《櫻井ジャーナル》

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2015.08.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今から70年前の8月にアメリカ軍は2発の原子爆弾を日本へ投下した。まず8月6日にウラン235を使った「リトルボーイ」を広島市へ、あた9日にはプルトニウム239を利用した「ファット・マン」を長崎市へ落とし、その年の末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われている。言うまでもなく、晩発性の障害や遺伝的な影響を含めた実際の犠牲者はさらに多くなる。その後、日本は「唯一の被爆国」だと言われるようになるが、この主張に疑問を持つ人もいる。イスラエルが中性子爆弾を使った疑いが濃厚だというのだ。

 1986年にイギリスのサンデー・タイムズ紙はイスラエルが約200発の原爆を保有していると報道したが、その情報源だったモルデカイ・バヌヌはイスラエルが水爆を保有、 中性子爆弾の製造 を始めていたとも告発している。このバヌヌは1977年から約8年間、技術者としてディモナの核施設で働いていた。なお、ジミー・カーター元米大統領はイスラエルの保有する核弾頭の数は150発以上だと語っている。

 イスラエルが核兵器を開発していることをアメリカ政府が察知したのは1958年後半から59年の初めにかけての頃。偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで原子炉と思われる大規模な施設が建設されている様子を撮影、CIAはイスラエルが核兵器を開発している可能性が高いと判断、この情報はドワイト・アイゼンハワー大統領にも伝えられている。このとき、CIAはディモナ周辺の詳細な調査を行うように求めたが、認められなかったという。

 このとき、イスラエルの核兵器開発疑惑を知っていたのはアイゼンハワー大統領とCIAの画像情報本部の責任者だったアーサー・ランダールのほか、ジョン・フォスター・ダレス国務長官、その後任のクリスチャン・ハーター、アレン・ダレスCIA長官、やはりCIAのディノ・ブルギオニ、そしてAEC(原子力委員会)のルイス・ストラウス委員長だったと言われている。ストラウスはアメリカとイスラエル、両国に忠誠を誓っている人物で、1958年に大統領はストラウスをAEC委員長から降ろしている。なお、AECは1975年にERDA(エネルギー研究開発局)とNRC(原理力規制委員会)に改組された。

 イスラエルは核兵器の開発に必要な原子炉をフランスから入手している。1956年にシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談、フランスは24メガワットの原子炉を提供したのだ。イスラエルの科学者は1960年2月、サハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加、その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。1960年12月、ニューヨーク・タイムズ紙のジョン・フィネイは、イスラエルがディモナでプルトニウムを得るために原子炉を建設していると伝えた。

 フランスがイスラエルの核兵器開発に協力した理由のひとつはアルジェリア情勢にあるという。エジプトの支援を受けたナショナリストがアルジェリアで勢力を拡大、1954年にはFLN(アルジェリア民族解放戦線)を中心にした武装闘争が始まるのだが、FLNに関する情報を入手するためのネットワークをフランスは持っていなかった。そこで、北アフリカの出身者を抱えるイスラエルの情報機関に頼ったようだ。その代償としてイスラエルはフランスから戦闘機や戦車のほか、小型原子炉を手に入れたという。

 核開発に必要な資金はパリに住むエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドなどの富豪が提供しているが、1960年3月にニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談した後、 コンラッド・アデナウアー西独首相は1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めている 1960年代にイギリスは核兵器用のプルトニウムをイスラエルへ秘密裏に供給していた

 アデナウアーとベングリオンが会談する前月、1960年2月にイスラエルの科学者はサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加、その直後にイスラエルは長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を手に入れている。1963年にはイスラエルとフランスは共同して核実験を南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施した。

 アイゼンハワーの次に大統領となったジョン・F・ケネディはイスラエルの核兵器開発に対して厳しい姿勢で臨み、同国のダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している。

 そのケネディは1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは議会で親イスラエル派の中心的存在だった人物。次のリチャード・ニクソン政権では大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーが1973年10月に第4次中東戦争を仕掛ける。アンワール・サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げるために仕組んだのだが、その一方で石油価格の高騰を目論んでいた。

 石油価格を引き上げる決定は1973年5月にスウェーデンで開かれたビルダーバーグ・グループの会合で決められている。ザキ・ヤマニ元サウジアラビア石油相はガーディアン紙で、 「1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議」で石油価格の値上げが決められたと語っている が、その秘密会議を開催したのがビルダーバーグ・グループだった。

 エジプト軍の奇襲攻撃で境地に陥ったイスラエル政府は核兵器の使用について議論する。ゴルダ・メイア首相の執務室で開かれた会議の席上、モシェ・ダヤン国防相は核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。 核兵器使用の準備をするという提案はメイア首相が拒否して実行されなかったという話 も流れているが、閣議で核兵器の使用が決まったという情報もある。

 敗色濃厚のイスラエルに対してアメリカは物資を空輸しはじめるが、キッシンジャーはエジプトのアンワール・サダト大統領に対し、核戦争へとエスカレートすることを防ぐためだと説明した。

 形勢が逆転すると、イスラエルはアメリカの停戦要請を無視して攻撃を続ける。それに対してソ連のアナトリー・ドブルイニン駐米大使はキッシンジャーに対して米英両国が平和維持軍を派遣してはどうかと提案、レオニード・ブレジネフ書記長はニクソン大統領宛の手紙の中で、アメリカがソ連と手を組めないのならば、ソ連は単独で行動すると警告している。

 キッシンジャーはソ連側へソフトな内容の返信を送る一方、核戦争の警戒レベルを引き上げ、全世界のアメリカ軍に対して「赤色防空警報」が出されたともいう。核戦争の危機がせまっているとメイアは信じた。

 そうした中、ダヤン国防相は核攻撃の準備を始め、2基のミサイルに核弾頭をセット、目標をダマスカスとカイロに定めている。当時、イスラエルとの間に一線を引き、武器の供与に消極的だったニクソン大統領に対する恫喝だと推測する人も少なくない。

今年5月にはイエメンで大きな爆発 があり、状況から考えてイスラエルが中性子爆弾を使ったのではないかと疑われている。

 このイスラエルと日本は核の分野でつながりがある。例えば、2011年3月に過酷事故を起こした東電福島第一原発にはイスラエルのマグナBSPがセキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラを設置していた。これは エルサレム・ポスト紙 ハーレツ紙 が伝えている。そのシステムがどうなったのかは不明だ。なお、ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、 1980年代以降に日本はアメリカの一部勢力と手を組み、兵器級プルトニウム70トンを蓄積、IAEAは黙認してきた という。日本が核兵器を開発、製造の準備をしていることは情報機関の間では常識になっているようだ。





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最終更新日  2015.08.05 04:51:24


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