪の旅に出るとか、映画や相撲・野球を見に行くとかいうレベルだったのですが。それにしたって一家の主がそんなふうでは家族は大変な思いをしますわよねえ。私の父は5人兄弟で、兄・兄・姉・父・弟、という構成ですが、兄ふたりが父親に似たのか、さっぱりアテにならない人たちで、姉のハナが若いうちから奉公に出る・祖母が和裁のしたてものをする・祖母の実家である名門和菓子屋の世話になる、という3つの手段でなんとか生活していたそうな。それでも孫太郎のことを悪く言う人はいませんでしたわ。いちばん苦労させられた、祖母・カナですらもね。カナは非常に口の悪い人だったのですが、祖父・孫太郎の悪口だけはひとつも言いませんでした。私は今でも覚えておりますよ。祖父が亡くなって自宅に戻ってきたとき、祖母・カナが「じじちゃん、じじちゃん、なぜ死んだんだ~」と言って、目に白いハンカチをあてて泣き崩れている姿を。祖母が泣くのを見たのは、その一度きりでございます。当時、私は5歳でしたが、人の死というものは悲しいものなのだと思いましたですねえ。そのころの家は木造住宅で、玄関に2畳の日本間がございました。普段は通りぬけるだけの場所なのですが、祖父が亡くなった夜、親戚たちがわさわさ泊まりにきましたので、母と私、それに妹の周子(当時2歳)の3人で、その玄関の間に寝ました。その晩、私は夢を見ました。亡き祖父が布団からむっくりと半身を起こして、私のほうを見つめている夢です。目が真っ赤に光っていて、とてもこわかったのを覚えています。2歳だった妹の周子は、祖父のことをまったく覚えていないそうですが、2畳の間に寝たことだけはなぜか記憶しているそうでございます。その夢も非常に印象に残っておりますが、さらに火葬場で祖父のお骨を見たときのことはよく覚えております。頭蓋骨がほとんどそのままで、背骨の一部が黄色と緑色に染まっておりました。火葬場の人が「これが癌に侵されていた胃の裏側にあたる部分です」と説明してくれて、私はなるほど、こんなになるものかと妙に感心したものでございました。それらの思い出は、衝撃的とか悲しいとかいう次元のものではなく、なんといいますか「人間はそうなるものだ」という「事実」を私に教えてくれたのでした。老いて病んで死ぬ。周りの人は人がいなくなると悲しむ。祖父はまったく名もない人でありましたが、その葬儀には、北海道中からわらわらと人が集まってきたそうでございます。私の母の父、つまり私の母方祖父・大村喜次郎は、父方祖父・孫太郎のことを非常に気に入っていたため、「ああ、あんなに面白い人が死ぬなんて。ああ、面白い人だったのに、なんてことだ」とさんざん嘆いたそうです。はい、これは私の自慢でございますよ。ナイスなじいさまをもって、私はたいそう幸せでございます。↑バナナ饅頭製造工場・池田町、とあります。おそらく手前の男性が祖父・孫太郎でありましょう。貴重な写真でございます。
2006.09.01
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